へんろ日記 4

11月16日にアップした「へんろ日記 3」の続きです。

 

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10月31日(火)(晴)<阿南市→日和佐市>

<9日目 22番平等寺→23番薬王寺

 

6:30 民宿S 朝食 この宿のオーナーが接待として手作りのパンを差し入れてくれた。前日のK亭といい、このSといい、へんろへの心遣いをありがたく頂戴する。

 

7:30出発

 

8:25 国道55号 へんろ道はここで国道を歩くことになるのだが、国道へ出るあたりのルートが、初回も迷ったが分かりずらい。  国道を30分歩いて一般道へ。

 

8:55 交通量が多くて、騒音や排気ガスで不快な思いをした国道を離れる。刈り取りの終った静かな 田圃の中の道を気持ち良く歩く。

 

9:35 由岐坂峠 峠の少し先で、へんろ開始以来初めての海を遠望する。「やっと海の見えるところまで来たか・・・」の感。

 

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10:30 海沿いの「由岐」の集落を通る。今まで歩いて来た内陸の集落とは、全然雰囲気の違う潮の匂いが染みついた田舎の佇(たたず)まいだった。しばらくすると、JR牟岐(むぎ)線の向こうに綺麗な砂浜の海岸が現れる。田井の浜だ。

 

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夏は海水浴場にでもなるのであろうが、その他のシーズンはこの日のように、誰もいない静かな美しい風景を持て余しているようだ。

 

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11:10 木岐 先ほど通った由岐の隣の漁港の町で、由岐、木岐と同じような名前の地名が二つ並んでいる。

 

11:20 木岐郵便局 3日前に膝の怪我で診療してもらった勝浦病院の診療費は、休日で未払いだった。昨日メールで請求額の通知があったので、この郵便局から振り込むこととする。ここは、3年前も立ち寄ったところで、その時は、現金の引き出しと、ハガキ、切手、封筒を買った。

 

封筒は茶色の事務用と思しきものしか無かったが、局の職員や女性事務員さんはとても親切だった。今回対応してくれた方に3年前も立ち寄ったと告げると、とても喜んで下さり、その時の女性事務員さんはお辞めになったとのこと。

 

郵便局前の「よろずや」に入ってみる。今でいう「コンビニ」で食料品から生活用品まで何でも売っている。店がほとんど見当たらない田舎では貴重な存在で、近所のおばあさん達が買いに来てお喋りをする地域のコミュニケーションの場にもなっている。店の中でさつま揚げを揚げていたので、それを買い求める。

 

11:35 木岐漁港 漁港の少し先の防波堤で、立ったまま、先程買ったさつま揚げと宿でいただいたパンを食べていると、郵便局の職員さんが車で私を捜しに来た。私が局で健康保険証等の入った小袋を忘れ、それを職員さんが届けようと来て下さったのだ。

 

私が、食事休憩をせずそのまま先に進んでいたら、車の通行できない山道となり、職員さんにも見つけられず、保険証等は忘れたままになっていた筈だ。何て幸運なのかと大師様のお陰と感謝する。親切な局員さんには、厚く厚くお礼を申し上げる。

 

漁港から先は左手に海を眺めながらの、登りの遊歩道となり、全国から寄せられた「へんろ」に関する俳句の標識が続く。「俳句の径」と称せられている。 

 

12:40 山座峠 峠から急な山道を30分ほど下ると、日和佐湾に出る。湾を左に見ながら風光明媚な海岸道路は上り下りを繰り返す。

 

14:10 T 薬局 日和佐の町へ入り、薬屋さんをグーグルで探して立ち寄る。膝のケガの消毒剤とシールを買う。太った店員さん(店長さんか?)が貼ってくれる。風呂に入ってもいいとのことだが、店員さんの貼り方は雑だった。

 

日和佐は、この辺りとしては大きな町で、白い日和佐城が町のどこからも眺められ、雰囲気も良い。ここは、平成21年度後期のNHK朝ドラ「ウェルかめ」の舞台となったところだ。日和佐川の橋から、川の先にこれから訪れる薬王寺の塔が望まれる。

 

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14:40 23番薬王寺 徳島県最後の札所だ。本堂への登り階段はキツイ。

 

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                薬王寺の境内

 

15:30 本日の宿、日和佐駅前のビジネスホテルKにチェックイン。田舎のビジネスホテルなので、名ばかりかと思ったが、エレベーターは無いものの、意外と小ざっぱりとして感じの良いホテルだった。

 

18:00 ホテルで夕食は出ないので、駅前の食堂に行く。その食堂の中学生くらいの息子さんと、仕事を終えた地元の職人さん達がお酒を交えて楽しそうに食事をしていた。私はよそ者ではあるが、違和感なく迎えてくれた。カツカレー、サラダ、ビールを注文する。塩味が濃かった。

 

21:00 就寝

 

9日目の歩数 44600歩  歩行距離 29.0㎞

 

 

 

11月1日(水)(晴)

<10日目 日和佐市→海陽町宍喰(ししくい)>

 

4:30 出発 ホテルの朝食が無いので早朝出発し、国道55号を西進する。この時間山道の国道は照明が無く真っ暗闇、懐中電灯が無ければ歩けない。40分程で日和佐トンネルに入り、通過に16分を要す。

 

6:00頃から明るくなり始める。地方の国道は歩道が無いところが多く、トラック等の大型車両とすれ違う時は怖いが、この辺りは歩道が比較的多くて助かる。

 

7:00 小松太子 この時の出で立ちは、下は短パン、上は半袖Tシャツ+長袖シャツ+ヤッケで、早足に歩けども寒い。私は汗かきで、シャツはすぐに汗で濡れてしまい、休止時に着替える手間を省くため、歩行中は極力薄着にしている。

 

7:30 牟岐(むぎ)市街に入る。国道に平行する牟岐川は河口に近いにもかかわらず水は透明できれいな川だ。街も趣きがあって歩いていて気持ちが良いが、この辺りから猛烈に寒くなった。

 

7:40 コンビニの看板が見えて嬉しい。店に入り、ホットミルクティー、おでん(大根、コンニャク)を求める。ここはイートインできないので、店の外で食べて体内から暖を取る。

 

8:35 内妻海岸 意味深長な名前だが綺麗な海岸だ。11日目と12日目の宿を予約する。2件ともOKでホット一息つく。

 

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9:45 鯖太子 ここは別格4番の札所だ。今回は88番霊場の参拝なので、別格は通過する。

 

11:15 海陽町海南の町に入る。百均で消しゴムと手袋を、 地方にしては大きなドラッグストアで身体に優しいMg下剤を買う。

 

11:50 海部川(かいふがわ) 川を渡った所の河口の堤防で昼の休憩とする。海部川の河口なれども、水は清くゆったりと流れている。、今日は早朝出発でここまで懸命に歩いてきたので、久々に川のようにゆったりとした気分になった。

 

12:40 左手に那佐湾が大きな川のように続く。早朝からの歩きで少しバテテきた。

 

14:30 本日の宿 B 旅館に到着。宿に荷を置いて、宍喰(ししくい)の町を散策する。宿の西側を走る「阿佐海岸鉄道阿佐東線」の宍喰駅へ行ってみる。

 

JR牟岐線海部駅が終点でその先、高知県甲浦(かんのうら)までのたった二駅の距離を第三セクター阿佐東線が敷設されている。この辺りは高架になっていて、駅も階段の上にある。駅周辺には店も何も無い。自販機でカフェオレを買って飲みながら、「こういう所もあるものだな~」と感慨深く思う。

 

18:00 夕食 「赤毛のアン」を中年にしたようなソバカスの多い英国の女性と同席する。会話をすれども、私の英語力では2~30%くらいしか理解できなかった。

 

20:00 就寝

 

 

