ラブストーリー

「年甲斐も無く」とか「いい年をして」と笑われそうだが、私は「ラブストーリー」が好きである。映画やドラマはそれが公開された時とか放送されたと時には見ていないが、CSで再放送されたものを録画して見ている。

 

「ラブストーリー」の中でも、胸がキュンとなるような純愛ものはとくに良い。見終わっても、いつまでも余韻が残る。

 

以下に私の印象に残った作品を列挙します。

※作品紹介文中の名前は、役名ではなく、俳優の名前を使っています。

 

1⃣ 洋画

・「プリティー・ウーマン」  (ジュリア・ロバーツ、リチャードギア)

ラブストーリーと言うよりシンデレラストーリーなのかもしれないが、私はこの映画       で、ジュリア・ロバーツのファンになった。

 

・「ノッティングヒルの恋人」 (ジュリア・ロバーツ

ハリウッドの有名女優とイギリスの平凡な本屋の青年との奇跡的な出会いと恋の行方を描いたもの。 どこかオードリーヘップバーンの「ローマの休日」を思い起こさせる。

 

 

・「追憶」      (バーブラ・ストライザンドロバート・レッドフォード

 

 

映画の全編に流れる主題歌(The WayWeWere)のメロディーが何とも切なく聞こえる。同じ大学で知り合ってから約20年間の二人の関係を描いている。結婚したが、生き方の違いによりバーブラのお腹に子供を身ごもった時に別れる。数年後ニューヨークの街角で偶然再会した二人は過去の思いに溢れかえりそうになるが、別々の道を歩んでいこうとするラストシーンに共感した。

 

・「めぐり逢えたら」  (メグ・ライアントム・ハンクス

シアトルに住む妻に先立たれた孤独な男性のラジオメッセージを聞いたボルチモアの女性記者が心打たれる。ラストのエンパイアステートビルの屋上で出会うシーンが良い。

 

 

 

2⃣ 邦画

・「幸福の黄色いハンカチ」  (高倉健倍賞千恵子

・「遥かなる山の呼び声」   (高倉健倍賞千恵子

共に北海道を舞台にした山田洋次監督の作品、山田監督は高倉健倍賞千恵子の魅力を上手く引き出している。

 

・「駅 STATION」      (高倉健倍賞千恵子

晦日の夜、北海道増毛駅前の若女将倍賞千恵子の小料理屋で高倉健が吞んでいる。店は二人きりになり、テレビからは紅白で八代亜紀が歌う「舟唄」が流れている。倍賞千恵子健さんの肩に頭を寄せてしんみりと聴いているシーンが頗る(すこぶる)良い。寡黙な健さんとしっとりとした倍賞千恵子がこの場面に溶け込んでいる。監督は降籏康男、雪の風景描写も素晴らしい。

 

 

・「Love Letter 」         (中山美穂<二役>)

主人公博子は、事故で亡くなった婚約者の昔の住所に、あてのない手紙を出すと婚約者と同姓同名の女性から返事がきて、彼女が婚約者の友人と分かる。その後婚約者の中学時代の様子が少しずつ分かっていく。喪失感をテーマにしながらも、初恋の甘酸っぱさをも兼ね備えた作品だ。

 

 

・「花束みたいな恋をした」         (有村架純菅田将暉

終電を逃したことで出会った二人が、映画や音楽の趣向が全く同じことから恋に陥る。大学を卒業して同棲も始めたが、二人は価値観が違って、「追憶」のように最後は別れることになる。

 

 

・「君の膵臓をたべたい」      (浜辺美波北村匠海小栗旬

余命1年と宣告された女の子(桜良)が、やがて訪れる死に怯えながらも、そんな素振りは微塵も見せず、周りを気遣って明るく振舞っている。「僕」と桜良は正反対の性格なのでお互い自分に欠けている部分に憧れをもって成長していく。

 

後述の「雪の華」も余命1年を宣告された女性の話しであるが、作品としてはこちらの方が数段優れていると思った。    

 

 

<ヒット曲を題名にした作品>

・「涙そうそう」<モチーフ:夏川りみ涙そうそう> (妻夫木聡長澤まさみ

沖縄那覇を舞台に、自分の店を出すために懸命に働く兄が、血のつながりのない妹と一緒に織り成す物語。ラストシーンからのエンディングに流れる「涙そうそう」の曲が涙を誘う。

 

・「ハナミズキ」<モチーフ:一青窈ハナミズキ>  (新垣結衣生田斗真

北海道の高校時代に水産高校の生田と恋に落ちた高校生の新垣結衣が、その後大学に進み、就職してからも、遠くに離れ、時にすれ違いながらも10年間愛を貫き通そうとする姿を描いたもの。新垣結衣が映画の中で、年齢と共にだんだん美しくなっていく。

 

・「糸」 <モチーフ:中島みゆき・糸>       (菅田将暉小松菜奈

平成元年生まれの主人公の二人は、13才の時北海道で恋するが、小松菜奈は北海道を去る。8年後二人は東京で再開するが、それぞれ別の道を歩み始めていた。更に10年後二人は運命の糸によって再び巡り合うことになる。二人の関係を平成の時代とともに描いた作品。

 

・「雪の華」<モチーフ:中島美嘉>  (登坂広臣中条あやみ

余命1年と宣告された女主人公が、ひょんなことで登坂と出会い恋をする。生前に悔いを残さぬようにと、1ヶ月の「恋人契約」を結び、二人でフィンランドへも旅行する。契約が終わって、入院前に再度フィンランドへ一人でオーロラを見に行った彼女を登坂が追いかける。  この映画の感想には酷評も散見したが、ラストの赤いオーロラは合成かもしれないが、圧巻だった。

 

 

 

3⃣ 国内ドラマ

・「天気予報の恋人」      (佐藤浩市深津絵里稲森いずみ

配役はバツイチの気象予報官・佐藤浩市、FM曲のDJ深津絵里、その友人のシングルマザー稲森いずみ。いずれも恋愛下手な3人の男女が織り成す三角関係を描く。

 

 

