自宅リハビリ生活 5


<ウォーキング>

 

1月22日(金) 

 退院3日後、初めて家の周りを30分ほど歩く。

 

2月1日(月)

 前日、令和2年度の確定申告書を作成した。私の場合確定申告すると、ほんの僅かではあるが、税金が還付される。申告しなければ、ゼロであるので、小遣いの足しにでもと、毎年申告している。

 

税務署は我が家から、歩いて30分位の所にある。リハビリも兼ねて歩いて申告書を出しに行った。

 

提出して、この近くに、卓球の友人の家があるのを思い出す。彼とは7~8年の付き合いで、同じ年齢ということもあって、お互いの身体のことを気遣ったり、旅行にも2度ほどご一緒させてもらった。

 

去年の1回目の緊急事態宣言の後、私と彼が所属していたサークルが解散することとなり、以降彼とは会っていない。

 

家の前で電話すると、幸いに彼は在宅しており、玄関前に出てきてくれる。

 

私の脳梗塞の事を聞いて、非常に驚き、早い回復で何よりだと言って喜んでくれた。

彼は昨年暮れ、道路で転倒して、不自由な生活を強いられたと言っていた。

 

この日は、テニスの友人が昼過ぎに我が家へ、テニスの練習で使うカートを取りに来る

事になっていたので、卓球の友人とは「また来るから」と言って別れる。

 

帰宅して歩数計を見ると、歩行時間:約1時間、歩数:約9300歩だった。

 

2月2日(火)

 この日は、ウォーキングシューズを履き、13:00 歩くスタイルで出発、我が家から東方の、県境を流れる川を目指す。何度も通ったルートであるが、いまいち足が進まない。帰宅時疲れを感じた。

 

歩行時間:1時間40分、歩数:11,700歩

 

2月8日(月)

前日、お友達から紅梅と白梅の写真がが添付されたメールをいただき、私も急に梅が見たくなった。この日は、日中でも10℃以下の寒い日だったが、天気は良かった。

 

梅を見に行くとすれば、あの公園しかないなと西方を目指す。

 

途中舗道沿いに「きれいな街ってすてきね」との看板を掲げた菜の花が植えられていた。菜の花の数は多くなかったが、早春を感じた。

 

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極力、車の通らない住宅地の細い路地を、選んで進む。時々民家の庭にも梅が咲いていたが、まだ、1~2分咲きといったところか。

 

約2時間かけて、目指す公園に到着。前は1時間位で来れたのにな~と思う。

梅は5~60本くらいか。ここもほとんど咲いていなくて、1~2分咲きの梅も4~5本しかなかった。

 

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帰りは最短ルートを取る。

帰り道、歩きながら考える。2時間、3時間は歩ける。だが、何か違う。歩いていて入院前のような安定感が無い。足の運びもどこかおかしい。まだ失調が治っていないのか?

リハビリがまだまだ足りないのだと思う。

 

歩行時間:3時間20分、歩数:23,200歩

 

 

 

自宅リハビリ生活 4

MRI検査>

 

入院中に行う予定だったものが、私がペースメーカーを装着しているため、撮影には心臓電子機器や放射線専門の医師の立ち合いが必要で、入院期間中は、立ち合いの医師の調整が取れず、結局退院8日後の、1月27日の16:00から外来での検査となった。

 

MRI 検査は、強い磁力を発生する為、私のように体内に電子機器があると、発熱や移動が起こり、機器を損傷したり誤作動を起こすので、一般には撮像できない。

 

私が植え込んでいるペースメーカーは「条件付きMRI対応心臓電子機器」なので、特定の条件下ではMRI撮像が可能である。

 

MRI検査を受けることについては、今回この病気になって、まだ受けていなかったので、CTよりもより詳しく撮像できることから、私の方から希望していたくらいだ。

 

しかし、検査の前に、今回MRI検査を受けるに当たって、循環器内科の先生から、上記の説明と、危険性の話があった。

 

