夏至の頃

6月も下旬となり、今年もはや半年が過ぎようとしている。暦では6月21日が今年の夏至で、一年で最も昼間が長い日となる。今回は「夏至の頃」と題して投稿するが、以下に記した内容の多くは、ネット記事の「ホテル龍名館東京、夏至の食べ物、意味や風習」から引用した。

 

1. 夏至の頃

<今年の夏至

この日の東京の日の出は4:26、日の入りは19:00で昼間時間は14時間34分だ。夏至の日の出が一年で一番早いかと言うと、そうでもなく、東京だと6月5日~6月20日の日の出時刻は4:25と夏至より1分早い。

 

日の長さは、北の方が緯度の関係で長くなる。夏至の札幌の日の出は3:55、日の入りは19:18で昼間時間は15時間23分と東京よりも約1時間も長くなる。更に北緯66.6度以北の北極圏では24時間太陽が沈まない白夜となる。

 

夏至の行事>

昔から夏至の頃は田植え等の農作業繁忙期と重なっているため、他の時節に行われるような風習や行事が少ない。その中では、伊勢の「夏至祭」が夏至の頃の数少ない行事だ。

 

これは、三重県伊勢市の二見興玉(ふたみおきたま)神社で行われるお祭りで、二見ヶ浦海岸で毎年夏至の日の早朝3時半から行われる。海上から見える「夫婦岩」の間から曻る朝日を浴びて、太陽を神様と見立てて拝み禊とする。

 

昔から二見ヶ浦海岸は、天照大御神を祀っている伊勢神宮を参拝する前に海の水を浴びて身を清める所とされていた。

 

        写真ACより     ゆずっこさんの作品

 

 

夏至の頃の食べ物>

冬至の「かぼちゃ」に相当するものは、「冬瓜(とうがん)」であろうか?ビタミンCやカリウムが豊富な夏野菜で、夏至の頃に全国で食べられる。

 

・関西地方では「蛸」が夏至の食べ物とされている。稲の根が蛸の足のようにしっかりと根をはるようにと関連付けたと言われている。 

 

・関東地方では、田植えと同時に小麦を作る農家が多いことから、「新小麦を使った焼き餅」が 「餅のように粘り強くものごとを行うように」との願いを込めて夏至の頃に食べる風習が広まった。

 

・奈良、和歌山、大阪河内では、※半夏生(はんげしょう)に「半夏生餅」を食べる風習がある。これは、小麦ともち米を半分ずつ混ぜて作り、黄な粉をまぶして食べる。田植えのねぎらいや豊作祈願の意味があるようだ。

半夏生:雑節の一つで夏至から数えて11日目から七夕までの5日間をいう。

 

・「水無月(みなづき)」は京都の和菓子で、三角形のういろうに小豆をのせたものである。この小豆には魔除けの効果があるとされていて、京都で6月30日に行われる「夏越の祓(なごしのはらえ)」で、年の前半の厄を払い、残り半年の無病息災を祈って食べるものだ。

 

その他に夏至の頃に日本の各地で食べられるものは、以下のようだ。

・愛知 「無花果(いちじく)田楽」

・三重 「みょうが」

・香川 「うどん」

・福井 「焼き鯖」

 

 

2. 蛍の頃

夏至の頃は又ホタルの頃でもある。夜空に幻想的に舞うホタルはロマンティックで魅力的、ホタル観賞は初夏の夜を彩る風物詩だ。

 

ここで、ホタルの雑学を少々。

 

日本に主に生息するホタルは、①ゲンジボタル ②ヘイケボタル ③ヒメボタルの3種である。

 

ゲンジボタル:体長15mm前後で、強い光を2~4秒おきに出して、曲線を描いて飛ぶ。水が緩やかに流れるきれいな小川に生息する。

ゲンジボタルは住むところによって光る長さが違う。

東日本では、4秒光って4秒休む。西日本では、2秒光って2秒休むそうだ。

 

ヘイケボタル:体長10mm前後、小さな光を1秒おきに出して真っすぐ飛ぶ。水の流れの無い池や水田に生息する。

 

③ヒメボタル:体長6~9mm、ヘイケボタルよりやや強く発光、フラッシュのように点滅、水生ではなく陸生で雑木林等に生息する。

 

 

謡曲では、松原のぶえが唄う「蛍」(2006年リリース、作詞弦哲也、作曲たかたかし)が、しみじみと情緒があって誠に良い。

 

松原のぶえ本人歌唱のものと、香西かおりがカバーで歌っているもの(ホタルの写真が美しい)の2本の動画を貼付します。

 


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※「YouTubeで見る」をクリックすると、視聴できます

 

二題

1. 誕生会

 

テニスと卓球で同じサークルに入会しているSさんとは、もう15年以上も親しくおつきあいさせていただいている友人である。同学年と言うこともあって、幼いころや、これ迄暮らしてきた時代背景が同じで、子供の小中学校が同じことや、環境もよく似ていることから、話していて共通の話題には事欠かない。

