へんろ日記 13

4月24日にアップした「へんろ日記 12」の続きです。

 

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11月27日(月)(曇)(2017年/平成29年)

<36日目 西条市小松 60横峰寺他>

 

6:00 朝食 S旅館の朝食は、朝から刺身他の豪華なものだった。

 

6:55 S旅館出発 妙谷川に沿った登り一方の県道147号を急ピッチで歩く。左手の丘の斜面に童話の絵本のような赤と黄色の建物が見える。(何の建物か分からない)赤い実をつけた柿の木が晩秋の趣きを醸し出していた。

 

 

8:30 しばらく行くと、林の中に喫茶店があった。この時は開いていなかったが、このような場所で、お客は一日何名来るのだろう。他人事ながら経営が成り立つのか心配になる。

 

8:50 登山口 横峰寺へのへんろ道は「へんろ転がし」の一つで、難所である。

 

へんろ地図の注には、「雨天の際は、へんろ道に沿った沢の水量が急増して、激流になって通行不能となることもある。下流の妙谷川の川底や岩が見える時はよいが、川幅一面に流水の時は、強行を控え、一旦国道まで戻り、先に63番まで打った後、車道で60番を打つのが妥当 我慢・忍耐修行也」とある。

 

昨日は雨であったが、妙谷川の川底の岩が見えていたので、沢沿いの登山道を登ることとする。

 

初めの半分くらいまでは、岩だらけの山道を、グレートトラバースの田中陽希もこんなものかというくらいの勢いで、ぐんぐん登る。後半はバテてダラダラ歩きとなる。

 

10:00 60番札所 横峰寺 バテバテの状態で山門を通過。

 

        写真ACより  Tomo 55 さんの作品

 

境内は一面にガスっていて寒い。休憩所の建屋に入って、自販機のホットミルクティで暖を取る。納経所で、霊峰石鎚山を一望できる弘法大師修行の地「星が森(横峰寺奥の院)」のことを訊くと、15分位で行けるが、この天気ではガスっていて何も見えないだろうと言われ、行くのを諦めた。

 

NHK趣味悠々 2006年9月~11月四国八十八ヶ所はじめてのお遍路」掲載写真

晴れていればこの写真「星が森」のように、石鎚山の全容を一望できるそうだ。

 

10:40 横峰寺出発 ここから尾根伝いの長い山道を3時間程縦走して小松の市中に下る。

 

13:35 61番札所 香園寺 この寺は、建屋が四角いビルになっていて、門とか瓦とか和風のものは一切なく、外観からは全くお寺とは認識できない。本尊はビルの中に有って、金ぴかの装飾物で飾られている。ビルの中でお参りする。商業主義の塊のようで、全く馴染めない。私の中では、四国88カ寺のお寺の中でワースト1のお寺だ。

 

13:50 62番納経  62番宝寿寺の運用が悪いらしく、香園寺の駐車場に仮設の62番臨時納経所があり、そこで納経してくれた。

 

14:30 63番吉祥寺 二寺続けて不快の思いをした後だけに、境内の楠とイチョウの大木の趣きの良さに心が洗われた。

 

納経所では、マスクをしていたが美人のお姉さんに墨書授印して頂いた。横に「ぽっくりお守り」なるお守りが置いてあり、そのお姉さんが言うには「うちのおじいちゃんは、風呂へ入る時以外はいつもこれを身に着けていて、安らかに旅立った」とのこと。私もそれにあやかろうと、そのお守りを即購入した。今も付けている。

 

15:10 旅館K着。

夕食は豚肉のポン酢鍋、へんろの宿では、ほとんどお肉はでないので、久しぶりにお腹いっぱいお肉を食べた。美味しかった。

 

夕食時、私の隣に座った無口で髭の男性、話しかけると、「徹夜で山道を歩き、転んで4日間入院して、また歩いている」と語る。無謀だけれど憎めないような人だった。

 

 

36日目の歩数:45,000 歩     歩行距離:29.3 ㎞

 

 

 

11月28日(火)(晴)

<37日目 西条市小松→四国中央市土居>

6:25 小松の旅館 K 出発 早朝の小松の町を気持ちよく進む。

 

7:20 64番札所 前神寺 荘厳で立派なお寺だ。昨日香園寺を見ただけに、その渋さ、奥深さが際立つ。

 

 

 

8:30 武丈公園 加茂川右岸の公園、春には加茂川堤と共に桜が見事で、西条の桜の名所らしい。

 

9:55 JR西条駅東 どういうわけか道を間違え、へんろ道の国道11号を通り越してJRの踏切まで来てしまった。スマホで現在位置を確認して11号へ戻る。30分以上のロス。

 

11:00 11号から新居浜市の一般道に入る。

 

11:15 中萩小学校 新居浜市の住宅街、メロンパンとアーモンドチョコを食べて一休み。

 

11:40 新居浜アーケード 歩いていた道路がそのままアーケードの中に入る。地方の典型的なシャッター商店街だ。アーケードには、飾りつけがしてあったり、マイクからは音楽が流れているが、人通りがなく開いているお店も少ないので、もの悲しい。

 

12:20 舟木郵便局 手持ちの現金が少なくなったので、お金を下ろす。

 

12:30 交通量の多い11号に合流する。ここから登りの一本坂だ。

 

13:30 関の戸 国道の峠に当たる所。ここから国道を離れ、静かで下りの気持ち良い田舎の道を快適に進む。

 

14:30 JR予讃線を越えたところで、地元のお婆ちゃんからリポビタンの接待を受ける。喉が渇いていたので美味しくいただく。

 

15:00 土居町の旅館 T 到着

ここは、3年前にも泊まった所で、その時接待してくれた若女将は、臨月のお腹をしていた。その時お腹にいた子は3才になるのだが、その若女将は今回も大きなお腹をしていた。彼女とは夕食時、そんなことを、ちょこっとお話しした。