・「青い鳥」          (豊川悦司夏川結衣鈴木杏

真の幸せを求めて彷徨う(さまよう)男女の姿を描いたもの。田舎の平凡な駅員が人妻とその娘とともに全国を逃避行する。

原作・脚本は野沢尚、本ドラマはラブストーリーの傑作だと思う。

 

 

・「愛していると言ってくれ」   (豊川悦司常盤貴子

 

 

聴覚に障害がある新進青年画家と女優を目指す若い女性との純粋で繊細なラブストーリー。

脚本は北川悦吏子、将にラブストーリーの王道を行くドラマだ。

 

 

・「オレンジデイズ」       (妻夫木聡柴咲コウ

どこにもいそうな大学4年生の妻夫木と病気で聴覚を失い心を閉ざしてしまった柴咲のラブストーリー。大学の卒業を1年後に控えた若者たちの青春ドラマでもある。脚本は北川悦吏子

 

 

・「スローダンス」         (妻夫木聡深津絵里

妻夫木は今自動車教習所で働いているが、大学時代には映画監督を目指していた。高校時代の教育実習生だった深津と再会したことから、夢を捨てきれない男と強気だが恋に奥手な女の恋が始まる。

 

 

・「ホタルノヒカリ」        (綾瀬はるか藤木直人

恋に仕事に華やかであろう20代の人生を、恋愛を半ば放棄して、ぐうたらに過ごす「干物女」雨宮蛍を綾瀬はるかが演ずる。恋を放棄した干物女恋物語だ。

 

 

・「姉ちゃんの恋人」        (有村架純林遣都

両親を亡くし、3人の弟を養いながら、ホームセンターで働く27才彼氏なしの姉ちゃん(有村架純)。明るくて前向きでちょっとガサツな姉ちゃんが、職場で恋に落ちる。そんな姉ちゃんの恋の物語。

 

 

・「月に祈るピエロ」         (常盤貴子谷原章介

メールを通じて知り合った男女が心を通わせていく「大人の恋愛」を描いた作品。この作品のキャッチコピーは「二人は一度も出会わずして、一番大切な人になった」である。

 

名古屋の中部日本放送CBC)が制作し、2013年10月5日にTBS系列で放送された。脚本は北川悦吏子、彼女の出身地岐阜県郡上八幡を舞台に、大人の男女の心情をリアリティに満ちた台詞で丁寧に描いている。

 

将来に不安を抱えた現代社会の中で、新たな一歩を踏み出す再出発の物語だ。

 

私はこの作品が、「ラブストーリー」の中ではベスト1だと思っている。

 

 

 

 

'24年初場所の朝之山

昨年最後の九州場所は、場所前の稽古で痛めたふくらはぎの怪我で初日から7日目まで休場した。中日8日目から出場して、4勝4敗7休となり、東前頭筆頭から西前頭7枚目まで番付を下げた。

 

昨年末、九州場所が終わって足の治療に専念したが完治までには至らず、年内は本格的な稽古はできなかった。

 

年が明けて初場所が真近に迫り、徐々に稽古量を増やしていき、元稀勢の里の声かけもあって、二所ノ関部屋へ出稽古に赴いた。ここで新鋭の大の里と4番手合わせをして朝之山は1勝3敗と負け越す。朝之山はこの結果に納得できず、再度二所ノ関部屋への出稽古を願ったが、調整がつかず叶わなかった。

 

1月14日(日)大相撲初場所が開幕した。朝之山の場所前の稽古は十分とは言えなかったが、先場所のような怪我も無く初日を迎えることができた。

 

1. 序盤戦

      

          対戦相手        決まりて        勝敗        

初日      前頭7枚目 一山本      押し出し        勝

二日目     前頭6枚目 金峰山      寄り切り        勝

三日目     前頭6枚目 湘南の海     寄り切り        勝 

四日目     前頭8枚目 北青鵬      寄り切り        勝

五日目     前頭8枚目 平戸海      寄り切り        勝

 

初日、先場所敢闘賞を受賞した一山本をなんなく押し出しで破ると波に乗り、朝之山は序盤戦を危なげなく勝ち進んだ。特に、二日目の金峰山戦は、実況のアナウンサーが取組後に「朝之山は、立ち合いの踏み込み、かける圧力、そして左上手、言うことないんじゃないですか」と言うと、解説者は「もう言うことないです」と褒めていた。

 

序盤の朝之山は、アナウンサーの言うように立ち合い鋭く踏み込み、圧力をかけて一気に前に出て勝負を決める朝之山らしい勝ち方をしている。

 

<4日目>

私は序盤戦の山は、四日目の北青鵬戦だと睨み、この一番に勝てれば今場所は優勝争いに加われると予想した。

 

朝之山は、幕内になって二回北青鵬と対戦して、立ち合い変化されたり、204㎝の体格を生かした攻めに翻弄されて負けている。この日取組前に朝之山は、「考えてもきりが無い。思い切っていこう」と力強く踏み込み、一気に前に出て圧勝した。

 

          <4日目 寄りきりで北青鵬を下す>

 

これで、序盤5日間は5連勝と中盤、終盤が楽しみになってきた。

 

 

 

2. 中盤戦

          対戦相手      決まりて      勝敗

六日目     前頭5枚目 錦木    下手投げ       勝

七日目     前頭9枚目 明生    寄り切り       勝

中日(八日目) 前頭10枚目 玉鷲   すくい投げ      負け

九日目     前頭14枚目 阿武咲   休場       不戦敗

十日目                 休場

 

 

中盤に入ると、序盤のような盤石な勝ち方ではないが、六日目七日目と勝ち進み、六日目に琴の若が敗れて1敗となった時点で、幕内では全勝が朝之山一人となり、優勝争いは朝之山が引っ張る展開となった。

 

解説者の多くは、元大関の朝之山が前頭7枚目の位置での序盤の全勝は驚くには当たらないとし、優勝争いに朝之山に目を向ける者は少なかった。

 

私は、ファンの贔屓目(ひいきめ)かもしれないが、中盤の十日目迄に1敗くらいでいき、序盤のような朝之山の相撲を取れば、上位と当たっても十分勝つことができ優勝も夢ではないと思うようになっていた。

 

