師走第二週

今年も私の嫌いな師走が到来した。グータラな私には、年末の大掃除や正月準備で大忙しするのが嫌でこの時期は気が重い。いつも大掃除などは年末ギリギリまでしないので、師走も前半はだらだらと過ごしている。

 

今回は、師走第二週の日々を綴ることとする。

 

 

12月4日(月)

当地は、暖かかった11月から12月に入ると冬らしく寒くなった。特に朝の気温は0℃近くまで下がり、今朝は-1℃まで冷え込んだ。日中には気温も13℃シまで上がり、天気は三日続きの快晴で気持の良い青空が広がっていた。

 

昼には昔からの友人とランチに出かけた。コロナの扱いもインフルエンザと同じ5類相当となったので、罪悪感も無く食事を楽しめた。

 

この日は、H卓球の日であったが、Hさんに私の代理で会の取りまとめをお願いして欠席した。

 

夕方、そのHさんからメールが入り、私の留守中に「S」と名乗る人が、私にアイリスを渡すために練習会に来たと報告された。「S」さんは、私が休んでいると聞くと、次の練習会に又来ると言って帰ったそうだ。

 

私には、「S」さんもアイリスも全く心当たりが無い。人違いであろうとは思うが、それにしても、私の苗字は世間では少ない方なので、何故私の名前が出てきたのかが不思議だ。次の練習会には判明するが・・・。

 

 

12月5日(火)

今日は12:30からのテニスに参加したが、このシーズンで一番寒かった。その時点での外気温度は9℃、ダウンジャケットを着たままプレイし始めたが、2ゲーム程プレイしても、身体が温まらずジャケットが脱げない。まだ風が無くて助かった。

 

私は汗かきで、プレイ中は直ぐに身体が熱くなって汗をかくので、先週は半袖のTシャツ一枚でプレイした。さすがに今日は半袖一枚とはいかず、3ゲーム以降は、上に長袖のシャツを着た状態で続けた。休憩中はもちろんジャケットを着込む。

 

今年は、長い夏から秋を飛び越えて、一気に冬に突入したと言う感じだ。

 

寒くなってきたので、夕飯の晩酌のあてに「鰤大根」を作った。土井善晴さんのレシピを参考にする。鰤のあらはスーパーで「鰤大根用」として売っている。大根は一本まるごと使う。我が家の大鍋では一回ではできないので、二回に分けて作った。

 

あめ色に煮詰めた大根は、鰤のエキスをたっぷり吸い込んで、箸で切れる程柔らかくなっている。炊き立ての大根をフーフーと冷ましながら食べて、熱燗を流し込む。身体が一気に温かくなった。

 

 

12月6日(水)

8:30からの早朝テニスに行く。朝から雲一つない快晴だ。今日は朝も早いことなので、昨日のような寒さを覚悟したが、体感温度は昨日と比べるとずっと暖かく、ゲームの初めからシャツ2枚でプレイできた。

 

季節は昨日の冬から又秋に戻ったようで、青空の下快適にテニスを楽しむことができた。

 

 

友人のSさんも一緒にプレイをして、いつもはテニスの後に二人でMACへ行くのだが、今日はSさんに用事ができ、コーヒー&談話は取りやめとなった。

 

時間ができたので、近くの市立図書館に行く。ここを訪れるのは久しぶりだ。館内のシーンとした雰囲気が懐かしさを覚える。

 

本棚の「漫画 吾妻鑑」(鎌倉時代の歴史書)を手に取ってパラパラと見ていたら面白そうで閲覧室に持ち込み、上中下3巻を2時間かけて全巻を通読した。

 

 

12月7日(木)

リハビリへ通うのは毎週金曜日であるが、明日の金曜日は、ペースメーカー外来の受診日のため、リハビリを今日7日に振り替えた。

 

木曜日の施設利用者数は、金曜日とほぼ同じであるが、顔ぶれが全く異なるので、雰囲気も全然違う。金曜日は、8:30に利用者の中では私が一番早く施設に入るが、今日木曜日は、私が施設に着いた時には、既に5~6人がマシントレーニングをしていた。

 

木曜日のメンバーの方が、真剣にトレーニングしている人が多いようだ。昨年夏頃に、同じく木曜日に振り替えた時、一人の男性利用者が、リハビリの内容やその日の記録、課題等をノートに筆記しながら、懸命にリハビリをしている姿が目に入った。

 

後から知ったことだが、その人は私の友人Sさんの親戚の方だった。Sさんの話によると、彼は私より10才位若く、在職中にパーキンソン病になりリハビリを続けているとのことだ。病気になる前は、野球他のスポーツをやって活発に身体を動かしていたという。

 

一年以上経って再会した彼は、残念ながら去年の夏より更に身体の自由度が減少したように見えた。あれだけ熱心にリハビリに励んでいるのに、病状は良く成るどころかより進行している。世の中の不条理に胸が痛くなった。

 

 

12月8日(金)

2006年に「完全房室ブロック」という心臓の病気になった。人間の身体は、心臓の心室の収縮によって血液が全身に流れるが、その心室の収縮を促す洞結節からの電気信号が伝わらなくなって極端に遅い脈拍になる病気だ。

 

その治療法として、体内(鎖骨の下)にペースメーカーを埋め込んだ。この文明の利器のお陰で、そのままでは失神したり心不全になって最悪死に至るところを免れ、私はそれ以降、運動を含む日常生活を享受している。

 

私にとってペースメーカーは命の恩人であり、無くてはならない最大限に重要な小型電子機器だ。

 

この重要なペースメーカーが正常に作動しているかチェックする為、一年に二回これを埋め込んだ大学病院で定期点検検査をしている。車と同じだ。

 

今日はその検査の日で、病院へ行ってきた。半年前の前回の点検で、そろそろ電池の寿命で交換手術時期が近いと言われた。2006年に埋め込んだ後、2017年に新しいものに交換している。今日はニ回目の具体的な手術日程が告げられると覚悟した。しかし検査の結果、電池はあと半年以上はもつことが分かり手術も延期が決まった。

 

大学病院はいつものように混んでいたが、コロナ禍の時のような病院全体に広がっていた切迫感は無くなっていた。

 

 

12月9日(土)

今週は月、火と寒かったが、水曜日から又暖かくなり、師走と言うのに10~11月のような温暖な日が続いている。今年は、一日の寒暖差そして日毎の寒暖差が激しい年だ。大きな寒暖差により自律神経が不調となり、体調を崩す人も多いと報じられている。

