買い出し

毎週土曜日の午前中に、一週間分の食料を調達する為近所のスーパーに、車で買い出しに行っている。何故土曜日かというと、この日はポイントが3倍になるからだ。

 

買い物をする前に、店外にあるペットボトルリサイクル回収機で一週間にたまった空ボトル(主に2ℓ天然水)を処分する。この回収機では、1本ごとに5ポイントが付与され、1000ポイントで100円の買い物券と交換できるというシステムである。

 

この回収機にどこからか集めた大量のペットボトルを持ち込んで、回収機で処分するのを、仕事(アルバイト)にしている人がいる。彼らが処分している時に鉢合わせすると、大変なことになる。

 

一応回収機には「ご利用は5分以内でお願いします」と貼紙で書かれているが、彼らがその時間には終わるはずがなく、注意してマズイ雰囲気になるのも嫌だし、結局諦めて空のボトルを持ったまま買い物をすることになる。回収機の前に誰もいない時は、「ラッキー!」と心で叫ぶ。

 

しかし、冷静に考えると、ペットボトルの処分代は、一本当たり0.5円と安く、1000本でも500円で、割に合わない仕事だと思うのだが・・・

 

空ボトルの処分を終えて、店内に入る。入り口でカートとカゴを選択する。カートは普通のサイズだと入りきらないので、空港で使用しているような大型のものを選び、カゴは2個カートに乗せる。

 

入り口近くでは、おはぎ、くずもち、お団子等の和菓子のコナーがあり、家でのおやつ用に良く購入する。そこから飲み物売り場に行って、天然水の箱売り(安売りの時は2箱)スポーツドリンク、オレンジジュース(なっちゃん)、冷やし甘酒等をカートに入れる。調理用の水は、全て天然水を使用しているので、消費が早い。

 

その後スーパーを野菜売り場から、右回りでひと周りする。玉ネギ、ニンジン、じゃが芋、ゴボウ、大根、キノコ類などは、家で無くなったら補充するようにしているが、夏場は、ネギ、なす、ピーマン、キュウリ、トマト、しょうが、みょうが、大葉は毎回買うようだ。

 

 

        写真ACより   Haru  photography  さんの作品

 

鮮魚売り場では、刺身は手軽で良いのだが、最近寄生虫アニサキスが話題となっていて、手に取ってから止めることが多い。スーパーにはこれはと言った魚が並ばないので、美味しい魚が食べたいときは、車で15分と少し遠いが、新潟県寺泊から直送している魚市場へ行く。

 

料理を始めた頃は、鯵くらいの魚は、YouTube動画で習って、自分で三枚におろしていた。今はイサキや、メバルなどのワタもお店に頼んでとってもらっている。

 

精肉売り場では、豚ロースの薄切りを良く買う。一週間に一回は、玉ねぎ、キノコとの炒め物を作るからだ。牛肉、鶏肉、ひき肉はその週の料理予定に入っている時に適宜購入する。

 

ウィンナ類、ピザ、牛乳を買って総菜売り場へ。揚げ物は、家で作れば美味しいだろうが、調理後の片付けのことを考えると、つい店の総菜から選んでしまう。天ぷらは、かき揚げ、野菜天が好きだ。唐揚げ、トンカツ、焼き鳥類は敬遠することが多い。

 

寿司類は、鉄火巻、アナゴ寿司があるときは、酒のつまみに買う。野菜サラダは毎回買うが、総菜の煮物類は自分で作ったものの方が舌にあうようだ。

 

冷凍食品売り場では、枝豆(夏場は、生から茹でるが、毎日酒のつまみに食べるので、冷凍ものも常時補充している)ソラマメ、たこ焼きは毎回買っている。

 

これまで、里芋の皮は包丁で剝くものだと思っていたが、イカの里いも煮を作る時、冷凍の里芋を使ってみたら、その便利さに大いに驚いた。

 

家に居て、急に甘いものが食べたくなる時がある。先に書いた和菓子コーナー以外でも、ミルクキャンディ、カステラ、ワッフル、カリントウ、ゼリーにはつい手が出てしまう。

 

ここまでで取り上げたもの以外に、毎回買う物は、大粒大豆納豆、めかぶ、鰹節パック、玉子、冷奴用豆腐、窯焼きパン(干しブドウ入り)など。

 

補充するものは、お米、十六穀米、餅、調味料(料理酒、みりん、砂糖、サラダ油、ごま油、酢、麺つゆ、味噌、ソース、ケチャップ、ポン酢、ドレッシング)煮干し、昆布、切り干し大根、高野豆腐、焼き海苔、そうめん、麦茶、清酒、ビール、焼酎、ワインなど。(醤油と塩は通販で購入)

 

品物を見て気分で買うものは、果物、漬物、練り物、タラコ、塩辛、塩鮭など

 

そして、その週に予定した献立の食材を追加する。(献立を何にするかは、いつも悩む)

 

今迄毎回買っていたのに、最近見かけなくなったものがある。金華山熟成鮭、石垣ミネラル麦茶。横浜鶏卵こだわりの旨いたまご、紅茶花伝ピーチなど

 

 

これらの買い物をすると、大きなカートも満杯になり、レジに並ぶ。私が通うスーパーマーケットの決済は、客が自ら支払い機で行うシステムなので、レジ係さんは、商品をバーコードを読みとり、決済済カゴへ入れるだけでいい。レジ係さんがお金のやりとりをしなくなったので、混雑時のレジ通過時間が大幅に短縮された。

 

土曜日午前のレジ係さんの顔ぶれはいつも同じで、胸に名札を付けているので、顔と名前を覚えてしまった。私が並ぶ列のレジ係さんが、ある中年の女性になることが多い。この女性、いつも大きな声でテキパキと客対応をしている。

 

ある時、私がカゴをカートからレジの台に移す時、総菜をケースごと床に落としてしまった。中身はバラバラになったものの、ケースのふたは開かなかったので、私は自分のミスでもあり、それを引き取るつもりでいた。するとそのレジ係さんは、すぐに総菜売り場へ走って行き、新しいものと交換してくれた。親切な人だなと感心した。名前はHさんだった。

 

いつもは土曜午前中にスーパーへ行くのだが、その日は用事があって1時頃行った。売り場で盛装した女性が買い物をしていた。彼女は黒の丈の長いおしゃれなワンピースを着こなし、スーパーでは場違いな感じがするほど、カッコ良かった。「どこかで見た顔だな」と思ったら、何とレジ係のHさんが、仕事が終わって服を着替えて買い物をしていたのだった。

 

彼女は前髪が白く、レジで働いている時は老(ふ)けて見えるが、私服に着替えたら見事に素敵で魅力的な女性に変身していた。前髪も白っぽい黄色に染めていたのか?私服ではその髪も似合っていた。

 

翌週、彼女のレジ列に並び、レジが終わった時、店の人に私語を話すのは躊躇(ためら)われたが「先週、私服のHさんを見ましたよ。私服のHさんって、凄くカッコいいですね」と言うと、黙って笑っていた。

 

レジでの支払いを済ませると、買ったものの袋詰めだ。買い物は大きなレジ袋3枚とスポーツドリンク、ジュース等の水類は布製の買い物袋へ入れる。お米や酒類、大根、ゴボウ等大きな物、長い物、天然水の段ボールはそのまま車のトランクへ詰め込む。

 

帰宅して買った物を車から運び入れ、冷蔵庫、冷凍庫や所定の場所に設置してやっと買い出しのひと仕事が終わる。土曜日は午後からH卓球が開催されることが多いので、その時は忙しい。

 

 

 

 

七月最終週

子どもたちは夏休みに入ったが、新型コロナの第七波が拡大中で、連日新規感染者数の過去最多を更新している。

 

