へんろ日記 8

1月23日にアップした「へんろ日記 7」の続きです。

 

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11月12日(日)(晴)(2017年/平成29年)

<21日目 黒潮町→足摺半島久百々(くもも)>

 

3:00 起床 昨日の記録整理(昨夜眠くて寝てしまった)

 

4:55 出発 五日連続の早朝出発だ。ゴルフ場ロッジの裏の扉から外に出る。外は街灯も無く真っ暗闇、林の中のゴルフ場に通じる道を、懐中電灯の灯りを頼りに歩く。道は曲がりくねっていて、歩行速度を上げると、灯りに照らされたところ以外は見えないので路肩へ突っ込んでしまう。

 

ただ、車は来ないので国道よりも安全かも、30分で一般道に出る。

 

6:10 大方郵便局前 このころから、猛烈に寒くなる。スマホで当地の気温を調べたら4℃だった。ヤッケを着たが、手が冷たい。

 

6:30 コンビニ L 温紅茶とエナジーゲルを購入。ザックから防寒着を取り出すべくザックのジョイントを外そうとしたが、手が縮かんで外れない。(ザックを肩から下ろせない。)近くにいたこれから仕事に行くオジサンに頼んで外してもらう。

 

持参した防寒着を全て着て、ようやく一息ついた。

 

8:15 ここまで来る間、昨夜食べた「鰹のたたき」か「うつぼのから揚げ」が当たったのか気持ちが悪い。正露丸を飲む。

 

車で通りかかったオバサンが、四万十大橋は大型農道を行けば早いと教えてくれた。標識は何もない。

 

9:45 四万十大橋 四万十川の最下流に架かる大橋で、渡るのに歩いて15分かかる。四万十川はこんな下流でも水は澄んでいて、この辺りは川幅も広く湖のようだ。

 

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10:20 大橋を渡ったところで、朝コンビニで買ったエナジーゲルを飲む。

 

11:50 新伊豆田トンネル ゲルのせいかトンネルまでの長い登坂と、トンネル通過はかなりのスピードで歩けた。(トンネルは1600m、通過に21分)

 

12:20 一の瀬水車 休憩中に明日の宿として、38番金剛福寺に予約電話を入れたが、不可であった。

 

14:10 下ノ加江中学校 1時間程前からバテバテで、朦朧として歩く。よく考えると、今日は朝から摂取したのは、エナジーゲルだけなのだから、バテるのは当然だ。水分も採っていなかったので、熱中症にならぬように、アクエリアスを一気飲みした。

 

15:00 久百々(くもも)の民宿K 何とか今日の宿にたどり着くことができた。

 

同宿者は、横浜のへんろ二回目区切り打ちの男性と、博多の区切り打ち若い女性だった。こちらがバテていたせいか、二人とも凄くタフに見えた。

 

本日は、昨夜の食事に当たったせいか、気持ちが悪く食欲も全くなかった。ホット紅茶とエナジーゲルのみで一日歩き、宿の食事も半分くらい残した。

 

 

21日目の歩数 57,300歩   歩行距離 37.2㎞

 

 

 

11月13日(月)(晴)

<22日目 足摺半島久百々(くもも)→土佐清水市

 

5:30 朝食 こんなに早く朝食を出してくれる宿は始めてである。早く出発したいへんろには誠にありがたい。宿で朝食を食べるのは、16日目の香南市S荘以来6日ぶりだ。

朝食は8割方食べることができた。

 

6:40 大岐浜海岸 ここは、へんろ全行程の中でも、景勝地として知られている。

 

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プロの写真家が撮ると下のように、詩情あふれる写真となる。

 

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<NHK趣味悠々 2006年9月~11月「四国八十八ヶ所はじめてのお遍路」掲載写真>

国道へ戻ってしばらくすると、昨夜同宿した若い女性の博多へんろが、私に追いついたので先に行ってもらう。

 

8:05 以布利 博多へんろが、海沿いのへんろ道に迷っていた。道を案内して、彼女は足が早いので再度先に行ってもらう。 

 

10:00 権現 窪津の先のバス停横の自販機で、暖かいお茶を買って、傍らの路上で休んでいると、近所のお婆さんに声を掛けられた。このお婆さん、話好きで自分の身の上話や世間話を語り始める。

 

自分は茨城県日立の出身で、結婚して旦那さんの実家である当地に来た。自分にとって自慢は、中村(四万十市)に住む娘が教員で、孫が愛媛大生だと嬉しそうに話す。30分程彼女の話を聞いて、まだ話したいようであったが、お婆さんに別れを告げて、足摺岬に向けて出発した。

 

11:20 足摺岬 岬の入り口で、地元中ノ浜出身のジョン万次郎の立派な像に迎えられる。

 

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展望台では、又、博多へんろと出会い、宿で作ってもらったおにぎりを太平洋を見ながら一緒に食べる。彼女は区切り打ちなので、39番延光寺を打って一旦博多へ帰るそうだ。

 

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12:10 38番金剛福寺 今夜の宿泊を予約したがダメだったところだ。広く大きなお寺さんで、池には錦鯉も泳いでいた。

 

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14:20 払川橋 この辺りは、3年前には無かったトンネルができており、そのお陰で大いに時間短縮できた。

 

15:00 中ノ浜峠 いろはす天然水を飲みながら休んでいると、博多へんろが中ノ浜集落方面から歩いてきた。彼女と道中で会うのは今日4回目だ。

 

彼女は、宿のおかみに推奨された所(多分ジョン万次郎の生家)へ行ってきたと言う。彼女の今日の宿は、昨日と同じ久百々の民宿。(次の39番へ行くには、昨日通った「新伊豆田トンネル」近くの市野瀬まで戻った方が、距離が短くなり、多くのへんろはそうしている。私は同じ道を通るのが嫌で別ルートを取っている。)

 

ここから久百々まではかなりの距離があり、この時間からすると到着は日没後になるだろう。若くてタフなのは凄いことだが、若い娘さんなので心配だ。彼女の無事を祈って別れる。今日彼女には何回も会って親しくなったが、一期一会の出会いを大切にしているので、名前は聞かなかった。

 

15:50 土佐清水の街は、清水港の一番奥に位置する。左に港と正面の街を見ながら湾岸沿いの道をひたすら歩く。土佐清水名物の宗田節(メジカ節)の工場があり、周り一帯に宗田節の良い香りが漂っていた。

 

16:40 土佐清水ビジネスホテルN到着 ホテルは想像したより立派で、昨日予約した時は和室と言われたが、禁煙の洋室が空いたということで、部屋が変更になる。久しぶりに机と椅子の生活を味わう。記録作業には断然こちらの方が快適だ。

 

ホテルに洗濯機がなく、少し離れた外のコインランドリーまで歩いて行く。ランドリーにホテルの鍵を忘れ、4往復することとなった。

 