 

 

37日目の歩数:55,500 歩    歩行距離:36.1 ㎞

 

 

 

11月29日(水)(曇/雨)

<38日目 四国中央市土居→三角寺徳島県三好市

 

5:50 土居町旅館 T 出発。旅館の朝食が7時ということで、朝食をキャンセルして4日振りに早朝出発する。暗い国道の歩道を懐中電灯のライトを照らしながら進む。

 

6:50 国道沿いのコンビニ F に立ち寄り、タラコおにぎり、肉まんを買い、コンビニのイートインで食べる。

 

8:45 伊予三島の中心地に入り、車の往来も激しくなる。3年前に立ち寄ったコンビニがマッサージ店に変わっていた。

 

9:30 松山自動車道のガードをくぐり、しばらく山麓を東進した後、山道を急登する。

 

10:30 今にも降り出しそうな天気の下、65番札所 三角寺に到着。ここは、愛媛県最後のお寺なので、卓球サークルの仲間にメールする。

 

 

11:20 三角寺から次へ向かって5分程歩き始めた時、スゲ笠を納経所に忘れたことに気が付き、又長い石段を登って取りに行く。

 

12:50 高知自動車道ガード下 この辺りは丁度、愛媛県香川県徳島県の県境の土地で自動車道も松島、徳島、高知の各自動車道が近くで合流している。

 

13:05 椿堂 ここは四国別格二十霊場の一つだ。雨が本降りとなる。

 

13:10 国道192号線 この道はこの先の峠のトンネル(境目トンネル)を抜けて徳島県に入り、伊予街道として徳島市まで通じている。トンネルまで雨のそぼ降る登り一方の国道をひたすら歩く。

 

14:15 境目トンネル 通過に13分を要す。

 

14:50 旅館 O 着。本日の宿としてここを予約したが満室の為、O が三好市の民宿Hを紹介してくれた。O に着いたらHに電話すれば、車で迎えに来てくれると言う。

 

20分程でHの主人が来て車に乗り込む。乗り物に乗るのは、高知県のゴルフ場の車に乗って以来だ。車だからすぐ着くかと思ったら、10分ほどかかった。歩けば1時間以上だろう。

 

民宿Hは三好市(旧池田町)の吉野川左岸の高台にあり、へんろにとっては別格箸倉寺の拠点ともいえる古い建物の宿だった。吉野川上流の大歩危小歩危等の観光地の近くでもある。旧池田町は、高校野球で全国的に有名になった町で、この宿の最寄り駅は、阿波池田駅である。

 

おかみさんが、濡れた靴用にと古新聞をくれたのだが、中から虫の死骸やら生きた虫やらがでてきて、気持ち悪くて使用しなかった。

 

食堂で、ご主人が最近へんろが減っており、へんろ相手の民宿経営が難しくなっていると話してくれた。

 

夕食は、刺身とカツカレー、久しぶりのカレーが旨い。

 

箸蔵寺を打ってきたというへんろ13回目の札幌へんろと夕食を共にする。穏やかな人で明日80才になると言っていたが、とてもその年には見えない。先達の資格もあるそうだ。

 

17:30 睡眠不足気味で、バタンキューで眠る。

 

 

38日目の歩数:53,800 歩    歩行距離:35.0 ㎞

   

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さて、へんろ旅も「菩提の道場(愛媛県)」の65番まで打ち終わり、いよいよ次回から最終の「涅槃の道場(香川県)」に入ります。

 

            ー 続く(非定期)ー

 

日連(ひずれ)アルプス

4月29日から続いた今年のゴールデンウイーク(GW)も今日(5月8日)が最終日だ。今年のGWは、新型コロナによる行動制限もなくなって、落ち込んでいた人出もかなり回復したようだ。

 

GW前の天気予報では、余り晴天は期待できないとのことだったが、5月2日からは晴天が続いた。

 

コロナ以前から、GWとかお盆とかの人出が多くなる時期の遠出の外出は避けている。今年のGWも道路、交通機関は混雑が予想されたので、どこへも出掛ける予定は無かった。それが、GW中ごろの天候があまりにも良かったので、テニス卓球の予定が入っていない5月5日に、日連(ひずれ)アルプスへ行ってきた。

 

日連(ひずれ)アルプスとは、アルプスと大仰な名前が付いているが、JR中央本線藤野駅の南にある標高3~400mの一連の低山(※)を称し、縦走路が整備されている。

 

※ 金剛山、峰山、八坂山、鉢岡山、日連山、宝山の六座

 

 

登山口近くまで車で行って、縦走後車に戻るには、車の駐車場所と、どこから登るかによって、4ケース考えられる。即ち、駐車場所は縦走路東端にするか、西端にするか、車道を歩いてから登るか、下山してから車道を歩くかだ。色々考えた末、駐車は縦走路東端近くとし、そこから車道を縦走路西端まで歩き、金剛山登山口から登山する左回りルートを選択した。

 

5月5日(木)

7:15 県道とおおだ小径の分岐近くに車を停め、県道を西進する。この道は日連(ひずれ)集落を貫いている、地図を見た時は、鄙(ひな)びた田舎の風景を想像したが、集落には民家も多く、カフェや飲み屋も存在し、車の往来も多く予想は外れた。

 

7:45 金剛山登山口(金剛山神社参道口)

 

 

登山道に入ると、そこここでウグイスが鳴き、若葉の香りも新鮮で清々(すがすが)しい。しばらくすると、つづら折りの急登となり、ペースを落としてゆっくり登る。途中見晴らしの良いところが、一か所だけあった。日連アルプスは、ほとんど樹林の中を進むので展望できるところは貴重である。

 

 

 

