へんろ日記 11

3月13日アップした「へんろ日記 10」の続きです。

 

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11月21日(火)(晴)(2017年/平成29年)

<30日目 久万高原町

 

7:00 朝食 宿で朝食を摂るのは、宿毛の旅館以来5日振りだ。

 

7:30 出発 若女将に見送られて出発。外は寒い(-2℃) 昨日44番大寶寺は済ませてあるので、直接45番札所岩屋寺へ向かう。

 

岩屋寺は、山間(やまあい)の奥まった所にあるので、岩屋寺を経由して次の松山方面へは行けない。松山へ行くには、岩屋寺を往復し、一旦大寶寺近くまで戻って、国道33号を北上することになる。

 

8:15 峠御堂トンネル ほとんどのへんろは県道12号の車道を通って岩屋寺を往復するので、これから参拝するへんろと、参拝を済ませたへんろが道ですれ違うことが多い。

 

道路の反対側を歩いていたへんろとすれ違った。足摺岬手前の久百々で同宿した横浜へんろではなかったかと思ったが、声をかけ損じた。

 

9:30 ゴルフ場前バス停 岩屋寺へのルートは、この車道と、山中の「八丁坂」という険しい山道(修験の道)がある。3年前の初回は往復車道を使ったので、今回は行きは「八丁坂」から岩屋寺へ入り、帰路は車道を使う予定であった。

 

ところが、車道から「八丁坂」へ入る入口を見落としてしまったので、「八丁坂」は帰路に通ることとする。

 

10:05 門前下橋 岩屋寺の麓に土産物や甘味処のお店が並んでいる。その内の一軒でアンパンを買ったが、お金を支払う時に外した手袋を、この店に忘れてしまった。

 

10:30 45番札所 岩屋寺 ここは標高700mにある岩山全体を霊地とし、弘法大師の時代より山岳修行の場として、多くの修行僧の信仰を集めてきた寺だ。岩をくり抜いた穴で修行をした跡もある。お寺も崖の中腹に、岩山にめり込むように建っている。

 

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バスや車で来た参拝者は駐車場から寺まで急な坂道を2~30分かけて登らなくてはならない。年配の方や足の悪い参拝者にとっては、過酷な坂道だ。

 

10:45 八丁坂 参拝を済ませ、いよいよ八丁坂、岩屋寺の裏手から道が始まるが、標識が何もない。しばらく行くと不動明王を祀った祠があった。

 

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   (この写真ではよく分からないが、奥に赤い不動明王像がある)

 

修験道の道と言うので、鎖場とか崖の道とか、かなり険しい道を想像していたが、今まで通って来た山岳のへんろ道とそんなに変わらなかった。

 

12:00 八丁坂の尾根から下ったところで、この一週間くらいの間に何回も宿で同宿した横浜へんろに会う。彼はこれから八丁坂を登って岩屋寺へ向かうと言う。

 

12:45 県道12号

 

13:55 国道33号

 

14:20 ホームセンター K 昨日の雨中歩行で、雨具のセパレートズボンが破れてしまったので、作業用のレインズボンを、撥水スプレー、手袋とともに購入する。

 

15:30 T庵 着。この宿は松山と久万高原を結ぶ国道33号の三坂峠トンネルを建設した時に、ゼネコンが仮設事務所として使用していた建屋を、工事終了後に遍路宿に改装したものだ。

 

入り口に薪ストーブがあって、薪ストーブの柔らかい穏やかな温もりが何とも言えずに心地良い。

 

主(あるじ)はまだ若く(40台位か?)個性的で、夕食時、遍路の近況を語ってくれた。最近は歩きへんろの数が減少し、へんろ宿としての経営は厳しくなっていると言っていた。(今日も客は私一人)

 

 

30日目の歩数 46,500歩    歩行距離 30.2㎞

 

 

 

11月22日(水)(曇→雨)

<31日目 久万高原町松山市道後>

 

5:30 朝食 ここも、6時前に朝食にしてくれて助かる。

 

6:05 出発 天気予報では、11時頃から雨なので、出発時から昨日買ったレインズボンを穿く。見た目普通のズボンと変わらず、防寒にもなることを知る。

 

6:40 三坂峠 峠から少し下ったところで、松山市とその向こうの瀬戸内海・伊予灘が見える。今までこの旅で見てきた海は、太平洋・土佐湾宇和海だったので、又新しい海と出会えることが嬉しい。

 

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7:20 休憩所近くの碑 碑文には「石濱典夫氏記念碑」とあるが、よく分からない。

 

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8:45 46番札所 浄瑠璃寺 小さなお寺ではあるが、境内は掃き清められ、こざっぱりしていて気持ち良い。参拝後、鐘を突く。納経所の和装の女性は、品があって優しく対応してくれ感じ良かった。

 

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9:15 47番札所 八坂寺 46番からわずか15分の距離にある。

 

次の48番に向かう途中、重信川の長い橋の半ばあたりから雨が降り始める。

 

10:20 48番札所 西林寺 雨が本降りになってきた。始めさんや袋をレインコートで被せていたが、レインコートを後ろ前に着て、さんや袋を雨から守る。

 

10名程の男性団体へんろ(地元の人達か?)が、私の後ろに付いて来る。何だか落ち着かない。一人で気ままに歩きたい。

 

11:30 49番札所 浄土寺 平安時代中期に「南無阿弥陀仏」を唱えて人々に念仏を広めた空也上人と縁深く、空也ゆかりの事物が多く残る寺である。

 

その中でも、重要文化財に指定されている寄木造りの「空也上人立像」は、口元から「南無阿弥陀仏」の6文字の念仏が仏の姿になったということを表わしている。(空也が創建したと言われる京都の六波羅蜜寺にも同形の像が所蔵され、そちらの方が有名で教科書にも載っている。)

 

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参拝を済ませ、納経所の横で休憩していると、出張で松山にきて、この寺に立ち寄ったと言う男性に声を掛けられる。歩きへんろの途中だと告げると、その人は非常に驚いた様子だった。

 

49番から50番に向かう時、雨はザーザー降りとなる。五木ひろしの「夜明けのブルース」を替え歌にして「ここは松山!土砂降りの雨~」と、ヤケクソ気味に鼻歌で歌いながら歩いていたら、道を間違え、遍路標識を見失ってしまった。

 

道を訊こうにも、この雨で誰もいない。雨宿りの出来るところで、スマホのグーグル地図から現在地を確認し、何とか50番に辿り着く。

 

12:30 50番札所 繫多寺

 

13:20 コンビニ L コンビニでおでん(こんにゃく、じゃこ天、ちくわ、じゃが芋)を買い、ここはイートインできないので、店の外で立ち食いする。

 

雨は一段と強くなる。この辺りは松山市の住宅街の大きな通り、車の往来は多いが、雨もあって人は誰も歩いていない。一昨日人気(ひとけ)のない雨の山の中で、冷たい昼食を採って侘しく寂しい思いをした。今日は降りしきる雨の中、コンビニの外でおでんを一人で立ち食いしている自分を想像すると、車で私を見た人からは、哀れでみすぼらしい姿と思われるだろうなと思った。

 

13:40 51番札所 石出寺 ここは、松山の道後温泉近くの繁華街ど真ん中にあるお寺だ。巡礼者よりも地元のお大師さん信者や観光客が多い。

 

国宝の仁王門をくぐると、参道は土産物店が並んだ仲見世となっており、その先が重要文化財に指定されている本堂、三重塔、鐘楼などがある境内だ。

 

雨が益々強くなってきたので、急いで参拝を済ませ本日の宿に向かう。

 

14:30 ビジネスホテルS 道後温泉ホテル街の中のビジネスホテル。「坊ちゃんの湯」も直ぐ近くだが、前回そこで入浴したので、今回はホテルのバスにする。

 

案内された部屋へ入ってびっくり、まず部屋が広い。ベットはダブルサイズ、ビジネスホテルでは通常、バスとトイレは同じ部屋であるが、ここは別々、浴室も広く、浴槽も大きくゆったりとしている。

 

シティホテル並みの設備だ。フロントが部屋を間違えたかと思い電話したが、間違いないとのこと。立地も道後温泉のど真ん中で、宿泊費は、素泊まり4800円。この辺り競争が激しくて、こんなに安いのか?

