怒涛の一週間

     <イラストACより      minky 33さんの作品>

 

新年おめでとうございます!本年もよろしくお願い致します。今年は天候にも恵まれて穏やかなお正月を迎えることができました。皆さまお正月いかがお過ごしでしょうか?今年は皆さまにおかれましても、健康で幸多い一年でありますようお祈り申し上げます。

 

さて、今年最初のブログは、昨年暮れから今年の正月までの年末年始事情を綴ってみたいと思います。去年の年末年始はどんなんだったかと、一年前のブログを読み返してみると、そこにも前年と全く同じことをしていたと書いてありました。

 

要するに毎年毎年同じことを繰り返しているのだと確認したのであります。例年と同じような内容となりますが、ご容赦下さい。

 

1⃣ 大掃除

暮れの26日から始める。前年が27日から始めたので、一日余裕があるなと考えたが、やり始めるとやることが次から次と出てきて、一日多くても掃除の進捗度には全く影響しないということが分かった。

 

一週間程度の大掃除では、全て納得のいく掃除片付けは土台無理な話で、ちゃんとするにはキリがないので、いかに見ても見なかったことにして手抜きをするかで、時間を調整するようになる。

 

棚等も目に見えるガラス窓や表面は拭くが、中身はそのままにして、「後日、いつかやろう」と手を付けずに済ます。その「後日」はやった試しがない。このようにして今回も又食器棚の整理等手を付けずに済ました所もいっぱいある。

 

大掃除は連日10時頃から始めるが、5時頃まで大抵休憩をとらずにノンストップで続けるので、夕方にはくたくたになる。私はセッカチな性格で。休憩というものをほとんどとらない。

 

テニスだけは例外で、参加人数の都合でそれに合わせて休憩を取るが、H卓球は休憩時Hさんと休まずラリーをしている。リハビリセンターでは、8:40~12:10まで3時間半ノンストップでストレッチとトレーニングを続ける。

 

四国遍路の時も、初回の1日目は一時間に10分位の休憩を取りながら進んだが、1日目、2日目は札所が沢山あって、そこでの参拝は休憩のようなものなので、歩きの途中での休憩は止めた。

 

それと5分とか10分休憩していると、その時間歩いていると相当前に進めるのに、もったいないという感覚だった。その後の初回遍路と二回目の遍路では、原則歩きの途中での休憩はせずに回った。

 

話を大掃除に戻すと、大掃除のノンストップはスポーツと違って身体の色々なところを使ったり、普段しない姿勢をとったりするのかもしれないが、疲れが激しい。加齢による体力減退もあるのだろう。

 

大掃除をしていてのトラブルは、網戸洗浄後の2階の大網戸を元に戻す際、レールに引っ掛かって取り付けに時間を要した。なんとか据え付けたが、開閉がスムースにいかない。

 

よく見ると、網戸上部が上枠のレールとずれて組み込んだようだ。何度も元に戻そうと試したが埒(らち)があかない。網戸のレールとの高さ調整用のボルトを外してみたがそれでもだめだった。住宅メンテナンス業者さんに見てもらうほかしょうがないかと諦める。忙しいのにこれで大いに時間を取られた。

 

トラブルと言うほどのことはないが、トイレを掃除していて、新しいトイレットペーパーを便器の横の手摺と壁の間に置いて作業していたら、何かの拍子にトイレットペーパーが便器の中に落ちた。「アッ!アッ!」と言っている間にトイレットペーパーに便器の水が染み込んだ。トイレットペーパーは捨てる他なかった。

 

2⃣ 大晦日

朝食後に里芋等の簡単な煮物を始める。酢蓮用の唐辛子を切らしていたと気付く。煮物を一時中断して、昨日買い残した正月用品を求めてスーパーへ行く。買うのは、祝箸、唐辛子、明日来る孫たちの菓子、焼鯛だ。

 

菓子は子供たちの好みを聞いていなかったので、色々な種類の菓子を選ぶ。どうしても大人の目線になってしまう。あれやこれやと選んだので、結構な数量となった。

 

焼鯛は毎年調達している。昔は商店街の魚屋さんが路地で焼いているのを買っていた。それが無くなってからは、スーパーで買うようになったが、年々販売数量が少なくなってきた。今年は魚売り場にも総菜売り場にも見当たらない。「今年は駄目か」と思った時、焼鯛を手にしたご婦人に会う。

 

「どこにありました?」と訊くと「これが最後みたいよ。昨日生の鯛を買って家にあるんだけれど、どうやって焼くのかしらね?」と言う。そのご婦人は、調理場のスタッフに焼き方を教わって、家で焼くと決めたようだ。私はその焼鯛を譲ってもらった。

 

その後、ホームセンターでミニフォークを買って、花屋さんに向かう。明日の墓参用と仏壇用の仏花を買う。シクラメンが、付いている値札の半額と宣伝している。連れ合いがいた頃の正月は、毎年シクラメンの鉢植えを買って、キッチンテーブルのお節の隣に飾ってあった。どうしようか迷ったが結局買わなかった。

 

帰宅後、料理の続きをして、いよいよ最後のお節料理の箱詰めを始める。私はこれが一番苦手だ、料理の盛り付けもそうだが、私には持ち合わせていないセンスが要求される。亡き連れ合いや娘は上手にやっていた。もたもたしながらやって18時頃終わる。

 

今年最後の風呂に入って、お節の余りと蕎麦で夕食とする。大掃除中はテレビをほとんど見なかったので、テレビを付ける。紅白に合わせてしばらく見ていたが、いずれも若い男女がグループで歌って踊っていて、どれも同じに見えて面白くない。

 

他の番組を見ようと地上波、BS、CSを片っ端から回してみたが、興味がわかない。最後に「第九」を放送していたNHK Eテレに辿り着いた。これは12月24日にNHKホールで開催された「N響第九(合唱付き)演奏会」の録画だった。

 

第九を始めて経験したのは中学生の時で、第四章でそれまでオーケストラの演奏が続いた後、突然朗々とした力強いバスの独唱が響き渡るのを聴いて感動で心が打ち震えたのを覚えている。

 

今回の演奏は、指揮が井上道義さん、ソリストメゾソプラノが藤村美穂子さん、ソプラノ、テノール、バスは私の知らない外国の方だった。

 

2022年の最後の夜は、「第九」を聴いて就寝した。

 

3⃣ 元日

5:40起床 今日は10時に娘家族5人が年始挨拶にやって来る。朝食後、飲み物のコップ等洗う漂白剤が無いのに気が付いた。「正月のこの時間店は開いていないしどうしよう」と頭を巡らし「そうだ!コンビニだ!」と思いつく。

 

最寄りのミニストップへ行く。雑貨はトイレットペーパーしか置いていない。次にセブンイレブン、雑貨はミニストップより品数が多いが漂白剤が見付からない。「トイレの塩素洗剤で代用しようか」と思っていたら別の棚にあった。さすが業界NO1のセブンイレブンと感心する。

 

家へ帰って、イチゴのへたの葉を取って皿へ盛り、数の子と大豆の浸し豆に鰹節をかけた物を6皿作ってテーブルに並べる。祝箸、コップ、とり皿をそれぞれの座る前に並べ、お節料理を真ん中に置いた時に一家が到着した。

