あてなよる

コロナ禍の現在、お店での飲食は、自由にできない状態です。

こんな時だからこそ、私の理想とする飲食をテーマに選んでみました。

 

私はお酒は強くありませんが、気心の知れた少人数で、色々と由無し事を語らいながら飲むことは嫌いではありません。これに美味しい料理が付けば尚更です。

 

今回は、お酒好きには堪らない番組を紹介します。

 

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「あてなよる」というNHKのBS4KとBSPで放送している番組がある。BS4Kは定期に放送しているようだが、我が家はBS4Kが見られない。BS4Kで放送したものを、BSPで非定期に再放送しているので、気が付いた時はBSPで見るようにしている。

 

冒頭に、石橋蓮司さんがこの番組を、渋い語り口で「酒の肴(さかな)のことを、日本人は愛情をこめて「あて」と呼ぶ。酒にあてがうもの、酒の味を引き立ててくれる伴走車。極上の「あて」と酒で楽しむ大人のエンターテインメント。」と紹介する。

 

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大原千鶴さんと若林英司さんが、大原さんのキッチンアトリエで、一人か二人のゲストを招いておもてなしをする番組だ。

 

大原千鶴さんは、NHK「きょうの料理」の講師などで活躍している京都在住、50代で2男1女のお子さんがいる美人料理研究家だ。実家は洛北の歴史ある料理旅館で現在は弟さんが4代目として後を継いでいる。大原さんは本番組では、あての求道者と呼ばれている。

 

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 若林英司さんは、長野県出身、現在は銀座の一流フレンチレストランのシェフソムリエとして活躍中。本番組では、あてと酒の媒酌人と呼ばれている。

 

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キッチンアトリエは、京都御所南の閑静な町家の一画に、築30年の古い一軒家を改築した大原さん所有のもので、内装も風情豊かで映画かテレビのセットのようだ。大原さんの仕事場であり、おもてなしの場でもある。

 

 

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アトリエの名前は「遇酒旦呵呵」と名付けられ、意味は「酒を飲んだら、ひとしきり大笑いしましょう」「陽気に飲みましょう」ということらしい。

 

番組では毎回、食材のテーマを決めて、「〇〇で呑む」と題して、大原さんが一つの食材で4品ほど作り、若林さんがその料理に最も合うお酒を選定し、ゲストに提供する。

 

大原さんは、料理を作りながらその料理に纏わる話をし、若林さんは、なぜその料理にこのお酒が最適なのかを、いろいろ蘊蓄を交えて説明する。

 

お酒は、各種日本酒、各種焼酎、各種ビールにワイン(赤、白、ロゼ)、ウイスキー(モルト、グレーン、スコッチ、アイリッシュ、バーボン)、ブランディ、シャンパン、ウォッカテキーラ紹興酒、他ありとあらゆるお酒の中から選ぶのであるから、若林さんのお酒の知識たるや半端でない。 

 

また提供する時、その料理がより美味しくいただけるように、提供する時のお酒の温度にも気を配る。

 

大原さんが料理を作る間、カウンターを挟んで、大原さん、若林さん、ゲストが料理、お酒その他を話題にして語り合う。実に楽しそうである。

 

そして料理が出来上がり、それにピッタリのお酒が供され、それらを飲食した後、ゲストが感想を述べるのであるが、あまりにも料理とお酒の相性がマッチし、旨さが増幅され、ゲストがその旨さを何と表現したらよいか、言葉に窮することも多々ある。

 

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最近再放送で、「牛肉で呑む」編を見た。

ゲストは俳優の鈴木浩介さんと女優の戸田菜穂さん

 

まず近江牛のブロックを5㎝ほどの厚さに切って弱火でじっくり15分かけて焼く。

 

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その間に一品目の「コンビーフのラスク」が供され、合わせるお酒はカリフォルニアの赤ワイン。

 

15分経って二品目の牛肉を焼いただけの「かんたんローストビーフ」が出来上がり、粒マスタードと塩だけでいただく。ゲストはただ焼いただけなのに、その旨さに大満足。

 

 

