大相撲秋場所

大相撲に関しては、「大相撲七月場所」の題名で、2020年8月2日にも投稿してますので、重複する記述があると思いますが、ご容赦願います。

 

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私は、スポーツ観戦では大相撲が一番好きだ。時間の許す限りテレビの実況放送を見ている。生の取組は名古屋にいた頃、一度だけ観戦したが、それ以来経験ない。いつか溜席の砂被りで観戦してみたいと思っている。

 

大相撲は、大抵1分以内で勝負がつくので、せっかちな私には合ったスポーツだ。数回の仕切りの後、行司の軍配が返ると両者は臨戦態勢となり、緊張が高まる。場内はシーンと静寂に包まれる。私はこの瞬間が好きだ。立ち合いの一瞬は息を殺して両者を凝視し、固唾(かたず)を飲んで勝負の決着を見守る。

 

勝負がついて、両者が土俵で一礼して黙して立ち去るのも良い。アマの大学相撲で勝者が、ガッツポーズで雄叫びを上げていたが、いかがなものか。大相撲を見習うべきだと思う。

 

上述の2020年七月場所は、怪我と病気で大関から序二段まで陥落した照ノ富士が、復活して番付を幕内幕尻まで上げ、更に優勝をも成し遂げた場所だった。朝之山も新大関になってニ場所目で準優勝した。

 

あれから二年、その間に照ノ富士横綱に昇進したが、鶴竜、白鳳の両横綱は引退した。正代、御嶽海の大関が誕生した。私の贔屓(ひいき)の朝之山は、昨年の5月場所中に協会のガイドラインに違反して、一年間の出場停止処分で三段目まで番付を落としてしまった。

 

今場所、照ノ富士は一人横綱で、大きなサポーターを両膝に装着して頑張っていたが、膝の調子は万全ではなく、見ていて痛々しい程で、負けが込んで途中休場してしまう。

 

大関陣は、正代が負け越し、今場所カド番の御嶽海は負け越したので、来場所は大関陥落と甚(はなは)だ気概がないない成績だ。

 

上位陣の不甲斐なさを補うように、平幕力士が活躍した。優勝争いは12日目で、玉鷲北勝富士、翔猿、高安、錦富士と全て平幕力士で占め、13日目には、玉鷲北勝富士、高安の3力士に絞られた。14日目には、北勝富士が敗れて、優勝は玉鷲と高安で争われることとなった。

 

そして迎えた千秋楽、互角に立った両者であったが、玉鷲が見事な突き押しで高安を押し出し2回目の優勝を果たした。玉鷲は37才10ヶ月、昭和以降では最高齢の優勝ということだ。

 

玉鷲は連続出場も更新中(先場所の休場はコロナの為カウントせず)で、幕内では最高齢であるが、怪我もせずいつも若々しい相撲を取っている。お見事と言うほかない。

おめでとうございます。

 

その他の秋場所のエピソードを3話記述します。

 

1⃣ 伝え反り

4日目の宇良-宝富士の取組で非常に珍しい決まり手が披露された。

 

宇良は、土俵中央で宝富士の脇の下に頭を入れると、潜り抜けながら自分身体を後ろに反らせ、その力で宝富士を後ろに飛ばして倒した。

 

一瞬何が起きたのか分らず、再現ビデオでやっと概要が掴めた。「伝え反り」という珍しい手で、私はこんな技は始めて見た。幕内では20年振りの決まり手だそうだ。

 

 

 

2⃣ 朝之山

先場所一年ぶりに出場停止処分が解けて、三段目から再出発し、7戦全勝(幕下以下の取組は7番)して三段目優勝を果たした。今場所は番付を東幕下15枚目まで上げ、この場所も優勝すれば来場所は、十両に昇進できそうだというのだ。

 

5番までは三段目の相撲と同様、朝之山の取組は、幕下力士とは格の違いを見せつけ順調に白星を重ね、5戦無敗。11日目の6番では、やはり5戦無敗の東幕下28枚目の勇麿と対戦した。

 

朝之山は勇麿を捕まえて、自分の得意な右四つにしたいのだが、組めない。そのまま土俵際まで寄っていくが、勇麿にかわされる。三回目に寄っていって朝之山が勝負を付けようと押した時、勇麿の突き落としにあって、手をついてしまった。

  

これで、復帰後12連勝していたが、初黒星を喫することとなった。

 

13日目に、幕下の全勝同士が対戦し、勝った大成龍が優勝し、朝之山の幕下優勝は無くなった。次の朝之山7番相撲の対戦が、13日目と思って14:00頃からテレビを付けて待っていたが、この日の取組は無く、翌14日目も朝之山の登場はなかった。

 

幕下以下の力士が多いので、幕下7番相撲は、4日間かけて行われるのだ。千秋楽に3日も開けてやっと朝之山が登場した。相手は同じ5勝1敗の栃幸大、前の対戦で勇麿に土俵際、突き落とされているので、慎重に押していきそのまま押し出した。

 

朝之山はこれで、東幕下15枚目、6勝1敗の成績で秋場所を終えた。優勝を逃したので来場所の十両昇進は難しく、もうひと場所幕下を務めることとなりそうだ。

 

一ファンとしては、実力はあるのだから、一番一番丁寧に相撲を取って、十両、幕の内に早く戻ってきて欲しい。

 

 

3⃣ 溜席(たまりせき)の妖精

2020年11月場所のころから、土俵下の溜席で、背筋をピンと伸ばした美しい姿勢で相撲を観戦する若い女性が、相撲中継の取組の合間に見かけられるようになった。ネットで話題となり、「溜席の妖精」と名付けられ、熱心なウォッチャーも出現している。

 

彼女は、両国国技館開催の時は、15日間の内ほとんど毎日観戦に来ており、7月の名古屋場所でも土日を中心に5日観戦している。

 

衣装は主に白系の品の良いワンピースで背筋を伸ばして正座し、膝に両手を置いて観戦する姿は、凛として美しい。時々熱戦に拍手する形も又良い。そしてその姿勢を何時間も崩さないのだ。

 

 

 

 

彼女が座る場所は、東の花道西側溜席の最前列又は2列目(もう少し中央寄りの時もある)、ここはネットやプレイガイドでは売り出されない。茶屋の常連客や親方連中が優先的に使用できる席と言うことだ。

 

私の見る限り、彼女は幕下朝之山の取組時間(14:00~14:30)には、既に着席していた。ということは、結びの一番(18:00前)まで観戦するので、3時間半以上この姿勢で通しているのだ。胡坐(あぐら)座りもろくにできない私にとっては、驚異的な神業である。

 

 

 

足元にはワンピースに合わせたハイブランドなバッグ(主にルイ・ヴィトン)が置いてある。「溜席の妖精」ウォッチャーは、そのバッグの銘柄・値段も調べ上げている。

 

   ルイ・ヴィトン「スピーディ・バントリエール 25」 ¥385,000

 

 

  ルイ・ヴィトン 「スピーディ・バントリエール 30」 ¥359,000

 

 

ネットには、彼女について色々調べた結果が載っている。それによると、

 

彼女は一般人で、二所ノ関一門のある親方がお世話になったタニマチ※のお嬢様ということだ。東京か東京近辺にお住いの相当な富裕層のお嬢様というのが結論だった。

 

※タニマチ 相撲部屋をひいきにしてくれる後援者、スポンサー

 

彼女は一般人でもあることから、余り騒ぎたてることはしないで、時々テレビに映る溜席の彼女を見付けた時は、「ラッキー」と思うくらいが丁度良いのだろう。

 

 

 

 

 

へんろ日記 17

 8月14日にアップした「へんろ日記 16」の続きです。

 

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12月8月(金)(雨→雪)2017年/平成29年

<47日目 九度山町高野山奈良県天理市

 

12月7日に高野山麓の九度山に宿を取り、今日はいよいよ町石道(ちょういしみち)を歩いて高野山に入り、奥の院で大師様にお礼参りをして四国遍路を完結させる日だ。

 

四国遍路を成し遂げて、高野山奥の院にお礼参りをするアクセスは、普通は南海高野線で、橋本から極楽橋まで行って、ケーブルに乗り換え高野山山内へ、そこからバスか徒歩で奥の院に向かう。