国民はもう3年もコロナに振り回されて、コロナ疲れになっていること、第六波以降のオミクロン株やその変異株は致死率が低く重症者が少ないこと、国、自治体が行動制限を出していないことから、第七波で感染爆発が起きていても、世の中、以前のような緊迫感、緊張感が随分と欠けているように思える。

 

私も最近では、以前のようにストイックに自粛に努めるのではなくて、感染対策を取った上で柔軟に行動をしようと考えるようになった。

 

記録的な猛暑で始まった七月も最終週となった。この暑い中、平凡で代わり映えのしない毎日が一日一日と過ぎていく。変化が無く面白味は欠けるが、痛いところも無く健康に過ごせることには、感謝せねばならない。

 

 

そんな一週間の記録です。

 

 

7月24日(日)(晴)

1⃣ 朝NHK Eテレ「日曜美術館」を見る。この日は陶芸家、辻村史郎さんの特集だった。

 

辻村さん(75才)は、50年前に奈良の山奥に住まいと窯をすべて一人で作り、師を持たず独学で作陶し、今でもそこで、陶芸品を作り続けている。

 

この3年は、独自の手法で志野茶碗を1日に150椀ほどろくろで作り、窯で焼いては焼きあがった椀に茶を点(た)てて、飲み心地を確かめる毎日だそうだ。まだ自分の思い描いた納得のいく作品には出会えていないようだ。

 

 

焼いた志野茶碗は年間4000個にもなるが、辻村さんはそれらを砕いたりして、処分しない。すべて自分の山のいたるところに置いておく。そのように野ざらしすることにより風化して趣のあるものになるからだという。

 

辻村さんは陶芸だけでなく、油彩画や書も手がける。いずれも自己の内面から湧き上がる何ものかに突き動かされ、それを形に現すために手を動かして作る作品で、陶芸と本質は変わらない。

 

辻村さんは世界中に多くのコレクターを持ち、その作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館を始め多くの美術館に所蔵されている。

 

私は、このテレビを見るまで辻村史郎さんを存じ上げていなかったが、また一人興味深い日本人の存在を知り、朝から得をした気分になった。

 

2⃣ 午後、公民館のH卓球へ行く。公民館は冷房が十分に効いているので、自宅よりも快適である。他のメンバーも同じ考えか、参加者は10人と多かった。

 

数か月前から、Dさんと15分の休憩時間を利用して二人だけでみっちりとラリー他の練習をするようにしている。休みなしの連続なので少々疲れるが充足感は得られる。

 

3⃣夕方夕飯仕度をしていて、玉ねぎを半分に切る時、玉ねぎの外皮に包丁を滑らせて、左人差し指の爪の下にグサリと突き刺してしまった。幅1㎝深さ5㎜くらいの傷である。痛くは無かったが、切り口の中の肉が覗かれ、血がぼたぼたと流れ出た。

 

慌てて傷口を水道水で洗って、取り敢えず大き目のバンドエイドを傷の周りに貼り付ける。脳梗塞予防に抗凝血剤を常用しているので、出血が止まらないか心配したがそれはなかった。夜バンドエイドを剥がし、傷口に赤チンを塗って再度バンドエイドを貼って放置した。

 

 

3日後傷口は塞がり治った。人間の身体の再生能力も大したものだと感心する。

 

 

7月25日(月)(晴)

1⃣ 普段は目に付いたところの汚れのみを、掃除機をかけたり、拭いたりして横着しているので、今日は午前中に全室の掃除をした。居間のフローリングも雑巾がけしたので、掃除後は気持ちが良かった。その代わり大量の汗をかき、シャワーを浴びる。

 

2⃣ 午後は、会社に勤めていた頃の寮の仲間とのオンラインミーティングだ。メンバーは7人であるが、前回(4月)は、その内の一人が急に体調を崩して、6人での開催だった。今回は全員の元気な姿が画面に映し出され安心する。

 

毎回各人が近況を報告するのであるが、私のこの3ヶ月の近況は、4月に報告した内容と全く同じで、改めて変化のない生活をしているなと思う。

 

7人で雑談していると、時間の経つのは早いもので、Teamsの制限時間2時間はあっと言う間に過ぎ、話しの途中でTeamsが切れてしまった。この日Bさんが一昨年に検討し、コロナで延期になっている旅行の話ができなかったので、改めてメールで検討することとなった。

 

7月26日(火)(雨)

1⃣ 午前中に予約してある歯医者さんに行く。歯医者さんへは定期的に行って、歯垢除去、口内洗浄、口内チェック等の口腔ケアをしてもらっている。

 

この歯医者さん、診察前に受付で念入りなコロナ対策チェックをさせられる。(本人の発熱、身内の感染者、濃厚接触経験等)これらのヒアリングの後、洗面所でうがいをしてから診察を待つことになる。私の担当医は、太っちょの元院長先生で、優しく丁寧、説明も的確で、安心して治療を任せられる。

 

2⃣ 今日のテニスは雨で中止、午後S卓球へ行く。参加者8人。休憩時間にこのサークルのメンバーの名前(苗字)が、私を始め、珍しい人が多いと話題になる。そう言えば本日参加の8人の内7人の苗字は、私の人生で、このサークルに参加して始めて出会った苗字だった。

 

7月27日(水)(晴)

1⃣ 朝食後の薬を服用していて、薬が今週末で無くなることに気が付いた。かかり付け医は、明日が休みで、金曜日はリハビリの日なので、急遽今日の午後に診療を受けることにする。

 

午後の診療は14:30からだ。病院は近いので、少し早めの 13:30頃家を出て歩いて行く。空を見上げると夏の空だ。暑いが気持ち良い。街路樹には蝉が止まって鳴いていた。今年初めて聞く蝉の声。

 

 

 

診察では、前回(2か月前)採血した血液検査の結果説明(大きな病院では当日判明するが町医者なので、時間がかかる)で、腎機能値(クレアチニン)が若干適正値より高いが他の値は大丈夫とのことだった。

 

2⃣ 今日7月27日は、亡き母の29回目の命日だ。名古屋の父母の墓へは、コロナもあって、もう数年行っていない。名古屋の妹には墓参してもらっているが、親不孝の謗り(そしり)は免れない。

 

自宅の仏壇に仏花と果物を供えて供養する。今まで月命日の供養では、「天台声明音律研究会による般若心経」をCDで流して供養していたが、最近CD再生機の調子が悪く、うまく再生できない。仕方ないので、私の読経で代用した。

 

7月28日(木)(晴)

家事で洗濯をしたくらいで、特記事項はありません。

 

7月29日(金)(晴)

午前中、いつものように、3時間半リハビリセンターで存分に汗をかく。

 

脳梗塞の後遺症のフラツキはまだ完全に治っていない。テニスのサーブでトスを上げる時、フラッとする。ここでのリハビリで目に見えるような改善は無いが、毎回バランストレーニングをしているので、少しずつ良くなっているのかなとも思う。

 

リハビリセンターなので、この施設の利用者は、身体に病気や怪我で障害を抱え、そのリハビリのためにこの施設に通って来るのであるが、外見上は健常者と全く変わらない人も多い。金曜日午前中の利用者約40人の内3割くらいは、要介護区分の要支援1か2ではないかと思われる。

 

これらの人(私もその一人)は、施設内のトレーニングマシンを積極的に使用して体力作りに励んでいる。

 

残りは、明らかに障害が認められる人たちで、皆少しでも身体の不自由が解消できるように、一生懸命に努力している。その内の一人の方のリハビリ目標を、たまたま目にした。「普通に歩けるようになりたい」と書いてあった。

 

その方は右半身が不自由なようで、車いすを使わずに自力で歩けるが、健常者のような歩行姿勢がとれない。その人にとって「普通」が如何に大切で有難いことであるかが良く分かる。また右の手のひらがいつも握った状態だ。利き腕が右なら生活に不自由しているだろうなと推測する。

