夕食時(ゆうしょくどき)

朝食はしっかり食べ、昼食は抜くか、食べてもごく軽いものにしているので、いつも夕食は早い時間に採っている。S卓球が17時に終わる時を除いて、15時から夕飯仕度をして16時頃には食卓に着く。

 

深酒はしないが、毎晩晩酌をしている。冬のこの時期は、清酒の熱燗が嬉しい、燗には端麗辛口が合う。お酒の「あて」としては、寒い季節は、毎晩湯豆腐を夕食の献立の一品に加えている。熱燗に湯豆腐、まことに相性がよろしい。

 

冬は、大鍋に鱈(又は鯛、鰤など)つみれ、ホタテ、牡蠣、キノコ類(霜降り平茸、しめじ、舞茸、エノキダケなめこ)、大根、人参、ねぎ、白菜を入れ、これにお酒を足(た)して煮込んでおく。

 

これを小鍋に分けて、湯豆腐の場合は豆腐を加えて、鱈ちり湯豆腐としてポン酢で頂く。私は麺類が好きなので、小鍋を醤油仕立てにして、煮込みうどん(きしめん)にしたり、味噌仕立てにして味噌煮込みうどん(きしめん)にして食することも多い。手間が省けてよい。

 

最近スーパーで「ほっけの素干し」なるものを見付けて買ってきた。

 

 

袋には「新鮮なほっけを素朴な味に仕上げました。そのままむしってお召し上がり下さい」と書いてある。加工者は北海道函館市の業者だった。

 

魚介類を乾燥させた「するめ」とか「ホタテの貝柱」とか、そのまま手を加えずに食することのできる「乾きもの」は、酒呑みにとってお手軽な酒の肴として重宝されている。何れも噛むほどに旨味がしみ出てお酒も進む。

 

この「ほっけの素干し」を食べるのは今回が初めてだ。これは、ほっけの身を細長く割いて、身を皮を残して2~3㎝毎に切り込んだものを、たれに漬けた後、干してカラカラに乾燥させたものだ。

 

出っ張ったところをむしると、思ったより簡単に乾燥した身が皮から剥がれる。これを口の中に入れると、石のように硬い。飴玉のように暫くしゃぶって柔らかくなったところを少しずつ噛む。次第にほっけのエキスが口いっぱいに広がる。

 

見た目以上に美味であった。熱燗にも合う。これから、私のお気に入りの「あて」になりそうだ。歯が丈夫でない人には、硬くてお薦めできないかな?

 

夕食の支度や食事中に、You Tube の音楽を流していることが多い。you Tube  動画の右の欄の中の「マイ ミックスリスト」をクリックすると、AIが私の好みの曲を選択しリストアップしてくれる。全て私の好みで、気に入らない曲が一つもないのが、AIに心の中を見透かされているようで、不気味でもある。

 

手間もかからないので、最近は「マイ ミックスリスト」を流している。順番や曲目はその日によって変わることもあり、内容は、歌謡曲、バイオリン曲、フレンチポップス他等全くバラバラだ。

 

昨日聞いた「マイ ミックスリスト」の曲目と順番は、以下であった。

 

①六本木ララバイ          (内藤やす子

②Tokyo  に雪が降る         (チェウニ)

③あなたがすべて          (門倉有希)

④会いたい             (沢田知可子

⑤死ぬほど愛して・バイオリン演奏  (川井郁子

⑥菜の花情歌            (永井裕子

⑦真珠採り・バイオリン演奏     (寺井尚子

シバの女王            (レイモン・ルフェーブル)

⑨大阪で生まれた女         (Boro) 

⑩真珠採り             (ポールモーリア)

キサスキサスキサス・バイオリン演奏  (寺井尚子

⑫RUN               (長渕剛

アルビノーニのアダージオ・バイオリン演奏  (寺井尚子

⑭忍冬(すいかずら)        (すぎもとまさと)

⑮春雨               (村下孝蔵

⑯つまさき坂             (永井龍雲

 他

 

これらの曲を聞きながら、ちびりちびりやっていると、お酒の酔いも回ってきて、曲に合わせて口ずさんだり、歌ったりすることもある。誰もいないので遠慮はいらない。

 

17時になると、NHK総合の「ニュースLIVE!ゆう5時」を付け、テレビを見ながら副食を「あて」にしての夕食となる。

 

NHKのこの時間帯は、15年程前から見ている。当時は「ゆうどきネットワーク」という名前で、キャスターは、山本哲也アナウンサーだった。山本アナは、人間味の溢れた人で、番組中感極まってよく涙を流していた。

 

2015年から昨年までは、名前が「ニュースシブ5時」となり、キャスターは始め松尾剛アナだったが、途中から阿部渉アナに変わり、昨年春改変があって今の「ニュースLIVE!ゆう5時」となった。キャスターは、高瀬耕造アナ、片山千恵子アナだ。この春又高瀬アナが交代するという噂もある。

 

私がこの番組で楽しみにしているのは、気象予報士・田中美都ちゃんの天気予報だ。彼女の説明は、どこか初々しくて可愛くて、外連味(けれんみ)が無くって、好感が持てる。彼女のファンになってしまった。

 

18時過ぎには、お酒と「あて」でお腹も朽(く)ちてくるので、軽くご飯で〆(しめ)て、食べ終わった食器を洗って夕食は終わりとなる。

 

 

 

 

立春の頃

二月に入って、暦は節分、立春と慌ただしく過ぎて行った。吹く風は冷たく、今はまさに早春賦の歌の文句「春は名のみの風の寒さや」の時期だ。

 

