八月の濡れた 砂

八月の濡れた砂」は、1971年に公開された藤田敏八監督の日活映画の題名であるが、今回はこの映画と同名の主題歌を取り上げる。映画は学園紛争敗退後の1970年代の退廃した若者たちを描いたものだ。日活はこの後ロマンポルノ路線へ移行する。

 

主題歌は、作詞が若いころの吉岡治さん、作曲はむつつよしさん、そして井上陽水さんの奥さん石川セリさんが歌っている。

 

作詞の吉岡治さんは、後に「大阪しぐれ」「さざんかの宿」「細雪」「命くれない」「演歌みち」「天城越え」など演歌の大ヒット作を次々と生み出された演歌界の大御所だが、若いころは、この「八月の濡れた砂」や「悦楽のブルース」などの映画主題歌、ひばりさんの「真赤な太陽」千賀かほるさんの「真夜中のギター」などのポップスの作品を手掛けていた。11年前の2010年にお亡くなりになった。

 

 

まずは元祖オリジナルの石川セリさんの歌唱をお聴きください。

 


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八月の濡れた砂  歌詞>

  私(あたし)の海を まっ赤に染めて

  夕日が血潮を 流しているの

  あの夏の光と影は

  どこへ行ってしまったの

  悲しみさえも 焼きつくされた

  私の夏は明日もつづく

 

  打ち上げられた ヨットのように

  いつかは愛も 朽ちるものなのね

  あの夏の光と影は

  どこへ行ってしまったの

  思い出さえも残しはしない

  私の夏は明日もつづく

 

  あの夏の光と影は

  どこへ行ってしまったの

  思い出さえも残しはしない

  私の夏は明日もつづく

 

私は映画は見ていないが、歌詞の「あたしの海を真っ赤に染めて、夕日が血潮を流している」「悲しみさえも焼きつくされた」で情景が目に浮かぶ。この曲の物憂い、気だるい曲調に他の曲にはない魅力を感じ、夏の終わりの頃になると聴きたくなる曲だ。セリさんの倦怠感漂う歌い方は、この映画の主題歌としては、頗(すこぶ)る合っている。

 

この動画のコメントを読んでいると、この映画や、この曲が流行った70年代 を、自分の青春時代と重ねて懐かしむものが多い。

 

ある人はこの曲を、「乾いた虚無感が堪らない程好きだ」(山野凡太さん)と表現し、又ある人は、セリさんの歌い方を「「刹那的退廃的な歌い方が好き」(上田誠さん)、「エンディングに流れる炭酸の抜けたサイダーのような声がひどく説得力を持つ」(Friedrich Enngels さん)と絶賛している。

 

 

 

次に、門倉有希さんがカバーした「八月の濡れた砂」をお聴きください。

 


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門倉さんの少しハスキーな声質は、この曲のイメージにマッチしており、歌唱力も素晴らしく、私はこの歌い方も好きだ。

 

この動画のコメントとしては、

・「声に独特の雑味があり、表情も得をしている。歌手としてはとても良い。」(日御子さん)

・「・・・歌心の表現について、多彩な声質の素敵さ、個性的で変化に富んだロングトーンやビブラート、抑揚・・・・心こもる歌いぶり等、他の追随を許さない天才的な歌唱力があり、聴く人の琴線に大きな感動を与える」(佐藤理介さん)と最大限の誉め言葉を連ねている。私も愛ちゃんファンなので、応援している歌手を、言葉を尽くして褒めたいというファン心理は、よく理解できる。

 

 

 

最後に今回一番聴いて欲しかった森山愛子さん(愛ちゃん)のカバー曲を紹介します。

 

この動画はコメント欄のSmile Good さんの情報によれば、2013年2月24日にNHK BSPで放送された「昭和の歌人たち、作詞家 吉岡治」からアップされたものだそうだ。

 


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愛ちゃんは、前の二人に比べ、柔らかな声で素直な歌い方で歌っている。一言一言が優しく耳から入ってきて心に届く。とても心地良い。愛ちゃんは他の歌手の曲をカバーして歌う時、とことん納得のいくまで練習するのであろう、いつも完全に自分の曲として歌いこなしている。決してオリジナルの真似はしない。

 

愛ちゃんの歌唱は、前の二人のような倦怠感とか虚無感と言うものが、前面に出ていない。だからと言って、彼女の歌い方は、この曲に相応(ふさわ)しくないのかというと、決してそうではない。十分万民に響く歌唱だ。

 

それでは、どうして愛ちゃんの歌唱が、オリジナルのムードと異なっているにもかかわらず、心に響くのだろうかと考える。そのヒントになるかもしれないと、この動画のコメントを読んでみる。

 

・「数々の先入観を取り入れない雑味の無い歌唱、色々聴き比べてみても、やはり彼女の歌い廻しが飽きない。バックもできる限りソフトに仕上げている。軽やかな演奏の中にも、哀愁を盛り上げ耳にやさしく入り込んでくる。とてもいい。」(N さん)

 

・「オリジナルのどこか物憂げで、ため息ともとれる味も格別だけれど、一つの作品ととしてならば、彼女の歌唱力は、後の時代にも受け入れられる気がする。好きずきではありますが、私は好きです。」(N さん)

 

・「・・・セリさん、門倉さん共に個性豊かに歌われていますね。愛ちゃんはイメージにとらわれず、聴く人に委ねている処が凄いと思います。色を付けすぎない処ですが、なかなか評価されませんね。・・・」(N さん)

