へんろ日記 17

 8月14日にアップした「へんろ日記 16」の続きです。

 

 ーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーー

 

12月8月(金)(雨→雪)2017年/平成29年

<47日目 九度山町高野山奈良県天理市

 

12月7日に高野山麓の九度山に宿を取り、今日はいよいよ町石道(ちょういしみち)を歩いて高野山に入り、奥の院で大師様にお礼参りをして四国遍路を完結させる日だ。

 

四国遍路を成し遂げて、高野山奥の院にお礼参りをするアクセスは、普通は南海高野線で、橋本から極楽橋まで行って、ケーブルに乗り換え高野山山内へ、そこからバスか徒歩で奥の院に向かう。

 

今回訪れた時は、南海高野線九度山-極楽橋間が台風の被害で不通となっていた。その代替として橋本-高野山にバスが運行されていた。

 

私は、最初から電車は使わず、九度山から「高野山町石道」を歩いて高野山に行くつもりだったので、電車の不通は高野山往路には関係なかった。

 

高野山町石道(ちょういしみち)」は、高野山麓の九度山慈尊院から高野山山上西口の大門へ通じる表参道のことである。空海高野山開山のおり、この道に木製の卒塔婆を建てて道標とした。

 

鎌倉時代になって、朽ちた木の代わりに、石造り五輪塔型の町石が一町(約109m)ごとに建てられた。高野山山上の根本大塔を起点に慈尊院まで180の町石が建っている。この道は平成16年7月に世界遺産に登録されている。

 

1:30 九度山の天然温泉Yの布団の中で目覚める。高野山お礼参りの後に熊野古道小辺路を歩いて、3泊4日で熊野本宮へ行く当初の計画は、小辺路の山道にかなりの積雪があるとの情報を、昨日現地役場から得て中止とした。布団の中で小辺路に代えて奈良に行こうと決める。

 

高野山から奈良へのルートや、今晩の宿をスマホで調べる。

 

5:40 宿舎出発、宿を出る時降り始めた雨は、直ぐに本降りとなる。

 

6:00 コンビニ F 宿の朝食はキャンセルしたので、食べ物(肉まん、おにぎり、アンパン、チョコ)を調達する。 ずぶ濡れ状態の私を見るに忍びなかったのか、コンビニのオバサンが「気を付けてネ」と声かけ励ましてくれた。嬉しかった。

 

コンビニを出て紀ノ川の九度山橋を渡るころには、雨はますます激しくなってきた。夜はまだ明けず、道路にはヘッドライトを点けた通勤と思われる車が行き交い、しぶきを上げて私の横を通過していった。四国へんろ中の松山市内を歩いた時に匹敵するほどの大雨だった。

   

7:00 慈尊院 篠突く(しのつく)雨の中、慈尊院に到着。

 

慈尊院は、高野山が年貢の徴収の場として山麓に置いた寺務所である。又空海が母公の没後、伽藍を建て弥勒菩薩を安置したため、以後女人禁制の高野山に対し女人高野とも呼ばれるようになった。

 

ここから「町石道(ちょういしみち)」が始まる。

 

7:40 展望台 雨の中、最初のキツイ坂を登った所に展望台が現れる。雨は降っているが雲が切れて、九度山、紀ノ川方面が見渡せた。ここは「朝日夕日100選」にも選ばれている展望スポットだそうだ。

 

今夜の宿の予約電話を入れたら、昨日と違って一回で予約できた。だめなら縁がなかったものと謙虚な気持ちで架けたのが良かったか?

 

近くに無人販売のみかんがあったので、飲み物代わりにでもと買う。(一袋100円)

 

9:05 六本杉 町石道は訪れる前、車一台が走れるくらいの幅の道かと思っていたが、ハイキング、登山道と言った感じだった。ここを出てからも雨は止まず、寒くなってくる。手袋はビショビショで、とにかく寒い。

 

11:00 三里石 ここまで人には一人も合っていなかったが、ここで中学校の先生3人組に合う。来週生徒を連れてくるので、その下見にき来たという。

 

11:15 矢立 国道370号を横切る。国道沿いに矢立茶屋があったが、店は閉められていた。

 

12:05 展望台 雨で何も見えない。寒い、本当に寒い。アンパンを齧る(かじ)る。

 

13:20 大門 高野山に近づくにつれて、標高も上がり、雨がミゾレからそして雪に変わり、道には雪が積もり始めた。

 

