11月上旬

ウクライナでは、ロシアが一方的に併合を宣言した東部ドネツク州の要衝リマンから撤退した、ロシア軍がウクライナの反転攻勢に耐えきれなくなったのだ。ロシア軍は撤退の際、ダム等のインフラを破壊しているようだ。

 

現地のロシア兵は、撤退を知らされず置き去りにされたり、大量の戦死者が出て悲惨な状況になっている。戦争とは非情で酷い(むごい)ものだ。

 

戦争を仕掛けたロシアも莫大な犠牲を払っている。100年前に日露戦争に負けたロシアが、その後のロシア革命で体制が変わったように、今回の撤退が、ロシア国民の反戦厭戦意識を高揚させ、国内から現体制を変換させる力になればと願っている。そして停戦の話し合いの糸口を何としても早く見つけて欲しい。

 

 

国内では、新型コロナの第7波は収束の様子だったが、最近新規感染者が全国的に拡大し始め、第8波に向かって増えている。北海道の感染者は第7波のピークを越えたということだ。北海道は寒くなって、換気が悪くなっているのも原因だろうと朝のニュースが報じていた。

 

北海道以外も、これから寒くなりインフルエンザの流行も重なり、第7波以上の感染者が出るとも予想され、またも医療危機の再来が懸念される。

 

しかし国民のコロナに対する危機意識は、以前と比べかなり低くなっているようだ。水際対策が緩和され、行動制限も無くなって、国内観光地や都会の歓楽街にはコロナ前に近い人出が報じられている。

 

11月9日、国は当面行動制限の措置は取らないと発表した。果たしてワクチン接種や各自の感染対策で、どの程度コロナを抑え込むことができるか注目される。

 

 

今回もネタ切れ状態なので、11月上旬の私の生活を綴ってみます。

 

1⃣ 名古屋行(11月5日)

名古屋近郊の叔母宅へ弔問に行った。(叔母や弔問のことは前回のブログに書いた。)

 

名古屋へ行くのも新幹線に乗るのも、7年振りだ。コロナ以降、鉄道を利用するのも久しぶりである。

 

新横浜までの横浜線に乗って、改めてその乗り心地の良さに驚く。音は静かで振動も少なく実に快適である。私が通勤で毎日この線を使っていた頃の車両と比べると、格段の進歩だ。この線は、山手線と同系列の車両を使用しているので、JR東の通勤電車の中では最先端車両なのだろう。

 

車内は混んでいて、ザックの人は皆ザックを胸の前にかけて、周りに配慮していた。私の通勤時には、ザックの人は殆どいなかったので、時代は変わったなと思う。

 

新横浜の乗り換えでは、改札口先の新幹線待合室や土産物売り場が改装されていた。土産を買おうとして、頭に描いていた売り場が無くて、少々まごつく。

 

名古屋までは本数も多いので特急券は自由席にした。スマホの乗り換えアプリで調べた8:39発に乗るつもりでホームに行く。博多行が停車している。自由席の先頭方向に歩いて行くと、博多行が発車した。すぐその後に新大阪行が入線して停車した。と同時に反対ホームに別の新大阪行が入線してきた。

 

ホームの両側に2本の新大阪行が、乗降ドアが開けて並んでいる。2本とも自由席1号車は空席が多かったので先の列車に乗った。直後に発車する。前の博多行、後の新大阪行との時間間隔は2分である。

 

この日は土曜日で臨時ダイヤが組まれていたのだろうか?それにしてもラッシュ時の山手線並み過密ダイヤだ。16両連結約1000人の乗客を乗せて、新幹線を2分間隔で運行するJR東海さん、恐れ入りました。

 

久し振りの新幹線なので、車内からの富士山の眺望を期待したが、この日の朝は曇りで富士の雄姿は見られなかった。富士川の鉄橋を渡る時、一瞬山頂の一部がちらりと見えた、

 

10時前に名古屋到着。新幹線ホームも駅の構内も、行楽客と思われる客で、コロナ前のように混雑していた。こういう人混みの中に身を置くのも久しぶりだ。地下鉄に乗る為に、一旦駅ビルを出ると、駅前の風景が7年前と激変していた。駅前再開発で新しい高層ビルが林立していたのだ。