 

今回訪れた時は、南海高野線九度山-極楽橋間が台風の被害で不通となっていた。その代替として橋本-高野山にバスが運行されていた。

 

私は、最初から電車は使わず、九度山から「高野山町石道」を歩いて高野山に行くつもりだったので、電車の不通は高野山往路には関係なかった。

 

高野山町石道(ちょういしみち)」は、高野山麓の九度山慈尊院から高野山山上西口の大門へ通じる表参道のことである。空海高野山開山のおり、この道に木製の卒塔婆を建てて道標とした。

 

鎌倉時代になって、朽ちた木の代わりに、石造り五輪塔型の町石が一町(約109m)ごとに建てられた。高野山山上の根本大塔を起点に慈尊院まで180の町石が建っている。この道は平成16年7月に世界遺産に登録されている。

 

1:30 九度山の天然温泉Yの布団の中で目覚める。高野山お礼参りの後に熊野古道小辺路を歩いて、3泊4日で熊野本宮へ行く当初の計画は、小辺路の山道にかなりの積雪があるとの情報を、昨日現地役場から得て中止とした。布団の中で小辺路に代えて奈良に行こうと決める。

 

高野山から奈良へのルートや、今晩の宿をスマホで調べる。

 

5:40 宿舎出発、宿を出る時降り始めた雨は、直ぐに本降りとなる。

 

6:00 コンビニ F 宿の朝食はキャンセルしたので、食べ物(肉まん、おにぎり、アンパン、チョコ)を調達する。 ずぶ濡れ状態の私を見るに忍びなかったのか、コンビニのオバサンが「気を付けてネ」と声かけ励ましてくれた。嬉しかった。

 

コンビニを出て紀ノ川の九度山橋を渡るころには、雨はますます激しくなってきた。夜はまだ明けず、道路にはヘッドライトを点けた通勤と思われる車が行き交い、しぶきを上げて私の横を通過していった。四国へんろ中の松山市内を歩いた時に匹敵するほどの大雨だった。

   

7:00 慈尊院 篠突く(しのつく)雨の中、慈尊院に到着。

 

慈尊院は、高野山が年貢の徴収の場として山麓に置いた寺務所である。又空海が母公の没後、伽藍を建て弥勒菩薩を安置したため、以後女人禁制の高野山に対し女人高野とも呼ばれるようになった。

 

ここから「町石道(ちょういしみち)」が始まる。

 

7:40 展望台 雨の中、最初のキツイ坂を登った所に展望台が現れる。雨は降っているが雲が切れて、九度山、紀ノ川方面が見渡せた。ここは「朝日夕日100選」にも選ばれている展望スポットだそうだ。

 

今夜の宿の予約電話を入れたら、昨日と違って一回で予約できた。だめなら縁がなかったものと謙虚な気持ちで架けたのが良かったか?

 

近くに無人販売のみかんがあったので、飲み物代わりにでもと買う。(一袋100円)

 

9:05 六本杉 町石道は訪れる前、車一台が走れるくらいの幅の道かと思っていたが、ハイキング、登山道と言った感じだった。ここを出てからも雨は止まず、寒くなってくる。手袋はビショビショで、とにかく寒い。

 

11:00 三里石 ここまで人には一人も合っていなかったが、ここで中学校の先生3人組に合う。来週生徒を連れてくるので、その下見にき来たという。

 

11:15 矢立 国道370号を横切る。国道沿いに矢立茶屋があったが、店は閉められていた。

 

12:05 展望台 雨で何も見えない。寒い、本当に寒い。アンパンを齧る(かじ)る。

 

13:20 大門 高野山に近づくにつれて、標高も上がり、雨がミゾレからそして雪に変わり、道には雪が積もり始めた。

 

最初の展望台で買った、ビニル袋入りのみかんは、寒くて食べる気にはなれず、ここまで手に持って歩いてきた。ザックに入れるのも面倒で、路傍に捨てた。環境上ビニル袋の廃棄は気が引けたが、手が寒さで縮んでみかんだけを取りだして捨てるのが大変だったのだ。

 

雪で白くなったキツイ登りの町石道を、ガンバって高野山山上西口の道路に出ると、一挙に視界が広がり、巨大な朱色の楼門「大門」がドーンと目に飛び込んできた。思わず「オウ!」と感嘆の声を発する。

 

       写真ACより  n*************m さんの作品

 

大門は、高野山の総門で、5間重層の大楼門だ。高さは25.8mもある。高野山町石道は、ここから、山内に入る。

 

山内は雪が10~15㎝ほど積もっており、お店の人は店の前を雪かきをしていた。山内には天下の霊場117の寺院や堂塔大伽藍がある。雪の積もったこれらの風景は、写真には絶好の被写体であるが、とにかく寒いのと、重装備の雨支度でスマホを直ぐには出せず、結局高野山では、一枚も写真が撮れなかった。

 

根本大塔、真言宗総本山金剛峯寺の横を通って奥の院へ向かう。雪かきをしていない所は、靴が雪に沈み、歩きにくい。滑って転倒しないよう注意して進む。

 

一の橋から奥の院が始まる。一の橋から弘法大師の御廟までの2㎞の参道の両側には、杉の巨木が聳え、雪も積もって荘厳さを醸し出していた。杉の大木の周りには、織田信長豊臣秀吉武田信玄上杉謙信、徳川家、伊達政宗といった有名どころの戦国武将を始め約20万基の墓碑が眠っている。

 

この天気のせいか、奥の院には参拝者や観光客はほとんど見受けられず、厳かに静まり返っていた。

 

        写真ACより   n*************m さんの作品

 

14:10 御廟 ここは大師信仰の中心聖地である。御廟でお参りをするために、さんや袋から納札を出そうとしたが、寒くて手が凍え上手く出せない。何度も袋に手を入れて札を掴もうとしてもうまくいかない。時間ばかりが経過してパニック状態になった。大師様の前でお恥ずかしい。

 

納経所で、このへんろ最後の墨書朱印をして頂き、隣の休憩所に入る。室内はストーブが焚かれ、今日初めて暖気に触れた。身体の芯まで冷えていたので、心底心地良く「へんろをやり遂げた」という安心感から眠くなった。

 

これで、今回の四国へんろの旅は終了した。当初は、今夜高野山に泊まって、明日からは、熊野古道小辺路の山道を歩く予定であったが、高野山山内でさえ、これだけ雪が積もっているのだから、小辺路の山道はさぞかし深い積雪と思われる。中止にして正解だった。

 

14:55 奥の院中の橋 ここから始発のバスで高野山山内の街を通ってケーブル山上駅に行く。南海高野線は不通なので、代行のバスに乗り換え、JR橋本駅へ。バスは何故か凄く遠回りのルートを走った気がした。

 

15:50 JR橋本駅 今日の宿は奈良県天理市のビジネスホテルを予約してある。予約したはいいが、ここから天理までどう行ったらよいか。関西のJR、私鉄路線図は馴染みが薄く頭に入っていない。

 

こういう時に便利なのがスマホの「乗り換えアプリ」だ。スマホに助けてもらって、橋本(JR和歌山線)ー五条(JR和歌山線)ー吉野口(近鉄吉野線)ー橿原神宮前近鉄橿原線)ー平端(近鉄天理線)ー天理と乗り継いで、天理に辿り着いた。

 

18:00 ホテルI 主人はいかにも関西人と言ったのりの良い紳士だった。しばらく空室だったと思われる部屋は冷えていたが、エアコンの暖房をMAXにし、洗濯をして風呂に入る。今日は一日寒い思いをしたので、お湯に浸かると身体が蕩(とろ)けるように気持ち良かった。

 

ホテル近辺には、適当な食事処が無く、主人お薦めの屋台ラーメンを食べに行く。それなりに美味しかった。帰りにコンビニで肉まんを買ってホテルで食べる。

 

12月8日の歩数 59,900歩   歩行距離 39.0㎞

 

 

            ー続く(非定期)ー

 

「へんろ日記」は、次回からは「へんろ日記 番外編」として継続します。

 

 

 

 

 

 

  

 

