J-WALK

今回は、J-WALKを取り上げます。

Wikipedia  の「THE JAYWALK」「中村耕一」「矢野きよ実」の記事を参照しました。

氏名の敬称は省略します。

 

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「J-WALK」 は1980年に結成されたロックバンドで、「何も言えなくて...夏」等をヒットさせ、一躍人気バンドとなり、1993年には年末のNHK紅白にも出場したが、2010年、ボーカルの中村耕一覚醒剤取締法違反で逮捕され、中村は翌年バンドのメンバーから脱退した。2011年には、メンバーも入れ替え新生JAYWALKが始動して、バンド名も「THE JAYWALK」となった。

 

私は「J-WALK」が活躍していた頃、リアルタイムで生きていたのだが、そのバンド名、曲名については何も知らずに過ごしていた。そんな訳で、中村耕一が逮捕され、マスコミで大きく報道された時も、殆ど関心は無かった。

 

それが、2~3年前YouTubeのネットサーフィンをしていて、偶々(たまたま)「何も言えなくて...夏」に出会い感銘を受け、そこから芋づる式に「J-WALK」の楽曲を聞き漁るようになった。

 

・何も言えなくて...夏

・もう一度

・心の鐘を叩いてくれ

・君にいて欲しい

・世界よりも君が大切だと思った

・Thousand  miles

・青い瞳のステラ

・悲しみは涙にとけて

・RERAX

・RELAY  RUNNER

・風に向かって歩きたい

・Deja-vi~君がいた夏

・ここからすべてが

・俺・・・

・JUST  BECAUSE

・河より低い町で

・もう愛せないけど

・思い出に手を振って

・SHE  SAID

・失くしてしまった手紙のように

 

これらの曲をYouTubeで、何度も何度も繰り返し聴いた。全曲とも何回聴いても飽きることが無い。曲も良いが詩も良い。それと、中村耕一の歌唱が素晴らしい。上手くてセクシーで男の色気が感ぜられる。

 

YouTube動画のコメント欄には、今でもファンからの熱烈な支持と中村耕一復帰待望論が多数見受けられる。

 

2010年5月、中村耕一東京地裁で懲役2年執行猶予4年の判決を受け、償いと自戒の念から音楽活動を止める覚悟をし、2011年3月10日をもって J-WALKを脱退した。

 

その翌日の11日に東日本大震災が発生する。10日後には、中村は宮城県石巻市へ救援物資を持って炊き出しボランティアに行っている。4月に再び石巻市をボランティアで訪れた中村は、お寺の住職から被災した檀家の葬儀での献奏を依頼される。

 

歌を止めるつもりの中村であったが、住職の依頼は中村の過去を知った上でのものと分かり、引き受ける。

 

その後、津波で多くの児童が犠牲になった大川小学校の関係者らが避難していた中学校体育館の避難所で、ある女性に「私は全てを無くしました。でもあなたには歌がある。私たちも頑張るから、あなたも頑張りなさいね。」と声をかけられる。そして周囲の被災者からリクエストが寄せられ、アカペラで歌唱した。

 

この体験で中村は音楽を続けることを決意する。

 

以来中村は、石巻市南三陸町陸前高田市などへボランティアに数十回通い、泉谷しげるたちと町おこしイベントに幾度も協力している。

 

その後は、2013年からソロ・アーティストとしてライブ活動を開始し、アルバムも発表したが、J-WALK時代のレパートリー46曲は、元所属事務所との関係で歌唱禁止になっていて、昨年2021年7月になってようやく解禁された。

 

コロナ禍で思うようにいかないが、以前のように年間100本以上のライブを目標に頑張りたいと中村は語っている。

 

 

名古屋のテレビ、ラジオ界で活躍している矢野きよ実というタレントがいる。彼女は「名古屋の上沼恵美子」との異名を持つほど、中京圏では出演番組を多く持っているタレントだ。彼女は書道家でもあり、ドラマや番組の題字等も数多く手がけている。

 

2010年に中村耕一が逮捕された時、その事件報道の中で中村との10年以上続いている内縁関係が明らかにされた。以来中村と矢野は続柄が、お互いがパートナーとしてウィキペディアにも掲載されている。

 

矢野は執行猶予中の中村を支え、前述した東日本大震災ボランティアにも中村に同行している。

 

 

