そこはかとなく香り漂う楚々とした梅の花は愛おしい。濃厚な白い花びらの艶やかなハクモクレンも好ましい。だが、私は日本人、パッと咲いてパッと散るその潔さのサクラが一番好きだ。満開の絢爛豪華の様、夜桜の妖艶な美しさにおいて、他の花とは比べようがない。
緊急事態宣言が解除されたとは言え、感染者の数は一向に減少せず、第4波の兆しさえも窺がわれる。
こんな中、関東近辺はサクラも見ごろとなった。国や自治体は感染防止上、飲食を伴う花見には自粛を求めているが、サクラの有名所は結構人が出ているようだ。
日本には、「福島県三春の滝桜」「山梨県山高の神代桜」「岐阜県根尾谷の薄墨桜」の三大桜を始めとして、全国各地にサクラの名所が数限りなくある。
去年に続き今年も、花を求めての遠出はできない。
今回は、家の近くで歩いて行けるサクラの見どころを取り上げる。
わが町のサクラも、4~5日前は5~6分咲きだったものが、一気に満開となった。
① 地元の小さな神社のサクラ
小さな神社であるが、いつも掃き清められていて、気持ち良い。
右の赤っぽいサクラは「コシノヒガンサクラ」の名札が付けられていた。
⓶ わが町中心部の桜並木
ここから1.5㎞続く桜並木
③ 前日の大雨でできた水溜まりに映る公園のサクラ
④ 団地広場の一本桜
この団地ができる前からこの地に生えていた。
樹齢50年以上(100年位か)のソメイヨシノと思われる。
幹回り4.34m(直径1.4m)の大木だ。
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<サクラの妖艶さについて>
サクラの美しさについては古来、幾多の歌人に詠まれ、作家に書かれ、画家に描かれ、写真家に撮られ、キャメラマンに撮影されてきた。
その中で、梶井基次郎の「桜の樹の下には」と坂口安吾の「桜の森の満開の下」はサクラの妖艶な美しさについて描かれた傑作だ。
「桜の樹の下には」は冒頭「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と衝撃的な文章ではじまる。主人公は、、サクラが余りにも美しいので、その訳を色々考える。そして、サクラは屍体からしたたる水晶のような液を吸いとっているので、あんなに美しく咲いているという結論に達するという話。
作者は、生の裏には死があり、死の裏には生がある、それらが一体化することで、安定し美しさを発揮する。だからサクラはあんなに美しいんだと言いたかったのだろう。
「桜の森の満開の下」のあらすじは、峠の山賊が、襲った旅人の美女を女房にしたが、その女はしたたかで山賊を手玉にとる。女の要求で都へ行き、グロテスクな遊びをしながら暮らすが峠に帰ることとなり、女を負ぶって満開のサクラの森を通る。そこで女は鬼に変貌して山賊を襲うが逆に山賊に絞殺される。しばらくすると、鬼は美しい女房に戻り、女の体はサクラの花びらに変わり、山賊の体も花びらとなり、満開の下には花びらだけが残ったというお話。
確かに、満開の桜の森には人っ子一人いなくて、花吹雪が舞っているところに、自分が身を置いたと想像すると、怖い感じがする。美しさも極まると恐怖の感覚が芽生えるということか。
作者は、恐怖心を抱かせるほどの満開の桜の美しさにの中に、サクラの妖艶さを描こうとしたと思う。
それから、私が見た映画で、サクラの美しさ、妖艶さに感動したのは、1989年に公開された「桜の樹の下で」だ。(公開当時の映画館ではなく、数年前CS放送で観た)
この作品は、原作:渡辺淳一 監督:鷹森立一 撮影:林淳一郎
あらすじは省略するが、何しろこの映画のサクラの映像は素晴らしかった。プロ中のプロが撮影しているのだから、当然かもしれないが、特に京都の(醍醐寺か?)夜桜の美しさには目を見張った。サクラの妖艶さとはこういうものなのかとその時思った。