へんろ日記 番外編 1

9月18日にアップした「へんろ日記 17」の続きです。へんろ旅は前回で終了しましたので、以降帰宅までの旅の記録を「番外編」として掲載します。

 

ー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ー

 

12月9日(土)(晴)2017年/平成29年

<48日目 天理市奈良市斑鳩町大和郡山市

熊野古道小辺路の代わりに急遽思いついて来た奈良であったので、奈良のどこへ行くか、どのようにいくか、の計画は何も考えていなかった。単純に奈良のお寺の仏像でも見てみたいと思っただけである。

 

取り敢えず、宿泊した天理のホテルで奈良の地図が入っている パンフレットをいただき、あたふたと計画を立てる。

 

移動は四国遍路の余韻がまだ残っているので、基本徒歩とする。地図を見ながら行きたい所(時間的に行けそうな所)を朱色のマーカーで印を付け、本日は以下とした。

 

興福寺 ②東大寺 ③唐招提寺 ④薬師寺 ⑤法隆寺 ⑥中宮寺

 

7:40 天理のビジネスホテルで朝食 トーストとゆで卵、野菜サラダの質素な物だった。明日は明日香方面に行こうと思ったので、このホテルの連泊を申し出たが、明日はマラソンがあり満室と断られた。

 

8:16 JR天理から乗車 

 

8:30 奈良着 駅前の商店街を歩いて興福寺方面に向かう。奈良は小学校の修学旅行以来だ。12月も9日ともなると寒い。コンビニで手袋を買う。歩きながら今日の宿(大和郡山市)を予約する。

 

9:00 興福寺 早朝の境内はまだ観光客も少なく清々しく気持ち良い。

 

 

興福寺藤原氏の氏寺として710年の平城遷都とともに建立された日本を代表する古刹(こさつ)だ。又、五重塔、東金堂、北円堂、南円堂などの建築物、阿修羅像、四天王立像、十二神将立像など数多くの国宝・重要文化財を所蔵している。(国宝の15%)

 

私は興福寺では、「阿修羅像」を是非この目で見てみたいと思って訪れたのだが、この時それは東京の博物館に出品していて、折角来たのにそれを所蔵しているこの寺では見ることができなかった。

 

         拝観することができなかった「阿修羅像」

 

 

東金堂の仏像を拝観する。入場の時、前に小学6年生の女の子が一人で並んでいた。何でも一人で奈良の仏像を見に来たそうで、今年10回以上来ているそうだ。タレントでモデルの「はなさん」(仏像好き)のような女の子だ。

 

 

 

 

 

10:40 東大寺 

 

                 東大寺大仏殿

 

イヤー、ビックリ、ワンサワンサの人だかりで驚いた。駐車場には観光バスがずらりと並び、時間的に前夜奈良で一泊した団体の観光客が、朝一番でここを訪れたのだろう。こんなに人を見たのは、この旅始めてのことだ。

 

見たところ、70%がアジア系外国人、20%が修学旅行生、8%が日本人団体客、2%が一般客、その内個人で来ているのは私を含めて数人と思われた。(※この時はまだコロナの市中感染がなかった。)

 

団体さんに混じって大仏を巡る。余りの混雑に閉口し、境内の東大寺ミュージアムに入る。こちらは拝観者が少なく、大仏殿の騒々しさに比べ静かで落ち着いていて安らげた。

 

 

11:40 歩いて次へ向かう。奈良駅北側の道路を西進する。観光地ではない奈良市の顔となった。うどん屋で昼食、ミックス丼(天丼・かつ丼)を注文、量が多かった。

 

 

12:30 唐招提寺 住宅街を歩いて寺の東門から入ろうとしたが、門は閉ざされていた。南に回って南大門から入場する。玉砂利を進むと正面にドーンと金堂が現れる。

 

 

唐招提寺は、井上靖の小説「天平の甍(いらか)」のモデルとなった唐の高僧鑑真大和上によって759年に創建されたお寺だ。鑑真和上は日本に来る際、五度の航海に失敗して失明し、6回目にようやく渡航できた。翌年聖武天皇を始め400名余りの僧侶に戒を授けた。

