九月になって

 

ロシアがウクライナに侵攻して半年以上が過ぎた。ロシアはウクライナ東部の一部を制圧し、ウクライナも西欧から供与された武器等によって、反転攻勢を狙っている。ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシア侵攻半年に対する演説で、今回のロシア侵攻前の領土に加え、2014年に併合されたクリミア半島も領土奪還の目標にすると宣言した。

 

すなわちクリミア半島をも奪還するまでは、戦争は終わらせないということだ。ゼレンスキー大統領が祖国を愛することは痛い程分かるが、それにより戦争は益々長期化し、インフラの破壊、一般市民の犠牲、戦争の悲劇が継続することとなる。

 

プーチン大統領による蛮行は非難されて当然ではあるが、ゼレンスキー大統領も国民への戦意を鼓舞するだけでななくて、一般市民の為に、和平への糸口を模索して欲しい。

 

ウクライナ最大のサボリーナ原発は、現在ロシアの支配下にあるが、ここに爆弾が投下されている。ロシア、ウクライナ双方が発射しているのは、相手国だと非難し合っているが、真相は不明だ。原発への攻撃は、電源や冷却装置が被災すれば、福島原発事故のような大惨事になりかねない。二国間だけの問題では済まされず、近隣諸国への放射能汚染に繋がる。

 

こうした中、IAEA国際原子力機関)の調査団が、9月2日に現地入りし視察調査することになった。調査中も発電所は被弾しており、その中で作業するIAEA関係者には、頭が下がる。ロシアによる妨害も懸念されるが、現状の詳細把握と原発の非武装化がが実現するよう祈る。

 

国内に目を転ずると、コロナの第七波の感染者数は下降傾向で大変喜ばしい。政府はオミクロン対応ワクチンの接種を10月から9月に前倒しして行うよう調整していると発表した。

 

今年はインフルエンザの流行も予想され、コロナとインフルエンザの二つのワクチンを同時に接種することもあり得るということだ。私は8月にコロナの4回目を打ったばかりなので、ワクチンに関しては聊か(いささか)食傷気味の感じがする。

 

政府は今月下旬に安倍元総理の国葬日本武道館で行うことを決めた。国葬に関しては、法的な解釈他色々な問題があり、議論の分かれるところではある。新聞各紙による最近の世論調査では、読売新聞を除く全社で国葬反対が賛成を上回っている、(読売新聞のみ賛成49%反対46%)

 

去年のコロナ感染拡大中でのオリンピック開催についても、世論調査では、開催反対が多数を占めたが、世論は反映されずにオリンピックは開催された。今回も去年と同じ構図で進行するのであろう。

 

猛烈な台風11号は、9月1日沖縄宮古島の南方海上を南西に進み、一旦停滞した後、2日進路を極端に変更して北上に転じた。この進路の急激な変更は気象予報で予測していて、その通りになった。今更ながら大型コンピューターの計算による気象予測の凄さに感嘆した。今後は極力災害が少ない状態で通過して欲しい。

 

 

さて、九月になった。当地では、8月の最終週以降は、35℃以上の猛暑日はなく、最高気温が25~28℃の涼しい日が5日もあった。目には見えないが、少しづつ秋が近づいているのだろう。古今和歌集 藤原敏行の「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる」の季節になった。

 

私の生活は相変わらず単調な日々の繰り返しであるが、この一週間を日記風に綴ってみます。

 

8月29日(月)

朝のゴミ出しの帰りに、一軒おいたお隣さんの奥さんに呼び止められた。奥さんは庭の大葉を摘んでいて、その内の20枚ほどを「薬味にでもどうぞ」と差し出された。今は、ほぼ毎日冷奴やそうめんを食しており、朝の納豆にも使えるので、ありがたく頂戴する。

 

このご近所さんは、数年前自治会の会長をされていたお宅で、私もその時に副会長をしていたので、当時は色々お世話になった。このお宅で打ち合わせも何回か行い、その都度奥さんにはお世話になった。

 

ご主人は、自治会の会長を辞められてからは、ほとんど見受けられなくなったが、奥さんは庭に出ていたり、道路を歩いている姿をよく見かけ、顔を合わせれば会釈して挨拶をする程度の付き合いが続いている。

 

10時半 歯科医院の定期診療に行く。受付に診察券と保険証を出すと、保険証が8月から新しい物に更新されており、差し出したものは有効期限切れと言われる。新しい保険証を今月中に届けるということで、診療はしてもらった。

 

新しい保険証を見た記憶が全然なかったので、帰ったらまず市役所に電話かと考えながら帰宅する。

 

私は届いた郵便物を、①直ぐ見るもの、②後でゆっくり見るもの、③ダイレクトメール等その場で廃棄するものに分けている。②は居間の入り口近くの棚に置いておく。

 

帰宅して②の棚を捜してみると、下の方から7月中旬に届いた新しい保険証の入った未開封の封筒が見付かった。私が封筒を開封していなかっただけであるが、私の直ぐやらずに後回しにする悪い癖が出てしまったお粗末な話だ。

 

8月30日(火)

先週までの暑さが嘘のように、朝から涼しい。10時半からKサークルのテニスだ。コートに着くと小雨が降り出したが、15分程で止んだ。気温は26℃で、先週までの30℃以上の炎天下でテニスしたことを思えば、天国のようだ。それでもプレイすると汗は半端なく出て、シャツは汗でびしょびしょになった。

 

一旦帰宅して、シャワーを浴び、一休みしてから午後のS卓球にでかける。先週このサークルの代表が、熱が出てコロナを疑い休んだが、PCR検査の結果は陰性だった。今週は元気に現れ、卓球も元通りプレイしていた。

 

このサークルに最年長の女性(おばあちゃん)がいる。彼女は若いころテニスをしていたが、足を悪くして今は卓球とゲートボールに励んでいる。茶目っ気があって可愛いおばあちゃんだ。

 

いつもはメンバーの一人に車で送迎してもらっているが、今回そのメンバーが休んだので、おばあちゃんはカートを引いて歩いて会場まで来た。卓球が終わる時、私は彼女に自宅まで車で送ると告げる。

 

もう一人会場まで歩いてく来る年配の男性がいて、私は、帰りは彼を毎回車で送っている。今回は二人を送ることとなった。

 

二人を乗せて出発、おばあちゃんと男性の家は反対方向となるが、まず、おばあちゃん宅に向かう。おばあちゃんは未亡人で一人暮らしだ。彼女は車の中で、「お二人さん、家に寄ってコーヒーでも飲んでいってよ」と言う。彼女は人が集まって賑やかなのが大好きな性格で、一人になるのが寂しいようだ。

 

おばあちゃん宅に到着すると、彼女が予定していた駐車場には車が駐車してあり、私の車は停められなかった。彼女を降ろし「また今度ね」と言って別れる。

 

続いて男性をお宅まで送る。帰宅すると6時近くになっており、いつもは4時半頃に採る夕食はこの日は7時になった。

 

8月31日(水)

今日は今月から参加している水曜テニスの日だ。8時半からなので、家を8時には出なくてはならない。5時に起きて備える。夜に雨が降ったようで、道路が濡れている。

 

今日のテニス会場は、土のクレーコートなので、もしかして雨によるコート不良で使用中止(テニス中止)になるかもしれない。コートが使用できるか否かの判断は、コート管理事務所の職員が行う。結果が分かるのは、8時10分前位だ。事務所に電話すると、案の定コート不良中止だった。

 

身体は完全にテニスのモードになっているので、精神的にガクッとくる。さて時間が空いたので何にしようか考える。久しぶりに大掃除でもと頭をよぎるが、全く身体が反応せずスイッチが入らない。

 

「今週のブログ何を書こうか」と思い巡らすが、何も浮かんでこない。冷たいオレンジジュースを飲みながら、考えていたが頭の中はスッカラカンノカンで空っぽだ。その内に早く起きたので眠くなってウトウトする。「エエイままよ!」とばかり寝室へ行ってベットに横たわり2時間程昼寝(朝寝)した。