<中日>

そして中日に玉鷲と対戦することとなる。朝之山はここまで幕内単独トップの7連勝、これまでの対戦成績でも勝ち越している玉鷲に勝って8連勝として、中日での勝ち越しを決めたいところだ。

 

両者が土俵に上がると、場内は至る所に朝之山の応援タオルが揺れ、歓声と熱気に包まれる。9割方は朝之山の応援と思われる。玉鷲はこの日、通算出場記録が1572回に達し史上10位となった。玉鷲は館内の朝之山の大歓声に「自分にとっても記念の日だ。ナニクソ、一泡食わせてやろう」と思い奮起したに違いない。

 

立ち合い、激しい玉鷲の突き押しに朝之山は、のけ反りながらも突き返して前に出ていく。玉鷲のまわしに手がかかりそうになった時、玉鷲が左に振ったすくいなげで朝之山に土がつく。この際踏ん張った右足を捻じった感じとなり、土俵下に転げ落ちた朝之山はしばらく立ち上がれない。花道を引き揚げる時は特に右足を引きずる様子は無く、記者にも「大丈夫」と答えていた。

 

やはり右足を挫いた(くじいた)ようで、翌朝には腫れも広がり四股を踏むこともできずに九日目からの休場を協会に申し出た。

 

単に一敗だけで済んだのなら、まだまだ優勝争いに加わって、今場所は面白いものになっていたであろう。誠至極に残念だ。朝之山は優勝戦線から脱落した。

 

 

 

3. 終盤戦

           対戦相手       決まりて      勝敗

十一日目                  休場

十二日目    、             休場

十三日目     前頭3枚目 豪ノ山    小手投げ       勝

十四日目     前頭筆頭 熱海富士   寄り切り       勝

千秋楽       関脇 大栄翔     引き落とし      負け

 

休場してからも朝之山は途中出場を窺っていたが、十二日目の朝稽古で、蹲踞(そんきょ)※ができるようになり、少しは踏み込めるようになった。まだ相撲を取る稽古はしていないが、師匠高砂親方に十三日目からの再出場を申し出た。

※蹲踞:相撲の基本姿勢で、つま先立ちで膝を曲げて腰を下ろし、膝を開いた姿勢を取   ること

 

親方は「できればしっかり治してほしいけど、本人が一番わかっているから。出るからには思い切ってやってほしい」と再出場を了承する。

 

<13日目>

再出場最初の取組相手は、前頭3枚目の豪ノ山に決まる。豪ノ山の今場所は、ここまで4勝8敗と負け越しているが、立ち合い後の下からの圧力が強力な若手の有望力士だ。

 

取組は、立ち合い朝之山が珍しく2回つっかけた※。解説の宮城野親方(元白鵬)は豪ノ山が立つのが遅いと指摘する。3度目の立ち合いで朝之山は豪ノ山の圧力を受け若干押し込まれたが、これを受け止めた朝之山は右からの小手投げで豪ノ山を土俵に裏返した。

※つっかける:仕切りで、呼吸が合わずに相手より先に立ち上がりかけること

 

取組後、記者の質問に「相撲の内容は受けてしまって良くないけど、タイミングよく小手投げが決まった。勝てて良かった。心配した右足も大丈夫、声援もあるし」と答えている。これで、8勝2敗3休で今場所を勝ち越した。

 

<14日目>

対戦相手は前頭筆頭の熱海富士、熱海富士は、先場所、先々場所大活躍して前頭筆頭まで番付を上げて今場所に臨んだが、序盤戦の大関、関脇戦で4連敗し、ここまで6勝7敗と後が無い。今日負けると負け越すことになるので、何としても勝ちたいところだ。

 

取組は、立ち合い後出足に勝る朝之山が、鋭く右を差し熱海富士を一気に寄り切った。土俵際、朝之山が前に落ちたが、熱海富士の足が先に俵の外に出ていた。

 

今日勝って、9勝2敗3休となり、明日の千秋楽で二桁勝利を目指すことになった。

 

<千秋楽>

対戦相手は、14日目の取組中の放送では、優勝を争っている関脇琴の若の名前も挙がったが、全取組終了後、2時間位してようやく関脇大栄翔に決まった。

 

朝之山は大栄翔に対して分が悪い。不祥事以降幕内に上がってから、大栄翔に不戦敗を含めて4連敗している。これまでの雪辱を果たし、この場所を二桁白星にして終わりたいところだ。

 

立ち合い朝之山は大栄翔の突き押しに下がって土俵際でこらえていたが、一瞬の引き落としに手を付いてしまった。

 

千秋楽を終わって、9勝3敗3休の成績で初場所を終えた。

 

 

朝之山は今場所、又もや怪我に泣いた。怪我をしなければもう少し勝ち星を上積みできたはずだ。

 

来場所前の3月1日に朝之山は30才になる。若い実力のある力士がどんどん上に上がってくる。彼らに対抗する為にも、是非とも怪我をしない身体作り(四股を毎日500回以上踏むとか)に励んでほしい。

 

 

1月半ば

1月も半ばとなって正月気分もほぼ抜けた。元日の能登半島地震の復旧がはかどらず、いまだに停電、断水が続いている所も多く、被災された方々は、寒く不便で辛い生活を余儀なくされている。心よりお見舞い申し上げます。

 

暦でも1月20日から「大寒」に入り一年で最も寒い時期を迎える。この寒い時期、冬の殺風景な風景の中に、寒椿や山茶花が彩を添え、ロウバイも咲き始め清潔感のある仄かな甘い香りが漂い心穏やかにしてくれる。

 

  写真ACより  「ピンクの寒椿、山茶花」  pokopooh さんの作品

 

    写真ACより  「可憐な蝋梅」   リッチョマー さんの作品

 

1月15日からの一週間の日常を綴ります。

 

 

1月15日(月)

朝8時前に、近所のかかり付け医を受診する為に、番号取りに行った。この医院は、9時半診療開始であるが、早い受診番号を獲得して早く受診を済ませたい人は、医院が開く8時前に玄関前に並ぶのである。

 