 

彼らの姿を見るにつけ、普通に歩けて、普通に生活できる自分が凄く恵まれていることを実感する。

 

7月30日(土)(晴)

午前中にスーパーへ一週間分の買い出しに行って、午後はH卓球。卓球終了後、SさんとMACでお茶する。Sさんは卓球をしばらく休んでいたので、久しぶりだ。

 

H卓球のラリーで一番上手なRさんが話題となる。女性ながら男性の強烈な球を難なく返し、それ以上の速球が返ってくる。彼女はバウンドテニスもやっているので、腕力もありそうだ。動きも活発で、プレイも若々しいので、10~20才は若く見える。

 

彼女はこれまで、お産以外は入院したことが無いと言っていた。病気もせずに極めてタフなスーパーウーマンだ。Sさんと二人で「凄い人だね。」と言って感心して肯き合った。

 

Sさんから、彼が所属している水曜日のテニスサークルのメンバーが少ないので、加入しないかと誘われる。時間は朝8:30から、朝が早いので躊躇する。数年前はテニスを週4~5回していたが、4月以降、現在テニスは週一回しかしていない。水曜日は、予定が入っておらず、休養日としてダラダラ過ごすことが多いので、生活を改善する為にも参加してもいいかなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七月の三題

7月に入って、元総理の銃撃事件、参議院選挙与党圧勝と大きな出来事が連なり、マスコミを賑わした。

 

コロナの第7波が急拡大し感染者数は第6波のピークを越え、これまでの最高となった。(7月21日現在 全国18万人以上、東京3万人以上)それでも政府は重症者数が少ないという理由で、行動制限の指針は出していない。その為か感染拡大にもかかわらず、街や行楽地の人出は、去年に比べ相当増えているようだ。 

 

天候は6月の猛暑のような極端な暑い日は少なくなったが、中旬は梅雨に戻ったような雨や曇りの日が続いた。

 

ラジオのあるコーナーでは、6月猛暑期間中に梅雨明け宣言が出されたが、実はその時点ではまだ梅雨は明けておらず、特異な梅雨の中休みだったとも考えられると言っていた。最近、九州方面に線状降水帯が発生し、大雨をもたらしているが、例年の梅雨末期の現象と捉えた方が得心できる。

 

 

今回は、全く関連性の無い三つのお題を並べてみました。

 

 

1. 胃腸が弱い

子どものころから胃腸がタフではない。夏の時期、冷たい物と油ものを同時に食べるとお腹が痛くなって下痢をした。大人になってからも冷たいビールとてんぷらを同時に飲食したり、冷たい牛乳を飲んだりすると、お腹の具合がよろしくない。

 

最近寝る前に、以前にもブログに書いたことのある「ワカコ酒」という番組をよくみている。番組の中で、ワカコさんが、キンキンに冷えた生ビールジョッキを左手に持ち、揚げたての唐揚げを右手の箸でつまみ、「ビール」「唐揚げ」ビール」「唐揚げ」と言いながら、交互に飲み食いしていた。(それほど旨かったようだ。)

 

彼女は演技とは言え、いかにも美味しそうに飲み食いするので、こちらも思わず生唾を飲み込んでしまう。と同時に私がそれをやると、お腹が痛くなるのだろうなと思い、胃腸が丈夫そうな彼女が羨ましかった。

 

19日、10:30からテニスをした。この日は猛暑ではなかったが、蒸し暑く汗をいっぱいかいた。帰宅してシャワーを浴びてから、ブドウパンを食べながら牛乳を温めて飲んだ。一杯にしておけばよかったのに、パックがあと一杯で空になるのでもう一杯飲んだ。

 

テニスでスポーツドリンクを1リットル近く飲んだこともあってか、お腹の中がゴロゴロし始める。15:00から卓球で又スポーツドリンクを500㏄飲む。

 

帰宅してからも、全然食欲が無い。夕食は、枝豆、ゆで玉子、里芋煮など油の無いものばかりを少量食べて終わりとする。晩酌も中止。

 

翌日、朝は毎日メカブ入りの納豆を食べているのだが、メカブの消化が悪そうなので、メカブは抜いて薬味のネギと鰹節だけにした。食事を前夜から節制したお陰か、夕食時には食欲も元に戻り、晩酌も再開する。但し、冷たいビールや酎ハイは止めて清酒の冷(常温)とする。

 

 

2. かたつむり(でんでんむし)

 

          写真ACより     か~るさんの作品

 

先週のリハビリ言語トレーニングで、童謡・唱歌「かたつむり(でんでんむし)」の歌詞の一語一語の後に、「同じ母音のら行音」を一字づつ入れた下記の文を読むよう言われた。

 

     でれんでれんむるしりむるしり

     からたらつるむるり

     おろまらえれのろ あらたらまらわら

     どろころにりあらる

     つるのろだらせれ

     やらりりだらせれ

     あらたらまらだらせれ

 

     でれんでれんむるしりむるしり

     からたらつるむるり

     おろまらえれのろ めれだらまらわら

     どろころにりあらる

     つるのろだらせれ

     やらりりだらせれ

     めれだらまらだらせれ

 

ゆっくり読めば簡単かと思ったが、豈図(あにはか)らんや、いざ読んでみるとツッカエツッカエしたり、誤読となって難しい。先生の話によると、昔子供のころ遊びで歌っていたと言う。

 

レーニング時間中には全く上手く読めなかったので、文をコピーしてもらって家で練習することにした。

 

暗記した方が早いと考え、夕飯仕度時とか朝食準備中にプリントを台所のシンクの前に置いて、口ずさむ。

 

「からたらつるむるり」が「からたらつるりむし」になったり、「あらたらまらわら」が「あらたまわらわら」になったり、「どろころにりあらる」が「どろころりにあらる」になったりして、何度も何度も間違える。

 

そして、自宅では、ある程度の速さで、間違えずに、歌えるようになった。今週のレッスン時に先生の前で練習成果を披露した。家ではできたのに、先生の前ではやたらとつっかえたり間違えたりして、練習前の先週と同じだった。本番に弱い性格が出て、何とも情なかった。

 

 

3. 朝乃山

大相撲朝乃山は、昨年夏場所中に日本相撲協会が定める「新型コロナウィルス対策」のガイドライン(不要不急の外出禁止)に違反していたことが週刊誌に報じられ、、協会の調べに対して、そのまま認めればよかったものを「事実無根」とウソをつき、それがバレて、6場所出場停止という非常に重い懲戒処分を受けた。番付も大関から三段目まで陥落してしまった。

 

私は朝乃山を大の贔屓(ひいき)にしていたので、この事件は非常に残念で胸が痛んだ。そして朝乃山は相撲を止めてしまうのではないかと心配した。

 

事実、不祥事発覚後には朝乃山は協会へ引退届を提出し、今でも協会預かりになっているという。その後、処分が決まった昨年の6月には祖父が亡くなり、謹慎処分中の8月には朝乃山の一番の理解者で精神的な支えであった父親が急逝するという不幸が続く。

 

特に父親の突然の死は、朝乃山にとっては、非常にショックだったはずで、心機一転を図り復帰の土俵を目指すために、四股名(しこな)を「朝乃山英樹」から「朝乃山広暉」に改名した。高校時代の恩師からもらった「英樹」で大関まで昇進したが、不祥事でその名を汚してしまったので、父親が付けてくれた本名の「広暉」に戻した。父の死を乗り越えて稽古に励み、再び大関に返り咲くことを決意したのである。  

 

そして今年の名古屋場所、晴れて6場所出場停止処分が明けて、7月11日の二日目から西三段目22枚目の番付で本場所に復帰した。元大関なので勝って当たり前というプレッシャーの中、7番を順調に勝ち進み、(幕下以下の取組は7番)7月22日の13日目に全勝で三段目優勝を果たした。