 

そもそも、何故水曜日の早朝にテニスをするようになったかというと、水曜に何も予定が入っていないと、怠け癖の私は、朝グズグズといつまでも布団の中で惰眠を貪り(むさぼり)、起床が遅くなってその日一日無駄に過ごすようになる。「これではダメだ」と水曜早朝テニスに参加させてもらうことになった。

 

それが朝から2時間近く寝ていたのでは、前と同じではないかと自分が情けなくなった。

 

9月1日(木)

夜7時半NHK総合の「サラメシ」を見た。そこで紹介された女性(30~40代、二児の母)は関東地方から岡山県の田舎町に移り住み、ベンチャー企業の社長であり、普段は自宅でリモートで仕事をし、月に何日かは奈良県生駒市役所に通って公務員(教育行政や教師へのアドバイスなど)として働き、時には学校の先生にもなるというスーパーウーマンだ。

 

最近は女性の方で、才能・スキルに秀でた方が多く社会に出るようになった。頼もしい限りだ。

 

9月2日(金)

午前中の3時間半、いつものようにノンストップでリハビリトレーニングに励む。シャツを絞れば流れるくらいの汗をかく。

 

介護保険を利用してリハビリに通っていることから、ケアマネージャーが定期的に我が家を訪問して、現況のヒアリングをしている。今日はその日で午後に30分程面談した。

 

9月3日(土)

午前はスーパーへ買い出し、午後は、H卓球、夜は自治会の会合に出かける。

 

ーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇

 

今読み返してみると、月、火、水曜日は、だらだらと綴ったものです。

 

月曜日は、朝ご近所さんに大葉をいただき、歯医者さんでは、古い保険証を出してしまい、帰宅して探したら新しいものが出てきた。

火曜日は、午前中テニスで、午後の卓球の帰りに、仲間を車で送った。

水曜日は、早朝テニスが中止となり朝寝してしまった。

 

と、ただこれだけのことです。最後までお読みいただいた皆さん、冗長な文章にお付き合いいただき、すみませんでした。そしてありがとうございました。

 

夏の終わりの思い出

8月もお盆が過ぎ、高校野球が終わるころになると、周りは真夏の喧騒が収まり、どこかに気だるさが漂う雰囲気となる。私は若いころから、この時期の「宴の後(うたげのあと)」のような感覚が好きだった。

 

会社に勤めていた頃、夏休みの取得期間は自己申告で決めることができたので、例年8月の20日頃から一週間程休暇を取っていた。この時期が好きなのと、旅行する場合は、旅先の交通や、宿の混雑がお盆のころより緩和されるからだ。  

 

この頃の、我が家の子供に纏(まつ)わる昔の思い出を列記します。

 

1⃣ 牧場での競走

記憶が定かではないが、息子が小学4年生、娘が小学1年生だったと思う。夏休みの終わりの頃、近場の牧場へ行った。牧場と言ってもそんなに広大ではなく、その日は牛が数頭放牧されているだけだった。

 

放牧場の横に平らな草原があったので、3人で競走することにした。娘が先頭、息子が娘の後ろ10m位、私がその後ろ10m位のハンデを付け、「よーいドン」でスタートする。走行距離は、娘が30m、息子が40m、私が50mだ。娘から約30m先がゴール。3人が懸命に走る。息子と娘は学校で走るのは早い方だったが、その時は私もまだ若く、何とか前の二人に追いついて、3人がほぼ同時にゴールした。

 

周りの小高い山の上の雲は茜色に染まり、どこかに秋の気配を感じる快い風が、3人の間を吹き抜けた。

 

2⃣夫婦と息子の3人旅

家族旅行は、子供が小学生くらいまでは、皆で喜んで行ったものだが、中学生以上になると子供たちは親との旅行を敬遠するようになる。

 

息子が高校1年生、娘が中学1年生の夏休み、娘は妹家族が赴任しているドイツフランクフルトに預けていたので、夫婦と息子の3人で旅行した。息子は気が乗らなかったようだが、母親が説得して3人旅となった。

 

<1日目>

この時は行き先も当日に決めて、昼前に出発、取り敢えず16号から関越自動車道経由で伊香保温泉に向かう。息子は元々無口な性格なので、車の中でもほとんど喋らない。当時はまだゲーム機が無い時代で、後部座席で横になったり、座って黙って外を見ていたようだ。

 

温泉の観光案内で宿を紹介してもらう。飛び込みなのであまり期待しなかったが、温泉、食事、サービス共に合格点の宿だった。

 

<2日目>

榛名湖から北軽井沢を経由して軽井沢へ向かう。途中寄った浅間牧場のソフトクリームはそれまで食べた中では最高に美味しく感じた。口数の少ない息子も、口にこそ出さなかったが「ウマい」という顔をしていた。

 

軽井沢の商店街をぶらりと歩き、パスタやさんでランチ。食後は18号で小諸、上田を通り、千曲川を渡って別所温泉へ。上田と別所温泉の間は、全国の鉄道ファンには、丸窓のレトロな電車で有名な上田鉄道別所線が走っている。

 

   写真ACより   ei-mi さんの作品

 

途中別所線と並行して走る道路に車を停めて電車が来るのを待つ。やがて塩田平の広い畑の中から、一両のローカル電車がコトコトとやって来た。夏の終わりの夕日を浴びて電車は郷愁を漂わせながら目の前を走り去った。

 

連れ合いと息子は電車には感心が無く、車の中でぼんやりと待っていた。

 

別所温泉も駅前の観光案内で宿を紹介してもらう。宿は純和風の高級旅館、風呂は大浴場、露天風呂、他豊富で、泉質は弱アルカリ性の美肌の湯だ。夕食の品数は多く、目移りしたが、その中のジュンサイを、私はこの時初めて食べたと思う。食感が心地よかった。

 

<3日目>

朝一番に、別所温泉近くの前山寺の三重塔を見学する、この辺り鎌倉時代から室町時代にかけて作られた国宝や重要文化財が多く点在していることから、「信州の鎌倉」と呼ばれている。

 

別所温泉の近くに、私の父の故郷があるので、寄ってみる。その集落に近ずくと、道の両側に「〇〇材木店」とか「〇〇商店」(〇〇は私の苗字)の看板が多く見られるようになる。

 

私の苗字は珍しい方で、実家の名古屋や、自宅の街ではほとんど見当たらない。息子も学校では一度も同姓に会ったことが無く、車窓から〇〇の看板を見るのも初めての経験だったので、「こんなに〇〇があるのか~」と興奮していた。

 

この後、白樺湖から中央道に抜けて帰路に就いた。息子とは以後一度も一緒に旅行していない。

 

 

3⃣ 夫婦と娘の3人旅

娘の中学時代以来、彼女の反抗期もあってか父娘のコミュニケーションは疎遠になっていた。彼女が短大1年生の夏休み、夫婦で飛騨旅行の計画を立て、息子は留守を守る事になった。娘を誘っても断られるに決まっていると思っていたが、母親が説得して、娘も参加することになった。

 

<1日目>

深夜3時頃車で家を出る。中央高速で松本へ。女性達は車の中で眠っていた。松本ICから国道158号を西に進む。梓湖の前川渡大橋を渡って一気に乗鞍を目指す林道のような県道を登っていく。清々しい早朝の乗鞍高原を通過して、更に急勾配の登り坂をゆっくりと進む。

 

車だから座っていても高度は上がっていくが、歩いて登るとなるとかなりハードな道のりであろう。文明の利器(車)の有難さを実感する。ジグザグの山道を抜けると位ヶ原、更に登ると、そこから道路は乗鞍スカイラインに繋がっている。

 

車を停めて外に出ると、その寒いこと、標高3000m近い山の上は、風も吹いていて、8月なのに身を切るような寒さだ。私は毛糸のセーターを着、連れ合いには私が持参したダウンジャケットを着せる。娘はこんな寒さは予想していなかったようで、ジャージーのようなものを着て、頭をマフラーのようなもので巻いて寒さを凌いでいる。