 

今日も又20℃近くの陽気となった。買い出しに行ったスーパーは、正月飾りや飾り餅等の正月用品の売り場面積が増えたようだ。これから歳末商戦はいよいよ本番となるが、私の年末のスイッチはまだ入っていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忘年会

今年も12月に入り、余すところ一ヶ月となった。時の過ぎるのはいつでも同じはずなのに、年を重ねるごとに感覚的には早くなる。

 

忘年会の時期となった。コロナ禍で三年間忘年会などの宴会は自粛されてきたが、今年は規制が解除されたので、4年振りに忘年会を開催する企業も多いと報道されている。師走の街もコロナ禍前のような喧騒が戻ってくることだろう。

 

コロナ禍の期間中に就職した若者は、今年始めて会社の忘年会に参加するという者も多い。忘年会の意識も昔とは様変わりしているようだ。会社の忘年会というと、参加が当たり前だったが、今は欠席する若者も多いと聞く。今の管理職は忘年会では、パワハラ、セクハラにならぬよう若者にことのほか気を遣うらしい。

 

私もこれ迄いろいろな忘年会に出てきた。記憶に残る幾つかの忘年会を綴ってみたい。

 

① 山岳部忘年山行

結婚前の独身時代、会社の山岳部に入っていた。毎年暮れに、なるべく多くの部員が参加できるようハイキング程度の山行が計画されていた。ある年(具体的には忘れた)の12月10日、旧碓氷峠忘年山行に参加した。

 

横川駅からのハイキングコースを峠に向かって歩く。林の中のコース道は落ち葉に覆われ、ふかふかの絨毯の上を歩くようで気持ち良い。先輩の男性部員が若い女性部員に面白い話や冗談を言いながら登っていく。その話が面白くて女性たちはキャッキャッ言いながら後を追う。

 

私は当時山岳部に所属していたが、一人で登ることが多かったので、こんなに沢山の部員と一緒に登るのは初めてのことで、特に女の人は、この時初めてお会いする方がほとんどだった。

 

やがて峠に着いた。この日は朝から快晴で、目の前に広がる真白な雪を被った浅間山は真っ青の空に映えて、それはそれは美しかった。

 

           写真ACより  m.maeda さんの作品

 

この時の女性の一人が、後に私の連れ合いとなった。

 

② 川崎忘年会

入社して私は会社の寮に入った。所属は川崎の研究所だ。その寮から同じ研究所に通う私の同期と一年先輩の7人が、仲良くなっていつしかグループができていた。会社の帰りに飲みに行ったりもしていたが、年末には7人で忘年会を開くことが恒例となった。

 

私が一番の若輩だったので幹事をし、場所は川崎駅前商店街の少し奥の居酒屋とした。ここは、人の良さそうな太ったオバサンが切り盛りし、会計もリーズナブルであった。いつも二階の窓際の、下の商店街を通る通行人を見下ろせる席で、大きな土鍋を囲んで一年の各自の出来事を報告したり歓談した。年末に皆と食べる寄せ鍋の味は格別だった。

 

この店に通い始めた頃、オバサンは赤ちゃんを横に寝かしながら仕事をしていた。最後に訪れた時、その赤ちゃんは10才位になっていた。

 

それから20年程して、たまたま川崎に行く機会があり、懐かしくなってこの店を捜してみたが無くなっていた。

 

この時の7人の仲間とは、会社を退職した後も、東京や横浜で会食したり、旅行に行ったりしている。コロナ禍の3年は外食ができなかったので、オンラインで親交を続けた。

 

③ 現場事務所忘年会

30代になって職場は研究所からエンジニアリング部門に変わった。愛知県の石油会社のプラント建設の担当になり、夏から半年程、現場建設事務所に所長代理として赴任した。

 

現場事務所は、所長が社長の小さな会社のようなもので、事務所には各種の下請け企業の社長や営業部長の来訪が絶えなかった。

 

12月にプラント建設が完工し、試運転が始まり一段落したところで、現場事務所の忘年会が行われた。シャンデリアの付いた豪華なマイクロ観光バスをチャーターして、現場から木曽の馬込を観光し、そこから飛騨の下呂温泉へ行って忘年会の宴会をするというものだ。

 

下呂温泉の忘年会は、温泉の芸者さんやコンパニオンも加わって豪華で華やかなものとなった。

 

宴会が終わって露天風呂に入っていると、外は雪が降り始め、五木ひろしの「細雪」のような良い風情だった。その時所長から呼び出しがあり、試運転中のプラントの機器から液が吹き出していると顧客から電話があったと言う。

 

今から現場に戻って対応してくれと言われる。私とプロセス担当、エンジニアリング担当の3人で、真夜中の雪の中をタクシーで下呂から愛知県の現場に向かった。

 

現場には未明に到着し、処置して事なきを得たが、慌ただしい一日だった。残りの者は、翌日バスで高山を観光して帰ってきた。

 

 

④ テニス忘年会

会社を退職してからテニスと卓球を始め、一時は三つのテニスサークルと四つの卓球サークルに同時に入っていた。暮れになって、忘年会開催の話が出るのは、いつも卓球の方で、テニスは練習会で会ってプレイしてそれで終わりということが多かった。

 

卓球は、ウェットで人間臭い人が多く、テニスは、ドライでクールな人が多いように思える。

 

テニスを始めた頃、テニススクールに通っていて、そこで知り合った私と同世代の男性(Tさん)と主婦たちに声をかけ、私が新しいテニスサークルを立ち上げた。当時その主婦たちは皆アラフォーの世代で、私から見ると独身のお嬢様のように若々しく見えた。

 

暮れになると、私は代表として忘年会を提案し開催した。会員の男性は、私とTさんの2人、あとは主婦6人の計8人。お店はオジサン臭い居酒屋は避けて、主婦たちに聞いたお洒落なスペインレストランとする。

 

当時主婦たちは、小学校の低学年か幼稚園児の母親で、一次会での話題は専ら子供の話で、私やTさんが話題に入り込む余地は無かった。

 

二次会はカラオケに行く。カラオケは苦手の人も多いが、この日は全員が参加した。皆さんお上手で、歌いなれているようだ。私とTさんの選曲が主に昭和の歌に対して、主婦たちは新しかったり若者向けの知らない曲が多い。年の差を感じた。

 