 

・「・・・映画のイメージに関係なく、誰もが聴けるのがまたある意味、普遍性があるのかなと、この歌い方で良ければどうぞ聴いて下さいみたいな、控えめでいて一生懸命さが好きなのです」(N さん)

 

・「・・・愛ちゃんの歌は、映画とは無関係に新しく蘇(よみがえ)らせたものですね。清々(すがすが)しく美しい名品になっていて、こちらの方が普遍性があり名曲の価値を高めていると思います。実に美しい曲になっています。」(herfan 3さん)

 

・「・・・とても美しい落ち着きのあるメロディを、愛ちゃんはソフトで伸びのある優しい声で素晴らしい詩の世界へと導いてくれました・・・」(Katsumasa Takeyama さん)

 

 

門倉さんの動画へのコメントに負けず劣らず、愛ちゃんへの熱い思いが伝わってくる。

ちなみに、N さんが指摘する愛ちゃんの歌唱の魅力は、伸びやかな中にも哀愁があり、時に温もり、力強さ、優しが兼ね備わっているということだ。

 

 

コメントを読んでいて気が付いたのは、「普遍性」と言う言葉がキーワードということだ。

 

オリジナルの個性的な歌を、誰もが聴いて感動するようなソフトで優しい普遍的な歌に変えてしまう。愛ちゃんが歌ったこのステージは28才の時だ。その若さで、そんなことができてしまう森山愛子と言う歌手の凄さに改めて脱帽した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Stay Homeで始めたこと

前回のブログでも書いたように、わが町も8月2日~31日緊急事態宣言が発出され、食料品や生活用品の買い物と、週一金曜にリハビリセンターへ行くこと以外は、自宅での巣ごもり状態が続いている。

 

リハビリセンターは緊急事態宣言下でも、休止とはならず通常の営業が続けられている。

 

今回は緊急事態宣言下で始めた新しい生活習慣について、記すことにする。

 

①室内運動

Stay Home となると、週一のリハビリセンターだけでは、運動不足が懸念されるので、今年も室内運動を再開してみようと思った。

 

室内運動は、昨年一回目の緊急事態宣言が発出され、外出を自粛していた時、初めて行い、本ブログでも投稿した。(2020-4-16 「室内運動」)

 

この時行っていたのが、

ⅰ. ウォーキングステップマシン 20分×2

ⅱ.サーキットトレーニング 15分×(2~3)

ⅲ. リバースランジ       20回×3 

ⅳ. ストレッチ

 

ⅰ. は昔テレビの通販で、草笛光子さんが宣伝していたものを購入した。20分以上の連続使用は油圧シリンダが異常に発熱するので不可との取説により、二回に分けた。

 

ⅱ. はYouTube動画「自宅で10分サーキットトレーニング」、これは脂肪燃焼ダイエット、美活にお役立ちとの触れ込みで、女性を対象にしたものらしい。

 


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インストラクターの田中いずみさんが、アシスタントのお嬢さんと二人で、丁寧に模範運動をして導いてくれる。動画のメニューは、ウォーミングアップ、サーキットトレーニング、クールダウンからなり、動画は25分くらい。(ウォーミングアップ+サーキット)は1回15分を、2回か3回連続で行う。

 

ⅲ. は、両手を腰に当てて、片足を後方へ目いっぱい引き、引いた足の爪先で床を蹴って元の位置に戻る運動で、左右の足を交互に行う。ウォーキングより脂肪燃焼効果が大きいとも言われている。

 

ⅳ.は相撲の四股(しこ)を基本とした股関節のストレッチ他、様々なストレッチ

 

昨年はⅰ~ⅳをほぼ2.5時間かけて、毎日行っていた。始めたのは宣言中の4月からだが、その後宣言が解除され、テニスや卓球が再開されても、それらが無い時は、12月まで続けていた。

 

今考えると、我ながらよく続けられたなと思う。

 

そして今年になって、久しぶりにⅰ~ⅳをやってみた。昨年のように、2.5時間続けるのは少々キツイと感じた。

 

今年は、ⅰのステップマシン、20分を1回、 ⅱのサーキットトレーニングを2回と、ⅳのストレッチを加えて計1.5時間くらいから始めた。慣れてきたら少しずつ延長しようと思う。

 

 

⓶鼻うがい

コロナ第5波はピークアウトの兆しが見られず、感染は拡大し続けている。先週の13日には、国内の新規感染者は、初めて2万人を超え、東京は5773人、その他、神奈川、千葉、埼玉など10を超える都府県で最多を更新した。

 

全国の医療も逼迫しており、対応策が手詰まりで、病気になっても通常の医療が受けられなくなりつつあり、医療関係者から「自分の身は自分で守る」というようなメッセージも出ているという。

 

先週、ワクチンを2回接種した60代の男性が、感染重症化してお亡くなりなったそうだ。ワクチンを打ったからと言って、油断は禁物だ。

 

TBSラジオの「おはよう一直線」という番組で、キャスターの生島ヒロシさんが、かなり前から、コロナの予防策として「鼻うがい」が有効のようだと言い続けている。

 

今迄、ラジオで聞いても、あまり乗り気ではなかったが、私もコロナの自衛策として、「鼻うがい」にチャレンジしてみようと思い立つ。

 

