ウォーキングをしていて、ちょとした竹やぶに若い竹や青竹がが生えているのを見つけた。

 

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光る地面に竹が生え、

青竹が生え、

地面には竹の根が生え、

根がしだいにほそらみ、

根の先より繊毛(せんもう)が生え、

かすかにけぶる繊毛が生え、

かすかにふるえ。

 

かたき地面に竹が生え、

地上にするどく竹が生え、

まっしぐらに竹が生え、

凍(こお)れる節節(ふしぶし)りんりんと、

青空のもとに竹が生え、

竹、竹、竹が生え。

 

上記は、萩原朔太郎(※1)の第一詩集「月に吠える」(※2)に収められた「竹」という作品だ。教科書にも載っているような有名な詩だそうだが、私には学校で習った記憶はない。  

 

(※1)明治19年1886年群馬県現在の前橋市生まれ、昭和17年(1942年)55才で没「日本近代詩の父」と称せられている。

 

(※2)それまでの詩は、五七調や七五調の文語体が主流であったが、朔太郎はこの詩集「月に吠える」で口語自由詩を確立した。朔太郎の詩の特徴は、・音楽性に富み・感受性が繊細で鋭敏・心身の奥底をイメージ化するといわれている。(「春夏秋冬・四季の詩」より)

    

 

私がこの詩に出会ったのは、齋藤孝著「声に出して読みたい日本語」のCD版で俳優の小林薫さんが朗読したものだった。小林さんの朗読はそれはそれは素晴らしく、一度聞いてこの詩が好きになった。

 

小林さんは、「かすかにふるえ」までの前半は、地上で竹が成長するために、人の目に見えない地下で、根が生え繊毛が生え、必死で地中に食い込んでいく様子を、押し殺した声で読んでいる。

 

そして後半は、「かたき地面に」「地上ににするどく」「まっしぐらに」竹が生えと畳みかけ、「凍れる節節(ふしぶし)りんりんと」では、 解き放たれたように、朗々と歌うように、読み上げている。

 

「青空のもとに竹が生え」では、真っ青な蒼(あお)空に向かって、若く精悍な青竹が凛々(りり)しく伸びている様が、目に浮かんでくるような読みっぷりだ。そして「竹、竹、竹が生え」で静かに、しかし力強く終わる・・・小林さん上手いな~と思う。

 

詩の活字を目で読み、朗読を耳で聞いた後、自分の声で読んでみるとまた違った趣きだ。背筋が延びて気持ちが良い。素材が良いので、何度読んでも飽きることが無い。

 

今回のブログを書くに当たって、サイトの「春夏秋冬・四季の詩」「バクナンランナー、希望の日々」を参考にさせてもらった。

 

それによると、朔太郎はこの詩集の序文で「自分の詩はリズムによって表現する・・・」と言っているだけあって、「竹」の詩は、リフレイン(反復法)やリズム(脚韻)を見事に活用している。「生え」と言う言葉が10回もでてくるし、e の母音で韻を踏んでいる。

 

それから、「生え」「ほそらみ」「ふるえ」と句末の動詞は全て連用形で、畳みかける表現が、竹の成長の強さや躍動感を推測させる。

 

前半最後が「ふるえ、」ではなく「ふるえ。」と句点で締めることにより、根の動き、繊毛の動きの力強さが強調されるということだ。(さすが専門家の考察は鋭い)

 

 

この詩は、凛として溌溂と成長する「竹」を通して、私たちに、「何事にも毅然とした態度で、矜持(きょうじ)をもって生きなさい」と教えてくれるようだ。

 

 

 

山の思い出

          

リハビリセンターの言語聴覚士に新しい女性の先生が加わった。先週この先生のトレーニンを受けることになり、開始前の休憩時間に雑談をした。その時、彼女は最近山の魅力に取り付かれ、登山にすっかり嵌(は)まってしまい、丹沢によく出かけると言っていた。

 

それを聞いて、そういえば私も20代の頃山に嵌まり、ガムシャラに山に登っていたなぁ~と懐かしく思い出された。

 

私が山に登るようになったのは、新田次郎の「孤高の人」という山岳小説を読んで感動し、主人公 加藤文太郎の生き方に共感し憧れたからである。

 