このサークルは、その後主婦たちの子供が大きくなって手がかからなくなると、パートなどの仕事に就く人が多くなった。一人やめ二人やめと会員が減少し、やめなくとも欠席する人が増え、出席者が3人を割ることもでてきて、残念ながら解散した。

 

 

今年は4年振りに、忘年会の誘いがあったが、それはやはり卓球でテニスは無い。

 

'23年九州場所の朝之山

秋場所の朝之山の番付は西の前頭二枚目で、成績は9勝6敗だった。これを受けた九州場所の番付は、小結に二つ空きができたが、勝ち星が一つ足らず、三役昇進はならず、北勝富士、阿炎に小結の座を譲り、東の前頭筆頭に甘んじることになった。

 

この番付だと、九州場所で勝ち越しさえすれば、来年の初場所では、念願の三役昇進が濃厚となる。

 

10月の秋巡業では、朝之山は、三番稽古※1や申し合い※2に、上位陣から指名されて密で充実した稽古を重ね、貴景勝とも互角かそれ以上の勝負をして手ごたえを感じていた。

 

※1 三番稽古 実力のほとんど同じ力士が、二人で何番でも納得するまでやる稽古

※2 申し合い 実力の余り変わらない力士が、勝ち抜き戦を行い、勝った力士が次の相手を指名し、対戦相手を変えながら続ける稽古

 

ところが、10月28日の広島巡業中の朝稽古で、錦木とぶつかり稽古をしていて、左足のふくらはぎを肉離れしてしまった。11月12日からの本場所2週間前の大事な時期の怪我で、以降実戦稽古は全くできなくなってしまう。

 

本場所開催2日前の11月10日、朝之山は協会に「左腓腹筋損傷の為、21日間の安静加療を要する」という診断書を提出して、九州場所は初日から休場することになる。

 

「ここまで来たからには、出場したかったですが大怪我につながりかねないので・・回復次第では、負け越しても出る(途中出場)つもり」と語る。

 

12日本場所が始まったが、左足の痛みはまだかなりあり、朝之山は部屋で他力士の活躍をテレビで見ることになる。

 

朝之山は11月18日、19日の中日(八日目)からの再出場を決めた。

 

「六日目の朝稽古後、左足は大分動けるようになった。初日の状態と比べたら、すごく良い。傷みが完全になくなったわけではないが、土俵に上がったら関係ない。負け越しで途中出場するよりも、勝ち越しの可能性を残して出場するからには、全力でやりたい。※3

※3 中日から8連勝すれば勝ち越せ、来場所三役が期待できる。

 

「途中出場には賛否両論あるのは分っている。でも何よりもこの場所に出ることが、これからの自分の為になると思って決めた。腹をくくった結果、今は早く本場所の土俵に立ちたい」

 

九州場所の朝之山の取組結果>

 

          対戦相手     決まりて      勝敗

初日~七日目     休場

中日(八日目)    貴景勝     下手投げ       勝

九日目        霧島      はたき込み      負け

十日目        大栄翔     押し出し       負け

十一日目       豊勝龍     下手投げ       負け

十二日目      北勝富士               押し出し      負け

十三日目       若元春     寄り切り       勝

十四日目       正代                      寄り切り       勝

千秋楽        阿炎      突き落とし      勝     

 

 

① 中日の途中出場で迎えた最初の取組相手は、先場所優勝の大関貴景勝

朝之山は戦い前、土俵下の控えで待つ間、10才で相撲を取り始めて以来経験したことの無い緊張感に襲われ足が震え出した。土俵に上がった仕切り中も震え、時間いっぱいの仕切りで、館内の声援を聞いてようやく震えが止まり「思い切っていこう」と自分を奮い立たせた。

 

相手の貴景勝も綱取りに一敗も落とせない一番で、必死の形相で迫ってくる。朝之山は激しい突きをしのぎ続けたが、土俵際まで追い込まれる。この窮地で朝之山は何とか左下手を取って、左に回り込みながら捨て身の下手投げ、両者土俵下に飛び込んだ。軍配は朝之山。だが物言いがつき協議の結果、軍配通り朝之山の勝となった。

 

② 九日目の相手は、大関霧島

朝之山は立ち合いから、圧力をかけ続けたが、霧島のいなしからのはたき込みで、霧島を押し出しながら前に倒れた。軍配は霧島だが「朝之山の右手が付くのと、霧島の左足が土俵を割るのが同時ではないか」と物言いがつき、協議の結果、霧島の勝となった。二日続けての微妙な取組結果となる。

 

この日負けたことにより、1勝1敗7休となり、今場所の負け越しが決まり、三役の可能性も消滅した。

 

気落ちしていないかとの記者の質問に「ない!前に出ていたので、明日に繋がる負け」と今日の負けを引きずっていない様子だった。

 

③ 十日目の相手は関脇大栄翔

朝之山は立ち合い胸から当たって踏み込もうとしたが、大栄翔に突き放され、引いた僅かな一瞬に一気に押し出された。完敗だ。

 

④ 十一日目 大関豊勝龍戦

立ち合い直ぐに右四つとなり、豊勝龍が下手投げ打ってくるところを朝之山も上手投げで打ち返すが、豊勝龍の引き付けからの投げが厳しく、豊勝龍の下手投げに屈する。

 

昨日の大栄翔戦といい本日の豊勝龍戦といい、朝之山は両者との対戦成績が悪く同じような負け方をしている。今後上に上がるには、苦手力士を作るのはまずい。今後の稽古で対策を研究して欲しい。

 

⑤ 十二日目 小結北勝富士

朝之山のこれまでの北勝富士戦の対戦成績は10勝2敗と分の良い相手だ。今日は勝って連敗脱出といきたい。

 

立ち合い後朝之山は、一旦は北勝富士を土俵際まで追い込むも、上手が取れずモタモタしている間に、北勝富士の一瞬の引きからの押しで土俵を割った。押し相撲力士(貴景勝、大栄翔、北勝富士)は一瞬引いてからの押すタイミングが実に上手い。

 

朝之山はこれで、1勝4敗7休の4連敗となり、朝之山ファンとしては、欲求不満が募るばかりだ。

 

⑥ 十三日目 関脇若元春戦

優勝争いは、二敗の霧島、熱海富士に絞られ、負け越している二人(朝之山、若元春)の取組に対しては、NHKのカメラも冷淡だ。仕切りの様子をじっくり見たかったが、仕切り中は他の力士が映し出されていた。時間いっぱいとなってやっと二人の姿が映った。

 

