いずれ、あやめか、かきつばた

我が家から車で1時間弱の所に、水郷がある。20年位前のこの時期、この地を初めて訪れた。当時から周りは住宅地になっていたのだが、その中を幅1m位の水路が幾本も流れていて、水路には鯉や川魚が泳ぎ、水路内及び水路際には花菖蒲が咲き誇り、こんな近場にこんなにも風情豊かな地があったとはと、驚いたものだ。

 

もう何年も訪れていなかったが、急に又行ってみたくなった。6月1日の午後、車で出かけた。

 

見覚えのある水路はすぐ見つかったが、何か様子が以前と違う。まず、水路の水は滔滔(とうとう)と流れているのだが、鯉や川魚がいない。それと、花菖蒲がほとんど咲いていない。

 

地元の人に訊いてみると、魚は放流しなくなり、花菖蒲は手入れする人が少なくなって、昔と比べ数もずっと少なくなったということだ。

 

 

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 かつては、水中にこのような花菖蒲が沢山咲いており、鯉などの川魚もいっぱい泳いでいた。

 

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現在の水路と木製遊歩道

 

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「あやめ」と「菖蒲」、「かきつばた」皆よく似ていて、 つい最近まで、私は、その違いをよく知らなかった。漢字で書くと「あやめ」と「しょうぶ」は「菖蒲」と同じであるから、ますますややこしい。「かきつばた」も漢字では「杜若」「燕子花」と難しい。

 

見分け方を調べてみると、下記ということだ。

 

あやめ:花弁の付け根が白と黄色、網目模様、陸地に生える、時期5月中旬~下旬

菖蒲 :花弁の付け根が白と黄色、模様無し、湿地に生える、時期6月~7月

杜若 :花弁の付け根が白、模様無し、水中を好む、時期5月中旬

 

水郷の花は花弁の付け根が黄色いことから、菖蒲だ。

 

端午の節句で入る菖蒲湯の菖蒲はサトイモ科で、アヤメ科の花菖蒲とは全くの別物とのこと。

 

 

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杜若(かきつばた)の、実物を見ることは少ないが、一般には、根津美術館所蔵の、尾形光琳の国宝「燕子花図屏風」の方が馴染みがあるのではなかろうか。

 

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この屏風は、平安時代のプレイボーイ在原業平(ありわらなりひら)をモデルにしたとされる「伊勢物語」の東下りの段を題材としている。

 

主人公が東下りの際、三河の国 八橋(やつはし)というところに着いて、その沢のほとりの木の陰で、乾飯(かれいい・当時の行動食)を食べた。<以下三行は原文>

 

その沢に、かきつばた、いとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいわく。「かきつばたという五文字を句の上にすえて、旅の心をよめ」といひければ、よめる。

 

ら衣(ころも)つつなれにしましあれば、るばるきぬる旅(び)をしぞ思ふ

 

都に残した妻のことを思い、はるばるこんなに遠いところまで来てしまった旅を悲しく思うと句にすると、それを聞いた旅人たちは、涙をボロボロ流しその涙で乾飯がふやけてしまったそうだ。何とも大げさな、現代人にはあまり理解できない平安時代の感覚なのであろう。

 

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今回のタイトル「いずれ、あやめか、かきつばた」はアヤメもカキツバタも似ていて区別がつきにくいところから、どちらも美しく優れていて優劣がつけにくいことの意であるが、この言葉は、太平記・二一のエピソードに由来するということだ。

 

そのエピソードとは、

平安時代の武士・源頼政が怪鳥ぬえを退治した褒美として、上皇から「菖蒲前(あやめのまえ)」という美女を賜ることになったが、上皇は12人の後宮の美女を集め、その中から「菖蒲前」を選び出せと言う。頼政は、和歌を認(したた)め、和歌に託して「そんなの分かるわけがありません」と上皇に奏上した。

 

頼政の奏上した和歌>

五月雨に沢辺の真薦(まこも)水超えて いずれあやめと引きぞわずらふ

 

五月雨が降り続いて沢辺の水かさが増したため、真薦も水中に隠れてどれがアヤメか分からず引き抜くのに悩んでしまう

 

とこれが語源ということだ。

 

いずれにしても、菖蒲(あやめ)、花菖蒲、杜若(かきつばた)は、日本人には梅、桜とともに、古来から愛され、古典にもよく登場する花だ。

 

 

 

 

 

 

仏果山

4月以降、車の運転ができるようになったが、車の使用は日常の買い物と、テニス、卓球会場への往復に限られていた。コロナ禍のこの時期、遠出は憚(はばか)れるが、一人で車に乗って、近場をドライブするくらいであれば、コロナ自粛のストレスも解消され、許されるだろうと判断した。

 

山梨県秩父山系の「雁が腹摺山(がんがはらすりやま)」なら、頂上近くの大峠まで車で行けて、そこから1時間も歩けば山頂に着ける。富士山の眺望が良いことで知られた山だ。久しぶりのドライブは、ハイキングも兼ねてこの地を選んだ。

 