カラオケ

「カラオケが好きか?」と問われれば、「誘われれば行く程度」と答える。カラオケは好きではあるが、他人に知られるのが恥ずかしい。カラオケオタクと思われるのが嫌なのだ。

 

鉄道も乗るのが好きで、乗り鉄(鉄道乗車を目的とした鉄道オタク)の端くれと自分では思っているが、、自分から名乗りたくない。オタクには凄い人達がいて、とても彼らには及びもつかず、自分は素人の範疇(はんちゅう)だと思っているからだ。

 

カラオケも、常に新曲をマスターして一人カラオケで確認したり、先生に付いて練習したりしているオタクもいる。 私は歌が上手くもないし、好きで楽しく歌っているにすぎないので、鉄道と同じく素人のお遊びにすぎない。

 

私は、テニスと卓球のサークルに属しているが、どういう訳かカラオケ好きは卓球サークルの人ばかりだ。 テニスの人達とは、コートでテニスをして終われば「ハイ、さようなら!」と、ごくシンプルでドライな付き合いである。

 

一方、卓球の人たちはウェットな方が多く、卓球外のつきあいも活発で、コロナ禍前は、忘新年会、懇親会、旅行をよく開催していた。

 

2年前までお世話になっていたHS卓球サークルに、私より10才位若いH君と言う卓球仲間がいた。 彼は卓球も凄く上手いがカラオケも大好きだ。 「ボクは、卓球とカラオケが命です」と常々公言していた。

 

私のようにひねくれず、明るく公言できるH君は清々しかった。 彼の歌う曲のレパートリーは幅広く、今流行っている新曲から、彼の若いころの曲、歌謡曲からポップスまで「何でもござれ」だ。

 

別の卓球サークルのKさんは、ジャンルは歌謡曲と狭いが、テレビの歌謡曲専門チャンネルを見て、常に新しい曲の開拓に余念がなく、気に入った曲を次のカラオケ会で歌えるように自宅で練習している。 昔からの友人でカラオケ愛好会を作って、月に一回は集まって歌っている。

 

私は、H君やKさんに誘われたり他の卓球仲間に誘われて、度々カラオケに行っていたが、コロナ禍となってからは一度も行っていない。 3年近くも歌っていないので、感覚を忘れてしまった。

 

      イラストACより   しゅんぴさんの作品」

 

私がカラオケで始めて歌ったのは、勤めていた頃の宴会とか、クラブやスナックへ行った時だ。 そういう経緯からカラオケとは、お酒を飲んで酔った勢いで歌うものという固定観念が定着した。 酒の力を借りなければ、ヘタクソの歌など「素面(しらふ)で人様に聞かせられるか」と今でも思っている。

 

我々が行くカラオケは、カラオケ喫茶やスナックではなく、カラオケボックスだ。 喫茶店やスナックでは、同席している他のお客さんに気を遣うのが煩わしい。 気心のしれた者同士が集まり、個室で食事やお酒も注文できるカラオケボックスの方が、断然寛(くつろ)げる。

 

カラオケでの選曲は、私は新曲には興味がない。 何故なら新曲で心に沁みるような曲にお目にかかったためしがないからだ。  従って私の歌う曲は私の好きな曲、即ち古い曲ばかりだ。

 

テレビやラジオで「これは!」と耳に残った曲は、YouTubeで探して聴いてみる。 そして歌えそうだと思ったら、練習して私のレパートリーに加える。 ほとんどの曲は、カラオケ動画も存在するので、練習するのに、YouTubeは、非常にありがたいツールだ。

 

カラオケボックスでは、歌う前に雑談しながら食事をしたりするので、話に花が咲き、なかなか歌が始まらない時もある。 参加者の順番を決め、いよいよ歌う段では、私はアルコール(主に焼酎の水割り)を含んで、恥ずかしさを紛らわせて臨む。

 

私の一曲目は、毎回五木ひろしの「倖せさがして」と決めている。 この歌で、その日の調子を占う。 次の曲からは、開催時期に会った曲を選曲する。

(※印は、既にお亡くなりになった歌手です)

 

例えば春は

・イルカ「なごり雪

永井裕子「菜の花情歌」

森山愛子「恋草子」

森山直太朗「さくら(独唱」

加山雄三/谷村新司サライ

福山雅治「桜坂」

千昌夫北国の春

一青窈ハナミズキ

財津和夫サボテンの花

田川寿美「花になれ」

坂本冬美うりずんの頃」

村下孝蔵※「春雨」

布施明「五月のバラ」

田川寿美「しゃくなげの雨」

 

夏は

松原のぶえ「蛍」

井上陽水「少年時代」

大黒摩季「夏が来る」

・TUBE「あー夏休み」

ラッツ&スター「(め)組のひと」

JAYWALK「何も言えなくて..... 夏」

サザンオールスターズHOTEL PASIFIC]

世良公則&ツイスト「燃えろいい女」

石川セリ八月の濡れた砂

井上陽水/玉置浩二「夏の終わりのハーモニー」

 

秋は

・トワ・エ・モア「誰もいない海」

本田路津子「秋でもないのに」

石原裕次郎※「倖せはここに」

山口百恵秋桜(コスモス)」

杉本真人「吾亦紅(われもこう)」

南沙織「色づく街」

・アリス「秋止符」

・アリス「それぞれの秋」

・原大輔「秋冬」

 

冬は

布施明」「シクラメンのかほり

山下達郎「クリスマスイブ」

Le Couple 「ひだまりの詩」

・アリス「冬の稲妻」

中島美嘉雪の華

吉幾三「雪国」

五木ひろし細雪

・森進一「冬のリビエラ

・森進一「北の蛍」

杉本真人「忍冬(スイカズラ)」(花の咲く季節は春ですが・・・)

 

その後はその日の気分次第で、私の好きな歌手の曲や、好きな曲を選ぶ。 何故か分からないが、女性歌手の曲が多い。 キーが合わないので、#3にすると合うことが多い。

 

高橋真梨子:「ジョニーへの伝言」「五番街のマリーへ」「for  you・・・」

「ごめんね」「グランパ」

 

中島みゆき:「時代」「わかれうた」「糸」「地上の星」「ヘッドライト・テールライト」「宙船(そらふね)」「永遠の嘘をついてくれ」

 

山口百恵:「いい日旅立ち」「イミテーション・ゴールド」「プレイバックPart 2」

「ロックンロールウィドウ」「さよならの向こう側

 

中森明菜:「少女A」「DESAIRE-情熱-」「飾りじゃないのよ涙は」

 

松田聖子:「SWEET  MEMORIES」

 

テレサテン:「空港」「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」「別れの予感」

 

大橋純子:「たそがれマイ・ラブ」「シルエット・ロマンス

 

・竹内まりあ:「駅」「人生の扉」

 

アン・ルイス:「グッド・マイ・ラブ」「六本木心中」

 

内藤やす子:「想い出ぼろぼろ・・」「六本木ララバイ」

 

美空ひばり※:「愛燦燦」「川の流れのように」「みだれ髪」「函館山から」「ある女の詩」

 

瀬川瑛子:「長崎の夜はむらさき」「命くれない

 

小林幸子:「雪椿」「おもいで酒」「もしかして」

 

秋元順子「愛のままで...」「マディソン郡の恋」

 

森山愛子:「おんな節」「ダメよ故郷さん」「風樹の母」「女の神輿」「離別(イビョル)」「忘れないで」「会津追分」「尾曳の渡し」

 

男性歌手では、

・安全地帯(玉置浩二):「ワインレッドの心」「田園」

 

長渕剛:「とんぼ」「乾杯」「しあわせになろうよ」「RUN」「ひとつ」「順子」

 

来生たかお:「夢の途中」「Goodbye  Day」

 

村下孝蔵※:「初恋」「踊り子」

 

永井龍雲:「つまさき坂」「心象風景」「女の酒場」

 

JAYWALK:「ジャスト・ビコーズ」「もう一度」「君にいて欲しい」「心の鐘を叩いてくれ」「RERAX」「俺」「青い瞳のステラ」「Thousand  miles」

 

サザンオールスターズ:「いとしのエリー」「涙のキッス」「TSUNAMI」「エロティカ・セブン

 

