大寒

1月20日、暦では大寒に入り冬本番となった。それに呼応するかのように1月24日夜から日本列島は10年に一度位と言う寒波に覆われた。私の居住地も25日の朝は、-4℃まで気温が下がった。

 

この日は早朝テニスの日で、コートまで車で移動中に社外の気温を確かめると、-2℃だった。マイナスの気温の中でテニスをするのは初めてのことだ。

 

初めのウォーミングアップラリーは、身体が温まるまで、手袋をしネックウォーマーをつけ、毛糸の帽子をかぶりコートを着たまま行った。こんな格好でテニスするのも初めての体験だ。

 

私は暑がりで直ぐに汗をかくので、冬でも半袖のシャツでプレイすることもあるが、さすがにこの日は、半袖シャツ+長袖シャツ+薄地ジャンパーの3枚を着てテニスした。3枚着ても汗は全くかかなかった。

 

テニスの帰りには気温も上がったが、それでも外気温は2℃だった。

 

午後にS卓球に行く。夏もそうだが、冬も室内でプレイする卓球は屋外テニスと比べると格段と快適だ。場所は公民館なので暖房もある。年中快適だが、テニスと違って季節感は感じない。

 

翌26日の朝は、更に気温が-7℃まで下がった。この日の午前中は外出せず、室内で過ごしたので寒さを感ぜずに済んだ。陽が登り10時を過ぎると太陽のお陰で、陽の光が入る部屋の暖房は不要となり、陽だまりは、ぽかぽかと何とも言えない心地よい暖かさに包まれる。

 

         写真ACより   ジオジオさんの作品

 

その暖かさは、エアコンやストーブの暖かさとは違って、身体の芯からじわーっと温めてくれる気持ち良いものだ。今更ながら太陽の恩恵を授かる有難さに感謝する。

 

 

近年暖冬が続き、冬でも子供の頃に感じた「寒い!!」という感覚を感じることが少なくなった。私が子供の頃は暖房と言えば、こたつと火鉢で、その後もアラジンの丸形ストーブくらいのもので、家も隙間風が入るような気密性の悪い構造で、断熱材もほとんど使用されていなかったので、今考えると随分寒い環境で暮らしていたものだと思う。

 

子供の頃、当時給湯器は無く、朝顔を洗う時は、黄色い真鍮(しんちゅう)の洗面器にやかんで沸かしたお湯と水道水を混ぜたお湯で洗った。初回の四国遍路で高野山の宿坊に泊まった11月23日の朝、洗面所にはお湯が無く、水道水で洗顔したが、その水の冷たさに震えあがり、いっぺんに目が覚めた。蛇口を回せばお湯が出る現在の生活は、恵まれすぎている。

 

最近の住宅は、断熱剤をふんだんに使い、サッシで気密性が良くなり、ガラス窓のガラスは2重ガラスになって、寒い日でも昔のように窓が結露で濡れると言うこともなくなった。曇りガラスにハートマークや好きな人の名前を書くと言った映画やドラマのような胸キュンなことはできなくなった。

 

毎年冬の現象であるが、日本列島の太平洋側と日本海側とでは、気候が全く異なる。私の住む関東地方南部は、今回の寒波襲来でも気温は低いものの日本海側のような降雪も吹雪も無く晴天の穏やかな日が続いている。日本海側に暮らす人々には申し訳ない気分だ。

 

関東南部では、数㎝の雪が積もっただけでも大騒ぎするが、豪雪地帯の人々は、雪の難儀(雪かき、屋根の雪下ろし等)が大きく、雪が余り降らない地方の人々には想像もつかない厳しい生活を強いられている。

 

江戸時代後期の越後魚沼の郷土史家、鈴木牧之(ぼくし)が若いころ江戸に出て、江戸の人々が、雪国の雪の多さや生活について知らないことに驚き、越後の雪を主題とし、その風俗、生活を記した「北越雪譜」を出版した。これは江戸のベストセラーにになったと言う。江戸の昔から、雪の少ない地方の人にとって、豪雪地帯の苦難な生活は余り知られていなかったようだ。

 

寒い季節になると、ヒートショックによる浴槽での溺死事故がよく話題となる。これは交通事故の4倍ともいわれ、寒い浴室とお湯との急激な温度変化で血圧が大きく変動することで起きる。娘からはしょっちゅう注意するよう言われている。

 

ヒートショック対策の指針としては、①脱衣場、浴室を暖かく、②お湯の温度は41℃以下、③お湯に浸る時間は、10分以内とある。①は、脱衣場、浴室には暖房が付いているので問題ないが、風呂好きの身としては、②、③が守れない。

 

友人から「天気と相談しながら、神奈川県二宮の吾妻山と松田町の蝋梅園に行って来た」という写真付きのメールが届いた。吾妻山は、山頂の菜の花畑越しに富士山の絶景が楽しめる人気の山で、私も二回訪れたが、何れも雲で富士山は望まれなかった。友人はここから雪の富士山を何度も展望しているようで、羨ましい。

 

蝋梅はその高貴な香りがなんとも奥床しい花だ。近所を歩いていて、お宅の庭からこの香りがほのかに漂って来るのに出会うと、幸せな気分になれる。

 

        写真ACより    花散歩さんの作品

 

大寒」は寒いばかりで、良いことは何もないかというと、そうでもない。1月も下旬ともなると、日没時刻も大分遅くなった。冬至の頃は夕方5時は暗かったものが、今はまだ明るい。陽が伸びると言うことは、気分的にも余裕ができたようで嬉しい。

 

「冬来たりなば、春遠からじ」で、来週の4日は、次の二十四節気立春」だ。梅、河津桜、サクラと順に花の便りも聞かれるようになる。こうして、少しずつ少しずつ季節は動いていく。

 

初場所の朝之山

令和5年1月8日、大相撲1月場所初場所)の幕が開いた。

 

私の贔屓(ひいき)の朝之山は、去年の九州場所、東幕下4枚目の地位で6勝1敗、11月30日の番付編成会議で正式に十両復帰が決まった。番付は西十両12枚目である。

 

相撲取りにとって、幕下と十両では格段の差がある。 

 

