菜の花情歌

前回の「愛ちゃん」に続いて、演歌の話題です。

 

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この時期になると、私は無性にこの曲が聞きたくなる。

 

それは、永井裕子さんが歌う「菜の花情歌」である。

 

永井裕子さんは、1981年3月生まれだから、愛ちゃんより4年先輩だ。佐賀県佐賀市出身で中学2年14才の時、「NHK BS2 勝抜き歌謡選手権」全国大会でグランドチャンピオンになる。

 

その時審査員だった作曲家の四方章人さんにスカウトされ、高校卒業まで夏休みなどに、東京の四方先生の元にレッスンに通ったという。

 

愛ちゃんが、宇都宮の「おんなのど自慢」で作曲家の水森英夫さんにスカウトされ、東京の水森先生の元へ通ったのと同じ経緯だ。

 

2000年6月「愛のさくら記念日」で演歌歌手としてデビュー

 

とここまで、永井さんの経歴を紹介してきたが、永井さんには申し訳ないが、私は、彼女の曲は、「菜の花情歌」しか知らない。

 

 

私と「菜の花情歌」との出会いは、2年前の春、YouTubeの演歌専門チャンネルの中の、下記動画を見た時だった。

 

この動画は、詩、曲、歌唱、画像がまさに、ぴったりはまった秀逸な作品であった。

 

この動画を制作したのは、 queen chieko さん、chiekoさんは3年程前から演歌の動画を専門に制作し、その動画のコメントには、どんなに小さいものにも目を通し、必ず丁寧なお礼の返信をしていた。

 

私も愛ちゃんの動画などにコメントをし、それはそれは演歌を愛するchiekoさんの思いの籠った返信を頂き、恐縮したことがある。

 

このチャンネルは登録者数は少なかったが、chieko さんの視聴者を大切にする姿勢が伝わり、コメント投稿者も増え、視聴者同士も馴染みとなった。

 

chieko さんを中心としたファミリーのようなものまでできあがり、動画を通して曲以外のファミリーの日常生活の情報交換までもが投稿されていた。

 

そんなchieko さんのチャンネルが、登録者数を順調に伸ばしていった2年前の5月のある日、突然チャンネルのアカウントがYouTubeから抹消されてしまった。

 

私にはよく分からないが、chiekoさんの動画が、著作権に引っ掛かりレコード会社より提訴されたとのことだ。

 

動画が投稿されなければ、動画のコメント欄だけで繋がっていたchieko さんと視聴者の絆は全く絶たれてしまい、その後数か月ほど音信不通の状態が続く。

 

ある日突然、chiekoさんが名前を変えて新しいチャンネルを立ち上げたと知る。

 

私は新しいチャンネルも、しばらく視聴していたが、愛ちゃん以外の私の知らない動画がほとんどとなっていったので、chiekoさんに申し訳なかったが、お詫びのコメントメールをして、chieko チャンネルから卒業させてもらった。

 

その後、chiekoチャンネルは、2回目のアカウント停止されたが、chiekoさんは不死鳥の如く、3回目も名前を変えて復活している。今回紹介するものは3回目のチャンネルのものだ。

 

 

 

前置きが長くなったが、「菜の花情歌」に話を戻そう。

 

作詞は当代きっての作詞家、阿久悠さん、作曲は永井裕子さんの恩師、四方章人さん

 

まず、歌詞から見てみよう。さすが阿久さんだ、一語一語分かりやすい言葉で、情景が鮮やかに目に浮かぶ。凄く良い。

 

1. 三日続いた 西風が

  夜の終わりに ふと止んで

  窓を開ければ一面に

  菜の花咲いて 春でした

  これなら 沖から見えるでしょう

  沖の船から わかるでしょう 

  わたしが きれいになったのが

 

2. 陸(おか)を黄色に 染めたのは

  わたし迎えて ほしいから

  千も万ものハンカチを

  並べたようなつもりです

  これなら 沖から見えるでしょう

  沖の船から わかるでしょう

  わたしが 本気になったのが

 