 

テニスや卓球で一緒になった時は、練習後近所のマクドナルドでコーヒーを飲みながら雑談するのを常としている。彼は性格が明るく温厚で、面倒見がよいので、周りの人達からも信頼され親しまれている。私とはウマが合うというか、普段から気を遣うことも無く接することができる貴重な友だ。

 

彼は神奈川県の山間部で、10人以上の兄弟の末っ子として生まれ、父親は彼が物心がつく前に亡くなったとのことで、母親一人と上の兄姉たちに育てられ、幼少時は苦労したそうだ。今でもその当時の母や兄姉たちへの感謝の言葉をよく口にする。

 

彼は近隣の地方自治体に就職し、地方公務員として定年まで勤めあげ、その後週1~2回のアルバイトをこなしていた。20数年前から、自宅近くの公園でラジオ体操を主催し、現在も雨の日以外は、毎日代表としてメンバーの前に立っている。旅行等で代表を代わってもらうことはあったが、病気で休んだことは一日も無いそうで、その忍耐力、継続力、行動力には頭が下がる。

 

         写真ACより   あのんさんの作品

 

私はよく彼からラジオ体操に来ないかと勧誘されるが、私は早朝にはめっぽう弱く、6時半頃はもっぱら布団の中でラジオを聞きながらまろどんでいる。

 

彼は、毎日のラジオ体操以外に、週3~4回のテニスと週1の卓球を楽しんでいる鉄人だ。口では「最近疲れるようになった」と言っているが、そんな様子は微塵も感じられない。

 

その彼が、先週誕生日を迎えた。その日は卓球練習日だったので、練習後のMACで私からのささやかな誕生祝をした。私は彼より約半年遅い生まれなので、彼は同学年であるが、半年の先輩だ。彼はしきりに「世の中には、戦争で苦しんでいる人も沢山いる中で、この年になって、病気もせずにテニス卓球を楽しんでいられることは、ありがたいことで心から感謝している」と言っていた。

 

彼は私の半年前を歩いているので、私の半年先の指標として、これからもつきあっていきたい。

 

 

2. 商店街

 

この町に引っ越してきて既に40年以上経つ。その当時、まだ近くにスーパーは無く、普段の買い物は、歩いて10分程の商店街で調達していた。

 

その商店街は、大きなマーケットの周りを小さな商店が幾重にも囲み、市内でも大きな方だった。八百屋は6~7店、魚屋は3~4店、その他肉屋、総菜屋、餅菓子屋、酒屋が複数店あって競い合って商売をして活気があった。弁当屋お茶屋洋品屋、靴屋、花屋等もあった。買い物客相手のそばや、洋食屋、中華屋、すし屋もあって、一通りの買い物と食事ができる商店街だった。

 

商店街にはアーケードができ、店も改装してきれいになって、土日の商店街は買い物客で溢れていた。その中でも「魚〇」という魚屋は、マーケットの中の4~5店分の売り場に魚介類を所狭しと並べ、仲卸のように大量に売りさばいていたので、一般客以外に町の個人商店主も多く買いに来ていたようだ。

 

年末になると、この「魚〇」の売り場の頭上にはずらりと荒巻鮭がぶらさげられ、歳末セールには、正月商品のいくら、うに、数の子、蛸、鯛、鮪等を買い求める客で、通路の歩行が困難なほど賑わった。

 

そのころがこの商店街のピークだったのだろうか?その後周りにスーパーができ始めた頃から、商店街の客足は次第に落ち、賑わいを失っていく。1店、2店と閉店が続き、マーケットの中で店終いした店の内面を紅白の幕を張った姿が、かえって寒々しく目に映った。

 

あの「魚〇」も店をたたみ、魚屋が去り、肉屋が去り、ガラガラになった商店街は八百屋だけが一軒の残って商売を続けていた。この八百屋で扱っていた「平塚トマト」が美味しくて、私は毎年箱売りで買っていた。

 

先週「平塚トマト」を売っているかとこの商店街に行ってみた。すると、なんと目の前には、その八百屋が入っていたマーケット全てが、撤去され更地となっていた。いつかこういう日が訪れることは予想はしていたが、商店街が完全に無くなってしまった姿を目の当たりにすると、一抹の寂はさを覚え、しばらく感慨にふけっていた。

 

 

 

水無月

1. 水無月

6月に入った。陰暦の6月は「水無月(みなづき)」と呼ばれる。6月は梅雨の時期で、一年の中でも最も水と縁が深い月と思われるが、何故「水無し」と言われるのか不思議に思っていたので調べてみた。

 

理由としては、諸説ある。 

①「水無月」の「無(な)」は「ない」ではなく、連体助詞の「の」であり、「水無月」は「水の月」というもの

 

② 陰暦6月は、田植えの時期で、その田植えが一段落して田に水を引く「水張月(みずはりづき)」「水月(みなづき)」を語源とするもの

 