※ 加藤文太郎は大正から昭和ににかけて活躍した登山家である。当時の登山は、現代のような大衆登山と異なり、装備や山行自体も多額な費用が掛かり、パーティーを組んで登るのが通例で、北アルプス等の山深い場所へ行く時は、猟師をガイドに雇ったりしていた。お金持ちのスポーツだったのだ。文太郎は高価な登山靴を持たず地下足袋で、しかも単独行で、幾多の登攀を成し遂げた。昭和11年1月槍ヶ岳北鎌尾根で遭難、帰らぬ人となった。

 

私もそれまで、登山の経験はほとんどなく、学生時代の夏休みに先輩に連れられて、北アルプスの室堂から三俣蓮華まで(裏銀座コースの一部)行ったことが唯一の登山経験だった。

 

加藤文太郎に憧れて始めた山登りだから、もちろん単独行だ。近場の丹沢、奥多摩、から奥秩父八ヶ岳南アルプス北アルプスへと足を延ばし、無雪期の山は何とか単独で行けるようになった。

 

当時、一流クライマーはロッククライミングを駆使して、ヨーロッパアルプスやヒマラヤの冬季登攀が盛んになされていた。私は華麗なロッククライミングは、とても私にはできないと判断し、加藤文太郎のようなドンクサい縦走を選んだ。

 

そして冬がきた。最終目標は文太郎のように、単独行で冬の雪山を、雪洞掘りながら移動し、山頂を極め縦走するというものだった。

 

文太郎は吹雪の時は雪洞を掘って潜り込み、甘納豆と煮干しを食べながら吹雪が止むのを待ったと本で読んで凄く感動したものだ。

 

学生時代、山岳部にもワンゲル部にも入っていなかったので、雪山の技術的なこと(雪上歩行、ラッセル、アイゼン、ピッケルの正しい使い方等)は本の知識しかない。クリスマス前に一人で富士山へ行き、雪上訓練をしようと思い立った。

 

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          写真ACより acworks さんの作品

 

 

12月21日午後、電車で富士吉田まで行き、そこから歩く。市街地を通って浅間神社まで行くと、そこから吉田口登山道が始まる。馬返までは8㎞だ。明るいうちに五合目まで行くのは無理なので、途中の草原でツェールトを張ってビバークする。

 

12月22日早朝出発し、馬返から登山道を歩いて、昼前には五合目の山小屋に到着。五合目近辺から上は雪が積もっていた。山小屋に荷を預け、早速自主雪上訓練にでかける。

 

小屋を出て登山道は、ほとんど凍結していたので、すぐに初めてのアイゼンを装着する。アイゼンを履くことで、凍結道も難なく歩くことができ、アイゼンの威力を実感する。

 

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        写真 ACより 隊長 37さんの作品

 

 

五合目と六合目の中間あたりに窪みがあり、傾斜もあって適度に吹き溜まりの雪がある場所を見つける。

 

斜面に仰向けになってピッケルを胸にして足から滑り降りる。途中スピードが付く前にうつ伏せになってピッケルのブレードでブレーキをかける。数回やってみたが、想像したより難しい。実際転倒したらどういう体形になるか分からないし、スピードがついたら、ピッケルだけで滑落停止させるのは、無理だと分かった。

 

12月23日朝起きて外へ出てみると、風はほとんど無くガスっている。下界はは晴れているかもしれないが、五合目から上は雲の中だ。視界は10mくらい。富士山の夏道登山道に沿って、行ける所まで行って引き返そうと考える。朝食後山小屋に荷を預け、アイゼンを履きピッケル片手に、サブザックで出発する。

 

夏道はジグザグに続いているが、アイゼンで凍結した斜面を直登することができ、夏道よりは距離が短縮できる。しかしここで転倒したら何百mも転げ落ち、一巻の終わりだ。

 

夏道沿いに、規則正しく六合目、七合目、八合目、九合目の閉鎖された山小屋が続く。ガスっているので、足元と数m先を見ながら登っていると、目の前に急に小屋が現れ、ビックリする。アイゼンでしっかり斜面を踏みしめているので、夏に登るより登り易いかもしれない。(私は夏の富士登山は経験ないが)

 

高度を増すごとに勾配がきつくなり、視界も悪くなる。突然十合目の鳥居が現れた。視界は1m位か?ホワイトアウトのような状態だ。風も少し出てきた。これ以上の進行は危険と判断して引き返す。

 

下りは上り以上に注意が必要だ。特に富士山は突風が怖い。ピッケルを杖にして慎重に下る。八合目あたりから視界も少し良くなってきた。すると一面のガスの中で、右下の方に楕円形のぼんやりしたものが見えた。

 