2月9日の朝、ベランダで洗濯物を干していて、空を見上げたら真っ青で、心が晴れ晴れとした。風は冷たかったが、陽の光が1月より強くなった感じだ。

 

翌10日は、日本列島の南に南岸低気圧が通過し、全国的に雨や雪となり、私の住む関東地方南部も朝から雪が舞い、午後には数㎝積もり気温も13時頃 0℃と寒かった。

 

そして次の11日は、低気圧も過ぎ去り朝から青空が広がり、前日とは打って変わって暖かくなった。三寒四温で少しづつ春に向かっているのだろう。

 

花は早咲きの梅が見ごろだ。

 

       写真ACより    むすす!さんの作品

 

私の日常はと言うと、週2回のテニス、週2~3回の卓球、金曜日のリハビリセンター通 い、土曜日の買い出しと毎度同じパターンが繰り返され、日が経っている。そんな中、立春の頃の近況を綴ってみます。

 

1⃣ 小さなトラブル

小さなトラブルが連続して発生した。

まず、パソコンを操作していたら、画面に「充電容量が少なくなりました」の表示が出た。パソコンは常にACアダプターケーブルを接続したままで使用しているので、「おかしいな」と思ったが、そのまま使っていたら、電源が切れてしまった。

 

ケーブルの接続が悪いのかと、パソコンのコネクターやコンセントのプラグを数回出し入れする。その日はケーブルを繋いだままパソコンの使用は止めて就寝。翌朝充電量を見ると一晩充電したはずなのに数%と100%にはなっていない。

 

そのまましばらく放置してから、ACアダプターかバッテリーパックに不具合が生じたのかと、このパソコンを購入した家電量販店へ持っていく。店で充電量を見ると、100%になっている。「なんだ、ケーブルの接続が悪かっただけか」とそのまま、持ち帰る。

 

自宅でケーブルを接続して、この日は外出予定があったので、夕方まで放置した。18時頃帰宅して、充電量を確認すると、又数%だった。再度量販店へ持ち込んで診てもらうと、ACアダプターの不具合と判明する。純正品はメーカーからの取り寄せになり、時間もかかるというので、市販のアダプターを買って取り替えた。解決した。

 

翌日、朝食中にカリッと言う音とともに、左下奥歯の金属のかぶせ物が剥がれた。歯医者さんに電話して、本日中の再取り付けを依頼し、テニス後の予約が取れた。取り付けは簡単に終わり、ついでに口内チェックと洗浄をしてもらって帰る。

 

帰宅して夕飯仕度をしようとガスレンジを点火すると、カチカチ音が鳴り続け、その内火も消えてしまった。他の2台のコンロも同様の現象を示す。「これはまずい!調理できない」とレンジメーカーへ修理依頼の電話する。対応した女性に「このところの寒波で、修理依頼が殺到しているので、いつお宅へ伺えるかは分からない」と言われた。

 

「当分は料理ができないのか」諦めていると、修理担当の男性から電話が入り、「明日午後なら、行くことができる」と言われ、即修理に来てもらうこととする。

 

この日は、午前テニス、午後卓球であったが、午後はガスレンジの立ち合いで、急遽卓球は欠席にする。

 

翌日午後、修理員が点検すると、コンロは3台とも正常に点火する。「湿気でリレーに不具合が生じたものが、乾燥して元に戻ったのだろう」とのこと。彼はパネルを剥がして、内部の点検とバーナーの清掃をし、点火プラグを交換をして修理を終えた。費用は部品(点火プラグ)代200円に出張代、修理工料他を足して7,150円だった。

 

2⃣ オンライン懇談会

入社当時、同じ寮で生活した7人の仲間による7回目のオンライン懇談会が開催された。使用アプリは、マイクロソフトのTEAMSである。このアプリをインストールしてから私のパソコンは、動きが非常に遅くなり、使い勝手が悪くなったので、前回の懇談会の後にアプリを削除した。

 

今回、アプリを再度インストールして、懇談会に備えた。13:30開催なので13:15から会議への接続を試みたが、接続が上手くいかず、10分ほど遅れての参加となってしまった。

 

前回の懇談会の後、7人のメンバーの内4人がコロナに感染してしまい、話題もその体験談の披露となった。幸い4人とも軽症で済み、今は4人とも元の元気な姿が画面に現れ安心する。

 

その後雑談で2時間はあっと言う間に過ぎた。こうして7人が画面上で一堂に会して、顔を見ながら話ができることは、一昔前では考えられなかったことで、あらためて文明の利器に感謝する。

 

3⃣ 恋愛ドラマ

国内ドラマが好きで、CS放送で再放送されたものを録画して時々見ている。WOWOW制作の「連続ドラマW]は、原作、脚本がしっかしていて、社会派ドラマや経済ドラマに、重厚で見応えがあるものが多い。

 

「いい年をして」と笑われるかもしれないが、民放制作の恋愛(純愛)ドラマも私の好きなジャンルだ。

 

愛していると言ってくれ 全12話」を三日かけて一気見した。このドラマの脚本は北川悦吏子、主演は常盤貴子豊川悦司だ。以前、北川-常盤コンビの「月に祈るピエロ」という大人の恋愛を描いた非常に秀逸なドラマを見て感動したので、この作品も期待できそうと思い録画した。

 

愛していると言ってくれ」は、1995年夏にTBS系金曜ドラマ枠で放送されたもので、聴覚障害のある青年画家・晃次(豊川悦司)と女優を目指している劇団研修生の若い女性・紘子(常盤貴子)との純粋で繊細なラブストーリーだ。

 