③ 一大仕事であった田植えを仕終えた月、すなわち「皆仕尽(みなしつき)」であるとする説

 

④ 「な」を「鳴」とし、水の力が鳴り響く月と考え、水の力が新たな事物を生み出す月という説もある。

 

いずれも、「陰暦の6月は陽暦の7月頃に当たり、水が少ない」という味気ない説よりは情緒があって良い。

 

2. 二十四節気・七十二候

6月6日~6月20日頃までは、二十四節気では「夏至」の前の「芒種(ぼうしゅ)」である。麦を刈り、稲を植える時期だ。

 

更にこの時期の七十二候(二十四節気の一節気を三等分したもの)は、以下とされている。

 

6月6日~10日頃 「蟷螂生(とうろうしょうず)」=「カマキリが生まれる」

6月11日~15日頃「腐草為蛍(ふそうほたるとなる)」=「腐った草から蛍が現れる」

6月16日~20日頃「梅子黄(うめのきみなり)」=「梅の実が黄色く熟す」

 

季節の移ろいとともに暮らしてきた日本人の生活が詰まったこれらの暦によって、我々は、季節の訪れを一歩先んじて察知することの出来る。先人の知恵に感謝である。

 

3. 梅雨の入り

夕方のNHKテレビを見ていたら、天気予報のコーナーで、視聴者からの質問を取り上げていた。それは「梅雨入りの定義はありますか?」というものだ。それに対し、田中美都気象予報士の答えは、「梅雨入りの定義は無くて、気象庁予報官が総合的に判断して決める」というものだった。

 

大昔の学校の授業で、6月頃日本列島に沿って長い前線が発達して、北側の気圧と南側の高気圧がバランスして長期間停滞するのが「梅雨」だと習ったような気がする。気象庁には当然「梅雨」や「梅雨入り」の定義があって、それに基づいて毎年発表されていると思っていたので、そのアナログ的な決め方は意外だった。

 

4. 紫陽花(アジサイ)の花の色

アジサイの花の色は、土壌の酸度で決まるとはよく言われている。しかしアジサイの色の変化は、アントシアニン色素の酸アルカリ反応ではない。土壌が酸性のときアジサイは青く咲き、アルカリ性の時は赤くなり、アントシアニンとは逆の色となる。

 

そのメカニズムは、土中のアルミニウムイオンにある。花の色はアントシアニンが土中のアルミニウムイオンと錯体を形成し、そこに助色素が反応した場合は青色となる。土中にアルミニウムイオンが無い時は、アジサイは赤色になる。

 

アルミニウムは普遍的に土中に含まれているが、植物が吸収できるのは、イオン化状態の時だけだ。アルミニウムはPH5.5以下でイオン化するので、酸性土壌でアジサイは青くなる。中性では紫、アルカリ性では赤いアジサイとなる。ちなみに白のアジサイアントシアニンを持っていないので、土壌に影響されない。

 

     写真ACより   ドラキチ社長さんの作品

 

       写真ACより   Fusan   Photo さんの作品

 

 

       写真ACより   ぴぴふぉと さんの作品

 

これから約一ヶ月、赤、青、紫、白色と様々な色のアジサイを楽しめる。そんな中でも、私は雨に濡れてしっとりと咲いているアジサイの姿が風情があって好きだ。

 

 

 

 

 

風邪の一週間

風邪をひいてしまった。この前に風邪に感染したのは何時だっただろうか?定かに思い出せない。

10年以上は経っているように思う。その間、食事も免疫力を高める食品を出来るだけ摂るようにしていた。適度な運動もしていたので、お陰様でこの10年「コロナ」「インフルエンザ」「帯状疱疹」といった免疫力が落ちた時に罹りやすい病気には罹らず過ごしてきた。風邪は大丈夫だろうと油断していたのかもしれない。

 

        写真ACより   白つばきさんの作品

 

5月27日の月曜日、朝から気分がだるいので検温すると36.2℃、それほど熱も高くないので、日中は通常の生活を過ごした。夕方に咳が出始めたので、ひどく成らぬようにと9時前に、ベットへ向かう。

 

寝てからが大変だった。熱も出てきたようで身体が温まると、咳が連続し呼吸が苦しい。寝ていても発作的に咳がでる。寝る前に我が家の風邪薬をチェックすると2年前に使用期限が過ぎていた。

 

 

5月28日火曜日は朝から雨でテニスが中止となったので、欠席連絡はせずにすんだ。午後の卓球もメンバーが少なく中止の連絡が入り、こちらも風邪の通知はせずに済む。

 

何はともあれドラッグストアへ行き、風邪の総合感冒薬をもとめる。「のどの痛み」「咳」「鼻みず」「頭痛」「痰」「発熱」の緩和に効能があると書いてある。いずれも私の症状に該当するので心強い。

 