このホテルも夕食が出ないので、近くの食堂に行く。地元名物の「清水サバ」(足摺の速い潮の流れで適度に脂ののった甘み豊かなゴマサバ)のお造り、うどん等を注文する。共に美味しかったが、特にうどんのつゆは、地元名産の宗田節でだしを取っていてコクがあり私好みの絶妙な味で満足した。

 

 

22日目の歩数 60,200歩  歩行距離 39.1㎞ 

 

 

 

11月14日(火)(雨)

<23日目 土佐清水市→竜串>

 

5:00 起床 天気予報どおり朝から 5mm位の雨が降っている。このところハードな工程が続いており、雨の予報もあり今日はゆっくり余裕を持って旅しようと思う。

このへんろ旅で始めての朝風呂に入る。

 

7:30 朝食 ホテルの人に弁当を部屋へ持ってくると言われたので、プラスチック容器に入ったほか弁のようなものを想像していたら、重箱に入って、予想よりかなり豪華な弁当だった。完食した。一昨日の気持ち悪さからは完全に回復した。

 

このホテルは、コインランドリーを除くと予想以上に快適だった。床がフローリングなのも初めての経験で、清潔感があって良かった。

 

10:00 出発 雨がかなり降っていたが、雨対策としてはレインコートと傘にした。

 

10:20 暑くてレインコートを脱ぐ。

 

11:20 あしずり港の海岸線を歩く。

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13:00 竜串(たつくし) 竜串には高知県立足摺海洋館がある。建屋の一部が海の中まで連なっていて、室内から海で泳ぐ魚などを観察できる。(水族館と逆) 海洋館の周りには観光ホテルも数件あり、土佐清水市は、足摺岬と並ぶ観光地として力を入れているようだが、人気はイマイチの様だ。

 

宿泊するホテルO 着  早い時間なのに部屋へ入れてくれた。このホテルの今日の宿泊客は私一人だった。

 

このホテルの裏側には広大なオレンジ畑があり、ホテルのオーナーはその農場のオーナーでもある。

 

 

23日目の歩数 20,400歩   歩行距離 13.2㎞

 

 

               ー続く(非定期)ー

 

 

 

 

 

 

 

 

吾妻山/寄(やどろき)ロウバイ園

山好きの友人から、家の中ばかりに居ると滅入ってしまうので、「吾妻山」と「寄(やどろき)のロウバイ園」に行ってきたと写真を添えたメールが届いた。

 

私は2年前の世の中がコロナ禍となって以来、遠出の外出は自粛していたので、それを見て急に私も行ってみたくなった。今オミクロン感染が拡大しているが、一人で車に乗って移動し、現地では極力人と接触しないようにすれば大丈夫だろうとの判断だ。

 

始めに神奈川県二宮町の吾妻山へ行ってから、神奈川県松田町寄(やどりき)へ向かうという日帰りの計画を立てた。吾妻山はこの季節、菜の花越しに富士山が眺められるという景勝地で、3年前に始めて行ったときは晴れてはいたが、富士山は霞んで見られなかった。

 

前日一時間毎の現地の天気予報を調べると、未明から曇りで8時以降は晴れマークがついていたので、現地8時着になるよう出発時刻を決める。

 

1月26日(水)

朝4時半に起きて、天気予報を確認すると、自宅住所の晴れ始める予想は10時と昨夜の予想より2時間遅くなったが、現地は8時のままだったので一安心する。

 

6:30 自宅出発 ラジオの交通情報で、246号厚木での事故渋滞を知り、高速を利用して大磯インターチェンジまで行く。高速道を走るのは、2年振りだ。

 

7:40 二宮駅前 空は完全に雲に覆われ、天気予報を見ると晴始めの時刻は、当地も10時と2時間遅くなっていた。

 

予定では、駅近くの駐車場に車を停めて、町役場横の正規の登山道を登るつもりであったが、このまま登っても富士山は見えっこない。時間は十分あるので、吾妻山の西側に回ってみる。 

 

8:30 農地の中に有る広場に車を停めて、靴をトレッキングシューズに履き替える。熱い麦茶の入ったポット、防寒着等を軽ザックに詰めて、歩き始める。

 

農道を山の麓まで進み、傾斜の急な農地の横の細い道を登っていくと、行き止まりだ。

 

戻る途中、山の中へ分け入っている「けもの道」のようなものを発見。よく見ると人の歩いた形跡らしきものがある。地図には記載されていないが、地元の人が時々利用しているのかもしれない。

 

急斜面で、周りの細い木を掴まないと登れないようなところも何ヶ所かあり、低山ではあるが山の気分を味わえる。

 

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9:05 周りに菜の花が咲いている山頂の東屋(あずまや)に到着。辺りにはアブラナの春の香りが漂っていた。吾妻山は公園として整備されており、山頂一帯は芝生が植えられ、冬から早春にかけては、菜の花、スイセンも見ごろとなる。この時、山頂には芝生を整備している作業員さん以外は、誰もいなかった。

 

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山頂からの眺望は頗(すこぶ)る良い。天気は曇天で海はもやっていたが、眼下に二宮小田原から熱海方面への人家と相模灘が一望できる。

 

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そして何といっても、この山の一番の売りは、菜の花の向こうの富士山の眺めだ。私もそれを期待して来たのであるが、曇空で富士山は全く見えない。富士山の方角の箱根の山をぼーっと眺めていると、地元の二人連れのおじさんが、話しかけてきた。

 

「どこから来たの? 今日は曇って富士山が見えずに残念だね」と言われる。

 

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晴れて空気が澄んでいれば、この菜の花の先に下の写真のような富士山が見える筈なのだが・・・・

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      写真ACより   n***************m さんの作品

 

10:20 この時間まで待ったが、西方の雲はとれない。富士山を諦めて下山する。

 

10:55 次の目的地、寄(やどりき)に向けて出発。

 

11:30 早朝に朝食を摂ったせいか、強い空腹感を覚える。246号に出ると、周りに色々な食事処が現れる。衝動的にラーメン屋に入った。

 

遠出の時はいつも地元料理の美味しそうな店に入るのだが、この時は無性にラーメンが食べたくなった。ラーメンは好きではあるが、もう2~3年も食べてはいない。味噌ラーメン、ギョーザ、チャーハンのランチセット(炭水化物ばかり)を注文する。三つも食べられるかと思ったが、完食した。

 

12:20 国道から寄に向かう県道は徐々に高度を上げ、左側の中津川は、はるか下を流れるようになる。途中「新東名」の工事個所があり、対岸のトンネルから川に橋を架け、この道路の下を又トンネルでつなぐ工事だ。土木工事はスケールが大きい。

 

12:40 ロウバイ園駐車場着。ここから急な登りの道を10分ほど歩くと、蝋梅(ロウバイ)の甘い香りが漂ってきて、ロウバイ園に着く。入園料は500円だが駐車料は無料なのでトータルとしては安い。

 

配布されたリーフレットによると、ここは、平成16年に、地元の方々が荒廃農地を整備し、翌年寄中学卒業生が250株の蝋梅を記念植樹したのが始まりで、今では、3000株、20,000本以上と日本最大級のロウバイ園になったそうだ。

 

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ここの蝋梅は、蝋梅の花が終わった所は黒い種となって、黄色い花の周りにポツポツと黒い点が存在して、見映えは良くない。2年前に群馬県安中市松井田の「ろうばいの郷」を訪れた時は、蝋梅の木は黄色一色で黒い種は見られなかった。蝋梅の種類が違うのだろうか?