 

 

周りはガスっていて、遠景の山並みは見られない。寒いので早々に車に戻り、乗鞍スカイラインで平湯峠に出て、国道471号を北上する。

 

途中のクマ牧場に立ち寄った。ツキノワグマの動物園と言ったところか。数十頭が放し飼いされていた。

 

 

少し離れたところで人が集まっている。何だろうと思ったら、作曲家で歌手の平尾昌晃さんが見物に来ていたのだ。横には若い美女(奥さんか?)が付き添い、平尾さんはさすが芸能人、白いスーツ姿でカッコよくきめていた。

 

クマ牧場から車で30分程で奥飛騨温泉郷に入る。ここは竜鉄也さんが歌った「奥飛騨慕情」が大ヒットして全国に知られるようになった温泉だ。旅館前の広場に「奥飛騨慕情」の立派な石碑が設置されている。

 

 

そこから新穂高温泉を通って、新穂高ロープウェイ乗り場に至る。ロープウェイで西穂高口へ。ここの展望台から、周りの山々を眺める。この時は晴れていて、西穂、奥穂の穂高連峰北アルプスの眺望を楽しむことができた。(槍ヶ岳は手前の小さな山が邪魔してこの展望台からは見えなかった・・・?と思う)

 

 

本日の宿は、新穂高温泉の欧州ロッジ風のホテルだ。露天風呂は、ホテルから5分程歩いて下った川を堰き止めて作ったものだ。一人で行く。入浴者は一人も居らず、楓や木の葉が何枚も湯に浮かんでいた。女性達はホテル内の浴場に浸かった。食事は洒落た洋風で美味しい。 3人が同部屋だったので、娘とは久しぶりにくつろいだ気分となった。

 

<2日目>

新穂高温泉から、奥飛騨の山道を3時間以上かけて白川郷の入り口にたどり着く。そこは小高い丘の上で、白川郷が一望できた。テレビ等で良く紹介される合掌造りの民家の集落だ。

 

 

集落の中には、実った稲の田圃があったり、茅葺の合掌造り民家の横にコスモスが咲いていたり、のどかな風景が広がる。一昔前にでもタイムスリップしたかのようだ。郷内のお蕎麦屋さんで昼食とする。

 

 

 

白川郷を一巡りした後、今日の宿泊地高山に向けて、又飛騨の山道を荘川村を経由しての長距離ドライブだ。

 

夕方高山駅近くのホテルに到着。ホテルにチェックインしてから、高山市内の古い街並みやお店を見ながら散策する。小鳥の彫り物のみを集めたお店や、個性的な土産物屋さんが多い。

 

 

ホテルへ戻り、温泉(美肌の湯)に入って、食事、ここの夕食も美味しかった。娘とも何回か直接会話した。

 

<3日目>

朝、宮川沿いに屋台や露店が並ぶ宮川朝市へ行く。赤蕪漬、飯泥棒等の漬物や、野菜の他にバターナイフ、スプーン等の小物木彫品も売っている。端から端まで一往復して、次の見学地、高山市郊外の「飛騨開運の森」に向かう。

 

ここには、樹齢700年から1200年の、杉、楢、欅(けやき)、栃の木の大木ばかりを使って彫られた「大黒天」「恵比寿」「福禄寿」「布袋尊」「弁財天」「吉祥天」「毘沙門天」の七体の七福神が祀られている。これらは全て飛騨の匠による一刀彫で作られ、3.2~7.5mにもなる巨大な彫り物だ。その大きさに圧倒されながらお参りした。

 

(失敗写真ですみません、彫り物の巨大さを一番現わしていたので敢て掲載しました)

 

もう一度高山市内に戻り、昨日寄れなかった市内を散策する。飛騨国分寺を見学し、門前の甘味処で、朴葉焼とかき氷を注文する。

 

 

昼過ぎに高山を出発して帰路に就く。国道158号安房峠を越えて長野県に入り、松本ICで中央道に乗るルートだ。

 

平湯の手前の朴ノ木平スキー場が、シーズンオフのこの時期コスモスが植えられている。

 

 

ここは標高が高いため今が丁度見ごろで、一面に咲き誇っていた。娘はコスモスの群生の中に佇んで気取った姿勢で写真に納まっていた。

 

この旅行がきっかけで、娘との関係は自然と前のようにコミュニケーションがとれるようになった。

 

夏の終わりの懐かしい思い出だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お盆のころ

今年の月遅れのお盆が明けた。今年は、コロナの感染が始まって初の行動制限のないお盆とあって、交通機関や高速道路の混雑状況もかなりコロナ前に近づいた。

 

コロナ第七波の感染者は、お盆のころにはピークを越えたと思っていたら、8月19日の発表では、全国の感染者は、二日連続で過去最多を更新して、26万人以上が感染している。

 

感染者の増大で救急搬送が支障をきたし、病床数の逼迫が連日報じられている。医療現場は相当疲弊しているようだ。行政の更なる支援が求められているが、今のところ芳(かんば)しい対策の話は聞かれない。 

 

私の身の周りでは、これまでコロナの感染者は一人もいなかったが、七月下旬にオンラインの雑談会をしたばかりの仲間の一人が、感染したとのメールが入った。幸い軽症で自宅療養期間も過ぎ、普通の生活に戻ったとの報告も受けた。それからテニスサークルの仲間の一人が、濃厚接触者となってテニスを休んでいる。

 

身の周りでは無いが、私が早朝聞いているTBSラジオのキャスター生島ヒロシさんもコロナに感染し、1週間休んで復帰した。生島さんの番組は、健康情報の提供が柱であるだけに、生島さん自身も健康管理には細心の注意を払い、コロナの予防となると思ったら、鼻うがいを始め、幾多の対策を講じ、それをラジオで報告していた。

 

その生島さんが感染したのだから、現在のコロナ株の感染力が如何に強いかが分かる。「コロナに打ち勝つ」などと勇ましいことは考えない方が良いと思う。コロナに罹らないのは運が良いだけと思った方がよさそうだ。

 

マスク、手洗い、換気等のこれまでの対策を取った上で、適度な運動、十分な睡眠と質の良い食事で自己免疫力を向上させるほかないかと考えている。

 

お盆と言っても、我が家は特別な行事は何もない。お墓に行ったくらいで、いつものように、テニス、卓球をし、金曜日にはリハビリセンターに行って、土曜日には買い出しに行くといういつもの生活が続いている。

 

1⃣ ワクチン4回目接種

お盆前に、4回目のワクチンを接種した。1回目と2回目はファイザー、3回目と4回目はモデルナである。1、2回目の副反応は何もなかった。3回目は接種当日の夜と翌日に接種周りの筋肉が痛いだけで済んだ。

 

そして4回目、当日の夜就寝してから、身体全体に倦怠感をおぼえ、接種した腕が痛くなった。トイレに起きて電気を付けようにも、スイッチまで痛くて腕が上がらない。ベッドで寝がえりを打ちたくとも接種した腕を下にできない。

 

不快な一夜が明けて、朝食にしたが食欲がない。起きていても倦怠感は抜けず気持ち悪いので、12時頃ベッドで横になる。3時間程寝て起きたら、気分は少し良くなった。しかし、何かをする気は全く起きない。夕飯仕度もせず外へ食べに行く。食事をしてようやく落ち着いた気分になった。

 

結局翌日には元の生活に戻ることができ、副反応も一日半で済んだ。今回の症状はコロナ菌を体内に入れたことによる反応だろうから、コロナに感染したら、こういう症状になるのかなと思った。

 

それにしても、コロナに限らず、病気で倦怠感を感じ、意欲を消失する症状になることは多々あると思うが、今迄あまりそういう経験が無かったので、その辛さを少し理解できた。前向きに積極的に考えられるのは、身体が健康であってこそだと悟った。