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ここで合わせるのは、赤ワインではなくてカリフォルニアの白ワイン。

 

若林さんの説明:赤だとワインのタンニンが、脂身の少ない肉の繊細な旨味を削いでしまう。白ワインは果実の旨味が肉の繊細な旨味を引き立たせてくれる。今回の白は樽熟成したものなので、ワインに移った樽の香ばしいところと肉の焼いたところが合致して相性も更に良くなる。

 

肉料理には赤ワインという固定観念は捨てねばならない。赤身の肉には白ワインなのだ。

 

三品目は「キャミカツ(キャベツたっぷりのメンチカツ)」、トマトソースにつけていただく。トマトソースは(皮ごとトマトをすりおろしたもの )2に(ケチャップ)1を混ぜたもの。

 

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合わせるお酒は国産クラフトビール、揚げ物にはビールが最適。

 

 

 四品目は、「牛こま肉とトマトのスープ」 材料は牛こま肉、トマト、レタスと水のみ。だしは牛肉以外一切使わない、牛肉に醤油を加え、練って、煎って焦げ目をつけて水を足す。それを熱しトマトとレタスを加えるだけである。(だしが入ると牛肉のだしと喧嘩しておかしくなるそうだ)

 

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これに合わせるのは、奥能登特別純米酒(汁物にはとろみが必要、ワインはご法度だとか)

 

 

 

〆は「牛肉の旨味チャーハン 」材料は牛脂とネギとニンニクのみ。焼きあがったところで醤油を回し入れる。醤油の焼ける香ばしい香りが食欲をそそる。牛肉は入っていないが、「ご飯に肉がコーテイングされていて、そこにネギとニンニクが入っているような食感で、今まで食べたチャーハンの中で最高に美味しい」とゲストの鈴木さんが絶賛していた。

 

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〆の一杯は、日本食(醤油)に合うという、フランスヴィザン村の赤ワイン

 

 

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今回は、「牛肉」という高級食材がテーマであったが、「ナス」とか「揚げ」とかの庶民的な食材がテーマとなることもある。大原さんの手にかかると魔法のように、極上のあてに変身する。

 

今回もそうだが、大原さんの作るあて料理は、短時間で簡単にできるものばかりだ。ゲストの前で作るので、ゲストを待たせないよう気を遣っている。

 

大原さんにとって料理とは、人を幸せにしたり、人を喜ばせたり、楽しませたり、人を十分に甘やかせてあげるものと言っている。そのことによって人の心も満たされる。

 

そんな大原さんが、心を込めておもてなしをするのだから、、ゲストは至福の時間を堪能するのだろう。

 

私も一度でいいから、目の前で大原さんの作るあてを肴に、若林さんの選んだお酒を吞んでみたい。

 

次回のBSPの放送は、3月21日(日)の未明(3月20日の深夜)に放送予定、興味のある方は深夜なので、録画してご覧ください。

 

・「スパイスで呑む」3月21日 AM2:30~3:14

・「ビターで呑む」3月21日 AM3:14~3:58

・「昆布で呑む」3月21日 AM3:58~4:44

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水道みち 3

水道みちについては、2020/6/19と2021/2/23の2回投稿しています。

水道みちの由来については、前稿を参照ください。

 

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<3月10日>

 

この日は、気温が20℃近くまで上がり、4月中頃の陽気という。陽気に誘われ少し遠目の昨年6月に歩いた水道みちを下流に進むコースに選んだ。

 

水道みちに到達するまで、2時間弱を要するが、途中住宅地で、紫や白のモクレンが咲き誇っていた。3日前、境川へ行った時に、モクレンの咲いているのを始めて見たが、この3日間でモクレンは一斉に開花したようだ。

 

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ツバキの花

 

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ようやく、水道みちに辿り着き、下流を目指す。

 

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3日前の境川へ行ったとき見つけた「ホトケノザ」は水道みち周りの農地にはいっぱい生えていた。ホトケノザは、雑草なのだ。今まで気にしていなかっただけだった。

 

 

 水道みち上のユキヤナギ

 

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水道みちから少し離れたところにある菜の花畑

 