3. 朧月夜(おぼろづきよ)の 菜の花は

  恋の褥(しとね)に なるでしょうか

  そんな想(おも)いに 頬(ほほ)そめて

  夢見て暮らす わたしです

  これなら沖から 見えるでしょう

  沖の船から わかるでしょう

  わたしの 涙が光るのが 

 

阿久悠さんは、淡路島出身なので、沖の船から見える淡路島か、瀬戸内の小島の菜の花畑をイメージしてこの詩を書いたのではあるまいか。

 

海の時化(しけ)の日が三日続いた後、夜明け前に風がやんだ朝「窓を開けたら一面に菜の花咲いて春でした」とパッと目の前一面に広がる菜の花畑に春の到来を感じ、心浮き立つ情景だ。

 

その後は、菜の花を若い娘に擬人化して、沖の船に乗る恋人に、見てもらいたい、気付いて欲しいと娘心の思いの丈を船に向かってアッピールしている。

 

2番ではこの娘さん、「千も万ものハンカチを並べたように、陸(おか)を黄色に染めたのは、わたしを迎えて欲しいから」となかなか積極的だ。

 

3番の「朧月夜の菜の花は、恋の褥になるでしょうか。そんな想いに頬染めて・・・」との艶っぽい表現は、阿久さん独特の若い娘の純情さを表す表現か?

 

この阿久さんの詩に対して、作曲の四方さんは、パンチがあって歌唱力も優れた永井裕子さんを意識してか、歯切れの良い演歌のメロディを付けている。詩によく合っている。

 

歌う永井裕子さんも、「これなら~沖から~見えるでしょう」の高音のサビの部分は伸びがあって素晴らしく文句なしだ。ちなみに永井裕子さんは、この動画には出てこないが、細面の美人である。

 

さ~て、お待ちどうさまでした。

作詞 阿久悠、作曲 四方章人、歌唱 永井裕子、動画 queen chieko

「菜の花情歌」たっぷりとご視聴下さい

 


菜の花情歌 / 永井裕子

 

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queen  chieko さんの動画が、削除されてしまいました。別の動画(KINGドレミファどんさんの投稿動画)を貼り付けし、ブログを更新します。(2022年2月28日)

 


www.youtube.com

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

森山愛子さん(愛ちゃん) 4

森山愛子さん(愛ちゃん)の4回目だ。

  1回目:2020年6月13日投稿

  2回目:2020年9月11日投稿

  3回目:2020年11月27日投稿

 

愛ちゃんは、2月26日から、事務所の先輩 坂本冬美さんの明治座公演に出演している。東京では緊急事態宣言がまだ解除されていない中、よく開催できたものだと感心する。

 

愛ちゃんは、2014年の大阪新歌舞伎座での「坂本冬美特別公演」に出演して以来、ほぼ毎年、坂本冬美さんや五木ひろしさんの公演にお呼びがかかり、出演している。

 

歌謡界の大御所二人に引き立てられるのは、彼女の歌唱力もさることながら、勉強熱心で忍耐強く頑張っている姿がが、認められてのことだろう。

 

特に坂本冬美さんは、なにかにつけ愛ちゃんのことを気遣い、愛ちゃんの15周年コンサートの時の衣装(赤いドレス)は坂本さんが、提供したということだ。

 

愛ちゃんも、これらの出演にはいつも感謝感激し、彼女の夢が自分の座長公演なので、芝居については、周りの役者さんたちにも助けられ、猛勉強を重ねているようだ。

 

今回の歌謡ショーでは、愛ちゃんは、このところのコロナ禍で、無観客での歌唱が多かったので、お客さんの前で歌える幸せに感激していた。

 

愛ちゃんは、3月15日の千穐楽までは、明治座公演をメインにした活動となるのだろう。

 

 

  

さて今回は、私のお気に入りの3曲の動画を紹介する。

 

①赤とんぼ

 

これは、愛ちゃんの、歌の上手さが実感できる動画だ。

 

愛ちゃんが、王様のブランチのレポーターをしていた時、来日したシンディローパーの前でアカペラで「赤とんぼ」を歌い、シンディローパーを感涙させたことは、芸能界では有名な話だ。

 

このことがあってか、「赤とんぼ」は2009年発売のシングル「キャベツ畑のサンマ」のカップリング曲としても収録されているし、愛ちゃんはこの曲を自分のコンサートでもよく歌っている。