8:40 金剛山(標高410m) 展望のない樹林の中に神社の祠が祀られていた。

 

 

 

新緑の登山道を赤く彩っているのはヤマツツジだ。

 

 

 

9:00 峯山(標高423m) 山頂の標識が樹木に貼り付けてあるのが、安直でいかにも日連アルプスらしい。

 

 

山頂から展望できるのは、この峯山だけである。朝、バナナだけ食べて出発したので、ここで景色を見ながら、コンビニで買ったおにぎりで朝食とする。食事中に若い男性の二人連れが現れた。今日初めて出会う登山者だ。

 

 

 

 

9:25 八坂山(標高420m) 峯山から5分程奥まった所にある八坂山を往復する。

 

 

 

落ち葉の下り坂 ひんやりした空気が気持ち良い。

 

 

 

9:40 杉峠 ここから縦走路を外れて、南へ30分程行くと鉢岡山だが、展望のない樹林の山頂を1時間かけて往復するのは気乗りせず、今回はパスする。

北の日連集落へ下る道は、数年前の台風で崩落しており、閉鎖されていた。

 

 

 

10:00 日連山 標識も至って簡素

 

 

途中反対方向から来た2組の高齢者パーティに会う。

 

 

10:15 宝山 大きな木が立ち枯れとなっていて、隙間から中央高速方面の景色が見える。

 

 

 

 

10:40 下りの急坂(ロープ使用箇所)

 

 

 

10:55 おおだ小径 車道のおおだ小径を歩いて行くと、車は通行止めとなり、ここからは歩行のみのハイキングコースだ。更に行くと相模湖の南岸に出て、木の間から湖とその先のホテルなどが眺められた。

 

 

11:20 そこから、駐車してある車に戻る。

 

 

日連アルプスは、先にも書いたように、その仰々しい名前とは裏腹の低山の縦走路だ。GW真っただ中の5日に行ったので、もっと登山者で賑わっているかと思ったが、山中で会ったのは10名程、地味でマイナーな山だが、その分静かな山行を楽しめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四月最終週

近所で綺麗に咲いていた八重桜、ハナミズキも青葉になった。今歩いていて目に付くのは赤紫のツツジ(アザレア)と黄色のモッコウバラだ。

 

 

 

 

陽気が良くなって、春の草花を眺めながらも、今この時点でウクライナでは戦争が行われていて、毎日多数の犠牲者が出ていると考えると、心が曇る。

 

ロシア軍にほとんど制圧されているウクライナ南部マリウポリでは、ウクライナ軍(アゾフ連隊)が製鉄所に立てこもり抵抗を続け、女性子供を含む民間人約1000人、負傷兵500人も製鉄所に避難している。周りはロシア軍が包囲しているので、物資は底をつきかけている。

 

この状態が続けば、ロシア軍が攻撃しなくても、立てこもっている兵士・民間人は、兵糧が尽きて、悲惨な恐ろしい状態になると懸念される。

 

私は数日前、自分がこの製鉄所の中でウクライナ人とともに避難していて、阿鼻叫喚の地獄図のような世界で苦しんでいる夢を見た。目覚めても非常に後味が悪く怖かった。

 

国連事務総長が、製鉄所からの市民の退避に関する協議を、ロシア、ウクライナ当局と行ったとのニュースも入っているが、少なくとも民間人の安全な退避が一刻も早くなされるよう祈る。

 

一方、国内のコロナ新規感染者は、一日4万人前後(4月28日現在)で地方では高止まりや増加しているところもあるが、都市部では減少傾向にある。そんな中、今年はコロナが流行してから初めての行動制限のないゴールデンウイーク(GW)を迎えることとなった。

 

4月29日のGW初日の前夜は、六本木、新宿、渋谷の繁華街は、コロナ自粛のうっ憤を晴らしたい若者であふれ、帰りはタクシーがつかまらず、まるでバブルの頃のような様相であったとラジオニュースが伝えていた。

 

 

私の生活はというと、平凡なのは良いことであるが、変わり映えのしない毎日が続いている。四月最終週(4月24日~30日)のなんてことはない日々の日常生活を綴ってみます。

 

4月24日(日)

朝から雨で寒い。午後、傘をさして歩いて公民館に向かう。(Hサークルの卓球練習会が開催される公民館は、自宅から近いので歩いて通っている。)

 

雨のせいか参加者は、いつもの半分くらいの5人であった。卓球台は3台あるので、5人という人数は非常に効率が悪い。6人だと、3台の台をフルに活用して二人ずつ対面で練習できるのだが、5人だと、二人と三人に分かれて、台は2台で一台は未使用となる。

 

練習の立ち位置はくじで決めるので、参加者が多いと一台で3人とか4人の練習となり、一台で二人だけの対面練習に当たるのはラッキーなことなのだ。

 

それでも、参加人数が少ない分、練習は密度が濃くなったような気がした。

 

テニス仲間でもある同い年の友人が、今日は欠席したので、いつも卓球練習後に二人でコーヒーを飲みに行くMACへも寄らずに帰宅した。

 

4月25日(月)

昨日とは打って変わって朝から晴れて暑くなった。今日は珍しくテニスも卓球も無い日なので、普段やり残していることをまとめてやった。

 

・布団干し/洗濯/大雑把な室内掃除

 

・青汁プレゼントハガキ: 私が毎日飲んでいる青汁の箱に付いているシールを10枚ためて、ハガキに貼って出すと、同じものが一箱プレゼントされるというもの。

 

・段ボールたたみ: 飲料と料理の水は、全てペットボトルの天然水を使用している。これを、土曜日のスパーまとめ買いの時に、2ℓペットボトル6本入りの段ボール箱で買ってくる。この空き段ボール箱が直ぐに溜まって、部屋を占領することとなるので、7~8箱になったら畳んで資源ごみに出すことにしている。