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水道みちから見たコブシ?とハクモクレン

 

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今日の水道みちのゴール 市立公園の花壇の丘

 

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ここから住宅街を1.5時間程歩いて帰宅。

 

歩行時間 4.時間半  歩行距離 20.5㎞  歩数 31,500歩 

  

 

境川

<3月6日>

 

私のウォーキングコースは、方角によって①東方面、②北東方面、③北方面、④西方面、⑤南方面、⑥南東方面の6つある。どのコースにするかは、その日の気分次第だ。

 

この日は、しばらく行っていなかった①の東コースを選んだ。曇、8℃と少々寒い。

 

東コースを採る時は、大抵直接「境川」を目指し、川岸の歩行者、自転車専用道路を下流に向かって、時間の許す限り直進し又同じ道を戻ってくることが多い。

 

境川」はその名の通り、都県境を東西に流れる川幅が10~20mくらいの2級河川である。南側がわが町、北側は東京都町田市だ。

 

この川は昔、非常に蛇行していたため、何度も川の流れを修正し、直進するよう改修工事が行われた。その結果、旧河川では川の北側で町田市であったところが、工事によって川の南側になっても住所は町田市のままであったり、北側でもわが町の住所である飛び地が幾所か存在する。

 

又、今の「境川」を挟んだ南北の住所名は、市名が異なるのに町名が同じところが多い。これは、廃藩置県前の武蔵の国と相模の国の境界が、今の「境川」とは異なるところにあったと考察される。

 

 

我が家から「境川」へは最短ルートで30分であるが、この日は川の南側高台の住宅地を東進するルートを採り、今迄に到達した「境川」の最東地点に1時間半を要して到着した。

 

川岸遊歩道を下流に向かって歩いて行くと、川の中州で餌をつついている白い鳥と、川を泳いでいる鳥を発見。花の名前同様、鳥の名前にも疎い私だが、私にはグーグルレンズ(スマホのアプリ)という頼もしいお伴がいる。

 

お伴が言うには、白い鳥はコサギで、泳いでいる手前の鳥はマガモだと教えてくれる。

 

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さらに歩いて行くと、別の鳥が堰にとまっていた。これもお伴に訊いてみると、セグロカモメとのこと。

 

 

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少し水の溜まった淵のようなところに赤い鯉が泳いでいた。よく見るとその周りに黒い鯉がいっぱいいる。体長30㎝以上はある。捕獲する人はいないのだろうか?

 

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このまま下流へ進むと、また帰宅時間が遅くなるので引き返す。

 

30分ほど上流へ戻ったところで、高級そうな望遠レンズ搭載カメラを持った30人ほどの一団が、岸の遊歩道にたむろしていた。バードウォッチャーの集団だ。

 

10人ほどはレンズを対岸の草むらに向けている。その内の一人に何を撮っているのかを問うと、カワセミと言う。対岸に巣があるらしく、そこから出てくるのを、狙っているらしい。その気配があったらしく、一団は一斉に川岸の柵に移動したが、カワセミは出てこなかった。

 

テレビではよく見かける鳥だが、こんなに沢山のバードウォッチャーを集めるほどカワセミってそんなに珍しい鳥なのかな~と思いつつその場を後にした。

 

今迄境川を歩いていて、野鳥を気にを留めたことは無かったが、今後はもう少し注意して歩こうと思う。

 

 

 

川岸の遊歩道を歩いていると、道端に黄色い小さな花をつけた草木が並んで続いている。又お伴に訊いてみる。ヒイラギナンテンと教えてくれる。成程、葉はギザギザでヒイラギだ。ヒイラギに花が咲くとは知らなかった。

 

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川岸から離れ、住宅地へ入る。庭にハクモクレンとボケの咲いているお宅があった。今回はお伴に訊かなくても分る。ハクモクレンは桜の前に咲く私の大好きな木だ。開花したハクモクレンを見るのは、今年始めてだ。

 

 

