八月の濡れた 砂

八月の濡れた砂」は、1971年に公開された藤田敏八監督の日活映画の題名であるが、今回はこの映画と同名の主題歌を取り上げる。映画は学園紛争敗退後の1970年代の退廃した若者たちを描いたものだ。日活はこの後ロマンポルノ路線へ移行する。

 

主題歌は、作詞が若いころの吉岡治さん、作曲はむつつよしさん、そして井上陽水さんの奥さん石川セリさんが歌っている。

 

作詞の吉岡治さんは、後に「大阪しぐれ」「さざんかの宿」「細雪」「命くれない」「演歌みち」「天城越え」など演歌の大ヒット作を次々と生み出された演歌界の大御所だが、若いころは、この「八月の濡れた砂」や「悦楽のブルース」などの映画主題歌、ひばりさんの「真赤な太陽」千賀かほるさんの「真夜中のギター」などのポップスの作品を手掛けていた。11年前の2010年にお亡くなりになった。

 

 

まずは元祖オリジナルの石川セリさんの歌唱をお聴きください。

 


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八月の濡れた砂  歌詞>

  私(あたし)の海を まっ赤に染めて

  夕日が血潮を 流しているの

  あの夏の光と影は

  どこへ行ってしまったの

  悲しみさえも 焼きつくされた

  私の夏は明日もつづく

 

  打ち上げられた ヨットのように

  いつかは愛も 朽ちるものなのね

  あの夏の光と影は

  どこへ行ってしまったの

  思い出さえも残しはしない

  私の夏は明日もつづく

 

  あの夏の光と影は

  どこへ行ってしまったの

  思い出さえも残しはしない

  私の夏は明日もつづく

 

私は映画は見ていないが、歌詞の「あたしの海を真っ赤に染めて、夕日が血潮を流している」「悲しみさえも焼きつくされた」で情景が目に浮かぶ。この曲の物憂い、気だるい曲調に他の曲にはない魅力を感じ、夏の終わりの頃になると聴きたくなる曲だ。セリさんの倦怠感漂う歌い方は、この映画の主題歌としては、頗(すこぶ)る合っている。

 

この動画のコメントを読んでいると、この映画や、この曲が流行った70年代 を、自分の青春時代と重ねて懐かしむものが多い。

 

ある人はこの曲を、「乾いた虚無感が堪らない程好きだ」(山野凡太さん)と表現し、又ある人は、セリさんの歌い方を「「刹那的退廃的な歌い方が好き」(上田誠さん)、「エンディングに流れる炭酸の抜けたサイダーのような声がひどく説得力を持つ」(Friedrich Enngels さん)と絶賛している。

 

 

 

次に、門倉有希さんがカバーした「八月の濡れた砂」をお聴きください。

 


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門倉さんの少しハスキーな声質は、この曲のイメージにマッチしており、歌唱力も素晴らしく、私はこの歌い方も好きだ。

 

この動画のコメントとしては、

・「声に独特の雑味があり、表情も得をしている。歌手としてはとても良い。」(日御子さん)

・「・・・歌心の表現について、多彩な声質の素敵さ、個性的で変化に富んだロングトーンやビブラート、抑揚・・・・心こもる歌いぶり等、他の追随を許さない天才的な歌唱力があり、聴く人の琴線に大きな感動を与える」(佐藤理介さん)と最大限の誉め言葉を連ねている。私も愛ちゃんファンなので、応援している歌手を、言葉を尽くして褒めたいというファン心理は、よく理解できる。

 

 

 

最後に今回一番聴いて欲しかった森山愛子さん(愛ちゃん)のカバー曲を紹介します。

 

この動画はコメント欄のSmile Good さんの情報によれば、2013年2月24日にNHK BSPで放送された「昭和の歌人たち、作詞家 吉岡治」からアップされたものだそうだ。

 


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愛ちゃんは、前の二人に比べ、柔らかな声で素直な歌い方で歌っている。一言一言が優しく耳から入ってきて心に届く。とても心地良い。愛ちゃんは他の歌手の曲をカバーして歌う時、とことん納得のいくまで練習するのであろう、いつも完全に自分の曲として歌いこなしている。決してオリジナルの真似はしない。

 

愛ちゃんの歌唱は、前の二人のような倦怠感とか虚無感と言うものが、前面に出ていない。だからと言って、彼女の歌い方は、この曲に相応(ふさわ)しくないのかというと、決してそうではない。十分万民に響く歌唱だ。

 

それでは、どうして愛ちゃんの歌唱が、オリジナルのムードと異なっているにもかかわらず、心に響くのだろうかと考える。そのヒントになるかもしれないと、この動画のコメントを読んでみる。

 

・「数々の先入観を取り入れない雑味の無い歌唱、色々聴き比べてみても、やはり彼女の歌い廻しが飽きない。バックもできる限りソフトに仕上げている。軽やかな演奏の中にも、哀愁を盛り上げ耳にやさしく入り込んでくる。とてもいい。」(N さん)

 

・「オリジナルのどこか物憂げで、ため息ともとれる味も格別だけれど、一つの作品ととしてならば、彼女の歌唱力は、後の時代にも受け入れられる気がする。好きずきではありますが、私は好きです。」(N さん)

 

・「・・・セリさん、門倉さん共に個性豊かに歌われていますね。愛ちゃんはイメージにとらわれず、聴く人に委ねている処が凄いと思います。色を付けすぎない処ですが、なかなか評価されませんね。・・・」(N さん)

 

・「・・・映画のイメージに関係なく、誰もが聴けるのがまたある意味、普遍性があるのかなと、この歌い方で良ければどうぞ聴いて下さいみたいな、控えめでいて一生懸命さが好きなのです」(N さん)

 

・「・・・愛ちゃんの歌は、映画とは無関係に新しく蘇(よみがえ)らせたものですね。清々(すがすが)しく美しい名品になっていて、こちらの方が普遍性があり名曲の価値を高めていると思います。実に美しい曲になっています。」(herfan 3さん)

 

・「・・・とても美しい落ち着きのあるメロディを、愛ちゃんはソフトで伸びのある優しい声で素晴らしい詩の世界へと導いてくれました・・・」(Katsumasa Takeyama さん)

 

 

門倉さんの動画へのコメントに負けず劣らず、愛ちゃんへの熱い思いが伝わってくる。

ちなみに、N さんが指摘する愛ちゃんの歌唱の魅力は、伸びやかな中にも哀愁があり、時に温もり、力強さ、優しが兼ね備わっているということだ。

 

 

コメントを読んでいて気が付いたのは、「普遍性」と言う言葉がキーワードということだ。

 

オリジナルの個性的な歌を、誰もが聴いて感動するようなソフトで優しい普遍的な歌に変えてしまう。愛ちゃんが歌ったこのステージは28才の時だ。その若さで、そんなことができてしまう森山愛子と言う歌手の凄さに改めて脱帽した。