私の脳梗塞(発症から退院まで 1)

正月の3日に、脳梗塞を発症し入院していましたので、ブログは暫く(しばらく)お休みしていました。幸いにも回復が非常に早く、自宅へ退院できましたので、又このブログを再開します。

 

今回の入院で、色々とネタも増えましたので、その顛末(てんまつ)を「私の脳梗塞」と題して連載しようと思います。

 

目次

1 発症から退院まで

2 お世話になった人々

3 退院後の自宅リハビリ生活

 

小学校5年生の孫も読んでくれているようなので、彼女にも読めるよう難しい漢字には極力ふりがなをつけるようにします。 

 

1. 発症から退院まで

1月3日(日)

前日少し長めの30,000歩近いウォーキングをしたので、この日は二階の陽だまりの部屋でゆっくりしようとくつろいでいた。名古屋に住む妹へ長いメールを打った。打ち終わった時、スマホが手から転がり落ち、それを拾おうと椅子から立ち上がろうとして、少

しふらつき床に両手をついた。その時涎(よだれ)がすすーっと落ちた。それを見た瞬間、「これは、脳梗塞だ。」と直感した。幸いにもこの時二階には息子が自分の部屋に居たので、ドアを叩いて異変をしらせる。

 

彼から、エレベーターで階下へ降りるように言われたが、断った。我が家は今は亡き連れ合いの介護の為、エレベーターを設置したが、10年以上使用せず今は物置になっている。そんなエレベーターに乗って途中で止まって閉じ込められたりしたら恐いので、自分の足で降りる。

 

5分くらいで救急車が到着、担架で車内へ。救急隊員から発症時の様子とか色々なことを質問された。この時は頭が冴えていて、自分でも明解に答えていたと思う。但し呂律は回っていなかった。

搬送先は、わが町では一番多きな大学附属病院と決まる。

 

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            写真ACより  みんとさんの作品

 

 

 

病院では若い男女の医師が待ち受ける処置室に運ばれた。ここでも色々質問された後、造影剤を投与後CT撮影。私は、MRI対応型のペースメーカーを装着している。医師にその旨言ったが、MRI対応型であってもペースメーカー専門医が立ち会わないとMRI検査はできないとのこと。

 

私の脳への詰まりは小脳の毛細血管と判断したらしく、点滴による抗凝血剤の大量投与が始まった。最初の頃は意識もしっかりしていたが、そのうち気持ちが悪くなって吐いたり、左側の拘束が苦痛で暴れたりした。

 

その後のことは覚えていないが、後で医師が言うには、左側の反応が無くなり、このままでは半身不随になって寝た切りになるかもしれぬと心配したそうだ。私の推測では、抗凝血剤の大量投与によって動脈内壁のへどろのようなものが剥がれて右脳の一部を詰まらせたのではないかと考える。お陰様でこの詰まりは溶けてくれたようで、重篤な状態は免れた。

 

処置室から病棟へ運ばれる時、付き添いの息子はコロナで病棟へは行けず、帰されたが

彼はこの時私の将来を覚悟したそうだ。

 

 

運ばれた病室は、脳神経内科のSCU(Stroke Care Unit)という脳卒中脳梗塞脳出血等の総称)の急性期(発症直後の治療段階)の患者を集中的にリハビリも行いながら治療する病室。

ベットは6床でカーテンで仕切られている。

ここへ薬物療法処置後の私は運ばれ、入院が始まった。

 

この時点では、気持ちは悪いは、左手は麻痺してるは、右手は定まらないは、話せば呂律がまわらないは、で散々であったが、夜勤のベテラン男性看護師さんが親切に世話して頂き落ち着く。

 

その看護師さんから「ちょうりょさんから、荷物が届きましたよ」(私には、そう聞こえた)「ちょうりょさん」って何だろう?と暫く考えていたが分からない。長女(娘)と理解するまで、相当時間がかかった。娘がパジャマ等の入院用品を、夜も遅いのに購入して届けてくれたのだ。コロナで面会もできず、娘は私の様子も見ることができずに、帰っていった。ありがたかった。

 

その後、虚ろな気持ちで仰向けで寝ていると、突然「〇〇さん、こんばんは!夜担当の△△です!」(〇〇は私の名前、△△は若い看護師さんの名前)

という明るく元気な声、目の前にはアイドルのような可愛い女の子が笑っている。担当の若い看護師さんだったのだ。思わず「可愛いねえ~」と言ってしまった。彼女の一声で入院初日の不安な気持ちが一気に吹き飛んだ。

 

                 ー続くー