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この辺りは住宅地であるが、まだ所々農地も点在する。そんな農地の畑で、紫の絨毯のようなものが見えた。レンゲかと思って近づくと、この畑のオーナーと思われるオトーサンがいた。「写真を撮らせてください。レンゲですか?」と訊くと、レンゲではない、名前は分からないと言う。

 

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更に近づいて写真を撮り、私のお伴に訊いてみる。すると、ホトケノザとの答え。春の七草の仏の座とは違うらしい。お伴は凄い。感心する。

 

 

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そこから1時間程歩いて帰宅した。

 

歩行時間:3.5時間  歩行距離:17㎞  歩数:25,800歩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月第1週

<3月1日>

 

今日から弥生三月、心浮き立つ時期だが、わが町にも緊急事態宣言が発令中とあって、閉塞感が拭えない。

 

先週、水道みちを上流に向かって歩き。「やつぼ」と言うところで帰ってきた。今回は「やつぼ」のある集落まで行って、わが県最大の河川の河原へ行ってみようと歩き始める。

 

この日は天気は良かったが、寒く風も強かった。先週に比べ住宅街の庭の梅も、より開いてきた感じで、時々沈丁花の仄かな甘い香りが鼻をくすぐる。

 

住宅街を抜けて、わが町では珍しい広大な農地に立つと、風は益々強くなり、砂埃も舞って、ウォーキングに愛用しているサンバイザーが風に何度も飛ばされた。仕方ないのでサンバイザーをバッグにしまい、サングラスとする。マスクとサングラス 怪しい恰好である。

 

「やつぼ」に到着。崖の下を流れる河川への降りる道を捜して歩き回るが、見つからない。地元の年配の方がいたので、訊いてみたがこの辺りには無いらしい。

 

下流側に20分ほどか上流側へ30分ほど歩かないと河川へ下る道はないとのこと、丁度ここはそれらの中間地点のようだ。河川へ寄ると又帰りが遅くなるので今回もここで引き返す。

 

帰り道、遠くに大きな木があるのを発見、行ってみるとそれは、集落の外れにある神社の中にあった。

 

 

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この町の保存樹林に指定された樹齢300年の楠の大木、神社の御神木でもある。

 

火野正平さんの「にっぽん縦断こころ旅」では、よく全国の巨樹が紹介されるが、この楠も全国放送で紹介されてもいいような立派な大木だった。

 

この楠に両手を広げて抱きついてみる。ごつごつとした力強い木の感触が全身に伝わる。木の周りを人の手でつないでも4~5人は要するだろうから、胴回りは6~7mくらいか。

 

今から300年前というと、江戸時代の宝永年間、富士山が噴火したころだ。この楠は富士山の噴火前に生えたのだろうか?そうだとしたら、この辺りも火山灰で覆われていただろう。そんな過酷な歴史を生き抜いて、以来ずっとこの地に根を張り、風雪に耐え雄々しく聳え立っている。風格のある巨樹であった。

 

この日の歩行時間:4時間 歩行距離:18.5㎞ 歩数:28,500歩

 

 

<3月3日>

 

1か月ぶりの病院 受信日、息子に送迎してもらう。

 

受診前に、検尿、採血、と腹部血管超音波検査が入っている。「腹部血管」とは何のことかと検査技師に訊くと腎臓とのこと。前回の血液検査の腎臓系の数値が少し悪かったのでエコー検査をすることになったらしい。

 

診察室に入ると、3名の学生さんらしき若い男女が先生の横に座って診察の様子を見学していた。ここは大学病院なので、入院中の教授回診といい、この見学といい授業の一環として学生さんへの配慮がなされているようだ。

 

幸いエコー検査には異状なく、いつもの抗凝血剤と血圧の薬を処方されて診察は終了。

 

昼食時で、息子が昔食べたステーキが旨かったというので、ステーキ屋さんに向かう。そこは、ウォーキングの時よく横を通るお店なのだが、入ったことは一度もない。駐車場には車が一台も停まっていなかったので、店は空いているかと玄関に行くと、「コロナでしばらく休業します」との張り紙。

 