 

16:30 ホテルで入浴後、道後温泉アーケード街の鉄板焼き屋に入る。ステーキ、お好み焼き、焼きそば、ビールを注文。味は△だった。

 

 

31日目の歩数 48,100歩   歩行距離 31.2㎞

 

 

 

 

11月23日(木)(晴 風強し)

<32日目 松山市道後→松山市北条>

 

6:05 ホテル出発 昨日あんなに降った雨も上がっていた。まだ暗い松山の市街地を西進する。

 

7:10 JR予讃線三津浜駅 この辺りは松山市の住宅街で下町の感じがする。駅前の広い道を北進すると次第に家が少なくなり、小高い山のゴルフ場横を通過する。

 

8:10 52番札所 太山寺 どっしりとした本格派の寺院といった感じで、私の好きなお寺の一つだ。

 

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徳島から車でへんろを続けているというご夫婦と話ををし、歩きへんろを労われた。

 

3年前にこの寺を訪れた時、納経所で墨書授印して頂いた長い髪の若い女性が、それはそれは美しく素敵な方だった。(へんろ仲間の噂では、彼女はお寺の娘さんだとか?) 今回また会えるかと期待したが、その方は納経所にいなかった。

 

9:05 53番札所 円明寺 下町の民家の中に有る比較的小さなお寺。

 

10:00 堀江海テラス 今日の宿には早く着きそうなので、海の駅ということで、寄り道したが、今日は休日で休業していた。その後北上したが、海沿いの道は風が強く、笠が飛ばされそうになり、手に持って歩く。

 

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11:20 ホームセンターK 靴修理接着剤を捜したが、無かった。手袋を買う(4回目)

 

12:30 床屋 道路を歩いていると、道沿いに床屋さんがいっぱいあり、今日は時間の余裕もあるので、その内の一軒に入る。74才の旦那さんと、久万高原出身のおかみさんが、散髪と髭剃りをしてくれた。マッサージもしてくれ、気持ち良くて眠ってしまいそうになる。

 

14:00 北条の瀬戸内海(伊予灘)の海岸を見に行く。風が強く穏やかではなかった。

 

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14:20 旅館O 到着 宿の女将は首を保護カバーで吊って対応してくれる。「どうしたの?」と訊くと、「仕事のし過ぎ」と答える。人の良さそうなオバサンだ。

 

この旅館は前回も泊まったが、料理が美味しい。鯛めしが名物らしいが、宇和島のそれと違って鯛をご飯に炊きこむものだ。私はこちらの方が好きだ。

 

横浜へんろと又も同宿だ。夕食時は彼と対面して食事する。料理は今日も海の幸満載で美味しかった。彼はお酒好きだが、へんろ中は酒を断っているので、私だけ鯛のひれ酒を3杯注文した。 

 

 

32日目の歩数 43,000歩   歩行距離 27.9㎞

 

 

 

           ー続く(非定期)ー

春の彼岸の頃

ロシアがウクライナに侵攻して3週間たった。ロシア-ウクライナによる停戦交渉は続けられてはいるが、ロシアは、ウクライナ南部の都市で1000人以上の住民が避難していた劇場を爆撃したり、ウクライナ全土の病院、学校等を無差別攻撃している。全く持って言語道断で、ロシアは厳しく糾弾されなけばならない。

 

ロシアはウクライナ首都キエフの陥落が思うようにならず、焦って更なる無差別攻撃が激化するのではと懸念される。何とかならないものかと胸が痛む。

 

コロナに関しては、国内の新規感染者が、17日現在まだ5万人ほどいるが、21日で全国のまん防法(蔓延防止法)適用自治体が全て解除されると発表された。まん防法自体がコロナ抑止にどれほどの効果があるのか疑問視されていたので、今後まん防法の予算がよりコロナ対応に適したものへ転換されるのなら良いことだと思う。

 

大統領選挙で保守系候補を選出したお隣韓国では、コロナの感染爆発が起きていて、3月17日一日の感染者が60万人を超えたとのニュースが伝わった。人口が日本の半分以下の国での60万人は、日本の120万人以上に相当する。韓国は3回目のワクチン接種が日本より進んでいるはずなのに、どうしてだろう?

 

 

3月14日(月)

録画したまま、そのままになっていた映画「ディア・ハンター」を観る。

 

1960年代、ペンシルバニアの製鋼所で働く男たちの、ベトナム戦争へ出征する前、戦争に行った時、心に傷を負って帰還してからの生活を描いている。

 

主演はロバート・デ・ニーロ、私の好きなメリル・ストリープも出ている。この作品は、第51回アカデミー賞で作品賞など5部門を受賞した。

 

この映画には、ロシアンルーレットの場面が二度登場する。いずれもその緊迫感溢れる描写には、画面に引きずり込まれた。

 

テーマ曲は「小さなピアノの詩」、戦争を扱った映画の曲とは思われない静かで優しいピアノのメロディが、心に沁みとおり耳に残る。リチャード・クレイダーマンのアルバムにも入っていた。

 

映画は、戦争の恐ろしさ、危うさ、愚かさ、虚しさを訴えているようだが、今行われているウクライナの戦争にも当てはまる。

 

3月15日(火)

先週から一気に暖かくなり、四月頃の陽気という。

 

S卓球サークルの練習会に出かける。

 

このサークルのメンバーは、10名であるが、皆さんスマホになったので、代表がLINEのグループを作った。代表は、連絡が一度で済み、便利になったようだ。10名ともなると皆さんそれぞれ個性的な書き込みで、トークが盛り上がって楽しい。

 

3月16日(水)

18日の金曜日が、病院受診日なので、午前中リハビリの振り替えに行って、汗を流した。

 

夜、22時半頃就寝して、眠りについた23時半、地震の揺れを眠りながら感じる。だんだん強くなり横揺れもして目を覚ます。横になったまま、起き上がって避難すべきか頭を巡らしているうちに揺れがおさまった。

 

ラジオをつけると、震源は東北沖で、宮城県福島県震度6強を観測し、津波警報も出ているとのこと。「すわ!東日本大震災の再来か?1週間前に震災から11年の行事をしたばかりなのに・・・」と思う。

 

「現地の人は大変だな、こんな夜中に避難とは」と同情しつつも、避難している人には申し訳ないが、眠気が襲ってそのまま眠ってしまった。

 

翌朝の報道で、私の住んでいる町の震度は4だったと知る。現地の津波は1m以下で津波の被害は無くてよかった。東北新幹線は脱線し復旧に時間はかかるようだが、人的被害が無く不幸中の幸いだ。

 

 

3月17日(木)

朝8:30から、SCTテニスサークル練習会の日であるが、ダブルスのゲームを時間までやって終了した後、会員全員が集まって総会を開いた。このサークルの代表と会計は、月ごとに交代し、今月は私の当番だったので、総会は私が招集した。

 

議題は、「コーチが体調不良で退任することとなり、その後のサークル活動について」である。

 

コーチが休みの時は、会員同士でダブルスのゲームをしていたが、最近は、会員の中に体調が優れなかったり都合で休む人が増え、ダブルスゲームの最低人数4人を確保するのがやっとという状態になっていた。

 

そこで、

・今月3月31日をもってサークルは解散とする。(2万円弱の会費残高は、現会員に均等配分)

・ゲームだけでも続けたいという者は、新しい会を立ち上げ、コート予約は、4人以上参加者が確定したら当日事務所に申し込む。

という案を提案する。

 

解散については全員賛同したが、新しい会への参加希望者は4人集まらなかった。新しい会ができれば、その世話役を務めてもいいかなと思っていたが、それもなくなり、サークルは解散すると正式決定した。

 