 

各自が自分の席に着席したところで、新年を祝い本年の無病息災を願って乾杯する。飲み物は、娘が帰りの車を運転するのでノンアルコールビールと温かい麦茶、長女と次女がコーラ、三女がグレープジュース、私はこの後車で墓参りをするので麦茶、お酒は婿殿一人となった。

 

子供の成長は早い。三人とも又一回り大きくなった。この春長女は中2、次女は小4,三女は小2になる。

 

長女は部活で野球部のマネージャーをし、生徒会の役員にも選挙で選ばれたそうだ。次女は身体は小さいが運動神経が良い。最近ダンスを始めて、センターを張っているという。三女は身体が大きく陽気で何をしても憎めないキャラクターだ。

 

わが家は、お節の後はすき焼きで締める。婿殿は去年は仕事で、一昨年はコロナで来れなく正月のすき焼きは3年振りだ。彼も期待していたと言うことで鱈腹食べてもらった。

 

13時、お腹がいっぱいになった一家が帰宅の途につく。買ったお菓子は自分の家で食べるよう土産に持たせた。5人が一度に居なくなると急に寂しくなる。

 

山のような食器を洗って正月恒例の墓参に出かける。彼岸やお盆ほどではないが、かなりの人がお参りに来ていた。 

 

お墓から帰ってやっと一息ついた。友人からのメール、年賀状に目を通す。

 

夜は久しぶりにゆっくりと「芸能人格付けチェック」を見ながら、お節をあてに熱燗の酒を嗜(たしな)み、寛(くつろ)ぐ。

 

このブログは去年から毎週一回日曜日に更新している。今日は日曜日なので短い文だけでもアップしようと22時頃書き始めたが、睡魔に襲われ断念した。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年最後のブログ

今年も押し迫り、余すところ一週間となった。  

 

昨年末同様今年も12月中旬に新潟県が豪雪となり、長岡、柏崎地方の国道の車が渋滞して立ち往生となった。市内では、車のマフラーが雪で埋まり一酸化炭素中毒の犠牲者も出た。私は車が雪で閉じ込められるというような経験はないが、もし自分がそういう場面に遭遇したとしたら、冷静で的確な判断ができるか心もとない。雪が降ったら車に乗らないに限る。

 

12月に入ってすぐに、5回目のワクチン(今回はファイザーで、副反応はほとんどなかった)を接種し、テニス、卓球の合間に年末正月の買い物、孫へのクリスマスプレゼント用意、年賀状書き等、慌ただしく過ごしたが、そんな師走の日常の中での出来事を列記します。

 

1⃣ 女の子

朝から気持ち良く晴れた師走のある日、二階のベランダで布団を干していたら、下の道路で、歩き始めたばかりと思われる女の子が、ヨチヨチと歩いているのが目に留まった。

 

近くで若いお母さんが見守っていたが、その子はお母さんとは反対方向にチョコチョコと走って行って転(こ)けた。泣くかと思ったが健気にも立ち上がり、又走り始める。1才ぐらいであろうかペンギンが走っているようで実に可愛い。今は歩いたり走ったりするのが面白くて仕方がない様子だ。

 

そこへ道路の反対側に若いお父さんが現れ、しゃがんで両手を広げ女の子に「お出で」と合図をする。女の子はお父さん目掛けて一生懸命チョコチョコ走って行って、両腕の中に飛び込む。お父さんは女の子を抱いて立ち上がり、お母さんと並んで去って行った。

 

ベランダからこの微笑ましい光景を見ていて、心が和んだ。お父さんは自分の腕の中に飛び込んでくる我が子を抱きあげて、幸福感に包まれ、「この子の幸せの為なら何でもするぞ」と思ったのではなかろうか。

 

静岡県裾野市の保育園で、1才の園児が虐待されるというニュースが報じられた。1才と言えば、この子ぐらいの園児だろう。保育士が園児を虐待とは信じがたいことだが、今保育士の労働環境はとても厳しいという。ストレスが蓄積した結果か分からないが、関係者は、原因究明を徹底して再発防止に努めて欲しい。

 

虐待した3人の保育士の写真が公開された。このニュースを聞いて、始めこの保育士は男性かとイメージしたが女性と知って驚いた。しかも3人ともキツイ感じは全く無く、朗らか(ほがらか)そうな普通の女性の写真で、もう一度びっくりした。先入観で人を見ては駄目だと悟る。

 

2⃣ 自治

今年度の自治会の役員をやって、9か月過ぎた。今年度もコロナの影響で、お祭りや運動会と言った行事が中止となったので、自治会関係に費やすマンパワーは相当削減され、助かっている。

 

12月の自治会会議で、会長から各地区長(私は地区長)に、来年度の班長、地区長予定者決め、その名簿を提出するよう通知された。

 

私の担当する6地区は4班あり、その内二つの班の班長選出はルール化(回覧板の回覧順)されているので問題ないが、2班の班長と4班から選出する地区長は明確なルールがないので、地区長としては頭が痛い。

 

2班は前年度二つの班が合併してできた班なので、来年度以降の班長選出ルールを、班構成員全体で話し合って決めればよいのだが、今年度の班長さんは動かない。仕方ないので、私が「合併前の班毎に順番を決め、一年ごと交互に班長を出す」という案を提案する。

 

来年度は、今年度の班長とは別の旧班から出してもらうよう、旧班で昔から住んでいる地元の名士と思しき昨年の班長さんに取りまとめをお願いしてきた。すんなり決まるか不安が残る。

 

4班は来年度地区長を出す班だ。4班の時期班長は一応順番が決まっているが、地区長の選出ルールは、今年度の班長さんは知らないし「そんなものは聞いたことが無い」と言う。

 

4班で昔から住んでいる家を数軒訪ねてヒアリングをする。その内の一軒で、かつて地区長を経験したお宅で、「地区長選出年の地区長は、その年の班長の順番となった家がなり、班長は次の順番の家がその年の班長を務める」というルールを教えてもらう。

 

このルールに従えば、来年度の地区長に該当するのは、今年の班長さんのお隣のKさんであった。早速Kさん宅を訪れると、若い男性が対応してくれる。この家の世帯主はその男性のお母様らしい。その旨を伝えると、少し困惑した様子で、母親と相談して後日返事したいという。

 

この訪問時に、Kさんには「地区長の役割について」という地区長の主な仕事等がびっしり書かれたA4の用紙を渡している。Kさん宅は新しく引っ越してきた家で、自治会の役員経験はないようだし、自治会活動の煩雑さから地区長を辞退するのではないかと危惧した。

 

無理に強要すれば、「それなら、自治会を退会する」と言いかねない。その場合はまた一から新しい地区長を捜さなくてはならない。

 

三日後Kさん宅を再訪する。玄関に出てきたKさんは「母と相談した結果、地区長をやらせてもらいます。自治会の経験がないので、どういうものか体験もしたいと思って」と言って引き受けてくれた。ホッと安堵した。

 