それによると、心臓電子機器による付加的な危険が生ずる可能性は0.1%未満、その内訳は、心停止(0.02%)、致死的不整脈誘発(0.06%)、デバイスの故障(0.03%)という。

 

循環器内科の先生は、これらの話をしたので、検査を受けるに当たって、同意書を書くよう求められ、私はその場で同意書に署名して提出した。

 

そして検査の当日、1月27日になって、この検査の危険性を思い出し、急に怖くなった。

 

危険の生ずる確率は、0.1%と低いがゼロではない。しかも0.1%という数字、飛行機の落ちる確率0.0009%に比べたら、100倍も高いではないか。

 

この日は、息子が付き添ってくれる。

 

病院へ行く前に、息子にMRIの危険性と、万一の場合も想定し覚悟するよう話し、娘には同様のことをメールして出発。

 

病院では、検査に入る前に、1時間以上待たされ、又検査室の前の廊下でストレッチャーに乗せられたまま、ペースメーカーのチェック等で30分以上かかり、ようやくMRIのドームの中へ身体全体が挿入された。

 

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          写真ACより acworks さんの作品

 

と同時に、「カンカンカンカン」というけたたましい音、そしてゴーっという音が連続する。耳にはヘッドホーンがしてあるが、あまり効果ない。

 

30分位ドームの中で騒音に耐えて、ようやくドームの外に出た。ホッと肩の力が抜ける。「あ~やっと 終わった!」と安堵の一声を発する。

 

それにしても、20年位前、この病院で、脳ドックMRIを受診したが、その時は、こんな音はしなかったと思う。

 

心配をかけた娘と、たまたま検査前にメールをくれたお友達に、検査無事終了のメールを送る。

 

息子は受付で1.5時間位待っていた。コロナで、付き添いは入室できないのだ。

 

息子と、とんかつ屋に寄って夕食とする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自宅リハビリ生活 3

<リハビリセンター>

 

1月29日(金)

前日、当センターと利用契約を結び、最初の利用日だ。

 

ここは、車による送迎もあるとのことだが、私の場合歩いて5分ほどの距離なので、送迎は無しで、徒歩による通所にしてもらった。

 

9:00 センターに到着。職員さんから、当施設の簡単な説明を受け、私のリハビリの指導をして頂く理学療法士のMさんが紹介された。

 

Mさんは、大きな体をした優しそうなスポーツマンタイプの男性だった。

 

軽い運動ができる服装になって、早速Mさんから、椅子に座っての主に下肢の筋力アップ、柔軟性の改善動作(ストレッチ)を指示され、それを行う。

 

今日は初回なので、早めに休憩を入れたり、負荷も極力抑えた動作となる。

10分ほど、最低の負荷で有酸素系マシンの自転車こぎも行った。

 

10:30 言語療法 言語聴覚士の Sさんから、主に舌の動かし方について説明をうける。私の場合、舌を引っ込める力や、舌を左右に動かす力が弱いようだ。Sさんに舌を掴まれ、舌を横に動かすように言われても、力が入らなかった。これからいっぱい練習せねばと思う。

 

11:00 フィットネスマシンが10台あるが、そのうち、6台を負荷を軽くして、職員さんに付き添ってもらい行う。

初回のリハビリ療法はここまで。

 

11:40 マッサージ器で足のマッサージをして、12:05終了 

 

始めてフィットネスマシン を使ったりしたので、翌日か次の日に筋肉痛になるかと心配したが、身体の異常は何も起こらなかった。

 

 

2月5日(金)

2回目のリハビリセンター

 

9:00 先週同様、歩いてセンターへ 今日は室内靴を用意したので履き替え、ズボンもひざ下までのスポーツパンツとし、より動きやすい服装でリハビリ運動に備える。

 

9:10 Mさんの指示は、前回より運動量が増え、負荷も上がったが、順調にメニューをこなしていく。

 

周りを見渡すと、15人程の利用者が、それぞれのメニューを一生懸命にやっている。

 

ストレッチだけを、1時間程やって、帰ってしまった利用者もいる。利用形態がそれぞれ人によって違うのだ。

 