仕方がないので、家の近くの中華料理店へ行く。ここは中華街で修行したというコックさんがやっているお店とかで、味も私の好みに合っていた。店へ入ると一組のカップルが食べ終わって、出ていくところで、店は私たち二人だけになる。お店には悪いが、コロナ感染防止上は心配しないですむ。

 

この店ではいつも、私のお気に入りの「カシューナッツの鶏肉炒め」をまず一番に大皿でたのんで次を注文するのであるが、いつもその量が物足りなかった。

 

今回は一人大皿一皿づつ注文する。さすがに量が多く、最後の料理まで何とか食べられたが、食べ終わったときは超満腹で、立ち上がるのがやっとという状態だった。

 

この日は夕食を控えめにして就寝する。

 

<3月5日>

 

リハビリセンターの日だ。いつものように歩いて行くと、幼稚園の前のお宅の庭に黄色の細かい花をつけた樹木が黄色い花びらを風に靡(なび)かせていた。

 

この木はなんだったっけ?と花の名前に疎い私はスマホのグーグルレンズで調べてみる。ミモザの木だった。「そう、そう、ミモザだ」と納得。文明の利器の恩恵に浴する。

 

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センターではいつものトレーニング。

 

下肢トレーニングは、今日も椅子に座っての足上げ腰ひねりとかの、地味なメニューを黙々と1.5時間ほどこなす。

 

言語トレーニングで言語聴覚士の先生に、「自宅でちゃんと練習してますか?」と尋ねられる。「え~、ちょっと」と答えると「ちょっと と言う人は本当にちょっとだけなんですよね」と笑って言われ、図星だけに下を向いてごまかす。

 

舌を先生の手でつかまれ、舌を引っ込めたり、左右に動かすトレーニングでは「顔は動かさない!」って注意される。言語トレーニングは私には一番きつい。

 

マシントレーニングは、「やった!」という達成感と満足感が得られて一番楽しい。特にハンドルを持って真上に押し上げて、肩や大胸筋、三角筋を鍛えるマシンをやっていると、いかにもトレーニングしているという気分になる。

 

 

 

一都三県の緊急事態宣言の解除が21日まで延期になった。この日までにコロナを抑え込め、晴れて解除されるよう切に祈る。

 

 

 

 

菜の花情歌

前回の「愛ちゃん」に続いて、演歌の話題です。

 

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この時期になると、私は無性にこの曲が聞きたくなる。

 

それは、永井裕子さんが歌う「菜の花情歌」である。

 

永井裕子さんは、1981年3月生まれだから、愛ちゃんより4年先輩だ。佐賀県佐賀市出身で中学2年14才の時、「NHK BS2 勝抜き歌謡選手権」全国大会でグランドチャンピオンになる。

 

その時審査員だった作曲家の四方章人さんにスカウトされ、高校卒業まで夏休みなどに、東京の四方先生の元にレッスンに通ったという。

 

愛ちゃんが、宇都宮の「おんなのど自慢」で作曲家の水森英夫さんにスカウトされ、東京の水森先生の元へ通ったのと同じ経緯だ。

 

2000年6月「愛のさくら記念日」で演歌歌手としてデビュー

 

とここまで、永井さんの経歴を紹介してきたが、永井さんには申し訳ないが、私は、彼女の曲は、「菜の花情歌」しか知らない。

 

 

私と「菜の花情歌」との出会いは、2年前の春、YouTubeの演歌専門チャンネルの中の、下記動画を見た時だった。

 

この動画は、詩、曲、歌唱、画像がまさに、ぴったりはまった秀逸な作品であった。

 

この動画を制作したのは、 queen chieko さん、chiekoさんは3年程前から演歌の動画を専門に制作し、その動画のコメントには、どんなに小さいものにも目を通し、必ず丁寧なお礼の返信をしていた。

 

私も愛ちゃんの動画などにコメントをし、それはそれは演歌を愛するchiekoさんの思いの籠った返信を頂き、恐縮したことがある。

 

このチャンネルは登録者数は少なかったが、chieko さんの視聴者を大切にする姿勢が伝わり、コメント投稿者も増え、視聴者同士も馴染みとなった。

 

chieko さんを中心としたファミリーのようなものまでできあがり、動画を通して曲以外のファミリーの日常生活の情報交換までもが投稿されていた。

 

