ラジオ深夜便

夜の日課は、11時前に歯磨きをして、携帯ラジオを持って床に就く。ベッドで11:05からのNHKラジオ深夜便を聞きながら目を閉じる。ラジオをつけたまま眠りに落ち、そのまま眠ってしまうことがほとんどだが、ラジオの話が面白くて1時頃まで聞き続けることもある。

 

毎晩の深夜便で良いなと思うのは、① 0時前に全国各地の天気予報と翌日の日の出の時刻を告げること、② 0時のニュースで「日付が変わって、〇月〇日〇曜日のニュースをお伝えします」と告げること、 ③1時前に世界の各都市の天気と最高最低気温の予報を告げることだ。

 

①は、日の出時刻が1か月で30分程変化し、月日の経過が実感できる。夏至の前の今時の札幌の日の出は4時前で3時台から明るくなるというのも「へ~!」と思う。それと狭い日本ではあるが、札幌と那覇では日の出時刻が1時間40分も違うのが面白い。

 

②は、毎日がこの時刻を持って新しく始まるという新鮮な気持ちになる。「日付が変わって」という言葉に、時の流れの神秘性を実感する。

 

③は、現在海外に知人がいるわけではないが、ニュースで話題の地や、世界各地の今の天気気温を知ることができて興味深い。

 

 

大抵は0時前に眠ってしまうので、よく聞く放送は、11時台だ。その中で私のお気に入りは、

1⃣ 第二月曜日放送の「深夜便かがく部 歌う生物学」  東工大名誉教授で生物学者本川達雄さんのお話。 

 

本川さんの一般向け本「ゾウの時間 ネズミの時間」によると哺乳類動物の一生の間の心拍数はサイズによらず同じ(15億回)で、動物の時間(寿命)は体重の1/4乗に比例するということだ。即ち、体重がネズミの10万倍のゾウの時間は、ネズミより18倍ゆっくり進む。

 

放送では、動物がおしっこをする時間も、サイズによらず同じ(40秒?)とも言っていて興味深かった。

 

本川さんは、話の最後にその話にちなんだ歌(ご自身の作詞作曲)を歌って締める。何ともユニークな先生だ。

 

2⃣ 第三月曜日放送の「深夜便かがく部 不思議な植物園」  ファーブル昆虫館館長奥本大三郎さんのお話

 

奥本さんは、昆虫館の館長を務めるほどの虫好きであるが、フランス文学者でもある。植物の不思議や生態を分かりやすく話してくださる。

 

3⃣ 第二火曜日放送の「深夜便ぶんか部 文豪通信」  手紙文化研究家 中川越さんのお話

 

夏目漱石芥川龍之介太宰治等の文豪の手紙を紹介してくれる。私的な書簡なので、文豪の意外な一面を知ることができる。

 

4⃣ 第一木曜日放送の「令和つれづれ草」元新聞記者の稲垣えみ子さんのお話

稲垣さんの日常のライフスタイルを、ウィットに富んだ言葉で語ってくれる。

 

5⃣ 毎週金曜日(関西発)放送の「ぼやき川柳」 毎週決められたお題に沿って、全国の一般リスナーから寄せられた川柳を、川柳作家の大西康代さんが選んで、当日のアンカーと二人で発表する。

 

投稿は毎週1200~1500句、その中から、35句位が読み上げられる。クスっと笑ってしまったり、考えさせられる句も多く寄せられ心和む。6月18日のお題は「目が覚めるの『覚める』」で私のイチオシは「朝食の準備ができて、妻目覚め」

 

6⃣ 第二第三土曜日放送の「深夜便ビギナーズ」 第二土曜日は、当日のアンカー森田美由紀さんが、芸人の藤井隆さんと、第三土曜日は、アンカー後藤繁栄さんが歌手の早見優さんと11時台、0時台地と2時間トークを繰り広げる。

 

藤井さん、早見さんは50代のアラフィフ世代なので、年配のリスナーの多い深夜便に若い息吹を入れたいとの番組スタッフの思惑で生まれたのだろう。

 

二組ともお互いに相性が良く、いつも話が面白く弾む。一応トークには事前にテーマが設定されていて、リスナーから送られたお便り、メール等を紹介しながら進行する。

 

森田-藤井組の時は、テーマに入る前に食べ物の話題で盛り上がることが多い。森田さんは札幌出身で、仕事でも北海道へ行くことが多いらしく、旬のアスパラの美味しさとか、北海道の食材の素晴らしさを熱く語る。藤井さんも食べることが大好きみたいで、自分で作った変わったレシピの紹介等もして興味深い。

 

後藤-早見組は、後藤さんのダジャレは今も健在である。後藤さん早見さん共、お便りを読んだ後、その話題にちなんだ自分のプライベートなことを、大らかに話すことが多く、二人の人柄が偲ばれ、好感が持てる。

 

7⃣ 最終土曜日放送の「謎解きうたことば」  日本語学者の金田一秀穂さんが、歌謡曲等の作詞家にインタビューしてその歌詞の出来た経緯、背景、込められた意味、裏話を訊きだす録音放送。最近では、喜多条忠神田川赤ちょうちん)、荒木とよひさ(つぐない、時の流れに身を任せ他テレサテンの曲)の回が面白かった。

 

蛇足だが、最終土曜日のアンカー柴田祐規子さんは、現役のアナウンサーで、Eテレ新日曜美術館でキャスターを務めている。アンカーの中では、一番お若いのではと思う。

 

 

先にも記したように、大抵は12時前に眠ってしまうのだが、深夜便は1時台:「深夜便アーカイブス」他、 2時台:「ロマンチックコンサート」(海外音楽)、3時台:「にっぽんの歌 こころのうた」、4時台:「明日へのことば」と朝の5時まで続く。

 

ラジオを付けっ放しにして眠って、しばらくして目が覚め、その時の放送が面白くてそのまま聞き続けることもある。

 

かつて、1時台に目を覚ました時に、女性アナウンサーによる短編小説の朗読が流れていた。

 

それは、加納朋子さんの「モノレール猫」と言う短編小説だ。小学生が猫の首輪に挟んだ手紙を通して見知らぬ小学生と文通をする。猫は車に轢かれて死んでしまい、文通は途切れる。その後大人になった小学生は・・・と言う話だ。

 

途中から聞いたので前の方が分からず、気になってその本を探し購入して読んだ。

 

 

最近では、6月8日の1時台に目を覚ました時、元盲学校の先生 藤野高明さんのインタビューが流れていた。

 

藤野さんは7才の時に不発弾の爆発事故で両目の視力と両腕を失う。その後13年間、勉強をすることができなかったが、20才で盲学校に入学、唇で点字を読みながら、社会科の教師をめざして勉強する。色々なな苦難を経て大学へも進学して教師になったヘレンケラーのような人だ。

 

世の中には、こんなハンディを背負いながらも、果敢に挑戦している人もいるのだと感銘を受けた。

 

 