レーモンド松屋:「安芸灘の風」「雨のミッドナイトステーション」「夜明けのブルース」「クラブジェールのママ」「真実・愛ホテル」

 

石原裕次郎※:「北の旅人」「ブランデーグラス」「恋の街札幌」「粋な別れ」「わが人生に悔いなし」

 

小林旭:「熱き心に」「昔の名前で出ています」「ついて来るかい」

 

五木ひろし:「よこはま・たそがれ」「夜空」「長良川艶歌」「千曲川」「そして... めぐり逢い」「おまえとふたり」

 

谷村新司「昴」「忘れていいの... 愛の幕切れ...」「Far away」

 

小椋佳:「さらば青春」「めまい」「山河」

 

中村雅俊:「恋人も濡れる街角」「ふれあい」

 

河島英五※:「酒と泪と男と女」「時代おくれ」

 

演歌では、

内山田洋とクールファイブ:「長崎は今日も雨だった」「そして神戸」 「中の島ブルース」「逢わずに愛して」「噂の女」「東京砂漠」

 

北島三郎:「函館の女(ひと)」「加賀の女(ひと)」「博多の女(ひと)」

「薩摩の女(ひと)」「まつり」「風雪ながれ旅」「北の漁場」

 

大川栄策:「さざんかの宿」

 

竜鉄也※:「奥飛騨慕情」

 

吉幾三「海峡」津軽平野」「酒よ」

 

大月みやこ:「女の港」「乱れ花」

 

都はるみ」:「好きになった人」「北の宿から」「おんなの海峡」

 

平和勝次とダークホース:「宗右衛門町ブルース」

 

・アローナイツ:「骨から泣きたい雪子です」

 

・宮史郎:「女のみち」

 

殿さまキングス:「なみだの操」

 

 

あと、単独で好きな曲は、

・佐々木勉:「あなたのすべてを」

堺正章:「街の灯り」

平浩二:「バスストップ」

すずき一平:「水鏡」

大塚博堂※:「めぐり逢い紡いで」

沢田知可子:「会いたい」

などだ。

 

こうして見てみると、私の好みは、昔の若者たちの間で流行ったJポップスだったと、今回曲を洗い出してみて気が付いた。 当時はリアルタイムで聞いていただろうに、ほとんど気にも留めず生活していた。 それから何十年もたってから、それらの良さを発見したのだ。 

 

カラオケでは、これらの曲の中から、その日その場の雰囲気、相手の様子を見ながら、選曲している。

 

メンバーが7~8人以上の時、歌う曲は2~3曲、4~6人の時は4~6曲、3人の時は8~10曲歌える。 2人の時は時間の許す限り歌うことができる。 H君と二人で行った時は、休憩を挟んで9時間、二人で100曲近く歌った。 カラオケは体力も必要だ。

 

それから、宴会では、アルコールの助けを借りて、酔った勢いで

 

・三好鉄生※:「すごい男の唄」

チャゲ・アンド・アスカ:「YAH YAH  YAH」

西城秀樹※:「YOUNG  MAN (YMCA)」

 

を盛り上げ用に使っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

九月になって

 

ロシアがウクライナに侵攻して半年以上が過ぎた。ロシアはウクライナ東部の一部を制圧し、ウクライナも西欧から供与された武器等によって、反転攻勢を狙っている。ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシア侵攻半年に対する演説で、今回のロシア侵攻前の領土に加え、2014年に併合されたクリミア半島も領土奪還の目標にすると宣言した。

 

すなわちクリミア半島をも奪還するまでは、戦争は終わらせないということだ。ゼレンスキー大統領が祖国を愛することは痛い程分かるが、それにより戦争は益々長期化し、インフラの破壊、一般市民の犠牲、戦争の悲劇が継続することとなる。

 

プーチン大統領による蛮行は非難されて当然ではあるが、ゼレンスキー大統領も国民への戦意を鼓舞するだけでななくて、一般市民の為に、和平への糸口を模索して欲しい。

 

ウクライナ最大のサボリーナ原発は、現在ロシアの支配下にあるが、ここに爆弾が投下されている。ロシア、ウクライナ双方が発射しているのは、相手国だと非難し合っているが、真相は不明だ。原発への攻撃は、電源や冷却装置が被災すれば、福島原発事故のような大惨事になりかねない。二国間だけの問題では済まされず、近隣諸国への放射能汚染に繋がる。

 

こうした中、IAEA国際原子力機関)の調査団が、9月2日に現地入りし視察調査することになった。調査中も発電所は被弾しており、その中で作業するIAEA関係者には、頭が下がる。ロシアによる妨害も懸念されるが、現状の詳細把握と原発の非武装化がが実現するよう祈る。

 

国内に目を転ずると、コロナの第七波の感染者数は下降傾向で大変喜ばしい。政府はオミクロン対応ワクチンの接種を10月から9月に前倒しして行うよう調整していると発表した。

 

今年はインフルエンザの流行も予想され、コロナとインフルエンザの二つのワクチンを同時に接種することもあり得るということだ。私は8月にコロナの4回目を打ったばかりなので、ワクチンに関しては聊か(いささか)食傷気味の感じがする。

 

政府は今月下旬に安倍元総理の国葬日本武道館で行うことを決めた。国葬に関しては、法的な解釈他色々な問題があり、議論の分かれるところではある。新聞各紙による最近の世論調査では、読売新聞を除く全社で国葬反対が賛成を上回っている、(読売新聞のみ賛成49%反対46%)

 

去年のコロナ感染拡大中でのオリンピック開催についても、世論調査では、開催反対が多数を占めたが、世論は反映されずにオリンピックは開催された。今回も去年と同じ構図で進行するのであろう。

 

猛烈な台風11号は、9月1日沖縄宮古島の南方海上を南西に進み、一旦停滞した後、2日進路を極端に変更して北上に転じた。この進路の急激な変更は気象予報で予測していて、その通りになった。今更ながら大型コンピューターの計算による気象予測の凄さに感嘆した。今後は極力災害が少ない状態で通過して欲しい。

 

 

さて、九月になった。当地では、8月の最終週以降は、35℃以上の猛暑日はなく、最高気温が25~28℃の涼しい日が5日もあった。目には見えないが、少しづつ秋が近づいているのだろう。古今和歌集 藤原敏行の「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる」の季節になった。

 

私の生活は相変わらず単調な日々の繰り返しであるが、この一週間を日記風に綴ってみます。

 

8月29日(月)

朝のゴミ出しの帰りに、一軒おいたお隣さんの奥さんに呼び止められた。奥さんは庭の大葉を摘んでいて、その内の20枚ほどを「薬味にでもどうぞ」と差し出された。今は、ほぼ毎日冷奴やそうめんを食しており、朝の納豆にも使えるので、ありがたく頂戴する。

 

このご近所さんは、数年前自治会の会長をされていたお宅で、私もその時に副会長をしていたので、当時は色々お世話になった。このお宅で打ち合わせも何回か行い、その都度奥さんにはお世話になった。

 

ご主人は、自治会の会長を辞められてからは、ほとんど見受けられなくなったが、奥さんは庭に出ていたり、道路を歩いている姿をよく見かけ、顔を合わせれば会釈して挨拶をする程度の付き合いが続いている。

 

10時半 歯科医院の定期診療に行く。受付に診察券と保険証を出すと、保険証が8月から新しい物に更新されており、差し出したものは有効期限切れと言われる。新しい保険証を今月中に届けるということで、診療はしてもらった。

 

新しい保険証を見た記憶が全然なかったので、帰ったらまず市役所に電話かと考えながら帰宅する。

 

私は届いた郵便物を、①直ぐ見るもの、②後でゆっくり見るもの、③ダイレクトメール等その場で廃棄するものに分けている。②は居間の入り口近くの棚に置いておく。

 

帰宅して②の棚を捜してみると、下の方から7月中旬に届いた新しい保険証の入った未開封の封筒が見付かった。私が封筒を開封していなかっただけであるが、私の直ぐやらずに後回しにする悪い癖が出てしまったお粗末な話だ。

 

8月30日(火)

先週までの暑さが嘘のように、朝から涼しい。10時半からKサークルのテニスだ。コートに着くと小雨が降り出したが、15分程で止んだ。気温は26℃で、先週までの30℃以上の炎天下でテニスしたことを思えば、天国のようだ。それでもプレイすると汗は半端なく出て、シャツは汗でびしょびしょになった。

