水道みち 2


昨年の6月、一回目の緊急事態宣言が解除され、ウォーキングを再開した時、わが町に「水道みち」という歩くにはもってこいの道があることを発見し、歩いた。(2020年6月19日投稿)

 

1887年(明治20年)、わが町の平成合併前の隣町の取水場から、県庁所在市の浄水場までの43㎞にわたって1.5m径の水道管が敷設され、その上が「水道みち」として、歩行者、自転車の専用道路として整備されている。

  

わが国最初の近代水道として創設された由緒ある施設に係わる道だそうだが、当地に40年以上住んでいるが、この道については、恥ずかしながら知らなかった。

 

昨年は、畑の中の一本道を下流に向かって、住宅地の方へ歩いたが。今回は上流側の風景がどうなっているか知りたくて行ってみた。

 

2月23日(火)(祝日)

 

我が家から水道みちに辿り着くまで2時間近く要する。

 

ようやく、前回下流側に歩き始めた地点に到着、上流側に向かって歩き始めた。

 

昨年歩いた下流側は、道にレンガが敷かれていたり、両側の植栽もきれいに手入れされいて、歩いてとても気持ちの良い道であった。

 

今回の上流側は、砂利道であったり、舗装されていても非常に簡易なものであったりして、下流側に比べ手をかけていないと窺われる。

 

いきなり、道の両側が民家となり、道は一直線に進む。下流側では、こんなにも民家が水道道に迫っていなかった。

 

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しばらくすると、所々民家の点在する畑の中を真っすぐ進む。

 

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水道みちを歩き始めて、40分くらいで県道を横切る。県道の先は車も走れる一般道になってしまった。定規で引いたような一直線でもない。

 

庭の手入れをしている人がいたので、訊いてみると、これが水道みちだと言う。

 

イメージとは全然違うと思いながら、道なりに歩いていくと、道はこの地方最大河川の左岸段丘の崖の上に来て、そこから河川と平行して北上するようになる。左側下に河川の流れがあるはずなのだが、竹や木々が生い茂り、見えない。

 

しばらくすると「地域の文化財 ヤツボ」の看板がある。それによると、「ヤツボ」とは湧水を溜めた場所のことで、昔から地域の人々によって、飲料の取水や洗い場として利用されてきたとのこと。

 

崖を下る石段の道があったので、行ってみることにした。

 

「御神水」と書かれた石の横からちょちょろと湧水が流れ出していた。

 

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昔の人にとって、清い水は貴重な存在で、こんな崖の途中の立地条件の悪い場所でもありがたく利用していたのだろう。

 

そのヤツボの左側に、なにやらオドロオドロシイ恐ろしい顔をした蛇のような竜のようなものが小さな小屋の中に祀られていた。

 

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これは、龍蛇神というそうで、右の立て札には「その昔、文久年代中ごろ、目を患う行者が、湧き水(ヤツボ)で3年間目を洗い滝に打たれて修行して治した。・・・」と書いてあるが、龍蛇神との関係がイマイチ分からない。

 

 

崖の上に戻り、このまま進めば帰宅時間が遅くなるので、今日はここまでとする。

 

帰途、日の丸が掲揚されたお宅があった。一瞬何だろうと思って、よく考えると、今日は今上天皇の誕生日。今日は1000軒以上の民家の前を通ったと思われ、旧家もかなりの数だと思うが、日の丸を見たのはこのお宅1軒だけだった。

 

 

水道みちを昨年と今回、下流方面、上流方面と歩いてみたが、遊歩道としては断然昨年の下流方面のほうが優れていた。

 

歩行時間:4時間  歩数:27,400歩  歩行距離:17.8㎞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春が来た!

自宅リハビリ生活は継続中ですが、タイトルの「自宅リハビリ生活」は1~10までとします。

今回から、入院前のスタイルにします。リハビリのことも勿論書きますが、リハビリ以外についても、気の付いたこと、気になったことなどを綴っていきたいと思います。

 

 

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2月21日(日)

 

先週までは寒い日が多く、北海道や北陸地方では大雪が降ったと伝えられた。当地も木曜日までは寒かったが、土曜日から急に暖かくなり、今日21日は最高気温が20℃を超え一気に4月中旬の陽気となった。

 

陽気に誘われて、正午少し前にウォーキングに出かける。家の周りはまだ桜は咲いていないが、すっかり春になっていた。

 

現在も緊急事態宣言が発令中で、心底春を満喫という訳にはいかないが、暖かくなって花が咲くころというものは、気分的にも楽しいものだ。

 

 