5月26日(水)天気予報は終日晴。少し早起きして、6:30に自宅を出発する。40分位走ったところで、ハイキングシューズを車に積み忘れたことに気が付き自宅へ引き返す。

 

これから再出発すると、朝の渋滞に遭って嫌だなと思い、急遽行き先を変更する。

 

選んだのは、東丹沢前衛の山「仏果山」、神奈川県愛川町清川村の町村境にある標高747mの低山だ。ここも「半原越(はんばらごえ)」と言う峠までは、林道を通って車で行ける。

 

「半原越」は昭和の初期まで、清川村の煤ガ谷というところが、養蚕が盛んで、当時糸の町として栄えていた半原へ、繭を背負ってこの峠を越えたことからこの名が付いたと看板に書いてあった。

 

峠に車を駐車し、10:30 登山開始、峠から東へ向かえば「経ヶ岳」、反対の西側の登山道に取り付く。標識には「仏果山」まで2.5㎞とある。1時間もあれば到着できるだろうと予想する。

 

登り始めて直ぐに丸太で組んだ階段が現れ、この階段の勾配が次第にきつくなり、段差の高さが、膝近くまでになる急勾配が連続するようになった。(写真の段差は小さいが、この先大きくなる)短い足には登りにくく、体力を著しく消耗し、登攀速度が極端に遅くなる。

 

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軽いハイキングコースと思っていたのが間違いで、登り始めて直ぐにバテぎみとなる。階段でないところは登山道に木の根が縦横に張り巡らされ、根に足が挟まったり、取られたりして転倒しないように細心の注意を払いながら、ハーハー言いながら登る。

 

1時間程登ると、登山道は山の尾根に出たと思われるが、周りは樹木が生えているので見晴らしはない。時々緑の中に赤いヤマツツジがが現れ、単調な山道のアクセントになっている。

 

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更に行くと、道は険しくなり、梯子や鎖場もあり、低山とは思われない趣だ。山の背で 道の両側が切れ落ちた個所が、10mほど続く場所もあり、少々スリルを味わう。

 

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登山道に又看板が現れ、それによると、この辺りから、東方の経ヶ岳を経て大山に至る一帯は、昔山岳修験者の修法の霊場であったらしい。日本には古来山岳信仰による霊場が、吉野-熊野の大峯奥駆道を始めとして、各地に数多く存在するが、「この辺りも昔は修験者が修行していたのか~」と新しい発見をする。

 

 

最後に急な登りを一登りして、12:30「仏果山」の山頂(標高747m)に到着。登り始めた時の予想の、二倍の時間を要した。お地蔵さんが2体と犬のような置物1体が仏果山の山頂標識の前に置かれている。

 

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ここは、山頂と言っても周りが樹木に覆われて、視界がきかないからなのだろう、鉄製の階段からなる櫓(やぐら)状の展望台が山頂の横に設置されていた。

 

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 そこに登ると、やっと周りの風景が一望できた。

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西方を望むと、東丹沢の山並みと、下には宮ケ瀬ダムで堰き止められた宮ケ瀬湖が見渡せる。

 

 

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 東方は、愛川、相模原方面の平地である。

 

展望台最上部の鉄板に座って景色を見ながら、コンビニで買った鮭ハラスおにぎりとサンドイッチで昼食とする。天気が良く初夏の日の光は強いが、そよ風が吹いて気持ち良い。紫外線は強いだろうなと思う。

 

山頂で30分程過ごして、13:00 来た道を下山する。平坦な道を歩くのは何でもないが、急な下りの山道は、後遺症のバランス感覚不良で、足元がおぼつかず、非常に心もとない。絶対に転ばないようにと、登りより下りの方が神経を使う。やっとの思いで、車を駐車してある半原越に、14:30 到着した。途中山道で会った登山者(ハイカー)は、4人であった。

 

歩行時間 3.5時間  歩行距離 5.0㎞  歩数 12,000歩

 

今回のルートは、低山でもあるし、ハイキングコースと思ってトライしたが、実際は結構キツイ登山道であった。特に下山時の急な下りで、身体にブレーキをかけるのに使う足の筋肉が、普段使わない筋肉で酷使したため、翌日はひどい筋肉痛に悩まされた。

 

※写真の色彩がおかしいのですが、補正がうまくいかず、そのまま貼付しました。スミマセン!

 

 

 

 

 

名古屋語(名古屋弁)       https://blog.hatena.ne.jp/my/

前回「名古屋」のタイトルで投稿しましたが、その際参照した岩中祥史著「名古屋学」の中に、名古屋語(名古屋弁)に関する章がありました。それを読んでいて、名古屋を離れて以来、全く使っていなかった名古屋語が次々と出てきて、それを使っていた子供の頃、青春時代が懐かしく思い出されました。

 

今回は、名古屋語でよく使われる言葉を拾い上げて、名古屋に縁(ゆかり)の無い方にも分かるよう、簡単な訳、注を付けてみました。ここでは、「名古屋弁」を清水義範さんの唱える「名古屋語」で統一しました。

 