 

地下鉄東山線名古屋駅は、65年前、名古屋に地下鉄が始めて開業した時に作られた駅で、設計時は、乗降客数を現在の利用客数よりかなり小さく見積もっていたのであろう。今、ホームはいつも人で溢れていて危険な感じさえする。難しいだろうが拡張が必要ではなかろうか。

 

地下鉄は栄まで、隣の人と接触するくらいの混雑状況だった。コロナ以降こんなに混んだ電車に乗ったのは始めてだ。

 

妹宅で鰻丼をご馳走になり、義弟の運転する車に乗せてもらって、T市の叔母宅へ弔問に行く。帰りは、その車で名古屋駅まで送ってもらった。帰りの新幹線も、私が乗った時は2分間隔の運転だった。

 

日帰りだが充実した旅だった。

 

2⃣ 火曜テニス(11月8日)

テニスの仲間が、山形県鶴岡市の実家から送られてきたという、沢山の庄内柿を持ってきた。サークル員におすそ分けしようというのだ。この柿は渋柿であるが、焼酎を注入して寝かせて甘くしたのだという。私も2個頂き自宅で食べたが、果実は程よく固く、噛むと濃厚な柿の甘さが口に広がり、それはそれは美味しい柿であった。仲間に感謝。

 

3⃣ 火曜卓球(11月8日)

上記テニス終了後、公民館の卓球へ向かう。この日参加者は6人と少なかったが、皆、技術レベルが高い人ばかりだったので、ラリー、練習試合ともに充実した練習ができた。

 

4⃣ 水曜早朝テニス(11月9日)

このテニスも、この日の参加者は5人と少なく、練習試合も休み無しの4回連続となる。ハードではあったが、天気が良く青空の下、気持ち良くプレーできた。気温も12~15℃と半袖でテニスするには暑くも寒くも無く、汗もかかずに快適にテニスできた。

 

5⃣ リハビリセンター(11月11日)

この日もストレッチ/バランストレーニングでは、つま先立ちで片方の足を横に上げるレッスンをした。腰の高さの円柱ポールを両手で支えながらではあるが、フラフラしてビシッと安定しない。私には難しい。翌日左の踵が少し痛かった。

 

スタッフの中に、トレーニング後の帰宅準備の時に、よく会話する女性がいる。前からこの彼女誰かに似ているな~と思っていて、今日それが「不二家のぺこちゃん」だと気付いた。

 

小柄で目の大きな可愛い女性なのだ。そのことを彼女に言うと、複雑な表情をした。私は「ペコちゃん似」を誉め言葉として言ったのであるが、彼女は、今活躍の女優かタレントの名前を期待していたようで、舌を横に出した「ぺこちゃん」は、気に入らないようだった。

 

「ペコちゃんにマスクをすればあなたの顔になるよ」と私、彼女は「私は小さいころお婆ちゃんに『堀ちえみ』の若いころにそっくりと言われた。」と主張した。

 

 

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今回もおまけとして、この時期に相応しい私の好きな「終止符」を貼付します。

 

 終止符 

 作詞:谷村新司  作曲:堀内孝雄  歌唱:アリス

 リリース:1979年12月20日 (17枚目のシングル)

 

 左ききのあなたの手紙

 右手でなぞって真似てみる

 いくら書いても埋めつくせない

 白紙の行が そこにある

 

 友情なんて呼べるほど

 綺麗事で済むような

 男と女じゃないことなど

 うすうす感じていたけれど

 

 あの夏の日がなかったら

 楽しい日々が続いたのに

 今年の秋はいつもの秋より

 長くなりそうな そんな気がして

 

 夢を両手に都会(まち)に出て

 何も掴めず帰るけど

 やさしさの扉を開ける鍵は

 眠れない夜が そっと教えた

 

 心も体も開きあい

 それから始まるものがある

 それを愛とは言わないけれど

 それを愛とは言えないけれど

 

 あの夏の日がなかったら

 楽しい日々が続いたのに

 今年の秋はいつもの秋より

 長くなりそうな そんな気がして

 

 春の嵐が来る前に

 暖かい風が吹く前に

 

 重いコートは脱ぎすてなければ

 歩けないような そんな気がして

 

 


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