住宅地から少し離れた空き地に、紅梅と白梅が一本ずつ慎ましく並んで咲いていた。

 

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住宅地を歩いていると、ある民家のお宅の庭に、それは見事なしだれ梅がほぼ満開の状態で咲き誇っていた。

 

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民家の梅の木

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高校横の道を歩いていたら、河津さくらと思われる桜が数本並んで咲いていた。

 

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桜の下の鉢植えの花(花の名前に疎くて、名前が分からない)

 

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ソメイヨシノ(まだ咲いていない)の下の菜の花畑(菜の花も桜に合わせて満開になるように調整しているようだ。)

 

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ここのお宅も庭に見事な、しだれ梅

 

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歩いていて、緑の葉っぱに黄色いみかん(夏ミカンぐらいの大きさ、ポンカンか?)はよく目立つ。

 

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花の正しい名前は分からないが、歩いていて目の保養になり、とても気持の良いものであった。

 

「春が来たな~」と嬉しくなった。

 

 

 

 

 

自宅リハビリ生活 10

<リハビリセンター 2>

 

3回目のリハビリセンター通所日(2月12日)の前日、右手指を怪我してしまい、12日は欠席した。翌週、センターにダメもとで「休んだ場合、振り替えでリハビリを受けることはできませんか?」と電話で訊いてみると、幸運にも振り替えは可能とのことだった。

 

12日の振替日を18日(木)としたので、今週は18,19日と二連チャンのセンター通いとなった。

 

 

2月18日(木)

 

始めて木曜日のリハビリに行った。指導員は、言語以外は金曜日とほとんど異なるメンバーだった。

 

下肢トレーニングを担当して下さったのは、女性の理学療法士の方で、私の身体の状態を見るために、「まず普通に室内を歩いてください」と言われる。

 

彼女は私の後ろを歩き、私の歩行を観察し、一周歩き終わると、「右の足の出し方が少しおかしいですね。 右腰、右のお尻と足がうまく連動していません」と指摘される。

 

成程、そうだったのか。ウォーキングで長距離は歩けるようになったが、歩いていて入院前と何かが違う、自分の歩行に何だか分からないが、違和感を感じていた。

 

さすが、理学療法士 ちょっと歩いただけで、私のおかしいところを見つけてくれた。

 

病気による右の失調がまだ残っているのだろう。この日の下肢リハビリは、右側を中心に筋力トレーニングとバランストレーニングを行った。

 

言語リハビリは、最近家でもサボることが多かったので、ほぼ二週間ぶりの本格的な舌のトレーニング、舌を口の中に引き抜く力、舌を左右に移動する力が相変わらず弱い。

 

10台のマシンを使ったマシントレーニングは、二回目と同じ負荷で行ったせいか、余裕で全台やり遂げることができた。サポートの指導員さんに姿勢と手足の動かし方が良いと褒められた。嬉しかったが、まだ、負荷が小さいからだろう。

 

2月19日(金)

 

張り切って歩いてセンターへ行く。途中、娘の通った幼稚園があり、まだ就業前で園児が運動場でやブランコ等の遊具で遊んでいる。最近の園児は大きくなったなと感じる。小学生かと思うような子供が沢山いた。同年代の一番下の孫を思い出す。

 

センターに着き、着替えて指導員さんの指示を待つ。

 

本日の下肢リハビリのメニューは、椅子に座りボールを膝に挟んでの足上げとか、腰ひねり、踵上げ、下肢内側部、体幹レーニングといった地味なものが多かった。センターだから1時間近くでもできるが、自宅で一人でこのメニューをやったら、すぐに飽きてしまいそうだ。

 

言語リハビリでは、言語聴覚士の先生から、左側の唇の上部に麻痺が残っていると言われた。口を開け顎を引いて「らりるれろ」と言う練習をするのだが、顎を引くと舌が上顎に届かず、上手く言えない。言語リハビリは時間がかかりそうだ。

 

10台のマシントレーニングは、3台くらい負荷が軽く感じたので、負荷を一段上げた。

 

ウォーキングマシンで20分歩いた後、マッサージ器で足をほぐし、今日のリハビリは終了とする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自宅リハビリ生活 9

<食事のこと>

 

今回入院して、普段普通に採っている食事がいかに大切なことかということに気付かされた。

 

まず、口から採ることができなくなると、胃ろう(胃に穴をあけて直接栄養を送り込む)や経鼻経管栄養(鼻の穴から胃まで管を入れ栄養を採る)で栄養を補給しなくてはならない。

 

私が入院していたSCU室の患者さん中にも、経鼻経管栄養のチューブを常に付けている患者さんがいて、その方は私が退院するまでそのチューブが外れることはなかった。

 

