先週のある日の正午頃、いつもの様に公園でぶら下がりをしていてふと空を見上げると、真っ青な空に白い筋状や綿状の雲がゆっくりと流れていた。雲だけ見ると一見静止しているように見えるが、地上で止まっている木の枝と雲を重ねて見ると、はっきりと動いている。
雲の名前は分からない※が、明らかに秋の雲で、かなり高いところを移動しているようだ。地上からはとてもゆっくりに見えるが、雲のある上空はかなり早い風が吹いているに違いない。空の青さと真っ白な雲の対比が美しく、雲は音を全く立てずに流れている大河の様で、その流れている様は実に壮大で、久し振りに心が洗われる気分になった。
※多分、すじ雲(巻雲)やひつじ雲(高積雲)だと思われる。
この時スマホを持参していなくて、写真に撮っておくことが出来ずに悔やまれた。写真素材サイト「写真AC」 に、この時見た雲と似た雲の写真があったので、参考までに掲載させてもらいます。

写真ACより リハ―ルさんの作品「雲 空 秋空」
ぶら下がりを一旦止めて、しばらく空を見上げていた。いつもは母親に連れられた幼児や、夕方には低学年の児童で賑わう公園も、この時は私以外誰も居らず、公園外の車の音も聞こえず、静寂に包まれていた。そこには乾いた爽やかな風が心地よく吹いていた。
雲梯の周りには大きな松の木やクヌギの木があり、上を見上げると周囲をそれらの木々が丸く囲み、まん中の大きな丸い円が紺碧の空になっている。その中を真っ白な雲が滔々と流れている。ここで空を眺めるのも良いが、広い芝生に大の字に寝転んでこの景色を眺められたらどんなにか気持ちが良いことだろうかと想像した。
そして、この雲を眺めていたら、山村暮鳥の「おうい雲よ」という詩が頭に浮かんだ。
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「おうい雲よ」 山村暮鳥作
おうい雲よ
いういうと 馬鹿にのんきさうぢゃないか(ゆうゆうと馬鹿にのんきそうじゃないか)
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平(いはきだひら)の方までゆくんか
「雲」を「おーい雲よ」とひとりの友達のように擬人法で呼びかけ、「どこまでゆくんだ」「磐城平の方までゆくんか」と会話調で構成していて読者に親近感を覚えさせている。
短くてあっけなく思われるような詩であるが、この詩の背景には、暮鳥の壮絶な闘病生活と人生観が隠されているという。
暮鳥は、当時結核を患い茨城県大洗で療養生活を送っており、病気で自由に活動できない暮鳥にとって、大空を「ゆうゆうと」「のんきそうに」流れていく雲は羨ましくて仕方のない存在だったに違いない。
自分の力ではどうにもできない死というものを受け入れて、自然に任せて流れる雲に自分の境遇を重ね合わせてこの詩が生まれたと解釈されている。この「おうい雲よ」の詩が収められた詩集「雲」は暮鳥が40才で亡くなった直後に刊行された。
ちなみに、「磐城平」は現在のいわき市で、暮鳥が若く元気だったころ、生涯の友となる詩人たちや暮鳥を師と慕っていた女性詩人と出会ったところで、彼が最も輝いていた思い出の場所である。
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大人になってから、空を見上げて雲の動きをじっくりと見るようなことは今まで無かったので、今回の雲の観察は新鮮な体験だった。これからも記憶に残る「秋の雲」だったと思う。
ー了ー