それから、6月14日の1時台には、ラジオから流れる「ひんがしの のにかぎろいの たつみえて かえりみすれば つきたたぶきぬ」の和歌の朗誦で目が覚めた。

 

「大人の教養講座 はじめての万葉集歌人 佐々木幸綱さんの講義だった。

 

柿本人麻呂のこの和歌「東の野に炎の立つ見えて かへり見すれば月傾きぬ」を中学か高校の国語で習った時、スケールの大きい情景がパッと目に浮かび、何とま~分かりやすい和歌のことよと思ったものだ。

 

佐々木さんの解説によると、炎(かぎろい)は曙の太陽の光のことで、現代語訳は「東の空は曙の太陽の光が差してくるのが見え、振り替えって西を見ると月が西の空に沈んでいこうとしている」と太陽と月を配置した非常にスケールが大きく、広大な宇宙を詠みこんだ雄大な歌だ。

 

この歌が詠まれたのは、旧暦の11月、今の暦では12月の冬至の頃で、柿本人麻呂軽皇子(かるのみこ:後の文武天皇)の狩りに同行して、奈良県の阿騎野という所に泊まって、翌朝夜明け時に、凍てつく空にさしてくる曙の光と、沈みゆく神々しい月を見て詠んだ歌と題詞がついている。

 

阿騎野に泊まった柿本人麻呂を始めとする軽皇子の従者一行は、天武天皇皇位を継ぐはずだった軽皇子の父親・草壁皇子(くさかべのみこ)が、27才の若さで亡くなったことを悲しみ、草壁皇子を偲んでいた。

 

そして朝になり、東に曙の太陽を望み、振り替えった西に沈みつつある月を見た柿本人麻呂は、月を天皇になることなく亡くなった父親草壁皇子に、太陽を父の遺志を引き継ぎ世を治めようとする幼い軽皇子に見立ててこの歌を詠んだとされる。

 

すなわち柿本人麻呂は、太陽と月の情景歌の中に、月が沈むかのように父である草壁皇子はお隠れになったが、その後を継ぐ軽皇子が太陽となって、この世を照らそうとしていると言っている。

 

佐々木さんは又、この歌にちなんだ行事が今でも行われていると紹介された。それは奈良県の「かぎろいの丘」という所に、冬の寒い朝に登って曙の「かぎろい」を見てこの歌を鑑賞するというものだ。佐々木さんも一度参加したそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから途中で目が覚め、つけっ放しののラジオから流れる話が興味深くて、そのまま聞き続けることもある。

 

 

 

 

 

 

へんろ日記 14

5月15日にアップした「へんろ日記 13」の続きです。

 

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11月30日(木)(曇/雨)(2017年/平成29年)

<39日目 徳島県三好市 → 香川県観音寺市 

 

5:30 H荘 朝食   食後、H荘のご主人に、昨夜泊まった二人のへんろ(私と札幌へんろ)を昨日へんろ歩行を中断した地点まで車で送ってもらう。

 

6:55 雲辺寺登山口 ここから急な登山道だ。朝一番でいきなり急勾配を登るのはキツイ。札幌へんろと一緒に登り始めたが、途中から私が先行して別行動となる。

 

8:05 舗装された車道に出る。歩きやすいので、快適に飛ばす。

 

8:45 66番札所雲辺寺着 霧の中から荘厳で大きなお寺が現れた。標高900mの山上にあり、凄く寒い。ここは観音寺方面の麓からロープウェイが敷かれている。

 

本堂、大師堂の参拝を済ませて納経所に行くと、ロープウェイで来た団体さんの添乗員さんが数十冊の納経冊子を預けるところで、一足違いで遅れをとった。

「こういう場合、一人くらい先に順番を譲ってくれてもいいのに」と思ったが、これも修行と我慢して待つ。

 

境内で札幌へんろと再会し、お互いの無事を祈ってここで別れる。

 

9:05 雲辺寺出発 下山の登山道に出るまでの道の両側に道端いっぱいに羅漢像が建てられている。一体一体皆違う顔かたちの羅漢さんに見守られながら進む。

 

 

 

10:35 1.5時間の長い下りの登山道を、何度も転びそうになりながらも何とか麓の一般道に出る。緩い下りの舗装道路の歩行は、何も神経を使わず、左右の足を交互に出すだけで進めるので天国のようだ。

 

11:50 67番札所 大興寺 H荘で頂いたバナナとみかんを食べる。雨が今にも降りそうな空模様

 

13:15 高松自動車道高架近くのうどん屋さんに入る。香川県に入ったので、これからは道中沢山のうどん屋さんの脇を通ることになる。私はうどん好きなので嬉しい。

 

店のお姉さんは、へんろの私に気を遣ってくれた。「ぶっかけ」を注文、麺は讃岐うどんの腰があって良かったが、つゆがとてもしょっぱかった。

 

14:45 68番札所 神恵院(じんねいん)、69番札所 観音寺 68番と69番は隣り合わせに存在する。へんろ参りには非常に効率的だ。

神恵院、観音寺とも境内はよく手入れされており、庭が美しい。

 

 

 

16:40 70番札所 本山寺 夕暮れ時訪れたこのお寺は、落ち着いて風情があってなかなか良いお寺で、私の好みでもある。五重塔はこの時修繕中で、完成は2年後とか。

 

私のテニスコーチの実家が、このお寺の近くにあるということなので、コーチに70番まで来たことを、メールで報告した。

 

17:30 Hビジネスホテル 宿泊費が3800円とバカに安いので、田舎の古いホテルかと思ったら、あにはからんや設備は◎、新しいマンションのようだった。管理人のおじさんは、香川県で一番安いと言っていた。

 

19:00 夕食はホテル近くの焼き肉屋へ行って、焼肉と冷麺にする。

 

 

39日目の歩数  59,200 歩   歩行距離 38.5 ㎞

 

 

12月1日(金)(快晴)

<40日目 観音寺市 → 善通寺市

 

6:25 Hビジネスホテル出発

 

6:30 70番札所本山寺 昨日もお参りしたが、道中なので二度目の参拝をする。

お寺の周りの民家は、テニスコーチと同じ苗字の表札が多く見られた。

 

7:45 加茂下 三年前にも立ち寄ったうどん屋さんに入る。前回同様、肉うどん、おいなりさん、しそにぎり、玉子焼きを注文する。後ろの二つは、食べきれないので昼食用。前回は、お腹が減っていて凄く美味しく感じたが、今回は普通だった。

 

8:10 車の往来が多い国道11号から一般道のへんろ道に入る。香川県に入って目に付くのは、うどん屋さんとため池の多いことだ。小春日和ののどかな讃岐平野の田舎道を、気持ち良く歩く。

 

途中自販機でお茶を買おうと思って、小銭入れが無いのに気付く。「数千円入っていたのにな~ ありゃま~」と思う。

 

9:55 71番札所 弥谷寺(いやだにじ) 本堂は山の高いところにあって、山門から長い長い石段が「これでもか」と続く。試されているようだ。本堂の中に弘法大師が修行したと言われる岩の洞があり、厳粛な雰囲気を醸し出していた。