又他の患者さんは、病院食があまり食べられず、ほとんど残した時などは、看護師さんに「〇〇さん、ちゃんと食べないと、チューブになるよ」と脅されていた。

 

私は、点滴の後、おかゆ、普通のごはんと食事ができるようになり、チューブのお世話になることなく退院できたのは、大変幸せなことだった。

 

それと、しばらく口から食べていなかった人は、嚥下力(飲み込む力)が落ちているので、嚥下力が回復するまで食事はできない。

 

普段これらのことは、全く気にせず食事をしているが、普通に食べられるとは非常にありがたいことなのだ。

 

前にも書いたが、入院前と退院後とでは、食生活が相当変わった。

 

一番の変化は、入院前減塩食には全く気にしていなかったものが、退院後はあらゆる食品の塩分濃度が気になるようになった。

 

塩分は一日 6g以下が望ましいと、病院の栄養士さんに教わった。栄養士さんに薦められて買った「塩分早わかり(女子栄養大学出版部)」にいよると、意外にも、うどんやパンも結構塩分が含まれていることだ。

 干しうどん・ゆで250g中の塩分 :1.3g

 食パン4枚切り 一枚:1.1g

 

これも前にも書いたことだが、退院後、塩味を感じる味覚が非常に敏感になった。以前はほとんど感じなかった微妙な塩味が気になり、その食品自体がしょっぱくてあまり美味しくないとさえ思うようになった。

 

減塩を進めるには良い傾向ではあるが。

 

いずれにせよ、また以前のように、口から普通に食事ができ、美味しいと感じるようになったことに感謝しようと思う。

 

 

 

 

 

 

自宅リハビリ生活 8

<音楽の力>

 

「音楽」とは「音を楽しむ」か「音が楽しい」から名付けられたものか、よく分からないが、凄い力を持っているのだと今回気付かされた。

 

2月6日の投稿(自宅リハビリ生活 2)でも書いたが、一ヶ月近く音楽から遠ざかって始めて聴いたパッヘンベルの「セレナーデ」には心を揺り動かされ、胸が熱くなった。メロディーがじんわりと心に沁み、心底癒された気分になった。

 

それまで気にせず毎日聴いていたものが、一ヶ月近く音楽が無い生活をしても、それなりに生活できたし、不便も感じなかった。しかし音楽の無い生活とは、ゆとりとか心の余裕に欠けるのだろう。音楽を聴くとは心の余裕があるから、できることなのだと改めて分かった気がした。

 

そういえば、東日本大震災で罹災なさった方々が、震災直後はとても音楽を聴く余裕などなく、日々を過ごしていたが、慰問に来た歌手や楽団の音楽を聴いて、物凄く感動して心癒されたと言っていたのを、TVで見たことがある。

 

「セレナーデ」を聴いて感動したのは、無意識のうちに、心にゆとりのある生活に戻れた喜びを感じたからかもしれない。

 

その後、リハビリ生活で「セレナーデ」以外にもよく聴いている曲を紹介する。

 

 

① 葉加瀬太郎さんの「ひまわり」

 

この曲は、2010~2011年にNHKで放送された朝ドラ「てっぱん」のオープニングテーマ曲である。私も当時このドラマを見ていたが、良い曲だなと思ったが葉加瀬さんの作曲とは気が付かなかった。

 

この動画は、昨年秋ネットサーフィンしていて見つけたものだ。次に紹介する「情熱大陸」とともに、NHKホールで開催された葉加瀬さのコンサートの一部だ。

 

まずメロディが良い。曲の途中で入る「パーン」という音も非常に効果的だ。

 

後半になって、舞台が暗くなり、低い伴奏が続く。この時間がかなり長い。

 

そして、場内の照明が、パッと明るくなる、舞台にはバイオリンを肩にした70名ほどの子供たちが、中央の葉加瀬さんと主旋律を合奏し始める。子供たちは、男の子は白のシャツに黒の半ズボン、女の子は白いブラウスに黒のスカートといった至ってシンプルな衣装、70名の子供たちが同じ衣装で舞台を埋め尽くして真剣に演奏する。

 

この演出は、さすがというか素晴らしい。何回見ても、この子供たちが一斉にバイオリンを引き出す場面で、ぐっときてウルっとしてしまう。

 

特に、客席から見て右半分の最前列の一番左の女の子(葉加瀬さんの左前)は、最年少なのか周りの子供たちよりひと際小さいが、一生懸命弦を弾く健気な姿に感動する。

 

 


葉加瀬太郎 ひまわり【OFFICIAL】

 