立ち合い後、若元春が上手を取って出てくるところを、朝之山は右からのすくい投げで若元春の身体が大きく崩れたところを寄り切った。朝之山五日ぶりに勝ち名乗りを受ける。

 

 

 

⑦ 十四日目 前頭2枚目正代戦

正代は熊本県出身なので、九州場所はご当地力士だ。客席には、朝之山と同じくらいの応援タオルが揺れていた。

 

立ち合い後、朝之山は左の上手を取って引き付けながら、一気に前に出て正代を寄り切る。この場所で初めての朝之山らしい相撲で勝った。

 

⑧ 千秋楽 小結阿炎戦

立ち合い後、阿炎の強烈なもろ手突きとのど輪を、朝之山は弓ぞりにのけぞりながらも下がらず凌いで残し、両手で突いて阿炎に土を付けた。

 

今年最後の取組も、白星で飾り、九州場所は4勝4敗7休となった。 

 

 

朝之山は不祥事による出場停止処分が明けた昨年7月の名古屋場所で、三段目からスタートして以来、8場所連続して勝ち越し、前頭筆頭迄番付を上げてきた。今場所は、場所前のふくらはぎの怪我で、初日から7日目まで休場し、中日8日からの出場の為、成績も4勝4敗7休と不本意な結果となった。

 

来場所の番付は、前頭10枚目位まで下がるだろうが、今度は怪我の無い万全の体調で臨んでもらいたい。怪我さえなければ、三役、大関への復活も朝之山ならできると思う。

 

 

 

 

 

立冬の頃

今年夏の猛暑の余韻で9月、10月も高めの気温の日が続いたが、11月7日には東京で最高気温が27.5℃となり、100年振りの記録更新となった。11月になってもこんなに暑い日が到来したことに驚いた。

 

翌8日は立冬で、さすがに気温は平年並み近くに下がり、10日の金曜日からは更に気温は10℃台に下がり、季節は秋を通り越して一気に冬になったような感覚だ。日本の美しい四季の移ろいが崩れてしまうようで不安になる。

 

急に寒くなって、まだ出したままになっていた夏物の衣料を、慌てて秋、冬物に入れ替えた。普段の生活も冬バージョンに変化しつつある。

 

・朝は居間のストーブを使い始めた。

・冷やして飲んでいた麦茶を温めるようになった。

・テニス、卓球に持参する飲み物は、冷やしたスポーツドリンクからポット入りの、温かいお茶になった。

・大鍋を作り始めた。(大鍋に魚介類、野菜、きのこをたっぷり入れて煮込み、小鍋に小分けして、ちり湯豆腐、煮込みきしめん、雑炊にして食す)

・風呂は10月までシャワーで済ますことが多かったが、毎回お湯に浸かるようになった。

・布団の掛布団に肌掛けを追加した。

等々である。

 

信濃の旅行から帰って、またいつもの日常生活が再開した。立冬の頃の暮らしを記します。

 

<右肩痛>

7日の火曜テニスでプレイしていて、終盤に右肩の痛みを感じるようになった。ラケットにボールを当てた時、右肩が痛くてボールを振り抜けなくなった。休憩中の仲間に、代わってもらってゲームをリタイアする。

 

この日は続いて卓球がある。旅行の土産もあるので、会場の公民館に行き、卓球ならできるかもとやってみたが、やはり痛い。卓球も練習は止めて、土産だけ渡して帰る。

 

痛みは激痛ではないが、腕を下から上へ上げる時や肘を後ろに引いた時が痛い。風呂で肩を温め、湯上りにロキソニンの湿布薬を貼って寝た。仰向けに寝ていて右腕を上げた時が痛かった。

 

翌朝、昨日より痛みは軽くなったが、この日の早朝テニスは欠席と決める。ここも土産だけ渡そうとテニス場へ行くと、前日朝の雨によるコート不良中止で仲間は居なかった。

 

翌金曜日はリハビリの日で、下半身は何ともないので出かける。ストレッチ、歩行/ランニングマシン、腕を使わないマシントレーニングは、いつものメニューをこなし、腕を使うものは止める。

 

土、日、月と安静に過ごし、痛みも大分引いてきた。痛めた翌日に整形外科に行こうかとも思ったが、骨は問題なく筋の一部が軽く損傷したに過ぎないと自己判断し、受診しなかった。14日、一週間前に痛めた火曜テニスは、大事を取って欠席する。

 

15日の水曜早朝テニスから、再開する。痛くなったら止めようと臨んだが、強くラケットを振らない分には、最後までプレイできた。いつも火曜日開催のS卓球は、今週は本日の開催だ。午後はこの卓球にも参加した。

 

一日に二つのサークルに参加しても、翌日再発したり痛みが残ったりしなかったので、安心する。肩を痛めて10日程過ぎ、ほとんど前の状態に戻ったが、まだ時々腕を上げた時軽い痛みが走ったり右肩回りが重だるい。しかしこのまま日常生活を続けることにする。

 

 

<ドラマ・「名もなき毒」>

2013年にTBSで放送された宮部みゆき原作の「名もなき毒」がCSで再放送されたので、録画して観た。

 

CSで放送される映画、ドラマは、JCOMマガジンの番組表を見て、面白そうなものを録画する。連続ドラマは、一応1話から最終話まで録画している。映画は最初の15分ほど見て、ドラマは、1話を見てつまらなければ、即全てを消去する。最近は中々面白い作品に巡り合わず消去することが多い。

 

そんな中、「名もなき毒」は、宮部みゆきの原作がしっかりしているので、ストーリーの展開が理にかなっており、会話も不自然さが無く、久々に面白く鑑賞した。

 

 

ごく普通の人間が心の奥にかかえた毒を無意識に伝染させたり、意図的に広めることがある。この作品は「日常に潜む毒」により発生した事件の謎を解き明かす過程での人間ドラマが丁寧に描かれている。

 

ドラマは、1話~5話と6話~最終11話の二部構成になっている。

 

主演の小泉孝太郎は、原作者の宮部みゆきの指名で起用されたそうで、主人公の「杉村三郎」役には将にピッタリのはまり役だ。このことから、宮部みゆきは原作を書く時、主人公は小泉孝太郎を頭に描きながら書いたのではなかろうかと推察する。

 

「杉村三郎」の設定は、温和な性格で、たまたま交際していた女性が、巨大グループ企業会長の妾の子であったため、その企業の広報室編集者になることを条件に会長から結婚を許される。本人には全く野心は無いが、周りからは会長の娘婿ということで、親しく接してくる者はおらず、飲み会等には一切誘われない。