 

・孫への誕生ケーキ注文:孫の誕生日にはネットでケーキを予約して送っている。三姉妹の三女がGW明けに誕生日を迎えるので注文した。ネットでは、ローソクの追加を忘れたので、店へ電話して追加する。

 

夜、ビデオに録画しておいたWOWOW制作の「オペレーションZ」を観る。

「オペレーションZ」は、真山仁の原作で、新潮45に連載され2017年に新潮社から刊行された経済小説をドラマ化したものだ。

 

日本がデフォルトという国家財政破綻の危機に直面し、草刈正雄演ずる首相の密命で組織された財務官僚チーム「オペレーションZ」が、国家予算半減の難題に挑む様子が描かれている。

 

具体的には社会保障費、年金、地方交付税をゼロににする案に、当然ながら厚労省総務省から猛反発され、国会対策、メディアを使った国民へのアッピールの様子がリアルに見るものに迫ってくる。

 

さすがWOWOWドラマだ。作りがしっかりしている。1話1時間で、6話連続だ。3話までは前日までに見たので、この日はの後半、4話から6話までを一気見した。

 

4月26日(火)

今日はKテニスとS卓球が重なったので、S卓球に欠席のメールを入れてKテニスに行く。

この日、今年の1月から「前立腺がん」で休んでいた仲間が、手術後の経過も良くなったということで、テニスを再開した。病気以前と同じ動きをしていて皆安心する。テニスが終了した後、雨が降り始めた。

 

4月27日(水)

今日は亡き連れ合いの16回目の命日だ。午前中に墓参りに行く。彼岸やお盆と違って平日なので、広い霊園墓地には誰もいなかった。お墓を掃除し花を生けお参りする。「もう16年か」と16年前のことが目に浮かぶ。

 

今日は命日であるとともに、娘の誕生日でもある。臨終の枕もとで「私の誕生日に行かないでよ~!」と叫んでいた娘の声が、耳に焼き付いている。娘には辛い宿命を背負わさせてしまった。ひとしきり墓前に佇み感慨にふけり、又来るからと言って墓を後にした。

 

午後は、昔の会社の寮で一緒だった仲間との「オンライン放談会」に参加する。コロナが流行してから、オンラインミーティングをするようになって、今回が3回目だ。

 

前二回のソフトはZOOMで行ったが、ZOOMだと40分で切れるので、今回はMicrosoftのTEAMSにして、一度休憩を挟んで2回連続開催として、60分×2=120分にしたいと主催者から連絡があった。TEAMSを事前にインストールしておいた。

 

メンバーは7人であるが、その内の一人が、前日からめまいと吐き気の症状が出て静養していると連絡が入り、6人で開催した。近況を一人ずつ話す。参加者はコロナ禍の社会を、皆元気で過ごしているようで安心した。次回は秋の10月頃と決まって退場する。

 

4月28日(木)

毎週金曜日に行っているリハビリセンターが、明日は祝日で休みなので、振り替えで出席した。

 

木曜日は金曜日より利用者が多く、金曜日のストレッチや体幹下肢トレーニングのスペースが狭かった。

 

木曜日の理学療法士さんは、二人で、一人は私を指導してくる若い男性、もう一人は火曜、木曜に出勤する若い美人の女性だ。この女性の理学療法士さんとは、振り替えの日しか会わないが、会うと色々雑談する。

 

下肢のマシントレーニングをしていて、何気なく彼女の手を見たら、左の薬指に指輪が嵌められているのを発見した。「○○さん(彼女の名前)結婚してたんだ~。キャピキャピのハタチ前後のお嬢さんかと思ったよ~」と言うと「もう歳ですよ~」と謙遜する。

 

今どきの女性は、みんな本当に若くて美しく見える。昨年秋にここを辞めて博多へ引っ越した看護師さんも、この彼女と双子のようにそっくりで、その看護師さんも独身と思っていたら結婚していた。

 

4月29日(金)

今日は朝から雨が降り続き、終日家から一歩も出ずに過ごした。

 

孫の三姉妹の長女が中学に進学したが、部活のことで悩んでいると聞いたので、アドバイスのメールでも送ろうと色々考えたが、良い言葉が見つからずグズグズしていたら、一日が終わってしまった。

 

4月30日(土)

昨日の雨に対し、今日は朝から気持の良い晴天に恵まれた。班長の役目である自治会費集金を明日に予定していたが、明日はまたも天気が下り坂というので、前倒して本日集金する。

 

私の担当する班は、全て戸建てで固まっており、世帯数も11と少ないので、留守宅が無ければ集金は2時間とかからない。皆さんご近所さんなので、殆どの方は顔見知りであるが、道で会えば会釈して挨拶するくらいのつきあいだ。

 

集金に伺うと、連れ合いが生前懇意にしていた方からは、私の子供の現況について尋ねられたり、若干の世間話もした。

 

集金は順調に終わったが、このあと、集計、班長の徴収原簿作成と地区会長として地区内各班の集計、地区会長の徴収原簿の作成作業が残っている。

 

夜はNHK-BSPで「伝説のコンサート 中森明菜スペシャルライブ1989」を観た。明菜ちゃんの8周年ライブだ。彼女の最も脂の乗り切った時期のもので、パンチのある歌声、カッコいい振付に、明菜ファンでもある私は大満足した。

 

 

 

 

へんろ日記 12

3月27日にアップした「へんろ日記 11」の続きです。

 

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11月24日(金)(晴 風強し)(2017年/平成29年)

<33日目 松山市北条 → 今治

 

6:55 北条のO旅館を出発。

へんろ道はここから小高い山を越えていくのだが、海岸沿いの車道は瀬戸内海の眺めが良かろうとこちらのコースを取る。後で地図をよく見たら、へんろ道より距離が相当長く遠回りとなった。