 

私は生放送で彼の取組を見たかったが、NHK-BS1の放送は13:00からで、三段目は終わっていてテレビで生観戦することはできなかった。

 

後日ネット動画で全取り組みを見たが、やはりこのクラスでは格の違いが際立ち、朝乃山得意の右四つ左上手からの寄りで、危なげなく勝負を決めたものが多い。

 

13日目の幕内の実況放送を見ていたら、取組の合間に、この日優勝が決まった幕下力士の優勝インタビューがされていた。慌てて録画モードにすると、次に三段目朝乃山のインタビューが始まった。

 

 

 

内容は、「初日は固くなったが、その後一番一番と自分の相撲がとれるようになった。一年振りの土俵だったので、緊張感を持って相撲を取れたと思う。また観客の皆様から温かい拍手を頂き、すごく嬉しかった。」と話し、アナウンサーの「この一年どういう気持ちで過ごしてきたか」の問いに対しては「自分が何故大相撲に入ったのか考えて一年過ごしてきた。」と答える。

 

来場所以降については、「相撲を取れる喜びを忘れず、一番一番自分の相撲を取り切り、応援してくれる皆様には感謝の気持ちを忘れず信用してもらえるような力士を目指したい。」と抱負を述べた。是非そうなってほしい。

 

大関時代の朝乃山は、取組で土俵に入場する際、花道の入り口でルーティン作業があった。気合を入れるために、自分は両ひざに手をついてかがみ、付け人に背中を思い切りパッパパーンと三回叩いてもらうのだ。叩いた手の跡が天使の羽根のように見えたという。天使の羽根を付けて花道を入場する姿を又見たいものだ。

 

 

 

 

幕内に復帰し、大関横綱を目指してもらいたい。

 

 

 

 

海の思い出

明日の7月18日は海の日だ。子供のころからどちらかというと、海よりも山に憧れ、行ったりすることが多かったが、海も決して嫌いではない。

 

    写真ACより     はしぞうはしぞうさんの作品

 

前方全面が海の場合、水平線がほんのわずかに丸みを帯びているのを見ると、「あ~地球は丸いのだな~」と実感でき感動する。広く大きな大海原を見ていると、こせこせとした日常生活の些末のことは忘れ、気が大きくなる。

 

誰もいない波打ち際に座って.寄せては帰す波の様子を、ただぼんやりと眺めているのが好きだ。遠くに浮かぶ貨物船「どこへ行くのだろう?」と想像するのも楽しい。

 

「海」に纏(まつ)わる思い浮かぶことを、思いつくままに綴ってみました。

 

1. 知多の海

子ども時代は名古屋に住んでいたので、海と言えば、名古屋に近く交通の便も良い知多の海へは、遠足、海水浴とよく行っていた。  

 

1⃣ 聚楽園の海

名鉄聚楽園(しゅうらくえん)駅」は線路の山側はみかんの丘で、隣に大仏様が鎮座している。その反対側は、今は埋め立てられているが、私が小学校の頃は、潮干狩りもできる遠浅の海岸だったと思う。

 

その聚楽園へ小学校3年生の春に遠足に行った。目の前の伊勢湾の右奥は名古屋港なので、沖には沢山の大型貨物船が往来していた。

 

その時母が作ってくれたお弁当の、夏ミカン程もある大きなおにぎりの味が格別に美味しかった。今でも大きなおにぎりを見ると、当時のあの味が思い出され懐かしくなる。

 

2⃣ 内海海岸

私が子供のころ、この内海海岸は、中京地区で最も人気の海水浴場だった。盛夏のころは、芋を洗うような混雑と新聞紙面を賑わせていた。内海海岸へは小学生の時に海水浴に数回行ったが、白砂で遠浅の海水浴場は子供にも泳ぎやすく楽しく遊んだ。

 

3⃣ 師崎(もろさき)

知多半島先端の漁港の町だ。この辺りの道路から見える三河湾、伊勢湾の景色が良い。仕事で知多市半田市の会社に長期出張していたので、休みの日には、この辺りをドライブで良く訪れた。漁師さんが経営している食堂では、新鮮な魚介類をたらふく食べることができた。

 

2. 外洋の海

1⃣ 熊野灘

大学1年の夏休み、友人からツェールト(簡易テント)を借りて、紀伊半島を左回りに一周した。その時三重県南部の熊野市駅で途中下車して、歩いて直ぐの熊野灘に向かい黒い小石の浜で泳いだ。

 

太平洋から直接寄せる波の高さは1m以上あったと思う。波打ち際から数m行っただけで足がつかなくなる。私は泳ぎが得意でもないので、その辺りで10~20分水に浸かっただけで、小石の浜に戻った。護岸堤防にはペンキで「遊泳禁止」と書いてあった。

 

若かったとはいえ、今考えると無謀なことをしたものだ。最近テレビで水難事故の特集をやっていて、「離岸流」が紹介されていた。「離岸流」は遠浅の海水浴場でも発生し、その流れにのまれると、泳ぎの上手い人でも沖にながされてしまい、岸に戻るのは難しいらしい。

 

私はこの時、遭難してもおかしくなく、何もなかったのは運が良かったと思うべきだろう。

 

2⃣ 石川県小松の日本海

大学3年の夏休み、富山県宇奈月温泉での合宿に友人と二人で向かった。北陸線小舞子」で途中下車して、日本海で泳いだ。岸に戻ると財布など貴重品の入った私のカバンが、何者かに盗まれた。

この件の顛末は、本ブログ(2021年7月13日アップ「古いアルバム」)に記載しています。

 

3⃣ 式根島伊豆七島

会社に入って数年後の夏に寮の仲間と式根島に行った。泳いだり海中温泉に浸かったり、宿で美味しい物を食べたであろうが、あまり覚えていない。

 

帰りの船では、日中ずっと竹芝桟橋までデッキで海を見ていたので、真っ黒黒に日に焼けた。その顔で会社へ行くと、当時話題となっていた公害物質に準え(なぞらえ)て、「チクロ」の名前が私にあだ名として付けられた。

 

 

3. 四国の海

四国へは、へんろで歩いて二回りしたので、四国の太平洋、土佐湾宇和海、瀬戸内海(伊予灘、燧灘、播磨灘)の海は存分に眺めさせてもらった。

 

中でも印象に残る海の絶景は、

高知県土佐市から須崎市に至る横浪スカイライン(標高100m位に敷設されている)からの土佐湾の眺め

しまなみ海道の橋梁の上からの瀬戸内海の眺め

高松市82番根来寺(ねごろじ)から鬼無(きなし)へ下る県道からの瀬戸内海の眺め

である。

 

 

4. 日の出の海

1⃣ 千葉九十九里浜

家族で海水浴に行き、朝、日の出を見に行こうと子供たちを誘ったが、眠っていた方が良いらしく彼らは起きてこない。仕方なく一人で海岸へ行った。

 

日の出の時刻になったが、水平線上には雲がかかっていて、水平線から登る太陽は見ることができなかった。

 

2⃣ 伊豆高原

やはり家族旅行で、年末から正月にかけて伊豆方面に旅行した。元旦の朝、初日の出を見に子供たちを誘ったが、又も初日の出より布団の中の方が良いと断られる。

 

初日の出の30分ほど前に、日の出見物場所の断崖の上に到着。既に数十人が寒さの中、初日の出を待っていた。ここも、東の方角は海の上に雲が漂い、結局太陽は水平線ではなく、雲の上から出てきた。

 

3⃣ 熊野灘

初回へんろの結願後、高野山熊野大社を巡って、熊野市に宿を取った。ここは学生時代に泳いだ海岸の近くで、宿に荷を預けてその海岸に行ってみた。黒い小石を踏みしめると、何十年も前のことがついこの前のように蘇った。

