私が属する自治会は、構成員が555世帯から成っている。それが12地区に分割され、それぞれの地区は5~10の班に分かれる。私の家は6地区3班にある。
3班の班長は、3班の11軒が一年毎に順番で務める。地区長は6地区の6班の中から、一年毎に地区長を出す班が順番で決まる。3班から地区長を出す年は、その年の班長が地区長も兼務するというしきたりだ。
今年は我が家が、班長になる年で、しかも3班が地区長を出す年に当たり、地区長も務めることになってしまった。
写真ACより kyooさんの作品
私の自治会の組織は、会長、副会長(7人)会計の役員の下に地区長、班長、会員で構成される。
さて、私が務めることになった班長、地区長とは如何なることをするのかというと、自治会会長名で送付された「自治会役員の役割について」によると、
①定例地区長会の出席(毎月1回)
②回覧物の配布
③自治会費の集金
④自治会事業の参加、運営、勧誘
⑤自主防災隊
⑥公園清掃
⑦新規入会の対応
⑧一般会員からの意見要望集約
とある。この中で④は、盆踊り、神社のお祭り、町民運動会、親睦旅行、クリーン作戦、防犯パトロール、防災訓練・・・と多彩な事業が並んでいる。
昨年はコロナ感染流行の為、盆踊り、神社のお祭り、町民運動会、防犯パトロール等が中止となった。
今年も又コロナで中止になるかもしれないが、例年のように全て行われたならば、忙しい思いをすることとなる。各事業は副会長が企画して仕切るので、地区長はその補佐をすることになるのだが、それでも自治会活動のために相当なマンパワーを割(さ)く必要がある。
毎年自治会役員の成り手が居なくて大変との話も聞くが、このように事業が多くては無理もないことだと思う。
近所付き合いというと、名古屋の実家に住んでいた頃は、生前の母親が社交的で絶えず近所の奥様連中とお喋りして、近所の方々とコミュニケーションを図り、各家庭のプライベートなことまでかなり詳細に把握していたようだ。どこかへ行った時などは、土産物等を近所に配り、ディープな付き合いをしていた。
当地へ引っ越してからは、連れ合いが生きていた頃は、それなりにお喋りもしていたようだが、亡くなってからは、御近所さんに路上で会えば、挨拶を交わす程度の極(ごく)軽いものになっている。
12年前、当時自治会長だった二軒隣のご近所さんから、副会長就任の依頼を受けた。私は当地に引っ越して以来、班長しかしたことが無く、自治会の事業にもほとんど参加してこなかったので、お断りした。
その後も会長さんから熱心に勧誘を受け、ここに30年以上暮らしていていながら、地元に何も貢献していなかったことに気づき反省し、一年限りという条件で引き受けることにした。
当時、副会長は現在の7人に対して3人で、先に記した事業を全部やったので、初めてのことで慣れないこともあり、かなり手こずり大変忙しい思いをしたが、何とか一年務めた。翌年今度は会長の打診があったが、一年限りの約束を理由に固辞した。以後また元の状態に戻り、自治会の事業には参加していない。
副会長が決まった時に、少しはこの地域のことを知っておこうと調べてみた。
まず、当地の歴史は、江戸時代17世紀中ごろ、江戸の町人が当時原野だったこの地を開墾して新田を作り村ができ、昭和16年に町となり、昭和29年に現在の市に編入されて市の一部になった。
昭和30年頃から、新田集落周辺の農地は市街化が進行し、農村風景は急速に失われたようだ。
私がここに引っ越してきたのは、今から44年前の昭和53年である。当時はもう農地は全く見当たらず、先祖代々受け継がれた地元地主さんの大きな屋敷の周りに、私のような他所から引っ越してきた新住民の住宅が町を形成していた。
その頃は、空き地が沢山存在し、少年野球やドッジボールの練習場、駐車場に利用されていた。その後それらの空き地は、新しい住宅が建てられ、近くに大学ができたこともあって、学生目当てのワンルームマンションも多く建設され、空き地はほとんど無くなった。
昔からの地主さんのお屋敷は立派なものが多く、その内の一つは、敷地が瓦付きの白い土塀で囲まれ、和風の大きな母屋と離れ、そして白い瀟洒なピアノの音色が聞こえてきそうな洋館もあった。
広い庭には市の保存樹木にも選ばれただろうケヤキの大木が聳え、塀の内側には沢山のハクモクレンや梅の木が植えられていた。塀の外側は駅へ向かう道路なので、これらの花を見ながら通勤していた。早春の頃、ミルクのような濃厚な白いハクモクレンが満開になった様は艶やかで、目の保養になり、通勤時の楽しみでもあった。
そのお屋敷が、数年前取り壊されて、跡地に5階建て約50世帯の高級マンションが建った。こんなに大きなお屋敷なので、相続税等の税金対策であろうとの噂があったが、土塀の外から花を楽しませてもらっていた者にとっては、寂しい限りだ。
ともあれ、班長、地区長を一年間頑張ろうと思う。