 

8:10 大浦 本日の宿は、今治市内のビジネスホテルを予約してあるが、明日は天気が良さそうなので、そのホテルに連泊して、「しまなみ海道」で一日費やそうと考えた。電話すると満室で断られる。

 

今治駅周辺の他のホテルを片っ端から電話したが、全て断られた。明後日の日曜日は今治で何かイベントでもあるのだろうか? 仕方ないので「しまなみ海道」は午前中の半日で済ませ、明日の宿は今治の先の58番札所仙遊寺の宿坊を予約した。

 

8:40 松ヶ崎 瀬戸内海の写真を撮っていたら、ボソボソとした感じの一人のへんろが私を追い抜いていく。しばらく彼の後を歩き、並んだ時に話しかけると、彼は今日がへんろの初日と言っていた。

 

 

 

9:20 菊間 菊間は鬼瓦の町である。国道196号の山側に鬼瓦の工房が続き、人の背丈ほどもある鬼瓦が、宣伝の為か道路に向かって展示してある。

 

          写真ACより kozieZ400GPさんの作品

    写真ACより usshi54さんの作品

10:00 太陽石油菊間製油所 製油所を左に見ながら歩いていていたら、何と私が勤めていた会社の名前の入ったストラップが路上に落ちているのを発見した。このプラントは私の勤めていた頃、建設されたとの記憶があったが、その後メンテナンス工事が行われ、その関係者が落としたものと思われる。

 

11:50 大西郵便局 出発してから今治に電話した以外はノンストップで歩いている。歩きながらピーナッツを食べた。

 

12:00 西ノ山 スーパーと百均が並んでいる。百均でナップザック、手袋、スマホケースを買う。

 

13:10 54番札所 延命寺 納経所では、次の55番までのルートは分りにくいからと手書きの地図を頂いた。

 

55番への途中、石垣上にある巨大なマンションとお城の横を通る。(ホテルのフロントの話では、個人の所有らしい。)

 

14:15 55番札所 南光坊 今治市内のど真ん中にある都会的な寺院だ。広い境内の中は、人が誰も居らず静まり返っていた。

 

14:30 Pホテル着。フロントで明日の「しまなみサイクリング」について話を聞く。自転車をレンタルしてくれるサンライズ I にも電話をし、朝歩いて I へ行って自転車を借り、帰りは駅に返却することとする。

 

17:30 3年前に泊まった時は、ホテル内に食事のできるレストランがあったが、今は夜はやっていないとのことで、市内の繁華街のレストランに行く。エビフライ、ホタテフライ、サラダ、ビールなどを注文したが、何れも量が多く、残してしまった。

          

 

33日目の歩数: 49,400 歩    歩行距離: 32.1 ㎞

 

 

11月25日(土)(晴)

<34日目 今治市しまなみ海道→58番仙遊寺> 

 

しまなみ海道」は広島県尾道市愛媛県今治市の間に浮かぶ島々を、九つの橋でつなぐ70㎞のルートで、本州と四国を結ぶ連絡橋では唯一自動車以外に自転車及び歩行が可能な橋である。特にサイクリストにとっては聖地として憧れのルートだ。

 

 

私は初回のへんろの時もへんろを中断して「しまなみ海道」を訪れてみたかったが、その時は本降りの雨に降られて断念した。

 

今回は天候に恵まれたので、三年越しに行くことができた。

 

5:50 ホテルに荷を預け、未明の暗い道をナップザックのみの軽装で、歩いて出発する。身軽なので非常に快調に歩ける。

 

7:00 橋の入り口到着。自転車をレンタルしてくれるサンライズ I の開業は8時なので、一時間待つのはもったいなく、サイクリングは止めて歩いて橋を渡ることとする。(サンライズには自転車の予約はしていなかったので、問題ないと思う。)

 

しまなみ海道」は地上からかなり高いところにあるので、大きなループを二回りして橋上の高速道路に到達する。

 

 

日の出直前の瀬戸内来島海峡の眺めはすばらしく、この時間、車も自転車も一台も走っていない。ここから尾道方面に向かって、自動車道の脇に設けられた自転車、歩行用通路を進む。

 

 

 

 

8:00 この時間になると、今治から尾道を目指すサイクリストが徐々に現れ始めたが、歩行者は一人もいなかった。大島を目の前にした橋上で休憩する。鶏五目のおにぎり、玉子サンドを食べてここで引き返す。

 

 

瀬戸内の小島は紅葉も始まっていた。

 

 

 

10:35 ホテル帰着、荷作りをして11:15へんろ再開

 

12:05 56番札所 泰山時 派手さは無く地元に根付いたお寺のようだ。

 

12:55 57番札所 栄福寺 この寺の住職・白川密成さんは作家でもあり、著書の「ボクは坊さん」は映画化もされた。

 

門前の土産物屋でうどんとアイスクリームを所望する。食べながら店の女主と雑談をした。(今治に新設予定の今話題の加計学園の話など)

 

14:30 58番札所 仙遊寺 

 

 

 

境内のモミジは、この旅で一番紅葉していた。

 

 

 

宿坊には、私が一番に到着。宿泊客は、個人4名、少人数の団体15名程度だった。

 

この宿坊は、隅々まできちんと掃除され、清潔で実に気持ち良い。風呂は温泉ホテル並みの豪華さで、大きな窓からは今治周辺が一望でき、夜は夜景も楽しめる。

 

ただ、惜しむらくは、食事が完全な薄味の精進料理で、味は私にはイマイチであった。

 

 

34日目の歩数: 48,320 歩    歩行距離:31.4 ㎞

 

 

 

11月26日(日)(曇→雨)

<35日目 58番仙遊寺西条市小松> 

 

