四国遍路  1

私は、7年前(2014年)と4年前(2017年)の二回、四国遍路を体験した。私には特別な宗教心があるわけでなく、一回目は、四国一周面白そう、チャレンジするにはやりがいがありそうとスポーツ感覚で出発した。

 

一周してその達成感に感動し、四国の魅力、遍路の奥深さを知ることとなり、体力のあるうちにと、二回目も行ってきた。お恥ずかしい話だが、二周しても煩悩は全く消えておらず遍路前の俗人のままである。できればもう一度チャレンジしてみたいと考えているが、コロナ禍と加齢による体力低下で当面は難しそうだ。

 

四国遍路を成し遂げるには、三つの条件が同時に揃わなくてはできない。

 

1. 体力:まずは、やはり体力だ。四国一周の遍路道は、1200㎞とも1400㎞とも言われており、一日30~40㎞毎日歩くことになるので、それなりの体力気力が必要となる。

 

2. 時間:私の場合、この条件はクリアできるが、過去、四国を一周するのに台風による停滞を含めて、45~46日要した。それに高野山へのお礼参りや、その後の旅のプラスαを考えると、2ヶ月はキープしたい。

 

3. お金:旅行期間が長いので、それに見合った費用が求められる。

 

当面3回目を決行する予定はないが、ブログのネタが切れ気味なので、過去の遍路経験を記すことにします。

 

ー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ー

 

f:id:tamamisa:20210926161615j:plain

(NHK趣味悠々2006年9月~11月 「四国八十八ヶ所はじめてのお遍路」の掲載写真)

 

 

1. 四国遍路とは

弘法大師空海が、庶民救済の方便(てだて)として、四国の地に「路を遍く(みちをあまねく)」循環式霊場を施したのが起源とされる。四国の八十八カ寺(霊場)を老若男女が杖を頼りに参詣するようになった。

杖は弘法大師の化身とも言われ、一人で旅しても常に弘法大師と一緒で、大師に見守られているとされる。これを「同行二人」という。

 

 

f:id:tamamisa:20210926161513j:plain

 (へんろみち保存協力会編 四国遍路ひとり歩き同行二人「地図編」より)

 

霊場は一番(霊山寺)から八十八番(大窪寺)までの八十八か所と、それとは別に別格の二十寺があり、何回も遍路しているベテランとなると、別格も含めて、百八カ寺を巡っている。

 

巡拝の仕方としては、一番から八十八番へ時計回りに巡る「順打ち」と逆回りに巡る「逆打ち」がある。遍路道の道路標識や案内図は、順打ちに沿って表示されているので、「逆打ち」は、「順打ち」に比べ困難を伴う。よって「逆打ち」は、「順打ち」の3回相当の功徳があると言われている。私も3回目は、「逆打ち」も視野に検討しようと思っている。

 

区間を一回で打ち上げるのを「通し打ち」、適当区間に区切って打つのを「区切り打ち」という。私は時間に余裕があったので、二回とも「通し打ち」をしたが、現役で働いている人は、長期休暇の取得が難しいので、「区切り打ち」が多い。

 

2. 遍路の主な持ち物

・金剛杖   :弘法大師の化身とされる大切なものであるが、私はそんな大切な杖を                                                     

        道中二回も置き忘れたことがある。1時間以上かけて引き返した。

        四国を一周すると、杖は先端が摩滅して10~15㎝ほど短くなる。

 

・白衣    :私は、一回目の半月くらいは、着て歩いていたが、暑かったりして

        その後は歩行時には着なくなった。宿坊に泊まって朝のお勤めの時に

        は着るようにした。                          

     

 

・菅笠    :日除け、雨具となるので欠かせないが、これが結構嵩張る。大きな

        笠だとザックに引っ掛かってしまい、不可。

 

・さんや袋  :地図、納経帳、収め札、ろうそく、線香を入れる参拝用サイドバック

        お寺の本堂、太子堂は、小高い丘の上や長い階段の上にあることが多    

        く、こんな時は重いザックを下に置いて、さんや袋のみ持参して参拝   

        した。

 

 

3. 遍路の一日(私の場合)

朝 4:30にスマホの目覚ましをかけるのだが、いつもそれより早く3:30前後、早い時には2:30頃起床する。

 

起きて前日の記録整理、当日の工程、スケジュール、地図の確認をして、ザックのパッキング、ザックの中身は前日全てを床に並べて置く。当日の天気やスケジュールに合わせて、行動中取りやすいようにパックする。

 

行動着に着替え、洗面して、ザック、菅笠、さんや袋、杖を食後直ぐに出発うにきるように玄関に置いておく。(私はせっかちなので、大抵宿泊者の中で一番に出発する。)