 

11:20 弥谷寺の裏手から山を下りて、いくつかのため池の横を通って、72番札所 曼荼羅寺に到着。こじんまりとした比較的小さなお寺さんだ。境内のベンチで、朝のうどんやさんから持ち帰ったおにぎりと玉子焼き、それに門前で買ったみかんを食べる。

 

20㎏のザックを担いで野宿をしながらのへんろと話をする。明け方は寒くて目が覚めると言っていた。

 

12:00 73番札所 出釈迦寺 目の前のに見える我拝師山で弘法大師が幼少の頃修行したという。その時、断崖絶壁から身を投じ、釈迦如来と天女に救われたとの伝説だ。

 

12:50 74番札所 甲山寺 この辺り札所が密集しており、次の大きな善通寺の一つ手前で、地味な存在のお寺さんである。

 

13:35 75番札所 善通寺 善通寺は四国88カ寺の中で最大のお寺さんである。真言宗善通寺派総本山で弘法大師誕生の地でもある。へんろにとっては聖地なのだ。高野山と京都東寺とともに、弘法大師三大霊場とされている。

 

ここでは他の札所の大師堂に相当するのが、御影堂といって本堂クラスの大きな建物だ。

 

 

 

 

境内の土産物屋で、友人達8人分のお土産として、お守りを買う。

 

14:20 いろは会館(善通寺境内の宿坊) 3階建てのホテルのような建物だ。3時前であるが入れてくれた。洗濯は無料、風呂は大浴場で私が一番乗り、一人で気持ち良い。

 

 

40日目の歩数  39,900 歩    歩行距離 25.9 ㎞

 

 

 

12月2日(土)(晴)

<41日目 善通寺市 → 高松市国分寺町

 

6:00~7:15 御影堂でのおつとめに参加する。12月に入ってこの日の朝は特に寒かった。読経と講話の後、御影堂の地下にある約100mの真っ暗な通路を巡って(戒壇巡り:自己を見つめなおとす精神修行)おつとめは終了する。

 

7:35 善通寺出発

 

8:05 76番札所 金倉寺(こんぞうじ) 納経所の二人のお坊さんから、善通寺のおつとめの様子を訊かれた。すぐ近くのお寺なのに、総本山のことが気になるのかな?

 

9:00 多度津町のへんろ道に、貫禄のある楠の大木が生い茂っていた。

 

 

 

9:35 次の77番の手前の住宅街を歩いていると、左側の家から人が出てきて、その人から接待と言って、土の小さな仏様を頂戴する。その中に「77番道隆寺 参拝記念にどうぞ」と書かれた紙が入っていた。

 

 

 

9:40 77番札所 道隆寺 山門に、へんろ半纏を羽織ってやせ細った「乞食」のような人が、ござの上に座っていた。昭和の時代ならいざ知らず、今どきこのような光景に出会うとは、思いもよらずショックだった。へんろの途中お金が無くなって、物貰いをしているのだろうか? 100円を恵む。

 

10:30 丸亀市内に入る。右手の小高い山の上に丸亀城が見える。

 

11:10 土器川の先のコンビニで、肉まんとおでんを買ってイートインする。

 

11:45 78番札所 郷照寺(ごうしょうじ) このお寺の周辺宇多津は、古い商家とか木造の長屋が残っており、歴史を感じさせ風情のある街並みを有している。

 

12:30 坂出商店街 かつては坂出で一番賑わった繁華街であったであろうが、愛媛県新居浜の商店街同様ここもシャッター商店街となっていた。飾り付けが派手なだけ、かえって侘しい。

 

13:25 79番札所 高照院 納経所で団体の後になったが、墨書授印して下さる方が二名となり、雲辺寺と違って、個人の私を先に処理してくれた。

 

14:30 JR鴨川駅から先のへんろ道は、綾川の気持の良い土手となっていて、見晴らしも良く快適に進む。途中に、遠方からも車で訪れると言う有名なうどん屋さんがあった。

 

15:20  80番札所 国分寺 へんろに入って四つ目の国分寺だ。今まで参拝してきたお寺と比べて、特に目立った特徴は無く、へんろの平均的な佇まいのお寺さんであった。

 

16:00 S旅館着 案内された部屋のエアコンが全然効かず、部屋が暖まらないので、隣室に部屋替えさせてもらった。

 

宿泊者は若い男性のへんろと私の二人だった。食事しながら話をすると、彼は地元香川県出身で、区切り打ちではあるが、車を含めて六回四国を巡っているとのことだ。

  

 

41日目の歩数  50,900 歩    歩行距離 33.0 ㎞

 

 

           ー続く(非定期)ー

富士眺望

5月30日のNHK-BSP「日本百名山」を見た。この日は富士山北麓御坂山塊西部に位置する「王岳」「鬼ヶ岳」の放送だった。富士五湖の西湖越しに見える富士山の絶景が見事だった。

 

私は富士山が大好きで、東海道新幹線に乗る時は、いつも三島辺りから見え始める富士山を富士川の鉄橋を渡って見えなくなるまで、雪の被り具合とかを目で追ってその秀麗な美しさを堪能していた。

 

電車からだと、中央線の多摩川鉄橋や、小田急小田原線の秦野-新松田区間からも眺められ、特に冬季の真っ白な雪の富士山は息を飲むほど美しい。

 

埼玉県や群馬県から、関東平野の先の秩父の山々の上に富士山を確認できた時とか、房総半島の東京湾の向こうに富士山が見えた時などは、「こんなところからも見えるのか」と感動して得した気分になる。

 

山に登れば、特に南アルプスでは、雲海に浮かぶ富士山を遠望できた時はその神々しさに畏敬の念を感じる。八ヶ岳を始めとして中部関東地方の高い山からは、ほとんど眺めることができるが、近場では丹沢、奥多摩秩父の山地や箱根、伊豆の山々、さらにハイキングコースの低山でも、その雄姿を望むことができる。

 

真近に富士山を見たい時は、やはり富士山の近くに限る。山梨県側では、富士五湖周辺、富士吉田、忍野周辺からの富士山は近いだけに迫力がある。

 

 

テレビを見終わって、「このところ富士山を見ていないな~」との思いに至り、急に富士山が恋しくなった。天気予報を調べると、明日は雨だが明後日は朝から晴、この日はテニス卓球や他の予定が入っていないので、急遽富士山を見に行くこととする。

 

先月、NHKテレビのニュースで、日本富士山協会が「富士山周辺トレッキングガイド」なる18コースの紹介パンフレッドを作成したと報じられたので、富士吉田観光案内所に電話して、そのパンフレッドを取り寄せていた。

 

それによると、「おすすめは何といっても精進湖からの『パノラマ台』、手軽さ、楽しさ、感動の絶景!富士山展望トレッキングのデビューに最適。所要時間2時間」とある。他のコースは全て所要時間4~7時間で、歩くのもきつそうだ。私は車で行く予定なので、迷わずこの「精進パノラマ台コース」を選択した。