私はこれまで、六つのテニスサークルに所属してきたが、このSCTサークルが一番初めに参加したサークルなので、思い入れもあり、名残惜しい。

 

私が参加した当時のSCTサークルは、精力的な女性が代表をしていて、コーチが男性と女性の2名で会員も20名近くいる大所帯だった。代表はテニス協会の役員も兼ねており大変忙しく活躍されていた。

 

その代表が、怪我をしてテニスができなくなり、代表も辞めたので、残った会員が一年毎の持ち回りで代表を務めることとなる。この状態で10年位続いた。その間、会員が減少した時は市の広報で募集して補充した。

 

コーチは女性コーチが初中級を、男性コーチが中上級を担当した。男性コーチの出身は香川県三豊市で四国遍路の第70番札所本山寺の近くということで、私が四国遍路から帰ってテニスに再参加した時には自分の故郷を懐かしんでおられた。

 

その男性コーチが2年前、体調不良から車の運転に支障がでて、コートへ来ることが難しくなって退任した。その後女性コーチ一人に面倒を見てもらっていたが、今回その彼女も体調不良で退任することとなった。

 

ある程度年齢を重ねると、それまで当然のように出来ていたことが出来なくなる。悲しいことだ。

 

 

3月18日(金)

昨日までの一週間は、最高気温が20℃を超える日が多く、4月頃の暖かい日が続いたが、今日は一転して1月の気温となった。

 

今日は年2回受けているペースメーカー検診の日だ。自宅を出発すると雨が降り始め、外気温は5℃、真冬の寒さだ。

 

心電図を測定してから、ペースメーカー計器の検査を受けるまで2時間以上待たされる。検診では、幸い計器の不具合は認められず、電池の寿命は後3年程と言われた。次回(9月)の予約をして終了。

 

今日は彼岸の入りで、病院の帰りに墓参りに行くつもりだったが、この雨でどうしようか迷う。彼岸中の予定が詰まっているのを思い出し、予定通り行くことにする。

 

いつもの花屋さんで、お供えの花を買い、霊園に着いた時、雨は本降りとなっていた。広い芝生の墓地には、参拝者は私の他は、年配の女性一人しかいなかった。

 

傘をさしながら花を供え、般若心経を読誦する。冷たい雨が降りしきる中しばらく佇んだ後、「来月の命日にまた来るから」と告げお墓を後にする。

 

 

3月19日(土)

午前中は、いつものように一週間分の買い出しにスーパーへ行く。土日のポイントは3倍なのだが、今日は5倍だった。主婦感覚で嬉しい。

 

午後は、H卓球サークルの練習会。同じ年の友人が今日は休みで、彼がいたら、会の後にMACでコーヒーを飲んで雑談をするのだが、それが叶わず残念だ。

 

東京のサクラの開花予想は3月20日(明日)と発表されている。去年写真に撮った団地の一本桜はどうなっているのだろうと、練習会終了後に見に行く。開花真近のつぼみ膨らむというところか?

 

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へんろ日記 10

2月27日にアップした「へんろ日記 9」の続きです。

 

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11月18日(土)(雨/曇り)(2017年/平成29年)

<27日目 宇和島市西予市宇和町)>

 

6:25 宇和島市のビジネスホテルT出発。 未明から外の雨音が聞こえるくらい激しく雨が降っていた。今回の雨具は、ザックも全体がカバーできるポンチョとする。 

 

宿から国道56号に出て、激しい雨の中歩き始めたが、何かおかしい。反対方向に歩いていた。国道沿いにタクシー会社があり運転手さんに確認したら、やはりそうだ。逆方向に引き返す。

 

7:40  北宇和島 ここから国道と別れて、山間の登りの一本坂を進む。雨の勢いがが少し弱くなった。

 

8:40 へんろ休憩所 ここまで、どうも調子が良くない。雨が止んだのでポンチョを脱ぐ。宿毛の宿で同宿した横浜へんろがやってきた。彼も雨具を脱ぎ始めたので、言葉をかけて先に出る。

 

9:15 三間(みま) 長い登坂の先は見晴らしの良い台地だ。刈り入れガ済んだ田圃の中の道を歩いていたら、次第に気分も良くなり、龍光寺のある集落に入る。

 

9:35 41番札所 龍光寺 宇和島のコンビニで買ったサンドイッチを食べる。先ほど休憩所で会った横浜へんろの他二人のへんろが参拝していた。四人の個人へんろが揃うのは珍しい。

 

このあとこの四人が、43番明石寺まで、抜きつ抜かれつしながら進んだ。

 

龍光寺の裏の山道をしばらく行くと、県道に出る。この道は路側にコスモスが植えられていて、今は盛りを過ぎている。一ヶ月くらい前なら綺麗だっただろう。

 

10:40 42番札所 仏木寺 3年前にここを訪れた時、参拝を済ませて、先へ進み歯長峠への山道を登り始めたところで、この寺に金剛杖を忘れたことに気が付き、ザックを山道の脇に置いて、寺まで走って取りに行った。1時間以上時間をロスした。

 

同行二人の大師様の象徴でもある杖を忘れるとは、何たることかと、自分でも恥ずかしくなった。

 

12:45 歯長峠口 歯長峠を越えて、肘川沿いのバス停横の自販機でミルクティを買って休憩。

 

14:40 43番札所 明石寺着。 松山自動車道の西予宇和ICの下を通ってこの寺へ行くのであるが、非常に分りずらい。道に迷い大分遠回りしてやっとたどり着いた。寺で横浜へんろに会ったが、彼も道に迷ったと言っていた。

 

15:30 ビジネスホテルM着。昨日泊まった宇和島のホテルよりは、断然清潔で気持ち良い。受付のお婆ちゃんは親切で、洗濯も無料でしてくれた。

 

夕食はホテル近くのファミレスへ行く。カキフライ、鶏ニンニクステーキ、シーザーサラダ、ビール2杯。今回の四国でファミレスは初めてで新鮮だった。

 

 

27日目の歩数 48,700歩    歩行距離 31.6㎞

 

 

11月19日(日)(曇 風冷たい)(2017年/平成29年)

<28日目 西予市宇和町→大洲→内子町

 

5:10 西予市のビジネスホテル出発。本日も早朝出発。国道56号を北進する。この辺りは旧宇和町の中心部で、道路沿いに市役所、郵便局、学校、病院、旅館、商店等が並んでいるが、まだ暗くてよく分からない。

 

6:30 加茂バス停 夜が明けて明るくなったが、風が冷たく寒い。秋から冬に入ったか?季節の変わり目だ。

 

7:50 鳥坂トンネル 1㎞を超える長いトンネルだが、歩道と車道に段差がないので、大型車両とすれ違う時は非常に怖い。対向車に蛍光タスキと懐中電灯で自分の存在を知らせるのだが、こちらに気付いてくれて大きく右へ寄ってくれる車には、涙が出るほどありがたかった。

 

9:10 大洲北只郵便局 トンネルを抜けると、景観の良い下り坂が続き、坂の終点から大洲の街に入る。

 

10:00 大洲市街 肘川に囲まれた大洲の街は、風情があってどこか懐かしさを感じさせてくれる街だ。伊予の小京都とも呼ばれ、大洲城を中心に発達した旧城下町だ。肱川は夏に鵜飼が催される。

 

映画「男はつらいよ第19作・寅次郎と殿様」の舞台は大洲で、嵐寛寿郎が世が世なら伊予の殿様、大洲城の藩主藤堂久宗役を演じた。

 

又、NHK朝ドラの第6作「おはなはん」のロケ地で舞台となった街でもある。主人公を演じた樫山文枝は、このドラマで全国的に大人気となった。今でも街の中心部には「おはなはん通り」が存在する。

 

市内の「百均」ドラッグストアで文具、湿布等を買う。

 

12:30 新谷(にいや) 明日、明後日の宿の予約をする。

 

13:30 五十崎(いかざき)国道からへんろ道へ入ると、道が凄くぬかるみ、靴が泥だらけになる。

 