10日目の歩数 62610歩  歩行距離 40.7㎞

 

 

 

11月2日(木)(晴)

<11日目 徳島県海陽町宍喰→高知県室戸市佐喜浜>

 

6:55 B 旅館を出発

 

7:25 国道55号へ出て、水床トンネルを通過。高知県に入る。昨日の朝は寒さが堪えたので短パンにオーバーズボンをはき、上は長袖シャツにヤッケ姿で歩いていたら、登り坂では暑くなりヤッケを脱いだ。

 

7:45 東陽町甲浦(かんのうら) 高知県最東端の町だ。国道沿いに立派なリゾートホテルもあって、町は観光に力を入れているようだ。

 

8:30 生見(いくみ)海岸 ここはサーフィンの名所らしい。

 

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この写真では分かりにくいが、波の先にポツポツと黒い点に見えるのがサーファー

 

初回へんろの時は、京都を深夜に出て高速を走ってここへサーフィンに来て、日光浴をしていた若い女の子の二人連れに会って会話したところだ。暑くなって長袖長ズボンを脱ぎいつもの半袖、短パン姿になる。

 

9:30 野根川 橋を渡ったところにある民家の3匹の犬に猛烈に吠えられ、飛びかかってくるのではと怖い思いをする。

 

9:40 ここから室戸岬の手前までは、民家は一軒もない。山裾の海岸線に沿った国道55号を、右に山、左に太平洋を見ながらひたすら歩くしかない。下の写真の風景が4時間続く。

 

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11:45 へんろ休憩所  東陽町から室戸市に入ってすぐに「へんろ休憩所」があり、干し芋を食べていたら、ブラジルの若い男性がやってきた。2~3回野宿をして1回は民宿やホテルに泊まるそうだ。外国人はこのパターンが多い。

 

ここでも会話は半分くらいしか通じない。彼に干し芋をあげたら、プロテインをくれた。水気の物はミカンしかなく、喉が渇いていたので、とても美味しかった。彼にとっては貴重なものをくれたみたいで、申し訳ない気がした。

 

13:25 佐喜浜スーパーマーケット 国道から外れて佐喜浜の集落に入る。どこか懐かしく好感のもてる集落だ。田舎の小さなスーパーだが地元の人にとっては掛け替えのない店なのであろう。

 

ジュースを2本買い店の外のベンチで飲んでいると、先ほどのブラジル青年がやって来て、彼もこの店に立ち寄った。先のプロテインのお礼に別のプロテインを買って与える。「Idont need this」と言うので、「Iwant to give you it」と返すと「オセッタイ? OK アリガトウ!」と言って受け取ってくれた。

 

14:30 民宿T着。時間が早かったのか、民宿の窓は全て開け放たれて、室内に風を通していた。

 

18:00 夕食 この宿の食事は今回のへんろではピカ一だった。金目の煮つけ、マグロ、カンパチ、イカの刺身、酢の物、煮物他、天ぷらは客が座席に座ってから揚げる揚げたてだ。こんな美味しい料理なのに、お酒を注文したのは、10人ほどの客で私だけだった。

 

11日目の歩数 44900歩  歩行距離 39.2㎞ 

 

 

             ー続く(非定期)ー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寺井尚子さん 3 

一昨年、昨年と秋の季節に、このブログで「寺井尚子さん」を取り上げた。

 ① 2019年9月23日 アップ 「寺井尚子さん」

 ⓶ 2020年11月13日 アップ 「寺井尚子さん 2」

 

①⓶とも寺井さんの演奏した曲についての紹介で、寺井さん本人のことには、触れなかったので、今回は寺井さんのプロフィル、エピソードの紹介から始める。(ウィキペディアNHKトーク番組「トップランナー」等を参照した)

 

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・寺井さんは1967年生まれの54才、神奈川県藤沢市出身のジャズヴァイオリニスト、初めはクラシックを目指していたが、腱鞘炎で練習を休んでいた時に、ビル・エヴァンスを聞いてジャズに目覚める。

 

・1988年プロデビュー、名古屋のライブハウスを中心に活動

 

・1993年来日中のジャズピアニスト・ケニーバロンが、公演が終わって偶然に寺井さんが出演していたジャズクラブへ立ち寄り、即席で共演、その縁で翌年彼の録音に参加するよう、ニューヨークへ招かれる。

 

・その録音の後、ケニーバロンから「イメージだけで二人でやってみないか(メロディもキーもテンポも無く全くの即興アドリブで)」と誘われる。それは二人の即興のイメージだけで生まれた8分間の美しい逸品「ROSE NOIRE(ロゼヌワール)」となった。

 

・以降ジャズヴァイオリニストとして、国内のジャズ公演や、パリを始めとする海外公演で世界のトップクラスのジャズミュージシャンと共演したりと華々しく活躍している。

 

・2004年ゴールドディスク大賞、2010年芸術選奨新人賞他、数々の受賞歴を有している。繊細な表現力と、情熱的な演奏に磨きがかかり、日本を代表するジャズヴァイオリニストとなった。

 

・使用しているヴァイオリンについて、寺井さんは次のように言っている。

「イタリア製、20年以上使っています。炎天下の野外ステージでも弾きます。常に持ち歩いて大切にしていますが、甘やかさないようにしています。楽器がタフに育っていて、いつのまにか一心同体になりました。今一番良い状態で、理想の音を奏でてくれますね。」寺井さんのヴァイオリンも幸せ者だ。

 

 

今回は、1.「Spain スタジオライブ」と 2.「Donna  lee  屋外ライブ」の動画をを紹介します。

 

 

1.「Spain」

これはスタジオライブの動画であるが、詳しい人がいるもので、この動画のコメント欄に色々な情報を提供している。

 

それによると、

・これは16~17年前の、NHKセッション505の名古屋収録で、演奏メンバーは下記

 寺井尚子(VI) 納谷嘉彦(P) 北川弘幸(B) 猿渡康彦(Ds)

(Piano 183548さんのコメント)

 

・寺井さんがメジャーデビューする前、寺井さんは、納谷さん、北川さんと名古屋でトリオを組んで、演奏していた。寺井さんは納谷さんにジャズアドリブを徹底的に教えてもらった。納谷さんは寺井さんの恩師だ。(jirowe ractia さんのコメント)

 

・寺井さんたちは、当時名古屋で「プレザンプレザン」と言う名前のバンドで演奏していた。(kiichi  Murataさんのコメント)

 

さて話を「Spain」の動画に戻そう。

 

「Spain」は、チックコリアが1972年に作曲したジャズの名曲である。イントロでアランフェス協奏曲のメロディが流れ、その後アップテンポになる。ここで何回も出てくるメロディを、寺井さんがいとも容易(たやす)く微笑みながら楽しそうに奏でる。ヴァイオリンに合わせて口ずさんでみるが、簡単なようでピタッと合わせることは難しい。

 

寺井さんのヴァイオリン演奏を、納谷さんがピアノソロで引き継ぐ。このヴァイオリンからピアノへの移行の流れが、実にスムースで心地よい。陸上のリレー競技でバトンが綺麗に引き継がれた感覚だ。納谷さんの太い指はピアノ演奏家として恵まれているのだろう。力強いピアノ音が鳴り響く。横で寺井さんが楽しそうにリズムをとっている。

 

ピアノの後一旦ヴァイオリンが演奏して、ベースのソロ演奏に引き継がれる。徳光アナにそっくりな、北川さんがこれぞベース演奏というような素晴らしい音色を聞かせてくれる。ベースの最後に超低音で〆(しめ)るところはそのカッコよさに痺れる。

 

コメント欄では、ピアノとベースに比べて、ドラムの評価がイマイチだ。私にはその違いは分からないが・・・

 