最初の展望台で買った、ビニル袋入りのみかんは、寒くて食べる気にはなれず、ここまで手に持って歩いてきた。ザックに入れるのも面倒で、路傍に捨てた。環境上ビニル袋の廃棄は気が引けたが、手が寒さで縮んでみかんだけを取りだして捨てるのが大変だったのだ。

 

雪で白くなったキツイ登りの町石道を、ガンバって高野山山上西口の道路に出ると、一挙に視界が広がり、巨大な朱色の楼門「大門」がドーンと目に飛び込んできた。思わず「オウ!」と感嘆の声を発する。

 

       写真ACより  n*************m さんの作品

 

大門は、高野山の総門で、5間重層の大楼門だ。高さは25.8mもある。高野山町石道は、ここから、山内に入る。

 

山内は雪が10~15㎝ほど積もっており、お店の人は店の前を雪かきをしていた。山内には天下の霊場117の寺院や堂塔大伽藍がある。雪の積もったこれらの風景は、写真には絶好の被写体であるが、とにかく寒いのと、重装備の雨支度でスマホを直ぐには出せず、結局高野山では、一枚も写真が撮れなかった。

 

根本大塔、真言宗総本山金剛峯寺の横を通って奥の院へ向かう。雪かきをしていない所は、靴が雪に沈み、歩きにくい。滑って転倒しないよう注意して進む。

 

一の橋から奥の院が始まる。一の橋から弘法大師の御廟までの2㎞の参道の両側には、杉の巨木が聳え、雪も積もって荘厳さを醸し出していた。杉の大木の周りには、織田信長豊臣秀吉武田信玄上杉謙信、徳川家、伊達政宗といった有名どころの戦国武将を始め約20万基の墓碑が眠っている。

 

この天気のせいか、奥の院には参拝者や観光客はほとんど見受けられず、厳かに静まり返っていた。

 

        写真ACより   n*************m さんの作品

 

14:10 御廟 ここは大師信仰の中心聖地である。御廟でお参りをするために、さんや袋から納札を出そうとしたが、寒くて手が凍え上手く出せない。何度も袋に手を入れて札を掴もうとしてもうまくいかない。時間ばかりが経過してパニック状態になった。大師様の前でお恥ずかしい。

 

納経所で、このへんろ最後の墨書朱印をして頂き、隣の休憩所に入る。室内はストーブが焚かれ、今日初めて暖気に触れた。身体の芯まで冷えていたので、心底心地良く「へんろをやり遂げた」という安心感から眠くなった。

 

これで、今回の四国へんろの旅は終了した。当初は、今夜高野山に泊まって、明日からは、熊野古道小辺路の山道を歩く予定であったが、高野山山内でさえ、これだけ雪が積もっているのだから、小辺路の山道はさぞかし深い積雪と思われる。中止にして正解だった。

 

14:55 奥の院中の橋 ここから始発のバスで高野山山内の街を通ってケーブル山上駅に行く。南海高野線は不通なので、代行のバスに乗り換え、JR橋本駅へ。バスは何故か凄く遠回りのルートを走った気がした。

 

15:50 JR橋本駅 今日の宿は奈良県天理市のビジネスホテルを予約してある。予約したはいいが、ここから天理までどう行ったらよいか。関西のJR、私鉄路線図は馴染みが薄く頭に入っていない。

 

こういう時に便利なのがスマホの「乗り換えアプリ」だ。スマホに助けてもらって、橋本(JR和歌山線)ー五条(JR和歌山線)ー吉野口(近鉄吉野線)ー橿原神宮前近鉄橿原線)ー平端(近鉄天理線)ー天理と乗り継いで、天理に辿り着いた。

 

18:00 ホテルI 主人はいかにも関西人と言ったのりの良い紳士だった。しばらく空室だったと思われる部屋は冷えていたが、エアコンの暖房をMAXにし、洗濯をして風呂に入る。今日は一日寒い思いをしたので、お湯に浸かると身体が蕩(とろ)けるように気持ち良かった。

 

ホテル近辺には、適当な食事処が無く、主人お薦めの屋台ラーメンを食べに行く。それなりに美味しかった。帰りにコンビニで肉まんを買ってホテルで食べる。

 

12月8日の歩数 59,900歩   歩行距離 39.0㎞

 

 

            ー続く(非定期)ー

 

「へんろ日記」は、次回からは「へんろ日記 番外編」として継続します。