岩中祥史著「名古屋学」、清水義範著「笑説大名古屋語辞典」を参照及び引用させてもらいました。

 

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          イラストACより acworksさんの作品 

 

名古屋語は、汚い言葉と思われているが、本来は語感のまろやかな美しい言葉だった。

京都言葉の「おこしやすー」のようなまろやかな語感だ。

 

・「やっとかめだなもー」:「お久しぶりですね」

             「やっとかめ」とは「八十日目」のこと 

             「だ」は終助詞、「なも」は標準語の「ねー」

              年配の女性が和服でこの言葉を使っているのを見ると

              心和らぐ

 

・「そんなとこおらんと、こっちいりゃー」

            :「そんな所にいないで、こっちにいらっしゃい」

             「やー」を動詞「いる」(来るの意)の後につけると命令

              形になるが、語感がソフトなのでキツイ命令には感じな

              い

 

・「そんなこと、いわんどいてちょお」

             :「そんなこと、言わないでちょうだい」 

              「いわんどいて」は「言わないでおいて」の省略形 

              「ちょお」は動詞の後につけて「してください」の意

               否定の命令形だが、キツク感じない

 

・「なんでですー?」   :「どうしてですか?」

              東京人が「どうしてですか?」と発音するとカドが立つ  

              が名古屋人が「なんでですー?」と言うと、険しさが感

              じられずまろやかな言い方となる

 

 

美しいまろやかな名古屋語は近年消えつつあるが、濁音の多い汚い名古屋語は衰えそうにない。「(だ)がや」「~だで」は単なる接続詞であるが、頻繁に使用されるので名古屋語全体の印象を悪くしている。語尾に付ける東京弁の「さー」にあたる「よー」も印象に悪そうだ。

 

 

名古屋語は名古屋人の合理性を追求する気質に由来してか、省略形や、音便を駆使して徹底的に省エネ化している。

 

・「しなかん」「行かなかん」 :「しなくてはならない」「行かなくてはならない」

                標準語に対して効率的に短縮されている  

        

・「おらん」         :本来は「お(居)る」の否定形で「いない」の意だ

                が、その前に動詞の連用形をつけると、その動詞の

                否定表現となる

               「しとらん←しておらん(=していない)」

               「笑っとらん←笑っておらん(=笑っていない)」

               「帰ってきとらん←帰ってきておらん(=帰ってきて 

                いない)」

 

・「そんなこと言っとらんと、いっぺん会ってみやーええがね」

              :「そんなこと言っていないで、一度会ってみたらいい 

                 のに」

 

  ・「行かせたらな」     :「行かせてやらないといけない」

                標準語に対してすごく短縮されている

 

 

尊敬表現

・「〇〇さん、きんのー、いりゃーたよ」

               :「〇〇さん、きのう、いらっしゃいましたよ」

               「いりゃーた」は「いらした」が音便変化した

                尊敬表現の過去形、現在形は「いりゃーす」

 

・「お父さんなら知っとりゃーすにー」

              :「お父さんならご存じですよ」

 

 

・「旦那さんみえる?」   :「旦那さんいっしゃいますか?」

               「みえる」は物が見えるのではない、「居る」の敬語

 

 

・「お父さん帰っとらっせるよ」

              :「お父さんは帰っておいでです」

               「らっせる」は尊敬語

 

 

 

あいずち

・「そーだがね」/「ほーだがね」:「そうだよ」/「そうなのよ」

                ここで「だ」とか「が」の濁音が入るので汚く聞こ  

                える

 

 

形容詞/副詞

・「まっぺん」        :「もういっぺん」

 

・「ばーっか」        :「ばかり」の意、

                「海水浴場は人ばーっか」のように使う

 

・「めちゃんこ」       :「めちゃくちゃ」

 

・「お風呂がちんちん」    :「お風呂 すごく熱い」

                    

 

ディープな名古屋語

・「たわけ」         :「バカ」

                「たわけらしい」は許容できる範囲だが、   

                「どたわけ」はどうしようもない大バカ者

                 関西弁の「あほう」と同義語

 

・「嘘こいとったらかんよー」 :「嘘言ったらダメだよ」    

                「こく」は「放つ」「発する」の意

                どちらかというと、下品な言葉なので名古屋でも

                育ちの良い人は使わない

 

・「おーじょうこく」     :「大変な目に合う」「困り果てる」の意

 

・「~げな」         :「~だそうだ」「~らしい」

                「向かいのネエさま、今度結婚するげな」の

                 ように使う

 

・「おそがい」        :「怖い」「恐ろしい」の意

 

・「あらすか」        :「あるわけがない」そんなこと絶対にあるわけがな

                いというニュアンス

 

・「どえりゃあ」       :「非常にすごい」の意 最近全国でも名古屋の代表

                的な言葉としてよく耳にするようになった。

                東京では「どえりゃあ」=名古屋のような使われ方

                もしている

 

・「えらい」         :「偉い」の意味でも使われるが、「疲れる」の意味

                で使われることが多い

               「歩いて帰ってきたんかねー、えらかったでしょう」

  

・「わやだがや」       :「わや」は「無茶苦茶」「台無しにすること」

 