② 葉加瀬太郎さんの「情熱大陸」 

 

この動画も①と同じコンサートのフィナーレを飾った曲だ。この動画の再生回数は、2600万回以上(ひまわりは1000万回以上)で、私が今までに見た動画の中では、最高だ。

 

フィナーレとあって、葉加瀬さんも始まるや否や、乗り乗りの状態で、観客を盛り上げる。曲調もディスコバージョンで、会場が一体になっての演奏だ。

 

走りながらバイオリンをひくというパーフォーマンスをみせる葉加瀬さんの演奏もさることながら、この動画では脇を固めるバンド奏者のソロ演奏が素晴らしい。

 

葉加瀬さんの主旋律バイオリンに続いて、まず太めのお兄さんのスチールギターのソロ演奏、パーカッションのお姉さん、ギター、シンセサイザーの演奏で一旦落ち着いた海の底へ落ちるような静寂の後、いかにもバンドマンといったお兄さんのソプラノサックスのソロ演奏、これが又超カッコいい。このお兄さん「ひまわり」ではフルートを吹いていた。管楽器はなんでもござれなのだろう。

 

そしてピアノソロでは、葉加瀬さんが、奏者を扇子で煽って盛り上げる。最後のソロはチェロ、座って引いていたかと思うと、立ち上がり、台の上に乗ってチェロをお腹の上に乗せ、のけぞって演奏するというパーフォーマンスまで披露するサービス精神だ。

 

この動画を見る度に、元気が貰える。

 


葉加瀬太郎 情熱大陸【OFFICIAL】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自宅リハビリ生活 7

<アッタ~‼ やってしまった~!>

 

家族からも、妹からも、お友達からも「自宅へ戻って、一人暮らしの様な生活をするのだから、無理しないでね!気を付けてね!」と散々言われ、本人も無理をせず、気を付けて生活しようと思っていた。

 

歩けるようになり、近所のスーパーやドラッグストアも歩いて買い物に行けるようになった。

 

一人で買い物ができるようになった頃、スパーで大のレジ袋二袋買い物して、10分弱の家まで両手で持って運ぶのは結構大変なことだと気が付いた。

 

そんな折、もう10年以上前に買って、今は全然使ってない買い物カートがあることを、思い出した。物置から引っ張り出して、よく見ると底の部分が錆びていてみすぼらしいが、キャスターの車輪はしっかりしているし、見た目は悪いが十分使えると判断する。

 

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これなら、2リッターの天然水6本の入った12㎏の段ボール箱も運べる。

 

一度このカートの使い具合を試すために、買い物をしてみた。その時は、水以外の買い物もかなりあったので、水はやめた。レジ袋を手で運ぶより、カート方が断然楽なことを確認する。

 

2月11日(木)

 

この日は買い物も少なかったので、水と他の買い物を一緒にして、カートに乗せる。ダンボール箱が嵩張るので、水以外の買い物はレジ袋に入れて箱の上に乗せる。レジ袋が半分くらいがカートの上の柵より頭が出た状態だ。

 

支払いを済ませ、店を出て我が家へ向かうには、店の前の車道を横断せねばならない。店の前の歩道と車道には25㎝位の段差がある。この段差を水の入ったカートを下ろそうとして、バランスを崩して、転倒してしまった。「やばい!!」と思ったときは車道に転がっていた。

 

近くにいた人が、二人ほど駆け寄って「大丈夫ですか?大丈夫ですか?」と言ってくれる。幸いこの時点では、特に痛いところも無く、頭も打っていなかったので、すぐに立ち上がり、気遣ってくれた人に謝礼を言い、車道に転がった、買い物袋をカートに乗せて横断した。

 

横断し終り、落ち着いて右手を見ると、薬指が腫れている。指を握ろうとしても、薬指だけ曲がらない。突き指でもしたかと考える。

 

痛みも出てきたので、途中にあるドラッグストアにより、薬剤師さんを呼出し、こういう時の応急処置する薬はないかと訊いてみる。薬剤師さんは、「冷感うす型パップ剤」を薦めてくれた。

 

帰宅してそのパップ剤を貼って、一時しのぎとする。

 

夕食を早めに済ませ、明日は、リハビリセンターの日なので、早めに床に就く。

 

明朝病院の整形外科に電話して、午後もやっているようなら、午前はセンターに行き、午後病院に行こうかと思った。

 

夜中、寝返りをしたとき指が布団に触れると、飛び上がるほど痛かった。

 

2月12日(金)

 

これはもう、朝一で病院へ行くしかない。リハビリセンターへ本日休むと連絡して、地元の総合病院へ15分ほど歩いて行く。整形外科はここが一番近いのだ。

 