そんなchieko さんのチャンネルが、登録者数を順調に伸ばしていった2年前の5月のある日、突然チャンネルのアカウントがYouTubeから抹消されてしまった。

 

私にはよく分からないが、chiekoさんの動画が、著作権に引っ掛かりレコード会社より提訴されたとのことだ。

 

動画が投稿されなければ、動画のコメント欄だけで繋がっていたchieko さんと視聴者の絆は全く絶たれてしまい、その後数か月ほど音信不通の状態が続く。

 

ある日突然、chiekoさんが名前を変えて新しいチャンネルを立ち上げたと知る。

 

私は新しいチャンネルも、しばらく視聴していたが、愛ちゃん以外の私の知らない動画がほとんどとなっていったので、chiekoさんに申し訳なかったが、お詫びのコメントメールをして、chieko チャンネルから卒業させてもらった。

 

その後、chiekoチャンネルは、2回目のアカウント停止されたが、chiekoさんは不死鳥の如く、3回目も名前を変えて復活している。今回紹介するものは3回目のチャンネルのものだ。

 

 

 

前置きが長くなったが、「菜の花情歌」に話を戻そう。

 

作詞は当代きっての作詞家、阿久悠さん、作曲は永井裕子さんの恩師、四方章人さん

 

まず、歌詞から見てみよう。さすが阿久さんだ、一語一語分かりやすい言葉で、情景が鮮やかに目に浮かぶ。凄く良い。

 

1. 三日続いた 西風が

  夜の終わりに ふと止んで

  窓を開ければ一面に

  菜の花咲いて 春でした

  これなら 沖から見えるでしょう

  沖の船から わかるでしょう 

  わたしが きれいになったのが

 

2. 陸(おか)を黄色に 染めたのは

  わたし迎えて ほしいから

  千も万ものハンカチを

  並べたようなつもりです

  これなら 沖から見えるでしょう

  沖の船から わかるでしょう

  わたしが 本気になったのが

 

3. 朧月夜(おぼろづきよ)の 菜の花は

  恋の褥(しとね)に なるでしょうか

  そんな想(おも)いに 頬(ほほ)そめて

  夢見て暮らす わたしです

  これなら沖から 見えるでしょう

  沖の船から わかるでしょう

  わたしの 涙が光るのが 

 

阿久悠さんは、淡路島出身なので、沖の船から見える淡路島か、瀬戸内の小島の菜の花畑をイメージしてこの詩を書いたのではあるまいか。

 

海の時化(しけ)の日が三日続いた後、夜明け前に風がやんだ朝「窓を開けたら一面に菜の花咲いて春でした」とパッと目の前一面に広がる菜の花畑に春の到来を感じ、心浮き立つ情景だ。

 

その後は、菜の花を若い娘に擬人化して、沖の船に乗る恋人に、見てもらいたい、気付いて欲しいと娘心の思いの丈を船に向かってアッピールしている。

 

2番ではこの娘さん、「千も万ものハンカチを並べたように、陸(おか)を黄色に染めたのは、わたしを迎えて欲しいから」となかなか積極的だ。

 

3番の「朧月夜の菜の花は、恋の褥になるでしょうか。そんな想いに頬染めて・・・」との艶っぽい表現は、阿久さん独特の若い娘の純情さを表す表現か?

 

この阿久さんの詩に対して、作曲の四方さんは、パンチがあって歌唱力も優れた永井裕子さんを意識してか、歯切れの良い演歌のメロディを付けている。詩によく合っている。

 

歌う永井裕子さんも、「これなら~沖から~見えるでしょう」の高音のサビの部分は伸びがあって素晴らしく文句なしだ。ちなみに永井裕子さんは、この動画には出てこないが、細面の美人である。

 

さ~て、お待ちどうさまでした。

作詞 阿久悠、作曲 四方章人、歌唱 永井裕子、動画 queen chieko

「菜の花情歌」たっぷりとご視聴下さい

 


菜の花情歌 / 永井裕子

 