 

ドラマを見ていて、小泉孝太郎の実父が元総理大臣の小泉純一郎である現実とを重ねて見ていた。

 

最終話で杉村がストーカーの女と対峙する場面があるが、このシーンだけは前に見た記憶があった。しかし、それ以外は見た記憶が全くない。原作の本も読んでいないし、始めて見るドラマとして見ていた。

 

どういう事であろう?以前このドラマを全編見たが、そのことを完全に忘れているだけなのか?見終わってからそのことをずっと考えていたが、結論は出なかった。

 

 

スマホライト>

18日の土曜日、いつものようにスーパーへ買い出しに行って、買い物が終わって買った物を袋に詰め込んでいる時、スマホのライトが点灯していることに気が付いた。設定のアプリを開いて、それらしき項目に目を通したが、ライトに関する項目は無い。

 

一旦荷物を車に積んで、もう一度調べたが分からない。このままでは電池が消耗してしまうと焦った。売り場に戻って、スマホに詳しそうな人に助けを求めようと思った。若い男性がいいかと探したが、周りにはおらず、丁度店に入ってきてこれから買い物をする中年の男性に声をかける。

 

男性は、「あー、ライトが消せないのね」と言って、私のスマホを手に取った。直ぐに解決すると思ったら、なかなかうまくいかず数分が経過した。

 

違う人にお願いしようかスマホショップに持って行こうか考えるが、男性が必死でいじくり回してくれているので言い出せない。こういう時は時間が凄く長く感じる。

 

どのくらい時間が経ったか分からないが、「出来た!」と男性が言ってライトが消えた。結果は至極簡単で、待ち受け画面をスワイプすると、「ライト」の文字が出て、それを押せば点灯・消灯ができるのだ。男性には鄭重にお礼を言って別れる。

 

実は、スマホのライトが意図せずにつき、消せなくて困ったのは今回が二度目だ。最初は、四国遍路に行く時、大阪の高速バスターミナルで起こり、その時はやはり近くに居た若い男性に直してもらった。その時直し方を聞いておけばよかったが、急いでいたのでそのままにしていた。

 

こんな簡単なことも知らずに、スマホを使用している自分が恥ずかしい。

 

 

北信濃行き当たりばっ旅 2

前回の続きです。一日目は、木曽の開田高原から野麦峠を通って松本に出て、一泊しました。

 

<二日目、10月31日(火)>

6:30 朝食、バイキング式で、焼き魚、ミートボール、スクランブルエッグ、ひじき豆、サラダ、とろろ芋等々のメニューを選択する。ここの水、牛乳や食材は無農薬で健康を重視したものらしい。お恥ずかしい話だが、バイキングだと大目に盛り付けてしまい、朝からお腹いっぱいになった。

 

7:30 出発、さて、今日も天気は晴れてドライブ日和となりそうだ。ここ松本から安曇野をブラブラと北上して白馬を目指すとしよう。まず最初の目的地は、昨夜地図で見付けた安曇野市柏矢町のワサビ田にする。

 

松本市街地は、丁度朝のラッシュアワーと重なり、車はなかなか進まない。急ぐ旅ではないので、心に余裕をもって渋滞を抜けた。

 

19号を北上し、左に梓川を臨む頃から霧が発生して視界が急に悪くなった。国道の右側に平行て走るJR篠ノ井線の駅間区間で列車が停止している。濃霧の影響だろうか?道路も車はライトを点灯し、減速して走る。霧の中から突然対向車が現れるので怖い。

 

19号を左折して147号に入る。この国道は大町、白馬を経由して日本海糸魚川に抜ける主要道だ。

 

8:40 湧水ワサビ田公園 霧は少し晴れてきたが、まだ周囲は霞んでいる。ワサビの田がある所かと思ったら、北アルプスからの地下水の湧水でできた綺麗な池が公園になっていた。時間が早く誰もいない霧の池には、十数羽の鴨?が泳いでいて、幻想的ではあるが寒そうな風景だった。

 

 

 

 

9:00 大王わさび農場 地図には湧水池から車で10分程の所にわさび農場があるので、行ってみる。ここは、敷地内に大きなレストランや食事処、カフェを備えた大規模な観光農場だ。ワサビやその加工品、土産物が置いてある建屋には、中国人らしき外国人団体観光客が、騒々しいイメージと違って静かにおとなしく買い物をしていた。

 

農場は広く、わさび田を見物する人は疎ら(まばら)だ。名水100選に選定されている農場内の湧水を口に含むと、確かに柔らかくて少々甘みのある名水であった。

 

 

 

 

10:00 道祖神の里 地図にJR大糸線穂高駅の西に「道祖神の里」と記載されていたので行ってみる。地図上の場所は住宅地で、周りを捜しまわったが分からない。郵便配達のオジサンが居たので、訊いて見るが彼も知らないとのことだ。諦めて次に行く。

 

安曇野を北上しながら、安曇野からの北アルプスの眺望を楽しむ。その途中で立派な道祖神も道端にあった。もっと素朴なものの方が安曇野には似合うなと思った。

 

       安曇野の先の北アルプス 蝶が岳、常念岳

 

          はるか遠くに雪を被った後立山連峰

 

                道端の道祖神

 

10:45 安曇野ちひろ美術館 安曇野には美術館が沢山ある。その中でも最も有名なのがここであろう。広い敷地内はよく整備されていて、その中の一角に美術館がある。

 

 

いわさきちひろさんの子供の絵は、いつ見ても癒される。女性に人気のようで、9割方が女性であった。

 

鑑賞し終わって、芝生の広場前の売店でソフトクリームを買って、秋の青空の下ベンチで食べていると、心穏やかになって来てよかったなと思う。1時間半滞在して出発。

 

13:00 白馬道の駅 後立山連峰の山々を見ながら、大町市を過ぎ、木崎湖、青木湖を左に見ながら148号を北上して白馬村に入る。道の駅に寄ったが今日は定休日だった。

 

13:35 白馬八方の湯 予約したペンションのチェックインは15:00で夕食は18:30ということなので、ペンション近くの温泉を捜すと恰好の日帰り温泉が見付かった。

 

温泉は大きな浴槽と半露天の大浴槽を有し、源泉かけ流しの天然温泉。温泉に浸かりながら目の前に雪を被った白馬の連峰が望まれる。客も私ともう一人の二人。リラックスして運転の疲れもすっかり取れた。