 

 

6月1日(水)

6:20 早起きしてこの時間に精進湖着。因みに(ちなみに)「精進湖」を今迄「しょうじんこ」と読んでいたが正しくは「しょうじこ」だった。知らなかった。

 

湖畔の駐車場に車を停め水際に行く。浜にはテントが二張り設営されており、昨夜は湖畔のキャンプを楽しんだようだ。焚火の跡もあった。

 

精進湖の先に早朝の富士が聳える。湖には波がほとんど無く、逆さ富士もきれいに見ることができた。

 

 

 

 

7:00 登山道「パノラマ台入り口」出発。広葉樹林の登り一方の道を進む。

 

 

 

途中木の間から富士山の頭が顔を出す。

 

 

登りの傾斜はそんなに急でもなく、急な階段とか岩道があるわけでもないのに、だらだらとした登り一本の単調な道に、後半急にバテてきた。息が切れて、何度も立ち止まって休む。

 

8:30 精進パノラマ台。ハーハー言いながらやっと台地に着く。標高1325mの山の頂がパノラマ台、目の前に富士山の全容が広がる。

 

 

 

広大な深緑(ふかみどり)の青木ヶ原樹海を包み込むように、その向こうに壮大な富士山が裾野を大きく広げて横たわる。この絶景はやはりこの高さまで登ってきた者にのみ、与えられるご褒美なのだろう。

 

 

ここから見る左右対称の裾野のラインの何と美しいことよ。じっくりと観察すると、西側の傾斜の方が東側よりもほんのわずかに大きい。

 

 

数ある富士山の絶景の中で、ここからのものは、裾野の広がりが格別に大きく見える。

 

 

しばらくして若い男性が一人登って来たが、10分程周りの景色を見て下山してしまった。「もったいないな」と思う。彼が滞在した時間以外は、ずっとパノラマ台の景色を独り占めした。1時間程ここで富士を眺めて過ごし、この景色を目に焼き付けた後、9:30に下山する。

 

 

10:10 精進湖畔 湖畔からの眺めも、早朝と比べ空の色も変わり、趣きが異なっていた。

 

 

 

 

 

10:40 ここから車で移動

 

11:00 西湖野鳥の森からの富士山の眺め

 

 

11:05 西湖からの富士山の眺め

 

 

 

11:20 河口湖からの富士山の眺め

 

 

 

11:50 富士山駅近くの吉田うどん屋 地元では評判のお店で、テレビでも紹介されたらしい。私は麺類好きで、腰の強いうどんも好みではあるが、今回は私の舌には合わなかった。

 

 

12:35 山中湖からの富士山の眺め わずか1時間で富士山に雲が湧いて上部は見えなくなった。

 

 

 

12:40 帰路は一般道の国道413号(道志みち)を通り、「道志の湯」で温泉に入って帰宅する。

 

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山中湖の東端平野(ひらの)から三国峠を越えて国道246号にでる道がある。その道の平野から少し登った所に、やはり「パノラマ台」と称する富士山ビューポイントがある。ここは道路の脇にある平地で、山に登らなくとも絶景を楽しめる。

 

ここは、車だけで行けるので、何度も訪れているが、平成30年9月3日 8:00に「パノラマ台」の後ろにある丸い坊主頭のような山(明神山1291m)に登ってみた。下の写真は、その時明神山山頂から撮ったものである。9月初めで富士に雪は無い。右の水面は山中湖

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皐月(さつき)の終わり 

GWもあっという間に過ぎ、5月ももう残りわずかだ。今年の5月は、寒い日、暑い日が交互にやって来て、身体が天候に対応するのに忙しかった。

 

 

 

ウクライナ情勢は、ロシアがウクライナに侵攻して3ヶ月が過ぎた。これからはウクライナが、欧米から供与された兵器でロシアに反撃するとの観測もあるが、ウクライナの東部、南部はロシアに殆ど制圧されたようだ。停戦の気配は全く無く戦争は長期化しそうだ。現地の人のことを考えると心が重い。

 

国内のコロナ新規感染者は、全国で約2.5万人(5月28日現在)で、減少傾向にある。今年のGWは行動制限もなく、全国の人出もそれなりに増大して、感染再拡大が危惧されたがそれはなかった。

 

国の政策も、外国人観光客の受け入れ検討など、経済に軸足を移しつつある。マスク着用についても、屋外の人のいないところでの着用義務化は、緩和の方向だ。

 

私はコロナに関して、昨年までは、非常に注意深く対応してきた。オミクロンの第六波が収束の傾向にある現在では、医療逼迫状態にならなければ、それほで神経質にならなくてもいいのではないかと思うようになった。

 

去年までは、外食とか旅行はモラルに反する行為と考え、とても積極的に出かける気分にはなれなかった。それが最近は、それなりの対策をとっていれば、罪悪感なく出かけられると思うようになった。

 

コロナ関連では、60才以上と基礎疾患のある人に対して、4回目のワクチン接種が始まった。60才未満は、これまで優先的に接種してきた医療、介護従事者であっても、4回目は接種できないそうだ。年齢は後期高齢者の75才以上として、これらの従事者には接種してもらった方が良いと思うのだが・・・

 

その他の社会面では、山口県の「誤送金問題」が、連日喧(かまびすし)く報道されている。町が雇った凄腕の弁護士が、4630万円の大半を回収して 全国の弁護士からも称賛されているという。

 

 

 

 

私の生活はと言うと、お陰様で下記のような平凡で平穏な日々が続いている。

 

5月22日(日)

自治会活動)前日、私の地区(約50世帯)の自治会費を自治会会計に納めた。私は、私の地区の四つの班長さんが集金した分を集めて、徴収原簿に記入するだけである。各班とも、班の集金は全て会員から徴収したままの状態で提出された。

 

それらを纏めると、千円札90枚、500円玉40個、100円玉10個となり、これを銀行のATMで入金、出金の操作をして両替した。

 

来年度、私の次の地区長が決まっていない。来年度地区長を出す班の班長さんに、その班に地区長選出のルールがあるか、問うたが知らないと言う。その班長さんは比較的新しく転入された方なので、古くから居住されている方を訪ねて伺う。

 

そこでお聞きしたのは、順番でその年に班長になる世帯が地区長を務め、班長はその次の世帯がなるというものであった。

 

早速来年の班長予定のお宅を訪ね、出てきた若い男性にその旨を伝え、地区長就任をお願いする。このお宅は、年配のお母さまが世帯主で二世帯住宅の様だ。若い男性は勤めているようだし、当然断られるものと覚悟したが、意外とあっさり「そういう決まりなら」と承諾してくれた。

 

一旦家に帰り、「自治会の組織図」、私が引継ぎでもらった「地区長の役割」のプリントを持って次期地区長さんに手渡し、簡単に説明する。新しく転入した若い人は、自治会活動には非協力的だとの先入観があったが、若い古いは関係ないことだと悟る。来年の話ではあるが、後継者が決まり一安心する。

 

5月23日(月)