演奏には直接関係ないが、寺井さんはいつも黒の衣装で通しているが、寺井さんのこの時はドレス姿だ。又髪型もアップにしていて、こんな尚子さんを見るのは珍しい。

 

この演奏は、寺井さんの演奏もさることながら、4人のカルテットとしての演奏が素晴らしい。

 

この動画で非常に残念なところは、最後が尻切れトンボになっていることだ。悔やまれる。(最後まで演奏している別の動画もあるが、何れもバンドメンバーが異なり、私はこの動画の演奏が一番と考えこれを採用した。)

 

 


www.youtube.com

 

 

2.「Donna lee」

この動画は、2002年東京ジャズフェスティバルの東京スタジアムで収録されたものだ。

 

この曲はチャーリーパーカーが作曲したとされいたが、実際はマイルスデイビスが作曲したらしい。

 

この曲は超高速で演奏することから、ギターやベースの高速演奏のテストとしても使われている。今回寺井さんが、ヴァイオリンでこの曲に挑戦した。私は素人でよく分からないが、テンポはT=250くらいではなかろうかと思う。

 

コメント欄で、niraiableさんは「超絶技巧、前人未到空前絶後、・・Ahhh茫然自失」と絶賛している。

 

短い曲であるが、寺井さん全身全霊を集中して、演奏している。前半の途中天を仰いで一息ついて一気に弾ききってしまうところが、潔くてカッコいい。

 

ヴァイオリンの前半の演奏を引き継いだ中沢剛さんのドラムソロが素晴らしい。寺井さんもドラムのテクニックに感動したのか、隣のギター奏者と目くばせをして ノリノリだ。

 

中沢さんは、寺井さんのバンドのドラマーとしても、リベルタンゴ等で参加しているが、コメント欄の評判もすこぶる良い。中沢さんは、素人の私が聴いても最上級のドラマーだと思う。

 


www.youtube.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

へんろ日記 3

前回(11月2日アップの「へんろ日記 2」)の続きです。

 

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10月28日(土)(雨)

<6日目 徳島市二軒屋町→勝浦町

 

4:40 ビジネスホテル出発 1日目から5日目までは天候に恵まれ、全て晴れだったが、台風22号が四国に接近しており、その影響で徳島県も、日付が変わった頃から雨が降り始めた。

 

今日は一日雨中歩行となりそうなので、少しでも早く今日の宿(勝浦町の民宿 K亭)へ到着したくて、ホテルの朝食をキャンセルして早朝出発した。

 

今日の雨対応はどうしようかと迷った末、一日折り畳みの携帯傘のみで通した。頭はビニール付きの網笠でザックは雨カバーをしているので、傘はさんや袋と身体の前方を守るように置く。この恰好で歩けば、背中はほとんど濡れない。ズボンは短パンなので足元が濡れるのは気にならない。

 

このスタイルだと歩いていても涼しくて快調である。そして何よりの利点は、雨具着脱の手間が省けること、即ちその分時間が稼げることだ。上下セパレートタイプ雨具のように、内側がむれて自分の汗でビショビショになるという不快な思いをせずにすむ。

 

ホテルを出た頃はまだ暗かったので、懐中電灯を照らしながら歩いたが、国道55号へ出ると灯りは十分で、懐中電灯も不要となった。

 

6:50 18番恩山寺着 境内には、大師の立像の両側には、何百体もの仏様の像が設置されており、早朝の雨のお寺の雰囲気に馴染み心癒される。

 

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恩山寺の参拝を済ませて、山門を出たところで、アスファルト道路の雨水桝上のグレーティング(格子状柵)に足を滑らせて転倒した。右膝を打ち血とか白いものが出て、外見ではとても重症に見えたが、痛くはなく歩行にも支障なかったので、そのまま手当もせずに、へんろを続行した。

 

8:00 19番 立江寺着 立江寺の周りは民家が密集し門前町を形成している。お寺も16番観音寺のような街中のお寺と言った趣きがある。

 

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   本堂内の[賓頭盧(びんずる)像] (釈迦の弟子十六羅漢の第一)

 

9:55 勝浦川沿いの県道16号に出たところのコンビニに立ち寄る。店のイートインでおでんとホットミルクティを買って飲食する。雨の中を歩いてきたので、冷えた身体が温まり一息つく。

 

たまたまイートインしていた64才の野宿へんろが、私の足のけがを見て、医者に診てもらった方が良いと言う。今夜泊まるK 亭に電話して、この近くの病院を教えてもらう。病院はK亭から更に30分程行った所で、今日は土曜日だが、そこは町立の救急病院なので、診てくれるそうだ。

 

10:35 雨の中病院に向かって歩いていると、心配したK亭のおかみさんが車で迎えに来てくれた。折角のご厚意ではあるが、へんろの途中なので、歩きを中断することはできないと、鄭重に乗車をお断りして歩行を続行する。(へんろを中断すると、再開する時はその地点まで戻らねばならない。)

 

11:15 K亭近くの道の駅まで来た時、雨が本降りとなり、雨具を付けようかと降りしきる雨の道端に佇んでいたら、車の若い男女が声をかけてくれ、病院まで送ってくれると言う。K亭までの距離は歩いたので、お言葉に甘えて運んでもらうこととする。

 

11:30 勝浦病院 病院の待合室で怪我の様子を観察すると、外見上は派手に出血しているが痛くはない。

 

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本日の担当医は内科の先生ではあったが、傷口を4針縫ってくれた。田舎の病院なので軽度のことは何でも対応するのであろう。ボソボソと独り言を言いながら治療してくれる人の良さそうな先生だった。 

 

13:30 K亭のご主人が車で迎えに来てくれ、K亭着。台風が到来しているので、K亭には2連泊する予定。

ご主人自らが作った自慢の岩風呂には、足の怪我で入ることができなかった。

 

6日目の歩数 44600歩  歩行距離 29.0㎞

 

 

10月29日(日)(雨 台風22号

<7日目 勝浦町 K 亭 滞留>

 

本日は台風が通過するまで、歩行を中止してK亭に滞留することとする。

 

K亭には、初回のへんろ旅の時も、台風と重なり大変お世話になった。 四国を一周した後、その時のお礼が言いたくて、バスに乗ってK亭を再訪したくらいだ。

 

(その時の経緯については、本ブログの2020年12月11付け「にっぽん縦断こころ旅」の後半に記載していますので、一読下さい。 )

 

K亭のご主人は、前回来た時は癌の治療中で、どことなく暗い感じがしたが、今回凄く元気だったので安心した。 ご主人曰く「自分本位に考えていたものが、生かされていると悟ったことで、病気も病院治療せずに奇跡的に良くなった。」

 

このご主人、県警のテレビコマーシャルに出演したり、鶴林寺へのへんろ道上に竹のベンチを作って新聞に載ったりと、地元では有名人だ。 その他尺八や岩風呂を作ったり、星の岩屋というところへ2年半通って、岩壁に摩崖仏不動明王を彫り込んだりと、ただものではない人物だ。

 

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             ご主人の彫った不動明王

 

朝食時にご主人が、雨が降ると見栄えがするという「灌頂(かんちょう)ヶ滝」を見に行こうと言う。 台風による強風は吹いていないものの外は大雨だ。 余り気は進まなかったが、折角のお誘いだったので、同宿のへんろと車で連れて行ってもらう。 

 

県道16号を西へ15㎞ほど山道を車で登った所から滝が遠望できた。 ここは20番鶴林寺奥の院「慈眼寺」の近くだ。 「灌頂」とは水行のことで、その昔、弘法太子がこの滝で修行したことから、この名前が付いたという。

 

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余り期待していなかっただけに、一目見てその高さ(70m)と美しさに驚いた。 華厳の滝那智の滝かと思えるほど立派な滝だった。 雨にけぶる姿も良かった。 ご主人も、いつもは水が少なく、これだけの水が落ちているのを見るのは始めてだと言っていた。

