へんろ日記 番外編 1

9月18日にアップした「へんろ日記 17」の続きです。へんろ旅は前回で終了しましたので、以降帰宅までの旅の記録を「番外編」として掲載します。

 

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12月9日(土)(晴)2017年/平成29年

<48日目 天理市奈良市斑鳩町大和郡山市

熊野古道小辺路の代わりに急遽思いついて来た奈良であったので、奈良のどこへ行くか、どのようにいくか、の計画は何も考えていなかった。単純に奈良のお寺の仏像でも見てみたいと思っただけである。

 

取り敢えず、宿泊した天理のホテルで奈良の地図が入っている パンフレットをいただき、あたふたと計画を立てる。

 

移動は四国遍路の余韻がまだ残っているので、基本徒歩とする。地図を見ながら行きたい所(時間的に行けそうな所)を朱色のマーカーで印を付け、本日は以下とした。

 

興福寺 ②東大寺 ③唐招提寺 ④薬師寺 ⑤法隆寺 ⑥中宮寺

 

7:40 天理のビジネスホテルで朝食 トーストとゆで卵、野菜サラダの質素な物だった。明日は明日香方面に行こうと思ったので、このホテルの連泊を申し出たが、明日はマラソンがあり満室と断られた。

 

8:16 JR天理から乗車 

 

8:30 奈良着 駅前の商店街を歩いて興福寺方面に向かう。奈良は小学校の修学旅行以来だ。12月も9日ともなると寒い。コンビニで手袋を買う。歩きながら今日の宿(大和郡山市)を予約する。

 

9:00 興福寺 早朝の境内はまだ観光客も少なく清々しく気持ち良い。

 

 

興福寺藤原氏の氏寺として710年の平城遷都とともに建立された日本を代表する古刹(こさつ)だ。又、五重塔、東金堂、北円堂、南円堂などの建築物、阿修羅像、四天王立像、十二神将立像など数多くの国宝・重要文化財を所蔵している。(国宝の15%)

 

私は興福寺では、「阿修羅像」を是非この目で見てみたいと思って訪れたのだが、この時それは東京の博物館に出品していて、折角来たのにそれを所蔵しているこの寺では見ることができなかった。

 

         拝観することができなかった「阿修羅像」

 

 

東金堂の仏像を拝観する。入場の時、前に小学6年生の女の子が一人で並んでいた。何でも一人で奈良の仏像を見に来たそうで、今年10回以上来ているそうだ。タレントでモデルの「はなさん」(仏像好き)のような女の子だ。

 

 

 

 

 

10:40 東大寺 

 

                 東大寺大仏殿

 

イヤー、ビックリ、ワンサワンサの人だかりで驚いた。駐車場には観光バスがずらりと並び、時間的に前夜奈良で一泊した団体の観光客が、朝一番でここを訪れたのだろう。こんなに人を見たのは、この旅始めてのことだ。

 

見たところ、70%がアジア系外国人、20%が修学旅行生、8%が日本人団体客、2%が一般客、その内個人で来ているのは私を含めて数人と思われた。(※この時はまだコロナの市中感染がなかった。)

 

団体さんに混じって大仏を巡る。余りの混雑に閉口し、境内の東大寺ミュージアムに入る。こちらは拝観者が少なく、大仏殿の騒々しさに比べ静かで落ち着いていて安らげた。

 

 

11:40 歩いて次へ向かう。奈良駅北側の道路を西進する。観光地ではない奈良市の顔となった。うどん屋で昼食、ミックス丼(天丼・かつ丼)を注文、量が多かった。

 

 

12:30 唐招提寺 住宅街を歩いて寺の東門から入ろうとしたが、門は閉ざされていた。南に回って南大門から入場する。玉砂利を進むと正面にドーンと金堂が現れる。

 

 

唐招提寺は、井上靖の小説「天平の甍(いらか)」のモデルとなった唐の高僧鑑真大和上によって759年に創建されたお寺だ。鑑真和上は日本に来る際、五度の航海に失敗して失明し、6回目にようやく渡航できた。翌年聖武天皇を始め400名余りの僧侶に戒を授けた。

 

 

                鑑真和上像

 

 

御影堂には、東山魁夷による障壁画「山雲」が奉献されている。

 

 

 

唐招提寺では金堂等の建物を外から見ただけで次に進む。

 

 

 

13:30 薬師寺 唐招提寺の南にある薬師寺は歩いても直ぐの距離だ。

 

薬師寺は680年天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒(へいゆ)を祈願して飛鳥の地に建立し平城遷都に伴い現在地に移された。当時はわが国随一の荘美を誇っていたが、以来1300年幾多の災害に遭い、東塔を除く諸堂が灰燼(かいじん)に帰していた。

 

昭和42年、高田好胤管主により、白鳳伽藍(がらん)復興が発願され、写経勧進によって、金堂、西塔、中門、回廊、大講堂が復興された。

 

      復元された金堂と西塔(東塔はこの時、解体修理中であった)

 

       復元された大講堂(正面41m、奥行20m、高さ17m)

 

 

         昭和56年 白鳳様式をもって復元された西塔

 

薬師三尊像を礼拝した時、薬師如来の左右の日光菩薩月光菩薩の腰のしなやかな曲がり具合が何ともセクシー(不謹慎か?)で美しかった。

 

 

 

 

14:20 薬師寺から次の斑鳩(いかるが)の法隆寺まで、徒歩では本日の拝観時間に間に合わないので、バスで行く。バスは20分程遅れてきた。寒いバス停で待っていたので、暖かい車内は気持ち良くウトウトする。

 

 

15:00 法隆寺 言わずと知れた聖徳太子建立の名刹で、日本で一番有名なお寺かもしれない。

 

                 法隆寺全景

 

夢殿他建造物をザっと拝観する。教科書に載っているようなものを見ても、余り感動しなかった。拝観料1500円は高いと思う。

 

 

 

 

15:40 中宮寺 実は本日一番の楽しみは、中宮寺の「国宝・如意輪観世音菩薩・半跏思惟像(はんかしゆいぞう)」を拝観することだった。以前から仏像の写真集やテレビで見て、その美しさに憧れていた。

 

中宮寺の拝観時間は16:00まで、受付はその15分前までであったので、法隆寺の東隣ではあったが、間に合うかヤキモキし、受付終了5分前に入場できた。

 

中宮寺聖徳太子母公の御願によって創建された尼寺である。その本尊「菩薩半跏像」は、中宮寺リーフレットによれば、

 

「この像は、飛鳥彫刻の最高傑作であると同時に、わが国美術史上欠かすことの出来ない作品です。国際美術史学者間では、この像のお顔の優しさを数少ない『古典的微笑(アルカイックスマイル)』の典型として高く評価し、エジプトの『スフィンクス』、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』と並んで『世界の三つの微笑像』とも呼んでいます。

 

半跏の姿勢で左の足を垂れ、右の足を左膝の上に置き、右手を曲げて、その指先を仄かに頬に触れる優美な造形は、人間の救いを『如何にせん』と思惟されるにふさわしい清純な気品をたたえています。」

 

とある。まさにその表情の優しさと美しさは、見るものの心の奥に染み渡り、万人を魅了する。終了時間ギリギリまでご尊顔を拝観していた。奈良へ来て良かったと思った。

 

 

 

 

 

 

16:00 中宮寺から大和郡山市のホテルへ向かって歩く。周りは始め黄昏時だったが、だんだん暗くなって、すっかり夜の帳(とばり)がおりて完全な夜になった。

 

17:30 スマホのグーグル地図を頼りに最短経路でホテルに着く。このホテルは立派な温泉が付いていて、設備も清潔で良いのだが、夕食が無く外へ食べに行く。

 