私が到着した時には、既に7人が並んでいた。医師は通いで8:15頃に来て玄関を開けてくれる。この医院は私の最寄り駅の近くにあるので、並んでいる横の道路を沢山の通勤通学客がぞろぞろと往来していた。

 

何とはなしに、その人の流れを見ていたら、女子高生と思しき若い女性が、上半身はマフラーをしたり、コートを着て暖かくしているが、下半身は丈の短いスカートで素足を晒して歩いていたり自転車に乗ったりしていた。

 

私のような寒がりの者からすると、見るからに寒そうで、身体にも悪いだろうなと、彼女らの意志の強さと覚悟のスタイルに脱帽する。

 

番号を取って一旦家に帰った後に再度医院に行って診察を受けた。診察と言っても、毎日飲んでいる血液凝固抑制剤と降圧剤の残りが少なくなったので行っただけだ。

 

医師が「何か身体の異常はありませんか?」と訊いたので、「ごくたまにではあるが、『めまい』がする」と答えると、目の動きなどを調べて「良性発作性頭位めまい症」と言って特に問題ないでしょうとのことだった。

 

午後H卓球に行ってその帰りに、SさんとMACに寄る。大相撲初場所が昨日から開幕している。Sさんは私の影響で相撲ファンになっていて、朝之山の今場所の成績を予想して私と賭けをしていた。私は、12勝か11勝 Sさんは10勝か9勝。相撲談義に花が咲いた。

 

1月16日(火)

12:30からの火曜テニスに行く。今日は寒かった。当地の最低気温は-2℃、12時頃の外気温は7℃であった。天気は晴れていたが風が強く体感温度はこれより相当低かったと思われる。強風でボールが流されたり、止まったりしてプレイには支障があったが、いつものように楽しく過ごす。

 

今日は寒かったので、夕飯の酒の供は「鰤大根」と「鱈ちり湯豆腐鍋」とする。共に冬の晩酌のあてとしては、申し分が無い。

 

箸で切れるほど柔らかく煮込んだ大根は、鰤のエキスをたっぷり吸い込んだ味沁み大根となっていて美味である。大根の後に熱燗を流し込む。「ワカコ酒」のように「プッシュー!」と言いたくなる気分だ。

 

1月17日(水)

朝8時半からの水曜テニスに行く。この時の気温は3℃であったが、晴れて風が無く昨日よりも暖かく感じた。空は真っ青に澄み渡り、少々寒いが青空の下、健康でテニスできる幸せに感謝した。

 

帰宅して、パソコンのネットサーフィンをしていたら、また「トロイの木馬」による「コンピューターウィルスに感染したので、下記に電話するよう」とのメッセージがでた。去年も一度体験した詐欺メッセージだ。

 

直ぐにシャットダウンしたが、再起動すると又詐欺画面が現れ、この画面がロックされていて消去できない。JCOMに電話で消去法を教えてもらい消すことができた。

 

この対応に時間がかかり、15時からのS卓球は遅れて参加した。

 

1月18日(木)

書店で本を買い、直ぐに読まずに「積読(つんどく)」状態になっている本が多くある。今日は昼に時間ができたので、それらの本の一部を書棚から取り出し、二階の陽当たりの良い部屋へ持って行って、背中に陽の光を浴びながら目を通した。

 

部屋はストーブやエアコンを付けなくとも十分暖かく、また陽の光の暖かさは穏やかで心地よく改めて太陽の恵みの有難さを痛感する。

 

持ち込んだ本は、

 ①佐野洋子著「神も仏もありませぬ」

 ②井上荒野著「小説家の一日」

 ③宮脇俊三著「史記のつまみぐい」

 

①と③の著者は既に故人である。

 

①は豪胆で歯に衣を着せない作者のエッセイ

②は、短編の名手が「書くこと」をテーマにした10作品の短編集

 

②の中の短編「料理指南」を通読したが、短編小説の面白さが詰まった作品だった。

 

③は私の敬愛する紀行作家・宮脇俊三さんの司馬遷史記」に纏わるエッセイである。今回は「商君列伝」の章だけを読んだが、いつか時間をかけてじっくりと読んでみたい。

 

 

1月19日(金)

8:30にリハメンテに行く。利用者は、施設内に備えられているお茶やソフトドリンク自動取り出し機を自由に使って飲むことができるが、私はここに通い始めた時から「紅茶花伝・ピーチティー」を買って持参し飲んでいた。私が毎回運動の合間にピーチティーを飲む姿は、スタッフや周りの利用者が知るところとなった。

 

それが今日初めて持参するのを忘れてしまった。私が施設の飲料を紙コップで飲んでいると、皆に「今日はピーチティーどうしたの?」と訊かれた。私とピーチチィーの関係は、ここでは既成事実となっていたようだ。

 

スタッフの中に、いつもテキパキと仕事をこなしている若い看護師さんがいる。今日別のスタッフから、彼女には、中学生を頭に3人の子供がいると聞かされた。私は彼女がZ世代で、独身のお嬢さんかと思っていたので、ビックリした。

 

私の鑑識眼が衰えていることは事実だろうが、それにしても近年の女性は押しなべて若く見える。どの世代でも実年齢より10才位若く見える女性が多い。「女性が若く美しく見えるようになった」と言うと最近では「女性を美醜で判断するのは良くない」とか「男性の上から目線の考え方」と非難されそうだが、ここは素直に「喜ばしいこと」と思いたい。

 

1月20日(土)

午前中から雨で、最高気温も6℃と寒い一日だった。午前にスーパーへ買い出しに行く。

 

店の飾り付けは、来月の節分用の福豆が並べられていた。今日から「大寒」で魚売り場では、「寒ブリ」「寒鱈」「寒サバ」「寒しじみ」を取り揃え、「脂がのって美味しいよ」と宣伝していた。週一の買い出しで季節の移ろいを感じる。

 

午後のH卓球の後、今日もSさんとMACへ行って、大相撲談義。今場所調子の良い朝之山の話で盛り上がる。

 

 

 

 

旅の計画

年が明けて、今年の目標の一つに旅行を掲げておられる方も多いと思う。

私も若いころから「旅」は好きで、始めて訪れる土地の風景や人々に接することは、自分にとって非常に良い刺激となり、私の好奇心を満たしてくれた。

 