薬は食後30分以内に服用と書いてあるが、全く食欲が無い。昨日の残りニラ玉みそ汁とご飯を少し食べ薬を飲んで寝た。薬は微粒で苦く柑橘系の濃い味がした。

 

それから夕方まで寝ていたが、同じような夢を何度何度もみながら眠った。薬の効果が現れたのか、咳の回数は減った。夢は先週このブログに投稿した「蝶家楼桃花」の夢が多かった。夢の中で私が「蝶々や桃の花が芸名についていて、女の子らしくて可愛くて良い名前だな。」と言っている。「蝶楼花・・・うん、蝶花楼どっちだったけ!」夢の中で苦悶していた。

 

夕方になっても相変わらず、食欲が無い。汗をかいたりして水分を相当消耗しているようなので、麦茶と天然水はこまめにとった。肉じゃがを少々食べ薬を飲んで寝る。いっぱい夢を見た。

 

 

5月29日水曜日、今日は早朝テニスが開催されるので、昨日の内に主催者に欠席を通知しておいた。

 

朝、納豆を食べようと、椀に入れてメカブや鰹節を混ぜてかき混ぜるのだが、いつもの250回を150回に減らしたが、それでも疲れてしまう。日曜日からほとんど何も食べていないので力が入らない。

 

この日も終日ベットで寝て過ごした。これだけ寝ているにまだ眠れる。眠ること以外に何もする意欲が無い。とにかく眠い。今までの普段の生活が少しづつ疲れを蓄積するようなことをしてきたのだろうか。この病気が治ったら、生活習慣の見直しがが必要かも

 

 

5月30日木曜日、午前中にお湯を沸かして入浴した。26日にシャワーに入って以来だったのですごく爽快感を味わった。一度に「風邪の素」が飛んで行ってしまったような感覚だ。昨日までクヨクヨしていたことがバカらしくなる。

 

風邪がすっかり治ったと錯覚してしまう気分だが、まだ咳は残っている。しかし入浴の前後で明らかに変化があった。前は、薬を飲むこと以外は寝ることだけであったが、入浴後は少し食欲も出てきた。椅子に長時間座ってパソコンを眺めたり、雑誌を読んだりもできるようになった。気力がもどった。

 

風邪を引いてから、それまで毎日飲んでいた薬の服用を止めている。血圧の降圧剤と血液硬化抑制剤だ。降圧剤は飲み忘れると即測定値に現れるので心配したが、値は上が110代と全く異状なかった。食事をほとんどとらずじっとしていると血圧は上がらないという事か?

 

 

5月31日金曜日、今日は朝からリハビリ施設へ行く日であるが、今週一週間は身体を十分休ませる為、欠席の電話を入れる。

 

風邪の症状はほとんどよくなったが、かかり付けの内科医へ行ってコロナ罹患の確認をするべきか迷う。今日は朝から本降りの雨でグズグズしていた。結局内科医へは行かなかった。

 

食事が普通に取れる様になった。夕食は久しぶりにYouTubeを見ながら食べた。内藤国雄のオリジナル曲「おゆき」を八代亜紀がカバーして歌っていた。その三番で「・・・どこか不幸が取り付きやすい そんな気がする『ほくろ』が一つ・・・」の画像は頬に、「ニキビ」か「吹き出物」のある女性の横顔が映しだされた。これを見ていた私は「ちょっと待ってよ!これ、ほくろじゃないだろ」と叫んでいた。そしてその可笑しさに笑い転げてしまったのだ。風邪を引いて以来初めて大笑いをした。

 

 

6月1日土曜日、買い出しもいつものように行ってきた。風邪はほとんどよくなったが、咳が残っている。咳は私が風邪を引いた時のいつものパターンで、完全に良くなるまで時間がかかる。

 

今週は一週間運動は何もしなかった。木曜日に入浴するまで週の前半は終日寝ていた。入院して一週間もベットで寝ていると筋力は確実に減退し、歩けなくなることも珍しくないといわれる。来週から又咳と相談しながら、以前の生活を始めようと思っている。

 

蝶花楼桃花さん

今落語界では、女性落語家の蝶花楼桃花さんが人気である。「上手い」「可愛い」「華がある」と三拍子揃っていることから「寄席のプリンセス」とも呼ばれている。私は彼女の落語は二つ目時代の一席しか聞いたことが無いが、小柄でキュートな容貌と明るい語り口から彼女のファンになった。

 

 

桃花さんは、一昨年(2022年)3月に真打に昇進した。真打昇進後、出演したテレビ番組や女優ののんさん他沢山の方々との対談が、YouTubeにアップされている。それらの動画を見聞きして知った彼女の経歴や人となりを以下に記します。(以下敬称略)

 

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蝶花楼桃花は、東京都出身、1981年5月生まれ43才の落語家である。高座の姿や、テレビで一人映っている時は分らないが、身長は150㎝といたって小柄である。集合写真や他の芸人と並んで撮った写真からは、その低さが際立つ。

 

