へんろ日記 2

前回(10月26日アップの「へんろ日記 1」)の続きです。

 

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10月25日(水)(晴)(2017年/平成29年)

<3日目 吉野川市鴨島→12番焼山寺

 

7:20 鴨島のビジネスホテルの朝食(小さなパン2ケ、サラダ、ゆで卵)を食べて出発。

7:50 昨日参拝した11番藤井寺の境内を通り、裏手のキツイ勾配の山道を登り始める。いよいよ「へんろ転がし」だ。ここから焼山寺までには、六つの難所があり、へんろ道に沿って1/6~6/6の道標が立てられている。

 

9:15 1/6を登り切って長戸庵着、大量の汗をかき半袖Tシャツ一枚となる。かなり登ってきて、時々右手に昨日渡った吉野川吉野川市が一望できる。

 

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10:30 柳水庵近くの休憩所で一服していると、外国人の男女二人連れがやって来た。彼らはオーストラリア人で、今日の宿は、焼山寺から下った先の民宿とのこと、英語のガイドブックには焼山寺で宿泊できるとは書いていないらしい。彼らにアーモンドチョコを進呈する。

 

11:40 浄蓮庵 ここには「左右内(そうち)の一本杉」という県指定天然記念物の巨木が生えている。看板によると、弘法大師焼山寺へ向かう途中、木の根を枕にして仮眠したところ、夢に阿弥陀如来が現れたので、尊像を刻みお堂に安置した。その時大師がお手植えした杉であると言い伝えられている。 樹周 7.62m、樹高 約30m

 

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しばらくすると、地元の主婦らしき3人連れが現れ、ここでお昼を食べて引き返すそうだ。女性が3人揃うと話が弾み賑やかになる。

 

12:50 浄蓮庵から急な坂を下って県道43号に出る。ここには数軒の農家が点在し秋の陽に照らされ、庭にはコスモスがが咲いて長閑(のどか)な光景だ。左右内谷川を渡って、本日最後の「へんろ転がし」6/6の登りにさしかかる。初回この登りは死ぬほど苦しかったが、今回は前回ほどではなかった。

 

14:00 焼山寺山門 焼山寺の敷地は広大だ。お寺の境石が現れてから山門まで15分位歩く。焼山寺にはへんろ道脇の涅槃仏や境内の子供の石像等石像が多く存在する。

 

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14:25 宿坊着 本日は焼山寺に泊まる。焼山寺は標高700m、周りには民家が一軒もない山寺だ。部屋は宮城県の男性と相部屋となる。彼は今回が5回目のへんろで、収め札の色は青緑色であった、(1~4回は白)

 

18:00 夕食、  20:10 就寝

 

3日目の歩数 33,900歩  歩行距離 22.0㎞

 

 

 

10月26日(木)(晴)

<4日目 12番焼山寺→13番大日寺

 

6:40  朝食、ここの食事は田舎風精進料理でとても美味しい。ご飯をお代わり3杯した。御住職の都合で朝のお勤めは中止となったので、1時間程で往復できるという奥の院へ行こうかとも考えたが、キツそうで今後の歩行の支障になると判断して止める。

 

8:00 焼山寺出発。

8:25 杖杉庵(じょうしんあん) 焼山寺から山道を2㎞ほど下り舗装道路へ出ると、イチョウの大木の下に四国遍路の元祖と言われている「衛門三郎」ゆかりの杖杉庵があり、その伝説が看板に書いてある。

 

「伝説」平安時代前期、伊予の国の豪族で長者であった強欲な衛門三郎は、四国を巡っていて宿を乞うた弘法大師に、断った上に太子の鉢を投げ捨て割ってしまうという無礼な行いをした。その報いで自分の8人の子供が次々に病に倒れ死亡する。改心した衛門は大師に無礼を詫びる為、大師の後を追って旅に出るが、四国を20周巡っても大師に会えない。21回目は、逆回りで旅したが、この地で力尽き倒れる。そこへ大師が現れ、衛門は非礼を詫びて息を引き取る。大師は衛門を許し、この地に葬り、墓標として衛門が遍路に使用していた杉の杖を立てた。これが根を張り杉の大木になったという。