 

2⃣ 真夏のテニス

今はコロナ対策と熱中症対策が必要な時期だ。特にテニスは屋外スポーツなので、熱中症に対しては、十分な注意が必要だ。しかし、私がテニスを始めて以来、コートが取れた場合は雨でない限り、猛暑日でも小まめに水分を取るとか、適時休憩するとかの対策をとって、当然のこととしてプレイしてきた。

 

それが、今年の夏は異常な暑さの日が多いので、火曜テニス(10:30~又は12:30~)の代表者さんから、熱中症アラートが出たら、テニスは中止するとの連絡が入った。サークルの仲間は皆若くないし、常識的に考えて、それも妥当な判断だと思う。8月に入ってからの火曜日は、2日、9日、16日全てアラートが出て中止となった。

 

8月から新しいテニスサークル(水曜テニス)に入会した。今年の4月以降テニスの所属サークルが火曜テニスの一つだけとなり、水曜日が空いていたので、H卓球のSさんの紹介で入れてもらった。水曜日の開催は8:30~で熱中症アラートは出ておらず、10日、17日とプレイできた。

 

3⃣  夕食の楽しみ

S卓球で帰りが5時を過ぎる火曜日を除いて、夕食は4時半頃からとしている。この時間に食卓に酒の肴を並べ、椅子に座れるように台所仕事を頑張る。

 

この時期、酒のつまみとしては定番の、枝豆、冷奴、もろきゅー、焼きナスにその日の副食を「あて」にする。一通り並んだら、やはり夏はビールだ。一人で乾杯する。喉が乾いている時の冷たいビールは格別に旨い。

 

食卓の「あて」の前方にパソコンを置きYouTubeで音楽動画を視聴しながら、夕食をするのが日課だ。動画は「JAY WALK」であったり、「昭和歌謡のサックス演奏」だったり、「森山愛子」だったり色々だが、最近は、寺井尚子さん関連が多い。

 

例えば、寺井尚子さんの「リベルタンゴ」を選曲し、そこからそのミックスリストをクリックすると、YouTube(グーグル)のAI(人工知能)は、実に私の好みを的確に把握した動画をリストアップしてくれる。

 

寺井尚子リベルタンゴ」のミックスリストは、下記曲目が並んでいる。

※印はこのブログで取り上げた曲

 

寺井尚子リベルタンゴ」※1

寺井尚子「Spain スタジオライブ」※3

寺井尚子「キサス・キサス・キサス」※1

寺井尚子リベルタンゴ with  Coba」※1

寺井尚子アルビノーニのアダージオ」

川井郁子リベルタンゴ」※4

川井郁子「死ぬほど愛して」※4

⑧原信夫とシャープ&フラッツ「SING SING SING」

川井郁子「ジュピター」

寺井尚子「Ave maria /cassini 」※1 ※2

寺井尚子「真珠採り」※1

寺井尚子「ライブ Donna  lee 」※3 

       ・

       ・

       ・

と続く。順番は日によって若干異なることもあるが、動画は概(おおむ)ね、この順に再生される。

 

 ーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーーーー

 

これらの曲は私のお気に入りばかりで、そのほとんどがこのブログで取り上げていますので、興味のあるお方は、一読いただければ幸いです。

 

※1 2019年9月23日アップ「寺井尚子さん」:①、③、④、⑩

※2 2020年11月13日アップ「寺井尚子さん2」:⑩

※3 2021年11月23日アップ「寺井尚子さん3」:②、⑫

※4 2021年8月3日アップ「川井郁子さん」:⑥,⑦

 

  ーーー◇ーーーーー◇ーーーーーー―◇ーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーー

 

何度見ても寺井尚子さんの演奏は素晴らしく、曲が終わるごとに「あんたは 上手い!!」と思わず言葉が出る。

 

お酒の酔いが回った頃に「Donna lee」を視聴すると、寺井さんの超絶技法に拍手し、ドラムの中沢剛さんのソロ演奏には、つい興奮して「GO!GO!イケイケ剛、剛!」と声援を送ることとなる。家内には誰も居らず、外には聞こえないはずなので、周りに迷惑をかけてはいないはずだ。

 

好みの曲を視聴しながら、好みの「あて」で飲むお酒は殊の外美味しく感ずる。一日の至福の時間だ。

 

先のミックスリストの中の⑤「アルビノーニのアダージオ」はまだこのブログで取り上げていなかったので、今回紹介します。

 

これは、レモ・ジャゾットが作曲した弦楽合奏とオルガンのための楽曲で弦楽合奏のみでも演奏されるそうだ。昔どこかで聴いたような郷愁を誘うメロディだ。

 

寺井さんはこの曲を、「クラシックで弾くとこうなります」「ジャズで弾くとこうなります」とお手本のように鮮やかに弾き分けている。クラシックもジャズも詳しいことは分からないが、素人の私には「両方とも上手いな~」と思う。

 


www.youtube.com

 

 

この動画のコメントを読んでいて、この「アダージオ」に歌詞をを付けて歌っている歌手がいることを知った。その歌手の名前は、ララ・ファビアン、 カナダとベルギーの国籍を持つ今年52才のシンガーソングライター、ミュージシャンであり女優でもあるそうだ。

 

私は知らなかったが、彼女はこれまでに世界中で2000万枚以上のレコードを販売しており、ベルギー人歌手としては、最もレコード販売した歌手とされている。サラ・ブライトマンセリーヌ・ディオンのような世界的なスーパースターということだ。

 

ララ・ファビアンの「アダージオ」は「アルビノーニのアダージオ」に歌詞を付けて歌たもので、注釈によると、「赤い糸を捜して、手繰り寄せようとしている女の子の心情を歌った切ない歌」だそうだ。

 

寺井尚子さんの演奏と合わせてご視聴下さい。7年前のビデオ映像は3500万回以上再生されていたが、ここでは8年前の700万回再生のライブ映像を貼付します。

 


www.youtube.com

 

 

 

 

 

へんろ日記 16 

7月10日にアップした「へんろ日記 15」の続きです。

 

ーー◇ーーーーーーー◇ーーーーーー◇ーーーーーーー◇ーーーーーーー◇ーーー

 

12月6日(水)(晴)(2017年/平成29年) 

<45日目 香川県白鳥温泉→徳島県1番札所霊山寺>      

 

3:25 起床 昨日、宿に朝食のキャンセルを告げたら、食堂でおにぎりを作ってくれた。それを食べる。

 

5:50 出発。 宿を出ると、夜明け前で月が煌々と照っていた。月明かりで懐中電灯が無くても十分歩ける。月明かりの中を歩くのは、14日目の高知県奈半利以来だ。周りは山道で人家は一軒もない。月明かりの中の歩行は、ロマンチックな気分にしてくれる。

 

6:50 西山 夜が明けて明るくなり始める。国道の分岐点で右へ行くと徳島県熊谷寺方面だ。左白鳥駅方面に進む。

 

7:05 高松自動車道高架下 真正面から太陽が昇り始めた。眩しいが気持ち良い。東さぬき市の白鳥の町を抜けて国道11号を東進する。この辺りは徳島県上板町と並んで和菓子に用いられる和三盆の産地で、国道沿いにそのお店も見受けられた。

 

8:55 所持金が少なくなったので、郵便局で引き出そうと相生郵便局に立ち寄るが、まだ開局していない。郵便局の前の播磨灘を眺めながら待つ。天気は良いが風が冷たく瀬戸内海なのに波が高い。この辺り、地図で見るともう少し賑やかな集落と想像したが、国道にコンビニも無く寂しいところだった。

 

9:50 JR高徳線讃岐相生駅の東側踏切を渡って、JR沿いのへんろ道をしばらく進んで、いよいよ香川県から徳島県の県境を越える登山口だ。

 

10:30 県境 予想したより登りの勾配は緩く、落ち葉の降り積もった登山道は、比較的楽に登れた。

 

