テレビ、ラジオの番組は、3月とともに9月は翌月からの新番組に備えて終了することが多々ある。私が毎朝聞いているTBSラジオ「森本毅郎スタンバイ」の中の、「歌のない歌謡曲」というコーナーも9月29日(金)を以て(もって)終了した。
このコーナーの歴史は古く、71年間続いたというから驚きだ。「歌のない歌謡曲」はTBS系列の全国37局で6:40~6:55に生放送※されていた。スポンサーはパナソニック(旧名:松下電器、ナショナル)一社提供である。(※生放送でない局もあるようだ)
各局が独自に制作していたので、ナレーションや選曲は、局により異なる。私も子供の頃、名古屋のCBCで聞いていた。丁度朝食時で、急いで朝ご飯を掻き込んで慌てて学校へ行ったものだ。この頃の選曲は本当の歌謡曲で、その頃流行った曲が歌無しで流れていて、演奏だけというのが当時としては珍しかった。
関東地方に住むようになっても、朝はTBSラジオを聞いていたので、「歌のない歌謡曲」は時計代わりで、生活の一部のような感覚だった。TBSの選曲は、題名は「歌謡曲」といいながら、洋楽やポップ系で、所謂(いわゆる)演歌系の曲は一切かからなかった。朝の時間帯には相応しくないとの判断であろう。
ナレーションは、フリーアナウンサーの遠藤康子さん。遠藤さんは1990年から30年以上このコーナーを担当していた。遠藤さんはこのコーナーを包含している「森本毅郎スタンバイ」という情報番組のアシスタントで、ニュースの原稿読みと、森本さんの鋭いつっこみに抜群のセンスで相槌を打ったりしているが、「歌のない歌謡曲」では、遠藤さんが自らその日の朝刊や前日の新聞の中から、暮らしに役立ちそうな情報を集めて、発信していた。いわば遠藤さんのコーナーだった。
遠藤さんの語り口は、柔らかくて明瞭で聞きやすく、30年以上聞き慣れた音声はもう身体の中に沁み込んでしまっている。朝、遠藤さんの声を聞かないと、「何かが足りない」と思うようにもなった。
年末年始期間、森本さんと遠藤さんはお休みで、「スタンバイ」は他のTBSアナウンサーが代理で務めるが、「歌のない歌謡曲」はその前に録音した遠藤さんの音声が放送される。この録音を放送中に、生の気象情報と、交通情報が挿入される。
録音の遠藤さんが、「お天気お願いします」と言うと、気象予報士がその日の天気予報を生で伝え、最後に「続いて交通情報をお願いします」と警視庁交通管制センターのキャスターに繋げる。キャスターは一通り最新の情報を生で話し「以上です」と言うと、録音の遠藤さんが間髪を入れずに「ありがとうございました」と答える。その絶妙なタイミングは、全く違和感なく全てが生放送されていると思ってしまう。遠藤さん、気象予報士、交通キャスターが、事前に秒の単位で話す時間を調整するのであろう。
毎年このプロの凄さに感嘆していた。今年の年末は「歌のない歌謡曲」が終わってしまったので、それも聞けなくなってしまった。
9月29日の最終回には、多くのリスナーから番組終了を惜しむメールが沢山寄せられ、それらが紹介されながら、終わった。
今回の「歌のない歌謡曲」を投稿するに当たって調べていたら、遠藤康子さんの記事が多く目に付いた。
遠藤さんについて私が知っていることは、立教大卒でTBSに入社し、2期上に大沢悠里、1期下に久米宏がいて、永六輔や森本毅郎といった放送界の大御所のアシスタントとして活躍、お酒やショッピングが好きで、悠々自適に生活している女性というイメージだった。
上記は概(おおむ)ね間違ってはいないが、もう少し詳しく彼女の人となりが分かったので、以下に記すことにする。
(以下敬称略)
遠藤は1943年の横浜生まれ、79才にして今尚現役のアナウンサーとして活動している。一人娘で子供の頃から音読が好きだったという。立教大学に入学し放送研究会を経て、1966年アナウンサーとしてTBS入社、仕事も順調に増え、永六輔の「誰かとどこかで」の」アシスタントにも起用された。