① まず呼称が「関取」(十両以上))と呼ばれ、幕下以下は無給だったものが、110万円の給与がでるようになる。

 

② 髷は大銀杏を結えるようになり、まわしは締め込み(本場所で締める絹製まわし)となる。

 

⓷ 化粧まわしを付けて土俵入りができる。

 

④ 取り組みが7日から15日になる。

 

⑤ 付け人が付くようになる。

 

⑥ 売店で自分の名前入りのグッズが販売されるようになる。(ちなみに今場所朝之山のタオルは、売り切れたそうだ)

等々である。

 

朝之山は初場所開幕前、「(関取の象徴である)大銀杏で、15日間相撲を取れることが嬉しい。1番でも多く勝って応援して下さる方々へ恩返しをしたい」と話していた。

 

スポーツ紙等は、朝之山関連記事を多く取り上げ、「全勝優勝なら一場所で幕内復帰」と書き立てていた。

 

そして迎えた初日、朝之山は富山後援会から贈られた「劒岳デザイン」化粧まわしを着けて十両の土俵入りをする。

 

 

「富山後援会は、大きな味方だった。不祥事を起こした時も解散せず、関取になるまで待っててくれた」と故郷で支えてくれる人達への感謝の思いを込めてこのまわしを着けたと語っている。

 

9日目からは、復活するまで支えてもらった東京富山県人会から贈られた「立山連峰デザイン」化粧まわしに替えている。

 

 

 

十両の取組は十両土俵入りの後、幕下上位5番の取組の後に行われる。土俵入り後何故十両の取組に入らず、幕下5番が組まれているのか疑問であったが、十両力士が土俵入りから帰って次の取組の仕度をする時間に当てているそうだ。納得した。

 

朝之山の初場所15日間の取組を見てみよう。

 

⑴ 初日 貴健斗戦

朝之山は、立ち合い高健斗に少し押しこまれて引いてしまったが、回り込んで突き落として勝利する。初日で朝之山も緊張したのか、三段目の相撲以降朝之山が「引く」のを見たのは始めてだ。

 

勝つには勝ったが、左上手を取って 朝之山の形での寄りを期待していたので、私は不満だった。

 

⑵ 2日目 千代栄戦 

朝之山は、突き放して落ち着いて危なげなく相手を突き出した。

 

⑶ 3日目 白鷹山(はくようざん)戦 

突き押しの白鷹山に対して、右差し左上手を取って一気に寄り切る。

 

⑷ 4日目 對馬洋(つしまなだ)戦 

昨日同様左上手を取って寄り切る。安心して見ていられた。

 

⑸ 5日目 魁勝(かいしょう)戦 

朝之山が左上手を取ったので、いつもの寄りかと思ったら、魁勝が下手投げを打ち、朝之山が一瞬ぐらっとしたが、その後朝之山が左から投げると、魁勝は土俵に崩れ込んだ。決まり手は浴びせ倒し。朝之山5連勝

 

⑹ 6日目 狼雅(ろうが)戦 

ロシア出身の狼雅は、四つ相撲の得意な若手有望株で、ここまで朝之山と同じく5連勝。

 

立ち会い、朝之山は左上手を取るが切られ、狼雅は左上手十分の形になる。両者しばらく土俵上で静止した後、狼雅が引き付けて寄るが朝之山こらえる。朝之山は左手をねじ込み、両差しの状態で寄って出て寄り切る。朝之山勝って十両単独トップの6連勝。

 

⑺ 7日目 島津海戦 

立ち合い、両差しの得意な島津海を警戒して、差し手争いから左上手を取る。島津海が寄ってきたところを朝之山が強力に引き付けると島津海は腰がくだけてひざまずいた。 決まり手は「すくい投げ」 朝之山7連勝

 

⑻ 中日 豪の山戦 

立ち合い豪の山が左へ回り込むのを、朝之山はもろ手突きで土俵際まで攻め込む。豪の山が押し返して寄ってきたところを朝之山は小手投げで制した。

 

中日で勝ち越し、関取では朝之山がただ一人の8連勝

 

⑼ 9日目 北の若戦 

朝之山は立ち合い踏み込んで一気に前に出て寄り切る。朝之山完勝で9連勝

 

⑽ 10日目 東白龍戦 

この日も朝之山は、立ち合いから左のど輪で一気に東白龍を押し倒して完勝、10連勝  

 

⑾ 11日目 大翔鵬戦

朝之山が10連勝したことで、マスコミは誰が朝之山に土に付けるか書き立てた。モンゴル出身28才の大翔鵬はここまで8勝2敗と好成績、右四つが得意なので朝之山とは右の合四つだ。

 

立ち会いすぐに、お互いが得意な右四つとなり、朝之山は左上手を取ったが切られてしまい、逆に大翔鵬に右差しを許し、左上手も十分に与えてしまう。この状態で大翔鵬に胸を合わせてじっくり寄り切られてしまった。朝之山は完敗、連勝もストップし10勝1敗

 

大翔鵬は取組後「朝之山さんは十両で負けられないと言うプレッシャーがあるが、自分は今場所勝ち越しているので、気持ち的には自分のほうが有利だと思っていた。なので思い切っていけた」と語った。

 

負けて朝之山は大いに落ち込んだが、師匠の高砂親方元朝赤龍)や、母親に「切り替えて一日一番と言う気持ちで頑張って」と励まされ、気を取り直したと いう。

 

⑿ 12日目 湘南乃海戦 

湘南乃海は今場所の新十両だが、ここまで9勝2敗の好成績だ。左四つが得意なので、朝之山とは「けんか四つ」だ。

 

朝之山は立ち合い差し手争いで、左をねじ込まれ、相手に右上手を取られたところで、下手投げで振って相手のバランスを崩して寄り切った。 朝之山は連敗せず11勝1敗

 

⒀ 13日目 金峰山(きんぽうざん)戦 

金峰山カザフスタン出身の25才、身長192㎝、体重179㎏、朝之山よりも一回り大きい。突き押しを得意とし、ここまで朝之山と同じく11勝1敗で将来を期待されている新鋭の力士だ。ここまでの取組をビデオで見たが、突き押しの威力が抜群で、安定した勝ち方をしている。1敗同士の対戦で、事実上の優勝決定戦だ。