 

13:40 一時間程蝋梅を観賞して駐車場に戻る。友人のメールには、いつもロウバイ園に行った時には、近くの「ジダンゴ山」に登ってくると書いてあった。その山を地図で調べても分からなかったので、駐車場の整理をしているおじさんに訊くと、目の前のなだらかな山がそれだった。

 

13:45 寄発

 

15:40 自宅帰着 

 

 

2年前「ろうばいの郷」へ行った時のことは、2020年2月2日アップの本ブログで「蝋梅」の題名で取り上げている。

 

そこでも書いたが、蝋梅の香りには、懐かしい思い出がある。16年前、連れ合いが入院している病院へ毎日歩いて見舞いに行っていた。当時連れ合いの病状は芳しくなく、気持ちも滅入っていたが、道の途中に咲いていた蝋梅の品の良いほのかな甘い香りに、大いに癒されたものだった。

 

今でもその香りを嗅ぐと、当時のことが思い出される。

 

 

 

 

 

へんろ日記 7

しばらくお休みしていた「へんろ日記」、昨年12月21日にアップした「へんろ日記 6」の続きです。

 

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11月9日(木)(晴) (2017年/平成29年)

<18日目 土佐市須崎市

 

5:45 前日宿泊したビジネスホテルは、朝食が出ないので、この日も早朝出発する。

昨日、このへんろで一番の強行軍を強いたので、身体は相当疲労しているはずであるが、早朝で気分が良くて、歩いていて鼻歌がでるほどだった。(高田みづえの「秋冬」) 

 

6:40 塚地坂トンネルの手前の道端に、愛嬌のある恵比寿様か大黒様の石像が設置されていて、誰かがヘルメットを被せてあり、思わず笑ってしまう。

 

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トンネルは歩道も完備された立派なもので、歩きやすく、通過に10分を要す。

 

7:10 トンネルを抜けて直線の下り坂を快適に歩いて行くと、それまでの風景がガラリと変わって、目の前に宇佐湾の青い海原が広がる。昭和48年にできた立派な宇佐大橋を渡って、対岸の36番青龍寺のある横浪半島に向かう。

 

この橋ができるまでは、渡し船が唯一の交通手段だったという。

 

8:20 36番青龍寺(しょうりゅうじ)着。空海遣唐使として唐に渡り、長安青龍寺真言密教の教えを受けて帰国、空海はその恩に報いるため、この地に建屋を建立し、不動明王を安置した。それが、このお寺の始まりとされている。

 

青龍寺も他の多くの札所のように、本堂と大師堂は長く急な石段の上にある。青龍寺の石段は170段。大相撲の元横綱朝青龍」が、モンゴルからこの寺の近くの明徳義塾高校に相撲留学をしていた時、この石段を登って身体を鍛えていたという。

 

ちなみに、四股名(しこな)の「朝青龍」はこのお寺の名前からとったそうだ。

 

ここから、明日の宿(37番岩本寺予定)の予約電話を入れる。予約はできたが、素泊まりで食事は付かなかった。

 

9:15 青龍寺からこの寺の奥の院に通じる山中のへんろ道を登ること20分、横浪スカイライン(県道47号)に出る。その名の通り、左に土佐湾の絶景を、海抜100m前後をアップダウンして眺めながら車で走る観光道路だ。

 

凄く景色が良く素晴らしいところだが、伊豆箱根や関東地方のスカイラインに比べると車の数は極端に少ない。

 

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12:00 武市半平太像広場 スカイラインをしばらく行くと、右手に坂本龍馬と並ぶ郷土の英雄武市半平太のドンと構えた立派な銅像があり、周りが広場になっている。

 

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左足小指、右足親指が痛くて、テーピングする。

 

14:00 県道23号と合流

 

15:10 住友大阪セメント工場 遠くからこの工場の巨大なサイロが見え、これに向かって40分程歩く。へんろを始めて以来、自然の風景の中を歩いてきたので、工場の大きな人工物には違和感を感じる。

 

16:20 須崎市 I 旅館着。こ綺麗で清潔感のある小さな旅館だが、ここも食事が付かない。

 

入浴後、須崎の新しく開発された大型スーパーのショッピングセンター用地の一角にある回転すしに行く。漁港の町なので、回転すしといえども地元でとれた魚も扱っているようだ。

 

こんな小さな地方の町ではあるが、家電量販店2店と、大型スーパーが揃っているのには驚いた。

 

 

18日目の歩数 57,700歩  歩行距離  37.5㎞

 

 

 

11月10日(金)(晴)

<19日目 須崎市四万十町(旧窪川町)>

 

5:05 今日も宿の朝食が付かないため、早朝出発

 

5:55 仕出し屋 この時間から店が開いていて、おにぎり、玉子焼きが棚に並んでいてそれを購入する。後ほど朝食として食べたが、コンビニとは違う昔のおにぎりの味がして、美味しかった。

 

6:40 JR阿波駅近くの国道56号 国道だが車はほとんど通らない。日の出の頃の海を眺めながら歩く。「この景色を独り占めして歩くなんて、家にいたのでは、絶対に味わうことができない経験を今しているのだ、なんて贅沢なことか」と思う。

 

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7:00 焼坂トンネル このトンネルの歩道は段がついておらず車道と面一(つらいち)なので、大型車両とすれ違う時はとても怖く、トンネルの壁にへばりつくようだ。対向車がスピードを上げて通過する中、大型バスがこちらに気付き、減速してくれたのには、その心遣いに涙が出そうになるほど感激した。

 

8:10 土佐久礼駅入り口 久礼は、青柳祐介の漫画「土佐の一本釣り」(二度映画化されている)の舞台になったところで、須崎のような新しく大きな店も無く、漁師町の面影を残す風情のある町である。

 

細い路地を歩いていると、「土佐の一本釣り」の主人公純平の恋人八千代のような女子高校生が、自転車で通り過ぎていった。

 

10:00 高知自動車道下 久礼から大坂谷川に沿って緩い登り坂を約一時間登って行くと、谷あいの2~3の農家が点在する集落の上に、巨大な自動車道と橋脚が目に飛び込んでくる。