先に挙げた中村耕一がボーカルを務めていた「J-WALK」時代の20曲は全て私のお気に入りで、全曲紹介したいのですがそうもいかず、ここでは下記6曲をYouTube動画で紹介します。

 

① 何も言えなくて...夏

作詞:知久 光康  作曲:中村耕一    リリース:1991年7月  

 

軽快なスチールギターのイントロから始まるこの曲は、繊細な男心を歌った傑作だ。

 

不器用で鈍感な自分から去って行った彼女のことを回想する。

 

失って改めて気づかされる彼女の魅力 「綺麗な指してたんだね 知らなかったよ」「こんなに素敵なレディが俺を待っててくれたのに」「どんな悩みでも打ち明けて」とまで言ってくれた

 

自分では「世界中の悩みを一人で背負っている」と思っていたが、「俺の背中と話す君は俺よりつらかった」と遅かったけれどやっと気付いた 彼女から「もう二度と合わない方がいい」と言われた日に・・・

 

「私にはスタートだったの あなたにはゴールでも」涙を浮かべて言った彼女の瞳に 何も言えなかった・・・ まだ愛してたから

 

愛した女性を失ってしまう事、別れが現実になった事、そうした事実を男は認めようとしない。何故ならそれでも「まだ愛してたから...」なのだ。

 


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② もう一度・・・

作詞:知久 光康  作曲:杉田 裕  リリース:2008年3月

 

「何も言えなくて...夏」が発表されてから17年後にこの曲が「何も言えなくて...夏」のアンサーソングとしてリリースされた。

 

新宿か渋谷の混雑する駅で、彼女が俺を見つけて、人をかき分け俺の隣に来てくれた時、俺は「乗り換える駅 間違えただけ」としか言えなかった。

 

彼女が「急いでいたの?」と尋ねてくれたその声は、もう夢でしか聞けないはずだった。この17年、二人がもう一度 恋に落ちる夢を見ていた。

 

17年前の反省から、ほんの小さな傷でも二人で癒そう もし許されるのなら 今ここでもう二度と放さないと誓おう 

 

君にもう一度 恋をしてもいいと言ってくれ 二人もう一度 恋におちてもいいと言ってくれ

 


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※この動画のボーカルは、中村耕一ではなく、二代目ボーカルの馬渕英将    

 

 

③ 君にいて欲しい

作詞:知久 光康   作曲:中村 耕一  リリース:1992年10月

 

「何も言えなくて...夏」とは違って、こちらは「二人でいたいんだ 何が起きてもづっと 愛してるなんてありふれた言葉だけど いて欲しいんだ 二人で見つけたいんだ ここにしかない 確かな君とおれを」と彼女への心情を素直に吐露している。

 

 


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④ 世界よりも君が大切だと思った

作詞:知久 光康   作曲:杉田 裕   リリース:2009年4月

 

彼女から「あなたの目を閉じたまま微笑む顔が好きだから 眼を閉じて」って言われ「開けてもいいよ」って向き合った時 世界より君が大切だと思った・・で始まるラブソング 

 


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※「YouTubeで見る」をクリックすると、このブログからYouTubeサイトへ飛んで動画を再生できます。

 

 

 

⑤ 心の鐘を叩いてくれ

作詞:知久 光康   作曲:杉田 裕  リリース:1991年11月

 

まるで無限の時間の中に はじけて消える泡が俺なら どれほど人を愛せるのだろう たとえそれが誰か一人でも

心の鐘を叩いてくれ 胸の奥まで揺さぶるように 命はきっとそのためにある 生まれた意味を知るため・・・

 

一途な若者の真摯な心情を歌った青春の応援歌だ。

  

 


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※この筆文字は、単にパソコンで文字変換しただけかもしれないが、私は書道家でもある「矢野きよ実」が書いたものと思いたい。

 

 

⑥ RERAX

作詞:知久 光安   作曲:中村 耕一   リリース:1995年7月

 

友人以上恋人未満のふたりが、真夜中に始めて二人っきりになった時、何を話せばいいかわからない 優しい月明かりの下 膝を抱き星を見上げ 二人微笑む  壊さないでこの時間を・・・微笑ましいラブソング

 


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※汗だくのライブ映像で、清潔感には欠けるが、最後に二人で「WOUWO~」とハモるところは、圧巻でもある。