甲斐路サクラ巡り

私の町のサクラは、ピンクの花びらが散って、すっかり葉桜になってしまった。 

 

4月9日(土)から三日間の日本列島は、大きな高気圧に包まれ、全国的に好天に恵まれるとの予報が出たので、久しぶりにドライブでもしてみたい気分になった。当地よりも標高が高く、気温も低いであろう山梨県のサクラはまだ見ごろではあるまいかと、山梨県のサクラを見に行くこととする。

 

山梨県の「桜の名所ランキング」から4位の「慈雲寺のイトザクラ」と2位の「山高神代桜」を目的地とした。3位の「わに塚のサクラ」も候補に挙げたがネットの開花情報は葉桜とあったので、今回は止めた。

 

4月10日(日)

夜明け前の暗いうちに出発し、中央高速に乗ったころ、周りが少しずつ明るくなり始めた。今日は日曜日で、大きなトラックはほとんど走っておらず、行楽の乗用車もさすがにこの時間はまだ少なく、頗る快適なドライブを楽しむ。

 

勝沼ICで降り、ブドウ畑の中の道をJR塩山駅へ向かう。途中甲府盆地の先に雪を冠(かむ)った南アルプスを背景にしたモモ畑が続く。

 

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塩山駅から東に向かって丘陵地帯を登っていくと中萩原の集落から少し外れたところに、そのお寺があった。周りは菜の花畑、モモ畑、に囲まれ、南アルプスが遠望できる気持の良い場所であった。朝日が昇るころ到着する。

 

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<慈雲寺>

慈雲寺は、南北朝時代14世紀に無窓疎石によって創建されたと伝えられている禅宗臨済宗の寺院である。文化財に指定されている室町時代の絵画等を所有し、境内には天然記念物のイトザクラや樋口一葉の文学碑がある。

 

① イトザクラ

樹齢330年、高さ14mのしだれ桜、糸が垂れたように淡い紅色の花をさかせることから、イトザクラ呼ばれている。

訪れた時は、満開から既に一週間過ぎていて、シダレの花びらも少なくなっていた。満開時に根本から上を見上げると、桜の天蓋のように見えると言う醍醐味は、残念ながら味わえなかった。

 

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甲州市観光協会が提供している満開時のイトザクラの写真

 

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② 樋口一葉

ここ(大藤の里)は、樋口一葉両親のふるさとで、一葉の死後大正11年に両親ゆかりの慈雲寺に「樋口一葉文学碑」が建立された。

 

案内看板によると、撰文は明治文壇の重鎮幸田露伴が手がけ、裏面にはこの文学碑建設に賛同した明治の名だたる文豪の名前が連ねてある。これは当時最も新しい形の碑文で日本最高の文学碑といわれている。

 

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平成になって、樋口一葉の肖像が新五千円札に採用されたことを記念して、塩山市甲州市の前の名前)が、ここに 一葉の記念碑を建造した。

 

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③ イトザクラ以外のサクラ

イトザクラは満開を一週間余り過ぎていたが、境内のシダレザクラは今が満開とばかりに咲き誇っていた。

 

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さて、次の目的地は「山高神代ザクラ」のある北杜市実相寺だ。ここ甲州市慈雲寺から実相寺へは、一般道を通って西へ、山梨市、春日居町甲府市韮崎市を経由して北杜市に至る。道路は空いており、1時間半で実相寺に着く。

 

<実相寺>

実相寺は日蓮宗総本山身延山久遠寺の直末の寺院である。

 

寺の由来は、1375年身延山の日應上人が山高村大津にあった真言宗の寺を訪れ、住んでいた真理訪印と法義を論じ合い論破したことによりこの寺を譲り受け、この時日蓮宗に改宗し「大津山実相寺」と称したとある。

 

江戸時代入り、この寺の境内地に武田家の末裔・山高氏が居住していたが、山高氏が江戸に移った後今のお寺が建てられた。その後二度の火事に合っている。

 

① 山高神代ザクラ

樹齢2000年とも言われるエドヒガン種の古木で、日本三大桜の一つとされている。(他の二つは、福島県三春町の「滝桜」、岐阜県本巣市の「薄墨桜」)大正11年にサクラとして初めて国指定の天然記念物となった。高さ10.3m、根元幹周11.8m

 

日本武尊ヤマトタケルノミコト)が東国へ遠征された際、当地に立ち寄られ、記念にこのサクラをお手植えされたとの伝説から「神代」と言う名前がつけられたようだ。

 

鎌倉時代には、日蓮上人がこの地を訪れた時、サクラの衰えを見て憂い、樹勢回復を祈願されたところ再生し「妙法桜」とも呼ばれたとの言い伝えもある。

 

神代ザクラの極盛期は、幕末から明治初期と考えられるが、天然記念物に指定されると、コンクリートの囲柵や石積がされ、発育条件が阻害され皮肉なことに樹勢は衰えていった。そして昭和23年「3年以内に枯死」と宣告される。

 

その後も、昭和34年の台風7号では、神代サクラの主幹が折れるという被害を受け、隣接道路の車の往来により樹勢が益々衰弱し、ついに平成14年度から17年度の4年間土壌改良工事をはじめとする「神代ザクラ再生事業」が行われた。

 

そして、16年が経ち、今年もまた春が来て、悠久の時の流れを生きた神代ザクラが花を咲かせている。

 

駐車場から境内に入ってまず目に入ってくるのが、「神代ザクラ」の巨大な岩石のような根本だ。その岩から幾本もの幹が生えているように見える。2000年の年月の凄さが伝わって来た。花びらの一枚一枚に2000年の命が宿っているのかと思うと、他のサクラとは違った厳かな気分となる。

 

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② 神代桜の宇宙サクラ

2008年11月、神代桜の種がNASAからスペースシャトルに乗って宇宙に旅立った。そして、国際宇宙ステーション日本実験棟で約8か月無重力の状態で過ごし、2009年7月に宇宙飛行士若田光一さんとともに帰還した。

 

その種子を全部植えて様子を見たところ、2粒が発芽した。そのうちの一粒が実相寺境内に植えられ、花を咲かせるまでに成長した。

 

そして、花びらは通常5枚だが、一部に6枚の花びらが見つかっている。仏教の中には、六道という六つの世界があると言われている。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間そしてもう一つが天上界。「地球を離れて天上の世界を回った種が、六枚の花びらをつけると言うことは、一枚は天上の世界を意味しているように思える」と実相寺住職は語っている。

 

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③ 身延山しだれ桜の子桜

実相寺と縁の深い日蓮宗総本山・身延山久遠寺のしだれ桜(全国的にも有名な桜)の子供桜

 

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④ 実相寺境内のスイセン畑と桜並木(遠景の山は鳳凰三山

 

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⑤ 実相寺近くの畑からの眺め

右は甲斐駒ヶ岳だが、左の雪をかぶった山は私は仙丈ケ岳と思うのだが、地元の人に訊いても分からなかった。(早川尾根の一部のようなことを言う人もいた。)

 

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実相寺のサクラを堪能して帰路につく。