 

立ち会い、金峰山が突いて来るところを朝之山はいったん止めて、組もうとするが叶わない。その後金峰山は身体を低くして寄って出て、土俵際で突き放す。朝之山はそのまま土俵を割った。しかし行司は、金峰山が一瞬早く手を土俵に付いたと見て、軍配を朝之山に上げた。

 

土俵下の勝負審判から、「朝之山の土俵を割るのと、金峰山が手を付くのが同時ではないか」と物言いがつき協議した結果、金峰山の手が先についており、行司軍配通り朝之山の勝利が確定した。(取組後のスロービデオ再生でも、金峰山の手がはっきりと先に付いていた)

 

朝之山は危なかった。朝之山は「相撲に負けて勝負に勝った」と言う所か。それにしても金峰山は強い。今後の朝之山の強敵となる力士だろう。

 

朝之山は12勝1敗となり、再び単独トップとなった。

 

⒁ 14日目 千代の国戦

ベテラン千代の国は、闘志あふれる取り口で、私の好きな力士であるが、怪我が多く幕内と十両の間を行ったり来たりしている。今場所前に膝の手術をしての出場で、十分稽古ができなかったらしいが、それでも10勝3敗と好成績だ。

 

朝之山は大関昇進前に、千代の国と2回対戦し2勝している。

 

千代の国は立ち合い後右にはたくが、朝之山は踏ん張ってこらえ、突き押しで前に出る。そのまま、千代の国を抱え込んで西の土俵に追い詰めて寄り切った。

 

朝之山はこれで13勝1敗 この後の金峰山と剣翔の取組で金峰山が敗れ3敗となったため、この時点で明日の千秋楽を待たずに朝之山の優勝が決まった。 

 

⒂ 千秋楽 北青鵬戦

北青鵬は、身長は2mと身長で関取最高の21才の新鋭だ。今場所は好調でここまで9勝5敗、中盤までで金峰山に勝った唯一の力士だ。四つ相撲の力士で組んだらしぶとい。

 

立ち合い朝之山は、直ぐに相手の上手を引いて自分の形になり、寄っていくが残される。その直後、上手投げで北青鵬を振って寄り切った。

 

朝之山は見事な取り口で千秋楽を勝って、14勝1敗として初場所を終えた。

 

これで全勝は逃したが、1敗での優勝なので、もしかしたら十両は1場所通過で、3月の春場所は幕内に復帰できるかもしれない。

 

 

 

朝之山が十両優勝した。「朝之山は大関経験者で怪我や病気で番付を下げたわけではないので、幕下や十両力士に勝って当たり前で、朝之山と対戦する力士は可哀そうだ」という意見もよく聞く。

 

しかし、朝之山との対戦力士も、「めったにない機会なので勉強になる。今後の参考にしたい」と前向きにとらえる力士も多い。

 

一方朝之山側からすると、相手が格下であっても連勝することは並み大抵ではない。相手は負けても当然なので、思い切っていき、自分の長所を発揮できる。相撲は一瞬で勝敗が決まることが多いので、この精神的な「気分」の効果は計り知れない。

 

そういう状況の中で、朝之山は全勝こそできなかったものの、14勝1敗で優勝できたことは、素人目にも大したことだと思う。新しい顔ぶれがひしめく十両でも、大関経験者としての実力を十分見せつけてくれた。

 

朝之山も自分を応援してくれる人々に、素直に謙虚に感謝しつつ戦った結果であろう。

 

朝之山 おめでとう!

 

 

コンピューターウィルス

1月11日の水曜テニスから帰宅して、お昼頃パソコンのネット記事を見ていたら、突然大きな警報音ともに「あなたのパソコンは『木馬○○ウィルス』に感染しました。至急下記の番号に電話して下さい。」とマイクロソフトインターネットセキュリティーと称するところからメッセージが入った。

 

一瞬、詐欺かなと頭をよぎったが、大音響の警報メッセージが画面右上の「✕」を何度クリックしても消えない。音だけでも消してもらおうと、指定の番号に電話する。

 

対応したのは、日本語を話す外国人だった。欧米人ではなくアジア系のようだ。インド人には、理数系の得意な人が多いと聞いていたので、浅黒い顔立ちのインド人を想定した。

 

彼は「ワタシはマイクロソフトインターネットセキュリティーセンターの『✕✕✕✕』です。あなたのパソコンは、コンピューターウィルスに感染しましたので内容を確認します」と言って、私のパソコン操作を誘導して、彼から遠隔操作ができるようにする。

 

彼は私のパソコンの中身を見ながら、「セキュリティーが甘いようですね。ウィルスで今7割のアプリが停止しています。今まだこのパソコンが使えるのは、残りの3割が動いているからです」と言って、しきりに私のパソコン内の情報をスクロールする。

 

そして「この問題を解決するには、私どもが開発したアプリをインストールする必要があります。それには費用が派生します。①4年保証コース 4万円 ②5年保証コース 5万円 ③永久保証コース 10万円  どれになさいますか?」

 

「やはり、そうきたか、この話おかしいな」と思い、早く打ち切ろうと考え、4万円コースと答える。

 

すると、「最寄りのコンビニでグーグルプレイカードを4万円分買ってきてください。その後の操作の仕方は、カードを買って戻ったら教えます。電話は切らずにそのままにしてください」と言う。

 

「これは詐欺!」と確信して、電話はそのままにして放置する。PC画面は詐欺グループが操作した状態のままで、元の状態に戻せない。

 

「さてこの後どうするか?」パソコン操作で困った時はいつも、JCOMのお任せサポートに相談しているので、JCOMに電話する。事情を話し「JCOMの遠隔操作でパソコンのウィルス除去をしてもらいたい」というと、「詐欺グループにスクロールされたソフトは JCOMでは対応できない」と断られてしまった。

 

メーカー(東芝)のお客様相談の電話番号を教えてもらい電話するが、相談員に繋がらない。仕方なくパソコンを購入した家電量販店にこれを持ち込んだ。

 

担当者は私の話を聞き、パソコン内ソフトにスキャンをかけ、ウィルス除去作業をするには時間がかかるので、これを預かると言う。

 