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こんな山間の地で、このような建造物はミスマッチではあるが、どのようにして建造したのだろうかと興味をそそられる。この静かな集落も、工事中はダンプの往来でさぞかし大変だっただろう。

 

ここから先、国道56号までは、「大坂遍路道」といって、へんろ道の中でも難所である。地図には「降雨の際は、滝の流水で通行不能の場合がある」と記述されている。

 

11:00 国道56号 連続する急登をゆっくりと、それでも苦しくてハーハーと息をつきながら登る。最後の階段は一段の高さが、短い私の足では持ち上がらないほど高く、バテバテになって、やっとのことで坂の上の国道に辿り着く。

 

11:50 影野 国道と平行に走る緩い下りのへんろ道を、先ほどとは打って変わって快調に飛ばしていたら、喉がからからに乾いた。自販機を見つけ600ccのエナジードリンクを一気に飲み干す。

 

13:10 仁井田へんろ接待所 幟(のぼり)に魅(ひ)かれて立ち寄る。主(あるじ)は、東京町田からここに移り住んで、ボランティアでへんろの接待を続けている。先着の2~3人のへんろがコーヒーで接待されていた。

 

ここで、明日の宿として、ゴルフ場内ロッジの電話番号などを教えてもらう。

 

休んでいた私と二人の男女へんろが、同時に歩き始める。二人とも歩くのが早く、私は彼らの後方を歩いていたが、みるみるその差は広がった。特に女性は先達が被るような菅笠を着用、スタイルが良く、歩く姿も美しい。へんろ経験も豊富のようで、元陸上のアスリート選手かなと思った。

 

14:45 37番岩本寺着。初回へんろの時は、ここで食事もできたが、今回は素泊まりである。食事を出すかどうかは、宿泊者数で決めるらしい。

 

風呂は入れるので、大浴場に行くと、先客がいて話をすると、彼は60才で年2回、12回もへんろで回っているという。他人事ながら、社会的、経済的にどういう生活をしているのか気になった。

 

18:00 岩本寺のある窪川の町を散策しなが食事処を捜し、うなぎ屋に入る。この店は、宿もやっていて、「ここなら食事もできたな~」と思う。地元の常連が、お酒を吞みながら食事していて、おかみと地元の言葉でやりとりしている。私は完全にアウェイと言った感じだ。

 

壁には、「にっぽん縦断こころ旅」の火野正平さんの色紙と写真が飾ってある。私はこの番組をほとんど毎回見ているが、この店の放送を見た記憶はない。

 

松の鰻重を注文する。窪川四万十川の上流に位置し、四万十川で取れた鰻やカニ、川魚料理が名物だ。ご飯を多めと言ったら、山盛りで出てきて、味も極めて美味しく鱈腹となった。

 

 

19日目の歩数 58,700歩  歩行距離 38.1㎞

 

 

 

11月11日(土)(晴)

20日目 四万十町(旧窪川町)→黒潮町(旧大方町)>

   

4:55 37番岩本寺出発。本日も早朝出発。

 

5:05 コンビニ F  鳥そぼろ弁当を買って、コンビニのイートインで食べる。

 

6:20 片坂峠 国道56号の単調な登坂を一時間近く登る。今日はザックが重く感じる。体調が悪いのか? 峠の先は下り坂。国道を離れてショートパスで山中を抜けるへんろ道が、二か所ある。距離は短縮できる。

 

8:50 シダ坂 歩道の整備されていない山中の国道を、4時間近く歩いていると、うんざりと閉口する。

 

9:50 伊与喜 国道を5分程行って、へんろ道になっている旧道に入る。

 

昨日岩本寺の手前で会った元アスリート選手のような女性が、後ろからやって来て私に追いつき、しばらく一緒に歩いて話した後、彼女のペースを乱さないように先に行ってもらう。彼女の歩く後姿は、実に美しくて、惚れ惚れとする。彼女は今日帰ると言っていた。

 

10:05 熊井トンネル 伊豆の天城隧道にも劣らぬ風情のあるトンネルだ。明治38年(1905年)に完工した90mのレンガ済みのトンネルで、昭和14年までは県道として利用されていたという。

 

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     (トンネル出口の白い点は、先行した女性へんろ)

 

 

10:55 土佐佐賀 国道から旧国道沿いに土佐佐賀の集落に入る。伊与木川の堤防に腰掛けて、メロンパンとバナナで昼食とする。地元の若いお母さんが、幼児の手を引いて軽く会釈をして通りかかった。晴れたのどかな土曜日だ。

 

11:30 佐賀公園 国道の海側が整備されて、公園になっている。長い公園で端から端まで歩いて15分位かかった。この辺りも海岸線は美しい。

 

13:05 井の岬トンネル

 

14:35 道の駅「ビオスおおがた」 

本日の宿泊地は、岩本寺手前のへんろ接待所で紹介してもらった「土佐ユートピアカントリークラブ」というゴルフ場内のロッジを予約した。道の駅までゴルフ場の車が、迎えに来てくれる。

 

15:00 ゴルフ場ロッジ 朝食は8:00というので、キャンセルして明日も早朝出発とする。

 

ロッジの設備は古いが、大浴場の温泉、二食付きで5000円は安い。洗濯も無料。夕食では、ビール2本と鰹のたたき、うつぼのから揚げを追加注文した。(この食べ物のせいか、翌日体調を崩すこととなる)

 

サービスは良好で、布団には、女性従業員による宿泊の礼と、部屋の掃除等心を込めてやったとのメッセージカードが添えられていた。

 

 

20日目の歩数  58,800歩  歩行距離 38.2㎞

 

 

            ー続く(非定期)ー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リチャード・クレイダーマン

今年最初のブログに、初夢でリチャード・クレイダーマンの「愛のコンチェルト」を見た(聞いた)と書いた。それ以来我が家では、終日リチャード・クレイダーマンのCDをかけて、BGMとして流して聞いている。

 

今回のテーマは「リチャード・クレイダーマン」です。

 

私が始めてリチャード・クレイダーマンの名前を知ったのは、その昔、愛知県知多市にある工場に長期出張していた時 のことである。

 

仕事でお付き合いのあった会社の方から、接待のお誘いを受け、名古屋錦(東京なら銀座に当たるところ)の高級クラブへ行った。その店で、クレオパトラのようなストレートロングヘアをした若くて美しいホステスさんが、「私、リチャード・クレイダーマンのファンなの」と言っていた。その時代からもう若い女性には人気のあるピアニストだった。

 

リチャード・クレイダーマンは1953年フランスパリ生まれの68才、イージーリスニング界超売れっ子の、ピアニストである。名前のフランス語読みでは「リシャール・クレイデルマン」だが、日本では英語読みで呼ばれている。

 