平日の早朝、TBSラジオの「生島ヒロシのおはよう一直線」(5:30~6:30)という番組を早起きした時に聴いている。何しろ生島さんの声は元気が良くって、早朝の寝ぼけた身体をシャキッとさせてくれる。

 

この番組は、健康情報の提供も一つの柱で、口腔ケアの話の中で、生島さんが「水流ジェット洗浄機を自分も使っているがとても良い」と言っていた。

 

私は今まで電動歯ブラシを使用していたが、このラジオの言葉を聞いて、「TBSラジオショッピング」の通販で購入することにした。それが今日届いた。

 

商品名は「AZREX水流ジェット口腔洗浄機 ウォーターパルスα(アルファ)」

 

 

早速、機器をセットして、試しに稼動してみる。ノズルを歯にあてると、水流が歯に反射して周りに飛び散る。洗面所の洗面台の周りが水滴で濡れる。これは想定外だった。

 

その他 ・コード付きの本体を水平に洗面所に置ける場所が少ない

    ・使用後のメンテが大変

      ・タンクの水は毎回取り換え、タンクはきれいに洗う

      ・本体内部やチューブに残っている水は、出なくなるまでポンプを動かし                                  

       て排出する

 

超多忙な生島さんが、これらのことを自分でやっているのだろうか?

 

と言うことで、その後は、折角買ったジェット洗浄機は使わず、普通の手で磨く歯ブラシを使用している。

 

 

5月24日(火)

今日はテニスと卓球に参加する。まずテニス、風が少々強く吹いているが、テニスには絶好の日和(ひより)だ。7人で順次対戦相手を変えてゲームを楽しむ。青空の下、健康でテニスできることに感謝。

 

メンバーのひとりが、前立せんがんの治療を受け、回復してこのテニスに参加している。彼の話では、ダビンチシステムによるロボット手術を受けたと言う。

 

ダビンチシステムは内視鏡手術支援ロボットで、患者のお腹にあけた小さな穴に手術器具を取り付けたロボットアームと内視鏡を挿入して、医師が遠隔で内視鏡画像を見ながら操作して手術するものだ。

 

従来の腹腔鏡手術は、2次元画像を見ての手術だったが、ダビンチシステムは3次元立体画像を見ながらの手術なので、より正確で安全な手術が可能となった。

 

彼の手術痕を見せてもらったが、1㎝ほどの小さな傷でほとんど目立たないものだった。前立腺がん手術の場合、保険も適用されたそうだ。医学の進歩は素晴らしいと、あらためて感心する。

 

テニス終了後、車で20分程移動して公民館へ。S卓球サークルの練習会だ。こちらは出席者8名、台が3台だから丁度良い人数だ。いつものように前半はラリー。後半はゲームで楽しむ。休憩時も個性豊かな人が多いので、話が弾んで楽しい。

 

数年前は、一日にテニス、卓球とかけ持っても、何ともなかったが、最近はプレイしている時はいいが、帰宅して一段落すると急に疲れを感じるようになった。夕飯仕度もなるべく簡単なものにする。

 

 

5月25日(水)

コロナが流行る前は、卓球で仲良くしてもらっている友人達と、よく食事会に行っていた。メンバーが誕生日になると誕生会をして仲間を祝っていた。それが、コロナが発生してから3年、食事会は一度もしていない。

 

本ブログの前段でも書いたが、このところ感染者数が減少傾向にあることと、コロナに対する意識の変化により、仲間とも話し合って、そろそろ食事会をしてもよかろうということになった。

 

6月中旬に開催ということで、予約作業を始める。お店は友人の紹介で、ホテル内の和風レストラン、ネットで調べると「てんぷら」「しゃぶしゃぶ」「会席料理」のお店らしい。仲間の好みを聞いて「会席料理」とする。久しぶりで楽しみだ。 

 

5月26日(木)

令和4年度 固定資産税・都市計画税自動車税の納付期限が5月末なので、郵便局に出向き納付した。我が家のような小さな家でも、それなりの税金が課税されるので。近所の地主さんや、大きなお屋敷にお住いの方々の課税額は半端な額ではないだろう。また学校の同総会費、寄付金の依頼がきていたので、一緒に振り込む。

 

5月27日(金)

未明から降り出した雨は、リハビリセンターに出発する8時半には本降りの雨となっていた。徒歩で通っているので、傘をさして出かけた。強い風も吹いていて傘が飛ばされそうになる。天気予報で言っていた前線が通過しているのだろう。

 

リハビリセンターでの服装は、半袖Tシャツと短パンだ。Tシャツ一枚の利用者は私以外誰もいない。歩行マシンでの30分サーキットトレーニングでは、汗が体中から吹き出し、マシンのハンドルも汗で濡れてしまった。

 

いつものことだが、3時間半みっちりトレーニングした後は、身体が軽くなったような感覚がする。帰宅してシャワーを浴びた後の爽快な気分は何物にも代えがたい。

 

 

5月28日(土)

午前中にスーパーとドラッグストアへ行って一週間分の買い出しをした。

 

ドラッグストアで固形石鹸を買う。私は浴室では固形の無添加浴用石鹸を使用している。一つの石鹸がだんだん小さくなって、薄っぺらい状態になった時、これを捨てずに新しい石鹸の上に乗せておくと、石鹸の成分で両者は接着する。

 

こうして古い石鹸は新しい石鹼に同化して、一つの石鹸となって又役目を果たすことになる。無機物の石鹸が生き物のように、命が旧から新へ引き継がれたようで面白い。

 

午後はHサークルの卓球だ。場所は公民館会議室。暑いのでクーラーを入れてプレイする。テニスと違って卓球はクーラー付き室内なので、夏場の練習環境は屋外のテニスに比べると天国のようだ。

 

出席者は7名、このサークルはラリー中心の練習だ。15分毎に相手を変えてプレイする。

 

今日はテニス仲間でもある友人が欠席したので、いつも練習後に二人で行くMACも寄らずに帰宅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

J-WALK

今回は、J-WALKを取り上げます。

Wikipedia  の「THE JAYWALK」「中村耕一」「矢野きよ実」の記事を参照しました。

氏名の敬称は省略します。

 

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「J-WALK」 は1980年に結成されたロックバンドで、「何も言えなくて...夏」等をヒットさせ、一躍人気バンドとなり、1993年には年末のNHK紅白にも出場したが、2010年、ボーカルの中村耕一覚醒剤取締法違反で逮捕され、中村は翌年バンドのメンバーから脱退した。2011年には、メンバーも入れ替え新生JAYWALKが始動して、バンド名も「THE JAYWALK」となった。

 

私は「J-WALK」が活躍していた頃、リアルタイムで生きていたのだが、そのバンド名、曲名については何も知らずに過ごしていた。そんな訳で、中村耕一が逮捕され、マスコミで大きく報道された時も、殆ど関心は無かった。

 

それが、2~3年前YouTubeのネットサーフィンをしていて、偶々(たまたま)「何も言えなくて...夏」に出会い感銘を受け、そこから芋づる式に「J-WALK」の楽曲を聞き漁るようになった。