ネットで調べてみると、「鼻うがい」は0.9%の生理食塩水でうがいをするという。0.9%の食塩水を500㏄作る為には、食塩を4.5g正確に量る必要がある。我が家の料理秤は、最大2㎏、最小目盛が10gで、とても10g以下は計量できない。

 

ホームセンターへ行く。料理秤は沢山あったが、10g以下が測れる秤は見当たらない。店員さんに尋ねると、プロの人が使うような計器の並んだコーナーに案内された。

 

みな精密計器として、置いてあるようで、値段もいいお値段だ。その中に6.5×10㎝とコンパクトで、計量範囲が0.2~150gの丁度良い秤があったので、買い求めた。当然ではあるが、バネ秤ではなく、電池使用の電子機器であった。

 

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 帰宅して電池をセットして、食塩を計量できるようにしてから、いよいよ「鼻うがい」の準備にとりかかる。

 

<0.9%の食塩水を作る>

・水をいったん沸騰させて、人肌くらいまでのぬるま湯まで冷ます。(殺菌の為沸騰させ、冷たいと鼻がツーンとして痛くなるから) このぬるま湯500㏄に4.5gの食塩を溶かす。

 

<鼻うがいの方法>

鼻うがいの方法としては、下記がネットで紹介されている。

1. ドレッシングボトルのようなノズルの付いたボトルに食塩水を入れて鼻に流し込む

2. 洗面器に食塩水を入れて吸い込む

3. ストローで食塩水を吸い込む

4. コップで食塩水を吸いあげる

 

<実践>

 とりあえず初心者が取っつきやすそうな、3のストロー法でやってみる。

 

ネットに書いてある方法は、

・コップに500㏄の食塩水をいれ、片方の鼻の穴を指で押さえながら、もう片方の鼻の穴からストローで食塩水を吸い込む。(この時食塩水は飲み込まないようにする)

 

・ストローを外して、吸った鼻の穴から食塩水を出す。慣れてきたら、もう片方の鼻の穴や口から食塩水をだす。

 

であるが、まずストローと鼻の穴の間に隙間ができ、吸い込んでも食塩水が空気と混ざってうまく吸い込めない。ティッシュで隙間を詰めてようやく少量の食塩水が鼻腔から口に入った。その後その食塩水を鼻から出す。

 

誰もいないところで一人でやっているから良いものの、とても人様に見せられる姿ではない。

 

もう片方もやって、初回はここまでとする。このストロー法を翌日もやってみたが、ストローと鼻の穴の隙間から空気が漏れて、鼻の奥まで食塩水入ったという感覚が無い。

 

三日目は、4.のコップから直接食塩水を吸い込む方法をトライしてみる。

 

・食塩水をコップの縁まで満杯に入れて片手で持つ

・あごを手前に引き頭を少し前に倒す

・片方の小鼻を指で押さえ、もう片方の鼻をコップに近づけ、鼻の頭を食塩水の中へ浸け、食塩水を直接吸い上げる

・吸い上げた食塩水を鼻から出す。慣れたら口から出す

 

この方法だとストロー法より食塩水が鼻の奥まで入ったという感覚になり、一部が口にも入りしょっぱい。

 

以降はこの方法で続けることとする。

 

鼻うがいは風邪、インフルエンザ、花粉症などの簡単な予防法であるが、注意点もある。

それは、

・鼻に食塩水を入れる時は大きく上を向かない(耳に入り中耳炎の恐れあり)

・吸い込む時に、つばを飲み込まない(耳に洗浄液が入る恐れあり)

・終わって鼻を強くかまない(中耳炎の恐れあり)

などである。

 

健康法でやっていて、中耳炎でもなったら、本末転倒だ。

 

 

鼻うがいを始めて一週間ほどになる。少し鼻がスッキリした感じだが、まだ慣れず上手くできない。それと食塩水は作り置きができないので、人肌の温度の食塩水を毎回作るのが結構面倒だ。

 

 

 

 

 

八月になって

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          写真ACより  qwuさんの作品

 

八月になって、わが町の空も写真のように真っ青で、夏の白い雲が広がっている。今日(8月10日)当地の予想最高気温は36℃の猛暑日、暑くなりそうだ。

 

今年もコロナが収束しないまま、コロナ禍での二度目の八月がやってきた。  そんな中、コロナ第5波の感染が急拡大し、オリンピックは予定どおり開催され、8月8日に閉会した。

 

①コロナ第5波

前々回「ワクチン」のタイトルでブログを更新した時、東京都に4回目の緊急事態宣言が発令された一週間後には、東京都の新規感染者が、1400人と1月の第2波以来の高レベルになって驚いたと書いた。

 

その後、五輪が開催されても、新規感染者は増え続け、2000人、3000人を次々と突破し8月5日には、過去最大の5000人をも超え、感染爆発の体をなしている。

 

日付  8月4日(水) 8月5日(木) 8月6日(金) 8月7日(土) 8月8日(日)

感染者 4166人    5042人    4515人    4566人    4066人

1週間前

の増加  989人    1177人    1215人    508人    1008人

 

今回の感染爆発は、ウィルスが従来のものと比べ、感染力が格段に強いインド由来のデルタ株に置き換わり、ワクチン未接種の50代以下の若年層に急速に感染が拡大したようだ。

 

その他の拡大要因としては、コロナ疲れや五輪開催による危機感の減退、ワクチン接種による気の緩みが考えられる。

 