このドラマの時代(25年以上前)の通信手段は、ケータイはまだ無く、手紙、電話、FAXくらいだった。二人の意思伝達は、晃次の耳が聞こえないので、電話は駄目で、手話、メモ帳への筆記と手紙、FAXだ。

 

紘子は晃次と密に連絡したいがために、劇団研修生には破格な125,000円もするFAXを無理して購入する。今は数万円で買えるのに、当時FAXはこんなにも高価だったのかと驚いた。

 

二人の連絡がつかない時は、確かめる為直接相手の家へ行く。晃次が紘子のアパートへ猛ダッシュで走るシーンが沢山ある。そして何度もすれ違う。ケータイかスマホがあればこんなシーンは不要となる。

 

私は放送当時、このドラマの存在は知らなかったし、リアルタイムで見ていない。当時平均視聴率は、21.3%、最終話では28.1%を記録した人気のドラマだったようだ。

 

見終わった感想は、「現在とは通信手段が異なることで、ケータイ、スマホの無い時代の方が、返って新鮮な恋愛模様を醸し出すものだなぁ」ということだ。

 

このドラマのテーマソングは、DREAMS  COME  TRUE の「LOVE  LOVE  LOVE 」だ。

 

この曲はドラマの全編に渡って、BGMとして流れている。純愛ドラマに相応しい曲だ。下に添付します。

  


www.youtube.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目黒孝二さん

1月下旬のある日、毎朝聞いているTBSラジオ森本毅郎スタンバイ」で、目黒孝二さんの訃報が流れた。「あの目黒孝二さんが亡くなったのか~」と感慨にふけった。1月19日、肺がんで逝去されたという。76才だった。 

 

(以下敬称略)

私が目黒孝二を知ったのは椎名誠の本で、そこには椎名の数ある仲間の一人で、本が好きで好きでたまらない男として描かれていた。

 

目黒は、明治大学を卒業後就職するが、「毎日通勤していたら、本が読めなくなる」という理由で三日で退社する。その後も就職しては三日で退社することを繰り返した。その内の一社で目黒は椎名と知り合い、後に椎名とともに1976年に書評をメインとした「本の雑誌」を立ち上げた。

 

本の雑誌」を立ち上げるまでのいきさつを、椎名は「本の雑誌血風録」に、目黒は「本の雑誌風雲禄」という本にして詳しく描いている。二作とも、若者たちが夢を抱いて、新しい雑誌を刊行するまでの格闘する様子を、清々しく活写している。

 

最近、この二冊をもとに関係者への取材もまじえて、カミムラ晋作が漫画化した「黒と誠~本の雑誌を創った男たち~」が出版された。

 

従来の書評というと、学者や文壇の長老たちによる難解なものがほとんどであったが、目黒は自分が面白いと思った本を、その面白さを一人でも多くの人々に伝えたいという信念から、主にエンターテイメント系の書評を書き続け、「本の雑誌」他に発表した。

 

本の雑誌」の刊行時は、椎名が編集長、目黒が発行人の肩書であったが、椎名がメジャーな作家として多忙となってからは、目黒が実質的な編集長として雑誌を切り盛りした。

 

2000年、目黒は発行人の役を若手に譲り、自らは顧問になる。当時事務所が京王線笹塚駅近くにあって、目黒は自宅にはほとんど帰らず、その事務所で寝泊まりして、本を読んで書評を書いていた。

 

その様子を、「笹塚日記」として「本の雑誌」に連載している。食事は始めは外食したり、出前をしていたが、そのうち事務所の調理場で自炊も始める。自分の作った料理についても、冷静に批評をしているのが面白い。

 

目黒は著書が多数あるので、ジャンルごとに異なるペンネームを使っている。

 小説では、「目黒孝二」

 書評、文芸評論では、「北上次郎

 競馬評論では、「藤代三郎」

である。

 

目黒の趣味は競馬で、先の「笹塚日記」にも、平日は寝泊まりしている事務所での様子を書いているが、土日は毎週「終日、中山競馬場」「終日、府中場外」と一行で済ませている。

 

私は競馬のことはよく分からないが、スポーツ紙に藤代三郎のペンネームで連載していた競馬関連記事は、競馬ファンには好評だったらしい。今回の訃報に対して、サンスポの鈴木学記者がネットに、目黒のことを次のように投稿している。

 

「本が書斎派なら競馬は現場派だった。馬友(うまとも)と競馬場へ繰り出し、早朝から並んで取った指定席で馬券を買って観戦した。本命にした馬への声のかけ方は『馬名では無く、騎手の名前を呼ぶ』や発するタイミングと言った競馬場での所作に一家言あった」

 

そして、記者は目黒の言った「普段は馬券が当たらないことに文句を言ったりしているが、毎週元気で馬券を買っている日々こそ極上の日々なのである」の言葉が忘れられないと結んでいた。

 

 

私は「本の雑誌」の存在は知っていたが、私の地元の本屋には置いてなかった。20年程前、勤務先が新橋になり、仕事で都内の事務所に行った帰りなど。新宿や赤坂の書店に寄ってみると、なんと「本の雑誌」が平棚に山積みされていた。

 

以降3年程、都内の書店で毎号買い求め愛読した。

 

 

 

本の雑誌」には目黒の別名北上次郎の他に、大森望中場利一他7~8名の書評家による新刊本の紹介や書評がが掲載されていた。書評以外に、目黒の「笹塚日記」や、椎名誠、椎名のユニークな仲間沢野ひとし(変な画家)、野田知佑(カヌー冒険家)、木村晋介(弁護士)のエッセイを連載している。これらが又結構面白い。