 

翌朝、空が白み始めた頃、日の出を見にこの海岸へ行く。この日は11月27日、日の出は6:50だ。30分程前から東の水平線を注視する。

 

水平線のほぼ中央が赤み始めた。徐々に空が紅色を帯びてくる。水平線の一部に雲があったので、又雲の上からの日の出かと思ったら、何と水平線から直接太陽が出てくるではないか。空が真っ赤に燃え、海も波間に太陽からの黄金色の光線を映し出している。地球、宇宙の営みに感動し厳かな気分になり、太陽に手を合わせた。

 

5. 夕陽の海

1⃣ 新潟県上越市柿崎海岸

4年前の秋、車で会津方面の紅葉を見に行った。その後日本海側に出て、上越市柿崎に宿をとる。15:30 宿の裏手にある日本海を見に行く。海岸には6~7人の釣り人が、竿を投げていた。何を狙っているか訊いて見ると「ワラサ(成長するとブリになる60~80㎝の魚)」という。

 

 

浜辺に座ってぼんやりと海を眺める。私はこうして、波の満ち引きの音を聞きながら、何も考えずにぼーっとしているのが好きだ。母の胎内にいるようで、心が安らぐ。地球の生命は海の中で始まっているので、波の音は生き物のDNAに刷り込まれているのだろう。

 

日本海に沈む夕日を見たかったが、この日の日の入り時刻16:59になっても雲が多く、夕日をみることはできなかった。

 

2⃣ 東尋坊

30年以上前、福井県三国町の会社に長期出張していた。宿泊地は東尋坊のすぐ近くで、仕事が早く終わった時には、東尋坊へ行って断崖の上から日本海を眺めていた。日本海に沈む夕日も何度も見ることができた。

 

陽が落ちるにしたがって、太陽の大きさがだんだんと大きく見えるようになる。真っ赤に染まった空と海の中を静かに沈でいく太陽はそれはそれは荘厳で美しく、日の出と同じように自然と手を合わせたくなる。

 

 

6. 車窓からの海

列車の車窓から見える海で印象に残っているものはというと、私の乗車経験では

東海道在来線の小田原~熱海間

常磐線勿来(なこそ)近辺

仙石線松島近辺

・旧北陸本線えちごトキめき鉄道)の親不知(おやしらず)近辺

羽越本線の村上~鶴岡間

が思い浮かぶが、ここでは、20年程前の1月中旬に「青春18きっぷ」を使って東北地方を旅した時に利用した「五能線」からの冬の日本海の眺めについて記す。

 

五能線青森県五所川原秋田県東能代を海岸線で結ぶJRのローカル線であるが、山側の白神山地世界遺産に登録されてから、JRも観光に力を入れて観光列車(リゾートしらかみ)を走らせている。

 

私が訪れた時は、まだ世界遺産登録前でしかも厳冬期であったため、観光客はは全くいなかった。

 

鯵ヶ沢で途中下車して町をぶらり、魚市場内の食堂で海鮮ランチを食べて、能代方面行の2両連結ディーゼルに乗り込む。座席は4人のボックス席、乗客は地元の人が数人。列車は小雪の舞い散る中、ゴーっという音とともに動き始めた。

 

しばらく鯵ヶ沢の平地を走って、次の陸奥赤石からは、右手に日本海が現れ、以降五能線秋田県の八森まで約2時間海岸に沿って走る。岩の畳を敷いたような千畳敷日本海の荒波が打ち寄せ、泡状の波の花ができている。

 

列車は轟木(とどろき)と言う無人駅に停車した。この駅は映画「男はつらいよ第7作奮闘編」のロケでも登場し、映画では日本海からの風雪に晒された侘しい駅として描かれていたが、実際の駅もまさにその通りの佇まい(たたずまい)であった。

 

深浦を過ぎて、線路はさらに海岸線に近づく。冬の荒れる日本海を右に見ながら列車は進む。演歌の世界だ。

 

日本海は厚い雪雲に覆われている。この時、雲の隙間からレーザーのような七色の光の束が差し込み、海を貫いた。その後、光の束は2本3本と増えた。それは、雲の上から神様がその光に沿って降りてくるのでは(天孫降臨)と思われるような幻想的な光景だった。

 

その後も車窓からの日本海の風景を楽しんだが、東能代に着いた時は、日も暮れ、その日の宿、秋田までの奥羽本線の車窓からは何も見えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

へんろ日記 15

6月12日にアップした「へんろ日記 14」の続きです。

 

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12月3日(日)(晴)(2017年/平成29年)

<42日目 高松市国分寺町高松市栗林町>

 

6:25 S旅館出発  国分寺の集落の外れで、朝の散歩をしていたオジサンから、飴の接待を受けた。集落を抜けるとかなり急な勾配の登山道となる。

 

7:45 登り切った所は、この辺りの山間部を縫うように敷設された車道となっている。近くには、自衛隊の演習場があり、自衛隊ジープ車両が10台ほど連ねて走って行った。

 

8:00 車道から白峯寺へ向かうへんろ道(山道)に入る。

 

8:25 81番札所 白峯寺 早い時間なのに既に10名程が参拝していた。今日は日曜日ということで、紅葉見物も兼ねて車で参拝に来ているのだろう。

 

9:50 一時間程へんろ道を歩いて、再び車道に出る。車道をしばらく行くと、根香寺(ねごろじ)へ下るへんろ道(山道)がある。ルートとしてはへんろ道を往復することになるので、車道脇のミカン園ゲートの横にザックを置いて、サンヤ袋のみで根香寺へ向かう。

 

10:10 82番札所 根香寺(ねごろじ) このお寺も境内の紅葉が丁度見ごろで美しかった。このお寺の本堂には、33,300体の仏像が祀られている。

 

 

10:40 ザックを置いた車道に戻る。学生時代の夏休みに、石川県小松の海岸で、旅行カバンを浜辺に置いて泳いでいて、カバンを盗まれたことを思い出し心配したが、ザックは無事だった。

 

11:00 この車道は、高松市西の山間部、標高400m位の所に敷設されているので、スカイラインのように景観が良い。このへんろ旅でもベスト3に入る絶景ルートだ。紅葉の山の下には、遥か瀬戸内海の島々や行き交う船が見える。

 

 

12:00 車道から麓の鬼無(きなし)の集落に下る。鬼無は盆栽の町で、道路の両側に盆栽を育てている農家が続く。

 

12:15 鬼無Yうどんや屋 冷のぶっかけうどんかき揚げ、ごぼ天を注文。観音寺のうどん屋さんと違って、ここのつゆは丁度良い味で麺も程よいかたさで、とても美味しかった。

 

14:00 高松自動車道の高架を潜(くぐ)り、高松市南部の住宅地を進んで、83番札所一宮寺に到着。前回来た時は誰も居なかったが、このお寺も日曜日のせいか参拝者がちらほらと見受けられた。

 

15:40 一宮寺からは高松市の中心部に向けて、交通量の多い車道(歩道がないところが多い)を北進する。次第に街並みが都会らしくなって、栗林公園東側のビジネスホテルRに到着。

 

17:00 こんな街中であるが、ホテルの近くには適当な食事処が見付からず、ファミレスにする。係りの女性は東南アジアの学生アルバイトだそうで、日本語も普通に理解できた。オムライス、ポタージュスープ、ホウレンソウベーコン、ビールを注文する。

 

 

42日目の歩数   56,500歩       歩行距離 36.7 ㎞

 

 

12月4日(月)(曇/雨)

<43日目 高松市→さぬき市長尾>

 

5:35 ビジネスホテルR 出発 朝食をキャンセルして早朝出発する。国道11号のよく整備された歩道を快適に東進する。ここまでいくつかの歩道を歩いてきたが、この歩道は広くて歩きやすく、四国で一番快適な歩道だ。