6:00 宿坊に泊まった時は、お寺のお勤めに参加する。住職の長い法話が終わった時は6:50、朝食は山菜のお粥だった。

 

7:25 仙遊寺出発 お寺からの山道を下る時、暑くなって上着を脱ぐ。

 

8:35 59番札所 国分寺 四国の各県に一つずつある国分寺、ここは装飾的な物は一切なく、シンプルで幾何学的な感じのお寺さんだ。

 

10:35 世田薬師 ここまで何とかもっていた雨がパラパラ降り出した。雨支度に切り替える。

 

11:50 三芳(みよし) 集落の中心にあるスーパーに立ち寄り、太巻き、メロンパン、赤飯等を買い、イートインできるお店の一角で食べる。地元のオジサンから「どこから来たの?」と声を掛けられ、しばらく相手する。穏やかで純朴な感じのオジサンだった。

 

12:20 日切大師 この辺りは東予地方の、のどかな田舎町で、人の良さそうな住人が行き交っていた。同じ方向に歩いていた中年の女性に話しかけられ、「今日は何処まで行くの?」と訊かれ、宿の名前を言うと、「そこまで車で送ってあげる」と言われた。

 

お言葉に感謝し、大変ありがたいが、へんろの途中ということで、鄭重にお断りする。

 

13:30 丹原池田集会所 農村集落の中の集会所だ。田んぼの中の、いかにも田舎田舎したところだ。

 

14:45 小町温泉 S旅館着。 温泉と言っても天然温泉ではなく、スーパー銭湯のようなところ。それでも風呂は広い大浴場、岩造りの露天風呂があり、温泉気分に浸ることができた。夕食は松茸、サザエの刺身等見た目は豪勢。アルコールはいつものビールをやめて清酒にする。  

 

 

35日目の歩数: 45,500 歩   歩行距離: 29.6 ㎞

 

 

             ー続く(非定期)ー

甲斐路サクラ巡り

私の町のサクラは、ピンクの花びらが散って、すっかり葉桜になってしまった。 

 

4月9日(土)から三日間の日本列島は、大きな高気圧に包まれ、全国的に好天に恵まれるとの予報が出たので、久しぶりにドライブでもしてみたい気分になった。当地よりも標高が高く、気温も低いであろう山梨県のサクラはまだ見ごろではあるまいかと、山梨県のサクラを見に行くこととする。

 

山梨県の「桜の名所ランキング」から4位の「慈雲寺のイトザクラ」と2位の「山高神代桜」を目的地とした。3位の「わに塚のサクラ」も候補に挙げたがネットの開花情報は葉桜とあったので、今回は止めた。

 

4月10日(日)

夜明け前の暗いうちに出発し、中央高速に乗ったころ、周りが少しずつ明るくなり始めた。今日は日曜日で、大きなトラックはほとんど走っておらず、行楽の乗用車もさすがにこの時間はまだ少なく、頗る快適なドライブを楽しむ。

 

勝沼ICで降り、ブドウ畑の中の道をJR塩山駅へ向かう。途中甲府盆地の先に雪を冠(かむ)った南アルプスを背景にしたモモ畑が続く。

 

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塩山駅から東に向かって丘陵地帯を登っていくと中萩原の集落から少し外れたところに、そのお寺があった。周りは菜の花畑、モモ畑、に囲まれ、南アルプスが遠望できる気持の良い場所であった。朝日が昇るころ到着する。

 

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<慈雲寺>

慈雲寺は、南北朝時代14世紀に無窓疎石によって創建されたと伝えられている禅宗臨済宗の寺院である。文化財に指定されている室町時代の絵画等を所有し、境内には天然記念物のイトザクラや樋口一葉の文学碑がある。

 

① イトザクラ

樹齢330年、高さ14mのしだれ桜、糸が垂れたように淡い紅色の花をさかせることから、イトザクラ呼ばれている。

訪れた時は、満開から既に一週間過ぎていて、シダレの花びらも少なくなっていた。満開時に根本から上を見上げると、桜の天蓋のように見えると言う醍醐味は、残念ながら味わえなかった。

 

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甲州市観光協会が提供している満開時のイトザクラの写真

 

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② 樋口一葉

ここ(大藤の里)は、樋口一葉両親のふるさとで、一葉の死後大正11年に両親ゆかりの慈雲寺に「樋口一葉文学碑」が建立された。

 

案内看板によると、撰文は明治文壇の重鎮幸田露伴が手がけ、裏面にはこの文学碑建設に賛同した明治の名だたる文豪の名前が連ねてある。これは当時最も新しい形の碑文で日本最高の文学碑といわれている。

 

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平成になって、樋口一葉の肖像が新五千円札に採用されたことを記念して、塩山市甲州市の前の名前)が、ここに 一葉の記念碑を建造した。

 

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③ イトザクラ以外のサクラ

イトザクラは満開を一週間余り過ぎていたが、境内のシダレザクラは今が満開とばかりに咲き誇っていた。

 

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さて、次の目的地は「山高神代ザクラ」のある北杜市実相寺だ。ここ甲州市慈雲寺から実相寺へは、一般道を通って西へ、山梨市、春日居町甲府市韮崎市を経由して北杜市に至る。道路は空いており、1時間半で実相寺に着く。

 

<実相寺>

実相寺は日蓮宗総本山身延山久遠寺の直末の寺院である。

 

寺の由来は、1375年身延山の日應上人が山高村大津にあった真言宗の寺を訪れ、住んでいた真理訪印と法義を論じ合い論破したことによりこの寺を譲り受け、この時日蓮宗に改宗し「大津山実相寺」と称したとある。

 

江戸時代入り、この寺の境内地に武田家の末裔・山高氏が居住していたが、山高氏が江戸に移った後今のお寺が建てられた。その後二度の火事に合っている。

 