店に預けて帰宅し、夕食を済ませた18時頃作業終了の連絡があり、元に戻ったパソコンを取りに行った。ウィルス除去費用は3300円だった。グーグルプレイカードを買わなくてよかった。

 

担当者に「ウィルスは除去されても、詐欺グループは私のパソコン内の情報をスクロールしているので、クレジットカードの情報がフィッシングされ、不正に現金が引き出されたりするのではないか?」と私の心配事を伝える。

 

担当者は、「大丈夫だとは思いますが、心配ならカードを作り直すんですね。警察に相談したらどうですか」と言われる。

 

19:30 地元の警察に電話する。刑事課の職員が対応してくれ、量販店担当者と同じことを言われる。そして警察に相談したことを書類で残しておくと言われた。

 

この日は一日、パソコンウィルス騒ぎに振り回された。詐欺グループに電話してしまったのは、大音響の「パソコンウィルス感染」メッセージが消せなかったことが原因である。後になって冷静に考えると、電源を切ればよかったのだがその時は思いつかなかった。

 

彼らは、大音響で相手を混乱させておいて、心の隙をついて要求をしてくる。詐欺グループの常套手段だ。現在特殊詐欺がこれだけ注意喚起されているのに、彼らの被害に遭う人達が後を絶たない。詐欺グループの手口も巧妙になっている。普段から注意を心掛けなければと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

正月松の内

正月松の内が明けた。今年の正月は、3年ぶりに行動制限がなく、帰省客や旅行客もだいぶコロナ前の水準に戻ったたようだ。初詣客の表情も、この2回の正月と比べると、どことなく明るくなった感じだ。今年はこのまま、暗い出来事の無い明るい一年になって欲しい。

 

以下に正月松の内の日常を綴ります。

 

        写真ACより    ラスラさんの作品

 

1⃣ 正月三が日

元日は娘家族の年始来訪とお墓参りで一日が過ぎた。墓参りの帰りに近所の神社に寄ったが、参道の中ほどまで参拝者が並んでいたので、日を改めて空いている時に来ようとそのまま帰る。

 

これ迄、二日、三日はウォーキングかテニスの壁打ちで過ごすことが多かったが、今年は外出はせず、二日間とも終日家に居た。二日三日の夜は息子と新年会。

 

年賀状は、年々少なくなっているが、今年も二人の方から「年賀のご挨拶は今年で最後とさせてもらいます」という年賀状じまいの賀状が届いた。その内一通は「普段メールでやり取りしているので、形式的な紙の賀状交換はやめましょう」というもの。

 

私も数年前からそう思っていたので、即OKのメールを出す。娘からの年賀状はLINEによるスマート年賀状(年賀はがきの様式に写真、文章が入っている)だった。来年以降、紙の年賀状は益々減少するのだろう。

 

2⃣ 1月4日

今年の初スポーツは午前中の水曜テニスだ。快晴で風も無く、寒いが絶好のテニス日和だ。今年もこうしてテニスができることの幸せを噛みしめる。新年屋外の真っ青な空の下、身体を動かして爽快な気分になった。

 

参加者は6人なので、4人がゲームをしている間、残りの二人は休憩となる。組み合わせの関係で休憩は毎回 Mさんと一緒になった。Mさんは、今年誕生日が来ると87才の高齢だ。腰や膝が痛いと言いながらも、サポーターを付けてプレイを楽しんでいる。

 

Mさんは都内に戸籍上の家があり、この町に別の家を建てて、奥さんと二人で暮らしている。選挙の投票用紙は都内の家に届くので、選挙は東京でするそうだ。那須にも別荘を所有して毎年夏に避暑に行っていたが、子供や孫たちは余り別荘に行きたがらなく、自分も高齢になってメンテナンスが大変なので、手放したそうだ。

 

正月には、子供や成人の孫が9人集まるので、奥さんはその対応で大忙しだと言っていた。私なんぞの、5人で午前中だけの対応と比べたら、その忙しさは雲泥の差であろう。昔の主婦は皆さん働き者だ。

 

午後、S卓球に行く。こちらはメンバー10人の内、6人の参加だった。卓球は狭い場所でできるので、台を3台出せば、シングルのラリーもゲームも十分できる。S卓球はお上手な方が多いので楽しい。

 

休憩時に正月用に買ったノンアルコールビールが3本余ったので、どなたか普段飲んでいる人がいれば、飲んでもらおうと尋ねたが、積極的に飲んでいる人はいなかった。Sさんが「誰もいないようなら貰うよ」と1本、Kさんが「おとうさん(旦那さん)と一緒に飲もかな」といって2本貰ってくれた。

 

3⃣ 1月5日

午後H卓球に行く。12人のメンバーの内8人の参加。休憩時のラリー相手Hさんが休みなので、休み時間に他のメンバーと話す。Oさん宅は、テニスのMさんと同様、9人の子供、孫が集まり、三日間三食と宿泊の面倒をみたそうだ。「それはそれはお疲れさまでした」と労(ねぎら)った。

 

卓球が終わって、いつものようにSさんとMACへコーヒーを飲みに行く。Sさんは、年末に両眼の白内障手術を受けて、テニス、卓球を休んでいたので、久しぶりに会った。術後も順調で、世の中が凄くクリアに見えるようになったと喜んでいた。

 

暮れの23日に、Sさんの故郷で、実家の近くの親戚の家(現在人は住んでいない)とその隣のSさんの中学同級生の家が火事になったそうだ。その話をしているところへ、3人連れのご婦人がSさんを見つけ挨拶をした。

 

3人の内の一人は、Sさんと同郷の中学同級生、もう一人はSさんが主宰しているラジオ体操のメンバーということだ。Sさんは中学同級生のご婦人に火事の話を伝えていた。それにしても、こういう偶然と言うことがあるのだと感心する。

 

4⃣ 1月6日

朝一にゴミ出しをする。今日が今年最初の一般ゴミ出し日だ。暮れの31日から今朝までに溜まったゴミを3枚の大ビニール袋にまとめて出す。ゴミ収集の方には申し訳ない表現だが、便秘が解消したような良い気分だ。

 