それは七合目でも六合目でもずっと、全方位が薄いグレイのガスの中で、同じ位置に見えていた。何だろう?何だろう?と下りながらずっと考えていた。そして五合目の山小屋近くまで降りてきたとき、「山中湖だ!!」と気が付いた。ガスの中、回りの景色は何も見えず、山中湖の湖面だけが、うすぼんやりと見えていたのだ。

 

午後、山小屋から全装備を担いで下山する。雪が舞い始めた。二合目くらいで雪から雨に変わる。馬返しを過ぎた頃には、冷たい雨の本降りとなる。日も暮れて、ヘッドライトで歩く浅間神社までの8㎞の一本道が、殊の外長く感じる。雨は下着まで染み込んで冷たく寒い。歩いていても、身体の運動による発熱量よりも雨による放熱量の方が多く、寒さは増すばかりだ。冬の雨は雪より手強い。

 

浅間神社を過ぎて富士吉田の市街地に入る。寒くてたまらない。街の人に銭湯を教えてもらい入浴した。芯まで冷えた身体には極楽であった。

 

 

 

その後の積雪期の単独行は、加藤文太郎のようにはいかなかった。奥秩父金峰山八ヶ岳で雪上にツェールトを張って登山し、越後駒ケ岳から中ノ岳への縦走を試みた時は、尾根の雪庇の張り出しが大きく、危険を感じ引き返した。雪洞は南アルプス北岳麓の樹林帯で横穴を掘って一晩過ごしたが、ツェールトに比べ暖かく快適だった。

 

二人行では、厳冬期に南アルプス鳳凰三山から早川尾根を縦走し、3月の晴れた日に、富士山の大沢崩れを登った。この時視界は絶好であったが、二人とも体調が悪く(高山病のような症状)八合目位の標高の地点で下山した。

 

今思えば、二十代は結構無茶で無謀な山登りをしていたが、その時にしかできない体験もできた。懐かしい思い出である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

にっぽん縦断こころ旅 2

2020年12月11日に続いて2回目の投稿です。写真はテレビ画像です。

 

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2021年春の旅は、3月下旬放送開始予定であったが、コロナの影響で4月12日から放送がスタートした。今年は長崎県から北海道を目指す。

 

この番組は、NHK BSPで朝版 月曜日~金曜日7:45~8:00、とうちゃこ版 火曜日~金曜日19:00~19:30で放送されている。一日2回見るという熱心なファンも多いようだが、私は専ら夜のとうちゃこ版を見ている。

 

一週間で一つの県内を、一日1地点、4地点を巡る。

 

第一週目は長崎県で、正平さんが訪れたのは、一日目が対馬、二~四日目が壱岐であった。

 

<一日目>

 2021年の旅も対馬の高台、上見坂公園からスタートする。まずは正平さんの大好きな下り坂、順調な滑り出しだ。目的地の「和多都実神社」までは陸路でも行けるが、遠回りとなる為、途中からチャーター船で入り組んだ湾を渡る。船上から歴史ある対馬の古代からの変わらぬ風景を眺める。

 

神社を回り込んだ先の船着き場で下船して、最初の登り坂、まだ身体が慣れていないのだろう、正平さん苦しそう。「和多都実神社」到着。神社の鳥居は海から一直線に5本連なっているが、一番海側の鳥居は昨年の台風で壊れたままになっていた。(全国からの支援寄付により、倒壊鳥居の再建が決まったとのこと)

 

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<二日目>

対馬の厳原(いづはら)港から、この日の目的地壱岐へ出港する船上の映像で始まる。港のターミナルビル、桟橋の人々や海上保安庁巡視船乗組員から手を振って見送られる。正平さん一行に手を振っているのか、この連絡船に手を振っているのか分らないが、良い光景だ。心和む。

 

厳原は私にとっては、懐かしい名前だ。

 

その昔、山に夢中だったころ、山の天気を自分で予想するために、ラジオ第2の定時気象通報を聞いて白地図上に天気図を作成する練習をしていた。その時、日本全国の30地点程の天気を、アナウンサーが「厳原、北西の風、風力3、晴れ、13℃・・・」と読み上げていく。

 

厳原は一番初めに呼ばれる地名で、普段余り聞かない名前だったので印象に残った。対馬の地名と知ったのは後のことだ。(ちなみに実際に山行中で天気図を作成したのは2回だけで、その作業が大変な割には、効果も未知で、使いこなせなくて止めた)

 

壱岐の東側の芦辺港に到着。島の西側の「猿岩」を目指す。13㎞のルートであるが、島の中央部が登りとなるので、途中でタクシーを呼ぶ。今年の5月30日で72才になる正平さんへのスタッフの配慮か?

