中学2年生

私には3姉妹の孫がいて、中学2年生の長女がもうすぐ誕生日を迎える。誕生日にはいつもケーキを贈っているので、今回も誕生日前日に届くように注文した。彼女が幾つになるのか確かめてみると、この誕生日で14才だ。

 

「ウ~ム、14才か、青春真っ盛りで、人生で一番楽しい時期だな」と、私の中学2年生14才の頃の、はるか昔の自分を思い出した。

 

その頃のことをここに書くのは恥ずかしくて躊躇(ためら)われたが、大昔の出来事で当の昔に時効になっていると考え記載する。

 

 

       イラストACより    niboshi-works  さんの作品

 

 

私は中学2年生の時に、生まれて始めて恋をした。相手は同級生のFさん。恋と言っても片思いの儚い(はかない)もので、会話したのはクラスの連絡とかの事務的なことのみで、彼女と私的なことを話したことは一切なかった。

 

Fさんは、前髪でおでこを隠したオカッパ(今風に言えばボブ?)の髪型が良く似合った可愛い女の子。物静かでおとなしく、清楚な感じ、それでいて芯は強そうだった。大勢の女友達とワイワイ騒ぐようなことはなく、親友と思(おぼ)しきKさんと二人でよく教室の片隅で静かに話していることが多かった。

 

登校時に彼女の姿を見つけると、ラッキーと心で叫び、その日一日が幸運な日になると胸がときめいた。授業中には、机越しに彼女の横顔を見てボーっとして、授業の内容が頭に入らなかったことも多い。

 

家で勉強していても、彼女の姿が目に浮かび、勉強を中断して彼女の名前をノートに連ねたりしていた。

 

今考えると、当時の私は何とまぁ~純情だったものだと昔の自分が愛おしい。

 

当時の中学生は今時の中学生と比べたら、幼稚な者が多かったが、自分の好きな女子生徒の名前を公言し、仲間に囃し立てられるのを喜んでいるような、ませたせ男子生徒もいた。

 

私は当時一番の親友のM君にも、Fさんのことを秘密にしていたので、私のFさんへの思いが級友たちに知られることは無かった。

 

 

国語の授業で、生徒が順番で一人づつ教壇に立って、クラスの全員に漢字テスト(当用漢字10題)を課すことになった。課した生徒は全員の回答用紙を回収し、家に持ち帰って採点し、翌日各生徒に返すことになっていた。

 

私が問題を課す番となり、テスト後に回答用紙を自宅に持ち帰った。採点は、Fさん以外の分は早々と済ませた後、Fさん直筆の用紙をじっくりと観察した。それまで彼女のノートとか彼女が書いたものは見たことが無く、始めての体験だったので、胸がドキドキした。

 

彼女のテストの採点は、一つ間違え9点だった。平均点が5~6点だったので、高得点だ。当時から字が下手だった私と違い、彼女の字は女らしく優しい感じがする上手な字で感心した。

 

翌朝、各生徒の机の上に答案用紙を返却した。暫くして、この機会を利用してFさんと何か話をしようとある考えを思いついた。

 

彼女の前に行き、「採点をもう一度チェックしたいので、用紙を返してくれる?」と嘘を言う。彼女はスカートのポケットからそれを出して私に渡してくれた。私はこの時初めて女子生徒の制服のスカートにポケットがあることを知った。

 

用紙を一通り見て、「ありがとう」と言って彼女に返した。ただそれだけのことであるが、二言話すことができた。

 

 

 

2学期の終業式(12月24日)の後、クラスで「隠し芸大会」が行われた。生徒が一人又はグループで教室の前に出て余興をせねばならない。私が何をしたか忘れてしまったが、Fさんは友人のKさんと二人で「清しこの夜(Silent  night)」を英語で歌った。

 

これは数日前の英語の授業で、英語の先生が教えてくれたものだ。彼女の声は、まさにこの曲に相応しい清らかなもので、始めて耳にした彼女の生歌(なまうた)に感動した。

 

 

 

3学期になって、2学年10クラス対抗の駅伝大会が開催された。各クラス男子生徒5人、女子生徒5人計10人が、男女交互にタスキを繋いで競うものだ。私とFさんは共に選手に選ばれ、私は4番走で、彼女は5番走、私から彼女にタスキを渡すことになったのだ。

 

コースは学校のグランドからスタートして、一旦校外に出て住宅地の公道を大きく回って学校のグランドに戻ってタスキをリレーする。学校のグランドは、スタート地点で、タスキの受け渡し地点で、ゴール地点でもあった。見物の生徒や先生たちは、グランドに集まって声援する。

 

駅伝が始まり、私の前の3番走の女子生徒が、3位で戻ってきてタスキを受け取る。私は前の二人の後を追う。首位とはかなり離れていたが、2位との差は50mくらいだ。始めは張り切っていて、学校から公道に出てしばらくして前の走者を抜いて2位となった。

 

そのまま走り続けると、首位の走者が100m位先を走っているのが小さく見えた。何とか追いつこうとピッチを上げたが、ハイペースだったようで猛烈に苦しくなる。もう座り込んでしまおうかと思うくらい疲労困憊した。

 

首位の走者も疲れが出たらしく走りが遅くなり、差は30mくらいに縮まった。しかしもう追い抜く気力は無く、首位になることはとてもできないと諦めた。

 

学校が近づき、公道から生徒たちが集まっているグランドが見えた。その中に、私のタスキを待っているFさんの姿を見つけた。その時、今考えても全く不思議なことだが、それまで憔悴しきってへとへとで走っていたのが噓のように、全身に力が漲(みなぎ)った。その後、ほうれん草を食べたポパイのように、ハイペースで走ることができ、校門から学校に入った地点で、グランドの皆が見ている前で、首位走者を抜いた。

 

タスキ受け渡し地点では、首位として第5走のFさんに「あと頼む!ガンバって!」とタスキを渡した。

 

彼女もガンバって首位で帰って来た。その後、わがクラスは首位を守れず最終的には3位に終わった。

 

選手の休憩用の教室で休んでいると、走り終わったFさんが友人のKさんと教室に来て、私が居ることに気付かずに、二人で話し込んだ。遠くで聞いていると、Fさんは首位でタスキを渡されたので、物凄く緊張して、死ぬかと思うくらい必死で走った。抜かれずに戻れて本当に良かったと安堵した様子でKさんに話していた。

 

この駅伝の話は、青少年を主人公にした青春小説か青春漫画のようであるが、フィクションではない。本当の話だ。

 

憔悴しきった身体が、Fさんの姿を確認した途端、「火事場の馬鹿力」のような現象が起きたのだ。その後の私の人生で、このようなことは一度もない。

 

 

中学3年生になると、クラス替えでFさんと私はクラスが別になり、彼女の姿は登下校で時々見るだけになった。そして高校は別々の学校を受験したので、高校以降彼女には全く会っていない。