塩沼亮潤大阿闍梨

12月19日、TBSテレビのトーク番組「サワコの朝」を見た。ゲストは大峯千日回峰行(※1)を成し遂げた塩沼亮潤大阿闍梨(しおぬま りょうじゅん だいあじゃり)だった。非常に感銘を受けたので、今回はこの人を取り上げる。

 

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    塩沼亮潤大阿闍梨 TBSテレビ 12月19日放送「サワコの朝」の画像
 

千日回峰と言えば、比叡山の酒井大阿闍梨が、千日回峰の修行をしているところをテレビで見たことがあるので、比叡山での修行と思っていた。吉野の大峯山修験道のお山で、吉野から熊野までは、1300年前、役行者(えんのぎょうじゃ)が開いた修験道の道(熊野古道の大峯奥駆道)がある。金峯山修験本宗が、天台宗千日回峰行を手本として、ここで行うようになり、比叡山と区別して千日回峰行に「大峯」を冠している。

 

塩沼さんのお名前は始めて耳にした。

 

塩沼さん(大阿闍梨に対して、こういう呼び方は失礼で適切でないかもしれないが、ここでは、さん付けで記述する)は、1968年仙台生まれの52才、1987年高校卒業後、奈良県吉野の金峯山寺へ入山、23才の1991年からから9年かけて大峯千日回峰行(※1)を達成、翌2000年には四無行(※2)も成し遂げて大阿闍梨となる。

 

(※1)大峯千日回峰行

吉野の金峰山寺から、大峯山の山上が岳頂上にある大峯山寺本堂まで、標高差1355m、往復48㎞の山道を1000日間歩き続ける修行。毎年修行の期間は5月3日~9月3日なので、成し遂げるには9年を要する。

 

<一日のスケジュール>

・23:30 起床、滝で身を清め、白装束に身を整えて 0:30 出発、道中118か所の神社、祠で般若心経を唱え、8:30 山頂到着、 帰着は 15:30

・持参するものは、おにぎり2つと500mlの水のみ。

・下山してから、掃除、洗濯、、次の日の用意等身の回りのことは、全部自分でやる。

・睡眠時間は4時間半、これを千日間繰り返す。

 

<掟>

一度この行に入ったら、病気や怪我をしても、途中でやめることはできず、万一やめざるを得ないと判断したなら、自ら腹を切って修行を終える。その為に短刀を携行する。

 

(※2)四無行(しむぎょう)

断食、断水、不眠、不臥(横にならない)を九日間続ける修行。

生きて行を終える確率は50%くらいと大変危険な修行なので、千日回峰行を成し遂げたものしかできない。行に入る前に生き葬式をして、縁のある人達に今生の別れを告げる。

 

<四無行でやること>

・毎日午前2時に、仏様へ供える水を200m先の井戸へ汲みに行く。

・一日3回密教を読経、

不動明王のご真言10万遍、蔵王権現のご真言10万遍、計、20万遍を唱え続ける。

 

 

千日回峰行」といい「四無行」といい、こんなにも壮絶な修行が現代でも行われていたことに驚愕した。とはいえ、こんなことができる人間は、とても人間業とは思えない。将に死と隣り合わせの修行だ。精神的にも肉体的にも極限に追い込まれたなかでの修行だ。

 

塩沼さんは、「千日回峰行」では、一ヶ月で栄養不足の為、爪がボロボロと割れたり、三か月で血尿が出たそうだ。又生死にかかわる危険も3回(熊に遭遇し襲いかかられそうになった、大きな岩が体すれすれに落下した、下痢など体調不良が10日ほど続き、歩けず何度も道端に倒れ込み、道の砂を噛んだ)ほどあったという。

 

「四無行」では、三日目くらいから、足が紫色になり、身体から死臭が漂い始めるという。体重は毎日1㎏ずつ減り、水分不足で血液がドロドロになる。脈拍は座っているだけで90を超え、少し歩くと120位となって動悸がはげしくなる。

五感は研ぎ澄まされ、線香の灰が落ちる音も鮮明に聴こえるようになるそうだ。

 

「こんな過酷な修行を何故やったのか」に対して、塩沼さんは、「サワコの朝」で、次のように語っている。

 

「子供の頃、テレビで千日回峰行をしているお坊さんを見て、カッコいいと思った。両親が離婚し経済的にも苦しい生活をしていた時、周りの人達に助けられ、将来人々に恩返しをしたいと思った。千日回峰行や四無行はそれ自体が目標ではなく、成し遂げた後に仙台にお寺を建てる、全国に講演できるお坊さんになる、そして50を過ぎたら世界に出ていくという夢(イメージ)があったから、辛いこと苦しいことに打ち勝つことができた。」

 