10年ほど前テニスで転倒して小指を骨折した時も、ここの整形外科でお世話になった。

 

9:10受付をして、2時間半待ってようやく診察される。指はパンパンに張れ、待っている間も、ズキンズキンと痛かった。

 

先生に怪我の個所を見せてくださいと言われ、昨日自分で貼ったパップ剤を剝がそうとするのだが、痛くて痛くてなかなか剥がせない。看護師さんにも手伝ってもらってようやく剥がせた。

 

次にX線撮影、隣の中指と小指は何ともないが、薬指を少し伸ばしての撮影が我慢のしどころであった。

 

診察室で今撮ったX線写真を見ると、見事に第一関節から上の骨が5~6ミリ外れている。

 

先生は「脱臼ですね~」と言って、痛い痛い薬指に手をかけて引っ張ろうとする。私は身構える。看護師さんが「楽にして楽にして~、肩の力を抜いて~」と言って私の両肩に手を置いた。

 

先生が「1・2・3」 で指を引っ張った。私は恥ずかしながら「ぎゃー」と叫んだ。

 

その数秒後、今迄の指の痛みがほとんど無くなった。もう一度X線撮影して写真を見ると骨は繋がっていた。

 

治療はと言うと、脱臼した薬指と隣の中指をガーゼを挟んでテープで巻いただけ。

 

「このまま、一週間程、脱臼した薬指を休ませてください」とのことで、再診もなくこれでお終いだった。

 

拍子抜けしたが、大事に至らず 幸いであった。

 

今回の出来事を振り返ると、反省点が沢山ある。

 

・少し歩けるようになり、カートでの買い物も経験し、慢心した気持ちが働き、25㎝の段差も普通に降りられると判断した。

 

・荷物が軽ければ、バランスを崩すことの無かったろうが、カートには12㎏の水が入っていた。その影響を甘くみた。

 

・段差の小さなところまで、遠回りしてでも行くべきだった。

 

今回のことは、ブログに書けば「そらみたことか」とか「基本的に注意力が足りないね」とか言われそうで、、投稿はやめようかとも思ったが、自戒のためにも、公開する。

 

自宅リハビリ生活 6

<リハビリ計画書>

 

入院中、リハビリ病院への、転院をせずに自宅でリハビリ生活することを決めた。病院の医師等のアドバイスもあってのことだが、退院後自分で計画を立てて、実行すればいいんだと気楽に考えていた事も否めない。

 

去年の一次緊急事態宣言が発令された時、食料品の買い物以外、一歩も外出しない日が3ヶ月以上続いたが、運動不足を解消する為に、自宅内でサーキットトレーニングやステップマシン、我流ストレッチを組み合わせて毎日3時間くらい運動していた。

 

それと同じことをすればいいんだと考えていた。

 

退院真近の病院では、家へ帰ったらまず第一に、リハビリ計画書(タイムスケジュール)を作成しよう。それに従ってリハビリすれば、リハビリ病院へ行くのと同じではないかと思った。

 

しかし、退院してしばらくは、リハビリセンター申し込み手続きに負われ、リハビリ計画書も作らず、気の付いた時に、踵の上げ下げや、スクワットを適当にやって誤魔化していた。

 

そのうち、リハビリセンターへも通うようになり、リハビリ運動を施設内で先生に指示されて行う分には何ら抵抗はないが、自宅で一人でやっていると、単調なものが多く直ぐに飽きてくる。

 

リハビリセンターは週一回なので、残りの週六日は自宅でせねばならない。恥ずかしい話だが、退院後まだ自宅で満足のいく室内リハビリはほとんどできていない。

 

ウォーキングもリハビリとして、始めているが、やはり室内よりは、外の空気をを吸った方が気持ち良いし、外の色々な事象に触れた方が、脳の活性化にも効果がありそうで、足は自然と外に向いてしまう。

 

歩くだけでは使われない筋肉がいっぱいあるので、室内運動で補充するのが理想的であろう。頭では分かっているのだが・・・

 

 

今回は計画書も作っていないので、「計画倒れ」ではないが、「計画倒れ」といえば、遠い昔の学生時代、試験前にその試験に向けての、タイムスケジュールを作っていたことを思いだす。

 

作成時には十分余裕をもたせたつもりで作るのだが、大抵は試験間際にそのスケジュール通りはならず、あたふたとし、はしょったりして試験に臨んでいた。

 

そんなものだから、計画通りに勉強ができて、試験の結果も良かったというような記憶はほとんどない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と思っていた。