明日は明日香方面に行ってみようと思う。

 

 

12月9日の歩数 42,900歩    歩行距離 27.9㎞

 

 

              ー続く(非定期)ー

 

 

 

 

10月前半

まず、ウクライナ情勢

10月8日、クリミアとロシアを繋ぐクリミア大橋が爆発破壊された。ロシアにとっては戦略上からも大変重要な橋で、ロシアは「ウクライナによるテロ」と認定して、報復として、首都キーウ他複数の都市を無差別的にミサイル攻撃をしている。

 

そもそもロシアが一方的に軍事侵攻したことによるウクライナとの戦いで起きたことで、ロシアの主張は当たらないが、いずれにせよ、これにより、和平の道は又遠のいてしまった。これから戦時下で冬を迎えるウクライナ市民のことを思うと胸が痛む。

 

ロシアは東・南部4州を併合したものの、ウクライナは東部の要衝リマンを奪還し、ウクライナの反撃が続いている。更にロシアの劣勢が拡大するようだと、ロシアが核兵器を使う確率が更に上がる。それだけは止めて欲しい。

 

 

国内では、第7波コロナ感染者は全国で3.5万人(10月15日時点)と下火にはなった。この状況で、政府は海外からの旅行者増大を狙って、水際での規制をほぼコロナ前の状態に緩和し、国民向けには、全国旅行支援を10月11日(東京都は10月20日)から開始した。

 

観光を起爆剤として、コロナで落ち込んだ経済を立て直したいとの気持ちは分らないではないが、余りにも観光に偏り過ぎた優遇政策には疑問が残る。

 

旅行に行ける人たちは、経済的に余裕のある人達だ。この人達は、旅行支援など無くとも、コロナの心配が無いと自分で判断すれば、自発的に旅行に出かけるであろう。

 

コロナで生活が苦しくなった人(例えばシングルマザー)や、中小企業経営者はいっぱい存在する。そのような人達への支援を優先させるべきと思うが・・GO TO トラベルの時もそうだったが、旅行業界と関係が深い自民党派閥の領袖の存在が透けて見えるのも気持ち悪い。

 

 

私の生活は、毎度お馴染みの平凡な日々の繰り返しが続いている。今回も10月前半の営みを綴ってみます。

 

<気温の急変>

10月4日(火)は真夏日だった。この日テニスがあって、「10月なのにまだ夏だね」と積乱雲を見ながら仲間と話し合った。翌日から気温は下がり、6日、7日は最高気温が12~14℃、一気に冬の寒さとなった。

 

まだ着るものは、夏物だし、寝床の掛物は夏用薄物だ。ストーブも欲しいくらいだ。慌  てて衣類、寝具の秋冬ものを引っ張り出す。

 

風呂もそれまでほとんどシャワーで済ませていた。この気温になるとシャワーでは寒い。午後2時半頃、バスタブに湯を張って入浴剤を入れ、久しぶりにお湯の中に身体を横たえる。やはり気持ち良い。

 

湯上りに夕食とした。寒くなると、晩酌のお酒も、ビールより熱燗が恋しくなる。これで鍋だったら、すっかり冬モードだ。

 

<CDプレーヤー、ヘルスメーター>

わが家は電化製品の物持ちが良い。電子レンジは30年以上使用した。シンプルな機能だったせいか不具合も無く使い続けた。レンジとしては初期のもので、寸法が大きく台所の配置上非効率であったので、まだ使えたが、数年前に新しいものに買い替えた。思ったより価格が安くて驚いた。

 

これも20年以上使い続けたCDプレーヤーとヘルスメーターが最近相次いで壊れた。

 

このところ音楽はほとんどYouTubeで視聴しているので、CDプレーヤーの使用頻度は凄く少なくなった。月命日に「般若心経」の声明をCDで流していたが、これができなくなったので、新しい物を買うことにした。家電量販店に行って、コンパクトで持ち運びの出来るCDラジオを購入した。CDプレーヤーに特化したものでは無いので、これも安価だった。

 

ヘルスメーターは、ホームセンターで購入した。その夜ヘルスメーターのセッティングをするため、自分の性別、年齢、身長を登録しようとしたが、取説どうりに何回やっても登録できない。これは不良品に違いないと思い、翌日別のものに交換してもらおうと考える。

 

翌朝、お店に行く前にもう一度セッティングをしてみると、なんなく登録できた。昨夜は何だったんだろうと思う。

 

 

 

今迄のヘルスメーターは、体重と体脂肪率しか測定できなかったが、今回のものは、体重、体脂肪率、体水分率、推定骨量、基礎代謝量、筋肉率、BMIが表示される。

 

早速計測してみる。

 

          測定値      判定基準(取説記入値)

  体脂肪率    19.1 %       細い

  体水分率    59.2 %      やや高い

  推定骨量    2.6  ㎏     理想値 2.8 ㎏

  基礎代謝量  1192  Kcal    参考基準 1220 Kcal

  筋肉率     40.5 %       高い

  BMI       23.0        普通体重

 

推定骨量と基礎代謝量が予想より小さかったが、ま~こんなものかと思う。

 

 

<サークル活動>

11日の火曜テニスは、メンバー7人のところ、4人が欠席となり、3人ではゲームができないので、中止となった。参加者が3人以下で中止になるのは初めてのことだ。この日は天気も良くテニス日和だったので残念。

 

翌水曜日のテニスは、いつもと同様できたが、14日のS卓球サークルは、こちらも中止となった。私はリハビリと重なるので、もともと欠席の予定だったが、私も含めて欠席者が多くて、代表から中止との連絡がメールで入った。H卓球も今週はなかったので、今週サークル練習したのは、水曜日のテニス1回だけとなる。

 

<リハビリセンター>

14日の金曜日、サークル練習が2回中止になったので、その分の運動をマシントレーニング等で補うべく、張り切ってリハビリセンターへ行く。

 

ストレッチでは、この日も新しいメニューが課せられた。それは腰の高さの円柱のポールに両手をついて身体を支え、両足の踵を上げる。つま先立ちの状態で片足を上げて片足立ちをする。

 

片足立ちは、バランスのトレーニングでよくしていたが、つま先立ちでしたのは、生まれて初めての経験だ。「そうかバレリーナはこういう練習をしているのか」と思いつく。

 

ポールで支えていても、フラフラして定まらない。先生は「目標はポール無しですることです。」と言って、ビシッとポール無しのお手本を示してくれた。キレイだった。できるようになるには時間がかかりそうだ。

 

この施設へ通っている人の中には、障害が生じる前スポーツをしていた人も何人かいる。以前は野球好きで職場の野球部に所属し、運動神経は抜群だったと言う人もいる。彼はパーキンソン病に罹患し、今ここの施設でリハビリに励んでいる。

 

それから、卓球をしていて、私のようなお遊びの卓球ではなく、色々な試合に出場して活躍していた女性もいる。

 

彼らは何れも現時点では、スポーツができる状態ではないが、熱心にリハビリを続けている。元の状態に戻りたいという切なる気持ちと、戻れるのだろうかという不安な気持ちが、常に頭の中で交錯していることだろう。

 

その点、私は大変恵まれていて、フラツキはあるものの、テニス、卓球を再開できている。大変ありがたいことと、ここまで回復してくれた自分の身体に感謝したい。

 

この日は涼しかったが、それでもマシントレーニングでは、大量の汗をかいた。

 

自治会活動>

自治会の地区長になって半年が過ぎた。 今年も行事は、コロナ感染防止で、お祭り、盆踊り、運動会、旅行が3年続けて全て中止となった。

 