塩沼さんは、大阿闍梨となり、金峯山本山と言う大きな組織に残れば安住できたと思われるが、色々なことに挑戦したいとの思いから、すべてを捨てて仙台の実家に戻る。

 

実家はお寺ではないし、本山の援助も何もない。当初は「大阿闍梨」という称号も何の役にも立たず苦労しながら、2003年仙台の秋保に「慈眼寺」という寺を建立し住職となる。この寺は檀家を作らず、お葬式もしない。ということは、安定した経済基盤がないということだ。

 

その後2006年には、八千枚大護摩供という行も成し遂げている。

これは、100日間五穀(米、大麦、小麦、小豆、大豆)と塩を絶ち、その後24時間昼夜飲まず、食べず、寝ず、横にならずで、八千枚の護摩を焚き続けるものだ。

 

現在塩沼さんは、法話を話したり、講演活動等を行っているが、慈眼寺には法話を聴きに全国から沢山の人が集まるようになった。

 

<テレビで語った塩沼さんの言葉>

・日本一の荒行を成し遂げて気付いたこと:ストイックに身を追い込まなくても、日常のルーティンの中で自分自身を高めていくことができる。例えばイラっとかムカッとした時、理由を考えると誰かのせいにして暗い方向に気持ちが行き、自分の人生も表情も暗くなる。その時は一瞬悪いほうに行った振り子をすぐ戻す習慣を作る。そうすると気持ちが明るくなって、運気が良い方良い方に運ばれる。

 

・コロナ禍で苦しむ人へ:いつも笑ってください。(笑いたくなくても)口角を上げると運気があがる。人間の思考は考えてしまいがちだが、考えても分からないことがある。あるがままを受け入れる。

 

・壮絶な修行の先に見えたもの:どういう状況に追い込まれても、「ま~しょうがないな」と思い、その状況の中で自分ができる最善を尽くして、生きられるだけ生きたらいいなと思う。

 

・塩沼さんの身体:荒行をやってきたので、身体はボロボロ。頭をMRIで撮影したら左側頭葉の2/3が壊死して無い状態+脳の太い血管しかなく毛細血管がほぼ無かった。この状態では論理的思考とか記憶ができないはずなのに、脳も記憶力もいい。他の部分が足りないところを補って活動ができるようにしてくれている。

 

・50才を超えて悟ったこと:50年間は、辛いことも苦しいことも楽しもうと思って、肩に力を入れて眉間に皺を寄せて頑張ってきた。今は毎日を一瞬一瞬を楽しもうと思うようになった。自分が楽しまなければ相手を楽しませることができないと気付いた。布教したいとも思わないし、慈眼寺をもっと大きくしようとも思わない。ありのままに普通に楽しく生きていきたい。そう思うようになった。すると広がりも大きくなった気がする。

 

・信仰心とは:朝、「今日も一日よろしくお願いします。家族みんなが無事でありますように」と心の中で願い、一日精一杯善いことをし、悪いことをしない、悪いことをしたら反省をする、そして夜何事もなく一日を過ごせたら、心の中で「ありがとうございました」と感謝する・・・これは立派な信仰と思う。

仏教は本来、我々が仲良く楽しく生きていくために必要な教えなのだから、それを形づける、心の中でもっと楽しみを見つけるのが本当の信仰心と思う。

 

・今後、やりたいことがいっぱいあるのに、病気となり余命2ヶ月と宣告されたら?:残り2ヶ月の人生を楽しむ。自分が死んだら、葬式は一切しない、みんなが集まって楽しい食事をしてほしい、墓は作らない、自分が生きた痕跡を一切残さずに、全て消してあの世に旅立ちたい。

  

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以上が塩沼さんが成し遂げた荒行と50才を過ぎた現在のお考えである。

 

塩沼さんは、生死の狭間(はざま)をさまよいながらの過酷な修行を成し遂げたのだから、悟るものがあって、凡人には理解しがたい禅問答のような難しい話をするのかと思ったら、とても分かりやすいシンプルなお話であった。

 

私は、特定の宗教を信仰しているわけでもなく、信仰心があるとは思っていなかったが、健康で運動ができ、美味しく食事ができることに対しては、常々感謝している。これは塩沼さんのおっしゃる「信仰心」に当たるのだろうか?

 

近年の仏教界は、檀家を囲い込み、葬式、法事がメインで、それを経営の基盤とするお寺さんが多く、葬式仏教と揶揄もされているが、塩沼さんは、それとは真逆の活動をされている。

 

慈眼寺では、檀家を作らず、お葬式もしない。自分が死んだら、自分の葬式をせず、墓を作らず、自分が生きた痕跡を一切残さず、全てを消してあの世に旅立ちたいと望んでいる。

 

なんと潔い考え方か、これこそが、死の淵を覗くような荒行を、幾度も体験した塩沼さんだからこそ、言える言葉ではなかろうか。