後者は、最近の欧米において顕著にみられる傾向で、ワクチンを打ったことによる気の緩みが感染予防効果を上回って、感染拡大に繋がっていると指摘する識者もいる。

 

政府の感染症対策分科会の尾身会長は、国民全体での危機意識の欠如が大きな要因と考え、国のリーダーに「今は国民全体で危機意識を共有し、コロナに立ち向かう」という強いメッセージを発信するよう繰り返し訴えているようだが、如何(いかん)せん我が国のリーダーは、そこのところが苦手のようで、なかなか危機感、緊張感が国民に伝わらない。

 

感染の急拡大は東京都だけに止まらず、首都圏、及び全国に広がっている。 特に東京都に隣接する3県は、感染拡大傾向が著しいため、8月2日から31日まで緊急事態宣言が発出された。

 

わが町もそこに属するので、その対象となり、私の生活も影響を受けることとなった。 それは、市の施設を利用してのテニス、卓球の活動が8月6日~31日まで全て中止となったことだ。

 

テニスについては、この時期熱中症の危険もあり、「夏休み」として活動を休止するのも、悪くはないかもしれない。

 

8月5日、この日は、午前テニス、午後卓球と二つの予定が組み込まれていた。 この日、予想最高気温は35℃以上の猛暑日だったが、8月で活動できる最後の日だったので、ガンバって出かける。 朝からガンガン陽が照り付け、30℃以上と思われる中でプレイした。 スポーツドリンクも1.5ℓくらい飲んだが全て汗となる。

 

一旦帰宅して、シャワーを浴び、一休みして午後の卓球に参加する。 プレイしている時は楽しいので、何ともなかったが、帰って二度目のシャワーを浴びて気が緩むと、急に疲れが出て夕飯支度が面倒になる。 夕食を簡単に済ませ、早めに床に就く。

 

昨年も一昨年も夏の猛暑日で、テニスと卓球を掛け持ちすることは何度もあったが、キツイとかバテるとか、の感覚は余り感じたことは無く、帰宅してからも普通に生活していた。 それが今年は、一日に二つこなすと、身体に堪(こた)えるようになった。

 

今年1月の入院で、まだ体力が戻っていないのか、単に加齢による体力の減退なのか分からないが、明らかに体力は落ちている。

 

 

②オリンピック

開催直前まで、コロナ禍での開催可否や、開催運営について混乱したが、予定通り7月23日に開幕し、8月8日に閉会した。 期間中、選手村でコロナに感染した選手がでて感染拡大し、試合や大会自体がが中止になるというような、最悪な事態は免れることができた。

 

組織委員会のトップや幹部の言動には、賛同しかねることが多々あり、弁当の大量廃棄等の不手際もあったが、大会遂行スタッフや現場スタッフの懸命な努力とガンバリによって、無事閉幕することができた。 彼らの中には、自分の仕事に誇りを持てなくなった人もいると聞いている。 スタッフの皆さん、本当にお疲れさまでした。

 

私は昔からオリンピックの競技に特別な関心はなく、いつも見ていたテレビのレギュラー番組が、オリンピック中継で見られなくなることに不満を抱いていたくらいだ。

 

今回も、毎週見ていた日曜日朝のNHK「サラメシ」Eテレ新日曜美術館」が放送されず、テレビは見ずに過ごした。

 

そんな中、私が唯一見たのが「卓球女子団体」だ、これは準々決勝、準決勝、決勝の全てを生で見た。 決勝で中国に敗れたものの、 石川佳純伊藤美誠 平野美宇三選手人ともよく頑張った。

 

今回ずっと観戦していて、特に平野さんについては、卓球技術もさることながら、その、あどけなさ、可愛らしさに魅了されファンになってしまった。 試合中、緊張を解き瞬時に対応するために、常時両足を軽く動かしている様や、サーブを出す時の真剣な顔が堪らなく良い。

 

平野さんは、前回のリオ五輪では、補欠で試合に出られなかったが、今回正選手として活躍できて、本人も満足していると思う。

 

 

オリンピックは終わったが、今日から高校野球が始まる。 気の緩みが心配だ。

13日からはお盆だ。 コロナ禍ではあるが、一人でお墓詣りに行ってこようと思っている。

  

 

 

 

 

川井郁子さん

このブログを始めた直後と、昨年秋の2回、ジャズヴァイオリニストの寺井尚子さんについて投稿した。

     ・2019年9月23日 「寺井尚子さん」

     ・2020年11月13日「寺井尚子さん 2」

 

寺井尚子さんについては、今でもYouTubeでよく聴いているが、その時必ず近くの枠に表示されるのが、川井郁子さんの動画だ。

 

川井さんの演奏を始めて視聴したのは、寺井さんの「リベルタンゴ」と聞き比べるためだった。この時は、私が寺井さんの演奏に圧倒された直後だったため、川井さんの演奏は演出に凝っていて面白いなとは思ったものの、視聴後の感動は、寺井さんの方が勝っていた。

 

その後、川井さんの演奏も色々視聴してみると、舞台演奏は何れも、目で見ても楽しめるように演出され、演奏も芸大クラシックヴァイオリン出身だけあって、お上手であった。

  

今回は、川井さんにスポットを当ててみようと思う。

 

川井さんは、香川県高松市出身、今年53才のヴァイオリニストだ。ヴァイオリンのみならず、作曲家、大阪芸術大学教授、俳優など多方面で活躍されている。

 