朝のニュースで昨日5日のコロナ新規感染者数が22.7万人となり、1週間前に比べて大きく増加したと報じられた。暮れから正月にかけて新規感染者数は、1週間前に比べ連続して減少していたので、第八派はピークアウトしたのではないかと、期待したのであるが、年末年始で検査数が少なくて小さな数字になっていただけかもしれない。油断大敵だ。

 

今年最初のリハビリセンターに行く。スタッフや利用者さんと新年の挨拶をする。皆さんに正月の行動を伺うと、

 

Yさん: 同居の息子さんが二人いるが、二人とも正月は不在だったので、旦那さんとお節食べたり、お酒飲んだり、昼寝したりとのんびり過ごした。息子さん達が独立すると、家を出るだろうから、その予行演習かもしれない。

 

Iさん:三回、丹沢に行った。元日は3時から塔ノ岳に登り、頂上で初日の出を見ることができた。富士山も赤く染まって美しかった。あとは蛭ヶ岳と鍋割山。

 

Sさん:家族と実家の信州松本へ行った。普通タイヤで高速を走ったので、雪が降らないかヒヤヒヤした。(結果は大丈夫だった)

 

ストレッチでは、片足つま先立ちのメニューが上手くいかない。これは腰の高さの円柱ポールを手で支えてつま先立となり、片方の足を縦横に上げたり、回したりするものだ。バランスが崩れて、去年から上手にできなかった。先生はポール無しでできる。今年の課題だ。

 

マシントレーニングでは、歩行マシンでシャツが濡れる位の大量の初汗をかいた。

 

5⃣ 1月7日

七日正月七草粥を食べる日だ。我が家ではお粥は食べないが、確かに正月のお節は塩分が濃く、野菜も少なく、いつも同じ物で飽きてくる頃なので、さっぱりとした胃にも優しそうなお粥など理にかなった料理だと思う。

 

今日は土曜日で、スーパーへ一週間分の買い出しに行く日だ。スーパーへは4日のS卓球の帰りに寄ってちょっとした買い物をしたが、まとめ買いは今年始めてだ。鍋物などの食材を一週間分買って、いつものHさんのレジに並ぶ。レジ台にカゴを乗せると「おめでとうございます!今年もよろしくお願いします!」と明るく大声で言われ、挨拶を交わす。

 

続いて「レジ袋は大3、中2ですね」と言って二箱(2ℓボトル12本)の天然水のバーコードを読み取り購入済のテープを貼る。ここまではいつものルーティン作業だ。レジが終わって自動支払いをしている時、「ありがとうございました!」「今年もよろしくお願いします」ともう一度言われ気持ち良かった。

 

帰宅して買い物を冷蔵庫に収納後、正月飾りや鏡餅を取り除き、玄関や各部屋の配置をいつもの日常に戻す。外した正月飾りを神社に納めに行く。初詣がまだだったので参拝する。おみくじも買おうと思ったが、おみくじ自動販売機は撤去されていた。

 

正月飾りの撤去されたいつもの我が家へ戻ると「今年の正月も終わって、又いつもの日常生活が始まったな~」と気持ちを新たにした。 

 

 

 

 

怒涛の一週間

     <イラストACより      minky 33さんの作品>

 

新年おめでとうございます!本年もよろしくお願い致します。今年は天候にも恵まれて穏やかなお正月を迎えることができました。皆さまお正月いかがお過ごしでしょうか?今年は皆さまにおかれましても、健康で幸多い一年でありますようお祈り申し上げます。

 

さて、今年最初のブログは、昨年暮れから今年の正月までの年末年始事情を綴ってみたいと思います。去年の年末年始はどんなんだったかと、一年前のブログを読み返してみると、そこにも前年と全く同じことをしていたと書いてありました。

 

要するに毎年毎年同じことを繰り返しているのだと確認したのであります。例年と同じような内容となりますが、ご容赦下さい。

 

1⃣ 大掃除

暮れの26日から始める。前年が27日から始めたので、一日余裕があるなと考えたが、やり始めるとやることが次から次と出てきて、一日多くても掃除の進捗度には全く影響しないということが分かった。

 

一週間程度の大掃除では、全て納得のいく掃除片付けは土台無理な話で、ちゃんとするにはキリがないので、いかに見ても見なかったことにして手抜きをするかで、時間を調整するようになる。

 

棚等も目に見えるガラス窓や表面は拭くが、中身はそのままにして、「後日、いつかやろう」と手を付けずに済ます。その「後日」はやった試しがない。このようにして今回も又食器棚の整理等手を付けずに済ました所もいっぱいある。

 

大掃除は連日10時頃から始めるが、5時頃まで大抵休憩をとらずにノンストップで続けるので、夕方にはくたくたになる。私はセッカチな性格で。休憩というものをほとんどとらない。

 

テニスだけは例外で、参加人数の都合でそれに合わせて休憩を取るが、H卓球は休憩時Hさんと休まずラリーをしている。リハビリセンターでは、8:40~12:10まで3時間半ノンストップでストレッチとトレーニングを続ける。

 

四国遍路の時も、初回の1日目は一時間に10分位の休憩を取りながら進んだが、1日目、2日目は札所が沢山あって、そこでの参拝は休憩のようなものなので、歩きの途中での休憩は止めた。

 

それと5分とか10分休憩していると、その時間歩いていると相当前に進めるのに、もったいないという感覚だった。その後の初回遍路と二回目の遍路では、原則歩きの途中での休憩はせずに回った。

 

話を大掃除に戻すと、大掃除のノンストップはスポーツと違って身体の色々なところを使ったり、普段しない姿勢をとったりするのかもしれないが、疲れが激しい。加齢による体力減退もあるのだろう。

 

大掃除をしていてのトラブルは、網戸洗浄後の2階の大網戸を元に戻す際、レールに引っ掛かって取り付けに時間を要した。なんとか据え付けたが、開閉がスムースにいかない。

 

よく見ると、網戸上部が上枠のレールとずれて組み込んだようだ。何度も元に戻そうと試したが埒(らち)があかない。網戸のレールとの高さ調整用のボルトを外してみたがそれでもだめだった。住宅メンテナンス業者さんに見てもらうほかしょうがないかと諦める。忙しいのにこれで大いに時間を取られた。

 

