夏の終わりの思い出

8月もお盆が過ぎ、高校野球が終わるころになると、周りは真夏の喧騒が収まり、どこかに気だるさが漂う雰囲気となる。私は若いころから、この時期の「宴の後(うたげのあと)」のような感覚が好きだった。

 

会社に勤めていた頃、夏休みの取得期間は自己申告で決めることができたので、例年8月の20日頃から一週間程休暇を取っていた。この時期が好きなのと、旅行する場合は、旅先の交通や、宿の混雑がお盆のころより緩和されるからだ。  

 

この頃の、我が家の子供に纏(まつ)わる昔の思い出を列記します。

 

1⃣ 牧場での競走

記憶が定かではないが、息子が小学4年生、娘が小学1年生だったと思う。夏休みの終わりの頃、近場の牧場へ行った。牧場と言ってもそんなに広大ではなく、その日は牛が数頭放牧されているだけだった。

 

放牧場の横に平らな草原があったので、3人で競走することにした。娘が先頭、息子が娘の後ろ10m位、私がその後ろ10m位のハンデを付け、「よーいドン」でスタートする。走行距離は、娘が30m、息子が40m、私が50mだ。娘から約30m先がゴール。3人が懸命に走る。息子と娘は学校で走るのは早い方だったが、その時は私もまだ若く、何とか前の二人に追いついて、3人がほぼ同時にゴールした。

 

周りの小高い山の上の雲は茜色に染まり、どこかに秋の気配を感じる快い風が、3人の間を吹き抜けた。

 

2⃣夫婦と息子の3人旅

家族旅行は、子供が小学生くらいまでは、皆で喜んで行ったものだが、中学生以上になると子供たちは親との旅行を敬遠するようになる。

 

息子が高校1年生、娘が中学1年生の夏休み、娘は妹家族が赴任しているドイツフランクフルトに預けていたので、夫婦と息子の3人で旅行した。息子は気が乗らなかったようだが、母親が説得して3人旅となった。

 

<1日目>

この時は行き先も当日に決めて、昼前に出発、取り敢えず16号から関越自動車道経由で伊香保温泉に向かう。息子は元々無口な性格なので、車の中でもほとんど喋らない。当時はまだゲーム機が無い時代で、後部座席で横になったり、座って黙って外を見ていたようだ。

 

温泉の観光案内で宿を紹介してもらう。飛び込みなのであまり期待しなかったが、温泉、食事、サービス共に合格点の宿だった。

 

<2日目>

榛名湖から北軽井沢を経由して軽井沢へ向かう。途中寄った浅間牧場のソフトクリームはそれまで食べた中では最高に美味しく感じた。口数の少ない息子も、口にこそ出さなかったが「ウマい」という顔をしていた。

 

軽井沢の商店街をぶらりと歩き、パスタやさんでランチ。食後は18号で小諸、上田を通り、千曲川を渡って別所温泉へ。上田と別所温泉の間は、全国の鉄道ファンには、丸窓のレトロな電車で有名な上田鉄道別所線が走っている。

 

   写真ACより   ei-mi さんの作品

 

途中別所線と並行して走る道路に車を停めて電車が来るのを待つ。やがて塩田平の広い畑の中から、一両のローカル電車がコトコトとやって来た。夏の終わりの夕日を浴びて電車は郷愁を漂わせながら目の前を走り去った。

 

連れ合いと息子は電車には感心が無く、車の中でぼんやりと待っていた。

 

別所温泉も駅前の観光案内で宿を紹介してもらう。宿は純和風の高級旅館、風呂は大浴場、露天風呂、他豊富で、泉質は弱アルカリ性の美肌の湯だ。夕食の品数は多く、目移りしたが、その中のジュンサイを、私はこの時初めて食べたと思う。食感が心地よかった。

 

<3日目>

朝一番に、別所温泉近くの前山寺の三重塔を見学する、この辺り鎌倉時代から室町時代にかけて作られた国宝や重要文化財が多く点在していることから、「信州の鎌倉」と呼ばれている。

 

別所温泉の近くに、私の父の故郷があるので、寄ってみる。その集落に近ずくと、道の両側に「〇〇材木店」とか「〇〇商店」(〇〇は私の苗字)の看板が多く見られるようになる。

 

私の苗字は珍しい方で、実家の名古屋や、自宅の街ではほとんど見当たらない。息子も学校では一度も同姓に会ったことが無く、車窓から〇〇の看板を見るのも初めての経験だったので、「こんなに〇〇があるのか~」と興奮していた。

 

この後、白樺湖から中央道に抜けて帰路に就いた。息子とは以後一度も一緒に旅行していない。

 

 

3⃣ 夫婦と娘の3人旅

娘の中学時代以来、彼女の反抗期もあってか父娘のコミュニケーションは疎遠になっていた。彼女が短大1年生の夏休み、夫婦で飛騨旅行の計画を立て、息子は留守を守る事になった。娘を誘っても断られるに決まっていると思っていたが、母親が説得して、娘も参加することになった。

 

<1日目>

深夜3時頃車で家を出る。中央高速で松本へ。女性達は車の中で眠っていた。松本ICから国道158号を西に進む。梓湖の前川渡大橋を渡って一気に乗鞍を目指す林道のような県道を登っていく。清々しい早朝の乗鞍高原を通過して、更に急勾配の登り坂をゆっくりと進む。

