古いアルバム

名古屋の妹から、学生時代の古いアルバムが送られてきた。妹は少しづつ家の整理を始めたようで、それは母の遺品の中から出てきたらしい。母は晩年妹と暮らしていた。

 

そのアルバムは、私が名古屋を出た後、帰省した時に私が作ったもののようだ。写真は全て白黒写真、アルバムのページを開くと、何十年も前の記憶が一気に蘇ってきた。

 

<小学生時代>

まず、入学式直後の記念写真、近所の写真館で撮ったものだ。黒の学生服に半ズボン、学生帽をかぶって直立し、神妙な顔つきでカメラを見据えている。平凡な顔を、どことなく賢く見えるように撮っているのは、さすがプロのテクニックだ。

 

この写真をアルバムに貼りつけている時に、母が覗き込んで「この写真ね、写真館のショーウィンドウに、しばらく飾られていたんだよ」と嬉しそうに語っていたのを思い出す。

 

次は、一年生ひな祭り学芸会の時の写真、頭に冠をかぶり、白い着物に袴姿で弓を右手に持ち、左手をかざしている。その隣には、私と対称の姿でもう一人の男の子が写っている。この時、私の役は左大臣だった。

 

実は私は最初、主役の内裏様に抜擢されたのだが、お姫様と踊るスキップが、どうしてもできず左大臣に降格されたのだった。

 

 

小学校5年生の同級生に、麗(うらら)ちゃんという女の子がいた。当時の女の子の名前は、殆どが○○子と子の付く名前であったので、そのハイカラな名前は、クラスでも評判だった。彼女は地元代議士の娘さんで、バイオリンやピアノをやっていて、NHKや地元の民放に出演する為、時々授業を早退していた。私のような庶民とは縁遠い存在だった。

 

<中学生時代>

中学時代の写真は、クラス全員で撮ったものや、運動会、修学旅行の集合写真ばかりだ。

 

中学2年のクラス写真で懐かしい顔を見つける。おとなしく控えめながらしっかりしていて、清楚で可愛い女の子だ。私はこの子と同じクラスになって以来、ひそかに思いを寄せるようになった。初恋っていうやつだ。

 

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今と違って当時は、男女が話すことすらままならない状況で、私も遠くから眺めているだけだった。3年になるとクラスが変わり、教室では会えなくなった。登下校時、彼女の姿を見ただけで、ラッキーという思いが高揚し、胸がキュンとなった。今考えるとなんて純情だったんだろうと、当時の自分が愛(いと)おしい。

 

<高校時代>

高校時代の写真は、クラスの集合写真、学校で撮ったクラブの仲間や、仲の良い友人との写真、クラブの仲間と夏に御在所山へ登山した時の写真、運動会、遠足、修学旅行の写真が貼られている。

 

高校で親しくなった友人の一人が、なんと小学5年の時の同級生、麗ちゃんの従兄妹だったのだ。即ち彼は代議士の甥っ子で、伯父を尊敬していて、伯父の私生活の話も時々してくれた。その代議士は当時の野党党首にもなった大物だったので、興味津々であった。

 

修学旅行の写真は、かなりの枚数撮っており、その中には同じ中学出身で、違うクラスの美人と評判の女子生徒(初恋の人ではない)の写真もある。中学時代には女子生徒には口もきけなかったのに、「写真を撮らせてください」と言って撮った写真だ。4年間で進歩したものだ。

 

<大学時代>

この頃になると、俄然写真の枚数が増える。所属サークルでの活動時、郡上八幡合宿時の写真、学園祭、友人と旅した九州旅行、四国旅行、講座の先輩に連れて行ってもらった北アルプス縦走時の写真、私が幹事となって行った講座旅行(三方五湖、小浜、天橋立)の写真等が貼られている。

 

その中の一枚に、石川県加賀舞子の松林で、友人が持参したキャンプ用コンロでお湯を沸かして、紅茶を飲んでいる写真がある。この時私は旅行カバンの盗難に遭い、途方に暮れていた。

 

三年生の夏休みに、サークルの合宿が富山県宇奈月であるというので、現地集合の為、友人と二人で出かけた。途中、日本海で泳ごうということになって、北陸線の線路近くで泳げそうな地点を捜した。加賀舞子が良さそうだったので、そこで途中下車した。その海岸は、正規の海水浴場ではなく、海の家も無かったが、白砂・遠浅で泳ぐのに支障はなかった。

 

浜辺の草むらで服を脱ぎ、カバンの横に置いて海に入る。カバンの近くに男の人がいたが気にもせず、しばらく泳いで戻ると、私のカバンが無くなっていた。盗難に遭ったのだ。盗まれたのは、私のカバンだけで、友人のカバン、私の服、ズボン、靴は無事だった。

 

しかし、カバンの中には、財布、合宿費用、宇奈月までの切符、取ったばかりの運転免許証、着替え等が入っており、私は大いに落胆した。

 

文無しになってしまったので、そこから宇奈月までは、国道へ出てヒッチハイクでトラックやダンプを乗り継ぎ、なんとか合宿の旅館まで辿り着いた。

 

そして夕方、自宅から宿に電話が入り、長野県小諸の伯父さんが亡くなり、私も大変お世話になったので、葬儀に出席するよう言われる。合宿を途中で抜け出し、仲間にお金を借りて、宇奈月から夜の列車に乗り込んだ。

 

今となれば、懐かしい思い出である。

 

 

今回のテーマと似たような動画があったので、紹介します。

竹内まりやさんの「人生の扉」の歌唱をバックに、昭和42年に田舎の中学校を卒業した同級生会の模様が映像で流れます。

 


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