 

帰りに病院に寄って、看護婦さんが傷口の確認と傷口パットの交換をしてくれた。可愛い娘さんだったが、「化膿の進行が心配なので、明日も外科医に診てもらった方がよい」と脅かされる。

 

昼食は宿のおかみさんの案内で、道の駅のうどん屋さんに行った。

 

 

10月30日(月)(晴)

<8日目 勝浦町→22番平等寺

 

6:00 ご主人はバスの運転のアルバイトで出勤、今回も色々お世話になった礼を言って別れた。

 

6:45 K亭出発、おかみさんから、遍路の接待として昼食のおにぎりとバナナを頂く。台風も昨日中に通過し、明け方は曇っていたが次第に晴れてくる。

 

登り始めて20分位のところに、昨日聞いたK亭のご主人が作ったという竹のベンチを発見する。

 

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今日参拝予定の20番鶴林寺と21番太龍寺は、何れも山の頂上にあって、その登りは急でへんろ道としては、二番目の「へんろ転がし」(最初は焼山寺への登り)とされている。

 

私は初回のへんろの時、この鶴林寺への登りには大変苦しめられ、山頂近くの急な登りでは、10歩登ってハーハーして休むということを繰り返した。四国の全工程中一番キツイと感じていた。

 

前回あれだけ苦しんだ山道も、今回はそれほど苦しまずに登れた。途中那賀川を見晴らせるところでも、「きれいで気持ち良いな」と感じる余裕があった。

 

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8:10 20番 鶴林寺着 ここから那賀川までの急な下りは、前回30分で駆け下ったが、今回は昨日の雨で登山道が濡れていて、滑らないように細心の注意を払いながら下山したので、55分かかった。

 

9:20 那賀川へんろ休憩所 鶴林寺太龍寺の中間の那賀川左岸にある休憩所で、初回の時はへんろ接待用に段ボール一箱のみかんが置かれていたが今回は無かった。

 

11:10 21番 太龍寺着 21番への登りも、初回へんろの時より苦しまずに登れた。ここへの途中から、冷たい風が吹くようになり、山頂にある太龍寺はとても寒くて、昼食は下山して食べることとする。

 

12:25 十三亀の塔 山を下りたところにこの塔がある。13匹の亀が背中に乗って塔を築いている。名前の下に「不老長寿 無病息災 財運を招く縁起の良い塔」と彫られている。

ここは、初回のへんろの時、K亭のご主人から預けたザックを受け取った所だ。

 

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下山してもまだ寒く、宿を出た時は、半袖のTシャツに短パンの姿だったが、長袖シャツ、ヤッケなど防風防寒着を着て、K亭おかみさんが作ってくれたおにぎりとバナナを立ったままで食べる。

 

13:10 阿瀬比 ここから22番平等寺へはへんろ道の山道となるが、前回この峠道で大変辛い思いをしたので、峠道を迂回する県道経由を取ることとする。

 

14:05 阿南山口郵便局 昨日K亭で書いた友人への手紙の重量を量ってもらい、投函した。

 

14:55 本日泊まる民宿Sへ到着、

 

15:00 22番 平等寺 宿へ荷を預けて参拝

 

民宿Sは、初回台風で連泊した宿だ。設備は良く、おばちゃんは働き者で、食事も美味しく良い宿だ。洗濯は接待ということで無料だった。有難い。

 

8日目の歩数 45800歩  歩行距離 29.7㎞ 

 

 

             ー続く(非定期)ー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月25日~11月9日

世の中の動きとしては、10月31日に衆議院選挙が行われ、日本国民は現状の保守体制(自公政権)を選んだ。野党は敗北し議席数を減らし、野党第一党の党首は責任を取って辞任することとなった。

 

コロナ新規感染者は、11月8日は国内合計107人、東京都18人と8月の第5波のピーク時国内16000人弱、東京都5500人強と比べると信じられないほど劇的に減少している。

 

宣言も解除されて1ヶ月以上となり、飲食店も通常営業に戻っている。街中の人出も増えた。テレビの街行く人の映像からは、今迄自粛してきた抑圧から解放されたような表情が見て取れる。 

 

海外に目を転じると、ワクチン接種が進み一時感染者が減ったことで制限を解除したドイツ、イギリスで感染が再拡大しフランス、韓国でも同様の兆候が見られる。

 

わが国がこれらの国の二の舞にならなければよいが・・・

 

<私のトピックス>

10月25日(月 )

(ガスコンロ)

台所の3台のガスコンロの内1台が点火しなくなり、グリルのアラームランプが点灯してアラーム音が常時発せられるようになった。

 

取説を見ても解らず、購入したガス会社に電話して点検してもらったが、解決しない。コンロメーカーの技術者に来てもらうこととなったが、早くて29日という。

 

幸い2台のコンロとグリルは異状なかったので、料理はいつものようにできた。

 

その間アラームは鳴りっぱなしなので、コンロを使わない時は、点火用及びリレー電源の電池をその都度外すことにする。

 

29日17時にメーカー技術者到着 、早速上部パネルを取り外して内部の点検に取りかかる。最近のコンロは自動消火となっているので、リレー回路がやたらと組み込まれている。

 

しばらく点検していた技術者さんが、リレーの一部に煮こぼれた液が内部に染み込んで、その部分がショートしているようだと言う。その部分をティッシュで拭いて作動してみると、点火しなかったコンロの火が付いた。

 

「根本的に修理するには、リレーを新しい部品と交換する必要があるが、これで様子を見ましょう。また同様の不具合が生じたら、その時部品を交換しましょう」と技術者さんが言う。それに従う。

 

本日の修理は、パネルを開けてリレーをティッシュで拭いただけだったので、費用も6000円と安く済んだ。

 

それにしても、昔であればコンロが点火しないと言えば、ガスノズルの詰まり等の単純な原因がほとんどであったが、今はあらゆるものに、マイコン、リレーが組み込まれているので、修理も複雑になっている。便利なようで一面不便でもある。

 

10月27日(水)

(脳内神経科退院後の定期健診)

退院後9か月になるが、ボーっとした感じ(特に起床直後)は改善されない。前回主治医に状況説明したが、「脳梗塞だからね。後遺症でしょう」と軽く言われたので、今回は状況については「前回と同じです。」としか言わなかった。血液検査は、前回とほとんど変わらず、薬も今までと同じ。

 

10月28日、11月4日(木)

(SHテニスサークルの練習会)

SHサークルの練習は、クレーコートテニス場で行っているため、前日や当日の未明に雨が降るとコート不良で中止になる。10月も2回中止となったが、珍しく3週続けて晴れとなり、テニスができた。

 

春の桜の頃と、秋の今頃は、テニスのベストシーズンだ。秋空の下テニスで身体を動かすことは、実に気持ちが良い。仲間とテニスできることを感謝し、幸せな気分となる。

 

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10月29日、11月5日(金)

(リハビリセンター)

ボーっとした感じやフラツキが改善されないと、理学療法士のMさんに相談したら、バランスの訓練を多くとりいれてくれるようになった。その効果を期待したい。

 

言語聴覚士の I さんから、私の発語明瞭度(1.0から5.0までの5段階評価 1.0:普通 5.0:発語が理解できない)は、1.0で普通の人と変わらないといわれた。リハビリセンターに通い始めた時に、1.5と言われたので、9か月の言語リハビリで改善されたのか?