 

15:00 白馬ジャンプ台 温泉のスタッフに近くにジャンプ台があると聞いて行ってみる。長野オリンピックでは連日放映されていたところだ。近くで見るとやはり大きい。左のノーマルヒル上部の滑走路に黒い豆粒のようなものが動いている。目を凝らすと人だ。スタート地点近くまでリフトが動いているので、一般の観光客かと心配する。たまたま近くに人が居たので、話すとメンテナンスの作業員だと言うので安心する。

 

   肉眼では上部の一人だけと思ったが、写真では下部にもう一人映っていた

 

 

15:40 ペンション着

林の中のこじんまりした洋風建物が、今日泊まるペンションだ。ここは夫婦二人が営む家族的な宿だ。口コミでは掃除がいきわたり清潔とあった。本日の客は私一人。夕食は、鮪のカルパッチョ、ホタテのクリームソース、信州そば、カツレツ他であった。白ワイン半ボトルとビールを注文する。

 

ご主人から長野オリンピック当時の話を伺う。

 

<三日目、11月1日(水)>

5:00 起床 さて今日のルートが決まらない。長野に出て、善光寺や小布施に行ってみるかと思ったが、何度も行った所なので、他に興味深そうな所を調べる。見つからなかったが、とりあえず長野に行こうと考える。

 

長野へのルートも国道406号鬼無里(きなさ)経由か、県道33、31号、国道19号経由がある。前者は国道だが、道は後者よりも険しく厳しい。周りの紅葉は楽しめそうだ。後者は道は良いがドライブの魅力は前者より欠ける。

 

道の駅を調べていて、信州新町道の駅の手打ちそばが凄く美味しいと評判だと知った。信州新町道の駅は後者方面にある。美味しいそばが食べたくてルートは後者に決めた。

 

8:00 ペンション出発 朝風呂に入って、パンの朝食を頂いて出発する。今日も霧が発生していた。

 

15分程走っていると、高度が増し霧も晴れて後にくっきりと白馬三山が見渡せた。

 

 

 

9:00 信州新町道の駅 このルートには道の駅が多く、小川、中条と道の駅が続き、三つ目が信州新町道の駅だ。早速道の駅内にあるお蕎麦屋さんに行く。

 

シンプルに「ざるそば」か温かい「山菜そば」かと迷っていると、「おしぼりそば」の名札が目に入った。「何か?」と問うとつゆにからし大根おろしが入っていて、味噌を加えて食べる蕎麦と言う。それにする。成程!腰があって、風味があって今まで食べた蕎麦の中では、五本の指に入る美味しさだった。来た甲斐があった。

 

道の駅でサークル仲間への土産と、これも評判のおやき(野沢菜。切り干し大根、なす、あずき)を買う。山で取ったキノコが沢山ケースに並んでいて、買わなかったが、後で買えばよかったと後悔した。

 

ここから、長野方面に行く予定であったが、帰る前にもう一度、北アルプスを存分展望してみたい。地図から想像すると長野へ出ると難しいが、信州新町から麻績(おみ)に抜ける道なら、展望できそうだ。長野とは逆に19号を南下し、長野道の麻績ICに出るコースを選択した。

 

11:40 信州新町美術館/化石博物館 時間もあることから、道の駅近くの美術館/博物館に寄ってみる。二つの建物が繋がっていて、一枚の切符で両館に入場できる。

 

美術館は、長野市在住のパステル画家の「パステルで描く動物たち」展が開催されていた。

 

 

博物館は化石や恐竜の骨格模型などが展示してあり、小学生20人位が団体で見学に来ていた。

 

         ティラノサルウス頭骨 実物大復元模型

 

11:30 県道12号 国道19号から犀川を渡って県道に入る。ここからは道が狭く曲がりくねり、勾配の急なアップダウンの繰り返しだ。

 

12:00 上の平展望台 12号から左に入り更に急な坂道を登っていくと、少し開けた台地となり、北アルプスの展望台になっていた。観光地にあるような大きな望遠鏡もあり、北アルプスから後立連峰迄一望できた。「北アルプスの展望」という今日の目標は達成できた。

 

 

 

 

ここから、車のシフトレバーをマニュアルにして、下りは極力エンジンブレーキを効かし、適度なスピードで山道運転を楽しむ。

 

13:30 麻績IC 高速に入ってもレバーを3速にしたまま走っていて、追い抜く時120㎞/h出してアクセルを緩めるとブレーキがかかって気が付いた。

 

17:30 長野道、中央道と乗り継ぎ、無事帰宅する。

 

日頃の日常から離れて、気分転換が出来た旅だった。

 

 

 

北信濃行き当たりばっ旅 1

我儘なことではあるが、平凡な日常の毎日に飽きてきて、非日常の旅に出て、気分を一新したくなった。旅は二泊三日、旅での自由度が優れる車によるドライブとし、行き先は北信濃方面とした。

 

初日は、木曽の開田高原をめざし、野麦峠経由で松本に出て一泊、二日目からは、旅先でその時の気分次第で行き先をきめる「行き当たりばっ旅」だ。

 

一泊目は、松本駅近くのビジネスホテルとする。駅周辺のビジネスホテルはどこも10,000~15,000円で、しばらく旅行も行かずビジネスホテルにも泊まっていない間に随分値上がりしたなと思う。

 

天然温泉付きのホテルがあったので、そこにした。但し、入浴時間は男女制限が、男性は15時~17時、21時~とある。温泉にゆっくり浸かってから食事に外出したいと考え、ホテル15時着を目標にする。

 

<一日目、10月30日(月)>

3:15 自宅出発、松本15時着から逆算して深夜3時過ぎの出発とする。昼だと40分の最寄りのICまで20分で着き高速に入る。走っているのは9割方大型トラック、中央道は意外と街灯が少なく、真っ暗闇を100~120㎞/hのスピードで、自分の車のライトだけで走るのが少々恐かった。

 

5:00 諏訪湖SA 5℃ トイレ休憩、車中で暖かいお茶とおにぎり。満月が煌々と輝いていた。

 

5:50 伊那ICで高速を降りる。昔、車好きの友人と、細く曲がりくねった道の権兵衛峠を越えて、1.5時間くらいかけて伊那谷から木曽谷へ向かったことがあったが、今はその峠に長いトンネルが開通していて、わずか20分で、木曽の国道19号に出ることができた。

 

