いつものようにネットサーフィンをしていて、倍賞千恵子さんの抒情歌に辿り着いた。ネット上には、倍賞さんの似たような名前のアルバムの動画が山ほどアップされている。
曰く「倍賞千恵子ベスト40」「倍賞千恵子ベスト25」「Chieko baisho's Best Playlist 2021」「Chieko baisho's New Playlist 2021」等々 どのアルバムもほとんど同じ曲が収録されていた。
倍賞さんは、昔から歌の上手い人だなとは思っていたが、じっくりと聴くことはなかったので、これらのいくつかのアルバムを聴いてみる。歌の種類は抒情歌、昔の歌謡曲、唱歌、童謡が主だが、ポピュラー/スタンダードもある。コーラスグループ「フォレスタ」の演奏曲目と似ている。
私は、夕飯仕度の時、よく昔の歌謡曲で歌詞の入らないサックス演奏等をBGMとして聞いている。BGMは歌詞は耳障りで無い方が好ましい。
倍賞さんのアルバムをBGMとして聞いてみた。彼女の歌が入っていても何ら違和感がなく、適度に耳に入ってきてBGMとしても申し分なかった。
倍賞千恵子さんは、1941年(昭和16年)東京下町で生まれ育った女優、歌手、声優である。妹は女優の倍賞美津子さん。
1957年松竹音楽舞踊学校に入学、1960年同校を首席で卒業し、松竹歌劇団(SKD)13期生として入団、周囲より逸材と注目される。
1961年松竹映画にスカウトされ、SKDを退団。
1963年山田洋次監督の「下町の太陽」に主演、以降山田作品に欠かせない庶民派女優として活躍する。同年、「下町の太陽」で歌手デビュー、第4回日本レコード大賞新人賞を受賞、同年よりNHK紅白歌合戦に4年連続出場する。1965年には「さよならはダンスの後に」をヒットさせた。
<映画の代表作>
「男はつらいよ」(全50作)で渥美清演じる主人公車寅次郎の妹さくら役を務める
(1969年~2019年)
「下町の太陽」(1963年)
「家族」(1970年)
「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)
「遥かなる山の呼び声」(1980年)
「駅 STATION」(1981年)
「植村直己物語」(1986年)
「キネマの天地」(1986年)
私は、倍賞千恵子さんといえば、映画の印象が強い。「男はつらいよ」はシリーズ全作品(48作)を4~5回は見た。この場面の次は、寅さんやさくらがどんな言葉を発するかほとんど覚えたくらいだ。
倍賞さんが、高倉健さんと共演した「幸福の黄色いハンカチ」「遥かなる山の呼び声」「駅 STATION]は、いずれも秀作だった。その中でも「駅 STASION]の名場面は忘れられない。
そのシーンにつては、丁度一年前の2020年10月16日にこのブログにアップした「時刻表旅 3」でも書いたので、そのまま転載する。
舞台は、北海道留萌本線終着、増毛駅前の小さな居酒屋、倍賞千恵子さんはそこの若い女主、時は大晦日の夜
「・・・店の客は健さん一人、彼女は暖簾をしまい、カウンターに二人並んで黙ってテレビの紅白を見ながら酒を呑む。外は雪。テレビからトリの八代亜紀が歌う「舟唄」が流れる・・・彼女は健さんの肩にそっと顔を傾ける・・・」
<歌手としての倍賞さん>
倍賞さんの歌唱は、非常に美しい耳に心地良いソプラノで、素直に身体の奥に入ってくる。クラシックのソプラノ歌手が歌う抒情歌等の日本の歌は、オペラの延長上にあるようで、バタ臭くてどこか馴染めない。その点倍賞さんの歌声は、日本人に好まれる普遍的で何度聴いても飽きない魅力がある。
倍賞さんは、透明感があって良く伸びるソプラノと、日本語の発生の美しさから、歌手としての評価も高く、藤山一郎さんも絶賛している。
さて、倍賞千恵子さんのアルバムの中から、7曲ほど紹介します。50曲位の中からの選曲には迷ったが、倍賞さんの声の美しさの際立ったものとか、倍賞さんの特徴が現れていると私が感じた曲を選びました。どれも、みな有名で聴いたことのある曲ばかりと思います。
倍賞さんの美声をお楽しみください
1. 忘れな草をあなたに
1963年 女性コーラスグループ「ヴォーチェ・アンジェリカ」がシングルをリリース。
1971年 倍賞さんと菅原洋一さんが競作でシングルリリースしてヒット、世に知られる。
作詞:木下 竜太郎 作曲:江口 浩司
別れても 別れても 心の奥に
いつまでも いつまでも
おぼえておいて ほしいから
しあわせ祈る ことばにかえて
忘れな草を あなたに あなたに