トラブルと言うほどのことはないが、トイレを掃除していて、新しいトイレットペーパーを便器の横の手摺と壁の間に置いて作業していたら、何かの拍子にトイレットペーパーが便器の中に落ちた。「アッ!アッ!」と言っている間にトイレットペーパーに便器の水が染み込んだ。トイレットペーパーは捨てる他なかった。

 

2⃣ 大晦日

朝食後に里芋等の簡単な煮物を始める。酢蓮用の唐辛子を切らしていたと気付く。煮物を一時中断して、昨日買い残した正月用品を求めてスーパーへ行く。買うのは、祝箸、唐辛子、明日来る孫たちの菓子、焼鯛だ。

 

菓子は子供たちの好みを聞いていなかったので、色々な種類の菓子を選ぶ。どうしても大人の目線になってしまう。あれやこれやと選んだので、結構な数量となった。

 

焼鯛は毎年調達している。昔は商店街の魚屋さんが路地で焼いているのを買っていた。それが無くなってからは、スーパーで買うようになったが、年々販売数量が少なくなってきた。今年は魚売り場にも総菜売り場にも見当たらない。「今年は駄目か」と思った時、焼鯛を手にしたご婦人に会う。

 

「どこにありました?」と訊くと「これが最後みたいよ。昨日生の鯛を買って家にあるんだけれど、どうやって焼くのかしらね?」と言う。そのご婦人は、調理場のスタッフに焼き方を教わって、家で焼くと決めたようだ。私はその焼鯛を譲ってもらった。

 

その後、ホームセンターでミニフォークを買って、花屋さんに向かう。明日の墓参用と仏壇用の仏花を買う。シクラメンが、付いている値札の半額と宣伝している。連れ合いがいた頃の正月は、毎年シクラメンの鉢植えを買って、キッチンテーブルのお節の隣に飾ってあった。どうしようか迷ったが結局買わなかった。

 

帰宅後、料理の続きをして、いよいよ最後のお節料理の箱詰めを始める。私はこれが一番苦手だ、料理の盛り付けもそうだが、私には持ち合わせていないセンスが要求される。亡き連れ合いや娘は上手にやっていた。もたもたしながらやって18時頃終わる。

 

今年最後の風呂に入って、お節の余りと蕎麦で夕食とする。大掃除中はテレビをほとんど見なかったので、テレビを付ける。紅白に合わせてしばらく見ていたが、いずれも若い男女がグループで歌って踊っていて、どれも同じに見えて面白くない。

 

他の番組を見ようと地上波、BS、CSを片っ端から回してみたが、興味がわかない。最後に「第九」を放送していたNHK Eテレに辿り着いた。これは12月24日にNHKホールで開催された「N響第九(合唱付き)演奏会」の録画だった。

 

第九を始めて経験したのは中学生の時で、第四章でそれまでオーケストラの演奏が続いた後、突然朗々とした力強いバスの独唱が響き渡るのを聴いて感動で心が打ち震えたのを覚えている。

 

今回の演奏は、指揮が井上道義さん、ソリストメゾソプラノが藤村美穂子さん、ソプラノ、テノール、バスは私の知らない外国の方だった。

 

2022年の最後の夜は、「第九」を聴いて就寝した。

 

3⃣ 元日

5:40起床 今日は10時に娘家族5人が年始挨拶にやって来る。朝食後、飲み物のコップ等洗う漂白剤が無いのに気が付いた。「正月のこの時間店は開いていないしどうしよう」と頭を巡らし「そうだ!コンビニだ!」と思いつく。

 

最寄りのミニストップへ行く。雑貨はトイレットペーパーしか置いていない。次にセブンイレブン、雑貨はミニストップより品数が多いが漂白剤が見付からない。「トイレの塩素洗剤で代用しようか」と思っていたら別の棚にあった。さすが業界NO1のセブンイレブンと感心する。

 

家へ帰って、イチゴのへたの葉を取って皿へ盛り、数の子と大豆の浸し豆に鰹節をかけた物を6皿作ってテーブルに並べる。祝箸、コップ、とり皿をそれぞれの座る前に並べ、お節料理を真ん中に置いた時に一家が到着した。

 

各自が自分の席に着席したところで、新年を祝い本年の無病息災を願って乾杯する。飲み物は、娘が帰りの車を運転するのでノンアルコールビールと温かい麦茶、長女と次女がコーラ、三女がグレープジュース、私はこの後車で墓参りをするので麦茶、お酒は婿殿一人となった。

 

子供の成長は早い。三人とも又一回り大きくなった。この春長女は中2、次女は小4,三女は小2になる。

 

長女は部活で野球部のマネージャーをし、生徒会の役員にも選挙で選ばれたそうだ。次女は身体は小さいが運動神経が良い。最近ダンスを始めて、センターを張っているという。三女は身体が大きく陽気で何をしても憎めないキャラクターだ。

 

わが家は、お節の後はすき焼きで締める。婿殿は去年は仕事で、一昨年はコロナで来れなく正月のすき焼きは3年振りだ。彼も期待していたと言うことで鱈腹食べてもらった。

 

13時、お腹がいっぱいになった一家が帰宅の途につく。買ったお菓子は自分の家で食べるよう土産に持たせた。5人が一度に居なくなると急に寂しくなる。

 

山のような食器を洗って正月恒例の墓参に出かける。彼岸やお盆ほどではないが、かなりの人がお参りに来ていた。 

 

お墓から帰ってやっと一息ついた。友人からのメール、年賀状に目を通す。

 

夜は久しぶりにゆっくりと「芸能人格付けチェック」を見ながら、お節をあてに熱燗の酒を嗜(たしな)み、寛(くつろ)ぐ。

 

このブログは去年から毎週一回日曜日に更新している。今日は日曜日なので短い文だけでもアップしようと22時頃書き始めたが、睡魔に襲われ断念した。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年最後のブログ

今年も押し迫り、余すところ一週間となった。  

 

昨年末同様今年も12月中旬に新潟県が豪雪となり、長岡、柏崎地方の国道の車が渋滞して立ち往生となった。市内では、車のマフラーが雪で埋まり一酸化炭素中毒の犠牲者も出た。私は車が雪で閉じ込められるというような経験はないが、もし自分がそういう場面に遭遇したとしたら、冷静で的確な判断ができるか心もとない。雪が降ったら車に乗らないに限る。