それ故、これまでにやった地区長の仕事は、自治会費の集計、月一の地区長会議出席、回覧物の配布、掲示板へのポスター貼り付け、公園清掃、ごみネットの張り替え等の軽作業で多大のマンアワーを使わずに済んでいる。 

 

15日の地区長会議の後、防災訓練を行った。 参加者は自治会役員と地区長21名、自治会館から一次避難場所なっている公園までの夜間移動訓練だ。 各自ヘッドライトを付けたヘルメットを被り、発電機と投光器をのせた台車を先頭に夜の住宅街を20分程歩く。 公園で会長の訓話の後解散した。

 

災害時雨とか、地震で道路が瓦礫で散乱していたら、難儀するだろうなと思う。 こういう訓練はやらないよりはいいだろうが、実際の災害時に役立たせるのは難しいと思った。

 

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おまけに、この時期に相応しい「百恵ちゃんの秋桜」の動画を貼り付けます。

 

秋桜

作詞、作曲 さだまさし 歌唱 山口百恵

 

薄紅の秋桜が秋の日の

何気ない陽溜まりに揺れている

此頃涙脆くなった母が

庭先でひとつ咳をする

 

縁側でアルバムを開いては

私の幼い日の思い出を

何度も同じ話くりかえす

独言みたいに小さな声で

 

こんな小春日和の穏やか日は

あなたの優しさが浸みて来る

明日嫁ぐ私に苦労はしても

笑い話に時が変えるよ

心配いらないと笑った

 

あれこれと思い出をたどったら

いつの日もひとりではなかったと

今更乍ら我儘な私に

唇かんでいます

 

明日への荷造りに手を借りて

しばらくは楽し気にいたけれど

突然涙こぼし元気でと

何度も何度もくりかえす母

 

ありがとうの言葉をかみしめながら

生きてみます私なりに

こんな小春日和の穏やかな日は

もう少しあなたの子供で

いさせてください

 


www.youtube.com

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おいしい給食

「おいしい給食」は、2019年10月~12月にテレビ神奈川、TOKYOMX、BS12他で放送された一話30分10回連続の学園グルメドラマだ。

 

放送チャンネルが在京キー局ではなく、マイナーな地方局であったが、放送が好評につき、映画化され、Season  1 の完結編という位置づけで「劇場版おいしい給食 Final  Battle」が、2020年3月に公開された。更にドラマの続編が「おいしい給食 Season 2」として2021年10月~12月に放送され、その完結編の位置づけである「劇場版おいしい給食 卒業」が映画化第2弾として2022年5月に公開された。

 

美味しい食事やお酒の店で、食べたり飲んだりして話が進むグルメドラマは、「ワカコ酒」「孤独のグルメ」「ひねくれ女のボッチ飯」など最近ブームなのか数多く放送されている。

 

「おいしい給食」もそんなジャンルの番組なのだろう。この番組が放送され映画化された時は、その存在は全く知らなかった。最近CS放送の「ファミリー劇場」でこの番組のSeason1、 Season2が一挙再放送されたので、録画して見た。

 

物語の舞台は、Season 1が1984年夏の市立常節 (とこぶし)中学校、 Season2が1986年夏の市立黍名子(きびなご)中学校という田舎の中学校である。

 

市原隼人が演ずる主人公・甘利田幸男は、1年1組担任の数学教師(生徒に数学を教えているシーンは一度もないが・・)で、給食絶対主義者だ。彼が何故そうなったかは、初回放送の冒頭、校門で出校時生徒の点検をしながら独白している。

 

「私は給食が好きだ。給食の為に学校に来ていると言っても過言ではない。何故なら母の作るご飯が不味い(まずい)からだ。うちの家族は頑張っている母を傷つけないように、『美味しい、美味しい』と言って食べる。たまに出前になった時、父は涙を流して喜んでいる。だから給食は私にとって一日で最も充実した食事だ。

 

今日の給食は待ちに待った『鯨の竜田揚げ』ひと月に一度巡ってくるこの出会いに自と(おのず)とテンションは上がる。早く昼になれと願わずにはいられない。だがそんなことは決して回りに知られてはならない。教師が生徒以上に給食を楽しみにしているなどと知れたら、私の威厳は失墜する。なのでただ心の奥底で給食を愛するだけだ。」

 

というこで、甘利田先生は、授業や生徒のことよりも給食の献立が気になるようだ。甘利田の受け持つクラスに神野ゴウという生徒がいて、彼も又給食を愛し、美味しく食べる工夫を日々考えている。

 

甘利田は、神野が自分には思いつかない美味しい食べ方をするのを見ては「負けた」と感じ、次回は彼より美味しく食べようとライバル心を新たにする。ドラマはこの二人の「給食の美味しい食べ方バトル」で進行する。

 

甘利田は、ただ給食好きのいい加減な先生のようでもあるが、いつもメガネをかけてスーツ、ネクタイ姿で威厳を保ち、生徒や回りの教師には理詰めで対応し、相手が子どもであっても自分が間違っていれば素直に認めるべきと考える。

 

また、生徒のことを真面目に考えていないように見えて、クラスの座席については、生徒一人一人の人間関係や人格を考慮した配置を考えるという、きめ細かさも持ち合わせている。

 

ドラマはタイトル通り毎回給食のシーンがメインだ。まず、クラスの机配置を給食用に並び替える。配膳室から給食当番の生徒が大鍋を教室に運び、当番が一人一人に献立を盛り付ける。

 

 

甘利田も生徒の列に並び、盛り付けられたメニューのトレーを教師机(生徒に対面した最前列左端)に置き着席。

 

<鯨の竜田揚げ、キャベツソテー、春雨サラダ、コッペパン、いちごジャム、牛乳>

 

ここで、食事の前に全員で校歌が斉唱される。Season1の、常節中学校の教育理念は「食育健康」で校歌もそれに沿ったものだ。この校歌は、凄く歌いやすく耳に残る校歌で、私はドラマで聴いていて覚えてしまった。

 

甘利田は、待望の給食が食べられる喜びで、自らも生徒に合わせて、両腕を振ったり机を叩いたりして拍子をとって歌い、終盤で机に拳をぶつけて痛がる場面が恒例になっている。市原隼人の演技が光るシーンだ。

 

 

そして給食当番の代表二人の男女生徒による「いただきます!」の合図で食事が始まる。

 

 

甘利田は食事前にメガネを外し、メニューに対する豊富な蘊蓄(うんちく)をナレーションで披露しながら実に美味しそうに食べる。その食べっぷりの演技も良い。

 

献立は第一話の「鯨の竜田揚げ」から始まって、「ポークビーンズミルメーク」「ソフト麺」「八宝菜」「酢豚」「焼きそば」・・・と続く。

 

この中で、私が子供のころ給食で食べたものは、「鯨の竜田揚げ」くらいで、あとは記憶がない。又私の時代、給食が美味しいと思ったことは、ほとんどなかった。この番組の時代設定は1980年代で、自分の給食と比べると「その当時から結構美味しそうで、バラエティ豊かになっていたのだな~」との印象だ。

 

 

ドラマの内容は教師甘利田と生徒神野の給食を如何に美味しく食べるかのバトルで毎回進行するが、ストーリーは、①ドラマ Season 1 ②映画 「Final Battle 」③ドラマ Season 2  ④映画 「卒業」 と連続して繋がっている。

 

②では、常節(とこぶし)市の生徒数増加により市立中学校の給食廃止が決まり、甘利田と神野が廃止反対に奔走するが、教育委員会委員長鏑木により、「決定事項」と撥ねつけられる。「給食をバカにするあんたに、教育を語る資格はない」と甘利田に言われた鏑木は、それを根に持ち、甘利田を黍名子(きびなご)市の中学校に転籍させてしまう。