 

一旦帰宅して、シャワーを浴び、一休みしてから午後のS卓球にでかける。先週このサークルの代表が、熱が出てコロナを疑い休んだが、PCR検査の結果は陰性だった。今週は元気に現れ、卓球も元通りプレイしていた。

 

このサークルに最年長の女性(おばあちゃん)がいる。彼女は若いころテニスをしていたが、足を悪くして今は卓球とゲートボールに励んでいる。茶目っ気があって可愛いおばあちゃんだ。

 

いつもはメンバーの一人に車で送迎してもらっているが、今回そのメンバーが休んだので、おばあちゃんはカートを引いて歩いて会場まで来た。卓球が終わる時、私は彼女に自宅まで車で送ると告げる。

 

もう一人会場まで歩いてく来る年配の男性がいて、私は、帰りは彼を毎回車で送っている。今回は二人を送ることとなった。

 

二人を乗せて出発、おばあちゃんと男性の家は反対方向となるが、まず、おばあちゃん宅に向かう。おばあちゃんは未亡人で一人暮らしだ。彼女は車の中で、「お二人さん、家に寄ってコーヒーでも飲んでいってよ」と言う。彼女は人が集まって賑やかなのが大好きな性格で、一人になるのが寂しいようだ。

 

おばあちゃん宅に到着すると、彼女が予定していた駐車場には車が駐車してあり、私の車は停められなかった。彼女を降ろし「また今度ね」と言って別れる。

 

続いて男性をお宅まで送る。帰宅すると6時近くになっており、いつもは4時半頃に採る夕食はこの日は7時になった。

 

8月31日(水)

今日は今月から参加している水曜テニスの日だ。8時半からなので、家を8時には出なくてはならない。5時に起きて備える。夜に雨が降ったようで、道路が濡れている。

 

今日のテニス会場は、土のクレーコートなので、もしかして雨によるコート不良で使用中止(テニス中止)になるかもしれない。コートが使用できるか否かの判断は、コート管理事務所の職員が行う。結果が分かるのは、8時10分前位だ。事務所に電話すると、案の定コート不良中止だった。

 

身体は完全にテニスのモードになっているので、精神的にガクッとくる。さて時間が空いたので何にしようか考える。久しぶりに大掃除でもと頭をよぎるが、全く身体が反応せずスイッチが入らない。

 

「今週のブログ何を書こうか」と思い巡らすが、何も浮かんでこない。冷たいオレンジジュースを飲みながら、考えていたが頭の中はスッカラカンノカンで空っぽだ。その内に早く起きたので眠くなってウトウトする。「エエイままよ!」とばかり寝室へ行ってベットに横たわり2時間程昼寝(朝寝)した。

 

そもそも、何故水曜日の早朝にテニスをするようになったかというと、水曜に何も予定が入っていないと、怠け癖の私は、朝グズグズといつまでも布団の中で惰眠を貪り(むさぼり)、起床が遅くなってその日一日無駄に過ごすようになる。「これではダメだ」と水曜早朝テニスに参加させてもらうことになった。

 

それが朝から2時間近く寝ていたのでは、前と同じではないかと自分が情けなくなった。

 

9月1日(木)

夜7時半NHK総合の「サラメシ」を見た。そこで紹介された女性(30~40代、二児の母)は関東地方から岡山県の田舎町に移り住み、ベンチャー企業の社長であり、普段は自宅でリモートで仕事をし、月に何日かは奈良県生駒市役所に通って公務員(教育行政や教師へのアドバイスなど)として働き、時には学校の先生にもなるというスーパーウーマンだ。

 

最近は女性の方で、才能・スキルに秀でた方が多く社会に出るようになった。頼もしい限りだ。

 

9月2日(金)

午前中の3時間半、いつものようにノンストップでリハビリトレーニングに励む。シャツを絞れば流れるくらいの汗をかく。

 

介護保険を利用してリハビリに通っていることから、ケアマネージャーが定期的に我が家を訪問して、現況のヒアリングをしている。今日はその日で午後に30分程面談した。

 

9月3日(土)

午前はスーパーへ買い出し、午後は、H卓球、夜は自治会の会合に出かける。

 

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今読み返してみると、月、火、水曜日は、だらだらと綴ったものです。

 

月曜日は、朝ご近所さんに大葉をいただき、歯医者さんでは、古い保険証を出してしまい、帰宅して探したら新しいものが出てきた。

火曜日は、午前中テニスで、午後の卓球の帰りに、仲間を車で送った。

水曜日は、早朝テニスが中止となり朝寝してしまった。

 

と、ただこれだけのことです。最後までお読みいただいた皆さん、冗長な文章にお付き合いいただき、すみませんでした。そしてありがとうございました。

 

夏の終わりの思い出

8月もお盆が過ぎ、高校野球が終わるころになると、周りは真夏の喧騒が収まり、どこかに気だるさが漂う雰囲気となる。私は若いころから、この時期の「宴の後(うたげのあと)」のような感覚が好きだった。

 

会社に勤めていた頃、夏休みの取得期間は自己申告で決めることができたので、例年8月の20日頃から一週間程休暇を取っていた。この時期が好きなのと、旅行する場合は、旅先の交通や、宿の混雑がお盆のころより緩和されるからだ。  

 

この頃の、我が家の子供に纏(まつ)わる昔の思い出を列記します。

 

1⃣ 牧場での競走

記憶が定かではないが、息子が小学4年生、娘が小学1年生だったと思う。夏休みの終わりの頃、近場の牧場へ行った。牧場と言ってもそんなに広大ではなく、その日は牛が数頭放牧されているだけだった。

 

放牧場の横に平らな草原があったので、3人で競走することにした。娘が先頭、息子が娘の後ろ10m位、私がその後ろ10m位のハンデを付け、「よーいドン」でスタートする。走行距離は、娘が30m、息子が40m、私が50mだ。娘から約30m先がゴール。3人が懸命に走る。息子と娘は学校で走るのは早い方だったが、その時は私もまだ若く、何とか前の二人に追いついて、3人がほぼ同時にゴールした。

 

周りの小高い山の上の雲は茜色に染まり、どこかに秋の気配を感じる快い風が、3人の間を吹き抜けた。

 

2⃣夫婦と息子の3人旅

家族旅行は、子供が小学生くらいまでは、皆で喜んで行ったものだが、中学生以上になると子供たちは親との旅行を敬遠するようになる。

 

息子が高校1年生、娘が中学1年生の夏休み、娘は妹家族が赴任しているドイツフランクフルトに預けていたので、夫婦と息子の3人で旅行した。息子は気が乗らなかったようだが、母親が説得して3人旅となった。

 

<1日目>

この時は行き先も当日に決めて、昼前に出発、取り敢えず16号から関越自動車道経由で伊香保温泉に向かう。息子は元々無口な性格なので、車の中でもほとんど喋らない。当時はまだゲーム機が無い時代で、後部座席で横になったり、座って黙って外を見ていたようだ。

 

温泉の観光案内で宿を紹介してもらう。飛び込みなのであまり期待しなかったが、温泉、食事、サービス共に合格点の宿だった。

 

<2日目>

榛名湖から北軽井沢を経由して軽井沢へ向かう。途中寄った浅間牧場のソフトクリームはそれまで食べた中では最高に美味しく感じた。口数の少ない息子も、口にこそ出さなかったが「ウマい」という顔をしていた。

 

軽井沢の商店街をぶらりと歩き、パスタやさんでランチ。食後は18号で小諸、上田を通り、千曲川を渡って別所温泉へ。上田と別所温泉の間は、全国の鉄道ファンには、丸窓のレトロな電車で有名な上田鉄道別所線が走っている。

 

   写真ACより   ei-mi さんの作品

 

途中別所線と並行して走る道路に車を停めて電車が来るのを待つ。やがて塩田平の広い畑の中から、一両のローカル電車がコトコトとやって来た。夏の終わりの夕日を浴びて電車は郷愁を漂わせながら目の前を走り去った。

 

連れ合いと息子は電車には感心が無く、車の中でぼんやりと待っていた。

 