幼少時からピアノの才能に秀で、パリのコンセルヴァトワールを首席で卒業して、ポピュラー音楽に進む。

 

1976年「渚のアデリーヌ」でピアノ界の貴公子としてデビュー、1980年に初来日以来毎年日本でコンサートを開き、全世界では年300日コンサートを開催して、世界中で最も活躍したピアニストとして、ギネスブックに載るほどである。

 

人物像としては、彼は大変なはにかみ屋で、物静かな人物だそうだ。車は、運転手を付けずに自分で運転し、飲食は、サンドウィッチとミネラルウオーター、リンゴがあれば十分で、酒タバコは一切しないという聖職者のような人だ。

 

彼の音楽は、ロマンチックで優雅、爽やかで優しい、変幻自在に変化するアレンジが魅力でもある。

 

優しさに溢れるような曲、悲しさが込み上げるような曲、アップテンポで元気が出るような曲の演奏で、世の女性(男性も)を魅了している。

 

彼の音楽は、日本人に好まれ、喫茶店、ホテル、デパート、病院から商店街まで、いたるところで聞かれるほど世に溢れているので、どなたにとっても、曲名は知らなくとも、聞いたことがあるというものばかりであろう。

 

今回はその中から、

  ①渚のアデリーヌ 

  ②愛しのクリスチーヌ 

  ③秋のささやき 

  ④レディ・ダイ(レディ・ディ) 

  ⑤プリンス・オブ・ライジング・サン 

の5曲を選んでみました。

 

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①渚のアデリー

1976年に発表されたリチャード・クレイダーマンのデビュー曲にして、レコードが38ヶ国で発売され、2200万枚を売り上げた大ヒット作。

 

この曲は、作曲家のポール・ド・センヌヴィルが生まれたばかりの次女に捧げたもの。

 

センヌヴィルは、ディスコ全盛の70年代後半にあって、敢てシンプルで美しいメロディの普遍性を訴える曲作りを模索し、この曲をピアノのために書き下ろした。次にこの曲を弾くピアニストを、プロデューサーのオリヴィエ・トゥッサンとともに、オーディションをして捜し始める。

 

そして選ばれたのが、リチャード・クレイダーマン。以後の活躍を考えると、彼にとっても運命の出会いの曲だ。

 


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⓶愛しのクリスチーヌ

これもその昔の話、私が勤めていた会社の景気が良かった時、社員の福利厚生施設として、会社にプール付きの体育館が建てられた。そして体育館内で18時からエアロビスク教室が定期的に開催され、社員はいつでも自由に受講できた。そのレッスンは、社外から招いたレオタード姿のインストラクターに教えてもらうものだ。

 

当時私は、担当していたプロジェクトが一段落し、ほぼ残業しないで帰られる状態だったので、物珍しさもあって、レッスンを受講した。そのレッスンで毎回最初に使用されていた曲がこの「愛しのクリスチーヌ」だった。

 

当時は曲の名前も、クレイダーマンの演奏と言うことも知らずにレッスンを受けていたが、この曲がエアロビスクの運動に非常にマッチしていて、私のお気に入りの曲となった。

 

この曲の原題は「子供のころの思い出」とクリスチーヌという女性の名前とは無関係である。この曲の発表直前にクレイダーマンがクリスチーヌという女性と結婚したため、その名前が曲名についたそうだ。

 


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※ 私がいつも聞いているのは、ピアノ-オーケストラバージョンで、この動画はピアノソロバージョンである。この動画の演奏は、少し間を入れたり、細かいところで編曲している。聞き慣れたメロディとは若干違うが、これはこれで良いと思う。 

 

 

③秋のささやき

原題は「愛の頭文字」、物哀しい愁いを秘めたような旋律により、秋の情景を映し出している。特にピアノが物悲しく細く長く連打されるところは、枯葉が風に舞い散る様が目に浮かぶ。

 

この曲は、クレイダーマンのセカンドアルバムのタイトル曲だ。このアルバムでクレイダーマンの真価が世に認められた。

 

日本では、TBS系ドラマ「愛の滑走路路 ’81」の主題曲にもなった。

 


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※ colia 10さんが、歌詞を付けた動画です。

 

 

④レディダイ(レディディ)

1981年、英国チャールズ皇太子と結婚したダイアナ妃をイメージして作られた曲とされている。

 

軽快で爽やか明るいメロディなので、日本でも色々なところで使われており、グリコのCMではクレイダーマン自身が出演していた。

 


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⑤プリンス・オブ・ライジング・サン

一方こちらは、我が日本の今上天皇が皇太子時代、その皇太子徳仁親王(当時)に捧げられた曲だ。

 

毎年来日しているクレイダーマンが、皇室関係の番組に自分の曲が多く使われていることに感激、特に皇太子殿下の品格に感銘を受け、殿下に曲を捧げることを思いついたとされる。この曲の日本発売は1993年1月で、丁度、殿下のお妃に雅子さまが内定された時だった。

 

ちなみに、題名の日本語訳は、「日出づる處の皇子」である。「日本」のことを、聖徳太子が遣隋使で用いた「日出づる處」としているのが、心憎い。

 


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今年の初づくし

正月の松の内も過ぎたが、世の中まだ正月気分の抜けきらないところと、すっかり元の日常生活に戻ったところが混在している。

 

私はと言うと、まだ晩酌に、お節の残り物の数の子などをあてにして吞んではいるが、生活はほとんど以前の生活に戻った。

 

今回は、正月以来の「初」のつく出来事を並べてみた。 

 

<初詣>

元日のお墓参りの帰りに、地元の神社に寄ったら、参道の鳥居外側道路まで参拝者の列ができていたので、その日のお参りは諦めて、3日の午後3時頃行った。

 

神社に着いた時は、元日程でないが、二列で30m位の行列ができていた、コロナ対策で密にならぬよう参道には1m間隔で白線が描かれている。最後尾に並ぶ。私がこの神社にお参りする時は、参拝者が誰もいないかいてもまばらな時なので、いつもとは勝手が違う。

 

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この神社は、普段は社務所無人で閉まっている小さな社(やしろ)である。正月三が日は建屋も開けて、アルバイトであろう巫女さんが、破魔矢やお守りを売っている。スピーカーからは邦楽が流れ、正月らしさを演出していた。

 

以前は参拝する時、鈴を鳴らしていたが、今はコロナで鈴は取り払われている。お参り事は、昨年の病気快復のお礼だ。私は神社仏閣へのお参りでは、感謝のお礼のみで、願い事はしないようにしている。

 

参拝後、久しぶりに「おみくじ」を引いて見る。なんと大吉だった。これまでの生涯で初めてのことだ。今年は良いことがあるのかな~と嬉しくなる。

 