 

宿の朝食は、目いっぱい食べる。朝食は宿にもよるが、6:00~7:30

 

ビジネスホテル等で、朝食が出ないときは、夜明け前の4:30~5:00ころ、まだ暗い中を出発する。(早朝出発は、満天の星を見ながらとか、月明かりの中の歩行とか気持の良いことが多い。距離も稼げる)

 

7:00前後に出発、大抵歩き始めは、快調な歩行が多い。遍路を始めた頃は、一時間に一回くらい休憩していたが、お寺の参拝以外に休憩はほとんどとらなくなった。5~6時間とノンストップで歩くようになった。

 

昼食は始めの頃は、地元のお店に寄って摂っていたが、かなりの時間のロスになるので、コンビニのおにぎりやサンドウィッチで済ますことが多くなった。(讃岐のうどんやは例外)

 

お寺では、まず山門の前で一礼して境内へ入り、手水場(ちょうずば)で手を清め、本堂に向かう。ロウソクと線香に火をつけ、収め札とさい銭を収める。その後般若心境を読経する。(正式には、般若心経を含めて、六つのお経を唱えるらしいが、私は般若心経しか知らないので、その他はカット)

 

本堂が終わったら、大師堂でも同じことを繰り返す。その後、納経所で朱印を頂き、山門を出る時も一礼して次の札所に向かう。

 

始めの頃はやり方もぎこちなく、時間ばかりかかって一つの寺で一時間以上要したが、二回目の遍路では20~30分位に短縮できた。

 

札所(お寺)は、県庁所在地のような大きな町では、比較的固まって存在するので、効率よく参拝できる。しかし23番(徳島県日和佐薬王寺)と24番(室戸岬最御崎寺)とか、37番(高知県四万十町岩本寺)と38番(足摺岬金剛福寺)の間ように、距離が長く二泊しないと次のお寺に到着できないこともあるので、三日以上参拝せずに、歩き通すこともある。

 

宿へは基本16:00ころまでには、到着するようにしている。(一回目、二回目とも10月~12月に巡ったので、日に日に陽が短くなった。)

 

宿では着替えて洗濯、その間に、当日の行動記録作成、翌日のタイムスケジュール作成、宿の計画手配などを行って、後は風呂へ入って夕食(ビールは唯一の楽しみ)を食べて、20:00前には就寝。

 

 

4. 遍路仲間

普通、歩いている時は一日中一人で歩くのが原則で、連れ立ったり、数人で歩くということはしない。しかし長く歩いていると、札所(お寺)や宿で何度も顔をあわせ、顔見知りになるお遍路さんもいる。彼らは同じ目的を遂行している同志なので、お互い敬意を払って干渉しないよう行動する。出身地はお互い披露するが、名前は明かさない。

一期一会の付き合いだ。

 

したがって私のメモには、彼らのことを「横浜へんろ」「札幌へんろ」「鹿児島へんろ」と記録してある。

 

一回目の遍路の時、20番鶴林寺徳島県)麓の宿で一緒になった名古屋へんろが、その後も宿を別々に取っているにもかかわらず、同じになったり、お寺で偶然会ったりして、結局、愛媛県久万高原町の宿まで同宿となることが多かった。彼は年齢も近く、私の地元名古屋であることもあって、ウマがあい宿ではよく食事を共にした。

 

朝宿を出る時、これが最後と「じゃあこれで、お元気で!」と言って別々に出発するのであるが、数日後又同宿となり、「腐れ縁だな」と二人で笑った。その彼を見かけたのも44番大宝寺が最後となった。

 

二回目の遍路では、37番岩本寺近くで、休憩に立ち寄ったお茶所で一緒になった5~60代の女性が、私と同時に出発して歩き始めたら、その歩く姿は凄く綺麗で、スピードも早い。みるみる私から遠ざかり、一本道の先で黒い点になった。元陸上の選手ではなかろうかと思った。

 

39番延光寺高知県宿毛市)から53番円明寺松山市)まで一緒になった60才の横浜へんろの男性は、凄く律儀でトンネルでショートパスできても、遍路山道を忠実に登る人だ。お酒も大好きだが遍路中は断酒している。私のようないい加減な人間には頭が下がる。

 

66番雲辺寺麓の宿(徳島県三好市池田町)で出会った80才の札幌へんろは、歩き遍路が、13回目というベテラン。今回も別格20寺も含め108寺を回っている。80才にはとても見えない温厚なオジイチャンだった。

 

                  ー続くー

 

ー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ー

 

「四国遍路」については、非定期で掲載しようと思います。