10:30 言語療法 S言語聴覚士による言語機能訓練 先週同様舌の訓練

S さんによると、私の発語明瞭度(1から5の5段階:1普通、5最も悪い状態)

は1.5とのことだった。

 

11:00 フィットネスマシントレーニン

先週できなかった4台のマシンから始め、残りの6台も全てこなす。

 

11:40 ウォーキングマシン 使用するのは今回初めてなので、一番軽い負荷で、10分歩く。

 

後、足のマッサージをして、2回目のリハビリを終了。

 

今回は、張り切りすぎた。1回目の1.5~2倍位の運動量になったと思う。さすがに疲れた。

 

家に帰り、昼食を採り、二階の陽だまりの部屋の椅子に座ると、急に眠くなった。夕食も早くして、19:30には寝てしまった。翌日お尻や太ももに軽い筋肉痛が起こった。

 

 

 

 

 

 

 

自宅リハビリ生活 2

退院して、今日2月6日は18日目、徐々に日常の生活に戻りつつある。

<食生活> 

私は入院前は、塩分については、全く気にせずに食事をしていた。血圧は若干高く、腎機能を示すクレアチニンの数値も高めではあったが、定期的な内科医の健診でも、とくに注意は受けず、塩分を減らそうとの考えには至らなかった。

 

そして私は、塩分の多い食品(塩鮭、タラコ、つくだ煮;特に、アサリやハマグリの佃煮、更にメーカーまで言えば元祖桑名の新之助貝新時雨蛤、イカの塩辛、海苔佃煮、漬物;糠漬け、粕漬、奈良漬け、梅干し)が、大好きで、これらは毎朝の食卓には欠かせなかった。

 

それから、10年以上前に、お友達に通販の塩、醤油を薦められ、以来ずっとそれらを使用して料理している。

 

塩、醬油とも、市販品に比べると、かなり高価なものだったが、その商品説明によると、市販の塩には、にがり成分(硫酸マグネシウム)が多く含まれいて、それが血液を凝固させ、動脈硬化の原因となる。この通販品は、特殊な製法で硫酸マグネシウムを除去した製品で健康にも良いとある。

 

そして、その塩で作られた醬油(溜まり醤油)は実際味見をしてみると、凄く美味しく、即気に入って以降使うようになった。

 

この塩と醤油を使った料理をしているんだから、「塩分なんて気にしなくていいんだ」というような感覚だった。

 

糠漬けに使う塩もこの塩を使っているから大丈夫と毎朝、前の日漬けた糠漬けを翌日食べるのを楽しみにしていた。

 

入院中、塩分の少ない病院食を毎日食べて、舌が慣らされたのか、退院後、自分の作った料理とか市販の食品を食べてみると、塩味が凄く気になるようになった。

 

入院前の食生活からすると、考えられないことであるが、良い傾向ではあろう。

 

退院前の病院で、栄養士さんに、「一日、塩分は6グラム以下を目標にしましょう」と言われ、退院時、病院の本屋さんで、「塩分早わかり」と言う本も買ってきたので、今後は極力減塩に努めようと思う。

 

数年間愛用した糠漬けの糠床は処分した。

 

<料理>

料理と言っても特別な物を作るわけではないし、自分の物だけなので、入院前と同程度にできるようになった。

 

ただ、退院直後は、入院中は食べるだけでよかったものが、自宅では、作って、食べて、後片付けまで全部自分でせねばならず、面倒だなと思った。今は十何年もやっていたことなので、昔に戻って気にならなくなった。

 

<洗濯> 

洗濯と言っても、大昔のように自分で洗うわけではなく、洗濯機が洗ってくれる。我が家では、洗濯物は、2階のベランダに干している。従って、洗濯と言えば、洗濯機で洗浄脱水した衣料を二階に運び、角ハンガーの洗濯ばさみに挟み、物干ざおに吊るす作業を言う

 

これについては、二階へ運ぶのも重いとは感じず、特に入院前と変わらず行っている。

 