 

夜が明け始め、目の前に、これから登る特徴的な一目で分かる屋島の全容が姿を現した。

 

 

 

7:20 11号から屋島寺への入り口を見過ごしてしまい、600m程国道の北側道路を引き返す。屋島寺への参道は山の斜面をジグザグに登る舗装された山道だ。前回は比較的に楽に登れたが、今回は結構キツク感じた。

 

8:05 84番札所 屋島寺 狸の石像の夫婦が迎えてくれる。広い境内は、参拝者が一人も居らず清々しくて気持ち良い。

 

 

 

屋島寺から壇ノ浦※へ下る急な坂道は、足場もガレていて崩れやすく。三年前はへんろ旅一番の下り坂の難所と思ったが、今回はそれほどでもないと感じた。同じ場所でもその時の体調とか気分とかで、随分と印象が違うのに驚く。

 

屋島源平合戦で、那須与一が小船の扇を射止めた故事に縁(ゆかり)の場所であるが、平家が滅亡した山口県の壇ノ浦と同名の地名が、屋島にもある。

 

9:40 八栗ケーブル山口駅 ここから、ケーブルの横に平行に作られた急な車道を登る。車道ではあるが、車がエンストしまうのではと思われるくらいの一直線の急勾配だ。

 

10:05 85番札所 八栗寺(やくりじ) 屋島寺同様山の上にあるお寺で、山門近くから麓が見晴らせる。

 

八栗寺から、JR高徳線讃岐牟礼駅/琴電志度線、八栗新道駅に通じる道路(県道145号)を下る。下り一方の楽な道だ。

 

途中、琴電の駅まで歩き、電車で高松市内の嫁いだ娘さんに会いに行くというオバサンと一緒になる。駅まで話しながら歩いた。娘さんは二人目の赤ちゃんをお腹に宿し、悪阻(つわり)がひどく、家事が大変なので手伝いに行くと言っていた。人が良く面倒見の良さそうなオバサンだった

 

11:00 うどん屋 ここは香川県うどん屋としては、珍しくセルフ式ではない普通のうどん屋さんだ。温ぶっかけ、玉子、コロッケを注文。味は悪くはないが、昨日の鬼無のうどん屋さんには及ばなかった。

 

11:50 志度(しど) 平賀源内記念館 平賀源内の生家が記念館になっている。入ろうと思ったら、休館だ。今日だけでなくずっと休館している雰囲気だった。雨がパラツキ始める。

 

 

12:10 86番札所 志度寺 どっしりとした重厚で趣のあるお寺だ。五重塔もある。

 



 

 

12:50 志度から長尾に向かって歩いていると、高齢のお爺さんに呼び止められる。なんでも、このお爺さん、今迄に四国を130回回っている(歩きは3回)という。16才から回り始め、今90才だそうだ。恐れ入った。 

 

13:20 雨が本降りになって来たので、上衣を雨対応の衣装に替える。

 

14:25 87番札所 長尾寺 小学校の運動場のような広い境内の楠の木の下でしばらく雨宿りをして、本日の宿 A旅館に向かう。宿に予約の電話を入れた時、宿のオーナーお婆ちゃんから、15:30まで留守にするので、それ以降に来て欲しいと言われていた。

 

15:00 A旅館着。30分早いが、玄関は開いていて、入館しても良いと言われ、外で待たずに済んだ。

 

本日の宿泊者は、私を入れて5人、私が一番到着だったので、風呂、洗濯も一番にできた。

 

同宿者は、愛知県岡崎の区切り打ちの女性二人連れと、姫路の車へんろ夫婦だ。夕食時五人で談話する。いよいよ明日は結願の日であるので、宿のお婆ちゃんから、「へんろ交流サロン」での「完歩証明」のもらい方、88番結願寺での心構え等を教えてもらう。

 

この宿は二回目とお婆ちゃんに言ったせいか、お婆ちゃんは私に対して好意的で、お酒も多めにくれ、宿賃を払うと、500円接待してくれた。

 

 

43日目の歩数  53,500 歩    歩行距離 34.8 ㎞

 

 

12月5日(火)(曇→雪)

<44日目 結願 さぬき市長尾→東かがわ市白鳥町>

 

2:30 起床 いよいよ今日は結願の日だ。 最後の88番まで無事に参拝できるように、ルートの再確認を行う。(初回とは違ったルートとしたため)

 

6:30 朝食 宿のお婆ちゃんが、結願の前祝として二つ黄身玉子と丸餅みそ汁を出してくれた。

 

6:50 出発 鴨部川 に沿った県道を南進する。30分程歩いたところで、昨夜同宿した姫路の夫婦が乗った車が、歩きの私を激励するようにクラクションを鳴らしながら追い抜いて行った。

 

8:00 前山へんろ交流サロン ダム湖の畔に「へんろ交流サロン」がある。ここには四国遍路の模型や写真が飾ってあって、歩きへんろに対しては、自己申告ではあるが、1200㎞を完歩したという証明書を発行してくれる。

 

 

これは、「完歩証明」であるとともに、「へんろ大使任命書」でもある。

記載文は 

「貴方は四国八十八ヶ所歩き遍路約1200㎞を完歩され、四国の自然、文化、人との触れ合いを体験されたので、これを証すると共に、四国遍路文化を多くの人に広める遍路大使に任命致します。」と書かれている。

 

完歩証明は貰ったものの、まだ結願は済んでおらず、これから女体山の岩山登山も控えているので、気を引き締めてサロンを後にした。

 

9:30 太郎兵衛館 ここまでは車の通れる道だが、ここから登山道になる。雪が降り始めた。

 

10:30 女体山 女体山の登りは急で、特に山頂直下は、岩場になっており、このへんろ旅で始めて両手を使い三点確保して登った。頂上は風強く 小雪も舞って寒い。岩に溜まった水は凍っていた。見晴らしは抜群だった。

 

 

11:12 88番札所 大窪寺 女体山の急な山道を下るとそこが大窪寺の境内だった。前回は、大窪寺の山門を遠くに見ながら徐々に近づき、山門に入った時は、それまでのへんろ旅が一気に思い出され、胸が熱くなったものだ、

 

今回は二回目と言うこともあって、感動の度合いも控えめであった。 それでも、結願の喜びは大きく、達成感も一入(ひとしお)だ。

 

前回は紅葉の季節で、ここは紅葉の名所らしく、境内は観光客でごった返していたが、今回は天候も雪混じりのせいか、観光客は見当たらず、参拝客が数人いただけで、小雪の境内は静まり返り、別の寺へ来たようだった。

 

一応結願したので、ここでへんろ旅を終了しても良いのだが、私は四国を完全に一周したいので、一番霊山寺まで戻る予定である。それにはもう一泊して、明日大阪峠、卯辰峠と二つの峠を越えて一番に至るルートを選択した。まだ気は抜けない。

 

11:35  門前のうどん屋で昼食とする。 ここもセルフ式ではなく、普通のうどん屋さん、つゆの味が薄かった。店を出る時から、雪が本降りとなる。

 

12:40  風もでてきて吹雪のようになる。 雪は乾いているので、コンクリの道路に叩きつけられた雪は白い粒となって、一面に舞っている。

 

吹雪の中を、スゲ笠を冠って一人行く姿は、まさに北島三郎の「風雪流れ旅」の世界だ。

 

13:20  境目バス停  やっと雪は小降りになった。 右へ行くと10番切幡寺方面だ。

 

14:20   白鳥温泉着 民営の築40年位の古い温泉付き宿泊施設だが、地元自治体からも資金援助さ れているようだ。

 

自分への結願祝いは、明日までお預けとする。

 

ここも、エアコンの暖房の効きが悪く、寒い夜を過ごした。

 

 

44日目の歩数  42,000 歩    歩行距離 27.3 ㎞

 

 

            ー続く(非定期)ー

 

へんろ旅は、1番から88番まで参拝し終えたのですが、旅はこの後、1番霊山寺へのお礼参り、高野山へのお礼参り、奈良、南紀の旅と続きますので、帰宅までこの連載を続けます。

猛暑お見舞い申し上げます!