 

再度自転車走行となるが、登り坂になって、自転車を押し歩きして休憩、ここで正平さんはタバコを口に咥え話し始める。「はーはー言って、休憩しようと言ってタバコ吸うと・・・」 タバコに火をつけて一口吸って「歌を歌います」と言って突然歌いだす。「ウッセー・ウッセー・ウッセーわ、あなたが思うより健康です、自分のカネで買ってます、ウッセー・ウッセー・ウッセーわ」と歌ってタバコをスパスパ吸う。正平さんの面目躍如たるシーン。

※これを見た時、私はてっきり正平さんが即興で作って歌っているものと思った。これは、今若者たちに流行っているAdoさんの曲「うっせぇわ」を替え歌にしたものだった。このブログの読者には、馴染みのない方が多いと思われるので、参考までにYouTube動画を貼り付けておく。

 


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そして海に出て駐車場の先に本日の目的地「猿岩」が突如現れる。正平さんの言う「どっから見てもお猿さんだよねー」の言葉通り、目とか鼻などは人工的に彫り込んだような見事な猿の岩だ。こういうのを自然の芸術と言うのだろう。

 

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<三日目>

壱岐で一番高い「岳ノ辻中央展望台」からスタートである。当然初めは正平さんの大好きな下り坂だ。坂を下ると麦焼酎の蔵元がある。壱岐麦焼酎発祥の地であるらしい。

 

その後、麦畑の中を走行する。麦が風に靡(なび)き、所々穴の開いたようなように見える風景を見て、「風の足跡」だと正平さんが言う。

 

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数年前の北海道を訪れた時の放送で、正平さんが少し持病のある少女と丘に登り、頂上から緑の田圃の稲が、風にたなびき揺られ、稲の傾いた個所がスーッと移動する様子を見て、正平さんが少女に「ほら、風の足跡だ」と言ったシーンが忘れられない。正平さんは何と詩人のことよ。

※このシーンは、その後視聴者が選ぶ「もう一度見たいシーン」でベスト1に選ばれた。

 

本日の目的地近くの、壱岐対馬国定公園の錦浜に出る。海の青さと砂浜が映えるきれいなところだ。

 

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岩場で緑のイソギンチャクを見つけ指を突っ込み、吸いつかれて「あ~やめて~」と叫ぶ。正平さんらしい茶目っ気だ。

 

目的地手前の坂で又苦しくなって、自転車から降りての押し歩き。押しながら「押してもえらいわ、またえらい番組始まった。」と呟く。

 

目的地は「壱岐空港滑走路先端の遊歩道」正平さんも周りの風景を見ながら「えーとこや、壱岐なかなかのもんじゃ」と感銘している。確かに素晴らしい景観であった。

 

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<四日目>

男嶽(おんだけ)神社からのスタート。この神社には「おみやカフェ」というカフェがあり、ジンジャーエールをシャレて「神社エール」と命名して売っている。正平さんが喜ぶ。また売り子さんもべっぴんさんである。正平さんの目が輝く。

 

早速会話が始まる。

正平「もう、ひとのおくさん?」

女性「募集中なんです」

正平「72くらいではダメ?」

女性「壱岐に住んでもらえるんだったら・・」

正平「オレ、考えるよ、ほんとに、そろそろこの番組終わるしな」

 

ジンジャーエールを飲んだ後も

正平「今度泳ぎに行こ、一緒に」

女性「いいんですか?」

正平「今色々なものを整理することが頭に浮かんでる」

女性「お待ちしています」

正平「頑張るよ」

 

「元気でね、絶対来るからね」との言葉を発して店を後にする。

 

目的地の「小島神社」は潮が引いた時に参道が現れて、参拝できるというところで、天童よしみさんの「珍道物語」のような島だ。神社は恋愛が叶うという御祭神が祀られている。壱岐モンサンミッシェルとも呼ばれているそうだ。

 

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そして「小島神社」に到着して参拝する言葉が「男嶽神社のカフェの綺麗なこが、良い人見つかって恋愛成就して幸せになりますように!オレのことはいいです。大丈夫です。」と正平さん心優しい。またファンが増えるかも。

 

今回の長崎県の旅で、正平さんたちは壱岐に三日間滞在した。正平さんも「えーとこや、えー島や、是非みんなお出で」と締めくくっている。

 