・「ほかっとく」       :「放っておく」の意、

                「ほかる」は「捨てる」「放る」の意

 

・「~まい」         :動詞の後に付けて、「~しよう」英語のLet's

                行くに「まい」を付けて「行こまい」=「行きま

                しょう」

 

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今回は、私のノスタルジーから書かせてもらいました。

 

言葉を略して使うことは、現代でもよく行われていますが、(若者言葉で、「了解しました」を「り」と極端に簡略化するとか)名古屋語には略してできた言葉が沢山あることを知りました。それは昔から名古屋人が合理性を重んじる気質から生じたと知り興味深かったです。

 

 

 

 

 

名古屋

今回は私の出身地名古屋がテーマです。ここで言う名古屋人とは私のことでは全くなく、一般論としての名古屋人です。尚、本ブログを書くに当たって岩中祥史著「名古屋学」を参照させてもらいました。

 

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           写真ACより サトチさんの作品

 

私は学校を卒業するまで名古屋で過ごした。即ち名古屋出身である。野球は中日ドラゴンズ、サッカーは名古屋グランパスファンで、高校野球は、現在の居住地の方が長く住んでいるが、応援するのは名古屋の高校と言う名古屋愛を貫いている。(いずれも、ここ数年成績は芳しくないが)

 

こちらで暮らしていても、名古屋のことがニュースで見かけると、気になる。

 

最近の話題は、4月末の市長選挙で、河村たかし氏が当選し、4期目の5選を果たした。初当選から12年目、長期の市長就任と選挙前に大村愛知県知事へのリコール不正事件が発覚し、河村氏本人の関与疑惑もある中でよくぞ当選したと思う。

 

選挙は、自民党公明党立憲民主党から共産党までの全ての既成政党が反河村を唱えての戦いとなったが、名古屋市民は河村氏を選んだ。 河村氏は市長に再選されたものの、今後も難しい市政運営が予想される。

 

コロナ変異株による第4波で、名古屋も感染者が急増している。 5月16日発表では愛知県521人(名古屋210人)と6日連続500人越え、東京大阪に次ぐ感染者を記録している。

名古屋には妹家族や友人も暮らしているので、十分気を付けて生活してもらいたい。

 

 

私が名古屋に住んでいた頃、よく名古屋は「偉大なる田舎」と言われ、自分では都会と思っていたので、複雑な気持ちであった。

 

たしかに、東京、大阪は別としても、1200年の伝統が凝縮されている京都、早くから開港して異国情緒にあふれハイカラな横浜や神戸、個性豊かな札幌、福岡と比べても名古屋は人口、経済力では勝(まさ)るものの、都市の魅力という観点では見劣りするのは否めない。※横浜は人口においても名古屋より上

 

しかし、岩中さんに言わせると、名古屋は都会でもなければ田舎でもない。都会の「乾性」と田舎の「湿性」がみごとに調和した空間ということだ。

 

名古屋人は、尾張徳川家の時代から学ぶことを得意とし、立地上濃尾平野の農村地帯であったことから、勤勉な性格で、学んだことを生産に販売に流通に粘り強くコツコツと応用してきた。とくに生産部門においては、自動車産業だけでなく、広く製造業において確固たる地位を国内で築き上げた。

 

ただ、産業が発達した割には、文化の面で他の大都市より出遅れ、他所から来たものには、産業一辺倒で街に潤いが無いと映っているようだ。

 

名古屋駅前は再開発されて、東京と遜色ないビル群となった。

 

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         写真ACより なかのPhoto さんの作品

 

東部には東山動植物園、南部には名古屋港水族館、市街地には本格的なオペラが上演できる愛知芸術文化センター名古屋市美術館御園座徳川美術館熱田神宮、ちょっと足を延ばして明治村とあるにはある。

 

しかし名古屋と言って、全国区で知られているものと言えば、名古屋城、金の鯱ほこ、きしめん、エビフライくらいで、人口全国第4位の大都市にしては、余りにも淋しい。 (エビフライは名古屋の名産でもなければ、名古屋人の特別好きな食べ物でもない。 タモリが名古屋人を「エビふりゃー」とジョークのネタにし揶揄(やゆ)して有名になったに過ぎない。

 

名古屋人は客観的にみても素晴らしいものであっても、外に喧伝したりしない。よそから干渉されたくないし、よそのことにも干渉しない。シャイな気質と江戸時代以来ふところがつねに豊かであったがためにできることかもしれないが。

「そんなこと、わざわざ教えたらんでもええがや」(教えてやる事じゃない)と思っているようだ。

 

パチンコ発祥の地で、自分の家の居間代わりに使える安い喫茶店がやたらと多く、繁華街では地下街が異常に発達した名古屋で、冠婚葬祭に多大な金をつぎ込むので、普段は倹約に努め、お値打ち(自分が支払った金額にマッチする度合いが高ければ高いほど良い。納得すれば、もともとお金は持っているので、かなり高額な物でもドーンと気前よく支払う)が大好きな名古屋人。 ケチ、見栄っ張りと馬鹿にされても、決してめげない。