14:25 内子(うちこ)町 M旅館着 ここは内子の中でも高級旅館と思われる宿で、いつも民宿とかビジネスホテルに泊まっているので、たまにはいいかと奮発した。 

 

宿にザック等の荷物を預け、内子の街を散策する。

 

内子は、江戸時代から明治大正にかけて、和紙と木蝋(和ろうそく)で栄え、当時の白壁の商家群が軒を連ね、大洲と並んで、四国では全国的にも有名な観光地である。

 

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木蝋生産で財を成した商家の有志が、大正5年に「内子座」という本格的な歌舞伎劇場を作り、今でも往時の面影を残している。

 

宿では、宿毛の旅館で同宿した「横浜へんろ」と又一緒になった。彼はお酒が大好きなのだが、このへんろ中は、酒を断ち一滴も飲んでいないと言う。又トンネルがあってもトンネルの上に旧へんろ道があれば、時間短縮ができるトンネルを通らず山道を選ぶと言う徹底ぶりだ。

 

とかく易きに流れがちな私にとって、彼は眩(まぶ)しい存在だ。 

 

 

28日目の歩数 59,100歩    歩行距離 38.4㎞

 

 

 

 

11月20日(月)(曇/雨)(2017年/平成29年)

<29日目 内子町久万高原町

 

5:10 M旅館出発。今日は愛媛県では難所の「下坂場峠」と「ひわ田峠」を通過し、歩行距離も長くなるので、宿の朝食はキャンセルして早朝出発する。前夜5時出発と女将さんに伝えてあったが、女将さんは起床しておらず、玄関に鍵がかかったままだ。電話で起こす。

 

7:25 河口橋 この辺りまでは、街灯がほとんど無い真っ暗な国道379号を快調に飛ばす。コンビニで買ったサンドイッチを食べる。気温2℃寒い。この先の集落は柿の産地だ。

 

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8:30 国道379号、380号分岐 少し手前から雨がパラパラ降り始めた。

 

8:35 農家倉庫 雨が本降りとなる。農家の農機具等を入れる倉庫を借用して、雨仕様に着替える。昨夜から今朝までのスマホの当地天気予報では、今日一日は雨は降らず曇りの予想だったので、雨の仕度は全く考えていなかった。雨具はザックの一番下にパックしていて、着替えに30分以上かかった。

 

11:35 大込休憩所 昨日内子で買ったおにぎり、ミカンを食べる。寒い所で冷たい物を食べると益々身体が冷える。温かいものが欲しい。周りは農家が一軒だけある台地。雨は容赦なくザーザーと降っている。寒いし誰もいなくて心細い。

 

13:30 太子堂 雨の中、最初の難所「下坂場峠」の急な坂道を越えて太子堂に辿り着く。自販機でミルクティのボタンを押したつもりが、レモンティがでてきた。雨が小降りとなる。

 

14:30 ひわ田峠 雨は止み雨具を脱ぐ。山頂は薄雪が積もっていた。本日の難所「下坂場峠」「ひわ田峠」と二つの峠を制して、朝からの緊張が少し和らいだ。

 

15:15 ホテルG到着。今日の宿に荷物を預けて、44番を往復する。

 

15:50 44番札所 大寶寺(たいほうじ) 杉の大木と山門の大きさに改めて感心する。境内は秋の夕暮れ時、落ち葉がうっすらと積もっていた。

 

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17:00 ホテルへ戻って、大浴場に入浴、今日は冷たい雨に打たれ、身体が芯まで冷えていたので、湯に浸かると身も心も安らいだ。

 

夕食は食堂のカウンターで、若女将に当地の話を伺いながら食事した。この若女将、若々しくて独身の女性かと思ったら、中2の娘さんがいるとのことで、ビックリした。

 

 

29日目の歩数 65,400歩  歩行距離 42.5㎞

 

 

              ー続く(非定期)ー

 

 

 

 

弥生三月

ロシアがウクライナに侵攻し戦争になってしまった。ロシアは軍事施設のみの攻撃と言っていたが、3月3日現在、ウクライナ政府の発表によると、民間人2000人以上が死亡したとの報道もある。何とも悲惨で胸が痛む。国際社会がロシアの暴挙を抑制できなかったことが、悔(くや)しい。

 

ロシアはウクライナ原子力発電所を制圧したとのニュースも流れた。核兵器使用もちらつかせて脅すプーチン大統領のこと、この先何をしでかすか不気味で恐ろしい。

 

国内に目を向けると、オミクロン株の新型コロナ第6波はピークアウトはしているようだが、新規感染者は国内で一日6~7万人以上と高止まりしている。これまでのように、ピークアウトしてからの減少傾向が鈍いのは、三回目のワクチン接種が進んでおらず、若年層の新規感染者が急増しているからだと、どこかの大学の先生がテレビで言っていた。

 

又現在のオミクロン株BA1の亜種BA2(ステルスオミクロン)による新規感染が国内で確認されており、BA1が早晩BA2に置き換わると言われている。第6波が高止まりしているのは、BA2が既に市中感染しているからだとの説もある。

 

BA2の感染力はBA1より更に強く、BA1が弱毒性で重症化率が低いのに対してBA2は重症化率も高いと言うことだ。気が抜けない。

 

このように、国内外のニュースを見聞きしていると、暗い気持ちになってしまうが、世の中の気候は、確実に春に向かっている。弥生三月となり、二月までの寒かった毎日が一気に気温15℃以上の春の陽気となった。

 

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        写真ACより  リズム727 さんの作品

 

屋外の冷たい風の中でやっていたテニスも、風のない陽光の下では、汗をかくぐらいだ。

 

このところ、テニスして、卓球して、夕食を作って、少々のお酒を呑んで、食べて、時々ビデオに撮った映画やドラマを見て、風呂に入って寝るという平凡な毎日が続いている。

 

毎日が同じことの繰り返しで、時には非日常的な体験もしてみたい。ここ3年コロナ禍で遠出の外出ができず少し欲求不満な状態ではある。

 

しかし、よく考えてみると、上記のような平凡な毎日を過ごすことができると言うことは、非常に恵まれた贅沢な境遇で、これ以上のことを望むのは、罰(ばち)が当たるかもしれない。

 

卓球の仲間が、元々腰痛持ちではあったが、今年に入って腰、肩が痛くなり服の着脱もままならない状態となった。病院で診察してもらったが、原因が分らず痛み止めの薬を処方されるだけ。余りの痛さに病院に入院させてほしいと頼んだが、入院しても鎮痛剤を飲むだけだからと断られたと言う。

 

2月下旬にやっと病名が判明(膠原病の一種)し、ステロイド剤を服用してやっと通常生活ができるようになったと、その仲間は卓球練習会に報告に来た。

 

身体のどこかに痛いところがあるのは、気になるし辛い。連れ合いが長い間「慢性関節リューマチ」を患っていて、傍で見ていたので、その辛さ苦しさががよく分かる。

 

従って、身体のどこにも痛いところが無いと言うことは、それだけで素晴らしく幸せなことで、神様仏様皆々様に感謝しなければならないことだ。

 

私の場合、その上テニスも卓球もできる。それらをプレイすることも楽しいが、それらのサークルで仲間とワイワイしたりするのも楽しい。またも感謝感謝だ。

 

 

3月1日(火) 

久しぶりにテニスと卓球のダブルヘッダーとなった。昨年サークル数を減らしたことで、テニス卓球が、同じ日に重なることは少なくなったが、S卓球サークルの開催日が同じ曜日でないため、時々重なる。

 

12:30~14:30がテニスで、終了と同時に次の会場公民館に向かい、15:00~17:00 時間いっぱい卓球を楽しむ。やっている時は楽しくて何ともないが、帰宅してから疲れが出て、夕飯作りが面倒になる。

 

一昨年までは、週2回以上、ダブルヘッダーがあり、その頃は何でも無かったことが、今では一日2回すると、疲れを感じるようになった。加齢により体力が減少がしているのであろう。

