夏の終わりの二題

子どもの頃、夏が蒸し暑い名古屋で育った私は、この季節が苦手だった。大人になって、運動して汗をかくことが好きになり、暑い夏も余り苦にならなくなった。そして、お盆が過ぎてからの八月後半は、盛夏の喧騒も一段落し、祭りの後のような気だるい感覚が心地よく、私の好きな時期と思うようになった。

 

まだまだ残暑が続きそうですが、夏の終わりに、夏の二題を投稿します。 

 

 

<夏の雨>

 

雨が続いて久しぶりに晴れた日に、銀行に出かけた。その銀行は、普段ほとんど利用していないのであるが、銀行合併して行名が変わり、通帳を新しい物と交換する必要が生じたのである。

 

その銀行は、私の最寄り駅の一つ隣の駅前にあり、少し遠いが、久々の晴天にも誘われて、歩いて行く。

 

通帳交換はすぐに終わり、銀行を出ると時間はお昼時、のどの渇きを覚える。駅前なのでどこかに甘味処でもあれば、かき氷でも食べたいとお店を探すが、食べ物屋や飲み屋ばかりで、かき氷を扱っているお店は一軒もない。駅前に甘味処が無いなんて、わが町も田舎だなと悲しくなる。

 

帰りは、駅前の市立公園を突っ切って帰ることとする。自販機で冷たい紅茶を買って、池の前のベンチに腰掛け、白鳥を眺めながら飲む。

 

一息ついて、公園通路を反対の出口に向かって歩く。前に三人連れの親子が歩いている。子供は3才と2才くらいの女の子、お姉ちゃんは一人で先を歩き、その後をお母さんが妹の手を引きながら続いている。

 

三人を追い抜きざまに、妹を見ると目が合ってニコリと笑ってくれた。この年ごろの子供は、どの子もとても可愛い。ついこちらも頬が緩み微笑み返す。妹の足取りは遅いが、お母さんに手を引っ張られるようにして一生懸命歩いていた。

 

公園を抜けて住宅街の一般道を歩き始めた頃から、急に空模様が怪しくなった。ぱらぱらと大粒の雨が降り始める。家を出る時、晴天だったので、傘は持っていない。その後ザーッとかなり強い雨が降り出す。風が無いので雨は空から真っすぐに地面に叩きつけた。

 

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         写真ACより  晴れのち晴れさんの作品 

  

雨宿りできそうな場所が無いかと見渡したが、見当たらない。ここから家までは20分位だ。「しょうがない」と諦め、どしゃ降りの中をそのまま雨に打たれて歩く。今迄、雨の中、傘もささず、雨具も付けずに歩いたことがあるだろうかと昔の記憶を反芻(はんすう)してみる。大雨の中を長時間歩いた経験は何度もあるが、雨具無しの歩行は思い浮かばなかった。

 

雨の中を歩きながら、公園で会った親子連れが気になった。彼女らはまだ公園の中と思われる。彼女らが歩いていたところから、雨宿りできそうな建屋までの距離はかなりありそうだった。

 

お母さんは、傘を持っていないようだった。小さな二人の子供を連れて、急にこんなどしゃ降りにあって途方に暮れ、さぞかし難儀をしていることだろうと想像し、お母さんが気の毒で可哀そうになった。

 

笑ってくれた妹の女の子や、小ちゃなお姉ちゃんも強い雨に打たれて、今頃べそをかいているのではなかろうかと心配しながら、自分もずぶ濡れになって我が家に辿り着いた。

 

 

 

<夏の日の恋>

 

私のことではなく、夏によく耳にするパーシーフェイスオーケストラが奏でる美しい曲のことだ。「夏の日の恋(Summer  Place)」は、1969年に公開された映画「避暑地の出来事」の主題歌である。

 


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この動画は、数年前から私もYouTubeでよく視聴していた。そしてコメント欄のあるコメントに目が止まり、この動画を視聴する度に、このコメントを読んでいた。

 

それは、4年前の投稿で、投稿者は「延岡その3水族館他」さん、(以降延岡さんと記述)

延岡さんのコメント

「・若い頃、彼女と結婚できるなら、何も要らないと思いました。それが今の家内、脳腫瘍の病で寝たきりになりましたが、私の宝です。不思議と介護も苦になりません。恩返しできることに感謝してます。

・この曲があの頃にピッタリで、二人でよく出かけた頃を思い出します」

 

 

私も、連れ合いを3年間介護して亡くした経験があるので、このコメントには胸を打たれた。

 

このコメントを読んで、色々気になった。

 

・「恩返し」とは、今の奥さんが結婚を承諾してくれ、結婚できたことに対して言っているのであろうか?

・延岡さんがこのコメントを投稿したのが4年前、今でも苦になさらずに、感謝の気持ちを持って介護なさっているのだろうか?是非そうあって欲しいが、一時でも「苦」と感じた時には、それを回避、発散できる環境にあるのだろうか?

 

延岡さんには、エールを送りたい。

 

私の場合は、わずか3年という短期間だったこともあり、延岡さんのように不思議と介護も苦とならなかった。3年間は24時間接していたので、その3年は今思うと、それまでの数十年間分以上の濃密な時間でもあった。

 

延岡さんのコメントを読まれた多くの方は、「この奥様は、旦那様が、このような状態でも愛してくれ、献身的に介護してくれて、なんて幸せな女性だろう」と思われるかもしれない。

 

しかし奥様にしてみれば、いつも旦那様に感謝をしつつも、一方的に愛を受けるのみで、自分も旦那様に何か尽くしてあげたいのに、何もしてあげられないことが、悲しく辛く感じておられると思う。

 

そこのところを、分かって上げて欲しい。