11:05 ベタノ谷分岐 ここで右へ行くものと確信していたので、標識が左になっていて、頭が混乱する。(その後歩きながらずっと「なぜ左なのか」と考え続けた。結論は、私が思い込みで地図を間違えて読んでいたことによる)

 

12:15 県道41号分岐 ここから道が舗装されていて助かる。

 

12:50 卯辰峠 峠下のカーブのコーナーで、赤い軽自動車が車輪を上に向けてひっくり返っていた。どういう運転でひっくり返ったのか理解に苦しむ。運転者は見当たらず、地元の警官が車を調べていた。

 

峠を越えて下り坂を快調に進むと、大麻比古神社の広い境内に入る。ここからこの神社の参道が霊山寺の横まで一直線に続いている。

 

13:35  K荘 本日の宿はこの参道沿いにあるので、荷物をいったん預ける。

 

14:00 1番札所 霊山寺 88カ寺を無事参拝できたことの報告とお礼参りだ。納経所では、品の良い銀髪の女性から結願のお祝いの言葉を頂いた。この女性にこのへんろ二回目の墨書授印をお願いした

 

このページには、「あなうれし 行くも帰るも、とどまるも 我は大師と二人づれ」と書かれている。

 

 

霊山寺に隣接する売店で、テニス、卓球サークルへの土産を買って、帰宅後に宅配してくれるよう依頼する。 

 

15:00 K荘 外観より設備が充実している。後で聞いた話によると、バス一台分の客に対応しているという。宿の人には申し訳ないが、本日の客は私一人。

 

今日の夕食は、結願をした自分へのご褒美に、活魚懐石を別途注文した。ここは鳴門に近いとあって、30㎝位の鯛の生き作りが出てきた。一人で食べるには多いが、凄く美味しくお酒もすすんだ。

 

夕食時、宿のご主人が話し相手となり、へんろや宿の話をしてくれる。現在のところ宿の跡継ぎが居らず、今の宿は大きすぎるので、小さくしてへんろ客と話をするのが夢だと言っていた。

 

一人娘が北海道の畜産大学6年生で、来年卒業し徳島県庁への就職が決まっているとのこと。自慢の娘さんのようだ。「娘さんが結婚し、婿さんが宿の後を継いでくれるといいですね」と言うと、「そんなにうまくいくかどうか?」と笑っていた。 

 

酒も肴も美味しく、四国最後の夜を満喫した。 

 

 

45日目の歩数  53,300 歩     歩行距離 34.6 ㎞

 

 

 

12月7日(木)(晴)

<46日目 徳島県和歌山県九度山町

 

さて、四国88カ寺を巡り結 願した。一番霊山寺へのお礼参りも済ませた。

 

これからの大まかな旅の予定は、高野山の麓の九度山から町石道(ちょういしみち)を歩いて高野山大門に至り、そこから更に奥の院まで歩き、弘法大師にお礼参りをする。それから三泊四日で熊野古道小辺路を通って熊野大社へ行く。その後は行き当たりばったりで旅先を決める・・・である。

 

とりあえず今日は、九度山近くの宿までの移動だ。

 

7:00 朝食 今日は歩かないのに、朝からご飯を3杯食べる。 

 

7:50 K荘に別れを告げ、歩いて高松自動車道鳴門西PAに向かう。

 

8:38 高速鳴門西バス停 なんば行高速バスに乗車、客は5~6名程、運転席の後ろに着席する。一か月半ぶりの乗り物で、歩かずに長距離移動できるのはやはり素晴らしいことだ。

 

窓外の景色を見ながら、快適なバスドライブを楽しむ。天気も良く淡路島通過の頃には気持ち良くてウトウトする。バスは神戸から一番海側の高速を通って難波を目指す。

 

11:06 なんば着 私は大阪へは何度も来たことがあるが、難波は初めてだったので、バス降車口から南海難波駅への道順が分からない。お上りさんのように、大阪のオバサンやビルの警備員さんに尋ね尋ねして、駅に着く。この時南海線高島屋大阪本店の2階と3階から発着していることを知った。

 

  写真ACより    Harrie さんの作品 (難波駅/大阪高島屋

 

11:30 難波の天丼や 駅前の天丼やに入る。さすが食道楽の街大坂、安くて、ボリュームがあって、旨かった。

 

12:00 南海難波発 高野線乗車 

 

13:00 橋本着 この日予約した本日の宿は交通の便が悪かったので、駅前の観光案内で橋本駅九度山駅近くの宿を当たってもらった。紹介された3軒に電話したが、全てダメだった。

 

JR橋本駅へ時刻調べに行こうと思い、観光案内の女性にザックを置かせてほしいと依頼したが断られた。この時「5分か10分なのに」と少々腹が立った。

 

へんろ中は腹が立つことは一度も無かった。これはへんろのお陰と喜んだが、元の私に戻ってしまった。こんなことで腹を立てた自分が情けなく悔しかった。  

 

13:30 JR橋本駅 ここから和歌山線で和歌山方面へ一駅乗車する。列車が来るまでホームで地元のオバサンとお喋りする。自宅近辺では絶対しないことだ。心が和む。

 

13:40 紀伊山田 ここから歩いて本日の宿泊地Yへ向かう。

 

13:55 天然温泉Y 30分以上歩くことを覚悟したが、駅から15分で到着。チェックインは14:30からで、それまでは部屋に入れずロビーで待つ。ここは二軒のレストランを備えたスーパー銭湯を立派にしたような温泉で、宿泊棟と温泉、レストランは別棟になっている。

 

温泉に入る前に、高野山から先の熊野古道小辺路の様子が知りたくて、地元の野迫川村役場に電話する。今は季節が12月で、四国の大窪寺近辺でも雪に降られた。標高の高い熊野の山は雪が積もっているのではと懸念された。

 

案の定、小辺路の山道は、現在雪が積もっていたり、凍っている処が多いので、冬山装備でなければ止めた方が良いと言われる。役場の人にしてみれば、この状態でOKとはいえないのだろう。熊野古道小辺路の旅は、今回は中止と決める。

 

温泉に浸かり、レストランで食事を済ませて宿泊棟に戻る。明朝は早朝出発したいので、朝食をキャンセルしたが料金は安くならなかった。

 

部屋で、小辺路を止めてどうしようかと思いを巡らす。「奈良のお寺巡りでもしてみるか」との考えに至った。

 

明日の天気予報を調べると、未明から雨だった。

 

 

12月7日の歩数  9,800 歩       歩行距離 6.4 ㎞

 

 

 

 

              ー続く(非定期)ー

 

 

 

買い出し

毎週土曜日の午前中に、一週間分の食料を調達する為近所のスーパーに、車で買い出しに行っている。何故土曜日かというと、この日はポイントが3倍になるからだ。

 

買い物をする前に、店外にあるペットボトルリサイクル回収機で一週間にたまった空ボトル(主に2ℓ天然水)を処分する。この回収機では、1本ごとに5ポイントが付与され、1000ポイントで100円の買い物券と交換できるというシステムである。

 

この回収機にどこからか集めた大量のペットボトルを持ち込んで、回収機で処分するのを、仕事(アルバイト)にしている人がいる。彼らが処分している時に鉢合わせすると、大変なことになる。

 

一応回収機には「ご利用は5分以内でお願いします」と貼紙で書かれているが、彼らがその時間には終わるはずがなく、注意してマズイ雰囲気になるのも嫌だし、結局諦めて空のボトルを持ったまま買い物をすることになる。回収機の前に誰もいない時は、「ラッキー!」と心で叫ぶ。

 

しかし、冷静に考えると、ペットボトルの処分代は、一本当たり0.5円と安く、1000本でも500円で、割に合わない仕事だと思うのだが・・・

 

空ボトルの処分を終えて、店内に入る。入り口でカートとカゴを選択する。カートは普通のサイズだと入りきらないので、空港で使用しているような大型のものを選び、カゴは2個カートに乗せる。