 

本の雑誌」は毎年「本の雑誌が選ぶ○○年度ベスト10」を発表しているが、目黒は選考に当たって、既に評価されている作家よりも、まだ日の目を浴びていない新人作家の作品を上位にしたいと言う作品評価とは別の判断が働くと言っていた。

 

ところが、2002年度のベスト1には、山本周五郎賞直木賞も受賞している重松清の「流星ワゴン」を選んでいる。

 

「・・・『流星ワゴン』はじわじわと効くのだ。読み終えた時よりも一か月後の方が印象が強くなり、そして半年後はもっと強烈なものに育っていく。『流星ワゴン』の底を流れる切実感とこの小説が与えてくれる静かなパワーが時がたつごとにどんどん膨れ上がっていくのである・・・」と目黒は書いて、自分の感情に従って、今回は例外として「流星ワゴン」をベスト1にしたと釈明している。

 

このように、熱く「本」のことを語っていた目黒孝二が亡くなった。

ご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

 

 

大寒

1月20日、暦では大寒に入り冬本番となった。それに呼応するかのように1月24日夜から日本列島は10年に一度位と言う寒波に覆われた。私の居住地も25日の朝は、-4℃まで気温が下がった。

 

この日は早朝テニスの日で、コートまで車で移動中に社外の気温を確かめると、-2℃だった。マイナスの気温の中でテニスをするのは初めてのことだ。

 

初めのウォーミングアップラリーは、身体が温まるまで、手袋をしネックウォーマーをつけ、毛糸の帽子をかぶりコートを着たまま行った。こんな格好でテニスするのも初めての体験だ。

 

私は暑がりで直ぐに汗をかくので、冬でも半袖のシャツでプレイすることもあるが、さすがにこの日は、半袖シャツ+長袖シャツ+薄地ジャンパーの3枚を着てテニスした。3枚着ても汗は全くかかなかった。

 

テニスの帰りには気温も上がったが、それでも外気温は2℃だった。

 

午後にS卓球に行く。夏もそうだが、冬も室内でプレイする卓球は屋外テニスと比べると格段と快適だ。場所は公民館なので暖房もある。年中快適だが、テニスと違って季節感は感じない。

 

翌26日の朝は、更に気温が-7℃まで下がった。この日の午前中は外出せず、室内で過ごしたので寒さを感ぜずに済んだ。陽が登り10時を過ぎると太陽のお陰で、陽の光が入る部屋の暖房は不要となり、陽だまりは、ぽかぽかと何とも言えない心地よい暖かさに包まれる。

 

         写真ACより   ジオジオさんの作品

 

その暖かさは、エアコンやストーブの暖かさとは違って、身体の芯からじわーっと温めてくれる気持ち良いものだ。今更ながら太陽の恩恵を授かる有難さに感謝する。

 

 

近年暖冬が続き、冬でも子供の頃に感じた「寒い!!」という感覚を感じることが少なくなった。私が子供の頃は暖房と言えば、こたつと火鉢で、その後もアラジンの丸形ストーブくらいのもので、家も隙間風が入るような気密性の悪い構造で、断熱材もほとんど使用されていなかったので、今考えると随分寒い環境で暮らしていたものだと思う。

 

子供の頃、当時給湯器は無く、朝顔を洗う時は、黄色い真鍮(しんちゅう)の洗面器にやかんで沸かしたお湯と水道水を混ぜたお湯で洗った。初回の四国遍路で高野山の宿坊に泊まった11月23日の朝、洗面所にはお湯が無く、水道水で洗顔したが、その水の冷たさに震えあがり、いっぺんに目が覚めた。蛇口を回せばお湯が出る現在の生活は、恵まれすぎている。

 

最近の住宅は、断熱剤をふんだんに使い、サッシで気密性が良くなり、ガラス窓のガラスは2重ガラスになって、寒い日でも昔のように窓が結露で濡れると言うこともなくなった。曇りガラスにハートマークや好きな人の名前を書くと言った映画やドラマのような胸キュンなことはできなくなった。

 

毎年冬の現象であるが、日本列島の太平洋側と日本海側とでは、気候が全く異なる。私の住む関東地方南部は、今回の寒波襲来でも気温は低いものの日本海側のような降雪も吹雪も無く晴天の穏やかな日が続いている。日本海側に暮らす人々には申し訳ない気分だ。

 

関東南部では、数㎝の雪が積もっただけでも大騒ぎするが、豪雪地帯の人々は、雪の難儀(雪かき、屋根の雪下ろし等)が大きく、雪が余り降らない地方の人々には想像もつかない厳しい生活を強いられている。

 

江戸時代後期の越後魚沼の郷土史家、鈴木牧之(ぼくし)が若いころ江戸に出て、江戸の人々が、雪国の雪の多さや生活について知らないことに驚き、越後の雪を主題とし、その風俗、生活を記した「北越雪譜」を出版した。これは江戸のベストセラーにになったと言う。江戸の昔から、雪の少ない地方の人にとって、豪雪地帯の苦難な生活は余り知られていなかったようだ。

 

寒い季節になると、ヒートショックによる浴槽での溺死事故がよく話題となる。これは交通事故の4倍ともいわれ、寒い浴室とお湯との急激な温度変化で血圧が大きく変動することで起きる。娘からはしょっちゅう注意するよう言われている。

 

ヒートショック対策の指針としては、①脱衣場、浴室を暖かく、②お湯の温度は41℃以下、③お湯に浸る時間は、10分以内とある。①は、脱衣場、浴室には暖房が付いているので問題ないが、風呂好きの身としては、②、③が守れない。