「暑中見舞い」は本来、二十四節気小暑(7月7日頃)から立秋(8月7日頃)の前日までに出すものらしく、まだ「暑中見舞い」の時期ではありませんが、今年のこの暑さの中、皆様如何がお過ごしかと、ご機嫌伺い方々、猛暑お見舞い申し上げます! 

 

       写真ACより   skyhigh  ring  さんの作品

 

さて、

You might on my head today’s hot fish  

どういう意味か分かりますか? これは、高校時代、友人が夏休み前に教えてくれたフレーズだ。今でも夏の暑い日になると思い出し、口ずさんでいる。

 

何のことは無い、英語でもなんでもなくって、ただの言葉遊びなのだ。

「言うまいと 思えど 今日の 暑さかな」が正解。

 

関東地方は6月27日に梅雨が明けてしまった。梅雨入りは6月6日なので梅雨の期間は22日と短く、6月中の梅雨明けも珍しい。

 

梅雨明け発表の2日前の6月25日(土)から、関東地方は猛暑となり35℃以上の猛暑日が続いている。6月からのこの猛暑、本当に日本列島の気候はどうなってしまったのだろうか?地球温暖化のせいなのか?漠然とした不安が顕在化しつつあるように思える。

 

2年前の2020年8月28日にも「猛暑日」と題してこのブログにアップしている。この時は、8月のお盆の頃から、猛暑日が多発するようになったと書いてある。今年はまだ7月になったばかりではあるが、2年前よりも暑い夏になるような気がする。

 

この時も書いたが、昔の真夏日(30℃以上)の言葉から受ける感覚は、今の猛暑日(35℃以上)に相当していたと思う。今の感覚では、猛暑日というと40℃以上が妥当と思われる。感覚的には、昔にに比べ夏の気温は5℃程上昇しているようだ。

 

これだけ暑くなると、天気が良くても、外出をしたいという気分にはならない。テレビでもしきりに熱中症対策として、不要不急の外出は避けて、エアコンの効いた部屋で過ごすよう呼び掛けている。

 

6月28日(火) 猛暑日のこの日、天気予報では、真っ赤のマーク(屋外運動禁止)が出ていたが、テニスの練習会に参加した。熱中症にでもなったら、「あのバカが、何を考えてるんだ」とバカチョンに非難されるに決まっているので、水分を小まめにとりながらプレイした。

 

この日の参加者は5名で、ダブルスの試合(4名)をすると、休める人数は一人しかいない。4回プレイして一回の休みとなる。私は1番のクジを引いたので、1回戦から4回戦まで連続出場となってしまった。

 

この日は風も無く、暑さが堪えた。3回戦が終わったところで、全員で休憩して一息ついて、何とか最後まで続けることができたがバテた。猛暑日のテニスは、これまでも毎年行ってきたが、やはり加齢により体力は落ちているのだろう。

 

いったん帰宅してシャワーを浴びて、S卓球サークルに参加する。卓球は冷房の効いた屋内なので、テニスに比べると天国のようだ。いつものメンバーとプレイし、みんなで練習試合をして楽しんだ。

 

一日に二つ参加すると、夕飯仕度の時間が無くなり、スーパーに寄って刺身や総菜を買ったり、残り物で、夕食は簡単なもので済ます。

 

 

6月29日、30日 二日とも終日家で過ごす。2年前のコロナが流行り始めた頃、緊急事態宣言等で、テニス、卓球が全くできなくなったので、室内でストレッチやYouTubeの動画を見ながらのサーキットトレーニングを自主トレでやっていた。

 

今も屋外での運動ができない時は、2年前のようにすれば良いのだが、ついサボってしまう。

 

 

7月1日(金) いつものように、午前中の3.5時間、リハビリセンターでみっちり汗を流す。二日間運動をしていなかったので、身体を動かすことが心地よい。ストレッチ/下肢トレーニングの先生から、新しいメニューを教えてもらう。難しい。

 

やはり猛暑日であっても、室内でじっとしているより、運動して汗をかいたほうがずっと気持ち良い。

 

 

7月2日(土) 午前中にスーパーへ買い出しに行く。買い物の前に店外に設置してあるペットボトル回収機に向かう。中年の男性がボトルのキャップを一本づつ外しながら回収機に入れていた。キャップを外しながらの投入は時間がかかり後続の人に迷惑なのでしないようにと注意書きが貼ってある。

 

「ま~、しょうがないか」と待つことにする。彼のボトル投入を見ていたら、ラベルを剥がさずそのまま入れていた。投入機には店の人が「最近故障が頻発しています。必ずボトルの中身を良く洗い、ラベルは剥がして投入するようお願いします」と書いた注意書きが貼ってある。ラベルが付いたままだと、投入機の故障にもつながり、その後のリサイクル作業にも支障をきたすのだろう。

 

このまま見逃すか、一言注意した方がいいのかなと迷った挙句、「あの~ ラベルを付けたままでは、まずいのではないですか」と言ってみた。彼は聞こえなかったのか、聞こえても無視してラベル付きボトルの投入を続け、去って行った。この様子だとボトルの洗浄もしていないのではないかと疑われた。

 

さらに注意して逆切れされ、暴力でも振るわれてもバカらしいが、「社会のルールは守ろうよ」との思いが募った。

 

スーパーは、土曜日がポイント3倍の日で、いつもかなり混雑しているのだが、今日は空いていた。猛暑で客足が落ちているのかもしれない。

 

 

自治会地区長の仕事の一つに「掲示板へのポスター貼り」がある。掲示板は我が家の近くにあるが、自治会の仕事をしていなかった時は、じっくり見たことは無かった。

 

この日の午後、新しいポスターを貼りに行く。雨除けの透明ビニールシートを掲示板の後ろへ回し(これが結構重い)、新しいポスターのレイアウトを考える。空いている場所だけでは、全部貼れない。古いポスターも一度外して、並び変える。我ながら綺麗なレイアウトになった。

 

ビニールシートを元に戻して固定して作業を終える。現金なもので、自分が貼ったので多の人に見てもらいたいと思う。40分程であったが、炎天下の昼下がり一番暑い時間帯での作業だったので、体中から汗が吹き出し、帰って急いでシャワーを浴びた。

 

今日は自治会館へ回覧物を取りに行く日だ。夕方18時に行って、私の地区の分をもらってくる。帰宅して各班(2,3,4,6班)の分を仕分けして、班長さん用のメモを貼付して袋詰めする。

 

いつもは日曜日の午前中に各班長さん宅へ配布しているのだが、明日も暑そうなので、今日中に配ることにした。黄昏時の19時過ぎ町内を回った。

 

班長さんと顔を合わせることなく、郵便受けへ入れるだけなので、久しぶりにマスクを外して歩いた。途中すれ違った歩行者は全員マスクをしていた。マスクが無いと開放的となり気分が良いが、日本で定着するのは、まだ当分先のことに思える。

  

 

 

 

水無月半ば

当地は6月6日に梅雨に入り、以降梅雨らしく雨や曇で日照時間の短い日が続いていた。梅雨入りの頃は、4月頃の気温で寒いくらいであった。

 

 

それが今週になって気温は上昇し、30℃以上の真夏日となった。昨日の土曜日などは朝から晴れ渡って、梅雨が明けたのではと思うような天候で、気温もうなぎ上りに上昇し35℃の猛暑日となった。北関東の伊勢崎では40℃以上を記録している。急な猛暑の到来で、身体も戸惑い勝ちだ。これから迎える真夏の暑さが思いやられる。