6:55 国道361号へ入って、きそふくしまスキー場の下のトンネルを抜けると開田高原だ。外気温はぐんぐん下がって-1℃。丁度太陽が昇り始めた頃で、一面に霜の下りた草原の先に、陽に照らされて色づいた高原の山々が美しい。早出したご褒美だ。前回のブログの題名「霜降の頃」とは、こういう風景を言うのではないかと思った。

 

 

 

高原内を走っていると、少し赤い紅葉の先に、突然前方に雪を被った御嶽山が現れた。

 

 

 

しばらく行くと御嶽山を一望できる展望台がある。開田高原の先にドンと構えた御嶽山が目に飛び込む。御嶽山キリマンジャロ(行ったことは無いが)に似たどっしりとした風格のある見応えのある山だ。

 

 

 

 

8:40 九蔵峠展望台 開田高原から高山方面に向かう途中にも展望台があり、休憩する。

 

 

御嶽山をバックに句碑がある。「木曽谷や 五臓六腑に 〇沁む」〇は「緑」だろうか?良く読めない。

 

 

一台のマイクロバスが反対方向から来て止まり、15、6人の外国人団体観光客が降りてきた。彼らも休憩のようで、御嶽山を背景に写真を撮ったりしている。その内の一人に、どこから来たかと尋ねると、アメリカと言い、オーストラリア人もいると言う。米豪人にしては日本人並みの小柄な人が多かった。

 

10:00 野麦街道分岐 野麦街道は現在の県道39号で、道が狭く険しい悪路が多いので、大型車両は通れない。峠は冬季閉鎖になり、ドライブマップには「初心者は走行注意」と書いてある。

 

10:50 野麦峠 ここからは乗鞍岳が望まれる。野麦峠は山本茂の小説「あゝ野麦峠」※1の舞台でもあり、映画化もされたので、全国的にも名の知られた峠だ。峠には「お助け小屋」※2という食堂を併設した休憩所がある。

 

※1 明治から大正にかけて、現金収入の少ない飛騨の村々の少女たちが、当時生糸工業で発展していた諏訪の岡谷へ出稼ぎの為にこの峠を越える苦難を描いたもの

 

※2 野麦街道は、古来、能登で取れた鰤を飛騨を経由して信州へ運ぶ道筋で、江戸時代には、代官の往来や富山の薬売りも利用していたが、この峠は厳しく最大の難所であったため、幕府は利用者の願い出を受けて「お助け小屋」を設置した。

 

お助け小屋に入ると、至る所に映画のポスターや当地を訪れたロケの様子の写真が貼られ、テレビでは映画「あゝ野麦峠」のダイジェストビデオが放送されていた。

「野麦蕎麦」なるものを注文する。山菜そばだった。素朴だが美味しかった。

 

11:35 野麦峠出発 下りは登り道より更に険しく、急勾配の細いヘアピンカーブが連続する。やっと緩やかな少し開けた所に出て、周りを黄、黄土色に彩られた山々に囲まれた道を走る。赤い色が少なくて残念だ。

 

 

 

落合渡から県道26号となり、梓湖を左に見る頃に、奈川の集落から正午を知らせるメロディが流れてきた。のどかな田舎道だ。

 

奈川渡ダムで左の上高地からの国道158号と合流し、後はこのまま松本まで緩やかな下り道を快適に飛ばす。

 

13:30 ビジネスホテル着 予定よりも1.5時間早くホテルに着いた。チェックインは15時~なので、車を駐車場に停めて、車内で明日の宿、ルートを検討する。

 

明日は、下記3案から決める。

①高速で日本海に出て上越、柏崎当たりで泊まる。

②高速で須坂、長野東ICまで行き、志賀高原草津方面を目指す

安曇野を一般道でブラブラ北上して白馬で泊まる。

 

①は数年前にドライブしたのと、帰りが遠くなるのでパス

②の上信越の山の紅葉は今日とそんなに変わらないだろうし、山岳ドライブで神経をつかうのもしんどいかとパス

③は、車ではまだ行ったことが無い地方だったこと、山岳道路と違って普通の運転で余裕ができることから、③と決める。

 

早速、白馬の宿を捜し、口コミで評判の良さそうなペンションを予約する。

 

15:00 ホテルチェックインし、直ぐにホテル内の天然温泉に行く。浴槽は4m✕6mくらいの1浴槽のみではあったが、浴室内は清潔に保たれ、気持ち良く入浴できた。泉質はわずかに濁り(温泉成分)のある透明で、壁には色々な効能が貼ってあった。浴室は最後まで私一人で、貸し切り風呂のようで温泉気分を満喫できた。

 

17:30 ホテルは松本駅の南10分程のところだ。ホテルでもらった食事処を紹介したパンフレットを参考にお店を捜すべく、駅前の繁華街に出かける。今回の旅では松本宿泊は前から決めていたので、リハビリの松本出身のスタッフに松本でのお薦め食べ物を訊いたところ、「そば」「山賊焼」「馬刺し」と教えてくれた。

 

「山賊焼」とは鶏肉の唐揚げらしい。折角教えてもらったのに、大変申し訳ないが、「山賊焼」と「馬刺し」は、食指が動かない。松本まで来たのだからとチャレンジしてみようかとも思ったが、どうも気が進まない。

 

「できれば焼松茸とか松茸の土瓶蒸しでお酒が飲めたら・・・」と店を捜すが見つからない。居酒屋などが立ち並ぶ小路を歩いていて、魚介類を焼いて出す「海鮮浜焼き屋」なる店が美味しそうで、中にに入った。松本へ来て魚の居酒屋にしたのだ。

 

最初に出されたお通しが、わかめの入ったせんべいで、手抜きかと失望する。ビール、はまぐり、さざえの焼き物、だし巻き卵、野沢菜を注文する。焼き物は机の上の一人用ガスコンロで焼く。食べ物がおいしくて、店の雰囲気が良ければ、この店でいろいろとお酒や酒の肴をいっぱいたのんで長居しようと思ったが、そんな気分にならない。たのんだ物を食べ終わると、追加注文はせずに店を出た。

 

その店の数軒先にラーメン屋さんがあって、ここしばらくラーメンを食べてなかったので入る。豚骨ラーメンで特に旨くもまずくもなかった。

 

「どうも松本の夜の食事は失敗だったかな」と諦めてコンビニでおやきを買う。ホテルへ帰る道すがら、パンフレットにあった「昔懐かしい洋食屋さん」を見付ける。ここでも良かったかと思いながらホテルに戻った。