<掃除>

これも、退院後は、掃除機しかかけていないので、退院前と同じだ。風呂掃除は息子にやってもらっていたが、そろそろ自分でやろうかなと思う。

 

<買い物>

退院直後は、息子と一緒に行ったり、彼に頼んで買って来てもらったりしたが、ドラッグストアが、歩いて数分の所、スーパーが10分弱のところにあるので、荷が少なければ十分歩いて買い物に行ける。

 

一週間ほど前、大のレジ袋2袋いっぱいに買い物をしてしまい、重くて後悔したが、がんばって自宅まで辿り着いた。

 

<ウォーキング>

退院3日目、この日は天気も良く暖かかったので、初めてウォーキングをしてみた。病院のリハビリで、院内の階段を1階から8階まで手すりなしで上下できていたので、歩くことに関しては、心配はしていなかった。

 

しかし、建物内と屋外とは大違いだ。やはり、歩くんだったら屋外の方が、断然楽しい。屋外の空気を胸いっぱいに吸い込み、家の周りを30分ほど歩いた。短距離ではあったが満足した。

 

 

<音楽の力> 

1月21日 退院して始めて音楽を聞いた。1月3日の入院以来音楽は全く聞いていなかった。退院当日とその翌日は、バタバタしていて、音楽を聞こうという余裕はなかった。21日やっと落ち着き、久しぶりに聴いてみようかと思い立つ。

 

一番最初に聴いたのが、「The Elegance of Pachelbel-Serenade]

 


The Elegance of Pachelbel – Serenade

 

 ピアノの序奏のの後、バイオリンの奏でるメロディーが、鳴り響いた時、思わず胸が熱くなって、涙が流れた。音楽の力って凄いな~と思った。 

自宅リハビリ生活 1

1月19日(火)(退院の日)

 

14:00迎えに来てくれた息子の車で、先ずスーパーへ向かう。数日分の食料品を買い、すこし早いが、和食レストランで夕食とする。

 

コロナの時代、レストランでの飲食は極力避けるべきであるが、店には先客が一組いただけで、空いているし感染対策もしっかりいていそうな店だったので、入ることにした。

 

2週間以上、塩分がほとんどない 病院食を食べていたので、入院前の料理が食べられるのは嬉しい。

 

ビール好きの息子は車を運転しているので、我慢してもらって、私はグラスビールを注文する。メニューで迷ったが、天ぷら、刺身、茶碗蒸しにそばが付いたコース料理とする。料理は久しぶりの下界の味がして美味しかったが、ビールはグラス一杯飲むのがやっとだった。

 

自宅に着き、車から降りて、玄関への階段を登る。我が家は家の中はバリアフリーであるが、この玄関の4段の階段は、車いす対応となっていない。入院当初、この階段はスロープにするか手すりを付ける工事が必要となるかなと思った。

 

その階段を難なく上り、玄関から家の中に入る。家の中はほとんど、1月3日の入院時のままだ。

 

包丁はつかえるだろうか?と不安になり、ネギを刻んでみる。異状なく刻めた。

 

急に疲れが出て、20:00にベッドへ入る。

 

 

1月20日(水)~1月29日(金)

 

1月20日午前中、家の中を片づけていると、テニスの友人が、退院した私を気遣って、リンゴと苺をもって我が家を尋ねてくれた。

 

入院直後、メールができなくて、大変だった等の話をした後、彼は「この近くの国道沿いに、リハビリの施設ができ、オレの親戚も通っている」と言う。私は初耳で、興味を覚えたので、彼が帰った後、歩いて見学に行った。

 

昨日退院して、公道をまだ一人で歩ていない。始めての外の道で、恐るおそるゆっくり歩いてその施設へ向かう。

 

5分強でその施設「リハビリセンター」に到着。普通の足なら5分弱で着く距離だ。我が家からこんなに近くにこんな施設があったなんて驚きだった。

 

施設は新しくて清潔で、マシンも10台以上揃っていて、私の印象では、リハビリに特化した民間のフィットネスクラブのようなものかと思った。

 