幼い時からミュージカルに憧れ、宝塚スターになりたかったが、身長が低くて受験できずミュージカルの専門学校に入学、卒業後は舞台女優を目指していた。24才の時に年齢を7才若く偽ってAKB48のオーディションに応募し、最終審査まで行ったが、年齢が発覚して不合格となる。

 

各種オーディションの不合格が続いていた時、自分は日本の伝統芸能を全く知らなかったことに気付き、歌舞伎、能、狂言等を勉強する。そこで初めて落語に出会い、座布団一枚の上に座って、たった一人で、何人もの役を語り想像を膨らませていく懐の大きな芸に魅了された。そしてこんな素晴らしい職業があるのかと落語家になることを決意する。

 

師匠を誰にするかは、①多様性があって女性を育ててくれる人 ②自分が尊敬できる芸の力のある人 を基準に熟考して、春風亭小朝に決めた。即刻「弟子にして下さい」と小朝の門を叩く。最初は断られることを覚悟したが一回で取ってくれた。この時小朝から「君は早く真打になって落語がしたいのかい?」と言われ、「いえ、落語を基本からしっかりと教えていただきたいです」と言ったのが良かったと桃花は今思う。

 

時は2006年11月、桃花25才、入門翌日「君、『ぽっぽ』だからね」と師匠小朝に言われた。その由来は入門日が第一次世界大戦終戦記念日だったことから、平和の象徴鳩にちなんだものだ。以降師匠について見習い、前座と修行生活が続く。

 

入門時に師匠からは、「荷物運びは、率先して行い、一番先に大きな重たいものから運びなさい。」と言われる。食事は、師匠、兄さんが食べるのを確認してから食べ、一番早く食べ終えて後片付けをする。それらを一つ一つこなしながら落語の修行に励んだ。

 

2007年6月に前座となり、2011年11月に二つ目に昇進して「ピッカリ☆」に改名する。「ぴっかり」の由来は二つ目昇進日が灯台記念日だからだそうだ。

 

その後落語の芸を磨き、2012年、2016年、2020年とNHK新人演芸大賞で決勝に進出し、2021年には浅草芸能大賞新人賞を受賞した。

 

そして、10日間連続独演会、全国ツアー、海外公演と若手としては異例の活動を展開する。

 

2022年3月ついに真打に昇進し、名前を「蝶花楼桃花」に改名した。蝶花楼は由緒ある亭号であったが、それを名乗る噺家が3年前に逝去されて空いていたので継承させてもらったのだ。「桃花」は師匠小朝が姓名判断で最も縁起が良い名前として選んでくれた。

 

真打昇進後の桃花の活躍には目を見張るものがある。7月の浅草演芸ホールで、真打昇進披露後初のトリを務めた。昇進後どれだけ早くトリを取れるかが昇進後の人気を計るバロメーターになるが、桃花の4ヶ月は春風亭一之輔の5ヶ月を上回り、落語協会の最速となった。

 

9月には、テレビ笑点で、円楽の代理として、女性落語家初の大喜利回答者として出演した。円楽の後任メンバーとして、実現しなかったが最有力候補と目されマスコミを賑わせた。

 

 

2023年3月には、浅草演芸ホールにおいて、桃花自らが企画した全ての演者が女性芸人だけで行う「桃組」と名付けられた公演が行われ、成功裏に終わる。これは江戸落語では初の試みであった。

 

桃花が入門した時、先輩の女性落語家は9人しかいなかった。今は女性の後輩が30人いる。初めの頃は「女の落語なんて聞けるか」と座布団に座ると席を立つ客もいた。今は少なくなったが、まだ女性に対して厳しい客もいる。

 

これまで落語をしてきて女性であることで損することもあったが、早く名前を覚えてもらえる等得することもあった。プラスマイナスゼロだと思っている。自分の落語に女性を色濃く出そうとは思わない。「性別に関係なく桃花の落語としてお客さんが聞いてくださればありがたい。」と桃花は思っている。

 

修行時代、桃花は踊りと三味線を稽古してきた。高座で披露することもある。その日の落語の演目は当日演じる直前に、前の演者とかぶらないように決めるそうだ。桃花の持ちネタは150程で、古典8割新作2割だという。

 

桃花は真打になって、落語界全体のことも考えるようになった。コロナ禍で「寄席が無くなることって有り得るんだ」と実感し、どうやって寄席を残していくか本気で考え始めた。「桃組」の企画もそんな思いから生まれたものだ。

 

桃花のプライベートに関しては、結婚はしていなくて独身だ。付き合っている人もいないようだ。入門してから浮いた話も無く、師匠の小朝によれば「桃花は凄く面食いなので相手がいないのだろう」とのこと。今は落語が恋人か?