 

 

                鑑真和上像

 

 

御影堂には、東山魁夷による障壁画「山雲」が奉献されている。

 

 

 

唐招提寺では金堂等の建物を外から見ただけで次に進む。

 

 

 

13:30 薬師寺 唐招提寺の南にある薬師寺は歩いても直ぐの距離だ。

 

薬師寺は680年天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒(へいゆ)を祈願して飛鳥の地に建立し平城遷都に伴い現在地に移された。当時はわが国随一の荘美を誇っていたが、以来1300年幾多の災害に遭い、東塔を除く諸堂が灰燼(かいじん)に帰していた。

 

昭和42年、高田好胤管主により、白鳳伽藍(がらん)復興が発願され、写経勧進によって、金堂、西塔、中門、回廊、大講堂が復興された。

 

      復元された金堂と西塔(東塔はこの時、解体修理中であった)

 

       復元された大講堂(正面41m、奥行20m、高さ17m)

 

 

         昭和56年 白鳳様式をもって復元された西塔

 

薬師三尊像を礼拝した時、薬師如来の左右の日光菩薩月光菩薩の腰のしなやかな曲がり具合が何ともセクシー(不謹慎か?)で美しかった。

 

 

 

 

14:20 薬師寺から次の斑鳩(いかるが)の法隆寺まで、徒歩では本日の拝観時間に間に合わないので、バスで行く。バスは20分程遅れてきた。寒いバス停で待っていたので、暖かい車内は気持ち良くウトウトする。

 

 

15:00 法隆寺 言わずと知れた聖徳太子建立の名刹で、日本で一番有名なお寺かもしれない。

 

                 法隆寺全景

 

夢殿他建造物をザっと拝観する。教科書に載っているようなものを見ても、余り感動しなかった。拝観料1500円は高いと思う。

 

 

 

 

15:40 中宮寺 実は本日一番の楽しみは、中宮寺の「国宝・如意輪観世音菩薩・半跏思惟像(はんかしゆいぞう)」を拝観することだった。以前から仏像の写真集やテレビで見て、その美しさに憧れていた。

 

中宮寺の拝観時間は16:00まで、受付はその15分前までであったので、法隆寺の東隣ではあったが、間に合うかヤキモキし、受付終了5分前に入場できた。

 

中宮寺聖徳太子母公の御願によって創建された尼寺である。その本尊「菩薩半跏像」は、中宮寺リーフレットによれば、

 

「この像は、飛鳥彫刻の最高傑作であると同時に、わが国美術史上欠かすことの出来ない作品です。国際美術史学者間では、この像のお顔の優しさを数少ない『古典的微笑(アルカイックスマイル)』の典型として高く評価し、エジプトの『スフィンクス』、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』と並んで『世界の三つの微笑像』とも呼んでいます。

 

半跏の姿勢で左の足を垂れ、右の足を左膝の上に置き、右手を曲げて、その指先を仄かに頬に触れる優美な造形は、人間の救いを『如何にせん』と思惟されるにふさわしい清純な気品をたたえています。」

 

とある。まさにその表情の優しさと美しさは、見るものの心の奥に染み渡り、万人を魅了する。終了時間ギリギリまでご尊顔を拝観していた。奈良へ来て良かったと思った。

 

 

 

 

 

 

16:00 中宮寺から大和郡山市のホテルへ向かって歩く。周りは始め黄昏時だったが、だんだん暗くなって、すっかり夜の帳(とばり)がおりて完全な夜になった。

 

17:30 スマホのグーグル地図を頼りに最短経路でホテルに着く。このホテルは立派な温泉が付いていて、設備も清潔で良いのだが、夕食が無く外へ食べに行く。

 

明日は明日香方面に行ってみようと思う。

 

 

12月9日の歩数 42,900歩    歩行距離 27.9㎞

 

 

              ー続く(非定期)ー