私もまだ行ったことのない島で、今回の放送を見て一度は訪れてみたいと思わせる島だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南東方面ウォーキング

このブログに載せる写真はスマホで撮っている。それをUSBケーブルでパソコン(PC)と繋ぎ、PCのエクスプローラーにインポートして、それをブログのサイトでダウンロードしている。

 

先月スマホを新しい機種に変更した。旧スマホでは上記の操作に問題は無かったが、新スマホで写真を撮り、PCへ例えば10枚送信しようとしても、6枚は正常にインポートされるが、4枚は送信されないということが起こった。(全ての枚数が正常に送信されることもある。)

 

スマホを購入したスマホショップの店員さんに相談して、色々検討してもらったが、原因は分らない。「うちはスマホ屋でPCのことは、詳しくないから・・・」と言い訳される。

 

PCの不具合が生じた時に、相談しているJCOMに電話する。遠隔操作でPCの中も調査してもらったが、分からずPCメーカーに相談して欲しいと言われる。

 

PCメーカーでも遠隔操作で調べてもらったが、原因不明で、スマホの問題ではないかと言われる。再度スマホショップに電話すると、「うちでは分からないから、家電量販店の中にある スマホショップで相談して欲しい」とたらい回しされる。

 

その店へ行くと店員さんに、「PCにグーグルフォトのアカウントをとってログインすると、PCはスマホと写真を共有できるから、試してみたら」と示唆される。

 

家へ帰って早速その作業にかかる。PCにグーグルフォトのアプリをダウンロードしてインストールまではできたが、その先のスマホと同期させたりが分からず頓挫する。

 

またJCOMに電話する。今回はとても親切な女性のオペレーターさんが対応してくれる。アカウントをとるのに私の記憶していたパスワードが違っていて、再度作り直したり、操作マニュアルが私の最新機種には適合しなかったりして、オペレーターさんも、てこずる。

 

2.5時間位格闘して漸くスマホの写真をPCと共有できるようになり、USBケーブルでは送れなかった写真もPCのエクスプローラーへダウンロードすることができた。今まで何回も、たらい回しされ、できなかったことが解決した。JCOMのオペレーターさんは、長時間にもかかわらず、最後まで丁寧に不具合解決のために尽力してくれた。感激し彼女が女神様に思えた。

 

 このトラブルがあり、使える写真はほとんない無かったので、このテーマでのブログは中止しようと思ったが、解決したので投稿する。

 

 

4月11日(日)

 

この日は、日本列島が、強くて大きな高気圧にすっぽり包まれ、北海道から九州まで晴天に見舞われた。当地の最高気温も17℃と、歩くには絶好の日よりとなった。

 

最近足が遠のいていた南東方面を目指してウォーキングした。

 

2週間前満開だった団地の一本サクラも、ほんの僅かな花びらを残し葉桜となっていた。

 

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3週間ほど前は、住宅街をを歩くと、どこでもオトメツバキが目に付いたが、今は黄色のモッコウバラが、住宅街のあちこちで見られアクセントとなっている。

 

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小さな川の岸に小径(こみち)が続く。30分程この道を歩く。

 

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道端の野草(オオアラセイトウ

 

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ヤエザクラ(この八重桜はそうでもないが、もっとピンクっぽい品種は、年増の厚化粧を連想してしまう。)

 

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レンゲツツジ(私はレンゲツツジと思うのだが、グーグルレンズは、又はアザレアと表示された)

 

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シャクナゲ

 

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鳥/水車のモニュメント

隣の碑文によると、「昔この地は、水の無い台地だった。先人は艱難辛苦の末、この地を切り開き畑作をしてきた。現在は都市化が進み、畑は無くなったが、先人の労苦を偲び、これからの孫子に誇れる街作りを祈念して作られたもの」だそうだ。丸い卵のようなものが水車なのか?