 

12月に入ってすぐに、5回目のワクチン(今回はファイザーで、副反応はほとんどなかった)を接種し、テニス、卓球の合間に年末正月の買い物、孫へのクリスマスプレゼント用意、年賀状書き等、慌ただしく過ごしたが、そんな師走の日常の中での出来事を列記します。

 

1⃣ 女の子

朝から気持ち良く晴れた師走のある日、二階のベランダで布団を干していたら、下の道路で、歩き始めたばかりと思われる女の子が、ヨチヨチと歩いているのが目に留まった。

 

近くで若いお母さんが見守っていたが、その子はお母さんとは反対方向にチョコチョコと走って行って転(こ)けた。泣くかと思ったが健気にも立ち上がり、又走り始める。1才ぐらいであろうかペンギンが走っているようで実に可愛い。今は歩いたり走ったりするのが面白くて仕方がない様子だ。

 

そこへ道路の反対側に若いお父さんが現れ、しゃがんで両手を広げ女の子に「お出で」と合図をする。女の子はお父さん目掛けて一生懸命チョコチョコ走って行って、両腕の中に飛び込む。お父さんは女の子を抱いて立ち上がり、お母さんと並んで去って行った。

 

ベランダからこの微笑ましい光景を見ていて、心が和んだ。お父さんは自分の腕の中に飛び込んでくる我が子を抱きあげて、幸福感に包まれ、「この子の幸せの為なら何でもするぞ」と思ったのではなかろうか。

 

静岡県裾野市の保育園で、1才の園児が虐待されるというニュースが報じられた。1才と言えば、この子ぐらいの園児だろう。保育士が園児を虐待とは信じがたいことだが、今保育士の労働環境はとても厳しいという。ストレスが蓄積した結果か分からないが、関係者は、原因究明を徹底して再発防止に努めて欲しい。

 

虐待した3人の保育士の写真が公開された。このニュースを聞いて、始めこの保育士は男性かとイメージしたが女性と知って驚いた。しかも3人ともキツイ感じは全く無く、朗らか(ほがらか)そうな普通の女性の写真で、もう一度びっくりした。先入観で人を見ては駄目だと悟る。

 

2⃣ 自治

今年度の自治会の役員をやって、9か月過ぎた。今年度もコロナの影響で、お祭りや運動会と言った行事が中止となったので、自治会関係に費やすマンパワーは相当削減され、助かっている。

 

12月の自治会会議で、会長から各地区長(私は地区長)に、来年度の班長、地区長予定者決め、その名簿を提出するよう通知された。

 

私の担当する6地区は4班あり、その内二つの班の班長選出はルール化(回覧板の回覧順)されているので問題ないが、2班の班長と4班から選出する地区長は明確なルールがないので、地区長としては頭が痛い。

 

2班は前年度二つの班が合併してできた班なので、来年度以降の班長選出ルールを、班構成員全体で話し合って決めればよいのだが、今年度の班長さんは動かない。仕方ないので、私が「合併前の班毎に順番を決め、一年ごと交互に班長を出す」という案を提案する。

 

来年度は、今年度の班長とは別の旧班から出してもらうよう、旧班で昔から住んでいる地元の名士と思しき昨年の班長さんに取りまとめをお願いしてきた。すんなり決まるか不安が残る。

 

4班は来年度地区長を出す班だ。4班の時期班長は一応順番が決まっているが、地区長の選出ルールは、今年度の班長さんは知らないし「そんなものは聞いたことが無い」と言う。

 

4班で昔から住んでいる家を数軒訪ねてヒアリングをする。その内の一軒で、かつて地区長を経験したお宅で、「地区長選出年の地区長は、その年の班長の順番となった家がなり、班長は次の順番の家がその年の班長を務める」というルールを教えてもらう。

 

このルールに従えば、来年度の地区長に該当するのは、今年の班長さんのお隣のKさんであった。早速Kさん宅を訪れると、若い男性が対応してくれる。この家の世帯主はその男性のお母様らしい。その旨を伝えると、少し困惑した様子で、母親と相談して後日返事したいという。

 

この訪問時に、Kさんには「地区長の役割について」という地区長の主な仕事等がびっしり書かれたA4の用紙を渡している。Kさん宅は新しく引っ越してきた家で、自治会の役員経験はないようだし、自治会活動の煩雑さから地区長を辞退するのではないかと危惧した。

 

無理に強要すれば、「それなら、自治会を退会する」と言いかねない。その場合はまた一から新しい地区長を捜さなくてはならない。

 

三日後Kさん宅を再訪する。玄関に出てきたKさんは「母と相談した結果、地区長をやらせてもらいます。自治会の経験がないので、どういうものか体験もしたいと思って」と言って引き受けてくれた。ホッと安堵した。

 

3⃣ マイナンバーカード

マイナンバーカードについては、今その必要性は全く感じられず、国が管理するデジタルシステムのセキュリティーがイマイチ信用できなくて、積極的に申請する気にはなれなかった。又2万円分のポイントを付与すると国が大々的に宣伝しているのも、天の邪鬼の私には「そんなものには惑わされないぞ」と反発していた。

 

そんな折、9月にケータイショップから「マイナンバーカードの申請をサポートします」というメールが入った。ケータイショップにはスマホの操作の件で相談する用事があったので訪問した。その際、軟弱な私は初志をコロッと変えて、ついでにマイナンバーカードを申請することにした。スタッフにサポートしてもらい、簡単に申請できた。

 

12月中頃、市から交付通知ハガキが届き、15日に市の窓口に行ってカードが交付され、ポイント付与手続きも完了した。

 

私のマイナポイントの決済サービスは、Pay Pay である。Pay Pay  は去年スマホを更新した時にダウンロードし、ケータイ会社から500ポイントチャージされているが、一度も使っていない。

 

そう私は恥ずかしながら、今では少数派の現金決済派なのだ。Pay Pay  には15000円分のマイナポイントが追加チャージされたので、遅ればせながら、これからは電子決済も併用していこうと思う。

 

早速文房具屋さんでボールペンを買った時に、Pay Pay  決済とした。一円単位のお釣りが出るような決済は、小銭入れが膨らまなくて便利だ。

 

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今年も残り一週間、大掃除や家の片付けは殆どしていない。今年も例年のように、最後の一週間で正月支度をすることとなった。又怒涛の一週間で、余裕なくバタバタと動き回って、疲れ果てるというパターンだ。分かっているのに改善できない。学習能力がないのだ。

 

ぐだぐだ言っても始まらない。やるきゃない!