別所温泉も駅前の観光案内で宿を紹介してもらう。宿は純和風の高級旅館、風呂は大浴場、露天風呂、他豊富で、泉質は弱アルカリ性の美肌の湯だ。夕食の品数は多く、目移りしたが、その中のジュンサイを、私はこの時初めて食べたと思う。食感が心地よかった。

 

<3日目>

朝一番に、別所温泉近くの前山寺の三重塔を見学する、この辺り鎌倉時代から室町時代にかけて作られた国宝や重要文化財が多く点在していることから、「信州の鎌倉」と呼ばれている。

 

別所温泉の近くに、私の父の故郷があるので、寄ってみる。その集落に近ずくと、道の両側に「〇〇材木店」とか「〇〇商店」(〇〇は私の苗字)の看板が多く見られるようになる。

 

私の苗字は珍しい方で、実家の名古屋や、自宅の街ではほとんど見当たらない。息子も学校では一度も同姓に会ったことが無く、車窓から〇〇の看板を見るのも初めての経験だったので、「こんなに〇〇があるのか~」と興奮していた。

 

この後、白樺湖から中央道に抜けて帰路に就いた。息子とは以後一度も一緒に旅行していない。

 

 

3⃣ 夫婦と娘の3人旅

娘の中学時代以来、彼女の反抗期もあってか父娘のコミュニケーションは疎遠になっていた。彼女が短大1年生の夏休み、夫婦で飛騨旅行の計画を立て、息子は留守を守る事になった。娘を誘っても断られるに決まっていると思っていたが、母親が説得して、娘も参加することになった。

 

<1日目>

深夜3時頃車で家を出る。中央高速で松本へ。女性達は車の中で眠っていた。松本ICから国道158号を西に進む。梓湖の前川渡大橋を渡って一気に乗鞍を目指す林道のような県道を登っていく。清々しい早朝の乗鞍高原を通過して、更に急勾配の登り坂をゆっくりと進む。

 

車だから座っていても高度は上がっていくが、歩いて登るとなるとかなりハードな道のりであろう。文明の利器(車)の有難さを実感する。ジグザグの山道を抜けると位ヶ原、更に登ると、そこから道路は乗鞍スカイラインに繋がっている。

 

車を停めて外に出ると、その寒いこと、標高3000m近い山の上は、風も吹いていて、8月なのに身を切るような寒さだ。私は毛糸のセーターを着、連れ合いには私が持参したダウンジャケットを着せる。娘はこんな寒さは予想していなかったようで、ジャージーのようなものを着て、頭をマフラーのようなもので巻いて寒さを凌いでいる。

 

 

周りはガスっていて、遠景の山並みは見られない。寒いので早々に車に戻り、乗鞍スカイラインで平湯峠に出て、国道471号を北上する。

 

途中のクマ牧場に立ち寄った。ツキノワグマの動物園と言ったところか。数十頭が放し飼いされていた。

 

 

少し離れたところで人が集まっている。何だろうと思ったら、作曲家で歌手の平尾昌晃さんが見物に来ていたのだ。横には若い美女(奥さんか?)が付き添い、平尾さんはさすが芸能人、白いスーツ姿でカッコよくきめていた。

 

クマ牧場から車で30分程で奥飛騨温泉郷に入る。ここは竜鉄也さんが歌った「奥飛騨慕情」が大ヒットして全国に知られるようになった温泉だ。旅館前の広場に「奥飛騨慕情」の立派な石碑が設置されている。

 

 

そこから新穂高温泉を通って、新穂高ロープウェイ乗り場に至る。ロープウェイで西穂高口へ。ここの展望台から、周りの山々を眺める。この時は晴れていて、西穂、奥穂の穂高連峰北アルプスの眺望を楽しむことができた。(槍ヶ岳は手前の小さな山が邪魔してこの展望台からは見えなかった・・・?と思う)

 

 

本日の宿は、新穂高温泉の欧州ロッジ風のホテルだ。露天風呂は、ホテルから5分程歩いて下った川を堰き止めて作ったものだ。一人で行く。入浴者は一人も居らず、楓や木の葉が何枚も湯に浮かんでいた。女性達はホテル内の浴場に浸かった。食事は洒落た洋風で美味しい。 3人が同部屋だったので、娘とは久しぶりにくつろいだ気分となった。

 

<2日目>

新穂高温泉から、奥飛騨の山道を3時間以上かけて白川郷の入り口にたどり着く。そこは小高い丘の上で、白川郷が一望できた。テレビ等で良く紹介される合掌造りの民家の集落だ。

 

 

集落の中には、実った稲の田圃があったり、茅葺の合掌造り民家の横にコスモスが咲いていたり、のどかな風景が広がる。一昔前にでもタイムスリップしたかのようだ。郷内のお蕎麦屋さんで昼食とする。

 

 

 

白川郷を一巡りした後、今日の宿泊地高山に向けて、又飛騨の山道を荘川村を経由しての長距離ドライブだ。

 

夕方高山駅近くのホテルに到着。ホテルにチェックインしてから、高山市内の古い街並みやお店を見ながら散策する。小鳥の彫り物のみを集めたお店や、個性的な土産物屋さんが多い。

 

 

ホテルへ戻り、温泉(美肌の湯)に入って、食事、ここの夕食も美味しかった。娘とも何回か直接会話した。

 

<3日目>

朝、宮川沿いに屋台や露店が並ぶ宮川朝市へ行く。赤蕪漬、飯泥棒等の漬物や、野菜の他にバターナイフ、スプーン等の小物木彫品も売っている。端から端まで一往復して、次の見学地、高山市郊外の「飛騨開運の森」に向かう。

 

ここには、樹齢700年から1200年の、杉、楢、欅(けやき)、栃の木の大木ばかりを使って彫られた「大黒天」「恵比寿」「福禄寿」「布袋尊」「弁財天」「吉祥天」「毘沙門天」の七体の七福神が祀られている。これらは全て飛騨の匠による一刀彫で作られ、3.2~7.5mにもなる巨大な彫り物だ。その大きさに圧倒されながらお参りした。

 

(失敗写真ですみません、彫り物の巨大さを一番現わしていたので敢て掲載しました)

 

もう一度高山市内に戻り、昨日寄れなかった市内を散策する。飛騨国分寺を見学し、門前の甘味処で、朴葉焼とかき氷を注文する。

 

 

昼過ぎに高山を出発して帰路に就く。国道158号安房峠を越えて長野県に入り、松本ICで中央道に乗るルートだ。

 

平湯の手前の朴ノ木平スキー場が、シーズンオフのこの時期コスモスが植えられている。

 

 

ここは標高が高いため今が丁度見ごろで、一面に咲き誇っていた。娘はコスモスの群生の中に佇んで気取った姿勢で写真に納まっていた。

 

この旅行がきっかけで、娘との関係は自然と前のようにコミュニケーションがとれるようになった。

 

夏の終わりの懐かしい思い出だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お盆のころ

今年の月遅れのお盆が明けた。今年は、コロナの感染が始まって初の行動制限のないお盆とあって、交通機関や高速道路の混雑状況もかなりコロナ前に近づいた。

 

コロナ第七波の感染者は、お盆のころにはピークを越えたと思っていたら、8月19日の発表では、全国の感染者は、二日連続で過去最多を更新して、26万人以上が感染している。

 

感染者の増大で救急搬送が支障をきたし、病床数の逼迫が連日報じられている。医療現場は相当疲弊しているようだ。行政の更なる支援が求められているが、今のところ芳(かんば)しい対策の話は聞かれない。 

 

私の身の周りでは、これまでコロナの感染者は一人もいなかったが、七月下旬にオンラインの雑談会をしたばかりの仲間の一人が、感染したとのメールが入った。幸い軽症で自宅療養期間も過ぎ、普通の生活に戻ったとの報告も受けた。それからテニスサークルの仲間の一人が、濃厚接触者となってテニスを休んでいる。

 

身の周りでは無いが、私が早朝聞いているTBSラジオのキャスター生島ヒロシさんもコロナに感染し、1週間休んで復帰した。生島さんの番組は、健康情報の提供が柱であるだけに、生島さん自身も健康管理には細心の注意を払い、コロナの予防となると思ったら、鼻うがいを始め、幾多の対策を講じ、それをラジオで報告していた。