① 山高神代ザクラ

樹齢2000年とも言われるエドヒガン種の古木で、日本三大桜の一つとされている。(他の二つは、福島県三春町の「滝桜」、岐阜県本巣市の「薄墨桜」)大正11年にサクラとして初めて国指定の天然記念物となった。高さ10.3m、根元幹周11.8m

 

日本武尊ヤマトタケルノミコト)が東国へ遠征された際、当地に立ち寄られ、記念にこのサクラをお手植えされたとの伝説から「神代」と言う名前がつけられたようだ。

 

鎌倉時代には、日蓮上人がこの地を訪れた時、サクラの衰えを見て憂い、樹勢回復を祈願されたところ再生し「妙法桜」とも呼ばれたとの言い伝えもある。

 

神代ザクラの極盛期は、幕末から明治初期と考えられるが、天然記念物に指定されると、コンクリートの囲柵や石積がされ、発育条件が阻害され皮肉なことに樹勢は衰えていった。そして昭和23年「3年以内に枯死」と宣告される。

 

その後も、昭和34年の台風7号では、神代サクラの主幹が折れるという被害を受け、隣接道路の車の往来により樹勢が益々衰弱し、ついに平成14年度から17年度の4年間土壌改良工事をはじめとする「神代ザクラ再生事業」が行われた。

 

そして、16年が経ち、今年もまた春が来て、悠久の時の流れを生きた神代ザクラが花を咲かせている。

 

駐車場から境内に入ってまず目に入ってくるのが、「神代ザクラ」の巨大な岩石のような根本だ。その岩から幾本もの幹が生えているように見える。2000年の年月の凄さが伝わって来た。花びらの一枚一枚に2000年の命が宿っているのかと思うと、他のサクラとは違った厳かな気分となる。

 

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② 神代桜の宇宙サクラ

2008年11月、神代桜の種がNASAからスペースシャトルに乗って宇宙に旅立った。そして、国際宇宙ステーション日本実験棟で約8か月無重力の状態で過ごし、2009年7月に宇宙飛行士若田光一さんとともに帰還した。

 

その種子を全部植えて様子を見たところ、2粒が発芽した。そのうちの一粒が実相寺境内に植えられ、花を咲かせるまでに成長した。

 

そして、花びらは通常5枚だが、一部に6枚の花びらが見つかっている。仏教の中には、六道という六つの世界があると言われている。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間そしてもう一つが天上界。「地球を離れて天上の世界を回った種が、六枚の花びらをつけると言うことは、一枚は天上の世界を意味しているように思える」と実相寺住職は語っている。

 

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③ 身延山しだれ桜の子桜

実相寺と縁の深い日蓮宗総本山・身延山久遠寺のしだれ桜(全国的にも有名な桜)の子供桜

 

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④ 実相寺境内のスイセン畑と桜並木(遠景の山は鳳凰三山

 

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⑤ 実相寺近くの畑からの眺め

右は甲斐駒ヶ岳だが、左の雪をかぶった山は私は仙丈ケ岳と思うのだが、地元の人に訊いても分からなかった。(早川尾根の一部のようなことを言う人もいた。)

 

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実相寺のサクラを堪能して帰路につく。

 

 

 

 

 

 

自治会

この4月から自治会の、地区長、班長を務めることとなった。

 

私が属する自治会は、構成員が555世帯から成っている。それが12地区に分割され、それぞれの地区は5~10の班に分かれる。私の家は6地区3班にある。

 

3班の班長は、3班の11軒が一年毎に順番で務める。地区長は6地区の6班の中から、一年毎に地区長を出す班が順番で決まる。3班から地区長を出す年は、その年の班長が地区長も兼務するというしきたりだ。

 

今年は我が家が、班長になる年で、しかも3班が地区長を出す年に当たり、地区長も務めることになってしまった。

 

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          写真ACより kyooさんの作品

 

私の自治会の組織は、会長、副会長(7人)会計の役員の下に地区長、班長、会員で構成される。

 

さて、私が務めることになった班長、地区長とは如何なることをするのかというと、自治会会長名で送付された「自治会役員の役割について」によると、

 

①定例地区長会の出席(毎月1回)

②回覧物の配布

自治会費の集金

自治会事業の参加、運営、勧誘

⑤自主防災隊

⑥公園清掃

⑦新規入会の対応

⑧一般会員からの意見要望集約

 

とある。この中で④は、盆踊り、神社のお祭り、町民運動会、親睦旅行、クリーン作戦、防犯パトロール、防災訓練・・・と多彩な事業が並んでいる。

 

昨年はコロナ感染流行の為、盆踊り、神社のお祭り、町民運動会、防犯パトロール等が中止となった。

 

今年も又コロナで中止になるかもしれないが、例年のように全て行われたならば、忙しい思いをすることとなる。各事業は副会長が企画して仕切るので、地区長はその補佐をすることになるのだが、それでも自治会活動のために相当なマンパワーを割(さ)く必要がある。

 

毎年自治会役員の成り手が居なくて大変との話も聞くが、このように事業が多くては無理もないことだと思う。

 

近所付き合いというと、名古屋の実家に住んでいた頃は、生前の母親が社交的で絶えず近所の奥様連中とお喋りして、近所の方々とコミュニケーションを図り、各家庭のプライベートなことまでかなり詳細に把握していたようだ。どこかへ行った時などは、土産物等を近所に配り、ディープな付き合いをしていた。

 

当地へ引っ越してからは、連れ合いが生きていた頃は、それなりにお喋りもしていたようだが、亡くなってからは、御近所さんに路上で会えば、挨拶を交わす程度の極(ごく)軽いものになっている。

 

12年前、当時自治会長だった二軒隣のご近所さんから、副会長就任の依頼を受けた。私は当地に引っ越して以来、班長しかしたことが無く、自治会の事業にもほとんど参加してこなかったので、お断りした。