 

名古屋出身の芸能人有名人は、竹下景子ザ・ピーナッツ、川島なおみ、館ひろし中野良子木内みどり阿川泰子杉浦直樹三國一朗大沢在昌森本レオ、森本周一郎、森田正光松原智恵子かとうかずこ今陽子伊藤みどり浅田真央と結構多いが、自分から名古屋出身であることを明かす有名人は少ない。

 

これは、基本的に名古屋人がシャイであること、「所詮名古屋は田舎、東京にはかなわない。 」との気持ちからか「オレは名古屋の出身だ、文句あるか!! 」と胸を張って主張できない。

 

それは、名古屋を取り巻く自然環境、風土が余りにも豊かであったことから、競争心が欠如し「そんなに気張らんでもええがね」といったおっとりした気質によると岩中さんは書いている。

 

名古屋は「文化不毛の地」と言われることもあるが、なんのなんの江戸時代、尾張徳川家第七代藩主宗春の時代(1730~1739)は文化が大いに奨励された時代だった。 江戸・京都・大坂の間にあって、三つの都市から刺激を受け名古屋独自の文化を形成していった。

 

宗春は、名古屋城内に多くの女性を召し抱え、市内に遊郭を次々開設する。 そして本格的な芝居小屋を設け東西の役者・芸人が名古屋を訪れた。 更に市内に19もの小屋ができ、最盛期には一年間に百本以上の演(だ)しものが催されたという。

 

 芝居だけでなく、あやつり狂言能楽、平曲、茶の湯、生け花、舞踏などの多彩な文化娯楽が、庶民の間で行われていたそうだ。 ただ、この宗春の時代は、徳川八代将軍吉宗寛政の改革で緊縮政策を行っていた時期で、幕府の意に沿わぬと宗春は謹慎を命ぜられてしまい10年で終わってしまう。

 

宗春は、武士の芝居見物も許したので、どこの小屋にも武士、町人が押し寄せ、これがキッカケで名古屋の人は芸を見る目が肥え「芸どころ名古屋」の言葉が生まれたという。

 

 

食べ物の名古屋名物といえば、「きしめん」「味噌煮込みうどん」「ひつまぶし」※「味噌カツ」「かしわのひきずり」「スガキヤのラーメン」「どてやき」「てんむす」等があるが、私は「味噌煮込みうどん」が一番好きだ。

※後輩が名古屋出張で昼食をしようと店に入って壁の貼紙を見て「ひまつぶし(暇つぶし)」と読んで、面白いメニューがあると思ったとのこと

 

名古屋の食文化は、大豆100%を原料にしている豆味噌(赤味噌)に根差している。

 

味噌煮込みうどんは 、腰の強い麺をコクのある豆味噌仕立ての汁で煮込んだものだ。具材はかしわ(鶏肉)、長ネギ、油揚げ、かまぼこなど、普通は煮あがったところで、生卵を落として三分か半熟にして食するのだが、私はこうすると豆味噌の旨味が薄まるように思えて卵を外して注文する。麺に濃厚な汁がからんで、噛めば噛むほど、腰の強い麺に味噌の旨味が混ざり合い、何とも言えぬ幸せな気分になる。

 

容器の鍋のふたには水蒸気を出すための穴が開いていない。 これは出来上がりの味噌煮込みうどんは非常に熱いので、麺と汁を鍋のふたに採って食べる時、汁が漏れないためだ。

 

名古屋に味噌煮込うどんのお店はたくさんあるが、私は「山本屋」の味噌煮込みうどんが一番のお気に入りだ。

 

 

名古屋はまた、ご当地ソングが沢山作られてはいるのだが、全国的にヒットした曲は無い。 私が名古屋に居た頃、石原裕次郎の「白い街」という曲が大々的に宣伝されていたが、大ヒットには至らなかった。

 

数年前リリースされた、レーモンド松屋さんの「真実・愛ホテル」と言う名古屋・栄のホテルを扱った曲がある。名古屋の曲としては異色で面白いと思ったので貼付します。艶っぽい曲です。 (純烈がバックコーラスとバックダンサーを務めているバージョンもある)

 

「真実・愛ホテル」 作詞、作曲、歌唱 レーモンド松屋

 


www.youtube.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うりずんの頃/永井龍雲さん

先日天気予報で、沖縄/奄美地方が梅雨に入ったと報じられ、今年の「うりずんの頃」は終わってしまったのかと思った。

 

うりずん」とは、沖縄地方で春分から梅雨入り前の時期のことで、「潤い初め(うるおいはじめ)」が語源とされている。

 

暖かくなって、雨で植物が潤い花開き、緑は青々とし、空は澄み渡る。この時期の風は、沖縄特有の湿気を含んだ風ではなく、からっと乾いた風で、うりずんの頃は沖縄では最も美しく過ごしやすい季節なのだ。

 

シンガーソングライターの永井龍雲さんが作詞作曲し、坂本冬美さんに提供した「うりずんの頃」という曲がある。恋に破れ夢に破れた本土で暮らすウチナーンチュ(沖縄県人)が、この時期の故郷沖縄の風景に思いを馳せ、望郷の念に駆られる曲だ。