 

そして、2年後の1986年夏の黍名子中学校を舞台にしたSeason 2 が始まり、甘利田は、3年1組の担任だ。神野も母の仕事の関係で黍名子市に引っ越してきて、偶然また甘利田のクラスに入り、Season  1 同様美味しい給食の食べ方で甘利田とバトルするという内容だ。

 

黍名子市教育委員会の職員になった鏑木が、給食を第一に考える甘利田を教師として相応し(ふさわし)くないと考え、教職追放に追い込むべく画策する。

 

最終話では、鏑木が主催した「甘利田の教師としての素行不良」に関する臨時職員会議聴聞会が開かれる。ここで、同僚で学年主任の宗方から以下の発言がされる。

 

「最初は甘利田先生が苦手だった。思ったことを何でも言って、どんどんルールを変えて、でも自分の意見は絶対変えず、こういう人は学校にとって良くないと思っていた。」

「確かに甘利田先生は、毎朝穴の開くほど献立表を見て、朝のホームルームも今日の献立を想像する時間に充てている。給食前の校歌は大声で歌って踊り、給食中は誰も寄せ付けないオーラを発揮する。」

「生徒たちはそんな先生が大好きだ。」

「最初、甘利田先生が嫌いだった。自由だからだ。私がこんなに不自由なのに、なんでこの人だけがこんなに自由なんだって・・・だから嫌いだった。」

「甘利田先生は、好きなものを好きでいられる。そんな風に私もなりたい。」

「教師が給食が好きでいけないのか?」

 

この宗方の発言により同席した教育委員の作本に、鏑木の甘利田排斥案が却下されて、Season 2 が終わる。

 

このドラマを見た感想は、主人公甘利田を演じる市原隼人の演技が飛びぬけて上手いことだ。普段は給食好きを隠すため、沈着冷静で理性的に振舞っているが、いざ給食となった時の豹変振りが面白い。

 

又仕事の働き方、勉強の仕方についても、好きなことを貫き通す甘利田のやり方は一考に値する。

 

仕事でも勉強でも「楽しい」ことを見付け、その気持ちが入ることにより、前向きに積極的になれ、それにより「楽しさ」は増幅する。甘利田は給食で「楽しさ」を追求したが、我々も人それぞれの「楽しさ」を追求してみてはどうだろう。

 

1980年代が中学生だった世代にとっては、当時が懐かしく思い出されるドラマのはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

  

彼岸過ぎ

「暑さ寒さも彼岸まで」との諺(ことわざ)があるが、今年は10月に入っても真夏日の暑い日が続いている。

 

今朝の天気予報によれば、今年は南米沖の海面水温が低くなるラニーニャ現象が起きている年で、その年は夏は平年気温より高く冬は低くなることが多いそうだ。今年は平年気温より高い日が続いた後に、一気に寒くなり短い秋になりそうということだ。

 

9月下旬には、17~19日と23~25日の二回の連休は、ともに台風が日本列島を襲い、行楽を予定していた人々にとっては生憎(あいにく)の空模様になった。

 

その後は昼は暑いものの、朝夕はめっきり涼しく秋らしい気候になった。

 

9月下旬の一週間、今回もいつものように平凡な毎日を過ごしました。その記録です。

 

9月26日(月)

23日(金)は秋分の日の祝祭日で、リハビリセンターが休みだったので、その振り替えで行った。

 

ストレッチのレッスンで新しいメニューを教えてもらう。壁に背中を付けて起立し、そこから両足を少しづつ前に出し、壁には肩と首だけで支える。身体は一直線。その状態で左膝は右上に、右膝は左上に交互の押し上げる。

 

床に着けた足の指に力を入れて踏ん張らないと、足が上がらない。徐々にできるようになったが、結構キツかった。歩行/走行マシンでは、この日も大量の汗をかく。

 

帰宅途中、幼稚園の横で見上げた、台風一過の青空が気持ち良かった。

 

 

 

9月27日(火)

東京では安倍元総理の国葬が取り行われ、厳重警戒で生活にも影響があったようだが、当地は静かなもので、秋の昼前、テニスを楽しんだ。風が少しでも吹いていると心地よいのであるが、この日は風が無く暑かった。

 

9月28日(水)

水曜日は早朝テニスだ。家を出る時から、仄かにキンモクセイの香りがした。公園を通ってテニスコートに向かう時はそれほどでもなかったが、プレイし始めると、コート一面にキンモクセイの香りが漂い、芳香の大海の中でテニスを楽しんだ。

 

サクラもそうだが、その地域の一帯で一斉に花を咲かせたり、香りを放ち始めるという現象に、昔から不思議に思っていた。自然界植物の神秘を感じる。

 

私は、当地でのキンモクセイの香り始める日にちを記録しているが、それによると、この6年間の平均日は9月27日、去年は極端に早くて9月9日だった。今年は平均日より一日遅れの28日、平年並みというところか。

 

 

テニスコートに隣接して中学校があり、全校生徒が校庭に出て運動会の練習をしていた。

 

 

 

数年前の運動会の練習の時は、体育の先生が、マイクでやたらと生徒を叱り飛ばしていたが、今年の先生は、凄く優しく、静かに上手く整列できた生徒達を褒めたりもして、その変わり様にびっくりした。学校で厳しい指導が問題になったのか、単に先生が代わっただけなのか分からないが、以前と雰囲気が全く違っていた。生徒たちにとっては、こちらの方が良いのかな?

 

 

9月29日(木)

朝夕に血液凝固抑制剤と降圧剤を飲んでいる。朝食後に薬を飲もうとしたら、血液凝固抑制剤が無いのに気が付いた。降圧剤と同じ袋に入れてあって、降圧剤は沢山あるので、まだあるものと勘違いした。

 

この春から、受診先を大学病院から、地元の町医者に変えて通っているが、ここは予約制ではなく、自分で薬が無くなる頃、お医者さんに行くというシステムである。

 

慌てて10時頃お医者さんに行く。待合室には10人程いて、診察は12時頃となった。前回の血液検査の結果が告げられる。「特に問題ないが、尿酸値とクレアチニンの値が高いので、腎臓を守るために今日はいつもの薬に尿酸の薬も出しておきましょう」と言われた。

 

帰宅して夕飯の一部を作る。今日は3時からS サークルの卓球で帰りが遅くなるので、帰ってからの夕飯仕度を簡略化したい為だ。

 

卓球はいつものように、前半ラリー、後半ゲームで楽しく過ごした。試合に出るわけでもないので、楽しくプレイできるだけで十分と考えている。

 

 

9月30日(金)

今週二回目のリハビリセンターに行く。 朝レッスンが始まる前に、利用者さんの一人に「いつも頭のタオルとシャツが同じ色なんだけど、コーディネートしてるの?カッコいい」と言われた。

 

私は大汗かきで、屋外テニスの時は、帽子だと汗で帽子がずぶ濡れになってしまうので、頭にはタオルを巻き、サングラスとサンバイザーを付けてプレイしている。室内の卓球も、ヘッドバンドでは汗の吸収が追い付かないような気がしてして、やはり頭にタオルを巻くことにしている。

 

リハビリセンターでも、マシントレーニングでは大量の汗をかくので、やはり頭にタオルを巻いている。このタオル、使用頻度が多いので、色々な色のものを何枚も備えている。この日は、青緑色のTシャツとほとんど同じ色のカラータオルを巻いていたので、先の利用者さんから声がかかったと思われる。

 