 

桃花のスケジュールは超多忙だ。現在は、5月21日から30日まで、昨年3月に開催した「桃組」のニ回目の公演が落語協会百年興行の一環として、浅草演芸ホールで行われている。

 

6月は独演会、二人会、三人会の公演が続き、その間にテレビ、ラジオに出演する。7月に入ると「桃花三十一夜」と題しての31日間連続独演会が池袋演芸場で開催される。

 

桃花のニーズは高く、スター性は抜群で単なる「オジサマのアイドル」に止まらず、新たな落語界のスターになりつつある。

 

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以上が私の知っている「蝶花楼桃花」の全てである。私は先週に上述の「桃花三十一夜」の7月17日チケットを入手した。今から楽しみにしている。

 

 

新緑を求めて

一週間が、テニス、卓球、リハビリトレーニング、買い出しの繰り返しで過ぎて行き、今年もあっという間に5月半ばとなった。健康でそれらを楽しみながら日常が経過するのは、それだけで大変ありがたいことではあるが、たまには旅行とか観劇、観戦などの楽しみがあると、暮らしに張り合いができる。

 

今、山里は若葉青葉が映えて新緑が美しい時期だ。久し振りに新緑を求めて日帰りのドライブをしてみようと思い立った。ドライブは去年秋の北信濃行以来である。

 

行き先は何処にしようかと地図を広げる。日帰りで山岳地方というと、秩父、多摩、甲信方面かとその辺りに目をやる。柳沢峠を越える青梅街道を始め、埼玉県、群馬県山梨県、長野県境には十石峠、三國峠、雁坂峠があってそれぞれを街道が繋がっている。

 

雁坂峠の下には長いトンネルが貫通していて、道路(国道140号秩父往還)も整備され通行も容易であるが、十石峠三国峠を越える道は細く険しく、地図にも「天候不良時は通行困難」と記載されている。

 

目を金峰山の西に向けると、信州峠と言う峠があって、山梨県韮崎市と長野県川上村を結ぶ中継点だ。信州峠の名前は今回初めて知ったが、十石峠三国峠より道は険しくなさそうで、我が家からのアクセスもよいので、今回の行き先とした。

 

ルートは、中央高速の韮崎ICで降りて、金峰山の登山口増冨ラジウム温泉への県道23号を北進し、途中のみずがき湖で左折して信州峠に至る。峠からは長野県川上村に下り、国道141号(佐久甲州街道)へ出て、野辺山を経由して左回りで中央高速のICに戻るというものだ。

 

ウィークディで空いているは木曜日だけなので、日にちは5月16日と決めた。一週間前から天気予報を見ていたら、前夜の10時頃から雨が降るが、深夜の2時頃には止んで、その後当日の午前中は雲が残り午後から晴れるとの予報だった。

 

5月16日(木)

6:15 自宅出発 予報とは異なり、雨は完全に止んでおらず、霧雨が残っていた。

7:45 中央道須玉IC 韮崎IC で降りる予定であったが、考え事をしていて通過してしまい、次のICで降りる。当初予定していた韮崎ICからの道順は変わるが、急ぐ旅でもないので、須玉ICから一般道で、県道23号にでた。

 

須玉IC近辺の人家の多い所から、田舎道へ入って行く。小雨が降っており行楽には生憎の空模様だ。しかし雨の中を走るのも、これはこれで静かで趣きがあって良いものだ。雨に洗われた木々の葉の緑も美しい。

 

 

9:10 みずがき湖 ここから増冨への道と分かれて左の地方道を進む。雨にガスが混じってきた。

 

9:30 信州峠 あっけなく峠に着く。峠の手前は九十九折(つづらおり)だったが、難なく登れた。

 

峠を越えて、長野県川上村に入ると、そこは晴れていた。道の両側の畑は一面に白いビニールが被せてある。川上村は高原キャベツの一大産地である。キャベツ畑であろうか?

 

目の前の小山の上部は、若葉の黄緑が美しい。

 

 

9:35 JR小海線 信濃川上駅 最近改築されたのか新しい駅舎で、JRの委託と思われる中年の女性が、丁度入ってきた上り列車の改札業務をしていた。

 

 

駅の近くに、私の苗字と同じ名前の集落があるので行ってみる。私の苗字は比較的珍しく学生時代電話帳で調べたら、名古屋でも2~3軒しか無かった。故にこの名前が町の看板や店の名前で見かけることは一度も無かった。

 

この集落に入ると、道路脇にここの地名を示す〇〇(私の苗字)と大きく書かれた表示板が目の前に現れてビックリする。知らない土地で自分の名前を呼ばれたような気分になった。その他、川上村消防団〇〇支部とシャッターに大きく書いてある。こそばゆい。

 

実は、学生時代に5万分の一の地図を見ていて、偶然にこの川上村に私の苗字と同じ名前の地名があることを知り、いつかその地を訪ねててみたいと思っていたのである。私のルーツと関係があるのかどうかは定かではないがやっとその願いが叶った。

 

11:00 南牧村畜産直売所 川上村から国道141号(佐久甲州街道)に出て南下する。又雨が降り出した。街道沿いの直売所に寄る。各種のバター、チーズ、ヨーグトが棚に並んでいる。アイスボックスを持参していなかったので、それらの乳製品は買わずにソフトクリームを買って車で食べた。濃いミルクの味がした。

