お正月アラカルト

明けましておめでとうございます。本年も又お手空きの時にでも、本ブログにお立ち寄りいただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。

今回は、今年の初めということで、私のお正月あれこれについて投稿します。

 

☆ 初日の出

伊豆高原

もう30年以上前に、暮れから正月にかけて家族旅行で伊豆へ行き、伊豆高原の海岸で下の写真のような、海上から出る初日の出を期待した。

 

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        写真ACより 青空カフェラッテさんの作品

 

日の出の1時間近く前に観望地点に着き、寒さに震えながらその時を待った。水平線には厚い雲が横たわり、空も薄雲に覆われており、太陽は日の出の時刻より相当経ってから、薄雲のベールの中にぼんやりと現れた。長時間待った割にははっきりしない初日の出だった。

 

<自宅前道路>

我が家の前の6mの公道は東南東から西北西に一直線に伸びている。東南東側も西北西側も真っすぐなので、道路両側の民家と道路が、西洋絵画の遠近法を使用した透視図のように見える。数年程前に偶然、初日の出がこの道路の先から昇ってくるのを発見した。

 

日の出の時刻と、日の出の位置と、我が家の前の道路の方位が、丁度1月1日に重なって道路の延長上から太陽が昇るなんて、宝くじが当たるような確率ではなかろうかと、この発見に喜んだ。

 

今年も、手軽に初日の出を拝もうと、6:45に玄関を出る。わが町の元旦の日の出時刻は、6:52 この時刻は太陽の頭が出る時刻だ。道路の東南東側の先端に目をやると、地上は薄暗いが空は刻一刻と明るくなっていく。一瞬パッと赤い閃光が走ったかと思うと橙色の太陽が姿を現した。

 

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2021年の初日の出だ。荘厳な気分に浸りながら、神々しいお日様に手を合わせる。後ろを振り向くと、民家やマンションの壁が、昇り始めた太陽に照らされて、紅色に染まる。20分間ほど、地球の自転によってもたらされる自然現象を堪能して、暖かい部屋に戻った。

 

☆ 初詣

全国の神社は、初詣のコロナ対策として、三が日の密を避けるため、前年に前倒して参拝する「幸先詣(さいさきもうで)」を推奨している。私はいつも地元の小さな神社で参拝しており、コロナ以前も、人出は大きな神社のように多くはなかったが、少しでも密とならぬよう、昨日の大晦日に「幸先詣」をしてきた。

 

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お昼頃行ったのだが、参拝者は私を含めて2~3人、参道を始め境内は綺麗に掃き清められ、心が洗われる。混雑した人混みの参拝時には、気付かなかった新しいしめ縄や幟(のぼり)が、目に飛び込んできた。

 

手水舎(ちょうずや)の柄杓(ひしゃく)や、さい銭箱の上の鈴は、コロナ対策で取り払われていた。

 

静寂に包まれた神社での参拝は心落ち着き、「幸先詣」って良いものだなと思った。次回からはコロナが落ち着いても続けようかと考える。

 

 

☆ 年始挨拶

例年、元旦には娘家族が年始挨拶にきて、我が家で会食をするのが慣わしであったが、今年は、新型コロナ第3波の、感染拡大による移動自粛で中止とした。

 

迎える準備などが少なくなって助かる反面、三姉妹(小5、小1、幼稚園)に会えないのが寂しい。彼女たちは今育ち盛りだ。次回会う時には、見違えるほど成長していると思われる。今回は、三人の成長の姿を想像して我慢するとしよう。

 

☆ 初墓参り

正月に、連れ合いの墓に参るのも年中行事となっている。今年はコロナで取りやめようか迷ったが、一人で車で行き、誰にも会わずに帰ってくるのならよかろうと、行くことにした。

 

正月はいつも、娘家族が帰った後の夕方に行っていたが、今年は早朝に訪れた。早朝とコロナの影響か、広い庭園墓地には墓参する人は、私以外誰もいなかった。

 

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早いもので、連れ合いが亡くなって今年で15年になる。 一人になってから私はテニスを始め、卓球を始め、旅行に行き、好き勝手なことをしている。生前の連れ合いができなかったことを全部私一人でして楽しんでいる。

 

「自分だけ良い思いをしてゴメンね」と墓前で謝って霊園を後にした。

 

 

☆ 誕生日

実は、今日1月1日は私の誕生日なのだ。小学校低学年のころは、珍しい誕生日ということで、それが自慢でもあった。高学年になると、周りの平日生まれの友達は、誕生会をしてもらえる者が現れ、それを見聞きするようになった。そして自分は正月生まれの為、自分の為の誕生会というものには縁が無いことに気付いた。

 

私は平日生まれの友達が非常に羨ましく、自分が正月生まれであることを恨んだ。そのことを母親に言うと、「お前は日本中の人たちにお祝いをしてもらえるんだから、いいじゃないの」と取り合ってもらえなかった。子供心に納得できなかった。

 

大人になっても同様に、私は自分の誕生日を、よそ様からも身内からも祝ってもらうことは無かった。(連れ合いも正月生まれで、私と同じ境遇だったとか)

 

一人になってから、昔からのお友達や、サークルの親しい友人に、そのことを吹聴した。するとお友達は、元日にメールで祝ってくれるようになり、サークル仲間は、私を憐れんで、私の為の誕生会を開いてくれた。

 

良き友よ!感謝感謝である。