 

I さんから「これからも言語のリハビリ続けますか?」と訊かれたので、腹式呼吸や呼気発声訓練は続けたいと答えた。

 

毎週金曜日の午前中、3時間みっちりトレーニングして汗をかくと、爽快な気持ちになって、しばらくの間、ボーっとした感じやフラツキは感じない。この状態が終日続いてくれたら、病気も完治したと言えるのだろう。

 

11月月7日(日)

(八王子)

前夜のNHKラジオ深夜便で、渋谷のNHK近くのイチョウが黄色く色づいて綺麗だったと担当アナウンサーが言っていた。それを聞いて「では八王子の国道20号甲州街道)沿いのイチョウ並木も色づいたかな?明日にでも確かめに行ってみよう」と思いたった。

 

前日まで快晴の良い天気が続いていたが、この日は朝から曇り空、9:30に自宅を出発、八王子の20号に出て、高尾方面に車を走らせる。西八王子から高尾辺りまでの20号は両側にりっぱなイチョウ並木が続く。黄色く色づいたイチョウもあるが、まだ所々緑の木もあり、全体が黄色く染まり黄金色に輝く見ごろは1~2週間先と思われた。

 

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近くに「武蔵陵墓地」があるので、寄ってみた。ここへは昭和天皇崩御される直前(昭和63年)に連れ合いと来て以来だから、33年振りだ。当時は「多摩御陵」と言っていたと思う。

 

大正天皇、皇后、昭和天皇、皇后の計4基の上円下方墳が整備され、参拝者も少ないので、厳かで落ち着いた雰囲気を味わえる。ここの楓もまだ紅葉していなかった。

 

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          昭和天皇武蔵野陵(むさしののみささぎ)

 

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今回もおまけでこの時期にピッタリの動画を追加掲載します。

 

<色づく街>

元祖アイドルの南沙織(シンシア)さんの曲で、1973年にリリースされた。その年の紅白にもこの曲で出場している。

 

作詞:有馬三恵子  作曲:筒美京平  歌唱:南沙織

 

いまもあなたが好き

まぶしいおもいでなの

あの日別れた駅に立たずみ

ああ青い枯葉かんでみたの

街は色づくのに

会いたい人はこない

母に甘えて打ち明けるには

あゝ少し大人過ぎるみたい

愛のかけら抱きしめながら

誰もみんな女になる気がするの

さよならはその日のしるしね

 

人に押されて歩く夕暮れ

あゝあなただけがそこにいない

愛のかけら抱きしめながら

誰もみんな女になる気がするの

さよならはその日のしるしね

街は色づくのに

会いたい人はこない

人のやさしさ 人のぬくもり

あゝ通り過ぎてわかるものね

 


www.youtube.com

 

 

 

へんろ日記 2

前回(10月26日アップの「へんろ日記 1」)の続きです。

 

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10月25日(水)(晴)

<3日目 吉野川市鴨島→12番焼山寺

 

7:20 鴨島のビジネスホテルの朝食(小さなパン2ケ、サラダ、ゆで卵)を食べて出発。

7:50 昨日参拝した11番藤井寺の境内を通り、裏手のキツイ勾配の山道を登り始める。いよいよ「へんろ転がし」だ。ここから焼山寺までには、六つの難所があり、へんろ道に沿って1/6~6/6の道標が立てられている。

 

9:15 1/6を登り切って長戸庵着、大量の汗をかき半袖Tシャツ一枚となる。かなり登ってきて、時々右手に昨日渡った吉野川吉野川市が一望できる。

 

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10:30 柳水庵近くの休憩所で一服していると、外国人の男女二人連れがやって来た。彼らはオーストラリア人で、今日の宿は、焼山寺から下った先の民宿とのこと、英語のガイドブックには焼山寺で宿泊できるとは書いていないらしい。彼らにアーモンドチョコを進呈する。

 

11:40 浄蓮庵 ここには「左右内(そうち)の一本杉」という県指定天然記念物の巨木が生えている。看板によると、弘法大師焼山寺へ向かう途中、木の根を枕にして仮眠したところ、夢に阿弥陀如来が現れたので、尊像を刻みお堂に安置した。その時大師がお手植えした杉であると言い伝えられている。 樹周 7.62m、樹高 約30m

 

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しばらくすると、地元の主婦らしき3人連れが現れ、ここでお昼を食べて引き返すそうだ。女性が3人揃うと話が弾み賑やかになる。

 

12:50 浄蓮庵から急な坂を下って県道43号に出る。ここには数軒の農家が点在し秋の陽に照らされ、庭にはコスモスがが咲いて長閑(のどか)な光景だ。左右内谷川を渡って、本日最後の「へんろ転がし」6/6の登りにさしかかる。初回この登りは死ぬほど苦しかったが、今回は前回ほどではなかった。

 

14:00 焼山寺山門 焼山寺の敷地は広大だ。お寺の境石が現れてから山門まで15分位歩く。焼山寺にはへんろ道脇の涅槃仏や境内の子供の石像等石像が多く存在する。

 

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14:25 宿坊着 本日は焼山寺に泊まる。焼山寺は標高700m、周りには民家が一軒もない山寺だ。部屋は宮城県の男性と相部屋となる。彼は今回が5回目のへんろで、収め札の色は青緑色であった、(1~4回は白)

 

18:00 夕食、  20:10 就寝

 

3日目の歩数 33,900歩  歩行距離 22.0㎞

 

 

 

10月26日(木)(晴)

<4日目 12番焼山寺→13番大日寺

 

6:40  朝食、ここの食事は田舎風精進料理でとても美味しい。ご飯をお代わり3杯した。御住職の都合で朝のお勤めは中止となったので、1時間程で往復できるという奥の院へ行こうかとも考えたが、キツそうで今後の歩行の支障になると判断して止める。

 

8:00 焼山寺出発。

8:25 杖杉庵(じょうしんあん) 焼山寺から山道を2㎞ほど下り舗装道路へ出ると、イチョウの大木の下に四国遍路の元祖と言われている「衛門三郎」ゆかりの杖杉庵があり、その伝説が看板に書いてある。

 

「伝説」平安時代前期、伊予の国の豪族で長者であった強欲な衛門三郎は、四国を巡っていて宿を乞うた弘法大師に、断った上に太子の鉢を投げ捨て割ってしまうという無礼な行いをした。その報いで自分の8人の子供が次々に病に倒れ死亡する。改心した衛門は大師に無礼を詫びる為、大師の後を追って旅に出るが、四国を20周巡っても大師に会えない。21回目は、逆回りで旅したが、この地で力尽き倒れる。そこへ大師が現れ、衛門は非礼を詫びて息を引き取る。大師は衛門を許し、この地に葬り、墓標として衛門が遍路に使用していた杉の杖を立てた。これが根を張り杉の大木になったという。

 

お堂の前には、衛門が大師に巡りあえて、詫びている姿の像がある。

 

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9:00 すだち館 すだちジュースとお茶を買う。この辺りは全国的にも有名なすだちの産地である。

 

9:30 県道43号分岐 ここから林道を通って玉が峠へ向かう。途中「全面通行止め」の看板が出ている。歩行もダメなら、すだち館まで戻って別ルートをとらなくてはならない。

 

通行止めの現場に着いて状況を観察すると、道路は舗装のアスファルトは繋がっているのだが、その下の土砂は雨で削られて無い。崖を削って作られた林道なので、横から見ると道の下の土砂がアーチ状に削られ上部のアスファルトのみが水平に繋がっている。

 

車が通ればその重さでアスファルトは崩れ、崖下の谷へ転落するだろう。人間の重さなら大丈夫とは思うが、その保証はない。通行止めの区間は10m位だ。ドキドキしながら息を詰めて一気にアーチ部を通り抜ける。渡り終えると背中に冷や汗をかいていた。

 

10:05 玉が峠 ここからはへんろ道となり、10:30 道沿いのへんろ小屋で休憩する。遥か右下を流れる鮎喰川(あくいがわ)と点在する部落の絶景に癒される。

 