 

直売所を出発して国道に出ると、一面の濃霧に包まれた。車はライトを点灯しても、対向車は直前に来るまで分からず突然現れるのでびっくりする。ホワイトアウトとまではいかないが、私がこれまでに経験した中では最も濃いものだった。

 

道路標識もほとんど読めず、信号も直前まで分からない。次の甲斐大泉に行くには、清里で国道を右折せねばならないが、右折時に対向車が直進して来るのではとヒヤヒヤしながら曲がり終えた。

 

清里から甲斐大泉まではJRで一駅であるが、JRに沿った道が無い。濃霧で視界の効かない中を、地図、スマホ地図、カーナビ地図を総動員して、スマホで車の現在位置を確認しながら、慎重に進んだ。

 

11:50 甲斐大泉パノラマ温泉 霧の中やっと温泉に辿り着く。ここはネットで割と評判が良かったので選んだ日帰り温泉である。

 

 

施設は、室内大浴場とサウナ、大きな露天風呂だけのシンプルなものだ。掲示板によると、この温泉の水は硬度38度PH8の深層天然水ということだ。露天風呂の先は下り斜面になっていて何もないので、天気が良ければ富士山を始めとする周りの山々がパノラマ状に見えるという。今日は霧に包まれて湯に浸かった。

 

施設内の休憩所で食事もできると言うので行ってみたが、メニューは麺類とカレーだけだったので、昼食は帰りの街道沿いの店で食べることとする。

 

13:05 甲斐大泉温泉発 出発の頃になると霧も晴れてきた。温泉から高速までは下りの一本道だ。ギアをマニュアルにしてフットブレーキはほとんど使わずにギアチェンジだけで飛ばす。私は下りの山道をエンジンブレーキで走るのが大好きだ。

 

途中食事処を捜しながら運転する。「これは」と言う店に車を停めると、お休みだったり、営業中の店を通り越したりして店を見つけられないまま、今朝降りた須玉ICまで来てしまった。

 

13:55 韮崎道の駅  国道沿いの道の駅に寄ってみる。品物数が少なく買いたいものも特にない。道路の反対側に大きなドーム状の施設がある。「何か?」と店のスタッフに尋ねると「温泉」ということだ。客は温泉の方が多いのだろうか?

 

食堂も併設されていたが、ここもメニューは麺類とカレーぐらいしかない。仕方ないので山菜そばを注文する。お店の人には失礼だが、期待していなかったせいか意外と蕎麦もつゆも美味しかった。

 

14:55 道の駅出発 国道20号甲州街道)は韮崎から甲府を経由して勝沼まで片側2車線で信号も少なく走りやすい。その先は片側1車線となるが、山間部を通るので車は少なくほとんどノンストップで走ることができる。時間がまだ早いので、20号で大月まで行くこととする。

 

大月から中央道に入り、17時半に帰宅した。晴天に恵まれず、山間部からの眺望はできなかったが、静かな山旅を楽しむことができた。

 

 

5月第2週

長いGW(ゴールデンウィーク)が終わった。私のGWは、5月に入ってからは初日のテニスが雨で中止となったので、5日までスーパーの買い出し以外どこへも行かず、終日自宅で過ごした。GW最終日6日からの1週間の日常を綴ります。

 

5月6日(月)

午後H卓球に行く。しばらくテニス、卓球の仲間と会っていなくて人恋しくなっていたところだ。8名が集まったが、皆さんのGWは私と同じように特に変わったことも無く、自宅で静かに過ごしていたようだ。

 

卓球後SさんとMACへ。話題は、MLBの大谷が、日本時間の今朝未明にホームラン2本(9、10号)とヒット2本の固め打ちをしたことだ。今、日本の国力が落ちてきて、日本人が自信を失いかけているこの時に、大谷は、日本人に夢と希望を与えてくれる世界に誇れるアスリートで、しかも若いのに人間もできていると、二人で称賛しあった。

 

もう一つの話題は来週から始まる大相撲夏場所、朝之山が巡業で右ひざを損傷し、初日からの出場が危ぶまれていることだ。朝之山は幕内に上がってから負傷続きだ。私は大のファンであるが故に、「怪我が多いのは、自己管理能力が足りないのではないか?」と朝之山への不満をSさんにぶつけた。

 

5月7日(火)

連休明けの初日は、昨年もそうであったが、連休の喧騒を鎮めるように朝から雨だった。このところ火曜日になると雨という日が多く、この日も10時半からのテニスが中止となる。

 

午後のS卓球に行く。いつものようにラリーとゲームで楽しく過ごす。3月に火事で被災したSさんも参加した。焼け出されたSさん夫妻は息子さんの家にしばらく居たが、最近自宅近くのアパートに引っ越したとのことだ。4軒全焼の火事だったので、火災家屋の撤去工事は4軒纏めてすることになり、その打ち合わせ等で忙しいと言っていた。