コーディネートなどという大それたことをしているつもりはなく、周りに不快な思いをさせなければ・・くらいの気持ちで、しているに過ぎない。誉められて恥ずかしかったが、私のスタイルが認知されたような気がして嬉しかった。

 

 

この日、私がこの施設を利用した時から、親しくなってレッスン前に雑談したり、世間話をしていたKさんが本日をもってやめることとなった。この人は自転車事故の手術後のリハビリで通っていたが、手術ヶ所の痛みも無くなったので今後はフィットネスクラブへ通うことにしたと言っていた。

 

私はK さん以外の利用者さんとは、挨拶をする程度の付き合いしかないので、K さんがいなくなると寂しい。

 

 

これまで、歩行/ランニングマシンで、歩行を30分、ランニングを10分と別々にやっていたが、本日より、途中休憩を挟まずに歩行とランニングを連続して行うこととした。ハ―ハーの度合いは連続にしても、それほど酷く(ひどく)ならなかったので、以後この方式で行うこととした。

 

ただ発汗量はだいぶ増えた気がする。

 

 

10月1日(土)

午前中に恒例の買い出しに出かけた。今日から食料品他多品目に渡って値上げされるとニュースで繰り返し放送されていたので、覚悟して行った。ビールもさぞかし高くなっていると思ったら、本日大特価ということで、値上げ前の安売り価格で売っていた。スーパーが大量に在庫していたのだろう。消費者としてはありがたい。

 

この日、午後のH卓球はなかったので、ゆっくりできた。

 

18時に自治会館に回覧物や掲示板のポスターを取りに行く。帰宅して私が担当する四つの班へ回覧物を仕分けして、19時に各班の班長さん宅を回り、メールボックスに投函した。日が短くなり、同時刻でも数か月前の黄昏時が、すっかり暗くなっていた。

 

ポスターは今回は貼る枚数が多く、どの古いポスターを外すのか悩む。

 

 

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秋の彼岸を過ぎると、日毎昼は短く夜は長くなっていく。秋の夜長の季節だ。この頃になると、口ずさむ曲がある。大橋節夫とハニー・アイランダースが歌った「倖せはここに」だ。

 

大橋節夫は、日本のハワイアンの先駆けで、戦後のハワイアンブームを巻き起こした第一人者だ。

 

私は「倖せはここに」を聴いて、「すだく」の意味とその漢字を知った。

 

それでは、「倖せはここに」を貼付します。メロディはとてもシンプルですが、心に残る曲です。

 

作詞作曲は大橋節夫、ここでは石原裕次郎が歌っています。

 

 「倖せはここに」 

 秋のは夜は更けて

 集く(すだく)虫の音に

 疲れた心いやす

 わが家の窓辺

 静かにほのぼのと

 倖せはここに

 

 星のまばたきは

 心の安らぎ

 明日の夢をはこぶ

 やさし君が笑み

 静かなわが窓辺

 倖せはここに

 

 静かに静かに

 街の灯もきえた

 遠い空見てごらん

 明日の夢がある

 小さな小さな

 倖せはここに

 

 


www.youtube.com

 

 

大相撲秋場所

大相撲に関しては、「大相撲七月場所」の題名で、2020年8月2日にも投稿してますので、重複する記述があると思いますが、ご容赦願います。

 

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私は、スポーツ観戦では大相撲が一番好きだ。時間の許す限りテレビの実況放送を見ている。生の取組は名古屋にいた頃、一度だけ観戦したが、それ以来経験ない。いつか溜席の砂被りで観戦してみたいと思っている。

 

大相撲は、大抵1分以内で勝負がつくので、せっかちな私には合ったスポーツだ。数回の仕切りの後、行司の軍配が返ると両者は臨戦態勢となり、緊張が高まる。場内はシーンと静寂に包まれる。私はこの瞬間が好きだ。立ち合いの一瞬は息を殺して両者を凝視し、固唾(かたず)を飲んで勝負の決着を見守る。

 

勝負がついて、両者が土俵で一礼して黙して立ち去るのも良い。アマの大学相撲で勝者が、ガッツポーズで雄叫びを上げていたが、いかがなものか。大相撲を見習うべきだと思う。

 

上述の2020年七月場所は、怪我と病気で大関から序二段まで陥落した照ノ富士が、復活して番付を幕内幕尻まで上げ、更に優勝をも成し遂げた場所だった。朝之山も新大関になってニ場所目で準優勝した。

 

あれから二年、その間に照ノ富士横綱に昇進したが、鶴竜、白鳳の両横綱は引退した。正代、御嶽海の大関が誕生した。私の贔屓(ひいき)の朝之山は、昨年の5月場所中に協会のガイドラインに違反して、一年間の出場停止処分で三段目まで番付を落としてしまった。

 

今場所、照ノ富士は一人横綱で、大きなサポーターを両膝に装着して頑張っていたが、膝の調子は万全ではなく、見ていて痛々しい程で、負けが込んで途中休場してしまう。

 

大関陣は、正代が負け越し、今場所カド番の御嶽海は負け越したので、来場所は大関陥落と甚(はなは)だ気概がないない成績だ。

 

上位陣の不甲斐なさを補うように、平幕力士が活躍した。優勝争いは12日目で、玉鷲北勝富士、翔猿、高安、錦富士と全て平幕力士で占め、13日目には、玉鷲北勝富士、高安の3力士に絞られた。14日目には、北勝富士が敗れて、優勝は玉鷲と高安で争われることとなった。

 

そして迎えた千秋楽、互角に立った両者であったが、玉鷲が見事な突き押しで高安を押し出し2回目の優勝を果たした。玉鷲は37才10ヶ月、昭和以降では最高齢の優勝ということだ。

 

玉鷲は連続出場も更新中(先場所の休場はコロナの為カウントせず)で、幕内では最高齢であるが、怪我もせずいつも若々しい相撲を取っている。お見事と言うほかない。

おめでとうございます。

 

その他の秋場所のエピソードを3話記述します。

 

1⃣ 伝え反り

4日目の宇良-宝富士の取組で非常に珍しい決まり手が披露された。

 

宇良は、土俵中央で宝富士の脇の下に頭を入れると、潜り抜けながら自分身体を後ろに反らせ、その力で宝富士を後ろに飛ばして倒した。

 

一瞬何が起きたのか分らず、再現ビデオでやっと概要が掴めた。「伝え反り」という珍しい手で、私はこんな技は始めて見た。幕内では20年振りの決まり手だそうだ。

 

 

 

2⃣ 朝之山

先場所一年ぶりに出場停止処分が解けて、三段目から再出発し、7戦全勝(幕下以下の取組は7番)して三段目優勝を果たした。今場所は番付を東幕下15枚目まで上げ、この場所も優勝すれば来場所は、十両に昇進できそうだというのだ。

 

5番までは三段目の相撲と同様、朝之山の取組は、幕下力士とは格の違いを見せつけ順調に白星を重ね、5戦無敗。11日目の6番では、やはり5戦無敗の東幕下28枚目の勇麿と対戦した。

 

朝之山は勇麿を捕まえて、自分の得意な右四つにしたいのだが、組めない。そのまま土俵際まで寄っていくが、勇麿にかわされる。三回目に寄っていって朝之山が勝負を付けようと押した時、勇麿の突き落としにあって、手をついてしまった。

  

これで、復帰後12連勝していたが、初黒星を喫することとなった。

 

13日目に、幕下の全勝同士が対戦し、勝った大成龍が優勝し、朝之山の幕下優勝は無くなった。次の朝之山7番相撲の対戦が、13日目と思って14:00頃からテレビを付けて待っていたが、この日の取組は無く、翌14日目も朝之山の登場はなかった。

 