3⃣ マイナンバーカード

マイナンバーカードについては、今その必要性は全く感じられず、国が管理するデジタルシステムのセキュリティーがイマイチ信用できなくて、積極的に申請する気にはなれなかった。又2万円分のポイントを付与すると国が大々的に宣伝しているのも、天の邪鬼の私には「そんなものには惑わされないぞ」と反発していた。

 

そんな折、9月にケータイショップから「マイナンバーカードの申請をサポートします」というメールが入った。ケータイショップにはスマホの操作の件で相談する用事があったので訪問した。その際、軟弱な私は初志をコロッと変えて、ついでにマイナンバーカードを申請することにした。スタッフにサポートしてもらい、簡単に申請できた。

 

12月中頃、市から交付通知ハガキが届き、15日に市の窓口に行ってカードが交付され、ポイント付与手続きも完了した。

 

私のマイナポイントの決済サービスは、Pay Pay である。Pay Pay  は去年スマホを更新した時にダウンロードし、ケータイ会社から500ポイントチャージされているが、一度も使っていない。

 

そう私は恥ずかしながら、今では少数派の現金決済派なのだ。Pay Pay  には15000円分のマイナポイントが追加チャージされたので、遅ればせながら、これからは電子決済も併用していこうと思う。

 

早速文房具屋さんでボールペンを買った時に、Pay Pay  決済とした。一円単位のお釣りが出るような決済は、小銭入れが膨らまなくて便利だ。

 

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今年も残り一週間、大掃除や家の片付けは殆どしていない。今年も例年のように、最後の一週間で正月支度をすることとなった。又怒涛の一週間で、余裕なくバタバタと動き回って、疲れ果てるというパターンだ。分かっているのに改善できない。学習能力がないのだ。

 

ぐだぐだ言っても始まらない。やるきゃない!

 

ということで、今年のブログは今回が最後です。本年も拙いブログにアクセスしていただいた読者の皆さん、本当にありがとうございました。来年もよろしかったら又訪ねてみてください。それでは皆さん 良いお年をお迎えください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

柚木裕子「慈雨」

NHKラジオ深夜便を聴いていたら、作家の柚木裕子さんのインタビューが放送された。私はそれまで、柚木裕子さんに付いてはその著作は一度も読んだことが無かったし、直木賞か何かの文学賞候補として名前を聞いたような気がする程度の認識しかなかった。

 

ラジオのインタビュアーは、柚木さんの作品はどれも、心情描写が優れていると何度も何度も言うので、興味が湧いて彼女の作品を読んでみたくなった。

 

翌日、ネットで柚木裕子さんのことを調べてみた。

 

<柚木裕子さんのプロフィル>

昭和43年/1968年岩手県釜石市生まれの今年54才、山形県山形市市に在住して執筆活動をしている。家族は夫と成人した男女の子供。

 

 

平成20年/2008年「臨床真理」で第7回「このミステリーがすごい」大賞の大賞を受賞して作家デビュー

 

その後、「検事の本懐」で大藪春彦賞、「孤狼の血」では直木賞候補にノミネートされ、日本推理作家協会賞を受賞し、映画化もされている。「盤上の向日葵」では本屋大賞2位を獲得、その他にも受賞歴が多数あり、「令和のベストセラー作家」として人気の作家のようだ。

 

柚木さんの個人的なことでは、

柚木さんの生母は、56才の若さで他界した。父親は再婚して義母と岩手県宮古市で暮らしていたが、東日本大震災津波で実家と両親が被災した。行方不明の両親を捜して、遺体安置所を歩き回った辛い経験を持つ。

 

柚木さんの作品は、その美しいルックスからは信じられないような暴力団抗争を描いた「孤狼の血」や、硬派で骨太なものが多く、人間の心情表現には定評がある。彼女が小説を書く上で気を付けているのは、「登場人物の筋を通すこと、それぞれにとっての正義とは何で、それをどう貫くか描くこと」だという。

 

ここまで調べて、彼女の作品を読むことの期待が更に高まったが、さて彼女の数ある作品の中で、何から読み始めたらよいか悩む。

 

同じくネット記事を見ていると、「柚木裕子のおすすめ小説13選」で、「本の雑誌が選ぶ2016年度ベスト10」で第1位に選ばれた「慈雨」という作品が目に留まった。

 

本の雑誌」は、椎名誠やその友人目黒孝二が立ち上げた雑誌で、目黒孝二が編集長だった20年以上前、私は毎月購読していた。そして、この雑誌記事を参考にして本を買って読んでいたが、当たりはずれが無く感動的な作品に出会うことが多かった。

 

その経験から、私の読む最初の柚木裕子作品は、迷わず「慈雨」と決める。

 

集英社文庫の「慈雨」を楽天のネット通販で購入し、届いた日とその翌日の二日で読了した。

 

 

私は映画やドラマもそうだが、その予告編やあらすじは、極力見たり読んだりしないようにしている。先入観の無い真っ白の状態でその作品に接したいからだ。

 

この物語は、定年退職した主人公の神場が妻と四国歩き遍路の旅に出る。旅に出た矢先に、退職前に勤めていた管内で少女誘拐事件が発生し、それが16年前に神場が捜査した事件に酷似していた。それは解決していたが、神場には悔恨のある事件だった。元部下の刑事から定期的に状況連絡を受け、二つの事件に思いを馳せながら遍路を続けるというものだ。

 

私は、主人公が四国遍路すると知ったのは、読み始めてからなので、この作品により親近感を覚え、遍路の情景描写が私のへんろ旅を思い起こし、懐かしく読み進んだ。

 

私のへんろ旅の目的は、非日常の体験とかスポーツ感覚での達成感を味わう事、一期一会の出会いを楽しむこと等旅の要素が強いものだったが、遍路巡礼者の目的は、心の安寧を求めたり、贖罪であったり人により様々である。

 

この物語の主人公は、現役時代に関わった事件被害者の弔いの為と言う目的で歩き始めるが、旅の途中で、神場がこれまでに体験してきた不条理な出来事の数々を思い起こし、遍路に疑問を感じるようになる。

 

「・・・神場は巡礼をしている自分が愚かに思えてきた。辛い思いをしながら札所を回って、読経をし、仏に手を合わせる。そんなことをして何の意味があるのか。神も仏も無常だ。何人も救われることはない。・・・」

 

神場は「巡礼をやめようか」と思うが、途中でやめてしまえば、被害者たちの魂に顔向けできないと思い返す。そして、様々な人に出会い自己を見つめ直していく。

 

2ヶ月の遍路の末結願を迎えるころ、事件も解決に向かい、神場は巡礼を通してひとつの覚悟を固めていく。それは刑事としてと言うより、その前の人としての矜持を示すことであった。

 

読後感としては、将に作者の意図するところであろうが、組織への忠誠と正義への信念の狭間で葛藤する主人公神場の描写が上手く描かれている。

 

「組織と正義」は経済小説や警察小説では、よく取り上げられるテーマで、特に目新しいものでは無い。だが、神場が四国遍路をしながら、妻や娘のことを思い巡らし、過去と向き合い、自分と向き合い、正義とは何かを問いかけ続ける姿には共感を覚えた。

 

作者の柚木さんは、この作品について、「生き直すことをテーマに書きたかった。過ちを犯し、後悔の念を抱いていない人は少ないと思う。生き直さなければならないと思う場面に遭遇した時に、どう向き合って決着をつけるかが問われる。」と語っている。

 

主人公の神場が、一つの答えを示している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

へんろ日記 最終回(番外編3)

11月20日にアップした「へんろ日記番外編2」の続きで、「へんろ日記」は今回が最終回です。

 

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12月12日(火)(晴)2017年/平成29年

<51日目 熊野本宮→新宮→相賀→馬越峠→尾鷲>

 

旅も終盤に入り、今日は熊野古道伊勢路で人気の高い「馬越(まごせ)峠」を歩いてみようと思う.