6才でヴァイオリンを始め、小5の時、高松で行われた海野義雄リサイタルでサインをもらいに行って、海野氏から東京の海野氏宅に練習に来ないかと誘われる。以降2年間、月に数回宇高連絡船、こだまを乗り継いで日帰りで東京に通った。

 

東京芸大に入学以降も、クラシックヴァイオリンを弾いていたが、譜面通りに演奏することに疑問を感じるようになる。そんな時、タンゴの革命児といわれたピアソラの曲を聞く。それは、タンゴをベースにしたジャズ、クラシックの要素が取り入れられており、ジャンルを超えたピアソラ独自の音楽に触れ、深い感銘を受ける。

 

ピアソラを聴いたことで、自分も自分の音楽を表現したい思うようになり、以後作曲も手掛け、演奏も独自の表現を模索し、曲目もクラシックにとらわれないようになる。

 

以降はジャンルを超えた活動が多様となり、フィギアスケートの荒川静香さん、バレーの熊川哲也さんとの共演、国内外の主要オーケストラや、ポップス系アーティストとの共演も数多くこなしている。

 

自身の音楽世界を表現するために、舞台芸術と一体化した演奏パーフォーマンスで、音楽総監督として舞踊劇を作り出すといったこともやっている。

 

最近は「和」とのコラボレーションに傾倒し、7年前に発表された「夕顔・源氏物語より」は川井さんが、十二単のような衣装を纏ってヴァイオリンを弾き、セリフも語り、バックには雅楽の奏者が並び、一人芝居のような創作劇にもチャレンジしている。女優をやっていたので、その素養があるのだろう。YouTubeにも投稿されているので、興味のある方は検索下さい。

 

 

 

今回は数ある川井さんの演奏の中から、

リベルタンゴ」「死ぬほど愛して」「エル・チョクロ」の3曲を取り上げる。

 

①「リベルタンゴ

この曲は、川井さんの経歴でも書いたように、川井さんが現在の活動を始める基となったピアソラの作品である。ピアソラは、従来のタンゴに行き詰まりを感じ、ダンスの為の制限の多いタンゴからの脱却を模索する。当時若者達に人気のロックやジャズの形式をタンゴに取り入れて完成したのが、この「リベルタンゴ(自由なタンゴ)」だ。

 

この曲は又、寺井尚子さんも大切にしている曲で、この曲を通して、私が寺井さん、川井さんを知るキッカケとなったので、私にとってもご縁の深い曲である。

  

この動画は、2005年の嵐が丘Live concert tour  で収録されたものだ。

出だしは、島健さん(歌手の島田歌穂さんの夫君)の圧倒的で歯切れの良いピアノ演奏で始まり、しばらくして暗闇から川井さんが現れヴァイオリン演奏をする仕掛けだ。ピアノ、ヴァイオリン、ギターが一体になっての演奏はなかなか見ごたえがある。

  


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②「死ぬほど愛して Sinno me moro」

1959年に公開されたイタリア映画「刑事」の主題歌だ。映画の出演者はピエトロ・ジェルミクラウディア・カルディナーレと言った懐かし名前が並ぶ。歌っているのは、アリダ・ゲッリ、 ヨーロッパの曲なのに、どこか日本人の好みそうな旋律で、日本でも長く親しまれてきた。

 

この動画も、①同様 2005年嵐が丘Live concert Tour での収録である。

ギター前奏の後、聞き慣れたメロディを川井さんが切々と奏でる。後方に黒人ダンサーが現れ、ヴァイオリン演奏に沿って踊り、「アモーレ、アモーレ、アモーレ、アモーレミオ」と歌いだす。見た目の印象より歌は上手い。川井さんは陶酔した表情で、遠くを見据えて聴き入る。なんとも官能的である。

 

黒人ダンサーとのコラボが見事な動画だ。

 


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③「エル・チョクロ」

1903年アンヘルビジョルドが作曲したとされるアルゼンチンタンゴの代表作。「エルチョクロ」とはスペイン語で「とうもろこし」と言う意味だそうだが、由来は諸説あって不明。

 

今回紹介する動画は、川井さんが、腰までスリットの入った緋色のロングドレス姿で登場し、タンゴのリズムに合わせて、颯爽と演奏する。時々スリットから伸びる白い脚線に、世の殿方達は悩殺されてしまいそうだ。

 

ヴァイオリンの響き、リズムを刻むステップに魅惑される動画である。

 


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考える腸

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私の認識では、人間の身体の腸は、様々な食べ 物を分解吸収し、不要な物を排泄する消化器官だった。この一見地味な臓器である腸が、近年の研究で、実は自ら考え、感情にも影響を与えているらしいと報告されている。

 

 最近、腸に関するこのような話題が、出版物やTV等で度々報じられ、「腸が考えるって、どういうことなんだろう?」と気になっていた。

 

7月15日と22日、2週にわたってNHK  BSPの「HUMAIENCE]という番組で、「腸内細菌」を特集した番組が放送された。ご覧になられた方もおられると思うが、今回はこの番組で放送された内容と、私の知らなかった腸のこと等について記します。

 

 

①腸・脳の成り立ち

ヒトは、38億年かけて進化してきた生命の歴史を、母体内でたった約10ヶ月で再現して出産される。胎内で受精卵からまず最初にできるのが腸だ。腸が伸びて口と肛門ができ、腸から栄養を入れる肝臓ができ、空気を入れる肺ができ、上部が膨らんで脳ができる。つまり脳は腸の出先機関として進化したものだ。腸は第二の脳と言われているが、成り立ちからすると脳が第二の腸ともいえる。