いつの世も いつの世も 別れる人と
会う人の 会う人の
さだめは常に あるものを
ただ泣きぬれて 浜辺につんだ
忘れな草を あなたに あなたに
喜びの 喜びの 涙にくれて
抱き合う 抱き合う
その日がいつか くるように
ふたりの愛の 思い出そえて
忘れな草を あなたに あなたに
2. さくら貝の歌
1939年(昭和14年)鈴木義光という青年(後の八洲秀章)が、病により18才の若さで亡くなった恋人への思いを短歌にし、それをモチーフに友人の土屋が詩を作り、八洲が作曲した。その後ほとんど世に知られなかったが、1949年山田耕筰が編曲して、NHKラジオ歌謡で放送されて人気となる。舞台は鎌倉由比ガ浜海岸。
作詞:土屋 花情 作曲:八洲 秀章
美(うるわ)しき桜貝一つ
去り行ける 君にささげん
この貝は 去年(こぞ)の浜辺に
われ一人 ひろいし貝よ
ほのぼのと うす紅染むるは
わが燃ゆる さみし血潮よ
はろばろと かよう香りは
君恋うる 胸のさざなみ
ああなれど 我が思いははかなく
うつし世の なぎさに果てぬ
3. あざみの歌
1949年(昭和24年)NHKラジオ歌謡で発表されて世に広まる。作曲は「さくら貝の歌」の八洲秀章、作詞は「下町の太陽」「さよならはダンスのあとに」を手掛けた横井弘、詩は横井が長野県霧ヶ峰の八島ヶ原湿原を散策している時に作られた。
作詞:横井 弘 作曲八洲 秀章
山には山の 愁(うれ)いあり
海には海の 悲しみや
ましてこころの 花ぞのに
咲きしあざみの 花ならば
高嶺の百合の それよりも
秘めたる夢を ひとすじに
くれない燃ゆる その姿
あざみに深き わが想い
いとしき花よ 汝(な)はあざみ
こころの花よ 汝はあざみ
さだめの径(みち)は 涯(は)てなくも
かおれよせめて わが胸に
4. 宵待草
生涯にわたり恋多き竹下夢二が、実ることなく終わったひと夏の恋を偲んで、この詩が作られた。多 忠亮(おおの ただすけ)によって曲が付けられ、1918年(大正7年)「セノオ楽譜」より出版され、急速に日本中に広がり、後々まで歌い継がれていった。
作詞:竹久 夢二 作曲:多 忠亮
待てど暮らせど来ぬ人を
宵待草のやるせなさ
今宵は月もでぬさうな
今宵は月もでぬそうな
5 叱られて
1920年(大正9年)少女雑誌「少女号」で発表された童謡・唱歌である。
「叱られて」の歌詞の意味については、様々に解釈されているが、親元から離れ、遠くの名家に奉公に出された子供の心境が歌われている。
作詞:清水 かつら 作曲:弘田 竜太郎
叱られて 叱られて
あの子は町まで お使いに
この子は坊やを ねんねしな
夕べさみしい 村はずれ
こんときつねが なきゃせぬか
叱られて 叱られて
口には出さねど 眼になみだ
二人のお里は あの山を
越えてあなた(彼方)の 花の村
ほんに花見は いつのこと
6. 喫茶店の片隅で
1955年(昭和30年)に、発売された松島詩子さんが歌うシャンソン調歌謡曲がヒットし、1960年に再発売された。当時の若者が利用した喫茶店の雰囲気が良く出ている。
作詞:矢野 亮 作曲:中野 忠晴 元歌:松島詩子
アカシヤ並木の黄昏は
淡い灯がつく喫茶店
いつもあなたと逢った日の
小さな赤い椅子二つ
モカの香りがにじんでた
ふたり黙って向きあって
聞いたショパンのセレナーデ※
もれるピアノの音につれて
つんでは崩しまたつんだ
夢はいずこに消えたやら
遠いあの日が忘られず
ひとり来てみた喫茶店
散った窓辺の紅バラが
はるかにすぎた想い出を
胸にしみじみ呼ぶこよい
※松島さんの元歌は「ノクターン」となっている。
7. 新妻に捧げる歌
TBS系で1961年~1963年に放送された江利チエミさん主演のドラマ「咲子さんちょっと」の第二クールエンディング曲として使われ、1964年シングルカットして発売されヒットした。中村メイコ夫妻の作詞作曲で、神津さんは元々ひばりさん用に作ったとか、ひばりさんがメイコさん宅で自分の曲にしたいと言ったが、メイコさんが江利チエミさん用だからと断ったとか色々エピソードもあるようだ。
作詞:中村 メイコ 作曲:神津 善行 元歌:江利 チエミ
しあわせを もとめて
ふたりの こころは
よりそい 結びあう
愛のともしび
悲しみを なぐさめ
よろこびを わかちあい
ふたりで歌う 愛のうた
ララララ・・・・・ララララ・・・
しあわせを 夢みて
ふたりの こころは
手をとり ふれあって
愛のゆりかご
悲しみは ひそやかに
よろこびは おおらかに
ふたりで歌う 愛のうた
ララララ・・・・・ララララ・・・