施設の人に話を聞くと、ここは、介護保険を利用した通所介護施設だと言う。したがってこの施設を利用するには、介護保険に入る必要があるとのこと。

 

介護保険に入るには、どうしたらいいかというと、まず、市の保健医療センターへ行って申請手続きをしてくださいと言われる。

 

家へ戻りタクシーを呼んで、保健医療センターへ行って、申請をする。割と簡単に介護保険資格者証(介護保険暫定被保険者証)が交付された。これでリハビリセンターへ申し込みできるかと、甘く考えていたら大間違いで、このあと、市職員による面談、審議等を経て保健証が交付されるのは、2~3ヶ月先になるというではないか。

 

私は明日からでもリハビリセンターへ通いたいのに、何とかならないかと職員に言い寄ると、「高齢者支援センター」へ行って相談するよう言われる。

 

「高齢者支援センター」は「保険医療センター」から近い距離にあったので、歩いて訪れる。

 

「高齢者支援センター」では、中年の女性が対応してくれ、私の話と、直ぐにでもリハビリセンターに通いたいという希望も聞いてくれて、「分かりました。ご希望に添えるよう対処しましょう」と言ってくれた。

 

その後、「高齢者支援センター」から派遣されたケアマネさんが自宅に来て、面談され、「介護予防サービス 支援計画書」なるものを作成していただき、「高齢者支援

センター」と介護契約を行い、リハビリセンターとも上記計画書に基づき施設を利用するという契約を交わした。

 

というような、かなり面倒な手続きを経て、1月29日(金)から、晴れてリハビリセンターへ通うことができるようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の脳梗塞 (発症から退院まで 12)

1月17日(日)

今日は日曜日で、SCUの日勤看護師は、二人の若手女性看護師さんだ。一人は笑顔が素敵なカワイ子ちゃん看護師と、もう一人はSCUでは一番若くて初々しく、これまたカワイ子ちゃんの看護師さんだ。ホントこの病院の若い看護師さんはカワイ子ちゃん揃いだ。

 

そして、可愛いばかりでなくて、みんな仕事がよくできる。気立てが良くって親切で患者さんの頼りになる存在だ。

 

リハビリはお休みで、午前中は、パソコンのタイピング、構音リハビリとして「五重塔」等のテキスト朗読で自主練しながら、時間をつぶす。

 

午後になって、孫の三姉妹の一番上のお姉ちゃんから、これから、病院へ来てくれるとのメールが入る。娘が三姉妹を連れてやってくるというのだ。来てくれるのは嬉しいが、コロナで面会できず残念でつまらない。

 

娘はケースに入った三姉妹の写真を持って来てくれた。二番目が去年七五三で、写真スタジオで撮った写真だ。ケースは開きになっていて、左が二番目一人で撮ったもの、そして右が三姉妹並んだ写真、いずれも三人とも赤やピンクの着物で着飾り、髪の簪(かんざし)も可愛く、三人とも良い笑顔で、今迄で最高の出来の写真であった。

 

我が家には人様に自慢できるものが何も無いが、唯一自慢できるとすると、この

三姉妹の孫の写真か。

 

早速自慢したくなった。丁度二人のカワイ子ちゃん看護師も手が空いているようだったので、「ね~ね~見て~この写真」と言うと二人がやってきて、「わっ!可愛い、なにこれ~可愛いね~」と褒めてくれる。嬉しい。

 

「この子の目元、〇〇さんに似てますね~」(この子とは次女のこと、〇〇さんとは私のこと)そうかな~と考える。

 

看護師さんが去った後も、じっと写真を眺めながら、三人とも大きくなったな~と感慨に耽る(ふける)

 

 

夕食後、男性看護師さんから、退院後の注意事項を「脳卒中を予防するための十か条」という小冊子をもとに、レクチャーされる。

 

脳卒中脳梗塞脳出血くも膜下出血の総称)は、再発しやすい病気と冊子には書いてある。知らなかった。

 