 

 

4:00 昨夜一軒家の民宿に一人で宿泊して起床。この宿とスナックのオーナーである若いママさん夫妻は、4時に車で京都に出発している。昨夜遅くまでへんろ話に付き合っていただいたお礼のメモを書く。

 

8:30 本宮から新宮行のバスに乗車 バスは「日本最古の湯」とも言われている「湯の峰温泉」に寄ってから、熊野川沿いの国道168号に出る。

 

最前列の運転席の隣に座って窓外の景色を楽しむ。山中の道は狭く急カーブの連続で、バックミラーが道端の岩に衝突スレスレで通過する。肝を冷やしながらも、「さすがプロの運転手さん」と感心する。

 

昨夜ママさんが作ってくれた朝食用のサンドウィッチをバスの中で食べる。美味。

 

9:50 新宮着 ここから我が家の最寄り駅までのJR切符を通しで買った。

 

10:24 JR紀勢線紀伊長島行に乗車。車内でママさんの作ってくれたもう一つの弁当「炊き込みご飯の握ったもの」を食べる。サンドウィッチもこのおにぎりもレストランかホテルで作ったもののように洒落た包装用紙に包まれ、味も抜群で大満足する。

 

11:49 相賀着 ここから馬越(まごせ)峠登り口まで、国道42号を歩く。透明度が素晴らしい銚子川の流れを眺めながら橋を渡っていて、地元の女子高校生二人連れに追いついた。学校帰りの様子、この時間だと期末試験中か?

 

並んだ時に「馬越峠登ったことある?キツイかな?」 と声をかける。普段は知らない女子高生に声をかけることは絶対ないが、旅が長くなって、声かけの抵抗感が薄らいだようだ。「尾鷲側から登ったけれど、キツクてバテました。」と笑顔で答えてくれた。

 

12:30 登山口 登り始めて少し行くと美しい石畳道が2㎞ほど続く。

 

        写真ACより   「うな~」さんの作品

 

この石畳道は熊野古道のポスターによく使われている。峠下は急勾配の坂道だ。

 

13:15 馬越峠 女子学生に登りがキツイと言われたので、覚悟したが案外と楽に登れた。見晴らしは無い。

 

13:35 展望台 熊野灘の展望を期待したが、見えたのは尾鷲の町のみだった。

 

歩きやすい登山道を快適に下って尾鷲市街に入る。

 

時間が早かったので、港へ寄ってから尾鷲の町をぶらぶら歩きながら、駅前のビジネスホテルへ向かった。

 

14:50 ホテル着 ホテルの外観はイマイチだったが、室内の設備は気に入った。機能的な広い机と照明が配され、ベッドメーキングもキチキチに上掛けを固定していなくて満足する。

 

マスターがお茶のペットボトルをサービスしてくれた。純朴そうな感じで好感が持てた。

 

17:00 割烹料理屋N 明日帰路に就くこととしたので、今夜がこの旅の最後の夜だ。最後の夜を美味しい料理でも食べて締めくくろうと、ホテル近くのこの店を訪れた。

 

早い時間なので店の人も相手してくれるかと期待したが、店へ入ると大将と弟子の板前が一心不乱に魚を捌(さば)いている。今晩この店で忘年会が開かれるようで、今はその仕込みの真っ最中なのだ。

 

そこへ見知らぬ男がふらりと入ってきたものだから、「この忙しいところへ、何だこの男は?」と言う顔をされる。宇和島の居酒屋へ入った時のような雰囲気で居心地の悪さを感じる。

 

気を取り直して、お酒別で5000円のお任せ料理を注文。大将も商売だから忘年会料理の仕込みの合間に、サザエのつぼ焼き、刺身の盛り合わせ、おこぜの煮付け、牛鍋、天ぷら等を作ってくれた。

 

お酒も入って、黙って飲んでいてもつまらないので、弟子の板前に話しかけると、笑顔で返答してくれたが、大将に笑顔はない。大将に130回へんろで四国を回った人の話をすると、「1回で十分ではないか」と言う。バカじゃないかとでもいう物言いだ。

 

私はそれを聞いて大笑いし、「そうだよな、興味や関心のない者にとっては、そんな話面白くもなんともないよな」と納得した。

 

お酒とお茶漬けを足して9000円を払って店を後にする。

 

よくテレビの旅番組で、地方の酒場でその土地の話を聞いたり、勧められる地酒を飲みながら和気あいあいと談笑している場面がある。私も地方の酒場へ入る時は、そのように初めての見知らぬ土地で、店の主人や地元の人たちと、都会では聞けないようなその土地ならでは話が聞けるかなと期待する。

 

しかし今回の旅で訪れた宇和島やこの尾鷲のお店は、いずれもそのような酒場ではなく、地元の常連以外の一見(いちげん)の客に対しては、どちらかというと排他的で居心地も悪かった。

 

ただ、世の中には素敵な酒場も数多くあるはずで、もっと沢山の酒場を訪れていれば、地元の話が聞けるようなお店にも巡り合っていたと思う。

 

20:00 コンビニ寄ってホテルへ戻り、マスター夫妻から近年のビジネスホテル経営の難しさ等の話を聞いて、就寝する。

 

12月12日の歩数 19,800歩    歩行距離 12.9㎞

 

 

 

12月13日(水)(晴)

<52日目 尾鷲→三野瀬→伊勢神宮→名古屋→自宅>

 

いよいよ旅の最終日、伊勢神宮へ寄って帰ろうと思う。

 

7:32 尾鷲 紀勢線上り普通列車に乗車、旅の終わりに静かな海岸の波打ち際に座って、波の満ち引きをゆっくり見ようと、スマホ地図で海岸に近い駅を捜す。それが三野瀬駅

 

8:20 三野瀬海岸 駅から歩いて20分ほどの海岸だが、少し先に無粋な防潮ブロックが並び、波はほとんど無く、当初の目的は果たせなかった。

 

 

9:00 三野瀬駅に戻って、9:34の多気普通列車を待つ。ホームで紀伊長島の歯医者さんに行くお婆ちゃんと立ち話をする。昔名古屋に住んでいたという小さなカワイイお婆ちゃんだった。

 

11:53 多気参宮線に乗り換えて、伊勢市駅着 この時はコロナ前で、伊勢参りの観光客はかなりいた。

 

12:00 外宮参道の土産物兼うどんや 土産物コーナーは消灯しており、店はやっていないかと思ったら、ボソッとお婆ちゃんが現れた。やまかけとろろ伊勢うどんを注文する。真っ黒な汁(つゆ)のグタグタに柔らかいうどんだ。見た目よりしょっぱくなかった。