 

友人から「天気と相談しながら、神奈川県二宮の吾妻山と松田町の蝋梅園に行って来た」という写真付きのメールが届いた。吾妻山は、山頂の菜の花畑越しに富士山の絶景が楽しめる人気の山で、私も二回訪れたが、何れも雲で富士山は望まれなかった。友人はここから雪の富士山を何度も展望しているようで、羨ましい。

 

蝋梅はその高貴な香りがなんとも奥床しい花だ。近所を歩いていて、お宅の庭からこの香りがほのかに漂って来るのに出会うと、幸せな気分になれる。

 

        写真ACより    花散歩さんの作品

 

大寒」は寒いばかりで、良いことは何もないかというと、そうでもない。1月も下旬ともなると、日没時刻も大分遅くなった。冬至の頃は夕方5時は暗かったものが、今はまだ明るい。陽が伸びると言うことは、気分的にも余裕ができたようで嬉しい。

 

「冬来たりなば、春遠からじ」で、来週の4日は、次の二十四節気立春」だ。梅、河津桜、サクラと順に花の便りも聞かれるようになる。こうして、少しずつ少しずつ季節は動いていく。

 

初場所の朝之山

令和5年1月8日、大相撲1月場所初場所)の幕が開いた。

 

私の贔屓(ひいき)の朝之山は、去年の九州場所、東幕下4枚目の地位で6勝1敗、11月30日の番付編成会議で正式に十両復帰が決まった。番付は西十両12枚目である。

 

相撲取りにとって、幕下と十両では格段の差がある。 

 

① まず呼称が「関取」(十両以上))と呼ばれ、幕下以下は無給だったものが、110万円の給与がでるようになる。

 

② 髷は大銀杏を結えるようになり、まわしは締め込み(本場所で締める絹製まわし)となる。

 

⓷ 化粧まわしを付けて土俵入りができる。

 

④ 取り組みが7日から15日になる。

 

⑤ 付け人が付くようになる。

 

⑥ 売店で自分の名前入りのグッズが販売されるようになる。(ちなみに今場所朝之山のタオルは、売り切れたそうだ)

等々である。

 

朝之山は初場所開幕前、「(関取の象徴である)大銀杏で、15日間相撲を取れることが嬉しい。1番でも多く勝って応援して下さる方々へ恩返しをしたい」と話していた。

 

スポーツ紙等は、朝之山関連記事を多く取り上げ、「全勝優勝なら一場所で幕内復帰」と書き立てていた。

 

そして迎えた初日、朝之山は富山後援会から贈られた「劒岳デザイン」化粧まわしを着けて十両の土俵入りをする。

 

 

「富山後援会は、大きな味方だった。不祥事を起こした時も解散せず、関取になるまで待っててくれた」と故郷で支えてくれる人達への感謝の思いを込めてこのまわしを着けたと語っている。

 

9日目からは、復活するまで支えてもらった東京富山県人会から贈られた「立山連峰デザイン」化粧まわしに替えている。

 

 

 

十両の取組は十両土俵入りの後、幕下上位5番の取組の後に行われる。土俵入り後何故十両の取組に入らず、幕下5番が組まれているのか疑問であったが、十両力士が土俵入りから帰って次の取組の仕度をする時間に当てているそうだ。納得した。

 

朝之山の初場所15日間の取組を見てみよう。

 

⑴ 初日 貴健斗戦

朝之山は、立ち合い高健斗に少し押しこまれて引いてしまったが、回り込んで突き落として勝利する。初日で朝之山も緊張したのか、三段目の相撲以降朝之山が「引く」のを見たのは始めてだ。

 

勝つには勝ったが、左上手を取って 朝之山の形での寄りを期待していたので、私は不満だった。

 

⑵ 2日目 千代栄戦 

朝之山は、突き放して落ち着いて危なげなく相手を突き出した。

 

⑶ 3日目 白鷹山(はくようざん)戦 

突き押しの白鷹山に対して、右差し左上手を取って一気に寄り切る。

 

⑷ 4日目 對馬洋(つしまなだ)戦 

昨日同様左上手を取って寄り切る。安心して見ていられた。

 

⑸ 5日目 魁勝(かいしょう)戦 

朝之山が左上手を取ったので、いつもの寄りかと思ったら、魁勝が下手投げを打ち、朝之山が一瞬ぐらっとしたが、その後朝之山が左から投げると、魁勝は土俵に崩れ込んだ。決まり手は浴びせ倒し。朝之山5連勝

 

⑹ 6日目 狼雅(ろうが)戦 

ロシア出身の狼雅は、四つ相撲の得意な若手有望株で、ここまで朝之山と同じく5連勝。

 

立ち会い、朝之山は左上手を取るが切られ、狼雅は左上手十分の形になる。両者しばらく土俵上で静止した後、狼雅が引き付けて寄るが朝之山こらえる。朝之山は左手をねじ込み、両差しの状態で寄って出て寄り切る。朝之山勝って十両単独トップの6連勝。

 

⑺ 7日目 島津海戦 

立ち合い、両差しの得意な島津海を警戒して、差し手争いから左上手を取る。島津海が寄ってきたところを朝之山が強力に引き付けると島津海は腰がくだけてひざまずいた。 決まり手は「すくい投げ」 朝之山7連勝

 

⑻ 中日 豪の山戦 

立ち合い豪の山が左へ回り込むのを、朝之山はもろ手突きで土俵際まで攻め込む。豪の山が押し返して寄ってきたところを朝之山は小手投げで制した。

 

