正月のネット記事を見ていて「菅直人元首相、夫人が明かす『認知症・要介護3』の現在」と題するショッキングなタイトルに目が止まった。この記事を書いたのは、日仏共同テレビ局「France10」記者、及川健二氏である。及川氏は、菅元首相とは20年近く交流があり、パリに短期留学していた元首相の奥さんの伸子さんとも親交があった。
及川氏は、最近永田町界隈で「菅さんが最近認知症である」との噂が広まっていて、2年前の武蔵野市議補選で話をした時は、屈託のない笑顔を見せ元気そのものだったので、その真偽を確かめたくて、1月4日に東京多摩の菅氏の自宅を訪れた。
以下は及川氏の記事の抜粋である。
伸子夫人と30分くらい話したころ、奥の部屋で休んでいた菅氏が笑顔で姿を見せた。杖こそついているが、足取りは確かで、表情や見た目も最後に会った時とほとんど見分けがつかず元気そうに見えた。
伸子夫人が抹茶を点てて、菅氏と及川氏が飲む。お茶の席で菅氏は「1974年に市川房江さんを81才で擁立したんだ。87才まで任期を全うした、すごいだろう?」とまるで最近のことのように話す。その後抹茶をお代わりし、一口サイズの羊羹を二つ美味しそうに頬ばり、食べ終わると「伸子戻るからな」と再び奥の部屋に入って行った。
菅氏との面会時間は15分程だった。表情は穏やかで、話すスピードは少しゆっくりだが口調はしっかりしており、特に心身の不調は窺えなかった。
及川氏はその後、伸子夫人に200冊ほどの本が収納されている菅氏の資料室に案内される。蔵書は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」等の単行本、チェルノブイリ原発事故などの原発専門書、世界の指導者(フランスミッテラン大統領やドイツメルケル首相等)の回顧録、薬害エイズ関連資料等である。
伸子夫人の解説を聞いたり話をした後、夫人は問わず語りにこう話し始めた。
「じつは、菅は要介護3で認知症が始まって.....。去年7月に足のくるぶしを骨折して入院していたの」
要介護3は日常生活において全面的な介護が必要で、認知機能の低下などの症状も多くみられる状態だ。及川氏は「やっぱり噂は本当だったのか」と驚いたが、レーガン元米大統領、サッチャー元英首相、シラク元仏大統領も認知症になり晩年を過ごしたことを伸子夫人に伝える。世界のリーダーも、最後は一人の人間として記憶や役割を少しずつ手放していくのだろう。
伸子夫人が続ける。「今までは政治の手伝いだったけど、これからは介護をしていかなくっちゃね。でも今年は東日本大震災から15年だから、取材依頼がいくつもきているの。ただ菅は何も覚えてないから、それが困っちゃって....」
首相として、また最大野党の党首として、常にファイターだった菅氏。今ようやく家族と過ごす穏やかな日々を送ることができているようだ。
と、及川氏の記事は終わっている。
「菅直人」と聞いて私が思い浮かぶのは、
① 東京工業大学理学部という政治家としては珍しい理系の大学を卒業
② 市川房江を担ぎ出しての市民運動で活躍
③ 橋本内閣での厚生大臣時代、厚生官僚が見つからないとしていた薬害エイズ資料の発見から真相究明の道筋をつけたこと
⑤ 2010年総理大臣就任
⑥ 2011年東日本大震災の福島第一原発メルトダウンにおいて、東京電力は現地から撤退の方針を示したが、当時首相だった菅氏は東電に乗り込み、経営陣を怒鳴り付けて撤退をやめさせたこと
等である。
菅氏は民主党結党前の1996年に「日本大転換」という本を出している。当時私はこの本を買って読んだが、「官」と「政」のあり方について書かれ、「官を抑えるためには、政が働かねばならない」と結論付けていた。
菅氏は現役の若い頃、「イラ菅」と呼ばれるほど非常に短気で、些細なことでも癇癪を起して怒鳴りつけていたが、後年、直ぐに爆発する「イラ菅」から、じっと黙って我慢する「ダマ菅」に変身したと新聞で報じられもした。
11年前に私が最初に四国遍路をした時、ある宿で「菅氏が四国遍路でこの宿にも宿泊した」と聞き、「政治の世界の諸々のことを考えながら歩いていたのだろうか?」と想像した。
首相時代後半からの菅氏の評判は余り芳しいものでは無かったが、私は彼を応援していた。そして引退して数年後、菅氏は菅夫人に「菅は今『涅槃』に入っているんですよ」と言われている。
―了ー