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11:25 鮎喰川沿いの県道がへんろ道となり、鮎喰川を眺めながらの車道歩きが続く。

 

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14:30 13番大日寺 大日寺と言う札所は、88カ寺の内 4番、13番、28番と三つの同名のお寺が存在する。へんろを始めて2回目の大日寺だ。

 

15:00 大日寺に隣接する旅館を本日の宿とする。宿では逆打ちのおへんろさんと同宿。食欲があまりなく、アルコールも始めて抜いた。

 

4日目の歩数 40,700歩  歩行距離 26.4㎞

 

 

10月27日(金)(晴)

<5日目 13番大日寺徳島市二軒屋町>

 

7:00 大日寺横の宿を出発 宿の体重計で荷の重さを量ったら、ザック7.5㎏、さんや袋2.5㎏、計10.0㎏であった。

 

7:35 14番常楽寺 8:05 15番国分寺 8:40 16番観音寺 と札所が何れも徳島市内の街の中に集中しているので、効率よく参拝できる。観音寺は周りに家や店が密集していて、これまでの札所より境内も狭く、町のお寺という感じで趣が異なっていた。

 

9:20 17番井戸寺 徳島市内の札所の中では、一番大きく重厚で堂々としたお寺だ。ここの御本尊薬師如来のお姿が美しい。写真撮影が可と言うことで撮らさせてもらう。

 

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太子堂へ向かうと、丁度10人ほどの雲水(修行僧)の団体が、墨染めの衣に草鞋姿で御参りをするところだった。彼らは一斉に般若心経を読経し始めた。我々素人の読経と違い、さすがプロの読経は美しく厳かな合唱を聞いているようで、心打たれた。

 

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10:25 徳島市街地に向かう大きな道路沿いのショッピングセンターに立ち寄る。ここは初回に来た時にも寄ったところで、100円ショップも入っていて、これまでの旅で不自由したもの等を調達できる貴重な場所だ。今回は、マスク、定規、マグネシウム薬等を買う。果物屋でミックスジュースをオーダーした。

 

12:00 街のど真ん中に遍路用のへんろ休憩所があり又休む。今日は休んでばかりだ。

 

13:05 眉山麓、瀬戸内寂聴さんの実家が営む仏具店の前を通って、二軒屋町ビジネスホテル着、この旅一番の早い到着だ。宿泊料は一泊二食で5000円と徳島市内なのに、驚くほど安い。その代わり設備は古く、エレベーターもない。食事はホテル内のレストランでするのだが、料理はボリュームが十分で美味しかった。

 

19:50 洗濯をして就寝

 

5日目の歩数 30,700歩  歩行距離 20.0㎞

 

 

              ー続く(非定期)ー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

へんろ日記 1

今回からの「四国遍路」は、2017年(平成29年)秋から初冬にかけて旅した二回目の「四国へんろの旅」を、日記風に綴ってみたいと思います。(非定期)

 

 

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10月22日(日)(2017年/平成29年)

<旅の出発>

1番霊山寺から巡拝する場合、序盤の難関11番藤井寺から12番焼山寺の遍路転がし(急な山道の続く難所)を、無事通過することがその後の旅の重要なポイントだ。ここは普通に歩けば三日目に当たり、晴れた日に通過したいので、その日の天候は非常に気になる。

 

出発の数日前から、毎日徳島県北東部の週間天気予報をチェックしていた。この日(22日)は台風21号が四国に接近するので、出発は24日の台風が過ぎ去ってからと考えていた。

 

5:00に起きて、徳島県の天気を見ると、明日(23日)雨は明け方には止んで、その後3日間は晴れマーク、24日出発だと3日目の天気があやしい。急遽本日の出発を決意する。長期間留守にするので、風呂掃除、冷蔵庫の片付けなどをバタバタとやって、自宅を8:10に出発する。

 

台風の影響で、雨が強く降っていたが、新幹線は通常運転、新大阪からJR大阪駅へ。西口のバスセンターでバスを待つ間に、本日と明日の宿へ宿泊前倒しの予定変更を連絡し、OKとなり一 安心。

 

12:40高松行の高速バスに乗車。発車してアナウンスで明石海峡大橋、鳴門大橋の風速が15m/S以上の場合は大阪に引き返すと告げられる。私の座席は1B、左の最前列で 運転手の運転の模様がつぶさに観察できる。

 

この運転手、高速道を運転中雨が強く降りしきる中、ペットボトルのお茶を飲んだり、ハンドルから両手を放して飴の袋を破いてと口に入れて食べたりしていた。それを見ていた私は、もう怖くなって「真面目に前を見て運転してよ!」と言いたくなるほどであった。

 

明石海峡大橋に着いたが、なんとか大阪へ引き返えすことなく橋を通過できた。淡路島に入ると、台風の風雨のため高速は、50㎞/Hに制限されていたが、バスは80~100㎞/Hの速度で飛ばす。雨は10~30mm/Hの大雨、スリップが怖い。

 

鳴門大橋の橋上に出る。風が強くなり走行中のバスは何度も横に流される。それでもバスは速度を落とさない。バスが横転するのではと恐怖心にかられる。「このまま何とか四国まで行ってくれ!」と祈る。

 

無事橋を渡って四国に上陸、15:00に鳴門西PA着、バスを降りて恐怖心から解放された。

 

外はどしゃ降りの雨だった。PAの軒下でザックから雨具を出し、万全の雨支度に身を整え、本日の宿(O苑)まで大雨の中を歩く。

 

15:30 O苑着、O苑は1番霊山寺東門の前にあり、参詣には絶好の位置にある。宿で濡れた雨具を乾かしている間に、霊山寺へ行く。霊山寺は本堂を修復中で、売店も移動しており、3年前に来た時とは、だいぶ様子が違っていた。本堂で明日からの遍路の無事を祈願し、売店で納経帳、収め札などを購入する。杖、笠、さんや袋、白衣、地図帳などは、初回使用したものをそのまま自宅から持参した。

 

O苑に戻り、18:00夕食、宿は料亭も兼ねているだけあって食事は牛肉の陶板焼き、鯛やヒラメの刺身、魚のから揚げ、茶わん蒸し等豪華で美味しかった。料金は少々高かったが、設備もよく満足のいく宿だった。

 

3年前の初回に泊まった宿は、老夫婦の営む民宿で、寝具の枕や布団のシーツが洗濯せずに前の客が使ったもので、度肝を抜かれた。遍路宿とはこういうものかと、その時思い、これから先もこのような宿のお世話になるのかと、暗い気持ちになったものだ。

 

今回のO苑はそれに比べると雲泥の差で、21:30気持ち良く就寝.

 

 

 

10月23日(月)(曇→晴)

<1日目 1番霊山寺→6番安楽寺

7:55 1番霊山寺は、昨日お参りはすませてあるが、もう一度参拝して、2番に向かう。台風は深夜に四国を通り過ぎて、東に去っていったが、朝方は曇りで、時折台風名残の突風が吹き、かぶっている笠が飛ばされそうになる。途中小さな川を何本も渡るが、どの川も、昨夜の雨で増水し、川幅一杯にゴーゴー音を立てて流れていた。

 

8:20 15分で2番極楽寺に到着。へんろ道のルートはよくできていて、旅の初めの1日目と2日目は、札所間隔が短く平地で歩きやすく、これから先長旅の足慣らしに恰好である。

 

極楽寺は、88カ寺の内、私の好きなベスト10に入るお寺である。お寺の手入れが行き届いており、清潔で清々しく心洗われるお寺だ。

 

境内に水かけ不動尊像があり、不動尊の前の2体の子供の像がとても可愛らしくて、カメラに収める。

 

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大師堂の陽当たり良い屋根で、2匹の猿(親子か?)が、毛繕いをしていた。

 

