只見線

今週の月曜、火曜日、当地の天気は雨や曇りで、最高気温は13℃前後と師走の頃の冬の気温となった。夏から秋を通り過ぎて一気に冬になったという感覚だ。

 

翌水曜日は、朝から雲一つない快晴で、気温も前日より5℃ほど高く、早朝テニスも青空の下、汗もかかずに快適にプレーを楽しむことができた。その後も晴れた日が続き。やっと秋らしくなってきた。

 

こうも天気が良いと、どこか遠くへ行ってみたくなる。今頃は少し高い山や、北の方は紅葉の見ごろになったかな?と想像する。

 

秋のシーズンになると、旅の雑誌や、テレビの旅番組等で、JR只見線沿線奥会津の風景が紹介されることが多い。

 

 

 

 

私もこれらの写真に誘われて、2回奥会津を訪れた。

 

 

1⃣ 2016年秋

鉄道の各駅停車のみに乗って、常磐線磐越東線磐越西線只見線上越線八高線を使って一回りした。宿泊は、会津若松水上温泉

 

旅の二日目、会津若松発の只見線一番列車(6:00発2両連結のディーゼルカー)に乗車する。乗客は一車両に数人、会津檜原(あいずひのはら)を過ぎるころから、列車は只見川を何度も渡り、川を縫うようにして進む。

 

手前の黄色いイチョウの先の山の上部は、雪をかぶり薄化粧していた。女子高校生が少し長いシートに寝っ転がってスマホをいじっている。

 

私のスマホには、アメリカの大統領選挙でトランプ氏がヒラリー女史を破って当選したとの速報が入った。

 

下りは全て会津川口止まり、この先の只見までは土砂崩れで不通となっている。会津川口駅はこの辺りでは、珍しく駅員さんが常駐し売店も有る数少ない駅だ。ここから只見までは、代行バスが走っている。

 

バスはマイクロバスで乗客は3人、運転手はテキパキとした中年の女性だった。空はどんより鉛色、いまにも雪が降ってきそうな天気だ。バスの窓には薄いカラーフィルムが貼ってあるので、遠景の紅葉が違った色に見える。

 

バスの女性運転手さんと雑談をする。規則では乗客との会話は禁止のはずだが、運転手さんは気さくにに話ししてくれた。只見線赤字ローカル線なので、復旧工事の目途は全然立っていないとのことだった。

 

バスは不通の駅の他に、役場とか集落の要所にも停車したが、乗降客は途中の集落で一人降りただけだった。約1時間、バスは過疎の集落を巡って只見駅に到着。

 

只見駅から小出行のディーゼルに乗り換える。直ぐにトンネルに入り、少し長い田子倉トンネルを抜けたところが田子倉駅で、ダムに堰き止められた大きな田子倉湖が左窓下に広がる。

 

この駅を過ぎると、列車は長い六十里越トンネルに突入し、その先は新潟県だ。列車から見える紅葉は、このトンネルを過ぎた辺りが赤や黄色が鮮やかで一番きれいだった。

 

 

 

2⃣ 2018年秋

列車の旅から2年後の丁度今頃、車で奥会津を訪れた。鬼怒川から南会津、下郷を通って会津若松で一泊、翌日にJR只見線に沿った国道252号を西進して只見町、田子倉湖から新潟県魚沼に抜けるルートだ。

 

会津若松のホテルを7時出発、演歌歌手春日八郎の出身地会津坂下(あいずばんげ)の町を通り、只見線会津柳津(あいずやないず)駅に立ち寄る。もう30年近く前に、この駅を舞台にした「秋の駅」というテレビドラマがフジテレビで放送された。

 

今は亡き元キャンディーズ田中好子さんが、シングルマザーで駅前売店の売り子を演じ、駅員や地元の若者との織り成す秋の日常を、田舎の小さな駅を中心に描いた秀作だった。第19回ドラマ番組優秀賞を受賞している。

 

国道252号線沿い会津川口駅近くの「金山道の駅」にトイレ休憩で立ち寄る。建屋はあるものの、商品は何もない。まだ開業していないのか尋ねる人も居らず分からなかった。トイレは使用できた。

 

只見線は、会津川口と只見間がこの時もまだ不通だった。2年前に代行バスで通った道を走る。不通区間会津蒲生駅へ様子を見に行く。駅から伸びる線路は雑草が生い茂り、廃線跡のような景観だった。復旧はできるのだろうか、このまま廃線になってしまうのではないかと思った。

 

周りの小高い山は、少し色付いてはいるが、まだ紅葉には少し早いようだ。

 

 

2年前の鉄道旅の時もそうだったが、この日も曇天で雪でも降ってきそうな空模様だった。

                  田子倉

 

鉄道の六十里越トンネルは、7㎞近い長いものだが、国道のトンネルは数分で通過して新潟県魚沼市に入る。峠を越えた所でどしゃ降りの豪雨に見舞われた。ワイパーをハイにしても前方が見えず、危険を感じ、車を路肩に止めて雨をやり過ごす。10分程停車して出発する。

 

 

3⃣ 新日本風土記

10月14日NHK-BSP放送の「新日本風土記・絶景鉄道只見線」を見た。6年前と4年前に訪れた只見線が、当時復旧は無理と思っていたが、この10月1日に全線開通して運転が再開された。只見線に纏わる住民の生活をドキュメントしたものだ。

 

放送によると、只見線の歴史は、1926年(大正15年)会津若松会津坂下間が会津線として開業、その後徐々に西に延伸して1956年(昭和31年)会津河口まで延伸開業した。

 

1957年(昭和32年会津川口-只見間は、田子倉ダム建設の為の工事資材運搬用の貨物専用線となり、ダム建設後の1963年(昭和38年)に延伸開業。

 

一方上越線小出側からは、1942年(昭和17年)小出-大白川間が只見線として開業し、1971年(昭和46年)に会津若松-小出間が只見線として全線開通した。

 

2011年(平成23年)7月の新潟・福島豪雨により、只見川第5、第7橋梁が流失、路盤の流出ヶ所も多数でて、会津坂下-小出間が不通となった。

 

その後少しづつ復旧したが、会津川口-只見間は不通のまま11年が経過したのである。

 

番組では、沿線住民の只見線にかける熱い思いや、自分たちの鉄道への愛情を余すところなく伝えている。

 

再開初日の1日には、地元住民が列車の到着に合わせてお祝いの行事をしようと待っていたが、一番列車に車両の不具合が発生して列車が大幅に遅れるというハプニングが発生した。それでも住民は愛情深く只見線を見守っていた。

 

又番組では、代行バスの最後の運転となる9月30日のバス運転の様子を密着撮影している。各バス停には地元住民が待ちうけ、運転手への労いと感謝の花束を渡し車内が花束でいっぱいになるという微笑ましい映像も流された。

 

この女性の運転手 さんは、私が6年前に乗った時の運転さんだと思う。只見地区にお住まいで、地元では集落の区長としても活躍されているそうだ。

 

彼女は地域住民には「鬼の区長」と呼ばれ、強いリーダーシップを発揮して、地域の取りまとめや田圃にひく水路の掃除などの共同作業を仕切ったり、最近は荒れた集落の森の整備にも取り組んでいる。「バスの運転手を辞めても、やることはいくらでもあって忙しい。」と話す頼もしいアラフィフの女性だった。

 

番組は、只見線がこの地域の住民にとって、いかに生活に根付き愛されているかを伝えていた。

 

放送された映像

 

             橋梁を渡る只見線列車

                 只見川の川霧