その予防は、私に関係のありそうな項目としては、

1 .高血圧を治す

2. 食事の塩分・脂肪は控えめに

3. 体力に合った運動を続ける

 

特に2番は、入院前まで塩分は気にせず食事をしていたので、退院後は気を付けようと思う。

 

 

1月18日(月)

 

新しい週が始まった。この病院にお世話になるのも、今日を入れて後2日。

 

今日の日勤は、主任女性看護師、元ICU勤務の若手男性看護師さん、それと

昨日に引き続きカワイ子ちゃん看護師、若手女性看護師さんの4名体制。

 

リハビリの三先生には既に連絡が行っていると思うが、「先生方の適切なご指導のお陰で、明日退院できることになりました。どうもありがとうございました。」と明日の退院を報告する。 

 

今日のリハビリは三レッスンとも、今迄の復習で、淡々とこなす。

 

カワイ子ちゃん看護師さんが、きょうは5時頃に帰ると言う。彼女とは今日が最後なので、帰る前に私のベッドに立ち寄ってもらった。

 

彼女は、入院した1月3日の夜、体調も悪く不安な気持ちでいた時に、夜勤のあいさつで明るく元気な声で話しかけられ、可愛い笑顔を見て、どんなにか癒され、不安が払拭(ふっしょく)されたかを語り、礼を言った。その後も彼女の勤務時はその可愛さと笑顔から、いつも元気をもらったこと、これからも私のように患者の皆さんに、元気を送って欲しいと別れを告げた。彼女は手を差し伸べて握手をしてくれて去っていった。

 

 

1月19日(火)

 

いよいよ退院の日となった。

今日は家族(息子)が14:00頃迎えに来る。

 

リハビリは退院日の午前中、みっちり行うこととなった。

 

まずは、N先生の下肢リハビリ、いつものメニューを一通りやって、総仕上げに階段の上り下り、8階から11階までを2往復して終了とする。

 

先生からは、自宅でできる下肢リハビリのプリントを頂いた。N先生のお陰で、入院当初、足がフラフラしてとても歩ける状態ではなかったのが、8階の階段を手すりを使わず上下できるまで回復した。N先生に感謝感謝である。

 

続いて構音リハビリの最後のレッスン、自宅での舌の運動方法を教えてもらう。

 

私は、「男はつらいよ」の大ファンで、48作の映画をビデオ等で4,5回見ている。

映画の中で寅さんの語る啖呵売のセリフも好きで暗記している。

 

・結構毛だらけ、猫灰だらけ

・ヤケのヤンパチ日焼けのなすび、色が黒くて食いつきたいが、わたしゃ入れ歯で歯が立たないよ

・(少し下品だが)四つ、四谷赤坂麹町、ちょろちょろ流れる御茶ノ水、粋な姐ちゃん立しょんべん

・白く咲いたか百合の花、四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが、水臭い

・七つ、長野の善光寺、八つ谷中の奥寺で、手鍋下げても、わたしゃいとやせぬ

・あなた百までわしゃ九十九までともにしらみのたかるまで

 

自宅での自主練には、こういった啖呵売もいいのでは?と美人先生に訊いてみた。

先生は啖呵売はご存じではなく、笑って何も言わなかった。

先生のレッスン毎回楽しみにしていましたと鄭重にお礼を言って、先生の構音リハビリ

が終わった。

 

SCUに戻ると、T先生が待ち構えていて、リハビリ効果の確認テストをすると言う。

入院4,5日目で行ったテストが、まだ失調が残っており、とても字の書けるような状態ではない時期で、成績も悪かった。今回は年齢相応の結果と言うことで、T先生も満足されたことだろう。T先生のお陰で、全く書けなかった字も書けるようになった。

N先生同様、T先生にも感謝感謝である。

 

こうして、最後の最後までリハビリを行って、14時に迎えに来た息子と病院を後にした。

 

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映画のエンディングロールのように、今回の「私の脳梗塞」でお世話になった方々を、改めて以下に示し、謝意を表したいと思います。皆さん本当にありがとうございました。

 