中日で勝ち越し、関取では朝之山がただ一人の8連勝

 

⑼ 9日目 北の若戦 

朝之山は立ち合い踏み込んで一気に前に出て寄り切る。朝之山完勝で9連勝

 

⑽ 10日目 東白龍戦 

この日も朝之山は、立ち合いから左のど輪で一気に東白龍を押し倒して完勝、10連勝  

 

⑾ 11日目 大翔鵬戦

朝之山が10連勝したことで、マスコミは誰が朝之山に土に付けるか書き立てた。モンゴル出身28才の大翔鵬はここまで8勝2敗と好成績、右四つが得意なので朝之山とは右の合四つだ。

 

立ち会いすぐに、お互いが得意な右四つとなり、朝之山は左上手を取ったが切られてしまい、逆に大翔鵬に右差しを許し、左上手も十分に与えてしまう。この状態で大翔鵬に胸を合わせてじっくり寄り切られてしまった。朝之山は完敗、連勝もストップし10勝1敗

 

大翔鵬は取組後「朝之山さんは十両で負けられないと言うプレッシャーがあるが、自分は今場所勝ち越しているので、気持ち的には自分のほうが有利だと思っていた。なので思い切っていけた」と語った。

 

負けて朝之山は大いに落ち込んだが、師匠の高砂親方元朝赤龍)や、母親に「切り替えて一日一番と言う気持ちで頑張って」と励まされ、気を取り直したと いう。

 

⑿ 12日目 湘南乃海戦 

湘南乃海は今場所の新十両だが、ここまで9勝2敗の好成績だ。左四つが得意なので、朝之山とは「けんか四つ」だ。

 

朝之山は立ち合い差し手争いで、左をねじ込まれ、相手に右上手を取られたところで、下手投げで振って相手のバランスを崩して寄り切った。 朝之山は連敗せず11勝1敗

 

⒀ 13日目 金峰山(きんぽうざん)戦 

金峰山カザフスタン出身の25才、身長192㎝、体重179㎏、朝之山よりも一回り大きい。突き押しを得意とし、ここまで朝之山と同じく11勝1敗で将来を期待されている新鋭の力士だ。ここまでの取組をビデオで見たが、突き押しの威力が抜群で、安定した勝ち方をしている。1敗同士の対戦で、事実上の優勝決定戦だ。

 

立ち会い、金峰山が突いて来るところを朝之山はいったん止めて、組もうとするが叶わない。その後金峰山は身体を低くして寄って出て、土俵際で突き放す。朝之山はそのまま土俵を割った。しかし行司は、金峰山が一瞬早く手を土俵に付いたと見て、軍配を朝之山に上げた。

 

土俵下の勝負審判から、「朝之山の土俵を割るのと、金峰山が手を付くのが同時ではないか」と物言いがつき協議した結果、金峰山の手が先についており、行司軍配通り朝之山の勝利が確定した。(取組後のスロービデオ再生でも、金峰山の手がはっきりと先に付いていた)

 

朝之山は危なかった。朝之山は「相撲に負けて勝負に勝った」と言う所か。それにしても金峰山は強い。今後の朝之山の強敵となる力士だろう。

 

朝之山は12勝1敗となり、再び単独トップとなった。

 

⒁ 14日目 千代の国戦

ベテラン千代の国は、闘志あふれる取り口で、私の好きな力士であるが、怪我が多く幕内と十両の間を行ったり来たりしている。今場所前に膝の手術をしての出場で、十分稽古ができなかったらしいが、それでも10勝3敗と好成績だ。

 

朝之山は大関昇進前に、千代の国と2回対戦し2勝している。

 

千代の国は立ち合い後右にはたくが、朝之山は踏ん張ってこらえ、突き押しで前に出る。そのまま、千代の国を抱え込んで西の土俵に追い詰めて寄り切った。

 

朝之山はこれで13勝1敗 この後の金峰山と剣翔の取組で金峰山が敗れ3敗となったため、この時点で明日の千秋楽を待たずに朝之山の優勝が決まった。 

 

⒂ 千秋楽 北青鵬戦

北青鵬は、身長は2mと身長で関取最高の21才の新鋭だ。今場所は好調でここまで9勝5敗、中盤までで金峰山に勝った唯一の力士だ。四つ相撲の力士で組んだらしぶとい。

 

立ち合い朝之山は、直ぐに相手の上手を引いて自分の形になり、寄っていくが残される。その直後、上手投げで北青鵬を振って寄り切った。

 

朝之山は見事な取り口で千秋楽を勝って、14勝1敗として初場所を終えた。

 

これで全勝は逃したが、1敗での優勝なので、もしかしたら十両は1場所通過で、3月の春場所は幕内に復帰できるかもしれない。

 

 

 

朝之山が十両優勝した。「朝之山は大関経験者で怪我や病気で番付を下げたわけではないので、幕下や十両力士に勝って当たり前で、朝之山と対戦する力士は可哀そうだ」という意見もよく聞く。

 

しかし、朝之山との対戦力士も、「めったにない機会なので勉強になる。今後の参考にしたい」と前向きにとらえる力士も多い。

 

一方朝之山側からすると、相手が格下であっても連勝することは並み大抵ではない。相手は負けても当然なので、思い切っていき、自分の長所を発揮できる。相撲は一瞬で勝敗が決まることが多いので、この精神的な「気分」の効果は計り知れない。

 

そういう状況の中で、朝之山は全勝こそできなかったものの、14勝1敗で優勝できたことは、素人目にも大したことだと思う。新しい顔ぶれがひしめく十両でも、大関経験者としての実力を十分見せつけてくれた。

 

朝之山も自分を応援してくれる人々に、素直に謙虚に感謝しつつ戦った結果であろう。

 

朝之山 おめでとう!