 

その後も会長さんから熱心に勧誘を受け、ここに30年以上暮らしていていながら、地元に何も貢献していなかったことに気づき反省し、一年限りという条件で引き受けることにした。

 

当時、副会長は現在の7人に対して3人で、先に記した事業を全部やったので、初めてのことで慣れないこともあり、かなり手こずり大変忙しい思いをしたが、何とか一年務めた。翌年今度は会長の打診があったが、一年限りの約束を理由に固辞した。以後また元の状態に戻り、自治会の事業には参加していない。

 

副会長が決まった時に、少しはこの地域のことを知っておこうと調べてみた。

 

まず、当地の歴史は、江戸時代17世紀中ごろ、江戸の町人が当時原野だったこの地を開墾して新田を作り村ができ、昭和16年に町となり、昭和29年に現在の市に編入されて市の一部になった。

 

昭和30年頃から、新田集落周辺の農地は市街化が進行し、農村風景は急速に失われたようだ。

 

私がここに引っ越してきたのは、今から44年前の昭和53年である。当時はもう農地は全く見当たらず、先祖代々受け継がれた地元地主さんの大きな屋敷の周りに、私のような他所から引っ越してきた新住民の住宅が町を形成していた。

 

その頃は、空き地が沢山存在し、少年野球やドッジボールの練習場、駐車場に利用されていた。その後それらの空き地は、新しい住宅が建てられ、近くに大学ができたこともあって、学生目当てのワンルームマンションも多く建設され、空き地はほとんど無くなった。

 

昔からの地主さんのお屋敷は立派なものが多く、その内の一つは、敷地が瓦付きの白い土塀で囲まれ、和風の大きな母屋と離れ、そして白い瀟洒なピアノの音色が聞こえてきそうな洋館もあった。

 

広い庭には市の保存樹木にも選ばれただろうケヤキの大木が聳え、塀の内側には沢山のハクモクレンや梅の木が植えられていた。塀の外側は駅へ向かう道路なので、これらの花を見ながら通勤していた。早春の頃、ミルクのような濃厚な白いハクモクレンが満開になった様は艶やかで、目の保養になり、通勤時の楽しみでもあった。

 

そのお屋敷が、数年前取り壊されて、跡地に5階建て約50世帯の高級マンションが建った。こんなに大きなお屋敷なので、相続税等の税金対策であろうとの噂があったが、土塀の外から花を楽しませてもらっていた者にとっては、寂しい限りだ。

 

ともあれ、班長、地区長を一年間頑張ろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春麗ら

このところ、暖かい日と寒い日が交互にやって来て、日々の寒暖の差が激しく、着るものも春物にしたり、冬物に戻ったりと忙しい。

 

海外のウクライナ情勢は、ロシアの侵攻から1か月以上たったが、相変わらずロシアの非人道的な攻撃が続いている。

 

国内のコロナは、第六波の新規感染者は減少傾向にあったが、3月下旬には前の週の感染者より増加する日が続き、リバウンドの兆しも見られ、今後の予断を許さない状況だ。

 

4月の新年度となり、各企業、自治体には、フレッシュな新人が加わって、新しく始動し始めた。多くの学校は、今週には入学式が行われ、新1年生が誕生する。私事で恐縮だが、私の孫の3姉妹も、長女は中学校、三女は小学校に入学する。めでたいことだ。

 

新型コロナで、行動制限がされるようになって、三回目の春がやってきた。今年の冬は寒かったが、時が巡りの春ともなれば例年通りサクラが咲いて、我が町は今がサクラの満開だ。

 

そんな春麗らの晴れた日に、近所を歩いて春を楽しんだ。

 

団地の一本桜

去年から見に行くようになった。幹回り4.34mの堂々とした一本桜だ。いつ行ってもこのサクラの周りには誰も居らず、見物人が居ようが居まいが「私には関係ありません」と言っているようで、毅然と咲いている。

 

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②メインストリートの桜並木

例年であれば、この通りの車の乗り入れを遮断して、「市民サクラ祭り」が開催されるのだが、コロナ以降三年続けて祭りは中止となった。今の時期この通りを車でゆっくり走りながら花見をする市民が多く、道路は車で渋滞する。(この写真は車の少ない早朝に撮った。)

 

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③公園のモクレン

公園のモクレンもサクラに負けずに満開に咲き誇っていた。

 

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④道端のハナモモ

丈の高いピンクと白のハナモモ

 

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シダレザクラの大木

10年以上前にウォーキングをしていて、市街地から離れたところに、一本の古いシダレザクラがあることを発見した。発見した当時は、花びらがもっといっぱい密についていたと記憶するが、近年は少なくなった気がする。

 

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⑥川端のサクラ

小さな川の岸辺にサクラが纏まって咲いていた。

 

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⑦ラッパスイセン

⑥の近くで見つけた鮮やかな黄色のラッパスイセン

 

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⑧道端の花壇

地元の愛好家が丹精込めて作った花壇

 

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⑨かたくりの里

友人から「かたくりの里」へ行ってきたとの写真を添えたメールが届いた。そこは我が家から近いが、20年近く行っていない。土曜日の朝、一週間分の買い出しに行く予定を変更して、午後の卓球に間に合うように行ってきた。

 

20年前は、民家の裏山にカタクリの花がひっそりと自生しているだけの静かな場所であったが、今はカタクリ以外にミツマタミツバツツジ、ハナモモ等の色とりどりの樹木が植えられ、それらが咲いて綺麗な花の丘陵を形作っていた。カタクリは残念ながら盛りを過ぎていた。

 

カタクリ

 

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ミツマタ

 

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ミツバツツジ

 

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・ヤマブキ

 

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・ボケ

 

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・その他園内の様子

 

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