秋の初めの二題

2年前の夏の終わりに「夏の終わりの二題」と題して投稿しましたが、今回は「秋の初めの二題」です。

 

重陽後一日>

 

9月9日は「重陽節句」だ。陰陽道では、奇数は「陽」偶数は「陰」を示し「陽」は縁起の良い数とされ、中国では「陽」の重なる日は、祝いの日として祝っていたが、陽の日の最大値「九」が重なる日を「重陽」と呼んで節句の一つにしたと言われている。

 

日本には平安時代初めに中国から伝わり、宮中行事の一つとなり、旧暦では菊の見ごろとなるので、菊の観賞や菊を用いた厄払いが行われたそうだ。江戸時代には、庶民にも広がったが、その後は桃や端午の節句、七夕と比べると馴染みの薄い節句となっている。

 

翌9月10日は、重陽節句の次の日なので、「重陽後一日」とも呼ばれている。菅原道真大宰府に左遷されて一年後に、この題名で漢詩を作った。この詩は詩吟では、よく吟詠され、この詩一つに絞った吟詠会が催されるほどだ。

 

 

 「重陽後一日」   菅原道真

   去年の今夜 清涼に侍す

   秋思の詩篇 獨り断腸

   恩賜の御衣 今此に在り

   捧持して  毎日餘香を拝す

 

<現代語訳>

去年の今夜(9月10日)清涼殿(当時の御所)で「秋思の詩」を詠んだことを思い返すと、とても悲しくなります。

みかど(後醍醐天皇)から頂いた御衣は、今もこうして私の目の前にございます。

それを毎日捧持しては、毎日残り香を拝しています。

 

 

去年の今日は、右大臣として宮中で天皇を補佐し、宴では「秋思」の詩を作って天皇に褒められ御衣を頂いたが、その後藤原時平の讒言(ざんげん)により太宰府に左遷された。天皇の側で仕えることができなくなった自分が情けなく、悲嘆の日々を過ごす道真の心情が窺える漢詩だ。

 

 

<テレビ>

 

8月7日にテレビが映らなくなった。テレビのディスプレイがダメなのでビデオも見られなくなり、以降1か月間テレビ、ビデオを見ない生活が続いた。テレビを見なくとも、別段不便は感じず、このままでもいいのだが、大相撲が始まることだし、そろそろ買い替えてもいいかと家電量販店に品定めに行った。

 

壊れたテレビは、地デジ放送が始まる前に購入した43型(93㎝W)の液晶テレビで、居間のビデオケースの上に丁度良い具合に置くことができ、部屋の家具や回りとのバランスも良い塩梅(あんばい)だった。新しいものも43型にすれば、そのまま交換するだけで済む。

 

店のテレビ売り場へ行くと、華やかな画面を映し出した大型テレビが並ぶ。今は55型(120㎝W)が主流で、190㎝Wの超大型85型も展示されていた。

 

種類は、有機EL、液晶、XLEDの3種類、有機ELは従来の液晶に比べて画質や色彩の輝き度、クリア度が優れているようだ。その分価格も高い。XLEDは最近開発された従来機比3倍の明暗表現力と色再現範囲が20%アップ(店員さんの説明とカタログによる)した機種とのことだ。

 

同じメーカーで同じサイズの受像機が、XLED、有機EL、液晶と並んで、同じ画像を映し出しいるのを見ると、XLEDが一番鮮やかでクリアだった。これが気に入ったが、一番小さなものでも55型で43型は無い。

 

55型にすると、今隣に置いてある棚がじゃまで、これを移動させなければ置けない。現在の居間のレイアウトは自分で言うのもなんだが、非常によくできていて、居間にこの棚を移す場所がない。

 

他の部屋へ移動するには、その部屋も片付けなければならない。「あ~めんどくさいな~」と思いながら、「新しい大型テレビを見るためにはしょうがないか」と観念した。

 

9月10日10時頃、電気屋さんが来て新しいテレビを据え付けてくれた。作業は思ったより簡単で、30分程で終わった。我が家はJCOMに加入しているので、テレビやビデオはJCOMのチューナーとの接続が必要である。ケーブル接続後、地上波、BS、CSとも綺麗な映像が映し出された。

 

チューナーはとりあえず今までのものを使う予定なので、4Kは見られない。ビデオデッキと新しいテレビとの接続は、新テレビのコネクターが今迄の三色ケーブルが使えないので、家電量販店に買いに行く。

 

帰宅して、再度テレビをリモコンで操作していたら、地上波以外のBS、CSが映らなくなった。JCOMチューナーのB-CAS、C-CASカードの接触が悪いとのメッセージがでて、何回も差し込みを繰り返したが、直らない。

 

JCOMに電話して、明日作業員の訪問を受けることになった。朝9時から夜7時までの作業員の手の空いた時間に来てくれると言うことで、家を一日留守にできない。明日の卓球は休むことにした。

 

まだBS、CSは見られないが、大相撲秋場所初日の朝之山の取組には何と間に合った。