 

3月2日(水)

19:00頃、明日の3回目ワクチンに備えて、予診票を書こうと保健所から送られてきたクーポン券等の書類に改めて目を通すと、何と接種日が3月3日と思い込んでいたものが、翌日の3月4日だったのだ。

 

私は、行事予定をカレンダーに書き込んでいるのだが、その書き込んだ日付が間違っていたのだ。何ともそそっかしいと言おうか、注意力散漫と言おうか、情なくも恥ずかしい。しかし3月5日に間違えていたら、接種しそこなうところだった。

3月4日は金曜日で、リハビリの日である。すぐに欠席の連絡と振り替えについて、施設へ電話したが、業務終了時間後で繋がらなかった。

 

3月3日(木)

朝8時に施設へ電話し、上記を説明し、振り替えについては、ダメモトで本日にできないか訊いてみると、あっさりとOKとのことだった。私の場合施設への往復は送迎の車を使わず歩きなので、変更もし易いとのことだった。

 

いつものように、8:40に施設へ行き12:10までみっちりトレーニングできた。

 

今日は木曜日で、いつもの金曜日には居ない若い女性の理学療法士さんに合うことができた。

 

彼女とは半年ぶりの再会で、その時は彼女と彼女そっくりな看護師さんと私の3人でトレーニングの合間によく雑談をしていた。その後、看護師さんは旦那さんの転勤で博多へ引っ越し、ここをやめてしまったので、理学療法士の彼女とは、看護師さんのことを懐かしんで話題にした。

 

3月4日(金)

ワクチンは、9:30からの集団接種だ。1、2回目の会場は市役所の会議室だったが、今回は大きな商業施設3階の一フロアが当てられていた。前回と比べ、アルバイトと思われる案内係の人がヤケに沢山いるなとの印象。

 

1,2回目はファイザーで、今回はモデルナであったが、接種はあっと言う間に終わった。モデルナの3回目接種量は1、2回目接種の半量0.25ml(ファイザーは0.3ml)とあるが、半量でも効果があるのかしらと思う。

 

当日寝る前までは、身体に異常は全く無かった。就寝して2時頃から、注射の刺した周りの筋肉に痛みを感じる。それと身体全体がかったるく布団の中で大きな伸びをしたら、脚がつってしまった。その痛いこと、起きて足をさすっていたら治った。

 

3月5日(土)

注射部の痛みはあるものの、頭痛、発熱は無い。身体がだるく感じたが、週末のスーパーへの買い出しに出かけ、天然水2箱(24㎏)を始め、一週間分の食材他を買い出ししてきた。今日一日は大人しくしていようと思う。

 

この日関東地方には、去年より一ヶ月遅く「春一番」が吹いた。

 

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今年も永井裕子さんの「菜の花情歌」が聴きたくなって、YouTubeで検索したら、なんとqueen  chieko さん動画が削除されていた。この動画はこの曲にピッタリで、秀逸なものと私は高く評価していただけに非常に残念だ。

 

本人歌唱の動画は他に2点ある。一つは最近の永井さん本人が菜の花畑で歌っているもの、もう一つは秋田県大潟村菜の花ロードの菜の花畑を背景にし、若いころの永井さんが歌っている姿の一部が写っているものである。(菜の花畑の向こうに大きな建物が写っているのがこの曲にそぐわないが・・)

 

昨年2021年3月3日にアップした本ブログ「菜の花情歌」に貼り付けたqueen  chieko さんの動画も削除されていたので、前者の動画に差し替え更新した。ここでは、後者の動画を貼り付けます。

 


www.youtube.com

 

「菜の花情歌」については、よろしかったら、昨年のブログを再読して頂けると嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

へんろ日記 9

2月6日にアップした「へんろ日記 8」の続きです。25日目から後半の愛媛県に入ります。

 

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11月15日(水)(晴)(2017年/平成29年)

<24日目 土佐清水市竜串 → 宿毛市平田>

 

5:50 朝食 ここも朝早い時間に朝食を出してくれて助かる。

 

6:15 ホテルO 出発 歩き始めて直ぐに、左手の日の出前の海岸線が美しい。朝早く誰もいないきれいな場所を歩いていると、風景を独り占めしているようで、贅沢で幸せな気分になる。

 

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7:00 下川口 集落の民家の前を通ったら、二階の窓から声を掛けられ、みかんの接待を受ける。この辺りは、余りへんろは通らないと思うが、四国全体に接待文化が根付いているのだろう。ありがたい。

 

8:35 出会橋 昨日半日ゆっくり休養したせいか、体調は頗(すこぶ)る良好。一気にここまで来た。

 

9:00 道の両側に5~6軒の廃屋が点在する。数年前までは、ここで生活していた人がいたのかと思うと切ない。この辺りは四国でも特に交通の便が悪く、耕地も少なく、生活に不便で家を捨てて転居したのだろう。

 

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9:30 3年前に通った時は、左の山の斜面が崩落して、赤い土がむき出しになっていたが、3年経って、崩落個所は草木が生えて土の色は見えなかった。自然の回復力は凄い。

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10:30 ダラダラの登り道でキツクはないが、高度は標高250mまで上がっている。

 

11:05 神社の前の道端の陽だまりでお昼休憩、ホテルOで用意してもらったおにぎりと接待で頂いたみかんを食べる。久しぶりに食欲があった。ここは、高知県西南部の山間にある三原村という小さな村で、日本昔話の舞台のような所だ。 

 

13:00 県道21号 ここから本日の宿のある平田までは、下り坂の連続、途中景観の良い中筋川ダムのダム湖を見下ろしながら、快適に下る。

 

14:55 T旅館着。 宿の手前で、学校帰りの女の子に宿の場所を尋ねると、その子は泊まる旅館のお嬢さんだった。

 

旅館は、こざっぱりして感じが良かったが、部屋は隣室と襖一枚なので、音のプライバシーが保てない。

 

宿泊者は私を含めて3人。私以外の2人は横浜へんろだった。その内一人は、この後1週間程、同じ宿になったり、お寺やへんろの途中で会ったりした。

 

24日目の歩数 56,600歩     歩行距離 36.8㎞

 

 

 

 

11月16日(木)(晴)(2017年)

<25日目 高知県宿毛市平田→愛媛県愛南町御荘>

 

6:30 T旅館出発

 

7:00 39番延光寺 3日ぶりに札所を参拝する。お寺裏手の山の中のへんろ道を15分ほど行くと一般道へ出る。

 

8:15 「ハゼの木」バス停 自販機でホットミルク買って飲む。森永乳業のキャッチコピー「ホットミルクでホッとする」を思い出す。

 

8:50 松田川の大きな橋を渡ると、宿毛の市街地に入る。宇和島バスの営業所、郵便局、古い旅館等が立ち並ぶこの町のメインストリートを東進する。宿毛は一昨年引退した大相撲豊ノ島の出身地だ。私は、身体が柔らかく技の豊富なこの力士が好きだった。

 

宿毛からは土佐くろしお鉄道宿毛線が、六日前に訪れた37番岩本寺のある窪川へ通じている。宿毛は近代的なビルはほとんど無い古い町ではあるが、高知県西部では主要な町なのだ。

 

9:10 Dホームセンターで靴底補修剤を購入。※

※今回のへんろ出発前に、トレッキングシューズの選定で、山道よりも一般道を歩く方が多いと考え、重さを重視して軽いものを購入した。まだへんろの半分の地点で、左足靴底かかと部分の摩耗が激しく、その摩耗はクッション部スレスレまで至ってしまった。このまま放置すると、穴が開いてしまう。

 

新しい靴を買うにも、四国の田舎町ではスポーツ用品店も無く、困惑していたところ、ホームセンターがあったので、応急的な補修剤が無いか探したら、「クツ底の肉盛り補修剤」なるものを見つけた。

 

10:35 松尾峠登山口 宿毛の街を抜け急斜面を登り、山裾に沿ったへんろ道を行く。途中、文旦(ブンタン、ボンタン)か何かの大きな柑橘類がいっぱい生っていた。後で調べたら高知は文旦の生産が全国の9割を占めると言う。

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11:15 松尾峠 登りはキツイにはキツかったが、12時に着けばよいと頑張ったので、峠では早く着いて、思わず「ラッキー!」と叫ぶ。

 

ここは、昔、土佐と伊予を結ぶ街道の両国の境にある標高300mの峠だ。峠には弘法大師を祀った大師堂(松尾大師)がある。

 

3年前、峠からの展望は無かったが、雑木が伐採されており、宿毛の海の美しい景観が眺められた。

 

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ここまでで、四国へんろの半分が終了した。いよいよこれから、へんろも愛媛県に入り後半に突入する。

 

11:50 林道 峠から愛媛県側は高知県側とは打って変わって、登山道がきれいに整備されている。県によって財政事情の違いで、このようなことが起きるのか?

