目黒孝二さん

1月下旬のある日、毎朝聞いているTBSラジオ森本毅郎スタンバイ」で、目黒孝二さんの訃報が流れた。「あの目黒孝二さんが亡くなったのか~」と感慨にふけった。1月19日、肺がんで逝去されたという。76才だった。 

 

(以下敬称略)

私が目黒孝二を知ったのは椎名誠の本で、そこには椎名の数ある仲間の一人で、本が好きで好きでたまらない男として描かれていた。

 

目黒は、明治大学を卒業後就職するが、「毎日通勤していたら、本が読めなくなる」という理由で三日で退社する。その後も就職しては三日で退社することを繰り返した。その内の一社で目黒は椎名と知り合い、後に椎名とともに1976年に書評をメインとした「本の雑誌」を立ち上げた。

 

本の雑誌」を立ち上げるまでのいきさつを、椎名は「本の雑誌血風録」に、目黒は「本の雑誌風雲禄」という本にして詳しく描いている。二作とも、若者たちが夢を抱いて、新しい雑誌を刊行するまでの格闘する様子を、清々しく活写している。

 

最近、この二冊をもとに関係者への取材もまじえて、カミムラ晋作が漫画化した「黒と誠~本の雑誌を創った男たち~」が出版された。

 

従来の書評というと、学者や文壇の長老たちによる難解なものがほとんどであったが、目黒は自分が面白いと思った本を、その面白さを一人でも多くの人々に伝えたいという信念から、主にエンターテイメント系の書評を書き続け、「本の雑誌」他に発表した。

 

本の雑誌」の刊行時は、椎名が編集長、目黒が発行人の肩書であったが、椎名がメジャーな作家として多忙となってからは、目黒が実質的な編集長として雑誌を切り盛りした。

 

2000年、目黒は発行人の役を若手に譲り、自らは顧問になる。当時事務所が京王線笹塚駅近くにあって、目黒は自宅にはほとんど帰らず、その事務所で寝泊まりして、本を読んで書評を書いていた。

 

その様子を、「笹塚日記」として「本の雑誌」に連載している。食事は始めは外食したり、出前をしていたが、そのうち事務所の調理場で自炊も始める。自分の作った料理についても、冷静に批評をしているのが面白い。

 

目黒は著書が多数あるので、ジャンルごとに異なるペンネームを使っている。

 小説では、「目黒孝二」

 書評、文芸評論では、「北上次郎

 競馬評論では、「藤代三郎」

である。

 

目黒の趣味は競馬で、先の「笹塚日記」にも、平日は寝泊まりしている事務所での様子を書いているが、土日は毎週「終日、中山競馬場」「終日、府中場外」と一行で済ませている。

 

私は競馬のことはよく分からないが、スポーツ紙に藤代三郎のペンネームで連載していた競馬関連記事は、競馬ファンには好評だったらしい。今回の訃報に対して、サンスポの鈴木学記者がネットに、目黒のことを次のように投稿している。

 

「本が書斎派なら競馬は現場派だった。馬友(うまとも)と競馬場へ繰り出し、早朝から並んで取った指定席で馬券を買って観戦した。本命にした馬への声のかけ方は『馬名では無く、騎手の名前を呼ぶ』や発するタイミングと言った競馬場での所作に一家言あった」

 

そして、記者は目黒の言った「普段は馬券が当たらないことに文句を言ったりしているが、毎週元気で馬券を買っている日々こそ極上の日々なのである」の言葉が忘れられないと結んでいた。

 

 

私は「本の雑誌」の存在は知っていたが、私の地元の本屋には置いてなかった。20年程前、勤務先が新橋になり、仕事で都内の事務所に行った帰りなど。新宿や赤坂の書店に寄ってみると、なんと「本の雑誌」が平棚に山積みされていた。

 

以降3年程、都内の書店で毎号買い求め愛読した。

 

 

 

本の雑誌」には目黒の別名北上次郎の他に、大森望中場利一他7~8名の書評家による新刊本の紹介や書評がが掲載されていた。書評以外に、目黒の「笹塚日記」や、椎名誠、椎名のユニークな仲間沢野ひとし(変な画家)、野田知佑(カヌー冒険家)、木村晋介(弁護士)のエッセイを連載している。これらが又結構面白い。

 

本の雑誌」は毎年「本の雑誌が選ぶ○○年度ベスト10」を発表しているが、目黒は選考に当たって、既に評価されている作家よりも、まだ日の目を浴びていない新人作家の作品を上位にしたいと言う作品評価とは別の判断が働くと言っていた。

 

ところが、2002年度のベスト1には、山本周五郎賞直木賞も受賞している重松清の「流星ワゴン」を選んでいる。

 

「・・・『流星ワゴン』はじわじわと効くのだ。読み終えた時よりも一か月後の方が印象が強くなり、そして半年後はもっと強烈なものに育っていく。『流星ワゴン』の底を流れる切実感とこの小説が与えてくれる静かなパワーが時がたつごとにどんどん膨れ上がっていくのである・・・」と目黒は書いて、自分の感情に従って、今回は例外として「流星ワゴン」をベスト1にしたと釈明している。

 

このように、熱く「本」のことを語っていた目黒孝二が亡くなった。

ご冥福をお祈りします。