読み終わったおみくじをロープに結ぼうと行くと、近くに書き終わった絵馬が何枚もぶら下がっており、見るとは無しに見るとほとんどは合格祈願、その中に「財力がつきますように」というものがあり、頼まれた神様も困るだろうなと可笑しくなった。

 

<初テニス>

4日、Kテニスサークルの練習会に参加する。昨年までは9名で活動していたが、今年から3名が来られなくなり、6名でのスタートだ。

 

ダブルスのゲームをする。ルールは、ノーアド(フォーティオールでジュース無しの一本勝負)1セット4ゲームが終わったら、6名の組み合わせを変えて戦う。

 

参加人数が多いとゲーム出場回数は減り、少ないと多くなる。使用コート一面で6名の場合、2回連続出場して1回休むパターンとなる。数年前までは、このパターンが適当に休みが取れて疲れず丁度良かった。

 

戦果はま~ま~であったが、今回のこのパターンでも、疲れるようになった。正月でまた一つ歳を重ね、体力が落ちたようだ。

 

メンバーの一人が、お嫁さんの田舎の実家から送られてきたという「よもぎ餅」と「白い餅」を皆に配ってくれた。「白い餅」は雑煮とぜんざいにして頂いた。市販の餅と比べ柔らかく粘着性があって良く伸びる。正月の事故で多い「餅の喉への詰まらせ」に注意する。

 

 

<初卓球/初雪>

6日、SE卓球サークルの初練習に出かけた。この日は朝から曇りで、日中になっても気温が上がらず1℃以下だ。この冬一番の寒さだと言う。出発時に雪が降り始めた。会場は公民館、メンバーが集結して新年の挨拶、会議室に卓球台を出して、ネットを張って、ラリーから始める。

 

私は汗っかきで、寒くても直ぐに汗をかくので、冬でも半袖のTシャツ一枚でプレイする。この日もその姿で練習を始めた。いつもだと少し動くと身体が温まってくるのだが、ラリーしていても寒い。コロナ対策で窓を開けて換気していることもあって、雪の外気が入って来て、寒さは一向に改善しない。長袖のシャツを上に着た。

 

後半は総当たりの組み合わせで、ダブルスのゲームをした。このサークルには技術的にお上手な方が多くいるが、ゲームでは彼らも時々ミスをするので、皆で歓声を上げながらワイワイと楽しく過ごす。今年もこうして、一年間楽しく活動することになるのだろう。

 

卓球をしている間に、車のボンネットや屋根に雪が1~2㎝積もっていた。フロントガラスとリアガラスの雪を手で払いのけ、帰途に就く。車の通る道路に雪は積もっていないが、道路わきの植え込みは白くなっている。この時外気温は0℃だった。

 

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<初リハメンテ>

7日、今年最初のリハビリに行く。昨日の雪で道路は所々凍結している。利用者は原則車による送迎であるが、私は歩きなので、転倒しないよう細心の注意を払う。施設に無事着き、スタッフの皆さんに新年の挨拶。着替えて私のルーチンに入る。

 

まずはマシンで5分間のランニング、その後言語リハビリ、体幹下肢トレーンイング、歩行マシンによるインターバルトレーニング、10種類のマシントレーニング、もう一度5分のランニング、最後にクールダウン体操で終わる。

 

言語リハビリと体幹下肢トレーニングは、スタッフの先生に指導してもらうが、後は全て私の判断で独自に行う。一連の運動をこなすには、3時間半要するので、休憩を取らず通して行う。

 

本日は新年だからか 体幹下肢トレーニングの先生が新しいメニューを教えてくれた。それは、平行棒の中に立って、直径20㎝くらいのゴムボールを下に置き、片足を前に突き出しそのボールを踏み込む。その時踏んだ足に重心をかける。そして出した足の側に身体を捻じる。バランスを崩したら、平行棒につかまる。

 

一見簡単の様だが、ボールが左右上下に動き、なかなか難しい。バランス感覚を養うトレーニングのようだ。私が、フラツキが改善しないと言っていたので、先生がバランストレーニングのメニューを増やしてくれたと思う。

 

インターバルトレーニングとランニングは、ハーハーと息が上がり汗もかき甚だ苦しいが、終わると運動したという気持ちになる。

 

毎週金曜日の午前に、3時間半みっちり運動して自宅へ帰ると、今週もやり終えたという達成感のようなものを感じ、爽快な気分になる。ここへは、当分通所しようと思う。

 

 

<初コンサート>

昨年末の自治会回覧板に、ジャズコンサートの案内が載っていた。市民会館で年明けの8日に開催される、二組のジャズバンドが演奏する、入場料は無料、観覧希望者は回覧板に氏名を記入して申し込むこと、とある。申し込んだら、年内に自治会からチケットが届いた。

 

8日の午後早速出かけた。開場12:15 開演13:00であるが、チケットは全て自由席なので、良い席を目指して12:20頃会場に着く。入り口で手の消毒、体温測定、氏名電話番号を書いた用紙を渡し、前から15列目中央席に着席。有料コンサートと違い写真を撮ってもよいということで、撮らせてもらう。

 

今回演奏するバンドは、二つとも20年以上前に結成され、地元を中心に活動している20名程のビッグバンドだ。

 

前半の演奏は、「Big Bnd S B」

結成以来、スウィングジャズを中心に演奏している。演奏曲目はほとんどがグレンミラーの誰でも知っているような有名なものばかりだ。途中2曲は女性ヴォーカルが入る。

 

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メインのトランペット、サキソフォーン、トロンボーン等の管楽器の演奏もさることながら、私が良かったと思ったのは、ピアノとベースだ。二人のソロ演奏を聴きたかった。

 

後半の演奏は、「Jazz Big Bnd P」

このバンドも、スウィングジャズからスタートして、今ではジャズ、ラテン、ポピュラー、演歌等と幅広く演奏している。今回の演奏曲目もこれらの曲だった。このバンドも女性ヴォーカルの曲が2曲入った。

 

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会場は大人しい年配のお客さんが多く、ジャズ演奏会にしては会場一体になっての盛り上がりには若干欠けた。それでも、曲によってはリズムに合わせて手を叩いたり、首や体を揺らしたりするお客さんも沢山見られ、和やかな雰囲気だった。

 

新春の午後のひと時、懐かし曲を大音量の生演奏で聴くことができて、得したような気持になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おめでとうございます!

