私の脳梗塞 (発症から退院まで 4)

1月6日(水)

本日より車いすに乗ることが許された。ベッドからの移動は看護師さんの介助が必要だけれど。そして、看護師さんから、1月8日(金)に主治医から家族へ私の病状の説明と今後の予定について説明があると告げられた。

 

車いすに乗ることができるようになって、急に可動範囲が広がった。

今日からリハビリが始まる。この病気は、なるべく早く開始したほうが効果があるという。

 

 

病院の「リハビリテーション実施計画書」によると、リハビリ開始時の私の状態は、

基本動作:寝起き 一部介助

心身機能:運動機能障害 麻痺、運動失調

     音声発話障害 構音

高次脳機能障害:注意

目標:身体機能、身辺動作能力の維持改善

となっていた。(高次脳機能障害とは何のことか確認しそびれた)

 

私のリハビリを担当してくれる先生は、上半身担当の作業療法士T先生、下半身担当の理学療法士N先生、そして昨日挨拶に来られた構音リハビリ担当の美人言語聴覚士の先生で、これから、この三先生にご指導いただくこととなった。

 

まずは、T先生から手指の動きを観察され、「ペグ」という木製の棒(1㎝径10㎝長)をこの棒が入るくらいの丸い穴が20個空いている板の穴へ、棒の上下を指でひっくり返しながら差し込んでいくというゲームのよう作業を行った。

 

始めは、棒が指から転げ落ちたり、穴に上手く刺さらなかったりしたが、何回もやるうちに、少しづつスピードも早くなっていく。

 

白紙に字を書こうとしたが、この日はとても字の書ける状態でなく、右手が10㎝20㎝と意図しない方向に動き回った。

 

T先生は、富山出身で結婚まじかの好青年だ。

 リハビリを受けながら、T先生と雑談をする。入院前私は、テニスや卓球のサークルで仲間とコミュニケーションをとってきたが、サークルの仲間は、皆年配の人なので、こんなに若い溌溂とした青年とは接触がなかった。先生と話すことにより、若い息吹を一杯もらい自分も若返った気分になった。

 

すこし休憩した後、N先生のリハビリだ。N先生は新潟県村上出身、1才のお子様がいらっしゃる頼もしいリハビリ先生。T先生とともに病院の野球サークルに入っていて休日は野球で汗を流しているとのこと。

 

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            写真ACより Acworksさんの作品 

 

今日は最初なので、平行棒の前で足を延ばしたり、棒に手をついて立ち上がったりと、ごく基本動作の確認。ふくらはぎの周りをメジャーで測り「しっかりした足をしてますね。」と褒められた。普段からテニスやウォーキングをしていたお陰か、嬉しい。

 

構音のリハビリは、先生の用意されたプリント(「ら」の字がいっぱい入ったひらがなの文章)を音読する。SCUの病室の中で、看護師さんや他の患者さんもいるところなので、小学校1年生みたいで恥ずかしかったが、リハビリなのだからしょうがない。

 

私は早口なので、「区切る」「止まる」に気を付けましょうと、幼稚園児に言われるような口調で注意された。

 

昨日あんなに苦労したヤフーメールは、今日は音声入力が可能となり、テニスの友人ともまともな通信ができ、コート予約のことも伝えることができて、一安心する。

 

                  ー続くー