 

店の入り口に「無料で荷物預かります」との看板があったので、「大きくて三つもあるがいいか?」と訊くと、OKとのこと。入店時声も無く、不愛想なお婆ちゃんだと思ったが、よく見ると、顔立ちも良くカワイイお婆ちゃんだった。

 

12:30~14:00 ザック、さんや袋、スゲ笠をお婆ちゃんに預けたので、荷物はスマホと財布を入れたナップザックのみの軽量となり、高速で外宮-内宮をお参りした。両宮間はバスを利用し、一時間強で回って来た。

 

 

 

最後の最後までセッカチな性格が現れた。 

 

14:20 伊勢市駅 ここから快速みえ号で名古屋に出て新幹線で帰る。

 

19:19 帰宅

 

12月13日の歩数 17,600歩    歩行距離 11.4㎞

 

 

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以上で2017年(平成29年)10月22日から12月13日まで旅した私の二回目の四国遍路旅とその後の追加旅が終わった。一番霊山寺からを一日目と数えて52日、自宅から霊山寺までの出発日を加えると、52泊53日の長旅だった。

 

「へんろ日記」は、昨年10月26日このブログに1回目を掲載し、以降非定期で連載したので、最終回までに1年以上を要してしまった。何とか最後まで書き終えて安堵している。

 

 

旅の総括

1⃣ 成果 今回も沢山の素晴らしい方々とお会いし、一期一会の貴重な体験をさせてもらった。53日間の非日常を満喫し、達成感も味わえた。

 

2⃣ 88カ寺 皆それぞれ個性豊かでで味わい深かったが、その中でも下記のお寺さんが心に残った。

2番 極楽寺: 小さいが清潔感があって気持ち良い

12番 焼山寺: 渋い 荘厳

17番 井戸寺: 薬師如来の姿が美しい

27番 神峯寺: 遠くに土佐の海 静かな山寺

29番 土佐国分寺質実剛健といった趣き

40番 観自在寺:どこか懐かしい地元に根付いたお寺

46番 浄瑠璃寺:境内が掃き清められ、納経の女性が、とても親切

52番 太山寺:堂々とした山寺

58番 仙遊寺今治や瀬戸内海が一望できる、宿坊は塵一つなく清潔 温泉ホテル並み

64番 前神時:渋くて雄大で奥深い

70番 本山寺五重塔、白馬像が静かな寺にマッチしている

84番 屋島寺:大きいが境内が清らかで気持ち良い

86番 志度寺:どっしりとした重厚なお寺

 

3⃣ ベスト3

① 美味しかったもの

室戸岬手前の民宿で出された天ぷら(客が座席に着いてから揚げる)

愛媛県北条の旅館の鯛めし、鯛のひれ酒

香川県高松市鬼無のぶっかけうどん/かき揚

 

② 絶景

・土佐 横浪スカイラインから見た土佐湾

高知県土佐清水市竜串海岸から見た朝日

・82番根来寺から鬼無へ下る県道から見た瀬戸内海

 

③苦しかった道

・12番焼山寺手前のへんろ転がしNo6

・88番大窪寺手前の女体山

九度山からの町石道(雨/雪の中登る)

 

④快適な道

・旧土佐電鉄廃線路のサイクリングロード

・66番雲辺寺から長時間下った後の緩やかな下りの県道

高松市国道11号線の歩道

 

⑤雨/雪

愛媛県内子~久万高原の山中の雨

松山市内のどしゃ降りの雨

・88番から1番へ向かう時の吹雪

 

⑥ へんろコースの伝統工芸

徳島県 藍住町藍染(2番、3番近辺)上板町の和三盆(6番近辺)

愛媛県 内子の和ろうそく、菊間の鬼瓦

香川県 鬼無の盆栽

 

⑦「おう!」と声が出るほど感動した所

・高架の「しまなみ海道」を地上からループ道を上り、本線と合流し眼下に瀬戸内海の島々が見えた時

・町石道を登って高野山に出て、目の前に巨大な大門が現れた時

中宮寺弥勒菩薩に合えた時

 

4⃣ 今回の旅を一言で言うと

「行って良かった!!」

ちなみに初回の旅は

「苦しいけど楽しい!!」

 

 

                 ー終わりー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

師走になって

今年も早いもので、もう師走になってしまった。グータラな性格で普段は家の整理整頓、清掃をいい加減にしており、歳末に一度にまとめてしようとして疲労困憊するのが常なので、私は師走が嫌いだ。

 

そう思うのなら、今からでも少しづつ掃除や片付けを始めればいいのだが、学生時代の試験勉強と同じで、ギリギリにならないとその気になれない。今年も12月の下旬頃までは、いつもの生活が続くのだろう。

 

1⃣ ウクライナ情勢

ウクライナでは、ロシアが、ウクライナ発電所等のインフラ施設を破壊する為のミサイル攻撃をしており、これによってウクライナ都市部の停電が常習化している。冬になって首都キーウの気温はマイナス20℃にもなるそうで、停電により暖房が滞り市民生活は多大なる犠牲を強(し)いられている。

 

ロシアのインフラ施設への攻撃は、人道的にも許されざる行為で、国際的にも非難されているが、そもそもウクライナへの侵攻自体がプーチン大統領の独善的思考に基づくものなので、大統領の耳には国際世論などはどこ吹く風なのだろう。

 

自由に暖房を取れる遠く離れた平和な日本では、キーウ市民の苦難をどの程度理解できるかは分からないが、彼らの塗炭の苦しみには常に思いを馳せていたい。

 

2⃣ 新型コロナ

国内では、新型コロナが第8波の波に入り、感染者が連日増え続けている。国内の新規感染者数は12月2日現在11万人弱、東京都1.1万人強となったが、これまでと比べ、国民の警戒心は相当緩くなったように感じる。

 

ニュースの扱いも初期と比べ随分小さくなった。国は8波が拡大している中で、外国人の入国制限や国民への行動制限はしていない。厚労省は11月末に、新型コロナを感染症法の「2類相当」からインフルエンザ並みの「5類相当」に見直す検討を本格的に始めると発表した。

 

このような状況なので、国内観光地は8波が拡大中ではあるものの、秋の行楽期もあって、かなりの人出で賑わっているようだ。

 

私の感覚でも先月初め名古屋へ行った時、名古屋駅の混雑ぶりにはびっくりした。私の周りでは火曜テニスの仲間が、全国旅行支援(県民割)を利用して、北九州の実家へ行ってきたとか、水曜テニスの仲間は同じく県民割を利用して北海道へ観光旅行してきたとの報告を聞いた。それぞれかなりお得な特約があったそうで、目的地の人出もかなり多かったということだ。

 

コロナ禍となって3年、私を含めた国民の大半は、自粛自粛の自粛生活には、いい加減うんざりし、息抜きしたくなるのは当然だと思う。

 

8波が拡大しても、国や行政主導の行動制限は不要で、各個人が自分で判断して、ワクチンを接種し、感染症対策を徹底すれば、このままの生活を続けてもいいのではないかと思う。

 