だが良いことは続かず、35才の時、自動車免許を取得した翌日、飲酒運転で交通事故を起こした。マスコミからは大バッシングを受け、テレビの番組を降板させられ、親しい人達も去っていった。失意の遠藤は、軽井沢の知人の別荘に身を隠した。2か月後、ある役員から「そろそろ戻ってくるか」と声を掛けられ、永六輔も「帰っておいで」と言われそっと番組に戻った。
仕事の間は、一切のプライベートを忘れられるが、仕事が終わり「もう一度やり直したい」と思っても、うまくいかなかった。思い通りにいかない人生に折り合いをつけ、自分を納得させるために、遠藤は懸命に「自分を変える」努力をして、「円満で明るい
遠藤康子」を作り上げた。
遠藤が今アシスタントとしてあるのは、二人の大樹に出会ったからだと言う。一人目は永六輔。遠藤は永に会い彼の発言を聞いて、「放送を通じて発せられる言葉は、こういう人が紡ぐべきなんだ。自分が何かを表現したいなんて思い違いがだった」と痛感し、以降遠藤は聞く立場を自分の仕事に定めたという。
もう一人は、森本毅郎。1990年4月、遠藤が46才の時に「森本毅郎スタンバイ」が始まった。遠藤は10年をかけて汚名を挽回し、局内で「アシスタントの名手」とまで言われれるようになっていて「スタンバイ」のアシスタントに起用された。
「スタンバイ」は「聴く朝刊」をキャッチフレーズに、リスナーの目線に沿うことを徹底して始まったニュース番組だ。報道分野から選りすぐりのコメンテーターを招いての解説は硬派だが分かりやすく、シニアから小学生まで幅広いリスナーに愛されている。故に、同時間帯聴取率1位を30年近く続けている。
遠藤がニュースを読んだ後の解説で、森本とコメンテーターが交わす熱のこもった議論には小さく同意したりはするが、決して議論の中には入らない。出しゃばらずにメインを引き立てる才には目を見張る。
あるラジオキャスターは、遠藤の肯く技術について「相槌はやり過ぎるとうるさいし、やらな過ぎると無視したみたいになってしまう。相手の気持ちの良いところに返してくるのが康子さん」とその上手さに舌を巻く。
森本は遠藤に絶大な信頼をおいているが、中でも「ニュースを読む正確さ」と「存在感があるのに存在感を出さない見事さ」には常々感嘆している。
今、遠藤は「スタンバイ」を中心に生活している。平日の遠藤の一日は以下である。
3:30 起床
4:30 家を出る
5:00 赤坂TBS 新聞12紙に目を通す。
6:30~8:30 本番
8:30 反省会
(コロナ禍の時は、反省会の後、毎日直帰していた)
17:30 夕食 お酒は平日はビール1本まで
19:00 風呂
21:30 ベッドへ
遠藤は、仕事を辞めようと思ったことは一度も無いし、マイクの前に座るとスイッチが入るそうだ。スタジオに入る姿は実に小柄だが、マイクの前では大柄な女性に見えるという。
そして「私がアナウンサーとして終わるのは、この番組と決めている」と「スタンバイ」に全力を投入する日々が続いている。
プライベートでは、30代、50代に二度離婚を経験している。60代では歩くのが大変になって股関節の手術をした。再再婚の相手は、大学の放送研究会の4年先輩、69才で入籍したが、その彼が認知症になった。4年程介護したが、自分の股関節も悪化して友人に「共倒れになる」と言われ、近くの施設にあずけた。
遠藤は「自分の両親は介護することなく旅立ち、自分には子供もいないので、誰かのお世話をすることは運命と考えている」と覚悟している。
遠藤康子さんについては、下記ネット記事を参照しました。
<PRESIDENT Online 「TBSラジオの名物『76歳の最年長の女子アナ』はただのいい人じゃない」2020/07/06>
<AERA dot.「71歳現役アナ・遠藤康子 30年以上続くラジオ番組、再再婚した認知症の夫」2021/05/23>