七月最終週

子どもたちは夏休みに入ったが、新型コロナの第七波が拡大中で、連日新規感染者数の過去最多を更新している。

 

国民はもう3年もコロナに振り回されて、コロナ疲れになっていること、第六波以降のオミクロン株やその変異株は致死率が低く重症者が少ないこと、国、自治体が行動制限を出していないことから、第七波で感染爆発が起きていても、世の中、以前のような緊迫感、緊張感が随分と欠けているように思える。

 

私も最近では、以前のようにストイックに自粛に努めるのではなくて、感染対策を取った上で柔軟に行動をしようと考えるようになった。

 

記録的な猛暑で始まった七月も最終週となった。この暑い中、平凡で代わり映えのしない毎日が一日一日と過ぎていく。変化が無く面白味は欠けるが、痛いところも無く健康に過ごせることには、感謝せねばならない。

 

 

そんな一週間の記録です。

 

 

7月24日(日)(晴)

1⃣ 朝NHK Eテレ「日曜美術館」を見る。この日は陶芸家、辻村史郎さんの特集だった。

 

辻村さん(75才)は、50年前に奈良の山奥に住まいと窯をすべて一人で作り、師を持たず独学で作陶し、今でもそこで、陶芸品を作り続けている。

 

この3年は、独自の手法で志野茶碗を1日に150椀ほどろくろで作り、窯で焼いては焼きあがった椀に茶を点(た)てて、飲み心地を確かめる毎日だそうだ。まだ自分の思い描いた納得のいく作品には出会えていないようだ。

 

 

焼いた志野茶碗は年間4000個にもなるが、辻村さんはそれらを砕いたりして、処分しない。すべて自分の山のいたるところに置いておく。そのように野ざらしすることにより風化して趣のあるものになるからだという。

 

辻村さんは陶芸だけでなく、油彩画や書も手がける。いずれも自己の内面から湧き上がる何ものかに突き動かされ、それを形に現すために手を動かして作る作品で、陶芸と本質は変わらない。

 

辻村さんは世界中に多くのコレクターを持ち、その作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館を始め多くの美術館に所蔵されている。

 

私は、このテレビを見るまで辻村史郎さんを存じ上げていなかったが、また一人興味深い日本人の存在を知り、朝から得をした気分になった。

 

2⃣ 午後、公民館のH卓球へ行く。公民館は冷房が十分に効いているので、自宅よりも快適である。他のメンバーも同じ考えか、参加者は10人と多かった。

 

数か月前から、Dさんと15分の休憩時間を利用して二人だけでみっちりとラリー他の練習をするようにしている。休みなしの連続なので少々疲れるが充足感は得られる。

 

3⃣夕方夕飯仕度をしていて、玉ねぎを半分に切る時、玉ねぎの外皮に包丁を滑らせて、左人差し指の爪の下にグサリと突き刺してしまった。幅1㎝深さ5㎜くらいの傷である。痛くは無かったが、切り口の中の肉が覗かれ、血がぼたぼたと流れ出た。

 

慌てて傷口を水道水で洗って、取り敢えず大き目のバンドエイドを傷の周りに貼り付ける。脳梗塞予防に抗凝血剤を常用しているので、出血が止まらないか心配したがそれはなかった。夜バンドエイドを剥がし、傷口に赤チンを塗って再度バンドエイドを貼って放置した。

 

 

3日後傷口は塞がり治った。人間の身体の再生能力も大したものだと感心する。

 

 

7月25日(月)(晴)

1⃣ 普段は目に付いたところの汚れのみを、掃除機をかけたり、拭いたりして横着しているので、今日は午前中に全室の掃除をした。居間のフローリングも雑巾がけしたので、掃除後は気持ちが良かった。その代わり大量の汗をかき、シャワーを浴びる。

 

2⃣ 午後は、会社に勤めていた頃の寮の仲間とのオンラインミーティングだ。メンバーは7人であるが、前回(4月)は、その内の一人が急に体調を崩して、6人での開催だった。今回は全員の元気な姿が画面に映し出され安心する。

 

毎回各人が近況を報告するのであるが、私のこの3ヶ月の近況は、4月に報告した内容と全く同じで、改めて変化のない生活をしているなと思う。

 

7人で雑談していると、時間の経つのは早いもので、Teamsの制限時間2時間はあっと言う間に過ぎ、話しの途中でTeamsが切れてしまった。この日Bさんが一昨年に検討し、コロナで延期になっている旅行の話ができなかったので、改めてメールで検討することとなった。

 

7月26日(火)(雨)

1⃣ 午前中に予約してある歯医者さんに行く。歯医者さんへは定期的に行って、歯垢除去、口内洗浄、口内チェック等の口腔ケアをしてもらっている。

 