 

お堂の前には、衛門が大師に巡りあえて、詫びている姿の像がある。

 

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9:00 すだち館 すだちジュースとお茶を買う。この辺りは全国的にも有名なすだちの産地である。

 

9:30 県道43号分岐 ここから林道を通って玉が峠へ向かう。途中「全面通行止め」の看板が出ている。歩行もダメなら、すだち館まで戻って別ルートをとらなくてはならない。

 

通行止めの現場に着いて状況を観察すると、道路は舗装のアスファルトは繋がっているのだが、その下の土砂は雨で削られて無い。崖を削って作られた林道なので、横から見ると道の下の土砂がアーチ状に削られ上部のアスファルトのみが水平に繋がっている。

 

車が通ればその重さでアスファルトは崩れ、崖下の谷へ転落するだろう。人間の重さなら大丈夫とは思うが、その保証はない。通行止めの区間は10m位だ。ドキドキしながら息を詰めて一気にアーチ部を通り抜ける。渡り終えると背中に冷や汗をかいていた。

 

10:05 玉が峠 ここからはへんろ道となり、10:30 道沿いのへんろ小屋で休憩する。遥か右下を流れる鮎喰川(あくいがわ)と点在する部落の絶景に癒される。

 

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11:25 鮎喰川沿いの県道がへんろ道となり、鮎喰川を眺めながらの車道歩きが続く。

 

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14:30 13番大日寺 大日寺と言う札所は、88カ寺の内 4番、13番、28番と三つの同名のお寺が存在する。へんろを始めて2回目の大日寺だ。

 

15:00 大日寺に隣接する旅館を本日の宿とする。宿では逆打ちのおへんろさんと同宿。食欲があまりなく、アルコールも始めて抜いた。

 

4日目の歩数 40,700歩  歩行距離 26.4㎞

 

 

10月27日(金)(晴)

<5日目 13番大日寺徳島市二軒屋町>

 

7:00 大日寺横の宿を出発 宿の体重計で荷の重さを量ったら、ザック7.5㎏、さんや袋2.5㎏、計10.0㎏であった。

 

7:35 14番常楽寺 8:05 15番国分寺 8:40 16番観音寺 と札所が何れも徳島市内の街の中に集中しているので、効率よく参拝できる。観音寺は周りに家や店が密集していて、これまでの札所より境内も狭く、町のお寺という感じで趣が異なっていた。

 

9:20 17番井戸寺 徳島市内の札所の中では、一番大きく重厚で堂々としたお寺だ。ここの御本尊薬師如来のお姿が美しい。写真撮影が可と言うことで撮らさせてもらう。

 

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太子堂へ向かうと、丁度10人ほどの雲水(修行僧)の団体が、墨染めの衣に草鞋姿で御参りをするところだった。彼らは一斉に般若心経を読経し始めた。我々素人の読経と違い、さすがプロの読経は美しく厳かな合唱を聞いているようで、心打たれた。

 

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10:25 徳島市街地に向かう大きな道路沿いのショッピングセンターに立ち寄る。ここは初回に来た時にも寄ったところで、100円ショップも入っていて、これまでの旅で不自由したもの等を調達できる貴重な場所だ。今回は、マスク、定規、マグネシウム薬等を買う。果物屋でミックスジュースをオーダーした。

 

12:00 街のど真ん中に遍路用のへんろ休憩所があり又休む。今日は休んでばかりだ。

 

13:05 眉山麓、瀬戸内寂聴さんの実家が営む仏具店の前を通って、二軒屋町ビジネスホテル着、この旅一番の早い到着だ。宿泊料は一泊二食で5000円と徳島市内なのに、驚くほど安い。その代わり設備は古く、エレベーターもない。食事はホテル内のレストランでするのだが、料理はボリュームが十分で美味しかった。

 

19:50 洗濯をして就寝

 

5日目の歩数 30,700歩  歩行距離 20.0㎞

 

 

              ー続く(非定期)ー