今年も年頭に当たり、今年の旅は何処にしようかと考えた。しかし保留となっている案件はあるものの、元来が優柔不断の私はその旅を今年実行するかどうかは決めかねている。それ以外の別の場所は、今具体的に思い浮かばない。

 

今回は、これまでに検討はしたが実行していない旅について綴ります。

 

 

1⃣ ユーラシア大陸横断バス旅行

旅は、行きたい所を決めて、ルート、交通手段、宿の手配等全て自分でやることが基本と考えていたので、旅行会社の観光団体旅行には興味が無かった。

 

しかし、10年程前、近畿日本ツーリストが企画する「ユーラシア大陸バス旅行」というものがあると知って、興味が湧いて資料を取り寄せた。

 

これは、中国の西安(昔の長安)からシルクロードを通って中央アジアペルシャイスタンブールへ抜け、ここからヨーロッパに入りローマを経由して、ユーラシア大陸最果ての地ポルトガルロカ岬を目指すバス旅行だ。

 

全長15,000㎞を約2ヶ月かけて走破するバス旅行だ。費用は350万円。

 

シルクロード敦煌は中学時代から憧れの地でもあり、生涯に一度は訪れてみたい所であった。本当は沢木耕太郎の「深夜特急(香港からイギリスのロンドンまで路線バスを乗り継いで旅した記録)」のように、全部自分で出来れば理想ではあるが、大陸横断ともなると、年齢的にも体力的にも旅行会社の助けを借りるのも仕方ないか思った。

 

旅行会社のバス旅行と言っても、連日のバス移動というかなり肉体的にもハードな内容で、食事や中東の通過地点の治安等にも問題があるようだった。それと高額な旅行代金は、自分にとってこの旅に賭ける思いに値するのか測りかねた。

 

結局この旅は、旅行会社の資料を眺めただけで終わった。その後、このバスツアーは募集を中止しているようだ。

 

 

2⃣ 三回目の四国遍路旅

国内旅行では、歩いての四国遍路旅を二回経験した。二回目の記録については、「へんろ日記」として、非定期でこのブログに掲載させてもらった。(2021年10月20日~2022年12月11日)

 

二回とも自分の中では貴重な体験ができたと満足している。そして現在、もう一度三回目(逆回り)ができないか逡巡している。

 

歩き遍路で回るには、①時間 ②金 ③体力の三つが揃わないとできない。①は十分あり②は何とかなるが、問題は③の体力だ。一周を何分割かに分ける「区切り打ち」なら少しは難度も減るだろうが、行くからには「通し」で一回で回りたい。

 

ニ回目の遍路の時、徳島県の宿で、札幌から来たお遍路さんと同宿し夕食を共にした。彼は、その時が遍路10回目で、その日は満80才の誕生日だと言った。その人は外見では体付きが頑健そうには見えず、むしろ華奢な感じの「普通のお爺ちゃん」だった。

 

「札幌のお遍路さんを目標に、頑張ってみようかどうしようか」とか、「それには歩きのトレーニングが必要だな」とか「今務めているH卓球の代表を、留守中誰に頼もうか」と逡巡は続く。

 

 

3⃣ JR各駅停車旅/北海道牧場トレッキンング

この旅は、2018年に計画したものである。

JRの「北海道東日本パス」という「青春18きっぷ」に似た切符を使用して、自宅から各駅停車の列車を使って北海道の根室まで行き、その先は道東の牧場を歩いて摩周湖を目指し網走へ行き、網走からは、飛行機ではなく鉄道を利用して帰ってくるというものだ。

 

隠れ鉄ちゃん(鉄道オタク)でもある私の「乗り鉄」と「道東トレッキング」という私の好みを兼ね備えたプランだった。

 

2018年9月末に出発する予定で、準備万端整えた9月6日に「北海道胆振地震」が発生した。私が乗る予定のJR各線の多くが不通となり、この年の出発は断念した。

 

翌2019年は、卓球サークルの代表を務めていて長期休暇は取れず、翌2020年からはコロナ禍で実行できなかった。

 

この旅は計画しただけで、日の目を見ないものになっていた。列車時刻や工程もかなり細かく検討していたので、このブログに全て創作でのエア旅行(仮想旅行)を「時刻表旅1~4」と題して掲載させてもらった。(2020年9月23日~10月23日)

 

仮想の紀行文を書き終わると、何だかその地を実際に旅して来たかのような錯覚に陥った。留萌や根室の街並み、富良野線花咲線の沿線風景が頭に浮かび、増毛の「タコザンギ(たこの唐揚げ)」は食べたこと無いのに、舌に残っているような感覚だ。

 

コロナも規制が解除され、今年は実行しようと思えば叶うであろうが、計画から6年もたったからか、どういう訳か行きたいと言う情熱というかモチベーションが高まらない。

 

この旅についても逡巡している。

 

 

大きな旅となると、旅行前の心構えは確たるものが必要だ。今のところ、そのようなものは、心の中で熟成されていないので、今年は、1~2泊の小さな旅から計画してみようと思う。

 

 

 

令和6年正月

 

       写真ACより   らなんらなん さんの作品

 

 

明けましておめでとうございます!