 

入り口近くでは、おはぎ、くずもち、お団子等の和菓子のコナーがあり、家でのおやつ用に良く購入する。そこから飲み物売り場に行って、天然水の箱売り(安売りの時は2箱)スポーツドリンク、オレンジジュース(なっちゃん)、冷やし甘酒等をカートに入れる。調理用の水は、全て天然水を使用しているので、消費が早い。

 

その後スーパーを野菜売り場から、右回りでひと周りする。玉ネギ、ニンジン、じゃが芋、ゴボウ、大根、キノコ類などは、家で無くなったら補充するようにしているが、夏場は、ネギ、なす、ピーマン、キュウリ、トマト、しょうが、みょうが、大葉は毎回買うようだ。

 

 

        写真ACより   Haru  photography  さんの作品

 

鮮魚売り場では、刺身は手軽で良いのだが、最近寄生虫アニサキスが話題となっていて、手に取ってから止めることが多い。スーパーにはこれはと言った魚が並ばないので、美味しい魚が食べたいときは、車で15分と少し遠いが、新潟県寺泊から直送している魚市場へ行く。

 

料理を始めた頃は、鯵くらいの魚は、YouTube動画で習って、自分で三枚におろしていた。今はイサキや、メバルなどのワタもお店に頼んでとってもらっている。

 

精肉売り場では、豚ロースの薄切りを良く買う。一週間に一回は、玉ねぎ、キノコとの炒め物を作るからだ。牛肉、鶏肉、ひき肉はその週の料理予定に入っている時に適宜購入する。

 

ウィンナ類、ピザ、牛乳を買って総菜売り場へ。揚げ物は、家で作れば美味しいだろうが、調理後の片付けのことを考えると、つい店の総菜から選んでしまう。天ぷらは、かき揚げ、野菜天が好きだ。唐揚げ、トンカツ、焼き鳥類は敬遠することが多い。

 

寿司類は、鉄火巻、アナゴ寿司があるときは、酒のつまみに買う。野菜サラダは毎回買うが、総菜の煮物類は自分で作ったものの方が舌にあうようだ。

 

冷凍食品売り場では、枝豆(夏場は、生から茹でるが、毎日酒のつまみに食べるので、冷凍ものも常時補充している)ソラマメ、たこ焼きは毎回買っている。

 

これまで、里芋の皮は包丁で剝くものだと思っていたが、イカの里いも煮を作る時、冷凍の里芋を使ってみたら、その便利さに大いに驚いた。

 

家に居て、急に甘いものが食べたくなる時がある。先に書いた和菓子コーナー以外でも、ミルクキャンディ、カステラ、ワッフル、カリントウ、ゼリーにはつい手が出てしまう。

 

ここまでで取り上げたもの以外に、毎回買う物は、大粒大豆納豆、めかぶ、鰹節パック、玉子、冷奴用豆腐、窯焼きパン(干しブドウ入り)など。

 

補充するものは、お米、十六穀米、餅、調味料(料理酒、みりん、砂糖、サラダ油、ごま油、酢、麺つゆ、味噌、ソース、ケチャップ、ポン酢、ドレッシング)煮干し、昆布、切り干し大根、高野豆腐、焼き海苔、そうめん、麦茶、清酒、ビール、焼酎、ワインなど。(醤油と塩は通販で購入)

 

品物を見て気分で買うものは、果物、漬物、練り物、タラコ、塩辛、塩鮭など

 

そして、その週に予定した献立の食材を追加する。(献立を何にするかは、いつも悩む)

 

今迄毎回買っていたのに、最近見かけなくなったものがある。金華山熟成鮭、石垣ミネラル麦茶。横浜鶏卵こだわりの旨いたまご、紅茶花伝ピーチなど

 

 

これらの買い物をすると、大きなカートも満杯になり、レジに並ぶ。私が通うスーパーマーケットの決済は、客が自ら支払い機で行うシステムなので、レジ係さんは、商品をバーコードを読みとり、決済済カゴへ入れるだけでいい。レジ係さんがお金のやりとりをしなくなったので、混雑時のレジ通過時間が大幅に短縮された。

 

土曜日午前のレジ係さんの顔ぶれはいつも同じで、胸に名札を付けているので、顔と名前を覚えてしまった。私が並ぶ列のレジ係さんが、ある中年の女性になることが多い。この女性、いつも大きな声でテキパキと客対応をしている。

 

ある時、私がカゴをカートからレジの台に移す時、総菜をケースごと床に落としてしまった。中身はバラバラになったものの、ケースのふたは開かなかったので、私は自分のミスでもあり、それを引き取るつもりでいた。するとそのレジ係さんは、すぐに総菜売り場へ走って行き、新しいものと交換してくれた。親切な人だなと感心した。名前はHさんだった。

 

いつもは土曜午前中にスーパーへ行くのだが、その日は用事があって1時頃行った。売り場で盛装した女性が買い物をしていた。彼女は黒の丈の長いおしゃれなワンピースを着こなし、スーパーでは場違いな感じがするほど、カッコ良かった。「どこかで見た顔だな」と思ったら、何とレジ係のHさんが、仕事が終わって服を着替えて買い物をしていたのだった。

 

彼女は前髪が白く、レジで働いている時は老(ふ)けて見えるが、私服に着替えたら見事に素敵で魅力的な女性に変身していた。前髪も白っぽい黄色に染めていたのか?私服ではその髪も似合っていた。

 

翌週、彼女のレジ列に並び、レジが終わった時、店の人に私語を話すのは躊躇(ためら)われたが「先週、私服のHさんを見ましたよ。私服のHさんって、凄くカッコいいですね」と言うと、黙って笑っていた。

 

レジでの支払いを済ませると、買ったものの袋詰めだ。買い物は大きなレジ袋3枚とスポーツドリンク、ジュース等の水類は布製の買い物袋へ入れる。お米や酒類、大根、ゴボウ等大きな物、長い物、天然水の段ボールはそのまま車のトランクへ詰め込む。

 

帰宅して買った物を車から運び入れ、冷蔵庫、冷凍庫や所定の場所に設置してやっと買い出しのひと仕事が終わる。土曜日は午後からH卓球が開催されることが多いので、その時は忙しい。

 

 

 

 

七月最終週

子どもたちは夏休みに入ったが、新型コロナの第七波が拡大中で、連日新規感染者数の過去最多を更新している。

 

国民はもう3年もコロナに振り回されて、コロナ疲れになっていること、第六波以降のオミクロン株やその変異株は致死率が低く重症者が少ないこと、国、自治体が行動制限を出していないことから、第七波で感染爆発が起きていても、世の中、以前のような緊迫感、緊張感が随分と欠けているように思える。

 

私も最近では、以前のようにストイックに自粛に努めるのではなくて、感染対策を取った上で柔軟に行動をしようと考えるようになった。

 

記録的な猛暑で始まった七月も最終週となった。この暑い中、平凡で代わり映えのしない毎日が一日一日と過ぎていく。変化が無く面白味は欠けるが、痛いところも無く健康に過ごせることには、感謝せねばならない。

 

 

そんな一週間の記録です。

 

 

7月24日(日)(晴)

1⃣ 朝NHK Eテレ「日曜美術館」を見る。この日は陶芸家、辻村史郎さんの特集だった。

 

辻村さん(75才)は、50年前に奈良の山奥に住まいと窯をすべて一人で作り、師を持たず独学で作陶し、今でもそこで、陶芸品を作り続けている。

 

この3年は、独自の手法で志野茶碗を1日に150椀ほどろくろで作り、窯で焼いては焼きあがった椀に茶を点(た)てて、飲み心地を確かめる毎日だそうだ。まだ自分の思い描いた納得のいく作品には出会えていないようだ。

 

 

焼いた志野茶碗は年間4000個にもなるが、辻村さんはそれらを砕いたりして、処分しない。すべて自分の山のいたるところに置いておく。そのように野ざらしすることにより風化して趣のあるものになるからだという。