 

ゆったりとした大らかな沖縄らしいメロディに、故郷への思いが切々と綴られている。ちなみに永井さんは、1999年以来沖縄に移住している。

 

私は、この曲が凄く良いと思うのだが、知名度が今一つなので、一人でも多くの方に知ってもらいたくて紹介します。

  

YouTubeには私のお気に入りの、坂本冬美さん歌唱の動画が削除されてしまったので、永井龍雲さんのセルフカバーの動画を貼付します。

 

うりずんの頃」 作詞、作曲、歌唱 永井龍雲

 


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永井龍雲さんは、1957年生まれの63才、福岡県出身のシンガーソングライター。1978年デビュー、1979年「道標(しるべ)ない旅」がグリコアーモンドチョコレートのCMにもなってヒット、1981年にはオールナイトニッポンのパーソナリティも担当した。

 

作品は数多く、スタジオアルバムだけでも1978年から2017年までに21本発表されている。

 

彼の曲は、メロディが抒情的で、詩のひとつひとつの言葉が洗練されていて心に響く。中でも次の二つは、私の好きな作品で、曲を聴いていると情景がまざまざと目に浮かび、一編のドラマを見ているようだ。

 

 

<つまさき坂>

春のある日、つまさき坂で、昔付き合っていた女性と再会する場面を曲にしたものだ。歌詞が素晴らしい。

 

1番 爪先上がりの坂道で

  偶然君と出会ったのは

  春の日にしては肌寒く

  日射しの頼りない午後の事 

  うつむき加減に坂を下りてくる君を

  僕はもう疾(と)くに立ち止まり見ていた

  ふと目を上げたその顔は  

  まるで病葉(わくらば)が散るように  

  微(かす)かに揺れた

 

2番 その場に二人は立ち尽くし

  暫くは思い出に迷い込む

  再びざわめきが戻ってくると

  軽く会釈をして通り過ぎた

  擦れ違い様のあるなしのそよ風に

  きみの香水の芳(かお)りが漂う

  それはいつでも君からの

  便りにそっとさりげなく

  添えられていた

 

3番 随分君も変わったね

  薄く口紅も引いてたみたい

  お化粧嫌いの君を誰が

  そんなに自由に操っているのか

  徒(いたずら)に過ぎる時に戸惑いながら

  僕はまた君の面影に逡巡(ためら)う

  足早に行く君の背は

  雲に濾(こ)された日の光に

  空しく消えた

 

  雲に濾された日の光に

  空しく消えた

 

(以下は私の解釈だが、間違っているかもしれないし、人によって異なる捉え方があると思う)

 

肌寒い春のある日の午後、つま先上がりの急な坂道にさしかっかった僕は、坂の上から、うつむき加減に下りてくる君を見つけた。立ち止まって君の下りてくる様子を、じっと見つめていた。君が近づいて、ふと目を上げた君は僕に気付き、驚いたようだったが、その顔は「まるで病葉が散るように」微かに揺れただけだった。

 

その場に二人は立ち尽くし、お互いに付き合っていた頃の思い出に耽(ふけ)る。我に返った君は、何も言わず軽く会釈して再び坂を降り始める。話したいことはいっぱいあるのに、話せば今の自分が崩れてしまうと君は思ったのか、無言で僕の横を通り過ぎる。その時君の香水の香りが、有るか無しかのそよ風に乗って漂ってきた。それは付き合っていた頃、君からの便りに添えられた香りだった。

 

擦れ違う時、僕は見てしまった。君が薄く口紅をひいていたのを。お化粧嫌いの君を自由に操っている者がいるのだと想像すると、僕は嫉妬心を抱いてしまう。君との貴重な再会の時間は徒に過ぎていき、後姿の君を見つめながら、僕は今見た君の面影を幾度も思い返す。足早に去っていく君の背中は、雲のフィルターで淡くなった春の光の中へ消えていった。

 

 

こういう時、女性の方が冷静で、男性はどぎまぎして心乱れるものなのだろう。

 

 

「つまさき坂」作詞、作曲、歌唱 永井龍雲

 


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<心象風景>

故郷(ふるさと)行の汽車に乗って故郷に近づくと、いつもきまって思い出すよあの日のことを・・・と軽快ながら哀愁のあるメロディに乗って故郷を後にした時の「心象風景」を歌い上げている。

 

君と過ごした街を離れる時、君は「駅のホームで涙流し見送るのはみじめだから嫌よ私は」と言って見送りに来なかった。僕は朝一番の汽車で旅立つ。薄暗い中、君の家の近くの踏切に差し掛かった時、君の赤いセーターを見つけた。それがが次第に遠ざかり、やがて一つの点になった。

 

後部車両のデッキに立って、手を振る僕が見えただろうか。君の胸を打つ鼓動さえもが僕のそれと重なり聞こえた。これが最後に覚えてる君に纏(まつ)わる心象風景・・・と続いている。

 