 

路傍の陽だまりで、アンパン他で昼食休憩とする。

 

15:00 愛媛県最南端愛南町の、「一本松」「城辺」といった趣のある古い町並みを通って、「御荘(みしょう)」の町に入り、僧都川を渡って40番札所観自在寺に到着。

 

観自在寺は、88カ寺の中でも私の好きなお寺さんだ。華美さは無く、といって禅寺のような質実剛健なところも無く、ほんわかとした地元に根付いた、地元に愛されているお寺さんといった風情だ。晩秋の昼下がり、境内のベンチに座って、ぼんやりと心癒される寺を眺めていた。

 

15:40 ビジネスホテルPM チェックイン このホテル全くのビジネスライクで地方の味がしない。

 

夕食は国道沿いの中華料理店にする。四国へ来て初めての中華料理だ。時間も早かったせいか客は私一人。店の主人は卓球サークルの先輩にそっくりな顔をしていて、すっかり忘れていたサークルのことを思い出す。

 

鶏肉とカシューナッツ炒め、揚げ焼きそば、ギョーザ、ビールを注文する。中華料理は一人だと中途半端で、沢山の種類を選べない。味は少々しょっぱかったが、田舎だからこんなものかとも思う。

 

主人は話好きで、地元の話をしてくれた。昔はこの辺り交通の便が悪く、大阪方面へは船で行ったそうだ。

 

宿に帰り、宿毛で買った「クツ底補修剤」を塗ってみる。

 

 

25日目の歩数 50,900歩    歩行距離 33.0㎞

 

 

 

11月17日(金)(曇)(2017年)

<26日目 愛南町御荘(みしょう)→ 宇和島市

 

4:30 ビジネスホテルPM 出発。 六日ぶりの早朝出発だ。夜明け前の暗い国道を歩いていて、突然道端の植え込みに突込み、木の枝が顔にあたった。

 

夜が明けてしばらくすると、養殖の仕掛けが沢山浮いた明け方の宇和海を見下ろすことができた。宇和海は鯛の養殖で全国的にも有名である。

 

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7:10 柏坂郵便局前 御荘のコンビニで買った梅、昆布のおにぎりで朝食とする。食べ終わって道路の向かい側を見ると、立派なへんろ小屋があった。(ここで食べれば良かった)

 

9:10 浦知 出発時に着こんだ長ズボン、ヤッケを暑くなって脱ぎ、短パン姿となる。昨夜補修した靴底はまだ補修剤が剥がれていなかった。

 

9:35 津島嵐郵便局 手持ちの現金が残り少なくなったので、ATMから引き出す。

この辺り(旧津島町)は、獅子文六の小説「てんやわんや」の舞台となった地である。

 

11:25 津島大橋 ここは、3年前道路改修の大工事をしていたところで、高速の宇和島道路がここ国道56号まで延長接続されたようだ。

 

12:15 松尾トンネル入り口 国道56号線松尾トンネルは、全長1710m、歩行での通過に約30分を要する。一昔前までは、ここは交通量が多く、排気ガスが充満して、歩行には危険が伴ったが、国道に平行した宇和島道路の建設で交通量が減少して、今では普通に通過できるようになった。

 

13:30 トンネルを抜けて30分ほど歩くと、宇和島の市街地に入る。寒くなり又ズボンヤッケを着込む。

 

大きなスーパーや、ユニクロメガネドラッグ、ホームセンター等の商業施設が、道の両側に多く立ち並び、これまで、田舎の道をずっと歩いてきたので、久しぶりに都会に来たと言う感じだ。

 

15:00 ビジネスホテルT 到着。宇和島城の下にあるかなり古いホテルで、料金は安かったが、禁煙室が無く部屋はタバコ臭がムンムンであった。

 

夕食をする為、宇和島の中心部アーケード街近辺へ行く。宇和島まで来たのだから、ご当地の美味しいものを肴に一杯と考え、小料理屋へ入る。

 

少し時間が早く、客は私一人。主人は仕込みに忙しい。世間話でもして、宇和島の今を聞こうと話しかけても、返事がない。一見(いちげん)の客はよそ者扱いで無視される。

 

誠に居心地が悪い。主人に比べたら少しは愛想のよいおかみさんに、じゃこ天などお薦めの肴を教えてもらい、お酒をたのむ。一人で黙って飲んで、宇和島名物鯛茶漬けを注文する。そこへ地元の常連らしき男性が入って来た。それまで一言も発することの無かった主人は、その男性とは愛想よく会話をした。

 

よくテレビの旅番組では、知らない町のお店にぶらりと入って、知らない地元料理の美味しさに感激し、地元の話とかで盛り上がると言う場面がよくあるが、今回は全く逆であった。

 

宿へ帰って、今夜も靴に補修剤を塗る。靴底補修剤は効果がありそうだ。

 

 

26日目の歩数 66,600歩     歩行距離 43.3㎞

 

 

              ー続く(非定期)ー

 

 

チームパシュート

スピードスケート団体競技チームパシュート(団体追い抜き)」について今回も取り上げます。前回と重複するところがありますが、ご容赦願います。

 

尚、今回のブログは下記ネット記事から多くを転用させてもらいました。

・NHKクローズアップ現代「新作戦で連覇をつかめ~密着パシュート大革命~」

・NHK NEWS WEB「スピードスケート女子団体パシュート日本は銀メダル」

Yahoo!ニュース 「なぜ金メダル目前で高木菜那”転倒”の悲劇が起きたのか」

 

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北京オリンピック12日目の2月15日、女子パシュート決勝に臨んだ日本チーム(高木美帆高木菜那佐藤綾乃)は、カナダチームを相手に最終周のコーナーまでは素晴らしいチームワークと滑走で、タイムは日本が若干早いペースで通過する。ゴールまで200mを切り、いよいよコーナーを回ってラストスパートというところで最後尾の高木菜那がバランスを崩して転倒してしまった。

 

結果は2位の銀メダル、平昌に続いての金メダル連覇にはならなかった。試合後、美帆は泣き崩れる姉の隣に座り、何も言わずにただ静かに寄り添っていた。菜那は、自分のミスさえなかったら、金メダルが取れたかもしれないと自分を責め、期待が大きかっただけに本人もそれに応えられず無念の気持ちが溢れ出たのであろう。

 

オリンピックのパシュートは終わったが、私は今回のオリンピックで始めてこの競技をじっくりと観戦し、隊列を組んで走るその美しい姿に魅了され、その裏には様々な戦略が隠されている奥深さを知り、興味を持つようになった。

 

1. パシュートのルール

スピードスケート団体競技で、1チーム3人で隊列を組んで、6周(男子は8周)のタイムを競う種目である。1回に2チームがホームストレートとバックストレートに分れ、号砲と同時にスタートし、チーム3人のうち最後にゴールした走者のタイムがそのチームのゴールタイムとなる。

 

従って、一人だけ早い選手がいても勝てないし、個人の記録保持者を集めても、3人のチームワークが悪く、息が合わなければ勝てない種目だ。

 