 

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フジとシャクナゲ

 

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ヤブデマリ

 

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ハナミズキ

 

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  歩行時間:3時間  歩行距離:12.6㎞  歩数:19,400歩

 

 

 

 

 

玄関の鍵

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4月10日(土)

車の運転ができるようになったので、スーパーへ一週間分の買い出しに出かけた。大のレジ袋4袋分と飲料水段ボール一箱(2ℓ×6)を買い、車に乗せて13:30頃帰宅。

 

家に入ろうとしたら、玄関の鍵が無い。慌てて財布を入れている小バック、ズボンのポケット、車の中を念入りに捜したが、見つからない。

 

もう一度スーパーへ行き、店の人に落とし物の届け出の中に鍵はないかを訊いてみる。該当は無いとのこと。

 

買い物をした場所をもう一度辿り、その床を捜してみる。二回りしたが見つからない。落ちていれば直ぐ分かるはずだ。

 

この日は買い物以外にも、スーパーの外にある銀行のATMで記帳をし、ペットボトルの粉砕処理をもしたので、その場所も行って探してみる。無い。

 

仕方ないので家へ戻り、外から室内へ入れそうな、施錠し忘れの窓や引き戸がないか調べる。全くない。防犯上は言うことなし!

 

15時になった。スマホも家の中に置いたままだ。誰にも連絡できない。さてどうするか。合鍵を持った息子が帰ってくるのを待つしかない。

 

玄関周りの掃き掃除をしたり、もう一度念のために車の中を捜してみるが同じ。

 

駐車場に陽がまともに当たり車内温度が上がる。買い物の中に冷凍食品や、生肉があるので気になる。車をお向かいさんの日陰の路上に移動する。

 

車内の運転席から、道行く人の歩く姿を眺める。人によって歩き方、歩く姿が全然違うのが分かる。そういえば、歩き方で人を識別する研究もされていて、犯罪捜査に利用するというような話を聞いたことがある。

 

それから、刑事ものの映画やドラマで、車の中から犯人を見張るという場面がよくあるが、狭い車の中で犯人や一般の人に怪しまれないように長時間見張ることは、とても大変なことだと分かる。

 

車中に長く居ることは、エコノミークラス症候群の危険もあるので、車から外に出て軽い運動をする。道路端に引かれた10㎝位の白線を高さ1mの平均台に見立て、バランスの練習として、落下しないよう(白線から外れないよう)20m位を何往復もする。それからスクワット少々。

 

17時を過ぎ、陽も傾き、黄昏時となる。気温も下がってきたので、車内に戻り、車も車庫へ入れた。車内で1時間程、時を過ごしたら、ありがたいことに、18時過ぎにいつもより早く息子が帰ってきた。

 

息子に事情を話し、室内に入る。一番にスーパーへ電話して鍵の届け出が無いか訊いてみたがやはりなかった。息子に合鍵を作るお店を探してもらい、駅前にあると言うので早速注文に行ってもらった。

 

その間に、ようやく今日買ってきたものを冷蔵庫等へ収納し始めた。レジ袋を一袋づつ片付け、最後のレジ袋が空になった時、レジ袋の中から鍵が出てきた。

 

合鍵は不要となったが、購入し今後の為に保管することとした。

 

しかし、どうして鍵が買い物の商品に紛れてレジ袋に入ったのかは、謎である。

 

一件落着したが、土曜の半日を無駄にした。

 

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なごり雪

 

4月9日夜の天気予報で、明日は日本列島上空の寒気が南下して、群馬県北部、新潟県南部に雪が降ると報じていた。「この時期の雪はなごり雪か~」と感慨深く、イルカさんの「なごり雪」を思い出しメロデイが頭に浮かぶ。

 

この曲はイルカさんのオリジナルと思っている人が多いようだが(私もそう思っていた)伊勢正三作詞作曲で、1974年3月12日 かぐや姫のアルバム収録曲として発表された。1975年イルカさんがシングルのカバーを発表して、これが大ヒットした。

 

この曲をモチーフにした映画「なごり雪」も大林信彦監督作品として2002年9月に公開されている。

 

この曲は様々な歌手によってカバーされているが、私の応援する森山愛子さん(愛ちゃん)のカバーが実に良いので、今回は愛ちゃんの「なごり雪」を紹介します。

 

愛ちゃんは、どんな曲でもカバーして歌う時は、完全に自分の歌として歌い切る。この曲はごく自然体で、素直に歌い上げている。彼女の声質がこの曲にマッチしているのか聴いていて凄く心和らぐ。そして曲の情景が鮮やかに浮かんでくる。「君の唇がさようならと動くことが怖くて下を向いてた・・・」愛ちゃんの歌声で主人公の純情さが伝わり胸が熱くなる。

  

愛ちゃんの「なごり雪」の動画は、YouTubeに数本あるが、私はこの動画が一番好きだ。白い衣装がこの曲のイメージに合っている。歌の文句のように「綺麗になった」愛ちゃんの歌唱をご視聴下さい。

 

 


www.youtube.com

 

 

 

 

 

 

 