 

                 ー続くー

 

 

 

霜降の頃

10月24日は二十四節気の「霜降」で、当地ではまだ初霜の知らせは無いものの、朝晩の冷え込みが厳しくなった。陽も短くなって、秋の日暮れは「つるべ落とし」だと実感するようになってきた。

 

          写真ACより akanta さんの作品

 

 

1.霜降の頃の朝

午前の予定が無い日などは、元来が横着で怠け癖の性格の私は、冷え込んだ朝などは布団から出るのがつい億劫になり、気持の良い朝のまどろみに身を委ねて朝寝坊することが多い。その前の晩は、寝る前に「明日は早く起きて規則正しい生活をするぞ」と誓って床に就くのだが、暖かい布団の誘惑に負けてしまう。

 

6時半から、TBSラジオの「森本毅郎スタンバイ」を聞きながら布団の中でウトウトしているが、ほとんどは眠ってしまって、内容は理解していないことが多い。キャスターの森本毅郎さんは、平日は毎日深夜0時頃寝て、4時には起きTBSに駆けつける生活を続けているそうだ。80才以上の御高齢であるが、グータラな私にとって頭の下がる存在だ。

 

もう一人私と同じ年の友人Sさんは、毎朝ラジオ体操を近所の公園で主催していて、もう20年近く、雨の日以外は一日も休まずに通っている。彼から何度もその体操への参加を勧められたが、早起きの自信が無くて断っている。

 

そんな私だが、毎週水曜日と金曜日の二回は、朝5時に起きる。水曜日は早朝テニスで8時に、金曜日はリハビリで8時過ぎに家を出る。Sさんからは、「8時に家を出るのになぜそんなに早く起きるの?」と言われるが、私はやることが遅いのと、私には朝のルーチンが色々あって忙しいのだ。

 

朝起きて着替えて、まず最初にやるのが血圧測定。ラジオ「生島ひろしのおはよう一直線」を聞きながら、顔の体操(舌の出し入れ、目玉回し)首、肩回し、歯磨き、洗顔をする。その後二階の仏壇へ行って、新しい水を捧げて「般若心経」を読誦、台所へ戻って前夜洗った食器の片付け、青汁をシェーカーで作って飲み、麦茶2ℓをやかんで作る。

 

朝食はしっかり食べる。納豆はネギを刻んで左手100回、右手100回計200回以上かき混ぜ、4.5gのパックの鰹節、メカブを入れて更に50回攪拌する。おかずは主に前日の残り物に、朝食用に作りおきしたもの(タンパク源の肉、魚類)を加え、タラコ、佃煮、漬物、みそ汁、お茶をテーブルに並べて、「イタダキマス!」を唱えて食べる。

 

食後は薬(降圧剤、血液凝固抑制剤)を飲んで、食器洗いをしてトイレに行って7時半、その日の服装に着替え、持ち物を用意すると8時になる。5時起きで丁度良いのだ。

 

 

2.プリンター

8月にプリンターで印刷したものが、一部擦れる不具合が生じた。8年以上使用したので、そろそろ寿命かと新しいプリンターに買い替えることした。物事の即断が苦手で、先延ばしが大好きな私は、今回も8月の時点で、即購入とはいかずグズグズしていたが、そろそろ年賀状もあることだしと、家電量販店に行く。

 

今迄使用していたプリンターの後継機も展示されていたが、全体の中では高価な方であった。その半分くらいの値段で印刷、コピー、スキャン等の作業ができる機種があった、店員さんに訊くと、普通の作業では高級機種と遜色がないということだったので、それを購入した。

 

翌日、スタートアップ作業にとりかかる。「かんたん設置ガイド」に従って、本体に用紙をセットし、電源を入れてインクカートリッジを取り付け、いよいよPC等のモバイル端末との接続だ。上手くできるか不安であったが、確か前の機種も自分でやったので出来るはずと思って始める。

 

ガイドで付属のCD-ROMからインストール可能と書いてある。CD-ROMをPCにセットし、画面の指示に従って操作したら、意外と簡単にインストールができ、PCとプリンターが繋がった。スマホでのプリント操作もできるようだが、当面はPCのみの使用なので、手を付けずそのままにする。

 

試しにプリントしてみると、印刷速度は今まで使用していたものより早いようだ。

宿題が一つ片付いた。

 

 

3.秋旅の計画

毎週2回のテニスと3回の卓球、金曜日のリハビリ、土曜日の買い出しの繰り返しで、日々が過ぎて行く。これらの日常は健康であるからこそ継続できるもので、常々そのことに関しては感謝しつつも、たまには旅行でもして非日常の世界に浸(ひた)りたいという思いも頭を過(よぎ)る。

 

卓球の仲間3人との旅行が中止になったので、一人でぶらっと紅葉を楽しむ旅にでも出てみようかと考えた。

 

2泊くらいの旅で、行ってみたい所を頭に描く。

A)列車の場合

三陸鉄道八戸線

山形新幹線で新庄に出て、陸羽西線羽越本線を南下

東北新幹線の郡山から磐越西線信越本線を乗り継いで、越後川口から飯山線

 

①は紅葉はあまり期待できないが、震災復興後の鉄道や街並みを見てみたい。それと美味しい海の幸が楽しみだ。

 

②の陸羽西線の沿線は紅葉の名所の宝庫だ。現在鉄道は不通のようだが、代行バスが運行されているので、訪れることは可能。2泊目は瀬波温泉あたりに宿を取り、温泉に浸かりながら日本海に沈む夕日を堪能するのも良い。

 

③は、磐越西線、ローカル線の飯山線沿線の紅葉が期待できる。途中下車してバスかレンタカーで、苗場山麓の秘境「秋山郷」を訪れてもよい。(多分何もない所だと思うが)

 

B)車の場合

①木曽御岳山麓開田高原

はるか昔の学生時代の秋、ここを訪れて、その紅葉の美しさに感動したものだ。また行ってみたくなった。

 

ルートは、中央道伊那ICから権兵衛トンネルを抜けて木曽谷へ出て、木曽福島から開田高原を目指す。開田高原からは木曽街道を北上し、高根町から東進し野麦峠を越えて松本に出て一泊する。

 

②松本から先は、長野/上信越道日本海側に出るか、上信越高原で紅葉を巡るか色々ケースが多くて、的を絞るのが難しい。

 

細かい計画はまだだが、この秋旅に出てみようと思う。