 

 


森山愛子 赤とんぼ こぶしうなり解説付

 

愛ちゃんの歌唱力が抜群なことは、このブログでも何度も書いたが、彼女の歌の魅力は技術的な上手さだけではない。色々なものが複合されているのだ。

 

YouTubeの愛ちゃんの動画の全て(と言ってもいいほど)にコメントを掲載しているNさんが、この動画のコメントで、私の言いたいことを代弁してくれている。

 

Nさんのコメント

「愛ちゃんの歌の根本が、ここにイッパイ詰まってますね。郷愁、哀愁、優しさ、温もり、心地よさ、いつまでもあふれてきて、心の奥に深く染み入る余韻、愛ちゃんの魅力は言い尽くせません。素晴らしすぎて」

 

その通りなのだ。

 

 

②恋草子

 

この曲は、2009年8月に発売された「東京挽歌」のカップリング曲だ。

 

愛ちゃんのオリジナル曲は、2004年のデビュー曲「おんな節」から昨年の「伊吹おろし」まで28曲ある。近年のご当地ソング三部作(「会津追分」「尾曳の渡し」「伊吹おろし」)を除くと、ほとんどヒットしていなし、世の中に知られていない。

 

しかし、じっくり聴いてみると、カップリング曲も含め、どの曲も皆良い曲ばかりだ。もっともっと、多くの方々に聴いてもらいたいといつも思っている。

 


『演歌耳袋帖・アネックス』 恋草子 森山愛子さん。。19-10-31アップ

 

一番の歌詞「桜三月弥生の頃は、胸に涙の花吹雪・・・・」はまさにこれからの季節を背景に、若い男女の叶わぬ恋の切なさを歌ったものだ。里村龍一さんの歌詞も良いし、愛ちゃんの恩師水森英夫さんの作曲も歌詞にマッチして良い。

 

 

③演歌みち

 

この曲は松原のぶえさんの、オリジナル曲をカバーしたものだ。

 


森山愛子 演歌みち

 

松原さんのオリジナルも素晴らしいし、私も大好きなのだが、この愛ちゃんの動画を最初に見た時の印象は「森山愛子は、何でこんなにも可愛くて、歌も上手いんだろう!」だったので、その通りコメント投稿した。

 

この素朴なコメントに対し、Nさんから「おっしゃる通りですね。何でかは分かりませんが。とにかく可愛いですね。歌も上手いです。お気持ちお察しいたします。同感です。」との返信をいただいた。

 

あのカリスマ投稿者のNさんから返信を頂き嬉しかった。

 

 

この動画がアップされたのが、2017年10月だから、歌っているのは「会津追分」が発売されたころか。

 

この動画は歌の上手さもさることながら、彼女の可愛さが全面に出たものだ。

 

前奏曲が流れる中、舞台に登場すると、「愛ちゃん!」の野太い掛け声、それに満面の笑顔で応える仕草は、見ているこちらまで頬が緩み笑顔にさせられる。

 

そして歌い終わって、小鼻に皺をよせて明るく笑ってあいさつ、最後にもう一度「愛ちゃん!」の掛け声で〆る 臨場感あふれる動画だ。

 

余談だが、この愛ちゃんコールの主は、KさんであろうとNさんから教わった。

 

Kさんも、愛ちゃんコールをするくらいだから、愛ちゃんの熱狂的なファンなのであろう。動画のコメント欄の常連さんでもある。

 

いずれにせよ、この動画には癒され元気をもらえる。就寝前に見るのも良い。

 

 

 

 

 

リハビリ生活の現状

退院して一ヶ月以上経った。お陰様で、自宅での生活は不便を感ずる事もなく過ごしている。

 

個人的には、まだまだ復調はしていないと思っているが、今の私の状態を他人が見れば、もう病気は治ったのではないかと、思われるかもしれない。

 

・掃除、洗濯、炊事、布団干し、買い物等の家事は入院前していたことは、ほとんどできるようになった。

 

・歩くことも、2~3時間であれば、普通に歩ける。

 

話し言葉も、短い会話であれば、第三者は、私の不明瞭な言葉に気が付かないかもしれない。

 