 

辻村さんは陶芸だけでなく、油彩画や書も手がける。いずれも自己の内面から湧き上がる何ものかに突き動かされ、それを形に現すために手を動かして作る作品で、陶芸と本質は変わらない。

 

辻村さんは世界中に多くのコレクターを持ち、その作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館を始め多くの美術館に所蔵されている。

 

私は、このテレビを見るまで辻村史郎さんを存じ上げていなかったが、また一人興味深い日本人の存在を知り、朝から得をした気分になった。

 

2⃣ 午後、公民館のH卓球へ行く。公民館は冷房が十分に効いているので、自宅よりも快適である。他のメンバーも同じ考えか、参加者は10人と多かった。

 

数か月前から、Dさんと15分の休憩時間を利用して二人だけでみっちりとラリー他の練習をするようにしている。休みなしの連続なので少々疲れるが充足感は得られる。

 

3⃣夕方夕飯仕度をしていて、玉ねぎを半分に切る時、玉ねぎの外皮に包丁を滑らせて、左人差し指の爪の下にグサリと突き刺してしまった。幅1㎝深さ5㎜くらいの傷である。痛くは無かったが、切り口の中の肉が覗かれ、血がぼたぼたと流れ出た。

 

慌てて傷口を水道水で洗って、取り敢えず大き目のバンドエイドを傷の周りに貼り付ける。脳梗塞予防に抗凝血剤を常用しているので、出血が止まらないか心配したがそれはなかった。夜バンドエイドを剥がし、傷口に赤チンを塗って再度バンドエイドを貼って放置した。

 

 

3日後傷口は塞がり治った。人間の身体の再生能力も大したものだと感心する。

 

 

7月25日(月)(晴)

1⃣ 普段は目に付いたところの汚れのみを、掃除機をかけたり、拭いたりして横着しているので、今日は午前中に全室の掃除をした。居間のフローリングも雑巾がけしたので、掃除後は気持ちが良かった。その代わり大量の汗をかき、シャワーを浴びる。

 

2⃣ 午後は、会社に勤めていた頃の寮の仲間とのオンラインミーティングだ。メンバーは7人であるが、前回(4月)は、その内の一人が急に体調を崩して、6人での開催だった。今回は全員の元気な姿が画面に映し出され安心する。

 

毎回各人が近況を報告するのであるが、私のこの3ヶ月の近況は、4月に報告した内容と全く同じで、改めて変化のない生活をしているなと思う。

 

7人で雑談していると、時間の経つのは早いもので、Teamsの制限時間2時間はあっと言う間に過ぎ、話しの途中でTeamsが切れてしまった。この日Bさんが一昨年に検討し、コロナで延期になっている旅行の話ができなかったので、改めてメールで検討することとなった。

 

7月26日(火)(雨)

1⃣ 午前中に予約してある歯医者さんに行く。歯医者さんへは定期的に行って、歯垢除去、口内洗浄、口内チェック等の口腔ケアをしてもらっている。

 

この歯医者さん、診察前に受付で念入りなコロナ対策チェックをさせられる。(本人の発熱、身内の感染者、濃厚接触経験等)これらのヒアリングの後、洗面所でうがいをしてから診察を待つことになる。私の担当医は、太っちょの元院長先生で、優しく丁寧、説明も的確で、安心して治療を任せられる。

 

2⃣ 今日のテニスは雨で中止、午後S卓球へ行く。参加者8人。休憩時間にこのサークルのメンバーの名前(苗字)が、私を始め、珍しい人が多いと話題になる。そう言えば本日参加の8人の内7人の苗字は、私の人生で、このサークルに参加して始めて出会った苗字だった。

 

7月27日(水)(晴)

1⃣ 朝食後の薬を服用していて、薬が今週末で無くなることに気が付いた。かかり付け医は、明日が休みで、金曜日はリハビリの日なので、急遽今日の午後に診療を受けることにする。

 

午後の診療は14:30からだ。病院は近いので、少し早めの 13:30頃家を出て歩いて行く。空を見上げると夏の空だ。暑いが気持ち良い。街路樹には蝉が止まって鳴いていた。今年初めて聞く蝉の声。

 

 

 

診察では、前回(2か月前)採血した血液検査の結果説明(大きな病院では当日判明するが町医者なので、時間がかかる)で、腎機能値(クレアチニン)が若干適正値より高いが他の値は大丈夫とのことだった。

 

2⃣ 今日7月27日は、亡き母の29回目の命日だ。名古屋の父母の墓へは、コロナもあって、もう数年行っていない。名古屋の妹には墓参してもらっているが、親不孝の謗り(そしり)は免れない。

 

自宅の仏壇に仏花と果物を供えて供養する。今まで月命日の供養では、「天台声明音律研究会による般若心経」をCDで流して供養していたが、最近CD再生機の調子が悪く、うまく再生できない。仕方ないので、私の読経で代用した。

 

7月28日(木)(晴)

家事で洗濯をしたくらいで、特記事項はありません。

 

7月29日(金)(晴)

午前中、いつものように、3時間半リハビリセンターで存分に汗をかく。

 

脳梗塞の後遺症のフラツキはまだ完全に治っていない。テニスのサーブでトスを上げる時、フラッとする。ここでのリハビリで目に見えるような改善は無いが、毎回バランストレーニングをしているので、少しずつ良くなっているのかなとも思う。

 

リハビリセンターなので、この施設の利用者は、身体に病気や怪我で障害を抱え、そのリハビリのためにこの施設に通って来るのであるが、外見上は健常者と全く変わらない人も多い。金曜日午前中の利用者約40人の内3割くらいは、要介護区分の要支援1か2ではないかと思われる。

 

これらの人(私もその一人)は、施設内のトレーニングマシンを積極的に使用して体力作りに励んでいる。

 

残りは、明らかに障害が認められる人たちで、皆少しでも身体の不自由が解消できるように、一生懸命に努力している。その内の一人の方のリハビリ目標を、たまたま目にした。「普通に歩けるようになりたい」と書いてあった。

 

その方は右半身が不自由なようで、車いすを使わずに自力で歩けるが、健常者のような歩行姿勢がとれない。その人にとって「普通」が如何に大切で有難いことであるかが良く分かる。また右の手のひらがいつも握った状態だ。利き腕が右なら生活に不自由しているだろうなと推測する。

 

彼らの姿を見るにつけ、普通に歩けて、普通に生活できる自分が凄く恵まれていることを実感する。

 

7月30日(土)(晴)

午前中にスーパーへ一週間分の買い出しに行って、午後はH卓球。卓球終了後、SさんとMACでお茶する。Sさんは卓球をしばらく休んでいたので、久しぶりだ。

 

H卓球のラリーで一番上手なRさんが話題となる。女性ながら男性の強烈な球を難なく返し、それ以上の速球が返ってくる。彼女はバウンドテニスもやっているので、腕力もありそうだ。動きも活発で、プレイも若々しいので、10~20才は若く見える。

 

彼女はこれまで、お産以外は入院したことが無いと言っていた。病気もせずに極めてタフなスーパーウーマンだ。Sさんと二人で「凄い人だね。」と言って感心して肯き合った。

 

Sさんから、彼が所属している水曜日のテニスサークルのメンバーが少ないので、加入しないかと誘われる。時間は朝8:30から、朝が早いので躊躇する。数年前はテニスを週4~5回していたが、4月以降、現在テニスは週一回しかしていない。水曜日は、予定が入っておらず、休養日としてダラダラ過ごすことが多いので、生活を改善する為にも参加してもいいかなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七月の三題

7月に入って、元総理の銃撃事件、参議院選挙与党圧勝と大きな出来事が連なり、マスコミを賑わした。

 

コロナの第7波が急拡大し感染者数は第6波のピークを越え、これまでの最高となった。(7月21日現在 全国18万人以上、東京3万人以上)それでも政府は重症者数が少ないという理由で、行動制限の指針は出していない。その為か感染拡大にもかかわらず、街や行楽地の人出は、去年に比べ相当増えているようだ。 

