私の北東のウォーキングコースは、先日投稿した「境川」の北東から北方に位置する「戦車道路(尾根緑道」)だ。
「戦車道路」とは恐い名前であるが、緑道に立っている案内板によると、この道路は第二次世界大戦末期、約1.2㎞南西にあった陸軍造兵廠で製造された戦車の走行テスト用に作られたものだそうだ。
戦後この道路が所在する自治体(私の隣町)が、全長8㎞に及ぶ旧戦車道路を国から借り受け、市民が四季折々楽しむことができるよう整備してきた。
ここは富士山や丹沢の山々を一望できる景観の地で、名前も「尾根緑道」と名付けられ春は桜、秋は紅葉と市民の憩いの場となり、「戦争の遺物」から「平和の象徴」へと生まれ変わったと案内板に書いてある。
そのような「尾根緑道」を、税金も払ってない隣町の住人の私が勝手に利用させてもらうのは、少々気が引けるが、わが町の中にある「水道みち」より、隣町の「尾根緑道」の方が近いので、こちらの利用回数の方が多くなってしまう。
3月23日(火)晴れ、最高気温14℃
緊急事態宣言が解除された前日は、天気も余り良くなかったが、この日は朝から晴れて、気温も歩くには丁度良さそうだったので、桜の開花状況を確認がてらにウォーキングに出かける。目指すは「戦車道路(尾根緑道)」
尾根緑道の東端取りつきまでは、住宅街を歩いて約1時間を要する。
途中小学校の横を通ると、校門前に「卒業証書授与式」の大きな立て看板が掲げてある。「エッ、卒業式は正式には卒業証書授与式っていうの?」と思い調べてみると、昔(明治時代)は卒業証書授与式って呼ばれていたが、現代は、小中高すべて卒業式が正式名称で、文部科学省の指導要領にも明記してあるということだ。
この学校の校長先生が、卒業式より卒業証書授与式の方が威厳があってカッコイイと思い「これでいこう!」って決めたのかしら?
小学校の桜(ソメイヨシノ)は五分咲きくらいか。
戦車道路(尾根緑道)東端 到着
ここから1.5㎞くらいまでは18品種の桜を中心に植樹された並木が続く。
桜はソメイヨシノが五~六分咲、他の品種はまだ全然咲いてないものから、咲いていても三~四分咲であった。
下の写真の桜の木の名前は、木に巻き付けられた名札による。
オオシマサクラ
コシノヒガンサクラ(薄紅色の一重咲 エドヒガンよりやや大きい、と名札に書いてある)
盛りの過ぎたコブシ
ソメイヨシノの並木
ベニシダレ
ヤエベニオオシマ
緑道東端から歩いて30分ほどの、緑道から一段下がった所に菜の花畑がある。緑道沿いにはソメイヨシノが植えられていて、まだ五~六分咲きだが、菜の花は今が盛り。
菜の花のほのかな香りが漂うあぜ道に降り立つ。ここは、この緑道のハイライトで、サクラのピンクと菜の花の黄色のコントラストが映える人気スポットだ。
今回はサクラの時期が早く、ピンクの色調がイマイチで残念。
緑道から少し外れた民家の生垣にオトメツバキツバキが咲いていた。
頼みのグーグルレンズがこの時不調で、この花の名前は分からない。
西方の山並み、雲もなく空気が澄んでいると、富士山山頂のほんの一部を見ることができる。(この写真では無理だが、これを発見できた人はハッピーである)
ここまでの戦車道路(尾根緑道)は緑道の横に平行して一般道がある。その道は車も時々通り、緑道との間には植栽が植えられており、歩くのに支障はないが、ウォーカーにとっては、できることなら、車の通る道は無い方が良い。
ここから戦車道路(尾根緑道)の西半分は、完全に歩行者専用道路となる。(自転車も通行はできるが、「自転車は歩行者の妨げにならぬように」との歩行者優先の立て札もたっている)
自動車の音は完全に聞こえなくなり、静寂な中を歩いていると、時々ウグイスの鳴き声がする。気持ち良い。
この日始めて見た満開の桜
緑道西端から2㎞程は、歩道に木片チップが敷き詰められ、絨毯の上を歩いているようで、歩きやすく膝にも優しい遊歩道だ。
このまま西端まで行くと、また帰りが遅くなるので、本日の戦車道路(尾根緑道)歩きはここまでとする。
戦車道路(尾根緑道)西端の先はさらに12㎞位遊歩道が続いており、そちらは、私の北ウォーキングコースとなる。
尾根から下って、「境川」の上流を渡り、わが町に入り住宅街を通って帰宅。
歩行時間:4時間 歩行距離:17.6㎞ 歩数:27,100歩