今年最初のブログです。本年も、お手すきの折にでもお立ち寄り頂ければ幸いです。 よろしくお願い致します。

 

さて今年は年明け早々、元日の「能登半島地震」二日の「「羽田空港での飛行機衝突」と大きな事故が重なり、正月気分も吹っ飛んでしまい、今年は波乱に富んだ一年が予感されました。気を引き締めて一年を乗り越えたいと思います。

 

昨年末から、年明け最初の一週間を綴ります。

 

12月25日~31日

毎度のことながら、昨年末の最終一週間は「怒涛の一周間」で、大掃除正月準備に邁進した。昨年末も「もう少し早く手をつけていたら」と毎年同じことを後悔している。

 

一人で黙々と室内の汚れ落とし作業をしていると、夢と同じように過去の色々なことが、頭の中を駆け巡る。

 

古い昔の友人のことを思いだし、「あの時二人でこんなことをしたな、こんな話をしたな、彼は今どうしているかな」とか、その他当時の色々な人の顔が走馬灯のように思い浮かぶ。

 

ふと幼少時に母と二人で食事をしていた時のことも思い出した。白菜の漬物の葉をご飯に巻いて「海苔巻みたいだ」と言ったこととか、私が焼き鮭の皮を残そうとすると母は「焼鮭の皮は大黒様が『小判をあげるから、譲っておくれ』って言ったんだよ」と言ったのに対して「ボクなら小判を譲ってもらう」と言った他愛もない会話を思い出したりした。

 

晦日、午前中に買い残した分の買い物をし、午後、酢蓮、里芋煮、高野豆腐の煮ものを作り、買ってきたお節料理を重箱に詰めた。これが私には苦手で、毎年時間がかかる。

 

年越しそばを作って、18時頃やっと一段落がついて夕食とする。余り物のお節を肴に今年最後の晩酌だ。「お疲れさまでした!」と自分を労う。

 

紅白は今年も森山愛子が出場できなかったので関心がなかった。最近You tubeで見た セーラー服姿の「新しい学校のリーダーズ」が歌う「オトナブルー」が気になった。このグループのダンスは首を横に平行移動するもので、歌詞も大人の男性を挑発する刺激的なものだ。山口百恵の「ひと夏の経験」を想起し興味を持った。

 

このグループが今年の紅白の一番最初に出るという。紅白の開会と「オトナブルー」を見て、その後はやはりつまらなくてチャンネルを変える。結局今年もEテレNHK交響楽団「第九」を見て寝た。

 

1月1日(月)

2024年は、穏やかな快晴で明けた。例年は元日に年始挨拶に来ている娘家族が今年は明日の2日となったので、午前中に墓参りに行く。霊園には50人程が墓前に花を供えて新年の参拝をしている。青空の下、広々とした霊園は凛として美しく気持ち良かった。この一年健康に努めることを墓前に誓う。

 

帰宅して届いた年賀状に目を通す。添え書きには、初孫の誕生とか子供が今年結婚するといっためでたいものもあったが、腰痛で歩くこともままならないというお気の毒な賀状もあった。

 

友人から初LINEメールが届いていた。年始の挨拶と私の誕生祝が書かれてあって嬉しい。返信をしてしばらくすると、別の友人からも年始の挨拶メールが届く。こちらは、私の方から連絡しようと思っていた相手だったので、暮れや元日の様子をメールでやりとりする。

 

テニス、卓球サークルのグループLINEが入信していて、メンバーの様々な年始スタンプやカラフルな賀状メールに溢れていた。私のLINEはスタンプを使わない地味なものだが、グループLINEは彩(いろどり)鮮やかで賑やかだ。

 

「今年は穏やかなお正月だね」とメールを打った後の16時頃、能登半島震源とする地震の規模M7.6の大きな地震が発生した。テレビでは輪島の火事も放映され、東日本大震災が思い起こされ、正月の目出度いムードが、かき消されてしまった。

 

1月2日(火)

昨日の晴天が嘘のように、曇りから雨となる。9:30に娘家族5人が年始に来訪した。孫たちに会うのは一年振りだ。中2、小4、小2の三姉妹はこの一年でひとまわり大きくなったようだ。

 

彼女らの昨年の報告によると、長女は生徒会副会長や野球部のマネージャーを務め、次女はダンスでセンターを張り、昨年から始めた空手でも子供大会で優勝したとか、三女はそろばん、水泳、空手に励んでいると言う。しばらく会わぬうちに子供たちはどんどん逞しくなっている。

 

冬休みになって、両親が共働きなので、長女が下の子供たちに弁当を作っているという。その弁当の写真を見たら、カラフルで美味しそうな立派なもので感心し、NHKの「サラメシ」に投稿したらとアドバイスする。

 

やはり孫たちは可愛いものだ。このままスクスクと成長してくれることを切に願っている。

 

一家は〆のすき焼きを鱈腹食べて帰って行った。昼は娘家族の接待にこれ努めたので、夜は改めて息子と二人の新年会を祝った。

 

1月3日(水)

年末年始は、ほとんどテレビやビデオ録画を見ていなかった。今日は時間ができたので、CS放送の「僕の姉ちゃん」一挙放送(1話~10話、1話30分)を4話まで見た。(5話以降は1月5日に見た)

 

この作品は、益田ミリイラストレーター、漫画家、エッセイスト)がマガジンハウスのち幻冬舎文庫に発表したものが原作である。主演は黒木華が姉を演じ、ユーモラスで辛辣な姉と純朴で真っすぐな弟が一軒家で二人暮らししている日常を描いたものだ。

 

Z世代の新人サラリーマンの弟が、仕事や恋愛で上手くいかなくて、家で愚痴ったりぼやいたりすると、独身でアラサーの姉は、手厳しくも愛情をこめて弟にコメントをする。姉の言葉は蘊蓄(うんちく)に富んでおり、独身OLの本音も吐露していて面白かった。

 

1月4日(木)

正月三が日が明けたこの日の午前中に、リハビリでお世話になっているケアマネージャーUさんの面談があった。Uさんからは月一くらいに、健康状態を尋ねる電話があるが、今日は我が家へ来ての訪問面接だ。

 

この一年間の生活の変化、推移などを訊かれる。まだボーっとしたり、若干のフラツキはあるが、ほとんど健常者の生活をしているので、介護保険を適用したリハビリ施設に通っていることには心苦しさも感じると正直に話す。

 

Uさんは、冬場に急増する入浴時のヒートショック、感染症の予防、免疫力を高める生活習慣等について説明をして帰って行った。

 

1月5日(金)

今年最初のリハビリ施設に行ってきた。スタッフや利用者に新年の挨拶をして、いつものストレッチからのメニューをこなした。走行マシンでは大量の汗を流す。

 

<施設の職員から聞いた話>

・言語の先生は、元日に富士山本栖湖からのダイヤモンド富士を見に行った。本栖湖からも見られるが、山女の先生は近くの山に登ってその頂上から見た。本栖湖で待ち受けていた人々は、丁度その時刻に雲に遮られて見ることができなかったという。「山に登って正解だった」と先生は喜んでいた。