 

天候は6月の猛暑のような極端な暑い日は少なくなったが、中旬は梅雨に戻ったような雨や曇りの日が続いた。

 

ラジオのあるコーナーでは、6月猛暑期間中に梅雨明け宣言が出されたが、実はその時点ではまだ梅雨は明けておらず、特異な梅雨の中休みだったとも考えられると言っていた。最近、九州方面に線状降水帯が発生し、大雨をもたらしているが、例年の梅雨末期の現象と捉えた方が得心できる。

 

 

今回は、全く関連性の無い三つのお題を並べてみました。

 

 

1. 胃腸が弱い

子どものころから胃腸がタフではない。夏の時期、冷たい物と油ものを同時に食べるとお腹が痛くなって下痢をした。大人になってからも冷たいビールとてんぷらを同時に飲食したり、冷たい牛乳を飲んだりすると、お腹の具合がよろしくない。

 

最近寝る前に、以前にもブログに書いたことのある「ワカコ酒」という番組をよくみている。番組の中で、ワカコさんが、キンキンに冷えた生ビールジョッキを左手に持ち、揚げたての唐揚げを右手の箸でつまみ、「ビール」「唐揚げ」ビール」「唐揚げ」と言いながら、交互に飲み食いしていた。(それほど旨かったようだ。)

 

彼女は演技とは言え、いかにも美味しそうに飲み食いするので、こちらも思わず生唾を飲み込んでしまう。と同時に私がそれをやると、お腹が痛くなるのだろうなと思い、胃腸が丈夫そうな彼女が羨ましかった。

 

19日、10:30からテニスをした。この日は猛暑ではなかったが、蒸し暑く汗をいっぱいかいた。帰宅してシャワーを浴びてから、ブドウパンを食べながら牛乳を温めて飲んだ。一杯にしておけばよかったのに、パックがあと一杯で空になるのでもう一杯飲んだ。

 

テニスでスポーツドリンクを1リットル近く飲んだこともあってか、お腹の中がゴロゴロし始める。15:00から卓球で又スポーツドリンクを500㏄飲む。

 

帰宅してからも、全然食欲が無い。夕食は、枝豆、ゆで玉子、里芋煮など油の無いものばかりを少量食べて終わりとする。晩酌も中止。

 

翌日、朝は毎日メカブ入りの納豆を食べているのだが、メカブの消化が悪そうなので、メカブは抜いて薬味のネギと鰹節だけにした。食事を前夜から節制したお陰か、夕食時には食欲も元に戻り、晩酌も再開する。但し、冷たいビールや酎ハイは止めて清酒の冷(常温)とする。

 

 

2. かたつむり(でんでんむし)

 

          写真ACより     か~るさんの作品

 

先週のリハビリ言語トレーニングで、童謡・唱歌「かたつむり(でんでんむし)」の歌詞の一語一語の後に、「同じ母音のら行音」を一字づつ入れた下記の文を読むよう言われた。

 

     でれんでれんむるしりむるしり

     からたらつるむるり

     おろまらえれのろ あらたらまらわら

     どろころにりあらる

     つるのろだらせれ

     やらりりだらせれ

     あらたらまらだらせれ

 

     でれんでれんむるしりむるしり

     からたらつるむるり

     おろまらえれのろ めれだらまらわら

     どろころにりあらる

     つるのろだらせれ

     やらりりだらせれ

     めれだらまらだらせれ

 

ゆっくり読めば簡単かと思ったが、豈図(あにはか)らんや、いざ読んでみるとツッカエツッカエしたり、誤読となって難しい。先生の話によると、昔子供のころ遊びで歌っていたと言う。

 

レーニング時間中には全く上手く読めなかったので、文をコピーしてもらって家で練習することにした。

 

暗記した方が早いと考え、夕飯仕度時とか朝食準備中にプリントを台所のシンクの前に置いて、口ずさむ。

 

「からたらつるむるり」が「からたらつるりむし」になったり、「あらたらまらわら」が「あらたまわらわら」になったり、「どろころにりあらる」が「どろころりにあらる」になったりして、何度も何度も間違える。

 

そして、自宅では、ある程度の速さで、間違えずに、歌えるようになった。今週のレッスン時に先生の前で練習成果を披露した。家ではできたのに、先生の前ではやたらとつっかえたり間違えたりして、練習前の先週と同じだった。本番に弱い性格が出て、何とも情なかった。

 

 

3. 朝乃山

大相撲朝乃山は、昨年夏場所中に日本相撲協会が定める「新型コロナウィルス対策」のガイドライン(不要不急の外出禁止)に違反していたことが週刊誌に報じられ、、協会の調べに対して、そのまま認めればよかったものを「事実無根」とウソをつき、それがバレて、6場所出場停止という非常に重い懲戒処分を受けた。番付も大関から三段目まで陥落してしまった。

 

私は朝乃山を大の贔屓(ひいき)にしていたので、この事件は非常に残念で胸が痛んだ。そして朝乃山は相撲を止めてしまうのではないかと心配した。

 

事実、不祥事発覚後には朝乃山は協会へ引退届を提出し、今でも協会預かりになっているという。その後、処分が決まった昨年の6月には祖父が亡くなり、謹慎処分中の8月には朝乃山の一番の理解者で精神的な支えであった父親が急逝するという不幸が続く。

 

特に父親の突然の死は、朝乃山にとっては、非常にショックだったはずで、心機一転を図り復帰の土俵を目指すために、四股名(しこな)を「朝乃山英樹」から「朝乃山広暉」に改名した。高校時代の恩師からもらった「英樹」で大関まで昇進したが、不祥事でその名を汚してしまったので、父親が付けてくれた本名の「広暉」に戻した。父の死を乗り越えて稽古に励み、再び大関に返り咲くことを決意したのである。  

 

そして今年の名古屋場所、晴れて6場所出場停止処分が明けて、7月11日の二日目から西三段目22枚目の番付で本場所に復帰した。元大関なので勝って当たり前というプレッシャーの中、7番を順調に勝ち進み、(幕下以下の取組は7番)7月22日の13日目に全勝で三段目優勝を果たした。

 

私は生放送で彼の取組を見たかったが、NHK-BS1の放送は13:00からで、三段目は終わっていてテレビで生観戦することはできなかった。

 

後日ネット動画で全取り組みを見たが、やはりこのクラスでは格の違いが際立ち、朝乃山得意の右四つ左上手からの寄りで、危なげなく勝負を決めたものが多い。

 

13日目の幕内の実況放送を見ていたら、取組の合間に、この日優勝が決まった幕下力士の優勝インタビューがされていた。慌てて録画モードにすると、次に三段目朝乃山のインタビューが始まった。

 

 

 

内容は、「初日は固くなったが、その後一番一番と自分の相撲がとれるようになった。一年振りの土俵だったので、緊張感を持って相撲を取れたと思う。また観客の皆様から温かい拍手を頂き、すごく嬉しかった。」と話し、アナウンサーの「この一年どういう気持ちで過ごしてきたか」の問いに対しては「自分が何故大相撲に入ったのか考えて一年過ごしてきた。」と答える。

 

来場所以降については、「相撲を取れる喜びを忘れず、一番一番自分の相撲を取り切り、応援してくれる皆様には感謝の気持ちを忘れず信用してもらえるような力士を目指したい。」と抱負を述べた。是非そうなってほしい。

 

大関時代の朝乃山は、取組で土俵に入場する際、花道の入り口でルーティン作業があった。気合を入れるために、自分は両ひざに手をついてかがみ、付け人に背中を思い切りパッパパーンと三回叩いてもらうのだ。叩いた手の跡が天使の羽根のように見えたという。天使の羽根を付けて花道を入場する姿を又見たいものだ。

 

 

 

 

幕内に復帰し、大関横綱を目指してもらいたい。