海の思い出

明日の7月18日は海の日だ。子供のころからどちらかというと、海よりも山に憧れ、行ったりすることが多かったが、海も決して嫌いではない。

 

    写真ACより     はしぞうはしぞうさんの作品

 

前方全面が海の場合、水平線がほんのわずかに丸みを帯びているのを見ると、「あ~地球は丸いのだな~」と実感でき感動する。広く大きな大海原を見ていると、こせこせとした日常生活の些末のことは忘れ、気が大きくなる。

 

誰もいない波打ち際に座って.寄せては帰す波の様子を、ただぼんやりと眺めているのが好きだ。遠くに浮かぶ貨物船「どこへ行くのだろう?」と想像するのも楽しい。

 

「海」に纏(まつ)わる思い浮かぶことを、思いつくままに綴ってみました。

 

1. 知多の海

子ども時代は名古屋に住んでいたので、海と言えば、名古屋に近く交通の便も良い知多の海へは、遠足、海水浴とよく行っていた。  

 

1⃣ 聚楽園の海

名鉄聚楽園(しゅうらくえん)駅」は線路の山側はみかんの丘で、隣に大仏様が鎮座している。その反対側は、今は埋め立てられているが、私が小学校の頃は、潮干狩りもできる遠浅の海岸だったと思う。

 

その聚楽園へ小学校3年生の春に遠足に行った。目の前の伊勢湾の右奥は名古屋港なので、沖には沢山の大型貨物船が往来していた。

 

その時母が作ってくれたお弁当の、夏ミカン程もある大きなおにぎりの味が格別に美味しかった。今でも大きなおにぎりを見ると、当時のあの味が思い出され懐かしくなる。

 

2⃣ 内海海岸

私が子供のころ、この内海海岸は、中京地区で最も人気の海水浴場だった。盛夏のころは、芋を洗うような混雑と新聞紙面を賑わせていた。内海海岸へは小学生の時に海水浴に数回行ったが、白砂で遠浅の海水浴場は子供にも泳ぎやすく楽しく遊んだ。

 

3⃣ 師崎(もろさき)

知多半島先端の漁港の町だ。この辺りの道路から見える三河湾、伊勢湾の景色が良い。仕事で知多市半田市の会社に長期出張していたので、休みの日には、この辺りをドライブで良く訪れた。漁師さんが経営している食堂では、新鮮な魚介類をたらふく食べることができた。

 

2. 外洋の海

1⃣ 熊野灘

大学1年の夏休み、友人からツェールト(簡易テント)を借りて、紀伊半島を左回りに一周した。その時三重県南部の熊野市駅で途中下車して、歩いて直ぐの熊野灘に向かい黒い小石の浜で泳いだ。

 

太平洋から直接寄せる波の高さは1m以上あったと思う。波打ち際から数m行っただけで足がつかなくなる。私は泳ぎが得意でもないので、その辺りで10~20分水に浸かっただけで、小石の浜に戻った。護岸堤防にはペンキで「遊泳禁止」と書いてあった。

 

若かったとはいえ、今考えると無謀なことをしたものだ。最近テレビで水難事故の特集をやっていて、「離岸流」が紹介されていた。「離岸流」は遠浅の海水浴場でも発生し、その流れにのまれると、泳ぎの上手い人でも沖にながされてしまい、岸に戻るのは難しいらしい。

 

私はこの時、遭難してもおかしくなく、何もなかったのは運が良かったと思うべきだろう。

 

2⃣ 石川県小松の日本海

大学3年の夏休み、富山県宇奈月温泉での合宿に友人と二人で向かった。北陸線小舞子」で途中下車して、日本海で泳いだ。岸に戻ると財布など貴重品の入った私のカバンが、何者かに盗まれた。

この件の顛末は、本ブログ(2021年7月13日アップ「古いアルバム」)に記載しています。

 

3⃣ 式根島伊豆七島

会社に入って数年後の夏に寮の仲間と式根島に行った。泳いだり海中温泉に浸かったり、宿で美味しい物を食べたであろうが、あまり覚えていない。

 

帰りの船では、日中ずっと竹芝桟橋までデッキで海を見ていたので、真っ黒黒に日に焼けた。その顔で会社へ行くと、当時話題となっていた公害物質に準え(なぞらえ)て、「チクロ」の名前が私にあだ名として付けられた。

 

 

3. 四国の海

四国へは、へんろで歩いて二回りしたので、四国の太平洋、土佐湾宇和海、瀬戸内海(伊予灘、燧灘、播磨灘)の海は存分に眺めさせてもらった。

 

中でも印象に残る海の絶景は、

高知県土佐市から須崎市に至る横浪スカイライン(標高100m位に敷設されている)からの土佐湾の眺め

しまなみ海道の橋梁の上からの瀬戸内海の眺め

高松市82番根来寺(ねごろじ)から鬼無(きなし)へ下る県道からの瀬戸内海の眺め

である。

 

 

4. 日の出の海

1⃣ 千葉九十九里浜

家族で海水浴に行き、朝、日の出を見に行こうと子供たちを誘ったが、眠っていた方が良いらしく彼らは起きてこない。仕方なく一人で海岸へ行った。

 