 

車だから座っていても高度は上がっていくが、歩いて登るとなるとかなりハードな道のりであろう。文明の利器(車)の有難さを実感する。ジグザグの山道を抜けると位ヶ原、更に登ると、そこから道路は乗鞍スカイラインに繋がっている。

 

車を停めて外に出ると、その寒いこと、標高3000m近い山の上は、風も吹いていて、8月なのに身を切るような寒さだ。私は毛糸のセーターを着、連れ合いには私が持参したダウンジャケットを着せる。娘はこんな寒さは予想していなかったようで、ジャージーのようなものを着て、頭をマフラーのようなもので巻いて寒さを凌いでいる。

 

 

周りはガスっていて、遠景の山並みは見られない。寒いので早々に車に戻り、乗鞍スカイラインで平湯峠に出て、国道471号を北上する。

 

途中のクマ牧場に立ち寄った。ツキノワグマの動物園と言ったところか。数十頭が放し飼いされていた。

 

 

少し離れたところで人が集まっている。何だろうと思ったら、作曲家で歌手の平尾昌晃さんが見物に来ていたのだ。横には若い美女(奥さんか?)が付き添い、平尾さんはさすが芸能人、白いスーツ姿でカッコよくきめていた。

 

クマ牧場から車で30分程で奥飛騨温泉郷に入る。ここは竜鉄也さんが歌った「奥飛騨慕情」が大ヒットして全国に知られるようになった温泉だ。旅館前の広場に「奥飛騨慕情」の立派な石碑が設置されている。

 

 

そこから新穂高温泉を通って、新穂高ロープウェイ乗り場に至る。ロープウェイで西穂高口へ。ここの展望台から、周りの山々を眺める。この時は晴れていて、西穂、奥穂の穂高連峰北アルプスの眺望を楽しむことができた。(槍ヶ岳は手前の小さな山が邪魔してこの展望台からは見えなかった・・・?と思う)

 

 

本日の宿は、新穂高温泉の欧州ロッジ風のホテルだ。露天風呂は、ホテルから5分程歩いて下った川を堰き止めて作ったものだ。一人で行く。入浴者は一人も居らず、楓や木の葉が何枚も湯に浮かんでいた。女性達はホテル内の浴場に浸かった。食事は洒落た洋風で美味しい。 3人が同部屋だったので、娘とは久しぶりにくつろいだ気分となった。

 

<2日目>

新穂高温泉から、奥飛騨の山道を3時間以上かけて白川郷の入り口にたどり着く。そこは小高い丘の上で、白川郷が一望できた。テレビ等で良く紹介される合掌造りの民家の集落だ。

 

 

集落の中には、実った稲の田圃があったり、茅葺の合掌造り民家の横にコスモスが咲いていたり、のどかな風景が広がる。一昔前にでもタイムスリップしたかのようだ。郷内のお蕎麦屋さんで昼食とする。

 

 

 

白川郷を一巡りした後、今日の宿泊地高山に向けて、又飛騨の山道を荘川村を経由しての長距離ドライブだ。

 

夕方高山駅近くのホテルに到着。ホテルにチェックインしてから、高山市内の古い街並みやお店を見ながら散策する。小鳥の彫り物のみを集めたお店や、個性的な土産物屋さんが多い。

 

 

ホテルへ戻り、温泉(美肌の湯)に入って、食事、ここの夕食も美味しかった。娘とも何回か直接会話した。

 

<3日目>

朝、宮川沿いに屋台や露店が並ぶ宮川朝市へ行く。赤蕪漬、飯泥棒等の漬物や、野菜の他にバターナイフ、スプーン等の小物木彫品も売っている。端から端まで一往復して、次の見学地、高山市郊外の「飛騨開運の森」に向かう。

 

ここには、樹齢700年から1200年の、杉、楢、欅(けやき)、栃の木の大木ばかりを使って彫られた「大黒天」「恵比寿」「福禄寿」「布袋尊」「弁財天」「吉祥天」「毘沙門天」の七体の七福神が祀られている。これらは全て飛騨の匠による一刀彫で作られ、3.2~7.5mにもなる巨大な彫り物だ。その大きさに圧倒されながらお参りした。

 

(失敗写真ですみません、彫り物の巨大さを一番現わしていたので敢て掲載しました)

 

もう一度高山市内に戻り、昨日寄れなかった市内を散策する。飛騨国分寺を見学し、門前の甘味処で、朴葉焼とかき氷を注文する。

 

 

昼過ぎに高山を出発して帰路に就く。国道158号安房峠を越えて長野県に入り、松本ICで中央道に乗るルートだ。

 

平湯の手前の朴ノ木平スキー場が、シーズンオフのこの時期コスモスが植えられている。

 

 

ここは標高が高いため今が丁度見ごろで、一面に咲き誇っていた。娘はコスモスの群生の中に佇んで気取った姿勢で写真に納まっていた。

 

この旅行がきっかけで、娘との関係は自然と前のようにコミュニケーションがとれるようになった。

 

夏の終わりの懐かしい思い出だ。