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queen  chieko さんの動画が、削除されてしまいました。別の動画(KINGドレミファどんさんの投稿動画)を貼り付けし、ブログを更新します。(2022年2月28日)

 


www.youtube.com

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

森山愛子さん(愛ちゃん) 4

森山愛子さん(愛ちゃん)の4回目だ。

  1回目:2020年6月13日投稿

  2回目:2020年9月11日投稿

  3回目:2020年11月27日投稿

 

愛ちゃんは、2月26日から、事務所の先輩 坂本冬美さんの明治座公演に出演している。東京では緊急事態宣言がまだ解除されていない中、よく開催できたものだと感心する。

 

愛ちゃんは、2014年の大阪新歌舞伎座での「坂本冬美特別公演」に出演して以来、ほぼ毎年、坂本冬美さんや五木ひろしさんの公演にお呼びがかかり、出演している。

 

歌謡界の大御所二人に引き立てられるのは、彼女の歌唱力もさることながら、勉強熱心で忍耐強く頑張っている姿がが、認められてのことだろう。

 

特に坂本冬美さんは、なにかにつけ愛ちゃんのことを気遣い、愛ちゃんの15周年コンサートの時の衣装(赤いドレス)は坂本さんが、提供したということだ。

 

愛ちゃんも、これらの出演にはいつも感謝感激し、彼女の夢が自分の座長公演なので、芝居については、周りの役者さんたちにも助けられ、猛勉強を重ねているようだ。

 

今回の歌謡ショーでは、愛ちゃんは、このところのコロナ禍で、無観客での歌唱が多かったので、お客さんの前で歌える幸せに感激していた。

 

愛ちゃんは、3月15日の千穐楽までは、明治座公演をメインにした活動となるのだろう。

 

 

  

さて今回は、私のお気に入りの3曲の動画を紹介する。

 

①赤とんぼ

 

これは、愛ちゃんの、歌の上手さが実感できる動画だ。

 

愛ちゃんが、王様のブランチのレポーターをしていた時、来日したシンディローパーの前でアカペラで「赤とんぼ」を歌い、シンディローパーを感涙させたことは、芸能界では有名な話だ。

 

このことがあってか、「赤とんぼ」は2009年発売のシングル「キャベツ畑のサンマ」のカップリング曲としても収録されているし、愛ちゃんはこの曲を自分のコンサートでもよく歌っている。

 

 


森山愛子 赤とんぼ こぶしうなり解説付

 

愛ちゃんの歌唱力が抜群なことは、このブログでも何度も書いたが、彼女の歌の魅力は技術的な上手さだけではない。色々なものが複合されているのだ。

 

YouTubeの愛ちゃんの動画の全て(と言ってもいいほど)にコメントを掲載しているNさんが、この動画のコメントで、私の言いたいことを代弁してくれている。

 

Nさんのコメント

「愛ちゃんの歌の根本が、ここにイッパイ詰まってますね。郷愁、哀愁、優しさ、温もり、心地よさ、いつまでもあふれてきて、心の奥に深く染み入る余韻、愛ちゃんの魅力は言い尽くせません。素晴らしすぎて」

 

その通りなのだ。

 

 

②恋草子

 

この曲は、2009年8月に発売された「東京挽歌」のカップリング曲だ。

 

愛ちゃんのオリジナル曲は、2004年のデビュー曲「おんな節」から昨年の「伊吹おろし」まで28曲ある。近年のご当地ソング三部作(「会津追分」「尾曳の渡し」「伊吹おろし」)を除くと、ほとんどヒットしていなし、世の中に知られていない。

 

しかし、じっくり聴いてみると、カップリング曲も含め、どの曲も皆良い曲ばかりだ。もっともっと、多くの方々に聴いてもらいたいといつも思っている。

 


『演歌耳袋帖・アネックス』 恋草子 森山愛子さん。。19-10-31アップ

 

一番の歌詞「桜三月弥生の頃は、胸に涙の花吹雪・・・・」はまさにこれからの季節を背景に、若い男女の叶わぬ恋の切なさを歌ったものだ。里村龍一さんの歌詞も良いし、愛ちゃんの恩師水森英夫さんの作曲も歌詞にマッチして良い。