レース中の隊列の並び順、先頭交代の位置、交代回数に制限はない。レース中、時速50㎞で先頭を滑走する選手の空気抵抗は非常に大きく、体力を消耗するので、途中先頭交代をするが、この時タイムロスが生じる。

 

メンバーの実力に合わせて、周回数や順番を決めるのが戦術だ。2番手3番手の走者は前の走者にピッタリついて左右の足の動きを揃えることも、空気抵抗の削減に有効だ。日本女子チームは、3人の息の揃った完璧な隊列走行と、先頭交代による減速ロスを最小限に抑えた走行が「世界一美しい」と称されている。

 

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2. 平昌大会からの4年間

平昌オリンピックでは、日本女子は一糸乱れぬ隊列を組み、巧みな先頭交代というチームワークと個人の技術力によって、強豪オランダを決勝で破って悲願の金メダルを獲得した。

 

この大会で、2個の金メダル(「パシュート」と「マススタート」)を取った高木菜那は、しばらくは「燃え尽き症候群」で次の目標が定まらなかったそうだ。日本チームは次の北京オリンピックチームパシュートで、もう一度金メダルを取るにはどうしたらいいのか模索が始まる。

 

それまで、パシュートは空気抵抗を最大に受ける先頭を交替することが常識であったが、2年前の2月に、アメリカ男子チームが、先頭を一度も交代せずに走行する「プッシュ方式」を採用、実行し、好成績を残した。

 

先頭交代は、空気抵抗で体力を消耗する先頭を交代することにより、3人トータルの消耗を減らし、タイムアップを狙うというものだ。ただこの交代時のタイムロスが大きい。

 

そこで、交代時のタイムロスをなくすために、先頭交代する代わりに、後方の選手が前方の選手のお尻を押して先頭選手の体力消耗を減らすのがこの方式「プッシュ方式」だ。ただこの方式は、前の選手との距離が近くなり、脚が接触しやすいという諸刃の剣でもある。(選手間距離は従来の1.4mから0.8mに縮まる。)

 

その後、女子のチームもプッシュ方式を採用して成果を上げるチームが現れた。

 

日本女子チームも昨年2月プッシュ作戦への挑戦を決める。プッシュ方式は選手間距離が短くなった分、時速50㎞で滑走しながらブレードが接触しないように足を揃え、前の人を押す動作は至難の業である。

 

オリンピックまで半年を切った去年の10月、日本チームは新たな作戦「手つなぎ作戦」を考案した。それは、前の選手の腰のあたりでしっかりと手を繋いでプッシュする方式だ。これにより安定してプッシュし続けることができ、接触のリスクも減らせるメリットがある。

 

そして、去年の12月、アメリカで行われたワールドカップで更なる進化を遂げた。まずは、高木美帆が先頭でスタート、2周目から「手つなぎ作戦」、3週目に先頭を高木菜那に交代、先頭交代を1回だけにした「手つなぎハイブリッド作戦」だ。

 

残り1周の時点で、世界記録より速いペースだった。しかしここで、先頭の高木菜那が転倒する。先頭は一番空気抵抗があって、押されてより増したスピードに合うスケーティングをしなくてはならず、身体の負担が凄く大きくなる。それに菜那の足がこらえきれなくなったということらしい。

 

日本女子チームは北京五輪の直前まで試行錯誤を続けたが、新たな作戦と日本の持ち味のチームワークを融合しきれず、今シーズンのワールドカップでは一度も優勝することなくオリンピック本番を迎えることになった。

 

 

3. 北京オリンピック

オリンピックでは、「手つなぎハイブリッド作戦」を採用するのか、注目していたが、日本チームが選択したのは、先頭交代を3回する平昌大会と同じ作戦だった。日本チームの最大の強みであるチームワークを生かして、この4年間でレベルアップした個々の力を上積みできれば、安定して速いタイムが出せると考えたからだ。

 

メンバーは、平昌大会パシュートで金メダルを獲得した高木美帆高木菜那姉妹と佐藤綾乃の3人と、押切美沙紀を加えた4人だが、押切選手の試合出場はなかった。

 

① 準々決勝 準々決勝は8チームでタイムを競い上位4チームが準決勝に進む。

日本の対抗チームは中国。この4年間で更に磨きをかけた「世界一美しい」と言われる調和のとれた隊列と絶妙な先頭交代による滑りによって、2分53秒60のオリンピック新記録をマークして1位で準決勝に進む。

 

⓶ 準決勝 準決勝からは、トーナメント方式。タイムは関係ない。

日本は準々決勝4位のロシアオリンピック委員会ROC)と対戦、日本チームは前回同様素晴らしい走りで、ROCに快勝した。勝ちを確信した試合中盤から、ペースを落として2時間後の決勝に向けて体力を温存する余裕もみせた。

 

③ 決勝

<カナダチーム>

対戦相手はカナダ。カナダは今シーズンのワールドカップで全勝している。カナダの快進撃の理由は、身長1m87㎝のエース、イザベル・ワイデマンの存在である。彼女は女子3000m、5000mのメダル保持者で、彼女が終盤先頭に立って引っ張ると、その巨体の後ろの2選手の風圧が減り、スピードを落とすことなくゴールできる。カナダは失速せずに終盤に強いチームなのだ。

 

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準々決勝のタイムは日本が勝ったものの、その差はわずかに0秒36だった。

 

<決勝のレース展開>

・まず高木美帆が2周先頭でペースを作る。隊列は一糸乱れぬ完璧さ。

 

・素早く、佐藤綾乃に先頭交代してスピード維持。前半の時点でカナダより0秒59のリード。

 

・次に高木菜那が先頭に立ち、攻めの滑りをみせる。先頭交代すると通常はタイムロスでラップタイムが落ちるが、菜那はここでスピードを上げてカナダとの差を広げる。

 

・残り2周を切ったところで再びエース美帆が先頭。一糸乱れぬ隊列でスピードを維持。

 

・残り200mでカナダとの差は0秒32、わずかながら最後までリードを保って最終盤へ。このままいけば金メダル。テレビ観戦の私は手を握り締めて、固唾を呑んで画面を見つめた。

 

・残り50m、最後尾の菜那がバランスを崩す。

 

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・転倒した菜那は懸命に起き上がり、最後まで滑り切った。タイムは3分4秒47

 

<転倒の原因>

長野五輪男子500m金メダリスト清水宏保さんは「氷の上にできた溝に足がはまったことによりバランスを崩してしまい、耐えているんですけど踏ん張り切れずにそのまま転倒しています」と解説している。「フィギアの羽生結弦といい又しても氷上の溝かよ」と思う。

 

菜那は、自身が先頭を務めた間に、全身全霊の滑りでカナダとのタイム差を広げた。僅差の戦いになった最後のカーブで佐藤へそして先頭の美帆へ力を与えようとプッシュした。佐藤との距離を縮めた分だけ、前方の溝を目視できずにはまってしまった。

 

「プッシュ戦法」が持つ諸刃の剣の負の部分と、菜那の力が尽きかけた状況が複雑に絡み合ってのことなのか?