 

・何も言えなくて...夏

・もう一度

・心の鐘を叩いてくれ

・君にいて欲しい

・世界よりも君が大切だと思った

・Thousand  miles

・青い瞳のステラ

・悲しみは涙にとけて

・RERAX

・RELAY  RUNNER

・風に向かって歩きたい

・Deja-vi~君がいた夏

・ここからすべてが

・俺・・・

・JUST  BECAUSE

・河より低い町で

・もう愛せないけど

・思い出に手を振って

・SHE  SAID

・失くしてしまった手紙のように

 

これらの曲をYouTubeで、何度も何度も繰り返し聴いた。全曲とも何回聴いても飽きることが無い。曲も良いが詩も良い。それと、中村耕一の歌唱が素晴らしい。上手くてセクシーで男の色気が感ぜられる。

 

YouTube動画のコメント欄には、今でもファンからの熱烈な支持と中村耕一復帰待望論が多数見受けられる。

 

2010年5月、中村耕一東京地裁で懲役2年執行猶予4年の判決を受け、償いと自戒の念から音楽活動を止める覚悟をし、2011年3月10日をもって J-WALKを脱退した。

 

その翌日の11日に東日本大震災が発生する。10日後には、中村は宮城県石巻市へ救援物資を持って炊き出しボランティアに行っている。4月に再び石巻市をボランティアで訪れた中村は、お寺の住職から被災した檀家の葬儀での献奏を依頼される。

 

歌を止めるつもりの中村であったが、住職の依頼は中村の過去を知った上でのものと分かり、引き受ける。

 

その後、津波で多くの児童が犠牲になった大川小学校の関係者らが避難していた中学校体育館の避難所で、ある女性に「私は全てを無くしました。でもあなたには歌がある。私たちも頑張るから、あなたも頑張りなさいね。」と声をかけられる。そして周囲の被災者からリクエストが寄せられ、アカペラで歌唱した。

 

この体験で中村は音楽を続けることを決意する。

 

以来中村は、石巻市南三陸町陸前高田市などへボランティアに数十回通い、泉谷しげるたちと町おこしイベントに幾度も協力している。

 

その後は、2013年からソロ・アーティストとしてライブ活動を開始し、アルバムも発表したが、J-WALK時代のレパートリー46曲は、元所属事務所との関係で歌唱禁止になっていて、昨年2021年7月になってようやく解禁された。

 

コロナ禍で思うようにいかないが、以前のように年間100本以上のライブを目標に頑張りたいと中村は語っている。

 

 

名古屋のテレビ、ラジオ界で活躍している矢野きよ実というタレントがいる。彼女は「名古屋の上沼恵美子」との異名を持つほど、中京圏では出演番組を多く持っているタレントだ。彼女は書道家でもあり、ドラマや番組の題字等も数多く手がけている。

 

2010年に中村耕一が逮捕された時、その事件報道の中で中村との10年以上続いている内縁関係が明らかにされた。以来中村と矢野は続柄が、お互いがパートナーとしてウィキペディアにも掲載されている。

 

矢野は執行猶予中の中村を支え、前述した東日本大震災ボランティアにも中村に同行している。

 

 

先に挙げた中村耕一がボーカルを務めていた「J-WALK」時代の20曲は全て私のお気に入りで、全曲紹介したいのですがそうもいかず、ここでは下記6曲をYouTube動画で紹介します。

 

① 何も言えなくて...夏

作詞:知久 光康  作曲:中村耕一    リリース:1991年7月  

 

軽快なスチールギターのイントロから始まるこの曲は、繊細な男心を歌った傑作だ。

 

不器用で鈍感な自分から去って行った彼女のことを回想する。

 

失って改めて気づかされる彼女の魅力 「綺麗な指してたんだね 知らなかったよ」「こんなに素敵なレディが俺を待っててくれたのに」「どんな悩みでも打ち明けて」とまで言ってくれた

 

自分では「世界中の悩みを一人で背負っている」と思っていたが、「俺の背中と話す君は俺よりつらかった」と遅かったけれどやっと気付いた 彼女から「もう二度と合わない方がいい」と言われた日に・・・

 

「私にはスタートだったの あなたにはゴールでも」涙を浮かべて言った彼女の瞳に 何も言えなかった・・・ まだ愛してたから

 

愛した女性を失ってしまう事、別れが現実になった事、そうした事実を男は認めようとしない。何故ならそれでも「まだ愛してたから...」なのだ。

 


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② もう一度・・・

作詞:知久 光康  作曲:杉田 裕  リリース:2008年3月

 

「何も言えなくて...夏」が発表されてから17年後にこの曲が「何も言えなくて...夏」のアンサーソングとしてリリースされた。

 

新宿か渋谷の混雑する駅で、彼女が俺を見つけて、人をかき分け俺の隣に来てくれた時、俺は「乗り換える駅 間違えただけ」としか言えなかった。

 

彼女が「急いでいたの?」と尋ねてくれたその声は、もう夢でしか聞けないはずだった。この17年、二人がもう一度 恋に落ちる夢を見ていた。

 

17年前の反省から、ほんの小さな傷でも二人で癒そう もし許されるのなら 今ここでもう二度と放さないと誓おう 

 

君にもう一度 恋をしてもいいと言ってくれ 二人もう一度 恋におちてもいいと言ってくれ

 


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※この動画のボーカルは、中村耕一ではなく、二代目ボーカルの馬渕英将    

 

 

③ 君にいて欲しい

作詞:知久 光康   作曲:中村 耕一  リリース:1992年10月

 

「何も言えなくて...夏」とは違って、こちらは「二人でいたいんだ 何が起きてもづっと 愛してるなんてありふれた言葉だけど いて欲しいんだ 二人で見つけたいんだ ここにしかない 確かな君とおれを」と彼女への心情を素直に吐露している。

 

 


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④ 世界よりも君が大切だと思った

作詞:知久 光康   作曲:杉田 裕   リリース:2009年4月

 

彼女から「あなたの目を閉じたまま微笑む顔が好きだから 眼を閉じて」って言われ「開けてもいいよ」って向き合った時 世界より君が大切だと思った・・で始まるラブソング 

 


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※「YouTubeで見る」をクリックすると、このブログからYouTubeサイトへ飛んで動画を再生できます。

 

 

 

⑤ 心の鐘を叩いてくれ

作詞:知久 光康   作曲:杉田 裕  リリース:1991年11月

 

まるで無限の時間の中に はじけて消える泡が俺なら どれほど人を愛せるのだろう たとえそれが誰か一人でも

心の鐘を叩いてくれ 胸の奥まで揺さぶるように 命はきっとそのためにある 生まれた意味を知るため・・・

 

一途な若者の真摯な心情を歌った青春の応援歌だ。

  

 


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※この筆文字は、単にパソコンで文字変換しただけかもしれないが、私は書道家でもある「矢野きよ実」が書いたものと思いたい。

 