 

その生島さんが感染したのだから、現在のコロナ株の感染力が如何に強いかが分かる。「コロナに打ち勝つ」などと勇ましいことは考えない方が良いと思う。コロナに罹らないのは運が良いだけと思った方がよさそうだ。

 

マスク、手洗い、換気等のこれまでの対策を取った上で、適度な運動、十分な睡眠と質の良い食事で自己免疫力を向上させるほかないかと考えている。

 

お盆と言っても、我が家は特別な行事は何もない。お墓に行ったくらいで、いつものように、テニス、卓球をし、金曜日にはリハビリセンターに行って、土曜日には買い出しに行くといういつもの生活が続いている。

 

1⃣ ワクチン4回目接種

お盆前に、4回目のワクチンを接種した。1回目と2回目はファイザー、3回目と4回目はモデルナである。1、2回目の副反応は何もなかった。3回目は接種当日の夜と翌日に接種周りの筋肉が痛いだけで済んだ。

 

そして4回目、当日の夜就寝してから、身体全体に倦怠感をおぼえ、接種した腕が痛くなった。トイレに起きて電気を付けようにも、スイッチまで痛くて腕が上がらない。ベッドで寝がえりを打ちたくとも接種した腕を下にできない。

 

不快な一夜が明けて、朝食にしたが食欲がない。起きていても倦怠感は抜けず気持ち悪いので、12時頃ベッドで横になる。3時間程寝て起きたら、気分は少し良くなった。しかし、何かをする気は全く起きない。夕飯仕度もせず外へ食べに行く。食事をしてようやく落ち着いた気分になった。

 

結局翌日には元の生活に戻ることができ、副反応も一日半で済んだ。今回の症状はコロナ菌を体内に入れたことによる反応だろうから、コロナに感染したら、こういう症状になるのかなと思った。

 

それにしても、コロナに限らず、病気で倦怠感を感じ、意欲を消失する症状になることは多々あると思うが、今迄あまりそういう経験が無かったので、その辛さを少し理解できた。前向きに積極的に考えられるのは、身体が健康であってこそだと悟った。

 

2⃣ 真夏のテニス

今はコロナ対策と熱中症対策が必要な時期だ。特にテニスは屋外スポーツなので、熱中症に対しては、十分な注意が必要だ。しかし、私がテニスを始めて以来、コートが取れた場合は雨でない限り、猛暑日でも小まめに水分を取るとか、適時休憩するとかの対策をとって、当然のこととしてプレイしてきた。

 

それが、今年の夏は異常な暑さの日が多いので、火曜テニス(10:30~又は12:30~)の代表者さんから、熱中症アラートが出たら、テニスは中止するとの連絡が入った。サークルの仲間は皆若くないし、常識的に考えて、それも妥当な判断だと思う。8月に入ってからの火曜日は、2日、9日、16日全てアラートが出て中止となった。

 

8月から新しいテニスサークル(水曜テニス)に入会した。今年の4月以降テニスの所属サークルが火曜テニスの一つだけとなり、水曜日が空いていたので、H卓球のSさんの紹介で入れてもらった。水曜日の開催は8:30~で熱中症アラートは出ておらず、10日、17日とプレイできた。

 

3⃣  夕食の楽しみ

S卓球で帰りが5時を過ぎる火曜日を除いて、夕食は4時半頃からとしている。この時間に食卓に酒の肴を並べ、椅子に座れるように台所仕事を頑張る。

 

この時期、酒のつまみとしては定番の、枝豆、冷奴、もろきゅー、焼きナスにその日の副食を「あて」にする。一通り並んだら、やはり夏はビールだ。一人で乾杯する。喉が乾いている時の冷たいビールは格別に旨い。

 

食卓の「あて」の前方にパソコンを置きYouTubeで音楽動画を視聴しながら、夕食をするのが日課だ。動画は「JAY WALK」であったり、「昭和歌謡のサックス演奏」だったり、「森山愛子」だったり色々だが、最近は、寺井尚子さん関連が多い。

 

例えば、寺井尚子さんの「リベルタンゴ」を選曲し、そこからそのミックスリストをクリックすると、YouTube(グーグル)のAI(人工知能)は、実に私の好みを的確に把握した動画をリストアップしてくれる。

 

寺井尚子リベルタンゴ」のミックスリストは、下記曲目が並んでいる。

※印はこのブログで取り上げた曲

 

寺井尚子リベルタンゴ」※1

寺井尚子「Spain スタジオライブ」※3

寺井尚子「キサス・キサス・キサス」※1

寺井尚子リベルタンゴ with  Coba」※1

寺井尚子アルビノーニのアダージオ」

川井郁子リベルタンゴ」※4

川井郁子「死ぬほど愛して」※4

⑧原信夫とシャープ&フラッツ「SING SING SING」

川井郁子「ジュピター」

寺井尚子「Ave maria /cassini 」※1 ※2

寺井尚子「真珠採り」※1

寺井尚子「ライブ Donna  lee 」※3 

       ・

       ・

       ・

と続く。順番は日によって若干異なることもあるが、動画は概(おおむ)ね、この順に再生される。

 

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これらの曲は私のお気に入りばかりで、そのほとんどがこのブログで取り上げていますので、興味のあるお方は、一読いただければ幸いです。

 

※1 2019年9月23日アップ「寺井尚子さん」:①、③、④、⑩

※2 2020年11月13日アップ「寺井尚子さん2」:⑩

※3 2021年11月23日アップ「寺井尚子さん3」:②、⑫

※4 2021年8月3日アップ「川井郁子さん」:⑥,⑦

 

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何度見ても寺井尚子さんの演奏は素晴らしく、曲が終わるごとに「あんたは 上手い!!」と思わず言葉が出る。

 

お酒の酔いが回った頃に「Donna lee」を視聴すると、寺井さんの超絶技法に拍手し、ドラムの中沢剛さんのソロ演奏には、つい興奮して「GO!GO!イケイケ剛、剛!」と声援を送ることとなる。家内には誰も居らず、外には聞こえないはずなので、周りに迷惑をかけてはいないはずだ。

 

好みの曲を視聴しながら、好みの「あて」で飲むお酒は殊の外美味しく感ずる。一日の至福の時間だ。

 

先のミックスリストの中の⑤「アルビノーニのアダージオ」はまだこのブログで取り上げていなかったので、今回紹介します。

 

これは、レモ・ジャゾットが作曲した弦楽合奏とオルガンのための楽曲で弦楽合奏のみでも演奏されるそうだ。昔どこかで聴いたような郷愁を誘うメロディだ。

 

寺井さんはこの曲を、「クラシックで弾くとこうなります」「ジャズで弾くとこうなります」とお手本のように鮮やかに弾き分けている。クラシックもジャズも詳しいことは分からないが、素人の私には「両方とも上手いな~」と思う。

 


www.youtube.com

 

 

この動画のコメントを読んでいて、この「アダージオ」に歌詞をを付けて歌っている歌手がいることを知った。その歌手の名前は、ララ・ファビアン、 カナダとベルギーの国籍を持つ今年52才のシンガーソングライター、ミュージシャンであり女優でもあるそうだ。

 

私は知らなかったが、彼女はこれまでに世界中で2000万枚以上のレコードを販売しており、ベルギー人歌手としては、最もレコード販売した歌手とされている。サラ・ブライトマンセリーヌ・ディオンのような世界的なスーパースターということだ。

 

ララ・ファビアンの「アダージオ」は「アルビノーニのアダージオ」に歌詞を付けて歌たもので、注釈によると、「赤い糸を捜して、手繰り寄せようとしている女の子の心情を歌った切ない歌」だそうだ。

 

寺井尚子さんの演奏と合わせてご視聴下さい。7年前のビデオ映像は3500万回以上再生されていたが、ここでは8年前の700万回再生のライブ映像を貼付します。

 


www.youtube.com

 

 

 

 

 

へんろ日記 16 

7月10日にアップした「へんろ日記 15」の続きです。

 

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12月6日(水)(晴)(2017年/平成29年) 