幕下以下の力士が多いので、幕下7番相撲は、4日間かけて行われるのだ。千秋楽に3日も開けてやっと朝之山が登場した。相手は同じ5勝1敗の栃幸大、前の対戦で勇麿に土俵際、突き落とされているので、慎重に押していきそのまま押し出した。

 

朝之山はこれで、東幕下15枚目、6勝1敗の成績で秋場所を終えた。優勝を逃したので来場所の十両昇進は難しく、もうひと場所幕下を務めることとなりそうだ。

 

一ファンとしては、実力はあるのだから、一番一番丁寧に相撲を取って、十両、幕の内に早く戻ってきて欲しい。

 

 

3⃣ 溜席(たまりせき)の妖精

2020年11月場所のころから、土俵下の溜席で、背筋をピンと伸ばした美しい姿勢で相撲を観戦する若い女性が、相撲中継の取組の合間に見かけられるようになった。ネットで話題となり、「溜席の妖精」と名付けられ、熱心なウォッチャーも出現している。

 

彼女は、両国国技館開催の時は、15日間の内ほとんど毎日観戦に来ており、7月の名古屋場所でも土日を中心に5日観戦している。

 

衣装は主に白系の品の良いワンピースで背筋を伸ばして正座し、膝に両手を置いて観戦する姿は、凛として美しい。時々熱戦に拍手する形も又良い。そしてその姿勢を何時間も崩さないのだ。

 

 

 

 

彼女が座る場所は、東の花道西側溜席の最前列又は2列目(もう少し中央寄りの時もある)、ここはネットやプレイガイドでは売り出されない。茶屋の常連客や親方連中が優先的に使用できる席と言うことだ。

 

私の見る限り、彼女は幕下朝之山の取組時間(14:00~14:30)には、既に着席していた。ということは、結びの一番(18:00前)まで観戦するので、3時間半以上この姿勢で通しているのだ。胡坐(あぐら)座りもろくにできない私にとっては、驚異的な神業である。

 

 

 

足元にはワンピースに合わせたハイブランドなバッグ(主にルイ・ヴィトン)が置いてある。「溜席の妖精」ウォッチャーは、そのバッグの銘柄・値段も調べ上げている。

 

   ルイ・ヴィトン「スピーディ・バントリエール 25」 ¥385,000

 

 

  ルイ・ヴィトン 「スピーディ・バントリエール 30」 ¥359,000

 

 

ネットには、彼女について色々調べた結果が載っている。それによると、

 

彼女は一般人で、二所ノ関一門のある親方がお世話になったタニマチ※のお嬢様ということだ。東京か東京近辺にお住いの相当な富裕層のお嬢様というのが結論だった。

 

※タニマチ 相撲部屋をひいきにしてくれる後援者、スポンサー

 

彼女は一般人でもあることから、余り騒ぎたてることはしないで、時々テレビに映る溜席の彼女を見付けた時は、「ラッキー」と思うくらいが丁度良いのだろう。

 

 

 

 

 

へんろ日記 17

 8月14日にアップした「へんろ日記 16」の続きです。

 

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12月8月(金)(雨→雪)2017年/平成29年

<47日目 九度山町高野山奈良県天理市

 

12月7日に高野山麓の九度山に宿を取り、今日はいよいよ町石道(ちょういしみち)を歩いて高野山に入り、奥の院で大師様にお礼参りをして四国遍路を完結させる日だ。

 

四国遍路を成し遂げて、高野山奥の院にお礼参りをするアクセスは、普通は南海高野線で、橋本から極楽橋まで行って、ケーブルに乗り換え高野山山内へ、そこからバスか徒歩で奥の院に向かう。

 

今回訪れた時は、南海高野線九度山-極楽橋間が台風の被害で不通となっていた。その代替として橋本-高野山にバスが運行されていた。

 

私は、最初から電車は使わず、九度山から「高野山町石道」を歩いて高野山に行くつもりだったので、電車の不通は高野山往路には関係なかった。

 

高野山町石道(ちょういしみち)」は、高野山麓の九度山慈尊院から高野山山上西口の大門へ通じる表参道のことである。空海高野山開山のおり、この道に木製の卒塔婆を建てて道標とした。

 

鎌倉時代になって、朽ちた木の代わりに、石造り五輪塔型の町石が一町(約109m)ごとに建てられた。高野山山上の根本大塔を起点に慈尊院まで180の町石が建っている。この道は平成16年7月に世界遺産に登録されている。

 

1:30 九度山の天然温泉Yの布団の中で目覚める。高野山お礼参りの後に熊野古道小辺路を歩いて、3泊4日で熊野本宮へ行く当初の計画は、小辺路の山道にかなりの積雪があるとの情報を、昨日現地役場から得て中止とした。布団の中で小辺路に代えて奈良に行こうと決める。

 

高野山から奈良へのルートや、今晩の宿をスマホで調べる。

 

5:40 宿舎出発、宿を出る時降り始めた雨は、直ぐに本降りとなる。

 

6:00 コンビニ F 宿の朝食はキャンセルしたので、食べ物(肉まん、おにぎり、アンパン、チョコ)を調達する。 ずぶ濡れ状態の私を見るに忍びなかったのか、コンビニのオバサンが「気を付けてネ」と声かけ励ましてくれた。嬉しかった。

 

コンビニを出て紀ノ川の九度山橋を渡るころには、雨はますます激しくなってきた。夜はまだ明けず、道路にはヘッドライトを点けた通勤と思われる車が行き交い、しぶきを上げて私の横を通過していった。四国へんろ中の松山市内を歩いた時に匹敵するほどの大雨だった。

   

7:00 慈尊院 篠突く(しのつく)雨の中、慈尊院に到着。

 

慈尊院は、高野山が年貢の徴収の場として山麓に置いた寺務所である。又空海が母公の没後、伽藍を建て弥勒菩薩を安置したため、以後女人禁制の高野山に対し女人高野とも呼ばれるようになった。

 

ここから「町石道(ちょういしみち)」が始まる。

 

7:40 展望台 雨の中、最初のキツイ坂を登った所に展望台が現れる。雨は降っているが雲が切れて、九度山、紀ノ川方面が見渡せた。ここは「朝日夕日100選」にも選ばれている展望スポットだそうだ。

 

今夜の宿の予約電話を入れたら、昨日と違って一回で予約できた。だめなら縁がなかったものと謙虚な気持ちで架けたのが良かったか?

 

近くに無人販売のみかんがあったので、飲み物代わりにでもと買う。(一袋100円)

 

9:05 六本杉 町石道は訪れる前、車一台が走れるくらいの幅の道かと思っていたが、ハイキング、登山道と言った感じだった。ここを出てからも雨は止まず、寒くなってくる。手袋はビショビショで、とにかく寒い。

 

11:00 三里石 ここまで人には一人も合っていなかったが、ここで中学校の先生3人組に合う。来週生徒を連れてくるので、その下見にき来たという。

 

11:15 矢立 国道370号を横切る。国道沿いに矢立茶屋があったが、店は閉められていた。

 

12:05 展望台 雨で何も見えない。寒い、本当に寒い。アンパンを齧る(かじ)る。

 

13:20 大門 高野山に近づくにつれて、標高も上がり、雨がミゾレからそして雪に変わり、道には雪が積もり始めた。

 

最初の展望台で買った、ビニル袋入りのみかんは、寒くて食べる気にはなれず、ここまで手に持って歩いてきた。ザックに入れるのも面倒で、路傍に捨てた。環境上ビニル袋の廃棄は気が引けたが、手が寒さで縮んでみかんだけを取りだして捨てるのが大変だったのだ。

 