しかしである。

 

・歩くことはできるが、まだ右足の運びがスムースではない。

・前進はできるが、横移動(サイドステップ)が怖い。

・歩けるが、走るのは怖い。

 

・私の言語は、言語聴覚士が聞けばおかしいところがすぐ分かる。

 現在の私の発語明瞭度(1から5の5段階評価、1.0:普通、5.0:発語が理解されない)

 は1.5。

 

 

今日(2月26日)も午前中、リハビリセンターへ行ってきたが、来所されている人の中には、障害の程度が重い方もおいでになって、歩くのも不自由にされている人も多い。

 

普通に歩けることを目標にリハビリされている人に比べたら、私などは非常に恵まれており、今の私の状態には感謝せねばなるまい。

 

しかし私の目標は、テニス、卓球が元のようにできることだ。

 

走ったり、横移動に不安がある現状では、とてもテニス、卓球はできない。

 

今日、理学療法士の先生に、質問した。

 

右足の運びが悪かったり、走ったり、横移動に不安がある原因は、どちらなのか?

①病気の右失調がまだ治っていない。

②3週間ほどの入院で、体幹、下肢の筋力が衰えた。

 

先生の答えは、両方とのこと。

①の失調は、人により治るのに時間がかかる。

②たった3週間の入院でも、筋力は確実に退化する。

 

「焦らず少しずつリハビリで、体幹軸を鍛えバランス感覚も向上させていきましょう」と言われた。

 

下肢トレーニング、体幹レーニングは、非常に地味なトレーニングで、センターでする分はいいが、自宅で継続してするとなると、かなりの意志の強さが要求される。

 

がんばらなくちゃ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水道みち 2


昨年の6月、一回目の緊急事態宣言が解除され、ウォーキングを再開した時、わが町に「水道みち」という歩くにはもってこいの道があることを発見し、歩いた。(2020年6月19日投稿)

 

1887年(明治20年)、わが町の平成合併前の隣町の取水場から、県庁所在市の浄水場までの43㎞にわたって1.5m径の水道管が敷設され、その上が「水道みち」として、歩行者、自転車の専用道路として整備されている。

  

わが国最初の近代水道として創設された由緒ある施設に係わる道だそうだが、当地に40年以上住んでいるが、この道については、恥ずかしながら知らなかった。

 

昨年は、畑の中の一本道を下流に向かって、住宅地の方へ歩いたが。今回は上流側の風景がどうなっているか知りたくて行ってみた。

 

2月23日(火)(祝日)

 

我が家から水道みちに辿り着くまで2時間近く要する。

 

ようやく、前回下流側に歩き始めた地点に到着、上流側に向かって歩き始めた。

 

昨年歩いた下流側は、道にレンガが敷かれていたり、両側の植栽もきれいに手入れされいて、歩いてとても気持ちの良い道であった。

 

今回の上流側は、砂利道であったり、舗装されていても非常に簡易なものであったりして、下流側に比べ手をかけていないと窺われる。

 

いきなり、道の両側が民家となり、道は一直線に進む。下流側では、こんなにも民家が水道道に迫っていなかった。

 

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しばらくすると、所々民家の点在する畑の中を真っすぐ進む。

 

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水道みちを歩き始めて、40分くらいで県道を横切る。県道の先は車も走れる一般道になってしまった。定規で引いたような一直線でもない。

 

庭の手入れをしている人がいたので、訊いてみると、これが水道みちだと言う。

 

イメージとは全然違うと思いながら、道なりに歩いていくと、道はこの地方最大河川の左岸段丘の崖の上に来て、そこから河川と平行して北上するようになる。左側下に河川の流れがあるはずなのだが、竹や木々が生い茂り、見えない。

 

しばらくすると「地域の文化財 ヤツボ」の看板がある。それによると、「ヤツボ」とは湧水を溜めた場所のことで、昔から地域の人々によって、飲料の取水や洗い場として利用されてきたとのこと。

 

崖を下る石段の道があったので、行ってみることにした。

 

「御神水」と書かれた石の横からちょちょろと湧水が流れ出していた。

 

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昔の人にとって、清い水は貴重な存在で、こんな崖の途中の立地条件の悪い場所でもありがたく利用していたのだろう。