 

リハビリその後

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         写真ACより  エンリケさんの作品

 

 

自宅でのリハビリ生活に入って2ヶ月以上過ぎた。生活はテニス、卓球をしていないことを除くと、すっかり入院前の状態に戻った。

 

リハビリトレーニングも一週間に一回リハビリセンター通いをしているが、リハビリを始めた頃のような目に見えた成果が感じられない。入院中のリハビリは、できなかったことが日に日にできるようになり、やっていて楽しかった。

 

リハビリの先生にはよく言われることだが、リハビリ効果を縦軸、時間を横軸とすると、リハビリ効果は1/2乗のカーブのように変化する、すなわち開始直後の改善効果は大きいが、一ヶ月を過ぎたころから徐々に効果は鈍り、時間軸に平行になっていくということだ。

 

ということは、退院後2ヶ月以上経つので、リハビリトレーニングをこれ以上続けても、効果はあまり期待できないということか。

 

基礎体力トレーニングは、体幹軸とか下肢筋力アップ、バランスのメニューは少しづつ難易度の高いものになってきたし、マシントレーニングも始めた頃に比べると、負荷も大分上げてきた。それが効果と言えば効果なのかなとも思う。

 

だが、言語トレーニングは、自宅での練習もサボりがちなこともあるが、退院直後に比べて、言語が明瞭になったという自覚はない。家族やテニスの友人と会話した後、私の話し方どうだった?と訊くと、おかしいとは思わない、入院前と変わらないと言う。

 

私の発語明瞭度が1.5だから、普通に話す分には一般の人には異状があるとは思われないのかもしれない。相手に会話が通じないといった切羽詰まった状態でないから、自宅での言語トレーニングも熱がはいらない。別にこれからアナウンサーになるわけでもないし・・なんて、つい甘い考えが頭をよぎる。

 

リハビリセンターでは、言語トレーニングが一番キツイ。先生に舌を掴まれた状態で舌を左右に動かしたり、舌を前に押し出すトレーニングが苦しい。私の舌の動かす力が弱いらしく、左右に動かす時は途中で止まってしまい、その都度先生に「ガンバレ、ガンバレ」と声援を送ってもらって、涙を流しながら、必死でがんばる。

 

リハビリセンターへは、週3回位通いたいのだが、私の介護保険では週1回しかできないのが物足りない。

 

歩くことは問題ないが、走ったり、飛び跳ねたり、サイドステップや千鳥の横移動は、転ぶのではないかと思ってしまい、自信が無い。したがって、テニス、卓球はもう少し様子見しようと思う。

 

3月まで自粛していた車の運転を、4月に解禁した。最初に乗った時、どうかなと一抹の不安を覚えたが、何の問題もなかった。運転に入ると、無意識のうちに以前と同様の運転感覚となり、身体が覚えていてくれ、不安は解消した。

 

車が運転できるようになって、一番便利になったのは、買い物だ。それまで小分けに何回にも分けて、歩いて行っていたものが、前のように週一のまとめ買いができるようになった。

 

この病気になって、感覚が過敏になった。味覚では、塩味に敏感になり、触覚では、温度に対して4~50℃位でで熱いと感じ、熱湯の入った容器を持つと熱いと言うより痛いと感ずる。

 

冒頭で、「すっかり入院前の状態に」と書いたが、細かいところでは例外もある。日常生活には特に支障はない。

 

 

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脳梗塞再発防止治療>

 

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         写真ACより  fujiwara さんの作品 

 

「私の脳梗塞」でも記したが、今回の病気の原因は、心房細動により心臓にできた血栓が脳に飛んで発症したということだ。そしてその治療法として薬物療法血栓を溶かし現在も抗凝血剤を服用して血栓ができないようにしている。

 

私は入院中に主治医の先生(脳内神経科)に、根源的に再発を防止するには心房細動を治すことではないかと質問した。それに対し先生は、私の心臓にはペースメーカーのリード線が入っているので、薬の服用治療が好ましいと言われた。

 

私は15年前に、完全房室ブロック(心臓を脈動させるために、洞結節から送られる電気信号が異常となり、心拍数が極端に減少する病気)になり、ペースメーカーを装着した。

 

※改めて考えてみると、私の体は、心臓と脳という基幹臓器の病気を患いながら、よく頑張っているなと我ながら感心する。

 

ペースメーカー装着後は年2回の定期検査を行い、4年前には電池の寿命となり、新しい機器の交換手術をした。

 

ペースメーカーのお陰で、運動も健常者と同程度にできるようになり、テニス、卓球も楽しむことができ、四国遍路も2周歩いて回ることができた。

 

私の心臓の病気は電気信号の異常であって、心臓の内科的な病気ではないので、ペースメーカーさえ正常に作動していれば、問題ないと自分で勝手に 解釈していた。

 

それが、今回の病気で心房細動と聞いてびっくりした。年2回のペースメーカー定期検査では一度も指摘されなかったからだ。

 

脳梗塞での退院後、定期のペースメーカー検査があり、その時循環器内科の先生に質問し相談した。

 

①心房細動の治療法は?