 

②腸独自の働き

腸には脳に次いで神経細胞があり、独自の神経(腸管神経)を持ち、脳の指令が無くとも解毒作用を行ったり、肝臓、膵臓他の器官に指令を出すことができる。

体内に毒物が入った時は、脳が味覚等で検知する前に、腸が感知して、嘔吐させたり、下痢で体外へ排出させたりする。

 

③腸内細菌

 

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      (腸内細菌は、腸の表面の透明な粘液の中に棲んでいる)

 

 

ヒトには、3万種、100兆個、重量にして約1.5㎏の細菌が腸内に生息している。(ヒトの細胞は37兆個だから細胞の3倍)

 

腸内細菌は、食物から採った栄養素を餌に発酵することで増殖し、様々な代謝物を生成し人体の機能に影響を与える。

 

腸内細菌は種類ごとにテリトリーを保って棲み、全体に集団を作っている。これは、お花畑のようであることから、腸内フローラと呼ばれている。

 

③脳腸相関

脳と腸が迷走神経を介して、情報を交換し合い、お互いに影響を与える関係を作っている。脳から腸への指令が多いと思われがちだが、実際は90%が腸から脳への伝達信号だという。

 

前述した腸管神経は一億回路もあり、ネットワークを形成し、全身のどこに異常があるか、何の指令をどこに出せばよいのかを、腸は脳に伝達している。

 

「空腹感」は脳ではなく腸が考えて、食欲を促すホルモンが分泌されて、空腹の信号を脳へ送って空腹感が生まれる。

 

近年この脳腸相関には、腸内細菌が関与していることが分かってきた。それはマウスの実験から、腸内細菌がストレスの感じ方や、脳の神経系の発達に関わる存在であることが判明した。

 

すなわち、腸内細菌が 人の感情、思考、性格、食事や人の好みまでにも決めているというのだ。

 

カリフォルニア大学の実験では、ネガティブ思考と、ポジティブ思考の人の腸内細菌はその種類や割合において、明らかな違いがあったという。

 

⑤腸内細菌の起源

地球の生命体は、酸素の無い原始地球で細菌から始まった。27億年前シアノバクテリアが誕生して地球上に酸素が増えはじめると、細菌たちは酸素を好む好気性細菌と酸素に触れると死んでしまう嫌気性細菌に分かれて進化していく。嫌気性細菌は酸素の行き届かない深海、岩石の中、海底火山の火口など酸素の無いところで子孫を増やしたが、もう一つ絶妙な場所を見つける。それがヒトや動物の腸内だ。

 

大腸内は酸素が無く原始地球と同じ環境だ。しかもここはヒトが食べることによって、自動的に餌がやってくる。腸内細菌にとっては、地球上で最も住みやすい楽園なのだ。

 

⑥ヒトを操る腸内細菌

<食の好み>(京都府立医科大・内藤教授の考え)

ヒトが何かを食べたいと思うのは、腸内細菌が食欲や報酬系(欲求などを生み出す神経回路)を支配しコントロールしているからであって、腸内細菌自らの生存の為だ。

ヒトの食の好みは、腸内細菌によって操られている。

 

<ヒトの好み>(慶応大・金井教授/京都府医大・内藤教授の考え)

ヒトがヒトを好きになる、その相手(好み)を腸内細菌がキッカケとなって、決めている。ショウジョウバエの実験から同じ腸内細菌を持つ者同士が76%の確率で結ばれた。

これは、腸内細菌がメスのフェロモンの分泌に関わり両者を結び付けたと考えられる。同じ腸内細菌を持つ者同士が結び付けば、食生活を共有でき共に生きやすく生存に有利となるからである。(フェロモン以外の体臭も細菌が作っている可能性がある)

 

   

⑦腸内細菌と免疫

腸内細菌は病原菌やウィルスにより自分も被害を受けるので、ヒトの免疫細胞を誘導して病原菌を退治する。これによりヒトも病気から逃れられる。

腸内細菌は、免疫の暴走を抑える働きもする。

 

⑧腸内細菌を用いた難病治療

今迄原因が分からず治療法も確立していなかった「潰瘍性大腸炎」が、 順天堂大において患者にドナーの便を移植することにより、腸内細菌の環境を変えて病気が改善した。

 

現在、うつ病パーキンソン病アルツハイマー病などの脳の病気と腸内細菌の関係が、盛んに研究されていて、近い将来、腸内細菌を利用した治療法の発見が、期待されている。

 

 

腸内細菌については、まだまだ未知なることが多く残っている。ヒトの腸内細菌は、この地球上で最も快適なヒトの腸を棲みかとし、決してヒトの為ではなく自分たちの生存のために様々な活動をし、それが結果的にヒトの生命維持に恩恵を与えている。

 

言葉を換えれば、ヒトは腸内細菌によって生かされているというべきかもしれない。たとえそうだとしても、腸内細菌は、身体の働きを助長してくれ、幸せホルモンのセロトニンも沢山作って、幸福感に満ちた感情を醸し出してくれているのだから、これからも仲良く付き合っていきたい共生者だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワクチン

7月12日、東京都に4回目の緊急事態宣言が発令された。それから1週間経ったが、新規感染者は減るどころか増え続けている。14日に1000人を超え第4波のピークを上回わり、15日1308人、16日1271人といずれも前の週より増加し、17日には1410人と第2波の1月以来の高レベルとなってしまった。

 

15日の東京都モニタリング会議では、このままのペースで感染が進めば、2週間後には1400人を超え、、4週間後には2400人を超えると報告された。(2日後の17日には、早くも1400人を超えてしまったが・・・)

 

昨年初め、国内でのコロナ感染が認められてから、もう一年以上に渡って、国、自治体、企業、個人が感染対策を行ってきた。しかし、ウィルスがどんどん変異し進化しているのに、それに追いつく有効な手立てが打てずに、感染が拡大したり一時的に縮小したりを繰り返しながら、今日に至っている。

 

2年近くも自粛と我慢の生活を続けていると、ストレスが蓄積して精神衛生上もよろしくない。そんな中で、コロナ対策として唯一希望を持てそうなのが、ワクチン接種だ。

 

昨年までコロナ感染者や、コロナによる死者において、悲惨な状況であったアメリカ、イギリス、イスラエルといった国々は、ワクチンの接種が進み、その効果が現れ感染者も減り、色々な規制も解除され、市民も元の生活にもどりつつある。

 

イギリスはワクチンでいったん減った感染者が、最近デルタ変異株により再拡大しているが、重症者数や死者はワクチンの効果で非常に少なく抑えられているという。ワクチンは万能ではないが、少なくともコロナにより重症化するリスクは抑えられ、医療崩壊の危機は避けられていそうだ。イギリスはこの理由で感染が拡大している中で、規制は全面解除しようとしている。

 

 

翻ってわが国を見てみると、残念ながらワクチンに関しては、世界の潮流から完全に遅れをとってしまった。わが国には開発能力があるのに、本格的な予算を付けた研究開発が先送りにされた。よって自国での開発が間に合わず、海外からの調達に頼らざるを得なくなり、納入時期の遅れから、接種開始時期も欧米に比べ著しく遅くなった。

 

それでも、なんとかファイザー、モデルナのワクチンが到着し、医療従事者、高齢者の順に接種が始まった。開始直後は予約が殺到して混乱したが、次第に接種の手際も良くなったのか、接種が進み、7月12日時点で、6000万回を突破したということだ。

65才以上で1回接種した人 76%  2回接種した人 47% になるそうだ。

 

政府は、接種を加速させるため、自治体による個別接種、集団接種に加えモデルナによる大規模集団接種、年齢等の制限のない職域接種を試みた。職域接種には、大学や企業が即反応し、申し込みが殺到したためワクチンの供給不足が発生して、接種の延期を余儀なくされているところが多いと聞く。

 

基本的な数量把握システムがうまくいってなかったのだろうか?心もとない話だ。

 

個人的には、私はお陰様で、申し込みもネットで待たされることもなく済み、7月11日に2回目の接種も終わった。副反応は、当日と翌日打った個所が痛かった程度で済み、後は体内に抗体ができるのを待っている状態だ。

 

 東京都の感染者に話を戻すと、重症患者の割合は、ワクチン接種が進んでいる高齢者は減少しているが、まだ接種が十分ではない4~50台が一番多いという。

 

京大西浦教授らのチームによる試算では、8月上旬に重症者用病床使用率が70%を超え、重症者のほとんどは、4~50代になるだろうとのことだ。

 

最近、4~50代問題としてクローズアップされつつあるが、働き盛りのこの世代が大量に感染し、重症化するということは、国家、企業、組織の重大な損失であり危機である。

 

この世代のワクチン接種は、自治体によりバラバラであるが、今のところ、若年層の後になるというケースがほとんどのようだ。

 

この世代の更なる感染対策の徹底と早期にワクチン接種が行われることを願っている。

 

 

先日テニスの練習会に参加したら、2回ほど休んでいた仲間が、「白い恋人」をもって現れ、北海道旅行をしてきたと言う。その仲間と奥さんは、既に2回目のコロナワクチンの接種後3週間経ったので、夫婦で行ってきたそうだ。

 

梅雨のない北海道は今旅行には最適な季節で、9日間の旅行期間中雨には一日も降られなかったという。宿は50%ほどの入り、コロナ前はインバウンドの外国人や国内の客でごった返していた観光地も人影少なく快適な旅を堪能できたという。

 

2年近く自粛している者にとっては、なんとも羨ましい話であった。しかし、自分が接種後3週間が過ぎたら、旅行したいという気持ちになるだろうか?と考える。第5波の感染が拡大中で、東京には緊急事態宣言が発令中の中での長距離旅行は気分が乗らないと思う。

 

まだ国民の大半がワクチン未接種で、感染の脅威に晒されながら通勤している人の前を、大きな旅行ケースで動き回るのは、さすがに気が引ける。

 

それとワクチンの効果は万全ではない。初期のウィルスであれば、ファイザーワクチンは95%の有効性があったというが、今流行りつつあるデルタ変異株の有効性は、それよりかなり劣るようだ。したがって、ワクチン接種していても、感染しないとは限らない。イギリスでは3回目のワクチンを接種するという話もある。

 

まだまだ我慢が続きそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

古いアルバム

名古屋の妹から、学生時代の古いアルバムが送られてきた。妹は少しづつ家の整理を始めたようで、それは母の遺品の中から出てきたらしい。母は晩年妹と暮らしていた。

 