なかなかドラマチックな展開だ。

 

「心象風景」作詞、作曲、歌唱 永井龍雲

 


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<女の酒場>

永井さんは、「暖簾」「女の酒場」といった演歌も作って、五木ひろしさんに提供し、自らも歌っている。彼は「暖簾」で、1989年第22回日本作詞大賞・優秀作品賞を受賞した。

 

ここでは、私の好きな「女の酒場」を永井さんのセルフカバーで紹介します。

 

「女の酒場」作詞、作曲、歌唱、永井龍雲

 


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リハビリその後 2

4月8日に投稿した「リハビリその後」以降の現況を報告します。

 

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カテーテルアブレーション治療

 4月27日は心臓血管内科の診察日で、この日、心房細動処置としてのカテーテルアブレーション治療は、下記理由により当面しないことを選択した。

 

・現在、心房細動の自覚症状が無い。

・主治医の脳神経内科ではない心臓血管内科の専門医が、脳梗塞再発防止としては現在服用している抗凝血剤の服用で十分と言っている。(セカンドオピニオン

・アブレーション処置をしても、抗凝血剤は飲み続ける必要がある。

 

将来心房細動の症状がひどくなった場合は、再考することとした。

 

②リハビリセンタートレーニン

・言語レッスンの先生が新しい先生と交代となり、前の先生のような舌を掴まれての左右に動かすトレーニングがなくなった。私としては苦しさが軽減されたが、その分リハビリ効果が減少したのか、自分では言語の改善実感がほとんど無い。

 

・下肢体幹筋力増強トレーニング、マシントレーニングは負荷も着実に上がっているので、目に見える効果が現れているようだ。

 

・歩行マシンでは、スロープを最大にして、速度に緩急をつけ、ハーハー言いながら歩行し、心肺機能の増強を目指している。

 

・3月ごろから、直立していてフワッとした感覚が抜けず、バランスのトレーニングは安定しない。

 

4月の脳神経内科受診日に、このことを医師に訊いてみたら、私の今回の病気が、運動やバランスを司る小脳の梗塞だったため、失調症状が残っているのだろうと言われた。

 

この感覚は、リハビリをいくらやっても治らないかもしれず、生涯付き合う症状と覚悟した方が良いかもしれない。

 

③卓球

4月12日 退院後始めて卓球サークルの練習会に参加した。

 

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始めは、相手に緩い球を出してもらって、ラリーを始めた。やってみたら、思ったよりミスも少なく、まともにできた。ゲームは、夢中になっての転倒が怖いので、棄権する。

 

その後他のサークルの練習会にも、数回参加した。徐々に感覚が戻ってきて、病気前の60%位動ける状態になったと思う。

 

④テニス

卓球は、私たちのレベルでは、足をほとんど使わなくてもできるが、テニスはそうはいかない。横移動とか、飛び跳ねる動作のトレーニングは、リハビリセンターでも、まだやっていない。卓球ができるようになっても、テニスはまだ先のことと思っていた。

 

4月中旬のある日、体調が良かったので、打球の感覚を掴むことと、足の運びがテニスボールにどの程度追随できるか確認するために、テニスコートに隣接する壁打ち練習場に出かけた。

 

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強く打つと、早い球が返ってくるため、緩く小さな球で、できるだけ長くラリーが継続するよう練習する。壁の返球に足が追い付かず、球が反れてしまうことも何度かあったが、思ったより足が動いた。転倒しそうになるというような場面もなく、やってみて自信が付いた。

 

壁打ちの良いところは、他人の助けを借りずに、全て自分に合わせて練習できるということだ。サーブも試してみる。サーブは3ヶ月以上やっていなかったので、最初の数本は全くラケットの芯に当たらなかったが、50本位続けると、次第に以前の感覚が蘇ってきた。壁打ちの成果が現れ嬉しかった。

 

5月6日 退院後始めてテニスサークルの練習会に参加する。

 

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この日はコーチによるレッスン受講日だった。壁打ちである程度の感覚は、戻っているとはいうものの、人間の球についていけるか不安だった。ストローク、ボレ等の基本練習を一通りやったが、思ったより身体が動き、転倒の恐怖心も殆ど感じることなく、レッスンが終わった。

 

青空の下で、テニスができるようになったことの幸せを嚙みしめる。

 

来週はゲームを主体としているテニスサークルの練習会に参加してみようと考えている。(できる範囲で)まだ完全に復活したわけではないが、これで入院前とほぼ同じような生活ができるようになった。

 

ただ、コロナ変異株による第4波の感染が全国的に拡大しており、人と会ったり、自由な移動も、まだ当分控えねばならず、我慢の生活は当分続きそうだ。

 

 

 

エレクトーン演奏

まずは、フランスイージーリスニング 界の雄・レイモン・ルフェーブルグランドオーケストラが演奏し、1970年代に一世を風靡した「シバの女王」をご視聴下さい。哀愁あるメロディに女性スキャットが冴えわたる名曲だ。

 


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次に、できれば1回目は目を閉じて、2回目は手の動き足の動きに注目して、次の動画をご視聴下さい。