・心臓にカテーテルを差し込んで、心房細動の異常信号を発信している個所を高周波で焼き切るというアブレーション治療を、当病院では多く採用している。危険度は1~6%

 

②私の心臓にはペースメーカーのリード線が入っているが、問題ないか?

・リード線が入っていても、この治療はできる。

 

脳梗塞再発防止の根源的治療としては、心房細動を治療することと思うが、先生のご意見は?

 

・現在の心房細動の症状(息切れ等)がそれほどひどくなければ、現在の抗凝血剤を規則正しく服用していれば十分。

 

・アブレーション治療をしても、抗凝血剤の服用は続ける必要がある。

 

・将来、大けがとか手術をするようなことがある場合は、アブレーション治療をしていれば、抗凝血剤の服用を一時停止できるというメリットはある。

 

 

ということで、脳梗塞再発防止として、アブレーション治療をするかどうかは、私がよく考えて今月末の診察日に決めることとなった。

 

迷っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サクラの動画

近所のソメイヨシノは花びらが半分ほど散り、黄緑色の若葉に変わっている。ピンクと黄緑の織り成す風情も良いが、前回投稿した時は、満開だったものが、将に「花の命は短くて」だ。そこがまたサクラの良いところでもあるのだが・・・

 

今回も未練がましく(サクラの精神に反するか?)、テーマはサクラとし、私の大好きな4曲をサクラ尽くしの動画で紹介しようと思う。私のような素人ではなく、プロ(?)が撮った美しい桜の映像と、素晴らしい楽曲をご視聴あれ。

 

①~③は有名な曲なので、皆さんご存じと思う。④は私が愛ちゃんファンということでお大目に見て頂きたい。

 

 

① さくら 合唱

  作詞:森山直太朗御徒町凧(共作) 作曲:森山直太朗 歌唱:森山直太朗

2003年5月3日発売のシングルB面に収録、(A面はさくら 独唱)

 

 森山直太朗さんデビュー二番目の作品で、彼の若くて瑞々しい歌唱が魅力的だ。

 


「さくら(合唱)」森山直太朗&宮城県第三女子高等学校・音楽部(コーラス)/2003(平成15)年

 

 

 

② サライ

  作詞:谷村新司 作曲:弾 厚作(加山雄三) 歌唱:加山雄三谷村新司

日本テレビ系列が年1回放送する「24時間テレビ(愛は地球を救う)の1992年第15回記念として作られたこの番組のテーマソング。私は24時間テレビは一度も見たことがないが、この曲は大好きだ。

ちなみに、サライとはペルシャ語の「家、旅館」の意味で、比喩的に「世間、世界」の意味にもなるそうだが、この歌のイメージから「オアシス」「故郷」との解説もあるがそれは間違いとのこと。

 


サライ - 谷村新司 加山雄三

 

 

 

③ 桜坂

  作詞作曲:福山雅治 歌唱:福山雅治

2000年4月26日発売のシングルに収録

この曲が流行った頃は、気にしていなかったが、15年程前、ラジオで布施明さんがカバーして歌っているのを聴いて、良い曲と思い好きになった。

※投稿時は女性がカバーしている動画だったが、消去されてしまったので、本人歌唱、醍醐寺撮影の動画に差し替えます。

 


桜坂 - 福山雅治(高音質)

 

 

youtu.be

 

  

④ 恋草子

  作詞:里村龍一 作曲:水森英夫 歌唱:森山愛子

2009年8月5日発売のシングル「東京挽歌」のカップリング曲として収録

3月1日投稿の「愛ちゃん 4」でも紹介したが、今回はサクラ尽くしということで、この動画を取り上げた。サイクルラインの桜並木を走行しながら撮った単調な映像であるが、音声は愛ちゃん本人。曲も二番まで。

 


南河内サイクルライン 桜並木 森山愛子 恋草子