大寒

1月20日、暦では大寒に入り冬本番となった。それに呼応するかのように1月24日夜から日本列島は10年に一度位と言う寒波に覆われた。私の居住地も25日の朝は、-4℃まで気温が下がった。

 

この日は早朝テニスの日で、コートまで車で移動中に社外の気温を確かめると、-2℃だった。マイナスの気温の中でテニスをするのは初めてのことだ。

 

初めのウォーミングアップラリーは、身体が温まるまで、手袋をしネックウォーマーをつけ、毛糸の帽子をかぶりコートを着たまま行った。こんな格好でテニスするのも初めての体験だ。

 

私は暑がりで直ぐに汗をかくので、冬でも半袖のシャツでプレイすることもあるが、さすがにこの日は、半袖シャツ+長袖シャツ+薄地ジャンパーの3枚を着てテニスした。3枚着ても汗は全くかかなかった。

 

テニスの帰りには気温も上がったが、それでも外気温は2℃だった。

 

午後にS卓球に行く。夏もそうだが、冬も室内でプレイする卓球は屋外テニスと比べると格段と快適だ。場所は公民館なので暖房もある。年中快適だが、テニスと違って季節感は感じない。

 

翌26日の朝は、更に気温が-7℃まで下がった。この日の午前中は外出せず、室内で過ごしたので寒さを感ぜずに済んだ。陽が登り10時を過ぎると太陽のお陰で、陽の光が入る部屋の暖房は不要となり、陽だまりは、ぽかぽかと何とも言えない心地よい暖かさに包まれる。

 

         写真ACより   ジオジオさんの作品

 

その暖かさは、エアコンやストーブの暖かさとは違って、身体の芯からじわーっと温めてくれる気持ち良いものだ。今更ながら太陽の恩恵を授かる有難さに感謝する。

 

 

近年暖冬が続き、冬でも子供の頃に感じた「寒い!!」という感覚を感じることが少なくなった。私が子供の頃は暖房と言えば、こたつと火鉢で、その後もアラジンの丸形ストーブくらいのもので、家も隙間風が入るような気密性の悪い構造で、断熱材もほとんど使用されていなかったので、今考えると随分寒い環境で暮らしていたものだと思う。

 

子供の頃、当時給湯器は無く、朝顔を洗う時は、黄色い真鍮(しんちゅう)の洗面器にやかんで沸かしたお湯と水道水を混ぜたお湯で洗った。初回の四国遍路で高野山の宿坊に泊まった11月23日の朝、洗面所にはお湯が無く、水道水で洗顔したが、その水の冷たさに震えあがり、いっぺんに目が覚めた。蛇口を回せばお湯が出る現在の生活は、恵まれすぎている。

 

最近の住宅は、断熱剤をふんだんに使い、サッシで気密性が良くなり、ガラス窓のガラスは2重ガラスになって、寒い日でも昔のように窓が結露で濡れると言うこともなくなった。曇りガラスにハートマークや好きな人の名前を書くと言った映画やドラマのような胸キュンなことはできなくなった。

 

毎年冬の現象であるが、日本列島の太平洋側と日本海側とでは、気候が全く異なる。私の住む関東地方南部は、今回の寒波襲来でも気温は低いものの日本海側のような降雪も吹雪も無く晴天の穏やかな日が続いている。日本海側に暮らす人々には申し訳ない気分だ。

 

関東南部では、数㎝の雪が積もっただけでも大騒ぎするが、豪雪地帯の人々は、雪の難儀(雪かき、屋根の雪下ろし等)が大きく、雪が余り降らない地方の人々には想像もつかない厳しい生活を強いられている。

 

江戸時代後期の越後魚沼の郷土史家、鈴木牧之(ぼくし)が若いころ江戸に出て、江戸の人々が、雪国の雪の多さや生活について知らないことに驚き、越後の雪を主題とし、その風俗、生活を記した「北越雪譜」を出版した。これは江戸のベストセラーにになったと言う。江戸の昔から、雪の少ない地方の人にとって、豪雪地帯の苦難な生活は余り知られていなかったようだ。

 

寒い季節になると、ヒートショックによる浴槽での溺死事故がよく話題となる。これは交通事故の4倍ともいわれ、寒い浴室とお湯との急激な温度変化で血圧が大きく変動することで起きる。娘からはしょっちゅう注意するよう言われている。

 

ヒートショック対策の指針としては、①脱衣場、浴室を暖かく、②お湯の温度は41℃以下、③お湯に浸る時間は、10分以内とある。①は、脱衣場、浴室には暖房が付いているので問題ないが、風呂好きの身としては、②、③が守れない。

 

友人から「天気と相談しながら、神奈川県二宮の吾妻山と松田町の蝋梅園に行って来た」という写真付きのメールが届いた。吾妻山は、山頂の菜の花畑越しに富士山の絶景が楽しめる人気の山で、私も二回訪れたが、何れも雲で富士山は望まれなかった。友人はここから雪の富士山を何度も展望しているようで、羨ましい。

 

蝋梅はその高貴な香りがなんとも奥床しい花だ。近所を歩いていて、お宅の庭からこの香りがほのかに漂って来るのに出会うと、幸せな気分になれる。

 

        写真ACより    花散歩さんの作品

 

大寒」は寒いばかりで、良いことは何もないかというと、そうでもない。1月も下旬ともなると、日没時刻も大分遅くなった。冬至の頃は夕方5時は暗かったものが、今はまだ明るい。陽が伸びると言うことは、気分的にも余裕ができたようで嬉しい。

 

「冬来たりなば、春遠からじ」で、来週の4日は、次の二十四節気立春」だ。梅、河津桜、サクラと順に花の便りも聞かれるようになる。こうして、少しずつ少しずつ季節は動いていく。