雪で白くなったキツイ登りの町石道を、ガンバって高野山山上西口の道路に出ると、一挙に視界が広がり、巨大な朱色の楼門「大門」がドーンと目に飛び込んできた。思わず「オウ!」と感嘆の声を発する。

 

       写真ACより  n*************m さんの作品

 

大門は、高野山の総門で、5間重層の大楼門だ。高さは25.8mもある。高野山町石道は、ここから、山内に入る。

 

山内は雪が10~15㎝ほど積もっており、お店の人は店の前を雪かきをしていた。山内には天下の霊場117の寺院や堂塔大伽藍がある。雪の積もったこれらの風景は、写真には絶好の被写体であるが、とにかく寒いのと、重装備の雨支度でスマホを直ぐには出せず、結局高野山では、一枚も写真が撮れなかった。

 

根本大塔、真言宗総本山金剛峯寺の横を通って奥の院へ向かう。雪かきをしていない所は、靴が雪に沈み、歩きにくい。滑って転倒しないよう注意して進む。

 

一の橋から奥の院が始まる。一の橋から弘法大師の御廟までの2㎞の参道の両側には、杉の巨木が聳え、雪も積もって荘厳さを醸し出していた。杉の大木の周りには、織田信長豊臣秀吉武田信玄上杉謙信、徳川家、伊達政宗といった有名どころの戦国武将を始め約20万基の墓碑が眠っている。

 

この天気のせいか、奥の院には参拝者や観光客はほとんど見受けられず、厳かに静まり返っていた。

 

        写真ACより   n*************m さんの作品

 

14:10 御廟 ここは大師信仰の中心聖地である。御廟でお参りをするために、さんや袋から納札を出そうとしたが、寒くて手が凍え上手く出せない。何度も袋に手を入れて札を掴もうとしてもうまくいかない。時間ばかりが経過してパニック状態になった。大師様の前でお恥ずかしい。

 

納経所で、このへんろ最後の墨書朱印をして頂き、隣の休憩所に入る。室内はストーブが焚かれ、今日初めて暖気に触れた。身体の芯まで冷えていたので、心底心地良く「へんろをやり遂げた」という安心感から眠くなった。

 

これで、今回の四国へんろの旅は終了した。当初は、今夜高野山に泊まって、明日からは、熊野古道小辺路の山道を歩く予定であったが、高野山山内でさえ、これだけ雪が積もっているのだから、小辺路の山道はさぞかし深い積雪と思われる。中止にして正解だった。

 

14:55 奥の院中の橋 ここから始発のバスで高野山山内の街を通ってケーブル山上駅に行く。南海高野線は不通なので、代行のバスに乗り換え、JR橋本駅へ。バスは何故か凄く遠回りのルートを走った気がした。

 

15:50 JR橋本駅 今日の宿は奈良県天理市のビジネスホテルを予約してある。予約したはいいが、ここから天理までどう行ったらよいか。関西のJR、私鉄路線図は馴染みが薄く頭に入っていない。

 

こういう時に便利なのがスマホの「乗り換えアプリ」だ。スマホに助けてもらって、橋本(JR和歌山線)ー五条(JR和歌山線)ー吉野口(近鉄吉野線)ー橿原神宮前近鉄橿原線)ー平端(近鉄天理線)ー天理と乗り継いで、天理に辿り着いた。

 

18:00 ホテルI 主人はいかにも関西人と言ったのりの良い紳士だった。しばらく空室だったと思われる部屋は冷えていたが、エアコンの暖房をMAXにし、洗濯をして風呂に入る。今日は一日寒い思いをしたので、お湯に浸かると身体が蕩(とろ)けるように気持ち良かった。

 

ホテル近辺には、適当な食事処が無く、主人お薦めの屋台ラーメンを食べに行く。それなりに美味しかった。帰りにコンビニで肉まんを買ってホテルで食べる。

 

12月8日の歩数 59,900歩   歩行距離 39.0㎞

 

 

            ー続く(非定期)ー

 

「へんろ日記」は、次回からは「へんろ日記 番外編」として継続します。

 

 

 

 

 

 

  

 

カラオケ

「カラオケが好きか?」と問われれば、「誘われれば行く程度」と答える。カラオケは好きではあるが、他人に知られるのが恥ずかしい。カラオケオタクと思われるのが嫌なのだ。

 

鉄道も乗るのが好きで、乗り鉄(鉄道乗車を目的とした鉄道オタク)の端くれと自分では思っているが、、自分から名乗りたくない。オタクには凄い人達がいて、とても彼らには及びもつかず、自分は素人の範疇(はんちゅう)だと思っているからだ。

 

カラオケも、常に新曲をマスターして一人カラオケで確認したり、先生に付いて練習したりしているオタクもいる。 私は歌が上手くもないし、好きで楽しく歌っているにすぎないので、鉄道と同じく素人のお遊びにすぎない。

 

私は、テニスと卓球のサークルに属しているが、どういう訳かカラオケ好きは卓球サークルの人ばかりだ。 テニスの人達とは、コートでテニスをして終われば「ハイ、さようなら!」と、ごくシンプルでドライな付き合いである。

 

一方、卓球の人たちはウェットな方が多く、卓球外のつきあいも活発で、コロナ禍前は、忘新年会、懇親会、旅行をよく開催していた。

 

2年前までお世話になっていたHS卓球サークルに、私より10才位若いH君と言う卓球仲間がいた。 彼は卓球も凄く上手いがカラオケも大好きだ。 「ボクは、卓球とカラオケが命です」と常々公言していた。

 

私のようにひねくれず、明るく公言できるH君は清々しかった。 彼の歌う曲のレパートリーは幅広く、今流行っている新曲から、彼の若いころの曲、歌謡曲からポップスまで「何でもござれ」だ。

 

別の卓球サークルのKさんは、ジャンルは歌謡曲と狭いが、テレビの歌謡曲専門チャンネルを見て、常に新しい曲の開拓に余念がなく、気に入った曲を次のカラオケ会で歌えるように自宅で練習している。 昔からの友人でカラオケ愛好会を作って、月に一回は集まって歌っている。

 

私は、H君やKさんに誘われたり他の卓球仲間に誘われて、度々カラオケに行っていたが、コロナ禍となってからは一度も行っていない。 3年近くも歌っていないので、感覚を忘れてしまった。

 

      イラストACより   しゅんぴさんの作品」

 

私がカラオケで始めて歌ったのは、勤めていた頃の宴会とか、クラブやスナックへ行った時だ。 そういう経緯からカラオケとは、お酒を飲んで酔った勢いで歌うものという固定観念が定着した。 酒の力を借りなければ、ヘタクソの歌など「素面(しらふ)で人様に聞かせられるか」と今でも思っている。

 

我々が行くカラオケは、カラオケ喫茶やスナックではなく、カラオケボックスだ。 喫茶店やスナックでは、同席している他のお客さんに気を遣うのが煩わしい。 気心のしれた者同士が集まり、個室で食事やお酒も注文できるカラオケボックスの方が、断然寛(くつろ)げる。

 

カラオケでの選曲は、私は新曲には興味がない。 何故なら新曲で心に沁みるような曲にお目にかかったためしがないからだ。  従って私の歌う曲は私の好きな曲、即ち古い曲ばかりだ。

 

テレビやラジオで「これは!」と耳に残った曲は、YouTubeで探して聴いてみる。 そして歌えそうだと思ったら、練習して私のレパートリーに加える。 ほとんどの曲は、カラオケ動画も存在するので、練習するのに、YouTubeは、非常にありがたいツールだ。

 