 

 

コンピューターウィルス

1月11日の水曜テニスから帰宅して、お昼頃パソコンのネット記事を見ていたら、突然大きな警報音ともに「あなたのパソコンは『木馬○○ウィルス』に感染しました。至急下記の番号に電話して下さい。」とマイクロソフトインターネットセキュリティーと称するところからメッセージが入った。

 

一瞬、詐欺かなと頭をよぎったが、大音響の警報メッセージが画面右上の「✕」を何度クリックしても消えない。音だけでも消してもらおうと、指定の番号に電話する。

 

対応したのは、日本語を話す外国人だった。欧米人ではなくアジア系のようだ。インド人には、理数系の得意な人が多いと聞いていたので、浅黒い顔立ちのインド人を想定した。

 

彼は「ワタシはマイクロソフトインターネットセキュリティーセンターの『✕✕✕✕』です。あなたのパソコンは、コンピューターウィルスに感染しましたので内容を確認します」と言って、私のパソコン操作を誘導して、彼から遠隔操作ができるようにする。

 

彼は私のパソコンの中身を見ながら、「セキュリティーが甘いようですね。ウィルスで今7割のアプリが停止しています。今まだこのパソコンが使えるのは、残りの3割が動いているからです」と言って、しきりに私のパソコン内の情報をスクロールする。

 

そして「この問題を解決するには、私どもが開発したアプリをインストールする必要があります。それには費用が派生します。①4年保証コース 4万円 ②5年保証コース 5万円 ③永久保証コース 10万円  どれになさいますか?」

 

「やはり、そうきたか、この話おかしいな」と思い、早く打ち切ろうと考え、4万円コースと答える。

 

すると、「最寄りのコンビニでグーグルプレイカードを4万円分買ってきてください。その後の操作の仕方は、カードを買って戻ったら教えます。電話は切らずにそのままにしてください」と言う。

 

「これは詐欺!」と確信して、電話はそのままにして放置する。PC画面は詐欺グループが操作した状態のままで、元の状態に戻せない。

 

「さてこの後どうするか?」パソコン操作で困った時はいつも、JCOMのお任せサポートに相談しているので、JCOMに電話する。事情を話し「JCOMの遠隔操作でパソコンのウィルス除去をしてもらいたい」というと、「詐欺グループにスクロールされたソフトは JCOMでは対応できない」と断られてしまった。

 

メーカー(東芝)のお客様相談の電話番号を教えてもらい電話するが、相談員に繋がらない。仕方なくパソコンを購入した家電量販店にこれを持ち込んだ。

 

担当者は私の話を聞き、パソコン内ソフトにスキャンをかけ、ウィルス除去作業をするには時間がかかるので、これを預かると言う。

 

店に預けて帰宅し、夕食を済ませた18時頃作業終了の連絡があり、元に戻ったパソコンを取りに行った。ウィルス除去費用は3300円だった。グーグルプレイカードを買わなくてよかった。

 

担当者に「ウィルスは除去されても、詐欺グループは私のパソコン内の情報をスクロールしているので、クレジットカードの情報がフィッシングされ、不正に現金が引き出されたりするのではないか?」と私の心配事を伝える。

 

担当者は、「大丈夫だとは思いますが、心配ならカードを作り直すんですね。警察に相談したらどうですか」と言われる。

 

19:30 地元の警察に電話する。刑事課の職員が対応してくれ、量販店担当者と同じことを言われる。そして警察に相談したことを書類で残しておくと言われた。

 

この日は一日、パソコンウィルス騒ぎに振り回された。詐欺グループに電話してしまったのは、大音響の「パソコンウィルス感染」メッセージが消せなかったことが原因である。後になって冷静に考えると、電源を切ればよかったのだがその時は思いつかなかった。

 

彼らは、大音響で相手を混乱させておいて、心の隙をついて要求をしてくる。詐欺グループの常套手段だ。現在特殊詐欺がこれだけ注意喚起されているのに、彼らの被害に遭う人達が後を絶たない。詐欺グループの手口も巧妙になっている。普段から注意を心掛けなければと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

正月松の内

正月松の内が明けた。今年の正月は、3年ぶりに行動制限がなく、帰省客や旅行客もだいぶコロナ前の水準に戻ったたようだ。初詣客の表情も、この2回の正月と比べると、どことなく明るくなった感じだ。今年はこのまま、暗い出来事の無い明るい一年になって欲しい。

 

以下に正月松の内の日常を綴ります。

 

        写真ACより    ラスラさんの作品

 

1⃣ 正月三が日

元日は娘家族の年始来訪とお墓参りで一日が過ぎた。墓参りの帰りに近所の神社に寄ったが、参道の中ほどまで参拝者が並んでいたので、日を改めて空いている時に来ようとそのまま帰る。

 

これ迄、二日、三日はウォーキングかテニスの壁打ちで過ごすことが多かったが、今年は外出はせず、二日間とも終日家に居た。二日三日の夜は息子と新年会。

 

年賀状は、年々少なくなっているが、今年も二人の方から「年賀のご挨拶は今年で最後とさせてもらいます」という年賀状じまいの賀状が届いた。その内一通は「普段メールでやり取りしているので、形式的な紙の賀状交換はやめましょう」というもの。

 

私も数年前からそう思っていたので、即OKのメールを出す。娘からの年賀状はLINEによるスマート年賀状(年賀はがきの様式に写真、文章が入っている)だった。来年以降、紙の年賀状は益々減少するのだろう。