日の出の時刻になったが、水平線上には雲がかかっていて、水平線から登る太陽は見ることができなかった。

 

2⃣ 伊豆高原

やはり家族旅行で、年末から正月にかけて伊豆方面に旅行した。元旦の朝、初日の出を見に子供たちを誘ったが、又も初日の出より布団の中の方が良いと断られる。

 

初日の出の30分ほど前に、日の出見物場所の断崖の上に到着。既に数十人が寒さの中、初日の出を待っていた。ここも、東の方角は海の上に雲が漂い、結局太陽は水平線ではなく、雲の上から出てきた。

 

3⃣ 熊野灘

初回へんろの結願後、高野山熊野大社を巡って、熊野市に宿を取った。ここは学生時代に泳いだ海岸の近くで、宿に荷を預けてその海岸に行ってみた。黒い小石を踏みしめると、何十年も前のことがついこの前のように蘇った。

 

翌朝、空が白み始めた頃、日の出を見にこの海岸へ行く。この日は11月27日、日の出は6:50だ。30分程前から東の水平線を注視する。

 

水平線のほぼ中央が赤み始めた。徐々に空が紅色を帯びてくる。水平線の一部に雲があったので、又雲の上からの日の出かと思ったら、何と水平線から直接太陽が出てくるではないか。空が真っ赤に燃え、海も波間に太陽からの黄金色の光線を映し出している。地球、宇宙の営みに感動し厳かな気分になり、太陽に手を合わせた。

 

5. 夕陽の海

1⃣ 新潟県上越市柿崎海岸

4年前の秋、車で会津方面の紅葉を見に行った。その後日本海側に出て、上越市柿崎に宿をとる。15:30 宿の裏手にある日本海を見に行く。海岸には6~7人の釣り人が、竿を投げていた。何を狙っているか訊いて見ると「ワラサ(成長するとブリになる60~80㎝の魚)」という。

 

 

浜辺に座ってぼんやりと海を眺める。私はこうして、波の満ち引きの音を聞きながら、何も考えずにぼーっとしているのが好きだ。母の胎内にいるようで、心が安らぐ。地球の生命は海の中で始まっているので、波の音は生き物のDNAに刷り込まれているのだろう。

 

日本海に沈む夕日を見たかったが、この日の日の入り時刻16:59になっても雲が多く、夕日をみることはできなかった。

 

2⃣ 東尋坊

30年以上前、福井県三国町の会社に長期出張していた。宿泊地は東尋坊のすぐ近くで、仕事が早く終わった時には、東尋坊へ行って断崖の上から日本海を眺めていた。日本海に沈む夕日も何度も見ることができた。

 

陽が落ちるにしたがって、太陽の大きさがだんだんと大きく見えるようになる。真っ赤に染まった空と海の中を静かに沈でいく太陽はそれはそれは荘厳で美しく、日の出と同じように自然と手を合わせたくなる。

 

 

6. 車窓からの海

列車の車窓から見える海で印象に残っているものはというと、私の乗車経験では

東海道在来線の小田原~熱海間

常磐線勿来(なこそ)近辺

仙石線松島近辺

・旧北陸本線えちごトキめき鉄道)の親不知(おやしらず)近辺

羽越本線の村上~鶴岡間

が思い浮かぶが、ここでは、20年程前の1月中旬に「青春18きっぷ」を使って東北地方を旅した時に利用した「五能線」からの冬の日本海の眺めについて記す。

 

五能線青森県五所川原秋田県東能代を海岸線で結ぶJRのローカル線であるが、山側の白神山地世界遺産に登録されてから、JRも観光に力を入れて観光列車(リゾートしらかみ)を走らせている。

 

私が訪れた時は、まだ世界遺産登録前でしかも厳冬期であったため、観光客はは全くいなかった。

 

鯵ヶ沢で途中下車して町をぶらり、魚市場内の食堂で海鮮ランチを食べて、能代方面行の2両連結ディーゼルに乗り込む。座席は4人のボックス席、乗客は地元の人が数人。列車は小雪の舞い散る中、ゴーっという音とともに動き始めた。

 

しばらく鯵ヶ沢の平地を走って、次の陸奥赤石からは、右手に日本海が現れ、以降五能線秋田県の八森まで約2時間海岸に沿って走る。岩の畳を敷いたような千畳敷日本海の荒波が打ち寄せ、泡状の波の花ができている。

 

列車は轟木(とどろき)と言う無人駅に停車した。この駅は映画「男はつらいよ第7作奮闘編」のロケでも登場し、映画では日本海からの風雪に晒された侘しい駅として描かれていたが、実際の駅もまさにその通りの佇まい(たたずまい)であった。

 

深浦を過ぎて、線路はさらに海岸線に近づく。冬の荒れる日本海を右に見ながら列車は進む。演歌の世界だ。

 

日本海は厚い雪雲に覆われている。この時、雲の隙間からレーザーのような七色の光の束が差し込み、海を貫いた。その後、光の束は2本3本と増えた。それは、雲の上から神様がその光に沿って降りてくるのでは(天孫降臨)と思われるような幻想的な光景だった。

 

その後も車窓からの日本海の風景を楽しんだが、東能代に着いた時は、日も暮れ、その日の宿、秋田までの奥羽本線の車窓からは何も見えなかった。