 


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これは、aki-Electone solo チャンネルの akiさんというエレクトーン奏者が演奏している「レイモン・ルフェーブル シバの女王」のカバーだ。

 

どうだろう、初めのレイモン・ルフェーブル オリジナルとの違いが分かりますか?違和感を感じますか?私は目を閉じて聴けば、本家本元の演奏と思ってしまう。

 

何十人という楽団員で構成されるオーケストラの演奏を、たった一人で、一台の楽器で、同じ音色で演奏してしまう・・・魔法使いが魔法の楽器を使って演奏しているみたいだ。

 

私は、エレクトーンが色々な楽器の音色を、奏でることができることは知っていた。しかしその音はあくまでも、本物を真似た器械の音で、エレクトーンの演奏は本物の楽器の演奏には、叶うべきもないと思っていた。

 

去年、aki さんの動画を始めて視聴した時、目が点になり、それまでの私のエレクトーンに対する概念はガラリと変わった。そしてエレクトーン演奏は、立派な演奏形態であるとの認識に至った。

 

私は音楽は好きだが、自分では楽器を全く演奏できないので、どんな楽器でも上手く弾ける人に対しては、常々憧憬の念を抱いていた。それが、aki さん は両手両足を使って演奏している(※1)のを見て、度肝を抜かれた。

 

(※1) エレクトーンには、鍵盤が三つある。(私はこの動画を見るまで知らなかった。)

①上鍵盤 主に右手でメロディを弾く

②下鍵盤 主に左手で伴奏(コード)を弾く

③足鍵盤 左側のペダルを主に左足のつま先でベースラインを弾く

④エクスプレッションペダル 右足を乗せて音量調整したり、音程を上げ下げする

 

 

両手でピアノを弾けない(片手でも弾けないが)私にとって、両手にに加えて両足まで使って演奏するなんて、神業としか思えない。エレクトーン奏者は、脳から両手両足への指令は、どのような神経回路を使っているのだろうか?

 

エレクトーンの演奏は上記のように難しいが、この演奏に至るまでの作業が、並外れて大変だ。譜面がある場合はまだしも、この「シバの女王」のように耳コピ(※2)から始め、レジスト(※3)を作るという私のような門外漢には想像もつかないような複雑緻密な作業を経て、音色やリズムが細かく書き込まれた譜面が出来上がる。

 

(※2) 耳コピ: 実際に演奏されている音を聞き、譜面に書き起こすこと

 (※3) レジスト: エレクトーンで演奏するための「音色」「リズム」を設定すること 

 

「音色」は aki さんのエレクトーンでは80種類使用できるとのこと、譜面上のそれぞれの場所で、耳コピで聴いた音色と同じ音色を、80種の中から探し出したり、無い場合には合成したりする。

 

音色の変更を自動でするためのセッティングがまた大変な作業だ。上下鍵盤の間にあるボタンに80種類の音色を記憶させ、ボタン番号をエレクトーンのシーケンサーに、変えたいタイミングでセットしていく。(1小節の1/100のタイミングまで可能だという)

 

これらの作業が全て終了した後、やっと演奏に入ることができる。

エレクトーン奏者は、アーティストであるとともに電子機器のエンジニアでもある。

  

 

 

 続いて、同じくaki さんの エレクトーン演奏で、ポールモーリアの代表作「エーゲ海の真珠」カバーをご視聴下さい。ポールモーリアは華麗な演奏で、レイモン・ルフェーブルと並んで日本でも人気のある楽団だ。

 

シバの女王」同様、楽譜/レジストはaki さんの耳コピ採譜である。

 


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これも素晴らしい演奏だと思う。耳で聞いただけなら、ポールモーリアの演奏と思うだろう。

 

aki さんは、本動画に自らコメントして、「ボーカル部分のレジストがうまくいかず、風邪をひいた時の鼻声のようになってしまった」と書いている。そういえば、この部分のオリジナルはもっとクリアな女性スキャットだったと私も思った。

 

スキャットの音色を色々混ぜて作っていたが、うまくいかず時間ばかり過ぎて諦めたということだ。それだけレジストは難しいということなのだろう。

 

それから、演奏の後半で、足鍵盤を両足で弾いている。足鍵盤は(※1)で記したように、通常は左足つま先で弾くが、つま先だけでは大変な時は、踵を使ったり右足を使って(両足で)演奏する。足の動きを見ているだけでも楽しい。

 

 

aki さんは、2003年1月よりYouTubeに自らのエレクトーン演奏を164本投稿している。

チャンネル名は始め aki 929だったが、aki-Electone sole に変わった。

 

ジャンルは、今回紹介したイージーリスニングから、「シング・シング・シング」「インザムード」といったスウィングジャッズ、ベートーベンの「第九、第四楽章」「月光」などのクラッシック、「ダンシングクイーン」のABBA、「ダイヤモンドヘッド」「パイプライン」のベンチャーズカーペンターズ等多彩である。視聴者からのリクエスト曲も多く演奏している。

 

興味のある方は、ご視聴下さい。