 

ウクライナ情勢は、ロシアがウクライナに侵攻して、4ヶ月が過ぎた。ロシアはウクライナの東部、南部でロシア軍が実行支配を目指して攻撃を続けている。ウクライナ軍は、欧米から供与された武器での反撃を、試みようとしているが、現在はロシア軍が優勢のようだ。

 

ロシア経済は、欧米から制裁を受けてはいるが、今のところ深刻な危機には至っていない。ロシア原油は、中国やインドが引き取っていて、自国の侵攻で原油価格が高騰し、ロシア経済は経常黒字と、経済制裁を課している西側諸国とすれば何とも皮肉なことになっている。

 

ロシア国内では、未だにプーチン大統領の支持率は高く、特にソ連崩壊を経験した中高年層の多くは、プーチン大統領プロパガンダを信じ、ウクライナ侵攻を支持しているという。

 

6月24日の夜7時のNHKニュースによると、この戦争によるこれまでの犠牲者は、市民4,600人、ウクライナ軍10,000人、ロシア軍15,000人と報じられた。

 

戦争の長期化は避けられず、益々犠牲者は増えるであろう。いつも犠牲を強いられる一般市民の苦しみは、いつまで続くのだろうか。一日も早く平和が訪れるよう願うばかりだ。

 

 

国内では、参議院選挙が公示された。序盤の予想では与党優勢だ。岸田首相が唱える勝敗ライン(自公で過半数)が低すぎるとの党内意見もあり、自民単独で過半数とすべきとの声もある。

 

岸田内閣の支持率は、最近少し落ちたとはいえ、相変わらずの高水準だ。前の菅さんのような強面(こわもて)でなく、コロナも落ち着いているのが、現政権にはプラスに働いていると思う。

 

政権の支持率が高いのは、裏を返せば野党が力不足ということで、一向に勢力拡大の気配がない。「維新の党」や「国民民主党」は、政策が自民と重なったりより保守的なことも多く、野党とは呼べない存在だ。

 

国内のコロナ感染者は、づっと減少傾向にあったが下げ止まり、最近の一週間は、前の週より微増している。

 

世の中、コロナの規制が解除され、外国人の旅行者制限も緩和され、屋外ではマスク非着用も原則認める方向で、すっかりコロナが収束したような気分になっている。

 

今週になって、インフルエンザとのダブル感染、さる痘の感染が懸念されるようになり、油断大敵だ。

 

 

私の近況はというと、お陰様で、ブログに書くネタも無い程平穏な日の連続である。

 

① リハビリセンター

朝センターに到着時に、検温、血圧測定記録をしてくれる言語の先生の顔立ちが、いつもと違う。よく見ると髪を切ったのだ。それまでは、髪を後頭部で束ねたポニーテールだったのが、肩の上まで切っていた。女性は髪型を変えると別人のように変身するのが不思議で興味深い。

 

言語トレーニングの朗読用として、「がまの油」の口上を使用することが多い。彼女がネットで調べたところ、地元有志が、休日に筑波山の麓でアトラクションとして、「がまの油」の口上を披露しているという。この先生山好きでもあるので、筑波山登山も兼ねて、訪れて聞いてみたいと言っていた。

 

前半のストレッチの時間、私は椅子に座って足の曲げ伸ばし、腹筋等の運動をするのであるが、私の真向かいの椅子で、ゴムボールでの運動をする年配の女性利用者さんがいる。

 

先週この女性、ボールを持ったまま、眠ってしまった。スタッフが気付いて声をかけても起きない。数人のスタッフが集まって声掛けしたが眠ったままだ。スタッフは救急車と家族を呼んで、この女性を病院へ搬送した。

 

私は、不謹慎ながら最悪の事態を想定して、失礼とは承知で「人生こういう最後もあるのか、悪くはないな」と思った。

 

今週朝一で、その女性のことをスタッフに尋ねると、救急車で搬送された夕方、その女性は歩いてセンターへ連絡帳を取りに来たとのことだった。彼女は今週は休みだった。

 

 

② H卓球サークル

テニスの仲間でもあるSさんが、練習会を休んでいたので、練習後に彼と行くMACも暫くご無沙汰していた。今週の練習会にはSさんが参加したので、久しぶりに練習後MACへ二人で行った。

 

彼とはテニスで10年以上付き合いをさせてもらっている。同じ年であることもあって、若いころの話題には共感することも多く、現在の環境、価値観が似ており、要するにウマが合う。

 

MACでは、1時間程世間話をして過ごすのだが、毎回決まって、この年になっても健康でテニスや卓球ができることの幸せを確認し合う。

 

彼は、19年前に「ラジオ体操の会」を立ち上げ、近所の公園で6:20~6:40までラジオ体操を主催し続けている。以来彼は、今日まで一日も休まず毎朝出席しているとのことだ。(12月~2月の冬季のラジオ体操は休み)

 

私も彼に何度かそのラジオ体操に誘われたが、私は早朝が苦手で、その時間は布団の中にいることが多い。

 

 

③ S卓球サークル

S卓球サークルに、Kさんという女性がいる。彼女は卓球が凄くお上手で、私が 卓球を始めた頃には、既に試合に出て活躍されていた。大会では、個人戦で何度も優勝し、現在も、このサークル以外に、クラブ卓球(試合目的で上位を目指すためのサークル)に所属して、定期的に試合に出場している。

 

S卓球サークルは、会員同士楽しくプレイする親睦が目的のサークルである。Kさんが練習相手の時は、カットボールを出してもらってのドライブ返しとか、スマッシュのレシーブをしてもらっている。このサークルは、後半全員でダブルスの練習試合をして楽しむのだが、彼女が相手チームの時は、そのサーブは多彩で、手こずることが多い。

 

そんな彼女は、卓球の上手さを自慢することはなく、女性の初中級者の面倒を親切にみているので、女性には人気がある。練習に来る時は、ピンクのコートとか可愛いい洋服で来ることが多く、それが又似合っている。彼女は、卓球以外にも社交ダンス、洋裁他の趣味も広く、いつも明るいので、サークル内の好感度は抜群である。

 

卓球はお上手なのだが、天然なところがあって、そこがまた皆に好かれている。

 

 

④ 食事会

今は止めてしまった卓球サークルの仲間で、特に親しくさせてもらっている友人達がいる。彼らとは、コロナ前はよく食事会をして、メンバーが誕生日になると、誕生会を開いてその仲間を皆で祝っていた。

 

3年前に3月生まれの友人の誕生会を計画したが、コロナが流行り始めて延期になった。それから3年、延期の状態が続いたが、今年の5月になって、感染対策を取って開催しても良かろうということとなり、6月中旬に開いた。

 

幹事は私がすることとなり、会場は仲間の一人が紹介してくれたホテル内の和食店にする。予約の際、ワクチンの接種証明が必要か問うと今は不要とのこと。

 

予約は、開店時間の11:30から、ロビーで少し待ってから個室に案内される。こういう雰囲気に接するのも3年振りだ。テーブルの上には、対面者の飛沫防止用に大きなアクリル板が設置されている。主賓をシャンパンの乾杯で祝した後、会席料理を頂きながらの歓談となる。

 

皆さん、3年間の自粛から解放され、話が弾み、大いに笑い、これまでの辛抱を一気に吹き飛ばしたようだ。私もお酒のピッチが上がって、後半の料理は何が出たか殆ど覚えていない始末だ。

 

最後は、主賓に用意した誕生祝いの言葉が書かれたデザートプレートでお祝いし、お開きとなる。楽しい時間はあっと言う間に過ぎたが、出席者の皆さんには、存分に喜んででもらえたようで、幹事も無事務めることができ良かった。気心の知れた仲間と心置きなく会食できるのは実に楽しい。