・私を自宅から病院へ搬送してくれた 救急隊員3名

・病院で私を重篤な状態にはならぬように処置をしていただいた S主治医

・私の担当医 O医師

・SCUの看護師さん 主任看護師さん1名、 男性看護師さん6名、女性看護師さん8名

          助士さん 2名

・リハビリ先生  下肢担当 N先生、上肢担当 T先生、 構音担当 美人先生

・リハビリ病院選定時、情報を提供してくれた ソーシャルワーカーさん

・退院後の食生活について相談に乗っていただいた 栄養士さん

・家族       息子、娘

 

 

 

「私の脳梗塞(発症から退院まで)」  ー終ー

 

次回からは「退院後の自宅リハビリ生活」その他を投稿しようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の脳梗塞 (発症から退院まで 11)

1月15日(金)

早朝5:00頃、トイレへ行って帰ってくると、夜勤看護師さんが、椅子に座って眠っている患者さんたちをそれとなく目配りしていた。この時間は、朝の点灯前で一番落ち着く時間帯なのだろう。

  

先日リハビリ病院の件でコメントいただいたベテラン女性看護師さんに、「お手の空いた時にでも、医療の基本的なことを教えていただけませんか」と言うと、「今ならいいわよ」と言って私のベッドの横まできてくれる。

 

他の患者さん達はまだ就寝中なので、小さな声で質問を始め、看護師さんも小さな声で答えてくれた。

 

・血圧の単位は何ですか?:水銀柱です。では、血圧130というのは、130/760気圧とい                                  うことですね。そうです。

 

・人間が立っていて心臓から送られた足の血液が、静脈で重力に逆らって心臓まで戻るのはどうしてですか?足(ふくらはぎ)は第二の心臓と言って、血管の周りの筋肉が収縮して静脈の血液を戻す働きをするとは聞いたことがありますが、毛細血管までそんな働きがあるのですか?:心臓の収縮で拡張する時、吸引する力が働きます。又静脈には逆流しないように、逆止弁もついています。

 

・神経ってなんですか?で電気信号ですか?

 

・私は自立で歩けるのに、病院内のコンビニへ一人で行くことを許されないのは何故ですか?:SCUの患者さんは急性期の患者さんです。急性期は何が起きてもおかしくない期間です。だから、一人では許可されません。

 

というような全くの初歩的な質問をぶつけた。看護師さんは嫌な顔もせず丁寧に対応してくれた。

 

6:00の点灯時間となる。病院の一日が始まった。

 

 

朝一番に、看護師さんから明日11:00に、私の現状と、これからのことについて、S主治医から家族に面談があると告げられる。

 

N先生のリハビリが始まる。もう何時退院してもいいようなメニューを考えているみたいだ。

 

ルーチンの運動が終わると、私は1階のお店の並んだ通りに繋がった8階の階段へ連れていかれ、「1階まで手すりを使わず下りましょう」と言われる。

 

1階まで降りると本館フロアのかなり長い通りを一周する。再び階段へ戻り、8階まで一気に登る。さすがにはーはーする。しかし、1階から8階までの階段を上り下りしたという自信に繋がった。

 

 

 

1月16日(土)

 

11:00 主治医のS先生の家族面談があり、来週19日(火)14:00に本病院を退院し、リハビリ病院には行かず直接自宅へ帰ることが正式に決まった。

 

日勤の看護師さんに「お陰様で退院が決まりました」と報告すると、SCUから直接退院するのは極めて稀なケースだと言われた。

 

名古屋の妹や心配してくれているお友達に、メールで退院決定を報告する。

 

今日日勤の、実家が娘と同じ町のがんばり屋の看護師さんは、明日から遅い夏休みで、コロナで行くところもないので、実家に帰るという。彼女とは今日が最後となった。

 

彼女が帰る時、入院中大変お世話になったことの礼を言い、彼女の普段の頑張りを労(ねぎら)い、「これからもこの病院で働くことに誇りをもって頑張ってください。」と言ってお別れした。  Have  a nice holiday!!

 

 

                   ー続くー