カラオケボックスでは、歌う前に雑談しながら食事をしたりするので、話に花が咲き、なかなか歌が始まらない時もある。 参加者の順番を決め、いよいよ歌う段では、私はアルコール(主に焼酎の水割り)を含んで、恥ずかしさを紛らわせて臨む。

 

私の一曲目は、毎回五木ひろしの「倖せさがして」と決めている。 この歌で、その日の調子を占う。 次の曲からは、開催時期に会った曲を選曲する。

(※印は、既にお亡くなりになった歌手です)

 

例えば春は

・イルカ「なごり雪

永井裕子「菜の花情歌」

森山愛子「恋草子」

森山直太朗「さくら(独唱」

加山雄三/谷村新司サライ

福山雅治「桜坂」

千昌夫北国の春

一青窈ハナミズキ

財津和夫サボテンの花

田川寿美「花になれ」

坂本冬美うりずんの頃」

村下孝蔵※「春雨」

布施明「五月のバラ」

田川寿美「しゃくなげの雨」

 

夏は

松原のぶえ「蛍」

井上陽水「少年時代」

大黒摩季「夏が来る」

・TUBE「あー夏休み」

ラッツ&スター「(め)組のひと」

JAYWALK「何も言えなくて..... 夏」

サザンオールスターズHOTEL PASIFIC]

世良公則&ツイスト「燃えろいい女」

石川セリ八月の濡れた砂

井上陽水/玉置浩二「夏の終わりのハーモニー」

 

秋は

・トワ・エ・モア「誰もいない海」

本田路津子「秋でもないのに」

石原裕次郎※「倖せはここに」

山口百恵秋桜(コスモス)」

杉本真人「吾亦紅(われもこう)」

南沙織「色づく街」

・アリス「秋止符」

・アリス「それぞれの秋」

・原大輔「秋冬」

 

冬は

布施明」「シクラメンのかほり

山下達郎「クリスマスイブ」

Le Couple 「ひだまりの詩」

・アリス「冬の稲妻」

中島美嘉雪の華

吉幾三「雪国」

五木ひろし細雪

・森進一「冬のリビエラ

・森進一「北の蛍」

杉本真人「忍冬(スイカズラ)」(花の咲く季節は春ですが・・・)

 

その後はその日の気分次第で、私の好きな歌手の曲や、好きな曲を選ぶ。 何故か分からないが、女性歌手の曲が多い。 キーが合わないので、#3にすると合うことが多い。

 

高橋真梨子:「ジョニーへの伝言」「五番街のマリーへ」「for  you・・・」

「ごめんね」「グランパ」

 

中島みゆき:「時代」「わかれうた」「糸」「地上の星」「ヘッドライト・テールライト」「宙船(そらふね)」「永遠の嘘をついてくれ」

 

山口百恵:「いい日旅立ち」「イミテーション・ゴールド」「プレイバックPart 2」

「ロックンロールウィドウ」「さよならの向こう側

 

中森明菜:「少女A」「DESAIRE-情熱-」「飾りじゃないのよ涙は」

 

松田聖子:「SWEET  MEMORIES」

 

テレサテン:「空港」「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」「別れの予感」

 

大橋純子:「たそがれマイ・ラブ」「シルエット・ロマンス

 

・竹内まりあ:「駅」「人生の扉」

 

アン・ルイス:「グッド・マイ・ラブ」「六本木心中」

 

内藤やす子:「想い出ぼろぼろ・・」「六本木ララバイ」

 

美空ひばり※:「愛燦燦」「川の流れのように」「みだれ髪」「函館山から」「ある女の詩」

 

瀬川瑛子:「長崎の夜はむらさき」「命くれない

 

小林幸子:「雪椿」「おもいで酒」「もしかして」

 

秋元順子「愛のままで...」「マディソン郡の恋」

 

森山愛子:「おんな節」「ダメよ故郷さん」「風樹の母」「女の神輿」「離別(イビョル)」「忘れないで」「会津追分」「尾曳の渡し」

 

男性歌手では、

・安全地帯(玉置浩二):「ワインレッドの心」「田園」

 

長渕剛:「とんぼ」「乾杯」「しあわせになろうよ」「RUN」「ひとつ」「順子」

 

来生たかお:「夢の途中」「Goodbye  Day」

 

村下孝蔵※:「初恋」「踊り子」

 

永井龍雲:「つまさき坂」「心象風景」「女の酒場」

 

JAYWALK:「ジャスト・ビコーズ」「もう一度」「君にいて欲しい」「心の鐘を叩いてくれ」「RERAX」「俺」「青い瞳のステラ」「Thousand  miles」

 

サザンオールスターズ:「いとしのエリー」「涙のキッス」「TSUNAMI」「エロティカ・セブン

 

レーモンド松屋:「安芸灘の風」「雨のミッドナイトステーション」「夜明けのブルース」「クラブジェールのママ」「真実・愛ホテル」

 

石原裕次郎※:「北の旅人」「ブランデーグラス」「恋の街札幌」「粋な別れ」「わが人生に悔いなし」

 

小林旭:「熱き心に」「昔の名前で出ています」「ついて来るかい」

 

五木ひろし:「よこはま・たそがれ」「夜空」「長良川艶歌」「千曲川」「そして... めぐり逢い」「おまえとふたり」

 

谷村新司「昴」「忘れていいの... 愛の幕切れ...」「Far away」

 

小椋佳:「さらば青春」「めまい」「山河」

 

中村雅俊:「恋人も濡れる街角」「ふれあい」

 

河島英五※:「酒と泪と男と女」「時代おくれ」

 

演歌では、

内山田洋とクールファイブ:「長崎は今日も雨だった」「そして神戸」 「中の島ブルース」「逢わずに愛して」「噂の女」「東京砂漠」

 

北島三郎:「函館の女(ひと)」「加賀の女(ひと)」「博多の女(ひと)」

「薩摩の女(ひと)」「まつり」「風雪ながれ旅」「北の漁場」

 

大川栄策:「さざんかの宿」

 

竜鉄也※:「奥飛騨慕情」

 

吉幾三「海峡」津軽平野」「酒よ」

 

大月みやこ:「女の港」「乱れ花」

 

都はるみ」:「好きになった人」「北の宿から」「おんなの海峡」

 

平和勝次とダークホース:「宗右衛門町ブルース」

 

・アローナイツ:「骨から泣きたい雪子です」

 

・宮史郎:「女のみち」

 

殿さまキングス:「なみだの操」

 

 

あと、単独で好きな曲は、

・佐々木勉:「あなたのすべてを」

堺正章:「街の灯り」

平浩二:「バスストップ」

すずき一平:「水鏡」

大塚博堂※:「めぐり逢い紡いで」

沢田知可子:「会いたい」

などだ。

 

こうして見てみると、私の好みは、昔の若者たちの間で流行ったJポップスだったと、今回曲を洗い出してみて気が付いた。 当時はリアルタイムで聞いていただろうに、ほとんど気にも留めず生活していた。 それから何十年もたってから、それらの良さを発見したのだ。 

 

カラオケでは、これらの曲の中から、その日その場の雰囲気、相手の様子を見ながら、選曲している。

 

メンバーが7~8人以上の時、歌う曲は2~3曲、4~6人の時は4~6曲、3人の時は8~10曲歌える。 2人の時は時間の許す限り歌うことができる。 H君と二人で行った時は、休憩を挟んで9時間、二人で100曲近く歌った。 カラオケは体力も必要だ。

 

それから、宴会では、アルコールの助けを借りて、酔った勢いで

 

・三好鉄生※:「すごい男の唄」

チャゲ・アンド・アスカ:「YAH YAH  YAH」

西城秀樹※:「YOUNG  MAN (YMCA)」

 

を盛り上げ用に使っている。