 

そのヤツボの左側に、なにやらオドロオドロシイ恐ろしい顔をした蛇のような竜のようなものが小さな小屋の中に祀られていた。

 

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これは、龍蛇神というそうで、右の立て札には「その昔、文久年代中ごろ、目を患う行者が、湧き水(ヤツボ)で3年間目を洗い滝に打たれて修行して治した。・・・」と書いてあるが、龍蛇神との関係がイマイチ分からない。

 

 

崖の上に戻り、このまま進めば帰宅時間が遅くなるので、今日はここまでとする。

 

帰途、日の丸が掲揚されたお宅があった。一瞬何だろうと思って、よく考えると、今日は今上天皇の誕生日。今日は1000軒以上の民家の前を通ったと思われ、旧家もかなりの数だと思うが、日の丸を見たのはこのお宅1軒だけだった。

 

 

水道みちを昨年と今回、下流方面、上流方面と歩いてみたが、遊歩道としては断然昨年の下流方面のほうが優れていた。

 

歩行時間:4時間  歩数:27,400歩  歩行距離:17.8㎞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春が来た!

自宅リハビリ生活は継続中ですが、タイトルの「自宅リハビリ生活」は1~10までとします。

今回から、入院前のスタイルにします。リハビリのことも勿論書きますが、リハビリ以外についても、気の付いたこと、気になったことなどを綴っていきたいと思います。

 

 

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2月21日(日)

 

先週までは寒い日が多く、北海道や北陸地方では大雪が降ったと伝えられた。当地も木曜日までは寒かったが、土曜日から急に暖かくなり、今日21日は最高気温が20℃を超え一気に4月中旬の陽気となった。

 

陽気に誘われて、正午少し前にウォーキングに出かける。家の周りはまだ桜は咲いていないが、すっかり春になっていた。

 

現在も緊急事態宣言が発令中で、心底春を満喫という訳にはいかないが、暖かくなって花が咲くころというものは、気分的にも楽しいものだ。

 

 

住宅地から少し離れた空き地に、紅梅と白梅が一本ずつ慎ましく並んで咲いていた。

 

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住宅地を歩いていると、ある民家のお宅の庭に、それは見事なしだれ梅がほぼ満開の状態で咲き誇っていた。

 

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民家の梅の木

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高校横の道を歩いていたら、河津さくらと思われる桜が数本並んで咲いていた。

 

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桜の下の鉢植えの花(花の名前に疎くて、名前が分からない)

 

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ソメイヨシノ(まだ咲いていない)の下の菜の花畑(菜の花も桜に合わせて満開になるように調整しているようだ。)

 

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ここのお宅も庭に見事な、しだれ梅

 

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歩いていて、緑の葉っぱに黄色いみかん(夏ミカンぐらいの大きさ、ポンカンか?)はよく目立つ。

 

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花の正しい名前は分からないが、歩いていて目の保養になり、とても気持の良いものであった。

 

「春が来たな~」と嬉しくなった。

 

 

 

 

 

自宅リハビリ生活 10

<リハビリセンター 2>

 

3回目のリハビリセンター通所日(2月12日)の前日、右手指を怪我してしまい、12日は欠席した。翌週、センターにダメもとで「休んだ場合、振り替えでリハビリを受けることはできませんか?」と電話で訊いてみると、幸運にも振り替えは可能とのことだった。

 

12日の振替日を18日(木)としたので、今週は18,19日と二連チャンのセンター通いとなった。

 

 

2月18日(木)

 

始めて木曜日のリハビリに行った。指導員は、言語以外は金曜日とほとんど異なるメンバーだった。

 

下肢トレーニングを担当して下さったのは、女性の理学療法士の方で、私の身体の状態を見るために、「まず普通に室内を歩いてください」と言われる。

 

彼女は私の後ろを歩き、私の歩行を観察し、一周歩き終わると、「右の足の出し方が少しおかしいですね。 右腰、右のお尻と足がうまく連動していません」と指摘される。

 

成程、そうだったのか。ウォーキングで長距離は歩けるようになったが、歩いていて入院前と何かが違う、自分の歩行に何だか分からないが、違和感を感じていた。

 