 

⑥ RERAX

作詞:知久 光安   作曲:中村 耕一   リリース:1995年7月

 

友人以上恋人未満のふたりが、真夜中に始めて二人っきりになった時、何を話せばいいかわからない 優しい月明かりの下 膝を抱き星を見上げ 二人微笑む  壊さないでこの時間を・・・微笑ましいラブソング

 


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※汗だくのライブ映像で、清潔感には欠けるが、最後に二人で「WOUWO~」とハモるところは、圧巻でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

へんろ日記 13

4月24日にアップした「へんろ日記 12」の続きです。

 

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11月27日(月)(曇)(2017年/平成29年)

<36日目 西条市小松 60横峰寺他>

 

6:00 朝食 S旅館の朝食は、朝から刺身他の豪華なものだった。

 

6:55 S旅館出発 妙谷川に沿った登り一方の県道147号を急ピッチで歩く。左手の丘の斜面に童話の絵本のような赤と黄色の建物が見える。(何の建物か分からない)赤い実をつけた柿の木が晩秋の趣きを醸し出していた。

 

 

8:30 しばらく行くと、林の中に喫茶店があった。この時は開いていなかったが、このような場所で、お客は一日何名来るのだろう。他人事ながら経営が成り立つのか心配になる。

 

8:50 登山口 横峰寺へのへんろ道は「へんろ転がし」の一つで、難所である。

 

へんろ地図の注には、「雨天の際は、へんろ道に沿った沢の水量が急増して、激流になって通行不能となることもある。下流の妙谷川の川底や岩が見える時はよいが、川幅一面に流水の時は、強行を控え、一旦国道まで戻り、先に63番まで打った後、車道で60番を打つのが妥当 我慢・忍耐修行也」とある。

 

昨日は雨であったが、妙谷川の川底の岩が見えていたので、沢沿いの登山道を登ることとする。

 

初めの半分くらいまでは、岩だらけの山道を、グレートトラバースの田中陽希もこんなものかというくらいの勢いで、ぐんぐん登る。後半はバテてダラダラ歩きとなる。

 

10:00 60番札所 横峰寺 バテバテの状態で山門を通過。

 

        写真ACより  Tomo 55 さんの作品

 

境内は一面にガスっていて寒い。休憩所の建屋に入って、自販機のホットミルクティで暖を取る。納経所で、霊峰石鎚山を一望できる弘法大師修行の地「星が森(横峰寺奥の院)」のことを訊くと、15分位で行けるが、この天気ではガスっていて何も見えないだろうと言われ、行くのを諦めた。

 

NHK趣味悠々 2006年9月~11月四国八十八ヶ所はじめてのお遍路」掲載写真

晴れていればこの写真「星が森」のように、石鎚山の全容を一望できるそうだ。

 

10:40 横峰寺出発 ここから尾根伝いの長い山道を3時間程縦走して小松の市中に下る。

 

13:35 61番札所 香園寺 この寺は、建屋が四角いビルになっていて、門とか瓦とか和風のものは一切なく、外観からは全くお寺とは認識できない。本尊はビルの中に有って、金ぴかの装飾物で飾られている。ビルの中でお参りする。商業主義の塊のようで、全く馴染めない。私の中では、四国88カ寺のお寺の中でワースト1のお寺だ。

 

13:50 62番納経  62番宝寿寺の運用が悪いらしく、香園寺の駐車場に仮設の62番臨時納経所があり、そこで納経してくれた。

 

14:30 63番吉祥寺 二寺続けて不快の思いをした後だけに、境内の楠とイチョウの大木の趣きの良さに心が洗われた。

 

納経所では、マスクをしていたが美人のお姉さんに墨書授印して頂いた。横に「ぽっくりお守り」なるお守りが置いてあり、そのお姉さんが言うには「うちのおじいちゃんは、風呂へ入る時以外はいつもこれを身に着けていて、安らかに旅立った」とのこと。私もそれにあやかろうと、そのお守りを即購入した。今も付けている。

 

15:10 旅館K着。

夕食は豚肉のポン酢鍋、へんろの宿では、ほとんどお肉はでないので、久しぶりにお腹いっぱいお肉を食べた。美味しかった。

 

夕食時、私の隣に座った無口で髭の男性、話しかけると、「徹夜で山道を歩き、転んで4日間入院して、また歩いている」と語る。無謀だけれど憎めないような人だった。

 

 

36日目の歩数:45,000 歩     歩行距離:29.3 ㎞

 

 

 

11月28日(火)(晴)

<37日目 西条市小松→四国中央市土居>

6:25 小松の旅館 K 出発 早朝の小松の町を気持ちよく進む。

 

7:20 64番札所 前神寺 荘厳で立派なお寺だ。昨日香園寺を見ただけに、その渋さ、奥深さが際立つ。

 

 

 

8:30 武丈公園 加茂川右岸の公園、春には加茂川堤と共に桜が見事で、西条の桜の名所らしい。

 

9:55 JR西条駅東 どういうわけか道を間違え、へんろ道の国道11号を通り越してJRの踏切まで来てしまった。スマホで現在位置を確認して11号へ戻る。30分以上のロス。

 

11:00 11号から新居浜市の一般道に入る。

 

11:15 中萩小学校 新居浜市の住宅街、メロンパンとアーモンドチョコを食べて一休み。

 

11:40 新居浜アーケード 歩いていた道路がそのままアーケードの中に入る。地方の典型的なシャッター商店街だ。アーケードには、飾りつけがしてあったり、マイクからは音楽が流れているが、人通りがなく開いているお店も少ないので、もの悲しい。

 

12:20 舟木郵便局 手持ちの現金が少なくなったので、お金を下ろす。

 

12:30 交通量の多い11号に合流する。ここから登りの一本坂だ。

 

13:30 関の戸 国道の峠に当たる所。ここから国道を離れ、静かで下りの気持ち良い田舎の道を快適に進む。

 

14:30 JR予讃線を越えたところで、地元のお婆ちゃんからリポビタンの接待を受ける。喉が渇いていたので美味しくいただく。

 

15:00 土居町の旅館 T 到着

ここは、3年前にも泊まった所で、その時接待してくれた若女将は、臨月のお腹をしていた。その時お腹にいた子は3才になるのだが、その若女将は今回も大きなお腹をしていた。彼女とは夕食時、そんなことを、ちょこっとお話しした。

 

 

37日目の歩数:55,500 歩    歩行距離:36.1 ㎞

 

 

 

11月29日(水)(曇/雨)

<38日目 四国中央市土居→三角寺徳島県三好市

 

5:50 土居町旅館 T 出発。旅館の朝食が7時ということで、朝食をキャンセルして4日振りに早朝出発する。暗い国道の歩道を懐中電灯のライトを照らしながら進む。

 

6:50 国道沿いのコンビニ F に立ち寄り、タラコおにぎり、肉まんを買い、コンビニのイートインで食べる。

 

8:45 伊予三島の中心地に入り、車の往来も激しくなる。3年前に立ち寄ったコンビニがマッサージ店に変わっていた。

 