そのワクチンだが、先日5回目の接種案内(12月4日)ハガキが届いた。私のワクチン接種歴は、1、2回目がファイザー、3、4回目がモデルナである。1~3回目は接種後、特に異常はなかったが、4回目は、打った後2日間腕の痛みと、かなりきつい倦怠感に襲われた。

 

また4回目のような症状が出ると嫌だなと接種に気が進まなかったが、今回の5回目はファイザーのオミクロン株、BA4-5対応ということで、重症化を予防する為にも打っておこうと思う。

 

3⃣ 師走初めの日常

スーパーには、お正月用の鏡餅やしめ飾りが並び始めた。スーパーレジ係のHさんは、私の顔を覚えてくれたようで、私が買い物かごを台に乗せると、「レジ袋は、大3、中2ね」と言ってからレジを打ち始める。(ゴミ出し用にこの袋を毎回買っている。)

 

一週間分の買い物をして、帰宅後冷蔵庫等へ収納すると、ホッと一息つき何故か喉が渇く。いつもここで、オハギをお茶請けにしてお茶を飲んだり、ホットミルクや暖かい甘酒を飲む。師走の昼下がり、至福のひと時だ。

 

師走に入っても、来年のカレンダーと日記帳を買いに行ったり、年賀状の準備をするくらいで、週2回のテニスと卓球、金曜日のリハビリ通いの生活は変わらない。先週雨でテニスが中止となった翌週、久しぶりにテニス、卓球を連チャンで目いっぱいプレーし帰宅したら、どっと疲れを感じた。

 

夏の盛りに大量に汗をかいて、疲れることは何度もあったが、冬で汗もそんなにかかないのに疲れを感じるとは、やはり加齢による体力減退かと寂しい思いになる。

 

H卓球の練習後、いつものように同年のSさんと、近所のMACへコーヒーを飲みに行った。このMACは11月初めから店内改装で休店し、11月28日に新装開店したばかりだ。店は明るく綺麗になり、コロナ対策のアクリル板は撤去されていた。

 

Sさんは、早朝のラジオ体操を主催しており、毎朝6:10にラジオを持って広場へ行き、参集者と体操をして帰ってくるそうだ。今年で19年、来年は20年目に入るという。その継続力には敬服する。

 

 

4⃣ リハビリセンター

金曜のリハビリセンターで、右手足のリハビリに通っている利用者のYさんが、病気発症前は卓球をしていて試合にも出場し活躍していたと知った。私が参加している S卓球サークルにも、別のクラブチームから試合出場している卓球の上手いKさんという女性がいる。

 

Yさんに「Kさんって知ってる?」と訊くと、知っていると答えた。「Kさんは上手くって初めのころは全然勝てなかったが、病気前には少し勝てるようになった。」と言う。

 

S卓球サークル開催日に、Kさんに「Yさんをご存じですか?」と訊くと、その時は思い浮かばなかったようだ。後日Kさんから私に電話があり「多分若くて可愛い人で、最近急に上手くなった人だと思う。確認したいので次に会う時、許可がとれれば彼女の写真を撮って来て欲しい」と言われた。

 

翌週リハビリセンターで、Yさんが「今の姿を昔の知人に知られるのは嫌だ。」と思っているとしたら、「写真を撮らせて」と言うのは失礼な気がして、言い出せずに躊躇した。しばらくして断られるのを覚悟で話すと、あっさりOKしてくれた。バイクマシンに座っているYさんを撮らしてもらった。

 

その後Yさんは、私がストレッチトレーニングしているところへスマホを持って現れ、昔卓球をしていた頃に仲間と撮った集合写真を見せてくれた。なんとその写真のYさんは長髪で(現在のYさんは短髪)、短髪の姿しか知らない私には全く別人に見えた。(女性は髪型で印象が大きく変わるものだ。)

 

先程撮らせてもらった短髪のYさんの写真では、Kさんも分からないかもしれないと、集合写真を拡大して私のスマホに写した。

 

次のS卓球サークル練習日に、Kさんに、二枚の写真(長髪の昔のYさんと短髪の現在のYさん)を見せると、「そうよ、私が思ったのはこの方よ」と言って、もう3年以上も会っていないYさんを懐かしんだ。

 

Kさんは、「卓球が強くなってきた時だけに、病気になって残念ね。悔しい思いをしたんでしょうね。」と言い、Yさんへのお見舞いと「リハビリに励んで、又卓球ができるよう祈っています」とのメッセージを預かった。

 

世の中広いようで狭いものだ。私が仲介となって、YさんとKさんが繋がった。

 

 

5⃣ おまけ

今回も今の時期に相応しい動画「秋冬」を貼付します。

 

「秋冬」 作詞:中山丈二  作曲:堀江童子  歌唱:原 大輔

 

この曲は中山丈二の遺作である。1983年から1984年にかけて複数の歌手によって競作された。高田みずえ三ツ木清隆の歌唱も魅力的ではあるが、私は原大輔の歌唱が一番好きだ。彼の歌声を聞くたびに「何と良い声なのだろう!」「なんて歌が上手いんだろう!」と感嘆する。

 

 しゃれた日焼けに 涙が流れる

 ああ秋かしら

 やさしく説くように 別れを告げた

 あなたでした

 心の水面に さざ波が立って

 ああ秋ですね

 鏡を見つめて 小さな声で

 一人でつぶやく秋の詩(うた)

 季節の変わり目を

 あなたの心で知るなんて

 もう恋も もう恋も 終わるのね

 

 好きな曲ばかりラジオに流れる 

 ああ秋かしら

 私の我儘(わがまま)にいつも微笑んだ

 あなたでした

 遠い空から 枯葉が舞って

 ああ秋ですね

 あなたが返した合鍵が似合う

 無口な私になりました

 季節の変わり目を

 あなたの心で 知るなんて

 もう恋も もう恋も 終わるのね

 

 別れの北風が

 あなたと私に吹き込んで

 もう冬も もう冬も 近いのね

 


www.youtube.com

 

九州場所の朝之山

名古屋場所で三段目から復帰した朝之山が三段目優勝し、翌秋場所では幕下15枚目となり、ここでも優勝すれば、九州場所十両昇進が約束された。しかし6番相撲で勇麿に突き落とされて、復帰後初黒星を喫しこの場所は6勝1敗で終わる。(幕下以下の取組は7番)

 

朝之山はこの敗戦に非常にショックを受け、取組後には引退も頭をよぎったという。自分を応援してくれる人が沢山いることを思い出しその人たちの為にも、もう一度頑張ろうと思い直したそうだ。

 

後に朝之山は、「あの1敗があったからこそ、今後の相撲人生につながる。将来『あの1敗があったからこそ』と言えるようにしたい」と気持ちを切り替えた。

 

そして迎えた九州場所、朝之山は東幕下4枚目となり、ここで好成績で(できれば優勝して)十両に上がりたいところだ。

 

令和4年一年締めくくりの九州場所は、11月13日から始まった。幕内は横綱照ノ富士が初日から休場し、今場所も上位陣は、大関貴景勝を除いて、大関正代、大関から陥落した関脇御嶽海の成績は芳しくなく、正代はカド番で負け越し、来場所の大関陥落が決まってしまった。代わって関脇豊昇龍と平幕の高安、阿炎、王鵬、錦富士、輝が健闘し、この場所を盛り上げてくれた。