この歯医者さん、診察前に受付で念入りなコロナ対策チェックをさせられる。(本人の発熱、身内の感染者、濃厚接触経験等)これらのヒアリングの後、洗面所でうがいをしてから診察を待つことになる。私の担当医は、太っちょの元院長先生で、優しく丁寧、説明も的確で、安心して治療を任せられる。

 

2⃣ 今日のテニスは雨で中止、午後S卓球へ行く。参加者8人。休憩時間にこのサークルのメンバーの名前(苗字)が、私を始め、珍しい人が多いと話題になる。そう言えば本日参加の8人の内7人の苗字は、私の人生で、このサークルに参加して始めて出会った苗字だった。

 

7月27日(水)(晴)

1⃣ 朝食後の薬を服用していて、薬が今週末で無くなることに気が付いた。かかり付け医は、明日が休みで、金曜日はリハビリの日なので、急遽今日の午後に診療を受けることにする。

 

午後の診療は14:30からだ。病院は近いので、少し早めの 13:30頃家を出て歩いて行く。空を見上げると夏の空だ。暑いが気持ち良い。街路樹には蝉が止まって鳴いていた。今年初めて聞く蝉の声。

 

 

 

診察では、前回(2か月前)採血した血液検査の結果説明(大きな病院では当日判明するが町医者なので、時間がかかる)で、腎機能値(クレアチニン)が若干適正値より高いが他の値は大丈夫とのことだった。

 

2⃣ 今日7月27日は、亡き母の29回目の命日だ。名古屋の父母の墓へは、コロナもあって、もう数年行っていない。名古屋の妹には墓参してもらっているが、親不孝の謗り(そしり)は免れない。

 

自宅の仏壇に仏花と果物を供えて供養する。今まで月命日の供養では、「天台声明音律研究会による般若心経」をCDで流して供養していたが、最近CD再生機の調子が悪く、うまく再生できない。仕方ないので、私の読経で代用した。

 

7月28日(木)(晴)

家事で洗濯をしたくらいで、特記事項はありません。

 

7月29日(金)(晴)

午前中、いつものように、3時間半リハビリセンターで存分に汗をかく。

 

脳梗塞の後遺症のフラツキはまだ完全に治っていない。テニスのサーブでトスを上げる時、フラッとする。ここでのリハビリで目に見えるような改善は無いが、毎回バランストレーニングをしているので、少しずつ良くなっているのかなとも思う。

 

リハビリセンターなので、この施設の利用者は、身体に病気や怪我で障害を抱え、そのリハビリのためにこの施設に通って来るのであるが、外見上は健常者と全く変わらない人も多い。金曜日午前中の利用者約40人の内3割くらいは、要介護区分の要支援1か2ではないかと思われる。

 

これらの人(私もその一人)は、施設内のトレーニングマシンを積極的に使用して体力作りに励んでいる。

 

残りは、明らかに障害が認められる人たちで、皆少しでも身体の不自由が解消できるように、一生懸命に努力している。その内の一人の方のリハビリ目標を、たまたま目にした。「普通に歩けるようになりたい」と書いてあった。

 

その方は右半身が不自由なようで、車いすを使わずに自力で歩けるが、健常者のような歩行姿勢がとれない。その人にとって「普通」が如何に大切で有難いことであるかが良く分かる。また右の手のひらがいつも握った状態だ。利き腕が右なら生活に不自由しているだろうなと推測する。

 

彼らの姿を見るにつけ、普通に歩けて、普通に生活できる自分が凄く恵まれていることを実感する。

 

7月30日(土)(晴)

午前中にスーパーへ一週間分の買い出しに行って、午後はH卓球。卓球終了後、SさんとMACでお茶する。Sさんは卓球をしばらく休んでいたので、久しぶりだ。

 

H卓球のラリーで一番上手なRさんが話題となる。女性ながら男性の強烈な球を難なく返し、それ以上の速球が返ってくる。彼女はバウンドテニスもやっているので、腕力もありそうだ。動きも活発で、プレイも若々しいので、10~20才は若く見える。

 

彼女はこれまで、お産以外は入院したことが無いと言っていた。病気もせずに極めてタフなスーパーウーマンだ。Sさんと二人で「凄い人だね。」と言って感心して肯き合った。

 

Sさんから、彼が所属している水曜日のテニスサークルのメンバーが少ないので、加入しないかと誘われる。時間は朝8:30から、朝が早いので躊躇する。数年前はテニスを週4~5回していたが、4月以降、現在テニスは週一回しかしていない。水曜日は、予定が入っておらず、休養日としてダラダラ過ごすことが多いので、生活を改善する為にも参加してもいいかなと思う。