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謹賀新年! 新年早々本ブログにお立ち寄りいただきありがとうございます。 

 

今年のお正月は、ここ数年では一番寒く感じますが、皆様におかれましては、お正月穏やかにお過ごしでしょうか?今年も又、取り留めのない「よしなしごと」を綴っていこうと思います。宜しくお願い致します。

 

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昨年末からの「怒涛の一週間」を書こうと思ってタイプし始めたら、そう言えば二年前の年初めのブログにも同じようなことを書いたな~と思い出した。(2020年1月6日 アップ「年末年始」)

 

そしてもう一度読み直してみたら、何と今回私が書こうとしたことが、全くそのままアップされていた。毎年性懲りもなく、同じことを繰り返しているのだと我ながら呆(あき)れる。

 

今年の第一回目から、手抜きで申し訳ありませんが、今回も二年前と同じなので、そのまま手を加えず掲載します。

 

二年前の文章 「・・・暮れの12月27日から大晦日までの毎日、大掃除、買い物、正月支度と大忙しの毎日が続いた。

 

普段は、四角い部屋をまーるく掃くような掃除をしているので、暮れの大掃除となると大変である。やり始めると細かいところの汚れが目に付いて、それを一つ一つきれいにし始めると、掃除の進捗は遅々として進まずとても年内に間に合いそうもない。

 

『少しづつしておけば良かった』と反省し『来年こそはそうしよう』と誓うのであるが、今年も同じ過ちを繰り返し、目に見える範囲で省略する。それでもスッキリとしてきれいになった部屋に、鏡餅や正月飾りを付けると、清々しい気持ちで新年を迎える気分となり、私はこの瞬間が好きだ。・・・」

 

今回大掃除や、お節のちょっとした煮物の料理をしながら、考えたことがある。それは、普段の日常生活では、これをやって次にあれをやるというように、直列的な時系列に沿って、行動しているが、忙しくなると同時に並列思考で行動にしなくては間に合わなくなる。

 

居間の掃除にしても、掃除機掛け、テーブル椅子の足の埃取り、カウンターの整理、扉の桟の埃取り等、これに台所、洗面所、寝室の掃除個所も複数同時に行う。時間の空きを極力なくしローラー的に片づけていく。休みが無いので疲れる。

 

考えてみると、会社で働いていて、忙しかった頃のように、時間に追われながら沢山の事項を同時並行にこなすことは、なくなったな~と思う。

 

私なんぞは簡単な煮物を少量つくるだけだが、お節料理を自宅で作るとなると、まさに幾つかの工程を同時並行で進めなくてはならない。昔の主婦の皆さんは本当によく頑張ったものだと感心する。

 

これらの時間をターゲットにした並行的な同時思考は、認知症予防には効果がありそうだ。

 

「怒涛の一週間」は、テレビやビデオは全く見ない。疲れて眠くなって風呂に入って寝てしまう。大晦日も紅白も見ずに9時半に寝た。

 

年が明けて、元旦は娘家族が年始挨拶にやって来る。昨年はコロナの感染防止からとりやめたので、二年ぶりの来訪である。婿殿は仕事で来られず、娘と三姉妹の孫と女ばかりの四人連れだ。

 

テーブルに簡単なお節料理を並べ、玄関に赤とピンクのサンダルを並べたら、やって来た。

 

しばらく見ないうちに、三人とも又一回り大きくなった。今年長女は中学校入学、次女は3年生、三女は小学校入学だ。本当に子どもの成長は早い。爺爺バカで言わせてもらうと、長女は別嬪(べっぴん)さんになり、次女は賢そうな顔になり、三女は入学前から小学生の貫禄十分で大人っぽくなった。

 

長女の発声で乾杯、お節料理を食べながら団欒。飲み物は娘が運転なのでノンアルコールビール、長女、次女がコーラ、三女がグレープジュース。三人の好みもまちまちで、今回、お節の他にスパゲティでも作ろうかと事前に打診したら、長女がスパゲティダメで、三人同じものが好きな食べものは少ないとのこと。

 

我が家では、私の父母の代から、枝豆の浸し豆と数の子のブツ切れに薄醤油を少々加え、鰹節をたっぷりかけたものが、お節の一品だ。三女は、数の子を「たけのこ」と言いながら食べているのが可笑しかった。

 

我が家では最後にすき焼きで締めるのが恒例で。牛肉はいつも多めに用意する。娘たちは牛肉を沢山食べられるように、お節は少なめに食べようと家族で話し合っているようだが、結局のところお節でお腹がくちてしまい、すき焼きの肉は無理やり詰め込んでいる。

 

一通り食べ終わると、仏壇の私の連れ合いににお参りをして、食べきれなかった菓子類、飲み物を持って帰途につく。接待は全て私一人で取り行うので忙しい。しかし孫の笑顔や喜んでくれる姿を見れば、疲れも吹き飛ぶ。

 

彼らが帰った後、食器洗いなどの後片づけをして、連れ合いの新年の墓参りだ。去年は8時頃参ったので、水道水が凍結していたが、今年は午後だったので水が出た。

 

帰りに自宅近くのお宮さんに初詣しようと立ち寄ると、参道の鳥居の外の道路まで長蛇の列ができていた。いつも空いている時しかお参りに行かないので、こんなに多数の参拝者を見るのは始めてだ。並ぶのは大変なので、またの機会にと神社を後にする。

 

暮れの27日からここまでが私の「怒涛の一週間」だ。今回も何とか無事にやりとげることができた。

 

23:20頃、今年最初のラジオ深夜便を聞きながらスイッチを切らずに寝た。深夜2:30ころ夢の中で、気持の良い音楽が流れている。「なんて美しいピアノの調べなのだろう」と陶酔し、その聴いたことのあるメロディを眠りながら自分でもなぞっていた。

 

目覚めて、その演奏はリチャード・クレイダーマンだと気付く。リチャード・クレイダーマンの音楽は、BGM(バックグランドミュージック)として聞いていたので、メロディが分かっても題名はほとんど知らない。夜が明けて、家にあるリチャード・クレイダーマンのCDをかけて聴いてみると、どうもその曲は「愛のコンチェルト」ではないかと思った。

 

リチャード・クレイダーマンについては、またの機会に本ブログで取り上げようと思う。

 

今回は私の初夢(正式には二日の夜に見る夢だそうだが)で聞いた「リチャード・クレイダーマン 愛のコンチェルト」を貼付します。 

 


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令和3年 年の瀬

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        写真ACより  03chie01 さんの作品

 

26日の日曜日から、日本列島は数年に一度という強い寒気に襲われ、日本海側は大雪に見舞われた。関東地方の一角にある私の居住地は、積雪は無いものの、最高気温一桁、最低気温氷点下の寒い日が続いている。

 

今年もいよいよ押し迫り、残すところ三日となった。今回のブログは、今年最後の投稿で、師走に入ってからのトピックスを記します。

 

① 脳神経内科

退院後の経過診察で12月15日受診。担当医のS医師は来年春に転勤が決まったそうで、担当医が変わることになる。S医師は、私が救急車で病院に運ばれた時に診察処置して頂いた命の恩人なので、名残惜しい。

 

今回の血液検査で、腎機能の値(クレアチニン)が正常値をオーバーしており、毎日服用している降圧剤20mgが30mgに増えてしまった。

 