 

・スタッフのSさんは、年末の29日、仕事が終わってから車で松本の実家に帰省した。正月の3日まで滞在したので、久し振りにゆっくりできた。近くのスキー場で子供(小1と4才)を遊ばせたり、諏訪湖へ行ってワカサギ釣りをしたが、一人4000円払って一匹も釣れなかった。行きも帰りも高速は渋滞しなくて助かった。

 

施設から帰って直ぐに風呂に入る。明るいうちに入る風呂もいいものだ。

 

1月6日(土)

午前中に今年になって初めてのスーパー買い出しに行く。正月用に買い置きしたものが、まだたくさん残っていて、買い物もいつもの半分くらいで済んだ。

 

午後は今年最初のH卓球だ。会場に行くとまだ二人しか来ていない。開始時間になっても集まったのは私を含めて三人だ。三人の練習となると非常に効率が悪い。Oさんは、家の家事が沢山残っているからと言って帰ってしまった。

 

結局私とKさんの二人で練習することになった。二人だと練習内容が非常に密になり、運動量も増える。二時間みっちり練習でき、Kさんも満足したようだ。

 

1月7日(日)

正月飾りを取り外し、鏡開きには早いが、供えた鏡餅を下す。正月飾りは「どんど焼き」用に地元の神社に持って行く。今年の初詣はまだだったので、ここで済ませた。

 

明日から又、いつもの日常が始まる。

 

 

令和5年最後のブログ

師走に入ってからの本ブログの書き出しは、毎回同じような文章で気が引けるが、今年の暮れも押し迫った。

 

街はクリスマスや歳末の買い物客で賑わい、夜になるとイルミネーションが点灯し、今年から解禁された忘年会で盛り場の人出も増えているようだ。インバウンド客も増大し、コロナ禍の3年を取り戻すように暮れの街は活況を呈している。

 

平和な日本で私たちが安穏に暮らしている中で世界に目を向けると、ウクライナパレスチナガザの人々が塗炭の苦しみを味わっている。ニュースを見ながら「何とか和平の兆しが訪れないものか」ともどかしくやるせない思いに駆られる。

 

12月22日は冬至だ。一年の節目の日で、この日から日足が少しづつ伸びていく。気候は「冬中冬始め」の冬至を過ぎる頃から益々寒くなるが、これから昼が長くなるということは、気分的にも明るく楽しい感じがする。

 

以下に、慌ただしい年の瀬に感じたことを綴って、今年最後のブログとしたい。

 

1⃣ 触覚

歩いて郵便局へ行った時、靴の中に砂利が入ったようで、足の裏に当たって痛かった。立ち止まって靴を脱ぎ中の異物を見ると、砂のような小さな粒があった。もっと大きな物を想像したが、意外と小さくて驚いた。普段あまり気にしていないが、人間の触覚って結構敏感だと思った。

 

行儀の悪い話だが、食事をしていてご飯粒をこぼし、ズボンの上に落とした時も、ズボンの中の太腿のセンサーはそれを検知した。

 

皮膚には圧力や振動、伸縮や滑り具合に反応する数種類の細胞やセンサーが埋め込まれており、それらが組み合わさって一つの触感が構成されているそうだ。その感度は、素足で数十ミクロンの太さしかない髪の毛を踏んでも感知できるレベルという。

 

靴の中の砂粒に、足の裏が感知したことが納得できた。

 

 

2⃣ 日の出時刻

 

   写真ACより   「早朝の街の風景3」 Mits39bb さんの作品

 

NHKラジオ深夜便で、日付の変わる0時前に、翌日の日本各地の「日の出時刻」が放送される。その日のアンカーが北の札幌から沖縄の那覇まで順に読み上げる。札幌と那覇の「日の出時刻」が、秋の頃は約1時間も違って、日本も狭いようで結構広いものだと思ったりした。

 

又、東京での夏と冬では「日の出時刻」が2.5時間程違い、ラジオで翌日の「日の出時刻」を聞きながら、季節の移ろいを感じることもある。

 

先日布団の中で半分眠りながら、翌日の「日の出時刻」を聞いていて、札幌の「日の出時刻」が仙台や東京より遅いことに気が付いた。「確か夏の頃は、全国の主要都市では札幌が一番早いはずだったのにな~」と思って調べてみた。

 

札幌、仙台、東京、那覇夏至秋分の日、冬至の「日の出時刻」は下記であった。

 

     夏至(6月21日)   秋分の日(9月23日)  冬至(12月22日)

札幌    3:55         5:22         7:03

仙台    4:13         5:25         6:50

東京    4:25         5:29         6:47

那覇    5:37         6:18         7:12

 

「日の出時刻」を決める要素は、計測地点の地球の経度、緯度、標高、太陽から見た地軸の傾き等色々な要素があるだろうが、私は今迄経度の影響が最も大きいのだろうと漠然と考えていた。

 

今回各地の「日の出時刻」を調べて、夏の札幌の「日の出時刻」は、那覇より1時間半以上早いが、冬は10分ほどしか早くない。これは、「日の出時刻」の差は、経度よりも緯度の方が大きな影響を及ぼしていたのだ。

 

経度がほぼ同じの札幌、仙台、東京の「日の出」が冬になるとその順番が東京、仙台、札幌となるのも緯度の影響で説明がつく。

 

そう言えば、北極や南極の極地では、夏の白夜や冬の一日中夜の現象が起こる。「日の出時刻」は緯度の高い地域ほど緯度の影響力が大きい。

 

 

3⃣ 今年の漢字

今年の漢字」が「税」と発表された。2位は「暑」だったが、個人的には「暑」の方が相応しく思った。

 

とにかく今年の夏は暑かった。この暑さが今年だけの特別な現象であればよいのだが、地球温暖化の流れの中の現象と思われるので、来年以降も今年のような、もしくはそれ以上の酷暑に見舞われると覚悟せねばなるまい。気の重いことだ。

 

 