 

朝之山も早く十両、幕内と昇進し、幕内の優勝争いに加わって、活躍してもらいたいものだ。

 

今場所の朝之山の取り口を見てみよう。

 

          4番相撲徳勝龍戦  右が朝之山

 

 

1⃣ 初日 1番相撲

対戦相手:大成龍(幕下3枚目)  先場所の幕下優勝力士

勝敗、決まり手:○(勝)寄り切り

取り口:朝之山は、立ち合い直ぐに右を差し、左上手をとって自分の形になると、少し寄ってから上手投げを打ちながら寄り切る。

 

※この取組のNHK動画再生ランキングでは、幕内力士の取組を抜いて1位となった。

 

2⃣ 3日目 2番相撲

対戦相手:大翔丸(幕下5枚目)元平幕、平幕時代朝之山と対戦して5戦5勝している。

勝敗、決まり手:○(勝)、寄り切り

取り口:朝之山は、右を差して左の上手に手がかかると一気に寄り切る。過去の対戦成績は全く関係なく、朝之山の格の違いが感じられた。

 

 

3⃣ 5日目 3番相撲

対戦相手:白鷹山(幕下5枚目)元十両

勝敗、決まり手:○(勝)寄り切り

取り口:朝之山は、立ち合い鋭く踏み込んでもろ差し、胸を合わせるとすぐさま前へ出る。身長体重で自分より大きい相手に、しっかり圧力をかけて寄り切った。

 

 

4⃣ 6日目4番相撲

※朝之山は幕下であるが、成績が好調なので十両との対戦が組まれた。

対戦相手:徳勝龍(十両12枚目)近畿大学相撲部の先輩で、’20年初場所の幕内優勝経      験者、朝之山も’19年夏場所に幕内優勝しているので、幕内優勝経験者同士の対戦と話題   になる。

朝之山の幕内時代の対戦成績は、1勝1敗、初回は引き落としで負けている。

 

勝敗、決まり手:○(勝)押し出し

取り口:朝之山は、立ち合い鋭く踏み込んで攻め込み、土俵際での引き落としを警戒し、離れた時に相手を見て押し出して、徳勝龍に反撃を許さなかった。

 

髷(まげ)の大銀杏は十両以上でないと結えないが、朝之山は、この日復帰後始めて十両力士と対戦する為、十両の土俵に上がるので、昨年夏場所以来548日振りの大銀杏姿で登場した。朝之山も床山で大銀杏を結ってもらった時は感慨も一入(ひとしお)だったようだ。

 

対戦後朝之山は、「今日は大銀杏で黒まわしだったので、来場所は関取(十両)になって締め込みをして15日間戦いたい。」と記者にコメントしていた。

 

 

5⃣ 9日目5番相撲

対戦相手:湘南の海(幕下2枚目)

勝敗、決まり手:○(勝)、寄り切り

取り口:朝之山は当たって右をねじ込み、左上手も取って得意の右四つで寄っていく。土俵際で焦らずにこらえて寄り切った。

 

 

6⃣ 11日目6番相撲

※この一番も幕下の取組ながら、NHK動画再生ランキングでは幕内取組を抑えて1位になった。

 

対戦相手:玉正鳳 (幕下23枚目) 

勝敗、決まり手:● (負 け)、はたき込み 

取り口:玉正鳳がもろ手突きで朝之山の身体を起こした後、朝之山を引っ張り込みながらまわり込んで突き放す。朝之山はたまらず土俵外へ自分から飛び出した。

 

またも、先場所に続き鬼門の6番相撲で敗れた。5番相撲まで危なげなく快調に勝ち星を連ねてきたのも全く同じ展開だ。

 

朝之山の敗戦の弁「あごが上がって、引きについていったのが駄目だった。土俵際の詰めが甘かったです。負けたことは凄く悔しいけれど、もう一番ある。切り替えないと上にいけない。」

 

7⃣ 13日目 7番相撲

対戦相手:上戸(幕下10枚目)

勝敗、決まり手:○(勝)、寄り切り

取り口:朝之山は立ち合い右の肩で当たって右を差し、左上手を取るとそのまま前に出て寄り切った。

 

これで九州場所の朝之山は、幕下4枚目で6勝1敗の成績で終わった。今年最後の一番を取り終えて、朝之山は次のように言っている。

 

「今場所も優勝を目指してやってきたので、達成できなかったことが悔しいです。ここ一番で力を発揮できない自分が弱かった。来年はそれを克服して一番一番力を発揮できるようにしていきたい。」

 

朝之山が復帰してからの、3場所の成績は19勝2敗、元大関であるから、幕下以下の相手には、勝って当たり前と言われるかもしれないが、連勝を続けることは並大抵のことではないと思われる。

 

朝之山は、右差し左上手をとって、右四つで寄るという盤石な自分の型を持っており、勝った19勝はいずれもこの形で短時間に勝っている。見ていて危ない場面が全然ない。

 

今後朝之山が関取(十両以上)になった場合、貴景勝や大栄翔、玉鷲のような張り手の押し相撲の力士や、動き回る翔猿や小兵力士の対策をしっかりとれば、順調に勝ち星を連ね、優勝争いに加わって、十分優勝も狙える実力があると思う。

 

横綱白鳳の宮城野親方は、6日目の11月18日に朝之山の状態について、下記のコメントをネットに投稿している。

 

「自分から積極的に圧力をかけ、初心に戻って土俵に立っている印象をうけます。実力がある上に、心と体のバランスがあっていると相手は何もできないです。

 

元々、右四つという自分の型がありますし、完成に近いレベルです。今は精神面の強さを見つめ直している段階でしょう。更に心を鍛え、横綱を狙える精神力を持って、大関の地位に返り咲いて欲しいですね。」

 

来年初場所の番付は、優勝していれば十両昇進が確実であったが、1敗しているので十両下位力士や幕下上位力士の成績との兼ね合いもあって、正式には番付編成会議の結果を待たねばならない。

 

一ファンとしては、年が明けての最初の場所は、晴れて関取に返り咲いて、大銀杏を結い締め込みをして土俵に上がる姿を見てみたい。

 

幕下でありながら、NHKの動画再生ランキングでは何度も1位を取るということは、現状の幕内相撲には不満を持った「朝之山待望論」の相撲ファンが多く存在すると言う事であろう。

 

来場所以降の更なる活躍を祈る。

 

 

へんろ日記 番外編 2

10月23日にアップした「へんろ日記番外編1」の続きです。

 

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12月10日(日)(曇)2017年/平成29年

<49日目 大和郡山市→八木→藤原京跡→明日香村

→八木>

 

5:00 昨夜泊まった大和郡山のホテルは、風呂が天然温泉で浴室も気持ち良いものだったので、この旅で始めて朝風呂に入る。

 

6:30 朝食 昨日の天理のホテルの簡素な朝食に対して、今日はバイキング形式で充実したものだった。

 

7:33 近鉄橿原線筒井駅から大和八木駅まで乗車

 

8:00 八木駅近くのホテルKに今夜の宿をとる。ザック等の荷物をホテルに預ける。

 