 

 

③演歌みち

 

この曲は松原のぶえさんの、オリジナル曲をカバーしたものだ。

 


森山愛子 演歌みち

 

松原さんのオリジナルも素晴らしいし、私も大好きなのだが、この愛ちゃんの動画を最初に見た時の印象は「森山愛子は、何でこんなにも可愛くて、歌も上手いんだろう!」だったので、その通りコメント投稿した。

 

この素朴なコメントに対し、Nさんから「おっしゃる通りですね。何でかは分かりませんが。とにかく可愛いですね。歌も上手いです。お気持ちお察しいたします。同感です。」との返信をいただいた。

 

あのカリスマ投稿者のNさんから返信を頂き嬉しかった。

 

 

この動画がアップされたのが、2017年10月だから、歌っているのは「会津追分」が発売されたころか。

 

この動画は歌の上手さもさることながら、彼女の可愛さが全面に出たものだ。

 

前奏曲が流れる中、舞台に登場すると、「愛ちゃん!」の野太い掛け声、それに満面の笑顔で応える仕草は、見ているこちらまで頬が緩み笑顔にさせられる。

 

そして歌い終わって、小鼻に皺をよせて明るく笑ってあいさつ、最後にもう一度「愛ちゃん!」の掛け声で〆る 臨場感あふれる動画だ。

 

余談だが、この愛ちゃんコールの主は、KさんであろうとNさんから教わった。

 

Kさんも、愛ちゃんコールをするくらいだから、愛ちゃんの熱狂的なファンなのであろう。動画のコメント欄の常連さんでもある。

 

いずれにせよ、この動画には癒され元気をもらえる。就寝前に見るのも良い。

 

 

 

 

 

リハビリ生活の現状

退院して一ヶ月以上経った。お陰様で、自宅での生活は不便を感ずる事もなく過ごしている。

 

個人的には、まだまだ復調はしていないと思っているが、今の私の状態を他人が見れば、もう病気は治ったのではないかと、思われるかもしれない。

 

・掃除、洗濯、炊事、布団干し、買い物等の家事は入院前していたことは、ほとんどできるようになった。

 

・歩くことも、2~3時間であれば、普通に歩ける。

 

話し言葉も、短い会話であれば、第三者は、私の不明瞭な言葉に気が付かないかもしれない。

 

しかしである。

 

・歩くことはできるが、まだ右足の運びがスムースではない。

・前進はできるが、横移動(サイドステップ)が怖い。

・歩けるが、走るのは怖い。

 

・私の言語は、言語聴覚士が聞けばおかしいところがすぐ分かる。

 現在の私の発語明瞭度(1から5の5段階評価、1.0:普通、5.0:発語が理解されない)

 は1.5。

 

 

今日(2月26日)も午前中、リハビリセンターへ行ってきたが、来所されている人の中には、障害の程度が重い方もおいでになって、歩くのも不自由にされている人も多い。

 

普通に歩けることを目標にリハビリされている人に比べたら、私などは非常に恵まれており、今の私の状態には感謝せねばなるまい。

 

しかし私の目標は、テニス、卓球が元のようにできることだ。

 

走ったり、横移動に不安がある現状では、とてもテニス、卓球はできない。

 

今日、理学療法士の先生に、質問した。

 

右足の運びが悪かったり、走ったり、横移動に不安がある原因は、どちらなのか?

①病気の右失調がまだ治っていない。

②3週間ほどの入院で、体幹、下肢の筋力が衰えた。

 

先生の答えは、両方とのこと。

①の失調は、人により治るのに時間がかかる。

②たった3週間の入院でも、筋力は確実に退化する。

 

「焦らず少しずつリハビリで、体幹軸を鍛えバランス感覚も向上させていきましょう」と言われた。

 

下肢トレーニング、体幹レーニングは、非常に地味なトレーニングで、センターでする分はいいが、自宅で継続してするとなると、かなりの意志の強さが要求される。

 

がんばらなくちゃ!