4⃣ 今年を振り返って

今年を振り返ると、私個人には特にこれと言った出来事はなかった。一週間は、週二回のテニス、週三回の卓球、金曜日のリハビリ、土曜日のスーパー買い出しの繰り返しで日々があっと言う間に過ぎて行った。

 

日常は、テニス、卓球を主体にして過ごした。それらは、ゲームをメインにやっているので、それなりに楽しく面白い。サークル活動は仲間とのコミュニケーションもとれて有意義だ。家では一人で生活することが多いので、仲間とのお喋りは貴重な時間でもある。

 

運動がしたくても身体の不調でできない人が、世の中には沢山いる。それらの人達と比べたら、運動できるだけでも恵まれ、ありがたいと感謝している。。

 

日常の生活に、メリハリをつけ気分転換するため、ちょっとした外出を試みた。今年外出したのは以下である。

 

4月 高川山 富士山眺望ハイキング

5月 東京近代美術館 重要文化財

6月 小菅村ドライブ

8月 花火見物/ 妹と横浜会食

11月 北信濃ドライブ

くらいのもので、あとは友人とのランチや卓球仲間との忘年会、カラオケに行った程度だ。

 

この一年、寝込むことも無く健康に過ごせたことは、何よりもありがたく思っている。

 

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今年の本ブログの更新は、来週はお休みとし、今回が最後とさせていただきます。次回は新年1月7日に更新予定です。

 

今年も本ブログを訪れて頂いた方々には、厚く御礼申し上げます。いつまでたっても、上手く書けず悪戦苦闘しています。

 

来年もよろしかったら、又訪ねてみて下さい。それでは皆様、良いお年をお迎え下さい。

 

師走のある日

師走も半ば(なかば)が過ぎ、家の整理、掃除の類(たぐい)はまだ何もやっていない。掃除以外にも、新年用の買い物とか年賀状作りとか暮れにやっておくことが色々あるが、今年はそれに運転免許証の更新手続きが加わった。

 

やることがあるのにテニスや卓球で遊んでいても「心置きなく」楽しめない。少しでも片付けておこうと、師走のある日にまとめてやることとする。

 

まずは運転免許証の更新手続きから始める。

 

最寄りの警察署ではなく、隣の警察署に行く。ここは、新しい免許証が手続した当日に発行されるからだ。

 

朝、郵便局で年賀状を買い、テニスを終えてから警察署に向かった。街路樹のイチョウは紅葉の盛りを過ぎ、葉が散り始め風に舞っている。最近は温暖化のせいか12月になっても晩秋の風情だ。

 

      写真ACより  「イチョウ並木」 ここあさんの作品

 

13時少し前に署に着いた。玄関に「免許証更新の方は先に、交通安全協会へ行って印紙を購入して下さい」の貼紙がある。この交通安全協会の建物は広い道路の反対側のかなり離れたところにある。印紙を買って来るだけで、歩いて15分くらいかかった。

 

署に戻って更新手続きをする。更新に訪れている人は10人位と空いており、スムースに手続きが進む。事前に教習所で受講した講習修了証明書と認知検査結果を提出し、視力検査をして、写真を撮影したら数分で新しい免許証が交付された。

 

これまでの免許更新と比べて、余りにも早く終わって、「エッ これで終わり?」と驚くとともに時間が節約されて助かった。

 

帰りにホームセンターへ寄って、正月飾りと鏡餅を買う。新年用のテーブルクロスとキッチンマットを下見したが、この店には気に入ったものが無い。来週にでも違う店へ行って捜さねばならない。

 

次に駅ビルの本屋に行く。来年のカレンダーと日記帳、時刻表を買う。カレンダーは風景物と日付だけの予定を書きこむタイプの物だ。このカレンダーと日記帳は20年以上同じ物を毎年購入している。時刻表は来年冬に、もしかしたら旅に出るかもしれないと思い買っておいた。

 

孫たちへのクリスマスプレゼントを何にしようかと悩んでいたが、図書カードを思いつき、この店で購入する。

 

帰宅して、夕飯仕度をして夕食を摂った後、年賀状の画面作りにとりかかる。年賀状は出す枚数がめっきり減った。ここ数年「この年限りで年賀状終いをします」という賀状が何件か届くようになった。私もそろそろ「年賀状終い」をする時期かなとの思いがよぎる。

 

一方、普段ご無沙汰している知人の近況を知ることは嬉しいもので、年賀状がその唯一の縁(よすが)となっている場合は尚更である。

 

私の賀状は、パソコンの「筆ぐるめ」で作るごく簡単な図柄のもので、出す枚数も少ない。手の込んだ図柄を作成したり大量の枚数を処理する人に比べたら、私の作業量は微々たるものだ。グータラな私は、年末にこの作業が無くなることに魅力を感じるが、もうしばらく続けてみようかと思う。

 

年賀状の図柄は毎年同じパターンなので、来年用もそれほど時間をかけることなくできた。

 

今朝年賀状ハガキも買ってきたので、今日中に印刷しておこうと考える。10月に新しいプリンターに買い替えて、A4用紙への印刷はしているが、ハガキ印刷は今回が始めてだ。

 

プリンターのトレイにハガキをセットして、操作ガイドに従ってタッチパネルを操作し用紙サイズと用紙タイプを「ハガキ」と「インクジェット」に指定する。パソコンから「印刷」の指令を出すと、図柄がハガキではなくA4用紙に印刷されて出てきた。

 

「ムム・・・なんだこれは?」ともう一度タッチパネルの指定を始めからやり直して印刷・・・やはり、A4用紙に印刷されハガキには印刷されない。3回程同じ作業をして同じ結果だった。

 

プリンターの操作ガイドをじっくり読み返すと、ハガキ印刷の場合、「上段のハガキトレイ(スライド式になっている)を完全に奥にずらす」と書いてある。私はずらさずに印刷していたのだ。奥までずらして解決した。

 

私のずぼらな性格が出て、ハガキトレイの詳細を見落としたのだ。恥ずかしい。

 

ハガキの印刷に手間取って、刷り終わった時は0時を過ぎていた。

 

師走のある日、バタバタと慌ただしい一日だった。暮れの慌ただしさはこれからが本番、この日はまだまだ序の口だ。