8:30 明日香方面に向けて歩いて出発、 八木の町は、昔の街道の面影が残っており、その古い商家が連なる通りを通り抜けて、JR桜井線の踏切を渡る。北に耳成山(みみなしやま)、東に香具山、西に畝傍山(うねびやま)の大和三山を眺めながら、住宅地を更に南へ進むと藤原宮跡に着いた。

 

9:10 藤原宮跡 藤原京壬申の乱により即位した天武天皇の計画で作られた飛鳥時代都城平城京に遷都されるまでは、日本の首都だったところだ。今は何てことはないただの広場だ。

 

 

最近ここに300万本のコスモスが植えられ、今年の10月23日付け毎日新聞に写真が掲載されていた。

 

 

10:00 香具山の麓を通って飛鳥寺

飛鳥寺は、蘇我馬子が発願して588年に創建された日本最初の寺で、本尊の飛鳥大仏は609年推古天皇が鞍作鳥(止利仏師)に造らせた日本最古の仏像である。

 

 

テレビ等で良く紹介されるので、見慣れた顔だ。高さ3mであるが、現物を見るとそんなに大きく見えなかった。

 

 

11:30 昼食 観光客相手の旅館が営む食堂に入る。店内はストーブが焚かれ暖かくホッとする。客は私一人。にゅう麺、葛、柿の葉寿司他のセットを注文する。奈良らしい料理で美味しかった。

 

12:20 石舞台 横穴式石室を持った方形墳で、7世紀初めの築造と推定され、蘇我馬子の墓ではないかとも言われている。玄室は長さ7.7m、幅3.5m、高さ4.7mで大小30数個の花崗岩が使用され、天井の石の重さは北側64トン南側77トンの巨石である。

 

クレーン等の重機の無い時代、これらの巨石をどのように据え付けたか興味深い。

 

        写真ACより   cloudshipさんの作品

 

 

14:20 明日香村、橿原神宮近辺を古(いにしえ)の飛鳥時代に思いを馳せながら散策し、八木のホテルに戻った。

 

12月10日の歩数 33,200歩   歩行距離 21.6㎞

 

 

 

12月11日(月)(曇)2017年/平成29年

<50日目 大和八木→十津川→熊野本宮>

 

奈良、明日香の旅を終えて今日は、大和八木から「日本一長い路線バス」に乗って熊野本宮に向かう。この路線バスは大和八木駅和歌山県新宮駅を結ぶ奈良交通バスの八木新宮線だ。全長170㎞、バス停の数168(そのほとんどは通過だが)終点までの所要時間6時間半、路線バスだが、途中3回休憩がある。

 

今年の10月から、停車停留所が半分となり、所要時間が30分程短縮された特急バスが運行されるとニュースが報じていた。

 

7:40 ホテル出発

 

8:00 八木駅前 9:15のバスの切符販売は9時からだと言われ、外で待つのは寒いので、駅前ビルのロビーに入る。警備員のオジサンがいて立ち話をする。

 

この男性、明日香村に住む68才。私が旅を続けて今日が50日目だと言うと、自分は、たまの休みに大阪へ行って遊んでくるのが精いっぱいで、私のことを羨ましい羨ましいと言う。関西人らしく、ストレートに「お金はどのくらいかかるの?」と聞いてきた。

 

9:15 八木駅発 八木駅から乗った乗客は、3人組の観光目的らしいオバサン、大阪のオジサン(一人旅かと思ったら、五条で仲間が5人乗ってきた。)それに一人旅の女性と私の計6人だった。五条までは、街を走る普通の路線バスだ。

 

五条からバスは奈良の山奥に入っていく。目的地までは5時間以上の長旅で、客も少なく人恋しくなったのか、前の席の一人旅の女性が「へんろしているんですか?」と私に声をかけてきた。

 

それから、移り行く窓外の絶景を見ることも忘れて、彼女と話し込んだ。

 

彼女は小田原生まれで、大井町、相模原、名古屋、と引っ越し今の住所は千葉の市川。相模原在住の高校時代は県内の名門A校に通い、剣道部で活躍し、今でもその時の仲間と合っているという。

 

名古屋時代は、私の実家の直ぐ近くに住んでいたようで、不思議な縁を感じた。

 

今はキャリアウーマンのようで、「ビルの窓から見る朝日が素晴らしい」と言っていたので、仕事で徹夜になることもある様子だ。仕事をガンガンして、一段落したら一人旅をするのが、彼女の流儀らしい。今回は那智が最終目的地と言っていた。

 

12:25 上野地 二回目の休憩地点、20分の休憩、売店でめはりずし(高菜の浅漬けの葉でくるんだおにぎり)を買う。これは熊野や吉野地方の郷土料理だそうで、初回へんろの時初めて目にして買って車内で食べたら、素朴な味で凄く旨くて感激した。

 

バス停から3分程に「谷瀬の吊り橋」があるので、一人旅の女性と見物に行く。この吊橋は、長さ297m、高さ54mの生活用としては、日本最長だったそうだ。風が強くて寒く早々とバスに戻る。

 

 

13:55 十津川温泉 始発から乗車したオバサンの3人組、大阪の男性グループ、一人旅の女性はここで下車した。一人旅の女性とは将に「一期一会」の出会いで名前も告げずに別れた。

 

14:50 熊野本宮 下車数分前に車内で切符がないことに気付く。どこを探しても見つからない。思うに、吊り橋へ行った時、羽織った上着のポケットから強い風で吹き飛ばされたのではないか。

 

下車時、ここまでの運賃3950円の再支払いを覚悟して、運転手さんに話すと、彼は八木駅バスセンターに電話したが繋がらない。「お客さんを信用して」とそのまま降ろしてくれた。へんろ姿が信用させたか、何と親切な運転手さんか、何と幸運なことかと感謝する。

 

15:00 熊野本宮大社に、へんろが無事終了したことの報告と、これからの旅の安全を願ってお参りに行く。

 

       写真ACより    よしかっぱ さんの作品

 

熊野本宮大社は、全国3000社ある熊野神社総本宮で、熊野速玉大社、熊野那智大社と合わせて熊野三山を形成している。この時参拝客は数人しかいなかった。

 

15:10 参拝後、スナックYに行く。ここは、最初のへんろの帰りにも寄った所で、ここの女性オーナーはスナックから少し離れたところに一軒家の宿を経営しており、食事はスナックで、宿泊は一軒家でというシステムになっている。

 

三十代位の若いママさんは、初回の時も私のへんろ旅に非常に興味を持ってくれ、色々と質問されたので、へんろ旅の様々を話した。二度目の今回も、旅の話を聞きたいとのことで、スナックでの夕食を挟んで長時間に渡ってへんろ地図とスマホの写真で彼女に説明する。

 

彼女は翌日彼女の旦那さん運転の車で、朝4時出発して京都のあるお寺さんに行く用事があるらしい。そんな時に遅くまで私の話を聞いてくれ、私は大変な迷惑をかけたものだと恐縮した。

 

22:00 彼女は、宿泊する一軒家まで送ってくれ、翌日の朝食とお昼の弁当を私に渡して別れた。

 

 

12月11日の歩数 7,340歩    歩行距離 4.8㎞

 

 

              ー続く(非定期)ー