 

<最後に>

フラワーセレモニーを終えた後に、世界が見つめる中で涙した3人の姿や、お互いを思いやる様に、ネット上には菜那を労い鼓舞するコメントが溢れた。それを知らされた菜那の言葉。

 

「自分のことを誇ってくれている、ということだけは見失わないようにしたい。誇ってくれている人たちの分も含めて、しっかりと前を向いていきたい。」

 

3人ともお疲れさまでした。3人の素晴らしい滑走を見せてもらい感動しました。ありがとうございます。

 

追記: 二日後の17日、高木美帆は女子1000mに出場し、オリンピック新記録を出して金メダルを獲得し、有終の美を飾った。

19日、高木菜那佐藤綾乃は、女子マススタートに出場し、高木菜那は準決勝の最終カーブでまたしても転倒して、決勝進出ならず、佐藤綾乃は決勝進出したものの、6位に終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

如月(きさらぎ)上旬

ついこの前「明けましておめでとうございます。」と言っていたと思ったら、2月になり、立春も過ぎた。「光陰矢の如し」だ。

 

早春賦の文句「春は名のみの風の寒さや」の時期である。今シーズンの冬はここ数年に比べるとひと際寒い。お日様の温かい陽光が格段と恋しく有難い。

 

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               写真ACより  osameさんの作品

 

今年に入って、オミクロン感染が急拡大し新型コロナの第六波となり、新規感染者の数は連日、これまでの最高を更新し続けた。2月9日の新規感染者は、拡大し始めて初めて前の週の同じ曜日の数を下回り、12日には週平均でも前の週を下回った。第六波もやっとピークアウトを迎えたようだ。

 

オミクロンは感染力は強いものの、死亡率、重症化率が低く、軽く見られがちであったが、エッセンシャルワーカー(生活を支える仕事をされている方々)の感染急増により、社会生活に支障が起こり始めている。

 

医療ではコロナ以外の患者でも、救急車による搬送先が見つからず適切な治療が受けられないケースが多いとの報道もある。私は昨年脳梗塞で救急搬送されたが、もし今発症していたら、搬送先が決まらず救急車内で待たされて、一刻を争う病状がより重篤化していたかもしれない。そう考えると恐ろしい。

 

オミクロンは、鼻や喉の異常から始まるということで、「鼻うがい」が予防に有効らしいと、生島ヒロシさんが毎朝ラジオで推奨している。私は「鼻うがい」を一時休止していたが、2月6日から又再開した。

 

 

二月になってからの近況です。

 

①脳神経内科診療

 

2月2日受診、脳梗塞の後遺症(ふらつき、ぼーっとした感じ)は、昨年に比べると少し良くなったような気がするが、まだ完全に回復していない。12月の受診で、血液検査の腎機能値(クレアチニン)がかなり高かったものが、今回は正常値近くまで下がっていた。

 

担当医が四月からこの病院を移動となる為、今回は次の医師への引継ぎの話があるかと思っていたら、私の病状が安定しているため、次回からは自宅近くのかかり付けの医院で、診療を受けるように言われる。

 

ここは大学病院なので、高度医療診療に特化して、病状の安定した患者は、極力かかり付け医で診てもらうようにするのが、病院の方針らしい。納得できる。

 

担当医からは、私のこれまでの診療情報を郵送してもらい、次回からはそれを持って自宅近くの医院での診療となる。

 

担当医は、私が救急搬送された時からお世話になった、恩人である。これまでの治療に対するお礼と、次の病院での活躍を期待する旨(むね)を述べて別れた。

 

⓶サークル活動(テニス、卓球)

 

SHテニスサークルは1月2月が冬休み中であるが、もう一つのKサークルは毎週火曜日に活動している。今年は寒く、プレイ中はそれほどでもないが、身体を動かさない休憩中は一気に寒くなり、厚手のコートを着込み陽だまりを求めて休んでいる。

 

1月下旬に、S卓球サークルの主催者さんから、オミクロンの感染が拡大しているので、2月に予定されていた4回の練習会は最終日の1回のみとするとのメールが入った。このサークルはお上手な方が多く、参加が楽しみだったが、仕方ない。

 

もう一つのHサークルは、いつものように開催しているので、2月は月5回参加の予定。

 

 

③リハビリセンター

 

毎週金曜日の午前中に通っているが、今月の第二金曜日11日は祭日で休みなので、前日の10日(木)に振り替えで出席した。

 

この日は前日から雪の予報で、関東南部の平野部でも積雪が有り得ると、気象予報士が注意を呼び掛けていた。朝方は積雪に至らずミゾレが降っていた。

 

ミゾレの中歩いてセンターへ行く。センターに着き、着替えて周りを見渡すと、いつもの金曜日と比べて、利用者がやけに少ない。スタッフに訊くとこんな天気なので欠席者が多いとのことだ。

 

曜日が変わっても、指導スタッフは同じなので、金曜日と同じメニューをこなす。別のスタッフから、マッサージ付きのウォーターベッドを体験してみないかと言われたが、私は自分のメニューをこなすだけで、3時間半かかり時間の余裕がなくできなかった。

 

毎度のことだが、3時間半みっちり運動した後は爽快感があって気持ちが良い。帰宅時にはミゾレが雪に変わっており、外気温は1℃前後でとても寒かった。

 

 

北京冬季オリンピック

 

2月4日から冬季オリンピックが始まった。開催前から中国の人権問題に抗議して欧米の一部の国が外交的ボイコットをしたりと問題があったが、競技は予定通り進んでいる。

 

フィギアスケートの羽生結弦さんが、ショートプログラム(SP)で、前の選手の付けた氷上の穴に、ブレードのエッジをひっかけてジャンプができず、SP8位と出遅れた。フリーで前人未到の4回転半ジャンプに挑み、巻き返しをはかったが失敗、結局総合4位となり、3連覇はならなかった。

 

羽生選手の今回は「運」に見放されたようで気の毒だ。「運を味方に付けるのも一流アスリートの条件」と言われているが、一流アスリートの世界は厳しい。羽生さんは未練がましい言い訳をせずに、潔く現実を受け入れていたのが清々しかった。

 

オリンピック競技の放送は昨年の東京大会もそうだったが、あまり見ていない。そんな中、今私が最も注目し期待しているのが、スケートの「女子団体追い抜き・パシュート」だ。

 

NHKの「クローズアップ現代」でたまたま「女子パシュート」が特集されていたのを見たのがキッカケだ。

 

パシュートは3名1チームで競われる競技で、女子は4年前の平昌オリンピックで金メダルに輝いている。その時のメンバーは、高木美帆高木菜那佐藤綾乃菊池彩花で今回は、菊池彩花が押切美沙紀に交代して、あとの3人は同じである。

 

12日、8か国8チームで争われた。日本チームは3人の息がぴったり合った美しくも素晴らしい走りで、オリンピック新記録を出して1位となった。15日に上位4チームによる準決勝と決勝が行われる。

 

 

④確定申告

 

私は年金生活者だ。年金は厚生年金と一昨年まで企業年金が支給され、確定申告をすると所得税が還付された。この還付金は、この時期のお小遣いとして毎年楽しみにしていた。

 

企業年金が一昨年に打ち切られ、厚生年金だけになったので、今年の申告(令和3年度)はどうなるかと、2月6日半日かかって、控除書類を整理したり計算したりして確定申告書を作成した。

 

案の定、所得税額から源泉徴収額を差し引いた値はプラスになった。即ち今迄毎年還付されていたものが、更に税金を支払うこととなったのである。「しょうがないか」と観念して翌日税務署に行って納税して来ようとその日は就寝する。

 

翌朝「確定申告の手引き」をもう一度初めから読んでみると、申告の受付は2月16日からで、今日行っても受付されないと知る。還付申告は2月15日以前でもOKとある。今迄還付申告を毎年2月初旬に申告していたので、今日でも受付されると思い込んでいた。

 

さらに「手引き」のいつもは読まない初めの基本的な事項を熟読すると、「公的年金等の収入金額が400万円以下で公的年金等に係る雑所得以外の所得金額が20万円以下の場合、計算の結果、納税額がある場合でも所得税等の確定申告は必要ありません。」と書いてある。

 

私の場合、「申告書は作ったけれど、確定申告しなくてもいいんだ」と嬉しくなる。

 

でも待てよ、今迄還付でも確定申告をしていたので、住民税を管轄する地方公共団体は税務署から送られてくるデータによって、住民税の課税額を決めていただろうが、確定申告をしない場合は、どうなるのだろう?

 

市役所に電話で訊いてみる。すると、年金機構から送られる年金源泉徴収データから計算すると言われる。その場合年金のデータだけで算出されるので、保険料控除や医療費控除等がある場合は、住民税の申告をした方が良いと言われた。

 

電話の後、市役所に行って住民税の申告をしてきた。そこで収入金額から所得金額を算出する計算式が、住民税と税務署では異なることを発見した。 ひと仕事が終わった。