9:30 松山自動車道のガードをくぐり、しばらく山麓を東進した後、山道を急登する。

 

10:30 今にも降り出しそうな天気の下、65番札所 三角寺に到着。ここは、愛媛県最後のお寺なので、卓球サークルの仲間にメールする。

 

 

11:20 三角寺から次へ向かって5分程歩き始めた時、スゲ笠を納経所に忘れたことに気が付き、又長い石段を登って取りに行く。

 

12:50 高知自動車道ガード下 この辺りは丁度、愛媛県香川県徳島県の県境の土地で自動車道も松島、徳島、高知の各自動車道が近くで合流している。

 

13:05 椿堂 ここは四国別格二十霊場の一つだ。雨が本降りとなる。

 

13:10 国道192号線 この道はこの先の峠のトンネル(境目トンネル)を抜けて徳島県に入り、伊予街道として徳島市まで通じている。トンネルまで雨のそぼ降る登り一方の国道をひたすら歩く。

 

14:15 境目トンネル 通過に13分を要す。

 

14:50 旅館 O 着。本日の宿としてここを予約したが満室の為、O が三好市の民宿Hを紹介してくれた。O に着いたらHに電話すれば、車で迎えに来てくれると言う。

 

20分程でHの主人が来て車に乗り込む。乗り物に乗るのは、高知県のゴルフ場の車に乗って以来だ。車だからすぐ着くかと思ったら、10分ほどかかった。歩けば1時間以上だろう。

 

民宿Hは三好市(旧池田町)の吉野川左岸の高台にあり、へんろにとっては別格箸倉寺の拠点ともいえる古い建物の宿だった。吉野川上流の大歩危小歩危等の観光地の近くでもある。旧池田町は、高校野球で全国的に有名になった町で、この宿の最寄り駅は、阿波池田駅である。

 

おかみさんが、濡れた靴用にと古新聞をくれたのだが、中から虫の死骸やら生きた虫やらがでてきて、気持ち悪くて使用しなかった。

 

食堂で、ご主人が最近へんろが減っており、へんろ相手の民宿経営が難しくなっていると話してくれた。

 

夕食は、刺身とカツカレー、久しぶりのカレーが旨い。

 

箸蔵寺を打ってきたというへんろ13回目の札幌へんろと夕食を共にする。穏やかな人で明日80才になると言っていたが、とてもその年には見えない。先達の資格もあるそうだ。

 

17:30 睡眠不足気味で、バタンキューで眠る。

 

 

38日目の歩数:53,800 歩    歩行距離:35.0 ㎞

   

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さて、へんろ旅も「菩提の道場(愛媛県)」の65番まで打ち終わり、いよいよ次回から最終の「涅槃の道場(香川県)」に入ります。

 

            ー 続く(非定期)ー

 

日連(ひずれ)アルプス

4月29日から続いた今年のゴールデンウイーク(GW)も今日(5月8日)が最終日だ。今年のGWは、新型コロナによる行動制限もなくなって、落ち込んでいた人出もかなり回復したようだ。

 

GW前の天気予報では、余り晴天は期待できないとのことだったが、5月2日からは晴天が続いた。

 

コロナ以前から、GWとかお盆とかの人出が多くなる時期の遠出の外出は避けている。今年のGWも道路、交通機関は混雑が予想されたので、どこへも出掛ける予定は無かった。それが、GW中ごろの天候があまりにも良かったので、テニス卓球の予定が入っていない5月5日に、日連(ひずれ)アルプスへ行ってきた。

 

日連(ひずれ)アルプスとは、アルプスと大仰な名前が付いているが、JR中央本線藤野駅の南にある標高3~400mの一連の低山(※)を称し、縦走路が整備されている。

 

※ 金剛山、峰山、八坂山、鉢岡山、日連山、宝山の六座

 

 

登山口近くまで車で行って、縦走後車に戻るには、車の駐車場所と、どこから登るかによって、4ケース考えられる。即ち、駐車場所は縦走路東端にするか、西端にするか、車道を歩いてから登るか、下山してから車道を歩くかだ。色々考えた末、駐車は縦走路東端近くとし、そこから車道を縦走路西端まで歩き、金剛山登山口から登山する左回りルートを選択した。

 

5月5日(木)

7:15 県道とおおだ小径の分岐近くに車を停め、県道を西進する。この道は日連(ひずれ)集落を貫いている、地図を見た時は、鄙(ひな)びた田舎の風景を想像したが、集落には民家も多く、カフェや飲み屋も存在し、車の往来も多く予想は外れた。

 

7:45 金剛山登山口(金剛山神社参道口)

 

 

登山道に入ると、そこここでウグイスが鳴き、若葉の香りも新鮮で清々(すがすが)しい。しばらくすると、つづら折りの急登となり、ペースを落としてゆっくり登る。途中見晴らしの良いところが、一か所だけあった。日連アルプスは、ほとんど樹林の中を進むので展望できるところは貴重である。

 

 

 

8:40 金剛山(標高410m) 展望のない樹林の中に神社の祠が祀られていた。

 

 

 

新緑の登山道を赤く彩っているのはヤマツツジだ。

 

 

 

9:00 峯山(標高423m) 山頂の標識が樹木に貼り付けてあるのが、安直でいかにも日連アルプスらしい。

 

 

山頂から展望できるのは、この峯山だけである。朝、バナナだけ食べて出発したので、ここで景色を見ながら、コンビニで買ったおにぎりで朝食とする。食事中に若い男性の二人連れが現れた。今日初めて出会う登山者だ。

 

 

 

 

9:25 八坂山(標高420m) 峯山から5分程奥まった所にある八坂山を往復する。

 

 

 

落ち葉の下り坂 ひんやりした空気が気持ち良い。

 

 

 

9:40 杉峠 ここから縦走路を外れて、南へ30分程行くと鉢岡山だが、展望のない樹林の山頂を1時間かけて往復するのは気乗りせず、今回はパスする。

北の日連集落へ下る道は、数年前の台風で崩落しており、閉鎖されていた。

 

 

 

10:00 日連山 標識も至って簡素

 

 

途中反対方向から来た2組の高齢者パーティに会う。

 

 

10:15 宝山 大きな木が立ち枯れとなっていて、隙間から中央高速方面の景色が見える。

 

 

 

 

10:40 下りの急坂(ロープ使用箇所)

 

 

 

10:55 おおだ小径 車道のおおだ小径を歩いて行くと、車は通行止めとなり、ここからは歩行のみのハイキングコースだ。更に行くと相模湖の南岸に出て、木の間から湖とその先のホテルなどが眺められた。

 

 

11:20 そこから、駐車してある車に戻る。

 

 

日連アルプスは、先にも書いたように、その仰々しい名前とは裏腹の低山の縦走路だ。GW真っただ中の5日に行ったので、もっと登山者で賑わっているかと思ったが、山中で会ったのは10名程、地味でマイナーな山だが、その分静かな山行を楽しめた。