<45日目 香川県白鳥温泉→徳島県1番札所霊山寺>      

 

3:25 起床 昨日、宿に朝食のキャンセルを告げたら、食堂でおにぎりを作ってくれた。それを食べる。

 

5:50 出発。 宿を出ると、夜明け前で月が煌々と照っていた。月明かりで懐中電灯が無くても十分歩ける。月明かりの中を歩くのは、14日目の高知県奈半利以来だ。周りは山道で人家は一軒もない。月明かりの中の歩行は、ロマンチックな気分にしてくれる。

 

6:50 西山 夜が明けて明るくなり始める。国道の分岐点で右へ行くと徳島県熊谷寺方面だ。左白鳥駅方面に進む。

 

7:05 高松自動車道高架下 真正面から太陽が昇り始めた。眩しいが気持ち良い。東さぬき市の白鳥の町を抜けて国道11号を東進する。この辺りは徳島県上板町と並んで和菓子に用いられる和三盆の産地で、国道沿いにそのお店も見受けられた。

 

8:55 所持金が少なくなったので、郵便局で引き出そうと相生郵便局に立ち寄るが、まだ開局していない。郵便局の前の播磨灘を眺めながら待つ。天気は良いが風が冷たく瀬戸内海なのに波が高い。この辺り、地図で見るともう少し賑やかな集落と想像したが、国道にコンビニも無く寂しいところだった。

 

9:50 JR高徳線讃岐相生駅の東側踏切を渡って、JR沿いのへんろ道をしばらく進んで、いよいよ香川県から徳島県の県境を越える登山口だ。

 

10:30 県境 予想したより登りの勾配は緩く、落ち葉の降り積もった登山道は、比較的楽に登れた。

 

11:05 ベタノ谷分岐 ここで右へ行くものと確信していたので、標識が左になっていて、頭が混乱する。(その後歩きながらずっと「なぜ左なのか」と考え続けた。結論は、私が思い込みで地図を間違えて読んでいたことによる)

 

12:15 県道41号分岐 ここから道が舗装されていて助かる。

 

12:50 卯辰峠 峠下のカーブのコーナーで、赤い軽自動車が車輪を上に向けてひっくり返っていた。どういう運転でひっくり返ったのか理解に苦しむ。運転者は見当たらず、地元の警官が車を調べていた。

 

峠を越えて下り坂を快調に進むと、大麻比古神社の広い境内に入る。ここからこの神社の参道が霊山寺の横まで一直線に続いている。

 

13:35  K荘 本日の宿はこの参道沿いにあるので、荷物をいったん預ける。

 

14:00 1番札所 霊山寺 88カ寺を無事参拝できたことの報告とお礼参りだ。納経所では、品の良い銀髪の女性から結願のお祝いの言葉を頂いた。この女性にこのへんろ二回目の墨書授印をお願いした

 

このページには、「あなうれし 行くも帰るも、とどまるも 我は大師と二人づれ」と書かれている。

 

 

霊山寺に隣接する売店で、テニス、卓球サークルへの土産を買って、帰宅後に宅配してくれるよう依頼する。 

 

15:00 K荘 外観より設備が充実している。後で聞いた話によると、バス一台分の客に対応しているという。宿の人には申し訳ないが、本日の客は私一人。

 

今日の夕食は、結願をした自分へのご褒美に、活魚懐石を別途注文した。ここは鳴門に近いとあって、30㎝位の鯛の生き作りが出てきた。一人で食べるには多いが、凄く美味しくお酒もすすんだ。

 

夕食時、宿のご主人が話し相手となり、へんろや宿の話をしてくれる。現在のところ宿の跡継ぎが居らず、今の宿は大きすぎるので、小さくしてへんろ客と話をするのが夢だと言っていた。

 

一人娘が北海道の畜産大学6年生で、来年卒業し徳島県庁への就職が決まっているとのこと。自慢の娘さんのようだ。「娘さんが結婚し、婿さんが宿の後を継いでくれるといいですね」と言うと、「そんなにうまくいくかどうか?」と笑っていた。 

 

酒も肴も美味しく、四国最後の夜を満喫した。 

 

 

45日目の歩数  53,300 歩     歩行距離 34.6 ㎞

 

 

 

12月7日(木)(晴)

<46日目 徳島県和歌山県九度山町

 

さて、四国88カ寺を巡り結 願した。一番霊山寺へのお礼参りも済ませた。

 

これからの大まかな旅の予定は、高野山の麓の九度山から町石道(ちょういしみち)を歩いて高野山大門に至り、そこから更に奥の院まで歩き、弘法大師にお礼参りをする。それから三泊四日で熊野古道小辺路を通って熊野大社へ行く。その後は行き当たりばったりで旅先を決める・・・である。

 

とりあえず今日は、九度山近くの宿までの移動だ。

 

7:00 朝食 今日は歩かないのに、朝からご飯を3杯食べる。 

 

7:50 K荘に別れを告げ、歩いて高松自動車道鳴門西PAに向かう。

 

8:38 高速鳴門西バス停 なんば行高速バスに乗車、客は5~6名程、運転席の後ろに着席する。一か月半ぶりの乗り物で、歩かずに長距離移動できるのはやはり素晴らしいことだ。

 

窓外の景色を見ながら、快適なバスドライブを楽しむ。天気も良く淡路島通過の頃には気持ち良くてウトウトする。バスは神戸から一番海側の高速を通って難波を目指す。

 

11:06 なんば着 私は大阪へは何度も来たことがあるが、難波は初めてだったので、バス降車口から南海難波駅への道順が分からない。お上りさんのように、大阪のオバサンやビルの警備員さんに尋ね尋ねして、駅に着く。この時南海線高島屋大阪本店の2階と3階から発着していることを知った。

 

  写真ACより    Harrie さんの作品 (難波駅/大阪高島屋

 

11:30 難波の天丼や 駅前の天丼やに入る。さすが食道楽の街大坂、安くて、ボリュームがあって、旨かった。

 

12:00 南海難波発 高野線乗車 

 

13:00 橋本着 この日予約した本日の宿は交通の便が悪かったので、駅前の観光案内で橋本駅九度山駅近くの宿を当たってもらった。紹介された3軒に電話したが、全てダメだった。

 

JR橋本駅へ時刻調べに行こうと思い、観光案内の女性にザックを置かせてほしいと依頼したが断られた。この時「5分か10分なのに」と少々腹が立った。

 

へんろ中は腹が立つことは一度も無かった。これはへんろのお陰と喜んだが、元の私に戻ってしまった。こんなことで腹を立てた自分が情けなく悔しかった。  

 

13:30 JR橋本駅 ここから和歌山線で和歌山方面へ一駅乗車する。列車が来るまでホームで地元のオバサンとお喋りする。自宅近辺では絶対しないことだ。心が和む。

 

13:40 紀伊山田 ここから歩いて本日の宿泊地Yへ向かう。

 

13:55 天然温泉Y 30分以上歩くことを覚悟したが、駅から15分で到着。チェックインは14:30からで、それまでは部屋に入れずロビーで待つ。ここは二軒のレストランを備えたスーパー銭湯を立派にしたような温泉で、宿泊棟と温泉、レストランは別棟になっている。

 

温泉に入る前に、高野山から先の熊野古道小辺路の様子が知りたくて、地元の野迫川村役場に電話する。今は季節が12月で、四国の大窪寺近辺でも雪に降られた。標高の高い熊野の山は雪が積もっているのではと懸念された。

 

案の定、小辺路の山道は、現在雪が積もっていたり、凍っている処が多いので、冬山装備でなければ止めた方が良いと言われる。役場の人にしてみれば、この状態でOKとはいえないのだろう。熊野古道小辺路の旅は、今回は中止と決める。

 

温泉に浸かり、レストランで食事を済ませて宿泊棟に戻る。明朝は早朝出発したいので、朝食をキャンセルしたが料金は安くならなかった。

 

部屋で、小辺路を止めてどうしようかと思いを巡らす。「奈良のお寺巡りでもしてみるか」との考えに至った。

 

明日の天気予報を調べると、未明から雨だった。

 

 

12月7日の歩数  9,800 歩       歩行距離 6.4 ㎞

 

 

 

 

              ー続く(非定期)ー