⓶ 年賀状

私の場合、年賀状は昔から表はパソコンの「筆ぐるめ」で簡単なデザインのものを作成し、あて名を書いて添え書きを付けるのみと言った手抜きの年賀状作りをしている。よって、人様のような凝った賀状を作成している人に比べたら、相当労力は少ない。それに送る枚数も、お亡くなりなったりして少なくなっている。今年は、12月20日に投函した。

 

③ 3回目コロナワクチン

12月16日に、市役所から「新型コロナワクチン3回目接種」の案内状が届いた。それによると、接種方式は、A 集団接種(モデルナ)とB 個別接種(ファイザー)の2種類で、Aの場合は、日時、会場が市から指定され、個人での予約は不要、Bの場合は、日時、場所は個人で選択できるが、予約は個人で行うというものだった。

 

Aを希望する者は、12月27日必着でその旨の希望票を郵送することが書かれてある。

 

私は、1、2回とも集団の会場でファイザーを接種した。副反応の確率はファイザーの方が低いようなので、3回目は個別接種にしようと、集団接種の希望票の提出は保留した。

 

23日の朝、国のファイザーワクチンの確保が確定していないとのニュースが流れ、ファイザーの接種が遅れることもありうると考え、急遽モデルナの集団接種に切り替え、その日に希望票を郵送した。

 

前記のように、モデルナの方が副反応リスクは高いが、ファイザーと交互に接種することによって、ワクチン効果が高まると言う説もある。どこまで信用してよいのか素人には判断できない。副反応については、運を天に任せるしかない。

 

 

④ サークル活動(テニス、卓球)

サークル練習会は、12月も第四週までは平常月と同じように開催されたので参加した。今年の最終日は、Kテニスサークルが21日、SE卓球サークルが22日、SHテニスが23日、H卓球サークルが25日となった。

 

22日、23日は師走で忙しいのかメンバーの集まりが5人、4人と少なく、今年最後なのに、全員で締めることができず残念。SHテニスは、4人だったので、ダブルスで6ゲーム先取、ジュースは無制限のルールでメンバーを交替してゲームした。休憩をほとんど取らなかったので、ハードな練習会となり、今年を締めくくった。

 

25日のH卓球サークルは、9人の参加となり、今年最後のサークル練習会を締めくくった。休憩時間もHさんとラリーを続け、2時間みっちり卓球でき満足する。終わってから、Sさんと、Macで今年最後のお茶をする。Sさんは、私と同い年で、テニスのSHサークルも同じで、ウマが合い私の親友である。今年一年の親交を感謝して別れる。

 

 

⑤ リハビリセンター

毎週金曜日に通っているが、31日が年末休暇となる為、今年最後は27日に振り替えて出席した。

 

入院中のリハビリは、日に日に成果が実感でき、やっていて楽しかった。ここに入所したのは、日常のことががほとんどできるようになってからなので、ここでのリハビリによる目に見えた成果は感じられない。11ヶ月ここに通っているが、まだフラツキは完治していない。

 

それでも、構音トレーニングでは、言語聴覚士の先生から、普通の人と変わりないと言っていただいた。理学療法士の先生は、フラツキを改善する為、体幹、下肢トレーニングでバランス機能向上に重点を置いて指導してくれている。

 

マシントレーニングでは、走行/ランニングマシンで、今年最後の有酸素運動を、ハーハーと息を吐きながら頑張った。ここへは、リハビリというよりフィットネスクラブで運動すると言う感覚で通っている。

 

この日も8:40から12:10まで3時間半、休憩なしのノンストップでメニューをこなしたので、終了時には、運動したという満足感を感じて一年を締めくくった。

 

 

⑥ 買い物

孫へのクリスマスプレゼント、来年のカレンダー、手帳は12月7日、正月飾り、鏡餅は12月18日、テーブルクロスやシート類、冷蔵庫の脱臭剤、クローゼットの乾燥材、防虫剤、蛍光灯は12月21日、年末掃除道具は12月23日とそれぞれサークルの合間を縫って買い物した。

 

駅ビルでの買い物で、11枚の抽選券をもらい、抽選に行ったところ、抽選器は昔のようなガラガラ回して色つきの球が出てくるものとは違って、パネルを回数分タッチするというものだった。ガラガラの方が年末らしい風情があったな~と思う。

 

1等賞は、室内空気清浄器だったが、結果は6等賞のラップと残りは全て外れのポケットティッシュだった。

 

正月の食料品や花類の購入は、これから大晦日のギリギリまで続く。

 

 

⑦ 大掃除

私は一年の中で、暮れの大掃除が一番苦手だ。普段から少しずつやっておけば良いのだが、毎年暮れも押し迫ってからバタバタとやる羽目になり、来年こそは余裕を持って早めに手を付けようと思い、それが叶わず同じことを繰り返している。

 

普段手を着けていない棚等を整理していると、意外と時間がかかるもので、時間をかけた割には外観上はあまり変わらない。暮れの時間の制約もあるので、「残りは来年」と罪悪感を感じながら、端折(はしょ)ってしまうこともある。

 

しかし不完全ながらも、普段生活している身の回りが綺麗になって、正月を迎える準備が整った時の感覚は良いもので、一年の中で最も好きな瞬間でもある。

 

 

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今年は正月の三日に脳梗塞を発症して入院した。病院のベッドで「これで、テニス、卓球ができなくなった。最悪寝たきりになるかもしれない。」と覚悟したことを覚えている。

 

入院当初は、右手足の失調(目標とするところに手、足、指がいかない)左手麻痺、音声構音障害(ろれつが回らない)の症状があったが、誠に幸運にも病状の回復が著しく、病院の入院期間が短縮され、リハビリ病院への転院もしないですんだ。退院後は自宅近くのリハビリセンターに通いながら、徐々に元の生活に戻り、テニス、卓球も再開することができた。本当にありがたいことである。

 

本ブログは、病気発症後入院中は、更新を休止していたが、退院後再開した。入院中の体験からブログに書くネタがいっぱいできたので、「私の脳梗塞 (発症から退院まで)」と題して12回毎日更新した。その後「自宅リハビリ生活」と題して、退院後の様子をほぼ毎日10回更新して、2月下旬から元のスタイルに戻した。

 

更新頻度は、徐々に伸ばして6月ころから週一回にしている。週一でもネタ切れで悩むことが多くなり、9月からは4年前に旅した「四国へんろ」について「へんろ日記」と題して非定期で投稿させてもらっている。4年前の鮮度の落ちたネタで申し訳ないです。

 

本ブログは、全くの零細ブログではありますが、アクセスしてくれるありがたい読者の方もいらして、ブログを書く上で大変励みになり、感謝しています。アクセスし読んでくださった皆さん、この一年拙いブログにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。来年も又覗いていただけたら大変光栄で嬉しいです。皆さま良いお年をお迎えください!!