そのアルバムは、私が名古屋を出た後、帰省した時に私が作ったもののようだ。写真は全て白黒写真、アルバムのページを開くと、何十年も前の記憶が一気に蘇ってきた。

 

<小学生時代>

まず、入学式直後の記念写真、近所の写真館で撮ったものだ。黒の学生服に半ズボン、学生帽をかぶって直立し、神妙な顔つきでカメラを見据えている。平凡な顔を、どことなく賢く見えるように撮っているのは、さすがプロのテクニックだ。

 

この写真をアルバムに貼りつけている時に、母が覗き込んで「この写真ね、写真館のショーウィンドウに、しばらく飾られていたんだよ」と嬉しそうに語っていたのを思い出す。

 

次は、一年生ひな祭り学芸会の時の写真、頭に冠をかぶり、白い着物に袴姿で弓を右手に持ち、左手をかざしている。その隣には、私と対称の姿でもう一人の男の子が写っている。この時、私の役は左大臣だった。

 

実は私は最初、主役の内裏様に抜擢されたのだが、お姫様と踊るスキップが、どうしてもできず左大臣に降格されたのだった。

 

 

小学校5年生の同級生に、麗(うらら)ちゃんという女の子がいた。当時の女の子の名前は、殆どが○○子と子の付く名前であったので、そのハイカラな名前は、クラスでも評判だった。彼女は地元代議士の娘さんで、バイオリンやピアノをやっていて、NHKや地元の民放に出演する為、時々授業を早退していた。私のような庶民とは縁遠い存在だった。

 

<中学生時代>

中学時代の写真は、クラス全員で撮ったものや、運動会、修学旅行の集合写真ばかりだ。

 

中学2年のクラス写真で懐かしい顔を見つける。おとなしく控えめながらしっかりしていて、清楚で可愛い女の子だ。私はこの子と同じクラスになって以来、ひそかに思いを寄せるようになった。初恋っていうやつだ。

 

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今と違って当時は、男女が話すことすらままならない状況で、私も遠くから眺めているだけだった。3年になるとクラスが変わり、教室では会えなくなった。登下校時、彼女の姿を見ただけで、ラッキーという思いが高揚し、胸がキュンとなった。今考えるとなんて純情だったんだろうと、当時の自分が愛(いと)おしい。

 

<高校時代>

高校時代の写真は、クラスの集合写真、学校で撮ったクラブの仲間や、仲の良い友人との写真、クラブの仲間と夏に御在所山へ登山した時の写真、運動会、遠足、修学旅行の写真が貼られている。

 

高校で親しくなった友人の一人が、なんと小学5年の時の同級生、麗ちゃんの従兄妹だったのだ。即ち彼は代議士の甥っ子で、伯父を尊敬していて、伯父の私生活の話も時々してくれた。その代議士は当時の野党党首にもなった大物だったので、興味津々であった。

 

修学旅行の写真は、かなりの枚数撮っており、その中には同じ中学出身で、違うクラスの美人と評判の女子生徒(初恋の人ではない)の写真もある。中学時代には女子生徒には口もきけなかったのに、「写真を撮らせてください」と言って撮った写真だ。4年間で進歩したものだ。

 

<大学時代>

この頃になると、俄然写真の枚数が増える。所属サークルでの活動時、郡上八幡合宿時の写真、学園祭、友人と旅した九州旅行、四国旅行、講座の先輩に連れて行ってもらった北アルプス縦走時の写真、私が幹事となって行った講座旅行(三方五湖、小浜、天橋立)の写真等が貼られている。

 

その中の一枚に、石川県加賀舞子の松林で、友人が持参したキャンプ用コンロでお湯を沸かして、紅茶を飲んでいる写真がある。この時私は旅行カバンの盗難に遭い、途方に暮れていた。

 

三年生の夏休みに、サークルの合宿が富山県宇奈月であるというので、現地集合の為、友人と二人で出かけた。途中、日本海で泳ごうということになって、北陸線の線路近くで泳げそうな地点を捜した。加賀舞子が良さそうだったので、そこで途中下車した。その海岸は、正規の海水浴場ではなく、海の家も無かったが、白砂・遠浅で泳ぐのに支障はなかった。

 

浜辺の草むらで服を脱ぎ、カバンの横に置いて海に入る。カバンの近くに男の人がいたが気にもせず、しばらく泳いで戻ると、私のカバンが無くなっていた。盗難に遭ったのだ。盗まれたのは、私のカバンだけで、友人のカバン、私の服、ズボン、靴は無事だった。

 

しかし、カバンの中には、財布、合宿費用、宇奈月までの切符、取ったばかりの運転免許証、着替え等が入っており、私は大いに落胆した。

 

文無しになってしまったので、そこから宇奈月までは、国道へ出てヒッチハイクでトラックやダンプを乗り継ぎ、なんとか合宿の旅館まで辿り着いた。

 

そして夕方、自宅から宿に電話が入り、長野県小諸の伯父さんが亡くなり、私も大変お世話になったので、葬儀に出席するよう言われる。合宿を途中で抜け出し、仲間にお金を借りて、宇奈月から夜の列車に乗り込んだ。

 

今となれば、懐かしい思い出である。

 

 

今回のテーマと似たような動画があったので、紹介します。

竹内まりやさんの「人生の扉」の歌唱をバックに、昭和42年に田舎の中学校を卒業した同級生会の模様が映像で流れます。

 


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