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9:20 3番金泉寺 納経所で次の4番へのルートは、大雨でへんろ道がぬかるんでいるので、先に5番へ行って4番を往復するよう勧められる。これだと4㎞ほど遠回りになる。私はロングスパッツを持参していたので、大丈夫と判断して、通常のへんろ道を取る。問題なかった。

 

途中へんろ道上にある「愛染院」というお寺でお茶の接待を受ける。その先の3年前に立ち寄った「うどん屋さん」は無くなっていた。

 

極楽寺金泉寺の南にある藍住町は、全国的にも有名な藍染めの産地だ。

 

11:00 4番大日寺の手前の道路には、台風で木の枝が散乱しており、お寺の若いお坊さんが掃除していた。空は晴れてきたが、風が強く周りの山がゴーゴーと鳴っていた。

 

11:35 五百羅漢 展示場の受付に、3年前の見覚えがあるお婆ちゃんと、その介助役の男性に再会する。柿の橙色が周りのお寺の景色に溶け込んで美しい。

 

11:50 5番地蔵寺着 初日ここまで非常に順調にきた。台風一過の快晴で、天高く真っ青な天空を飛行機が悠然と飛んでいる。このまま進むと次の6番安楽寺(今日の宿)へは、早く着きすぎるので、ベンチで靴下も脱ぎ、ここで長い休憩を取る。

 

今回1番からここ5番までへんろさんには、個人団体とも一人も会っていない。しばらくすると20代位の若いへんろさんがきた。彼は、般若心経の後に、梵語のお経も読んでいて感心する。彼は今日は10番まで行って野宿するそうだ。

 

13:00 地蔵寺発 平らな歩きやすいへんろ道を遍路の道標に導かれて進む。この辺りは和菓子の和三盆の産地でもある。上質なものは100g1260円もして上品な甘さを保っているとのこと。 

 

14:10 6番安楽寺着。部屋で荷物を整理し、風呂に入る。このお寺は「温泉山安楽寺」という名称だけあって、お風呂は温泉ホテルのような立派な岩風呂だ。夕食の後、僧侶の説話を聞いて20:00就寝

 

1日目の歩数:30,600歩  歩行距離:19.9㎞

 

 

10月24日(火)(晴)

<2日目 6番安楽寺吉野川市鴨島

7:10 6番安楽寺出発。早朝の気持の良い時間に、7番十楽寺、8番熊谷寺、9番法輪寺と順調に参拝を続ける。

 

10:05 10番切幡(きりはた)寺の参道到着。切幡寺の本堂と太子堂は333段の石の階段を登った先にある。前回は参道の表具屋さんから「荷物を預かりますよ」と声を掛けられ、ザックを預け、さんや袋だけでお寺を往復したが、今回は声掛けもなくザックを担いで往復した。(これが普通なのだが)

 

次の11番藤井寺は、この南を流れる四国第一の大河吉野川の対岸にある為、吉野川を渡らねばならない。この辺りの吉野川は中州が発達し、中州は広大な農地となっている。したがって、対岸へは、左岸-中州、中洲-右岸(川島橋)と二つの橋を渡る。

 

11:10 最初の橋を渡った先の道端に「川島橋通行不可」の看板が目に留まる。昨日の大雨による増水の影響だろう。車の通行不可は分るが、歩行もだめだろうか?と考える。農夫の方が軽トラで通りかかったので、聞いて見る。彼も人の通行については知らないとのことで、私を軽トラに乗せて現場まで運んでくれる。(歩くと30分以上の距離)「こころ旅」の火野正平さんになった気分だ。

 

この橋は沈下橋で、昨日までの大水で埋まり、今は水は引いたが橋は泥だらけで、小型のショベルカーでその泥の除去作業をしていた。作業員さんにショベルカーの横を歩いて通っても良いかと聞くと、OKとの返事。

 

軽トラの農夫さんと、作業員さんにお礼を言い、橋を歩いて渡る。まだ十分泥を除去していないので、靴はどろだらけとなる。沈下橋なので橋の欄干、手すりは無い。橋の10㎝位下の所を、濁った水がゴウゴウと流れていて、長い筏(いかだ)の上を歩くような感じだ。水を見つめていると目が回りそうだ。橋は7~80mはある長い橋なので、橋の途中で周りを眺めると大量の濁流に飲み込まれてしまいそうで怖かった。対岸についてホット一息つく。

 

11:50 岸の上のうどん屋さんに入る。徳島県北部のうどん屋さんは、お隣香川県に近いせいか讃岐うどんやさん形態のお店が多い。山菜うどんとレンコン天を注文、四国のうどん屋さんの味で美味しかった。店の人から接待でシユウクリームを頂く。

 

13:00 11番藤井寺、明日参拝の予定を本日中に済ませる。

 

14:00 ビジネスホテルチェックイン 洗濯をしながら入浴。

 

17:30 ホテルでは食事が出ないので、近くの回転すしで夕食

 

21:30 明日はへんろ序盤の難所「遍路転がし」だ。明日に備え就寝。

 

2日目の歩数:38,700歩  歩行距離:25.2㎞

 

 

              ー続く(不定期)ー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

倍賞千恵子さん

いつものようにネットサーフィンをしていて、倍賞千恵子さんの抒情歌に辿り着いた。ネット上には、倍賞さんの似たような名前のアルバムの動画が山ほどアップされている。

 

曰く「倍賞千恵子ベスト40」「倍賞千恵子ベスト25」「Chieko  baisho's  Best  Playlist 2021」「Chieko  baisho's  New  Playlist  2021」等々 どのアルバムもほとんど同じ曲が収録されていた。

 

倍賞さんは、昔から歌の上手い人だなとは思っていたが、じっくりと聴くことはなかったので、これらのいくつかのアルバムを聴いてみる。歌の種類は抒情歌、昔の歌謡曲唱歌、童謡が主だが、ポピュラー/スタンダードもある。コーラスグループ「フォレスタ」の演奏曲目と似ている。

 

私は、夕飯仕度の時、よく昔の歌謡曲で歌詞の入らないサックス演奏等をBGMとして聞いている。BGMは歌詞は耳障りで無い方が好ましい。

 

倍賞さんのアルバムをBGMとして聞いてみた。彼女の歌が入っていても何ら違和感がなく、適度に耳に入ってきてBGMとしても申し分なかった。

 

 

倍賞千恵子さんの略歴>(ウィキペディアからの抜粋)

倍賞千恵子さんは、1941年(昭和16年)東京下町で生まれ育った女優、歌手、声優である。妹は女優の倍賞美津子さん。

1957年松竹音楽舞踊学校に入学、1960年同校を首席で卒業し、松竹歌劇団(SKD)13期生として入団、周囲より逸材と注目される。

1961年松竹映画にスカウトされ、SKDを退団。

1963年山田洋次監督の「下町の太陽」に主演、以降山田作品に欠かせない庶民派女優として活躍する。同年、「下町の太陽」で歌手デビュー、第4回日本レコード大賞新人賞を受賞、同年よりNHK紅白歌合戦に4年連続出場する。1965年には「さよならはダンスの後に」をヒットさせた。

 

<映画の代表作>

男はつらいよ」(全50作)で渥美清演じる主人公車寅次郎の妹さくら役を務める

(1969年~2019年)

「下町の太陽」(1963年)

「家族」(1970年)

幸福の黄色いハンカチ」(1977年)

「遥かなる山の呼び声」(1980年)

「駅 STATION」(1981年)

植村直己物語」(1986年)

「キネマの天地」(1986年)

 

私は、倍賞千恵子さんといえば、映画の印象が強い。「男はつらいよ」はシリーズ全作品(48作)を4~5回は見た。この場面の次は、寅さんやさくらがどんな言葉を発するかほとんど覚えたくらいだ。

 