 

卓球のラケット、ユニホームも燃えてしまったので、GWに卓球専門店に行って新しく買い揃えたそうで、今日は新品を身に着けての参加であった。「卓球が火事によるストレスを解消し、立ち直るキッカケになってくれればいいな」と願った。

 

5月8日(水)

朝方は晴れており、水曜日の早朝テニスができるかと期待したが、今日のコートはクレイ、昨日の雨でコート不良中止となる。

 

空いた時間に、NHKラジオの聞き逃し配信ラジル★ラジルで2本の短編小説の朗読を聞いた。

 

① 宮部みゆき作「ドルシネアにようこそ」

 速記の専門学校に通うため、地方からアルバイトをしながら東京で暮らしている学生が、毎週アルバイトで通う六本木駅近くの高級ディスコクラブ「ドルシネア」に纏わる話だ。主人公は貧乏学生なので、その店の名前、評判は知っていたが、一度も行ったことが無かった。それがひょんなことからその店に関わることとなる。

 

宮部みゆきらしい話の展開で、話に引き込まれた。「ドルシネア」の名前は、ドン・キホーテの中で登場する美しいお姫様が由来ということだ。

 

② 伊集院静作「受け月

 社会人野球の老監督が引退することとなった。監督は頑固な昭和気質の精神主義で選手を指導してきた地元では有名な名物監督だ。その引退を控えた監督のチームや家族に対する心情を丁寧に描いた伊集院静直木賞受賞作である。

 

ちなみに、題名の「受け月」とは「上弦の月で細く盃の形をした三日月」のことで、両手を合わせてお祈りすると、願いがこぼれずに叶うという言い伝えがあるそうだ。

 

5月9日(木)

私の三姉妹孫娘の末娘が今週誕生日を迎える。そのお祝いに恒例の誕生ケーキを注文した。彼女の生年は2015年である。今年で何才になるかなと(2024-2015)を計算して、何を間違えたか答えは10だと思い込んでしまった。故にケーキのメッセージは「10才おめでとう!」となり、ロウソクも10本頼んでしまった。認知症の兆候かと心配になる。

 

5月10日(金)

8時半にリハビリセンターへ歩いて行く。5月になって途中のお宅の薔薇も咲き始め、それらを愛でながら向かった。

 

 

 

GW中、この施設は休みだったので、2週間ぶりだ。日にちが空いたせいか、いつもと同じメニューでもハードに感じる。それと5月になって室温が高くなり、走/歩行マシントレーニングでは、大量の汗をかいた。

 

施設のスタッフにGWの話を聞いた。

言語聴覚士Iさん:I さんは、毎週山へ行っている山女であるが、GWの有名処は混雑するので避けて、今年は三浦半島の低山と道志の山へ行ってきた。それでも、通常期より登山者は多いようだった。

 

理学療法士Sさん:後半4連休に、家族4人で実家の松本へ車で帰省した。行きも帰りも夜中に走ったので、渋滞には巻き込まれなかった。

 

実家の両親は、孫が来て嬉しそうだったが、さすがに三日目辺りから娘家族の世話に疲れが出たようだ。それでもお婆ちゃん(62才)は、孫と公園へ行って鉄棒の逆上がりを孫と張り合うくらいの元気があった。

 

5月11日(土)

いつものように午前中にスーパーへ買い出しに行く。店へ入ると明日の「母の日」用のカーネーションの花束や鉢植え、母の日プレゼントのギフトボックスがずらりと並んでいた。

 

果物売り場には、母の日祝いの貼紙のついたメロンも沢山取り揃えてある。鮮魚売り場では、生鰹、鰹のたたきが特売で大量に棚に並んでいる。「目には青葉山ほととぎす初鰹」の季節になった。

 

午後H卓球に行き、帰りにSさんとMACに寄る。雑談では、明日から始まる大相撲夏場所が話題だ。今場所やっと小結に復帰した朝之山が、巡業で負った右膝の怪我で結局初日から休場することになった。先場所優勝した尊富士も14日目に負傷した右足の回復が遅れ、こちらも初日からの休場が決まる。

 

力士に怪我は付き物であるが、それにしても負傷する力士が多すぎる。力士は一年6本場所(90日)の間に春夏秋冬の巡業で全国を回っている。取組数が多すぎること、土俵の高さが高すぎること等、相撲協会も抜本的な怪我対策を考えて欲しい。

 

 

<おまけ>

五月になると、いつもこの曲が聞きたくなる。それは、1970年に津川晃の曲として発売された「五月のバラ」である。作詞はなかにし礼、作曲川口真でその後、ブレンダリー、尾崎紀世彦、塚田三喜夫、水原弘菅原洋一布施明、岩出和也、秋川雅史他多くの歌手よってカバーされている。

 

今回はバラの写真が美しい塚田三喜夫の動画を貼付します。

 


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