 

ということで、今年のブログは今回が最後です。本年も拙いブログにアクセスしていただいた読者の皆さん、本当にありがとうございました。来年もよろしかったら又訪ねてみてください。それでは皆さん 良いお年をお迎えください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

柚木裕子「慈雨」

NHKラジオ深夜便を聴いていたら、作家の柚木裕子さんのインタビューが放送された。私はそれまで、柚木裕子さんに付いてはその著作は一度も読んだことが無かったし、直木賞か何かの文学賞候補として名前を聞いたような気がする程度の認識しかなかった。

 

ラジオのインタビュアーは、柚木さんの作品はどれも、心情描写が優れていると何度も何度も言うので、興味が湧いて彼女の作品を読んでみたくなった。

 

翌日、ネットで柚木裕子さんのことを調べてみた。

 

<柚木裕子さんのプロフィル>

昭和43年/1968年岩手県釜石市生まれの今年54才、山形県山形市市に在住して執筆活動をしている。家族は夫と成人した男女の子供。

 

 

平成20年/2008年「臨床真理」で第7回「このミステリーがすごい」大賞の大賞を受賞して作家デビュー

 

その後、「検事の本懐」で大藪春彦賞、「孤狼の血」では直木賞候補にノミネートされ、日本推理作家協会賞を受賞し、映画化もされている。「盤上の向日葵」では本屋大賞2位を獲得、その他にも受賞歴が多数あり、「令和のベストセラー作家」として人気の作家のようだ。

 

柚木さんの個人的なことでは、

柚木さんの生母は、56才の若さで他界した。父親は再婚して義母と岩手県宮古市で暮らしていたが、東日本大震災津波で実家と両親が被災した。行方不明の両親を捜して、遺体安置所を歩き回った辛い経験を持つ。

 

柚木さんの作品は、その美しいルックスからは信じられないような暴力団抗争を描いた「孤狼の血」や、硬派で骨太なものが多く、人間の心情表現には定評がある。彼女が小説を書く上で気を付けているのは、「登場人物の筋を通すこと、それぞれにとっての正義とは何で、それをどう貫くか描くこと」だという。

 

ここまで調べて、彼女の作品を読むことの期待が更に高まったが、さて彼女の数ある作品の中で、何から読み始めたらよいか悩む。

 

同じくネット記事を見ていると、「柚木裕子のおすすめ小説13選」で、「本の雑誌が選ぶ2016年度ベスト10」で第1位に選ばれた「慈雨」という作品が目に留まった。

 

本の雑誌」は、椎名誠やその友人目黒孝二が立ち上げた雑誌で、目黒孝二が編集長だった20年以上前、私は毎月購読していた。そして、この雑誌記事を参考にして本を買って読んでいたが、当たりはずれが無く感動的な作品に出会うことが多かった。

 

その経験から、私の読む最初の柚木裕子作品は、迷わず「慈雨」と決める。

 

集英社文庫の「慈雨」を楽天のネット通販で購入し、届いた日とその翌日の二日で読了した。

 

 

私は映画やドラマもそうだが、その予告編やあらすじは、極力見たり読んだりしないようにしている。先入観の無い真っ白の状態でその作品に接したいからだ。

 

この物語は、定年退職した主人公の神場が妻と四国歩き遍路の旅に出る。旅に出た矢先に、退職前に勤めていた管内で少女誘拐事件が発生し、それが16年前に神場が捜査した事件に酷似していた。それは解決していたが、神場には悔恨のある事件だった。元部下の刑事から定期的に状況連絡を受け、二つの事件に思いを馳せながら遍路を続けるというものだ。

 

私は、主人公が四国遍路すると知ったのは、読み始めてからなので、この作品により親近感を覚え、遍路の情景描写が私のへんろ旅を思い起こし、懐かしく読み進んだ。

 

私のへんろ旅の目的は、非日常の体験とかスポーツ感覚での達成感を味わう事、一期一会の出会いを楽しむこと等旅の要素が強いものだったが、遍路巡礼者の目的は、心の安寧を求めたり、贖罪であったり人により様々である。

 

この物語の主人公は、現役時代に関わった事件被害者の弔いの為と言う目的で歩き始めるが、旅の途中で、神場がこれまでに体験してきた不条理な出来事の数々を思い起こし、遍路に疑問を感じるようになる。

 

「・・・神場は巡礼をしている自分が愚かに思えてきた。辛い思いをしながら札所を回って、読経をし、仏に手を合わせる。そんなことをして何の意味があるのか。神も仏も無常だ。何人も救われることはない。・・・」

 

神場は「巡礼をやめようか」と思うが、途中でやめてしまえば、被害者たちの魂に顔向けできないと思い返す。そして、様々な人に出会い自己を見つめ直していく。

 

2ヶ月の遍路の末結願を迎えるころ、事件も解決に向かい、神場は巡礼を通してひとつの覚悟を固めていく。それは刑事としてと言うより、その前の人としての矜持を示すことであった。

 

読後感としては、将に作者の意図するところであろうが、組織への忠誠と正義への信念の狭間で葛藤する主人公神場の描写が上手く描かれている。

 

「組織と正義」は経済小説や警察小説では、よく取り上げられるテーマで、特に目新しいものでは無い。だが、神場が四国遍路をしながら、妻や娘のことを思い巡らし、過去と向き合い、自分と向き合い、正義とは何かを問いかけ続ける姿には共感を覚えた。

 

作者の柚木さんは、この作品について、「生き直すことをテーマに書きたかった。過ちを犯し、後悔の念を抱いていない人は少ないと思う。生き直さなければならないと思う場面に遭遇した時に、どう向き合って決着をつけるかが問われる。」と語っている。

 

主人公の神場が、一つの答えを示している。