さすが、理学療法士 ちょっと歩いただけで、私のおかしいところを見つけてくれた。

 

病気による右の失調がまだ残っているのだろう。この日の下肢リハビリは、右側を中心に筋力トレーニングとバランストレーニングを行った。

 

言語リハビリは、最近家でもサボることが多かったので、ほぼ二週間ぶりの本格的な舌のトレーニング、舌を口の中に引き抜く力、舌を左右に移動する力が相変わらず弱い。

 

10台のマシンを使ったマシントレーニングは、二回目と同じ負荷で行ったせいか、余裕で全台やり遂げることができた。サポートの指導員さんに姿勢と手足の動かし方が良いと褒められた。嬉しかったが、まだ、負荷が小さいからだろう。

 

2月19日(金)

 

張り切って歩いてセンターへ行く。途中、娘の通った幼稚園があり、まだ就業前で園児が運動場でやブランコ等の遊具で遊んでいる。最近の園児は大きくなったなと感じる。小学生かと思うような子供が沢山いた。同年代の一番下の孫を思い出す。

 

センターに着き、着替えて指導員さんの指示を待つ。

 

本日の下肢リハビリのメニューは、椅子に座りボールを膝に挟んでの足上げとか、腰ひねり、踵上げ、下肢内側部、体幹レーニングといった地味なものが多かった。センターだから1時間近くでもできるが、自宅で一人でこのメニューをやったら、すぐに飽きてしまいそうだ。

 

言語リハビリでは、言語聴覚士の先生から、左側の唇の上部に麻痺が残っていると言われた。口を開け顎を引いて「らりるれろ」と言う練習をするのだが、顎を引くと舌が上顎に届かず、上手く言えない。言語リハビリは時間がかかりそうだ。

 

10台のマシントレーニングは、3台くらい負荷が軽く感じたので、負荷を一段上げた。

 

ウォーキングマシンで20分歩いた後、マッサージ器で足をほぐし、今日のリハビリは終了とする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自宅リハビリ生活 9

<食事のこと>

 

今回入院して、普段普通に採っている食事がいかに大切なことかということに気付かされた。

 

まず、口から採ることができなくなると、胃ろう(胃に穴をあけて直接栄養を送り込む)や経鼻経管栄養(鼻の穴から胃まで管を入れ栄養を採る)で栄養を補給しなくてはならない。

 

私が入院していたSCU室の患者さん中にも、経鼻経管栄養のチューブを常に付けている患者さんがいて、その方は私が退院するまでそのチューブが外れることはなかった。

 

又他の患者さんは、病院食があまり食べられず、ほとんど残した時などは、看護師さんに「〇〇さん、ちゃんと食べないと、チューブになるよ」と脅されていた。

 

私は、点滴の後、おかゆ、普通のごはんと食事ができるようになり、チューブのお世話になることなく退院できたのは、大変幸せなことだった。

 

それと、しばらく口から食べていなかった人は、嚥下力(飲み込む力)が落ちているので、嚥下力が回復するまで食事はできない。

 

普段これらのことは、全く気にせず食事をしているが、普通に食べられるとは非常にありがたいことなのだ。

 

前にも書いたが、入院前と退院後とでは、食生活が相当変わった。

 

一番の変化は、入院前減塩食には全く気にしていなかったものが、退院後はあらゆる食品の塩分濃度が気になるようになった。

 

塩分は一日 6g以下が望ましいと、病院の栄養士さんに教わった。栄養士さんに薦められて買った「塩分早わかり(女子栄養大学出版部)」にいよると、意外にも、うどんやパンも結構塩分が含まれていることだ。

 干しうどん・ゆで250g中の塩分 :1.3g

 食パン4枚切り 一枚:1.1g

 

これも前にも書いたことだが、退院後、塩味を感じる味覚が非常に敏感になった。以前はほとんど感じなかった微妙な塩味が気になり、その食品自体がしょっぱくてあまり美味しくないとさえ思うようになった。

 

減塩を進めるには良い傾向ではあるが。

 

いずれにせよ、また以前のように、口から普通に食事ができ、美味しいと感じるようになったことに感謝しようと思う。