倍賞さんが、高倉健さんと共演した「幸福の黄色いハンカチ」「遥かなる山の呼び声」「駅 STATION]は、いずれも秀作だった。その中でも「駅 STASION]の名場面は忘れられない。

 

そのシーンにつては、丁度一年前の2020年10月16日にこのブログにアップした「時刻表旅 3」でも書いたので、そのまま転載する。

 

舞台は、北海道留萌本線終着、増毛駅前の小さな居酒屋、倍賞千恵子さんはそこの若い女主、時は大晦日の夜

「・・・店の客は健さん一人、彼女は暖簾をしまい、カウンターに二人並んで黙ってテレビの紅白を見ながら酒を呑む。外は雪。テレビからトリの八代亜紀が歌う「舟唄」が流れる・・・彼女は健さんの肩にそっと顔を傾ける・・・」

 

<歌手としての倍賞さん>

倍賞さんの歌唱は、非常に美しい耳に心地良いソプラノで、素直に身体の奥に入ってくる。クラシックのソプラノ歌手が歌う抒情歌等の日本の歌は、オペラの延長上にあるようで、バタ臭くてどこか馴染めない。その点倍賞さんの歌声は、日本人に好まれる普遍的で何度聴いても飽きない魅力がある。

 

倍賞さんは、透明感があって良く伸びるソプラノと、日本語の発生の美しさから、歌手としての評価も高く、藤山一郎さんも絶賛している。

 

さて、倍賞千恵子さんのアルバムの中から、7曲ほど紹介します。50曲位の中からの選曲には迷ったが、倍賞さんの声の美しさの際立ったものとか、倍賞さんの特徴が現れていると私が感じた曲を選びました。どれも、みな有名で聴いたことのある曲ばかりと思います。

倍賞さんの美声をお楽しみください

 

1. 忘れな草をあなたに

 

1963年 女性コーラスグループ「ヴォーチェ・アンジェリカ」がシングルをリリース。

1971年 倍賞さんと菅原洋一さんが競作でシングルリリースしてヒット、世に知られる。

  

作詞:木下 竜太郎  作曲:江口 浩司

 

 別れても 別れても 心の奥に

 いつまでも いつまでも

 おぼえておいて ほしいから

 しあわせ祈る ことばにかえて

 忘れな草を あなたに あなたに

  

 いつの世も いつの世も 別れる人と

 会う人の 会う人の

 さだめは常に あるものを

 ただ泣きぬれて 浜辺につんだ

  忘れな草を あなたに あなたに

 

 喜びの 喜びの 涙にくれて

 抱き合う 抱き合う

 その日がいつか くるように

 ふたりの愛の 思い出そえて

 忘れな草を あなたに あなたに

 


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2. さくら貝の歌

 

1939年(昭和14年)鈴木義光という青年(後の八洲秀章)が、病により18才の若さで亡くなった恋人への思いを短歌にし、それをモチーフに友人の土屋が詩を作り、八洲が作曲した。その後ほとんど世に知られなかったが、1949年山田耕筰が編曲して、NHKラジオ歌謡で放送されて人気となる。舞台は鎌倉由比ガ浜海岸。

 

作詞:土屋 花情  作曲:八洲 秀章

 

 美(うるわ)しき桜貝一つ

 去り行ける 君にささげん 

 この貝は 去年(こぞ)の浜辺に

 われ一人 ひろいし貝よ

 

 ほのぼのと うす紅染むるは

 わが燃ゆる さみし血潮よ

 はろばろと かよう香りは

 君恋うる 胸のさざなみ

 

 ああなれど 我が思いははかなく

 うつし世の なぎさに果てぬ

 


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3. あざみの歌

 

1949年(昭和24年)NHKラジオ歌謡で発表されて世に広まる。作曲は「さくら貝の歌」の八洲秀章、作詞は「下町の太陽」「さよならはダンスのあとに」を手掛けた横井弘、詩は横井が長野県霧ヶ峰八島ヶ原湿原を散策している時に作られた。

 

作詞:横井 弘   作曲八洲 秀章

 

 山には山の 愁(うれ)いあり

 海には海の 悲しみや

 ましてこころの 花ぞのに

 咲きしあざみの 花ならば

 

 高嶺の百合の それよりも

 秘めたる夢を ひとすじに

 くれない燃ゆる その姿

 あざみに深き わが想い

 

 いとしき花よ 汝(な)はあざみ

 こころの花よ 汝はあざみ

 さだめの径(みち)は 涯(は)てなくも

 かおれよせめて わが胸に

 

 


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4. 宵待草

 

生涯にわたり恋多き竹下夢二が、実ることなく終わったひと夏の恋を偲んで、この詩が作られた。多 忠亮(おおの ただすけ)によって曲が付けられ、1918年(大正7年)「セノオ楽譜」より出版され、急速に日本中に広がり、後々まで歌い継がれていった。

 

作詞:竹久 夢二  作曲:多 忠亮

 

 待てど暮らせど来ぬ人を

 宵待草のやるせなさ

 

 今宵は月もでぬさうな

 

 今宵は月もでぬそうな

 

 


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5  叱られて

 

1920年大正9年)少女雑誌「少女号」で発表された童謡・唱歌である。

「叱られて」の歌詞の意味については、様々に解釈されているが、親元から離れ、遠くの名家に奉公に出された子供の心境が歌われている。

 

作詞:清水 かつら  作曲:弘田 竜太郎

 

 叱られて 叱られて

 あの子は町まで お使いに

 この子は坊やを ねんねしな

 夕べさみしい 村はずれ

 こんときつねが なきゃせぬか

 

 叱られて 叱られて

 口には出さねど 眼になみだ

 二人のお里は あの山を

 越えてあなた(彼方)の 花の村

 ほんに花見は いつのこと

 

 


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6. 喫茶店の片隅で

 

1955年(昭和30年)に、発売された松島詩子さんが歌うシャンソン調歌謡曲がヒットし、1960年に再発売された。当時の若者が利用した喫茶店の雰囲気が良く出ている。

 

作詞:矢野 亮  作曲:中野 忠晴  元歌:松島詩子

 

 アカシヤ並木の黄昏は

 淡い灯がつく喫茶店

 いつもあなたと逢った日の

 小さな赤い椅子二つ

 モカの香りがにじんでた

 

 ふたり黙って向きあって

 聞いたショパンのセレナーデ※

 もれるピアノの音につれて

 つんでは崩しまたつんだ

 夢はいずこに消えたやら

 

 遠いあの日が忘られず

 ひとり来てみた喫茶店

 散った窓辺の紅バラが

 はるかにすぎた想い出を

 胸にしみじみ呼ぶこよい

 

※松島さんの元歌は「ノクターン」となっている。

 

 


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7. 新妻に捧げる歌

 

TBS系で1961年~1963年に放送された江利チエミさん主演のドラマ「咲子さんちょっと」の第二クールエンディング曲として使われ、1964年シングルカットして発売されヒットした。中村メイコ夫妻の作詞作曲で、神津さんは元々ひばりさん用に作ったとか、ひばりさんがメイコさん宅で自分の曲にしたいと言ったが、メイコさんが江利チエミさん用だからと断ったとか色々エピソードもあるようだ。

 

作詞:中村 メイコ  作曲:神津 善行  元歌:江利 チエミ

 

 しあわせを もとめて

 ふたりの こころは

 よりそい 結びあう

 愛のともしび

 悲しみを なぐさめ

 よろこびを わかちあい

 ふたりで歌う 愛のうた

 ララララ・・・・・ララララ・・・

 

 しあわせを 夢みて

 ふたりの こころは

 手をとり ふれあって

 愛のゆりかご

 悲しみは ひそやかに

 よろこびは おおらかに

 ふたりで歌う 愛のうた

 ララララ・・・・・ララララ・・・

 

 


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