世の中の動きとしては、10月31日に衆議院選挙が行われ、日本国民は現状の保守体制(自公政権)を選んだ。野党は敗北し議席数を減らし、野党第一党の党首は責任を取って辞任することとなった。
コロナ新規感染者は、11月8日は国内合計107人、東京都18人と8月の第5波のピーク時国内16000人弱、東京都5500人強と比べると信じられないほど劇的に減少している。
宣言も解除されて1ヶ月以上となり、飲食店も通常営業に戻っている。街中の人出も増えた。テレビの街行く人の映像からは、今迄自粛してきた抑圧から解放されたような表情が見て取れる。
海外に目を転じると、ワクチン接種が進み一時感染者が減ったことで制限を解除したドイツ、イギリスで感染が再拡大しフランス、韓国でも同様の兆候が見られる。
わが国がこれらの国の二の舞にならなければよいが・・・
<私のトピックス>
10月25日(月 )
(ガスコンロ)
台所の3台のガスコンロの内1台が点火しなくなり、グリルのアラームランプが点灯してアラーム音が常時発せられるようになった。
取説を見ても解らず、購入したガス会社に電話して点検してもらったが、解決しない。コンロメーカーの技術者に来てもらうこととなったが、早くて29日という。
幸い2台のコンロとグリルは異状なかったので、料理はいつものようにできた。
その間アラームは鳴りっぱなしなので、コンロを使わない時は、点火用及びリレー電源の電池をその都度外すことにする。
29日17時にメーカー技術者到着 、早速上部パネルを取り外して内部の点検に取りかかる。最近のコンロは自動消火となっているので、リレー回路がやたらと組み込まれている。
しばらく点検していた技術者さんが、リレーの一部に煮こぼれた液が内部に染み込んで、その部分がショートしているようだと言う。その部分をティッシュで拭いて作動してみると、点火しなかったコンロの火が付いた。
「根本的に修理するには、リレーを新しい部品と交換する必要があるが、これで様子を見ましょう。また同様の不具合が生じたら、その時部品を交換しましょう」と技術者さんが言う。それに従う。
本日の修理は、パネルを開けてリレーをティッシュで拭いただけだったので、費用も6000円と安く済んだ。
それにしても、昔であればコンロが点火しないと言えば、ガスノズルの詰まり等の単純な原因がほとんどであったが、今はあらゆるものに、マイコン、リレーが組み込まれているので、修理も複雑になっている。便利なようで一面不便でもある。
10月27日(水)
(脳内神経科退院後の定期健診)
退院後9か月になるが、ボーっとした感じ(特に起床直後)は改善されない。前回主治医に状況説明したが、「脳梗塞だからね。後遺症でしょう」と軽く言われたので、今回は状況については「前回と同じです。」としか言わなかった。血液検査は、前回とほとんど変わらず、薬も今までと同じ。
10月28日、11月4日(木)
(SHテニスサークルの練習会)
SHサークルの練習は、クレーコートのテニス場で行っているため、前日や当日の未明に雨が降るとコート不良で中止になる。10月も2回中止となったが、珍しく3週続けて晴れとなり、テニスができた。
春の桜の頃と、秋の今頃は、テニスのベストシーズンだ。秋空の下テニスで身体を動かすことは、実に気持ちが良い。仲間とテニスできることを感謝し、幸せな気分となる。
10月29日、11月5日(金)
(リハビリセンター)
ボーっとした感じやフラツキが改善されないと、理学療法士のMさんに相談したら、バランスの訓練を多くとりいれてくれるようになった。その効果を期待したい。
言語聴覚士の I さんから、私の発語明瞭度(1.0から5.0までの5段階評価 1.0:普通 5.0:発語が理解できない)は、1.0で普通の人と変わらないといわれた。リハビリセンターに通い始めた時に、1.5と言われたので、9か月の言語リハビリで改善されたのか?
I さんから「これからも言語のリハビリ続けますか?」と訊かれたので、腹式呼吸や呼気発声訓練は続けたいと答えた。
毎週金曜日の午前中、3時間みっちりトレーニングして汗をかくと、爽快な気持ちになって、しばらくの間、ボーっとした感じやフラツキは感じない。この状態が終日続いてくれたら、病気も完治したと言えるのだろう。
11月月7日(日)
(八王子)
前夜のNHKラジオ深夜便で、渋谷のNHK近くのイチョウが黄色く色づいて綺麗だったと担当アナウンサーが言っていた。それを聞いて「では八王子の国道20号(甲州街道)沿いのイチョウ並木も色づいたかな?明日にでも確かめに行ってみよう」と思いたった。
前日まで快晴の良い天気が続いていたが、この日は朝から曇り空、9:30に自宅を出発、八王子の20号に出て、高尾方面に車を走らせる。西八王子から高尾辺りまでの20号は両側にりっぱなイチョウ並木が続く。黄色く色づいたイチョウもあるが、まだ所々緑の木もあり、全体が黄色く染まり黄金色に輝く見ごろは1~2週間先と思われた。
近くに「武蔵陵墓地」があるので、寄ってみた。ここへは昭和天皇が崩御される直前(昭和63年)に連れ合いと来て以来だから、33年振りだ。当時は「多摩御陵」と言っていたと思う。
大正天皇、皇后、昭和天皇、皇后の計4基の上円下方墳が整備され、参拝者も少ないので、厳かで落ち着いた雰囲気を味わえる。ここの楓もまだ紅葉していなかった。
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今回もおまけでこの時期にピッタリの動画を追加掲載します。
<色づく街>
元祖アイドルの南沙織(シンシア)さんの曲で、1973年にリリースされた。その年の紅白にもこの曲で出場している。
いまもあなたが好き
まぶしいおもいでなの
あの日別れた駅に立たずみ
ああ青い枯葉かんでみたの
街は色づくのに
会いたい人はこない
母に甘えて打ち明けるには
あゝ少し大人過ぎるみたい
愛のかけら抱きしめながら
誰もみんな女になる気がするの
さよならはその日のしるしね
人に押されて歩く夕暮れ
あゝあなただけがそこにいない
愛のかけら抱きしめながら
誰もみんな女になる気がするの
さよならはその日のしるしね
街は色づくのに
会いたい人はこない
人のやさしさ 人のぬくもり
あゝ通り過ぎてわかるものね