 

2⃣ 1月4日

今年の初スポーツは午前中の水曜テニスだ。快晴で風も無く、寒いが絶好のテニス日和だ。今年もこうしてテニスができることの幸せを噛みしめる。新年屋外の真っ青な空の下、身体を動かして爽快な気分になった。

 

参加者は6人なので、4人がゲームをしている間、残りの二人は休憩となる。組み合わせの関係で休憩は毎回 Mさんと一緒になった。Mさんは、今年誕生日が来ると87才の高齢だ。腰や膝が痛いと言いながらも、サポーターを付けてプレイを楽しんでいる。

 

Mさんは都内に戸籍上の家があり、この町に別の家を建てて、奥さんと二人で暮らしている。選挙の投票用紙は都内の家に届くので、選挙は東京でするそうだ。那須にも別荘を所有して毎年夏に避暑に行っていたが、子供や孫たちは余り別荘に行きたがらなく、自分も高齢になってメンテナンスが大変なので、手放したそうだ。

 

正月には、子供や成人の孫が9人集まるので、奥さんはその対応で大忙しだと言っていた。私なんぞの、5人で午前中だけの対応と比べたら、その忙しさは雲泥の差であろう。昔の主婦は皆さん働き者だ。

 

午後、S卓球に行く。こちらはメンバー10人の内、6人の参加だった。卓球は狭い場所でできるので、台を3台出せば、シングルのラリーもゲームも十分できる。S卓球はお上手な方が多いので楽しい。

 

休憩時に正月用に買ったノンアルコールビールが3本余ったので、どなたか普段飲んでいる人がいれば、飲んでもらおうと尋ねたが、積極的に飲んでいる人はいなかった。Sさんが「誰もいないようなら貰うよ」と1本、Kさんが「おとうさん(旦那さん)と一緒に飲もかな」といって2本貰ってくれた。

 

3⃣ 1月5日

午後H卓球に行く。12人のメンバーの内8人の参加。休憩時のラリー相手Hさんが休みなので、休み時間に他のメンバーと話す。Oさん宅は、テニスのMさんと同様、9人の子供、孫が集まり、三日間三食と宿泊の面倒をみたそうだ。「それはそれはお疲れさまでした」と労(ねぎら)った。

 

卓球が終わって、いつものようにSさんとMACへコーヒーを飲みに行く。Sさんは、年末に両眼の白内障手術を受けて、テニス、卓球を休んでいたので、久しぶりに会った。術後も順調で、世の中が凄くクリアに見えるようになったと喜んでいた。

 

暮れの23日に、Sさんの故郷で、実家の近くの親戚の家(現在人は住んでいない)とその隣のSさんの中学同級生の家が火事になったそうだ。その話をしているところへ、3人連れのご婦人がSさんを見つけ挨拶をした。

 

3人の内の一人は、Sさんと同郷の中学同級生、もう一人はSさんが主宰しているラジオ体操のメンバーということだ。Sさんは中学同級生のご婦人に火事の話を伝えていた。それにしても、こういう偶然と言うことがあるのだと感心する。

 

4⃣ 1月6日

朝一にゴミ出しをする。今日が今年最初の一般ゴミ出し日だ。暮れの31日から今朝までに溜まったゴミを3枚の大ビニール袋にまとめて出す。ゴミ収集の方には申し訳ない表現だが、便秘が解消したような良い気分だ。

 

朝のニュースで昨日5日のコロナ新規感染者数が22.7万人となり、1週間前に比べて大きく増加したと報じられた。暮れから正月にかけて新規感染者数は、1週間前に比べ連続して減少していたので、第八派はピークアウトしたのではないかと、期待したのであるが、年末年始で検査数が少なくて小さな数字になっていただけかもしれない。油断大敵だ。

 

今年最初のリハビリセンターに行く。スタッフや利用者さんと新年の挨拶をする。皆さんに正月の行動を伺うと、

 

Yさん: 同居の息子さんが二人いるが、二人とも正月は不在だったので、旦那さんとお節食べたり、お酒飲んだり、昼寝したりとのんびり過ごした。息子さん達が独立すると、家を出るだろうから、その予行演習かもしれない。

 

Iさん:三回、丹沢に行った。元日は3時から塔ノ岳に登り、頂上で初日の出を見ることができた。富士山も赤く染まって美しかった。あとは蛭ヶ岳と鍋割山。

 

Sさん:家族と実家の信州松本へ行った。普通タイヤで高速を走ったので、雪が降らないかヒヤヒヤした。(結果は大丈夫だった)

 

ストレッチでは、片足つま先立ちのメニューが上手くいかない。これは腰の高さの円柱ポールを手で支えてつま先立となり、片方の足を縦横に上げたり、回したりするものだ。バランスが崩れて、去年から上手にできなかった。先生はポール無しでできる。今年の課題だ。

 

マシントレーニングでは、歩行マシンでシャツが濡れる位の大量の初汗をかいた。

 

5⃣ 1月7日

七日正月七草粥を食べる日だ。我が家ではお粥は食べないが、確かに正月のお節は塩分が濃く、野菜も少なく、いつも同じ物で飽きてくる頃なので、さっぱりとした胃にも優しそうなお粥など理にかなった料理だと思う。

 

今日は土曜日で、スーパーへ一週間分の買い出しに行く日だ。スーパーへは4日のS卓球の帰りに寄ってちょっとした買い物をしたが、まとめ買いは今年始めてだ。鍋物などの食材を一週間分買って、いつものHさんのレジに並ぶ。レジ台にカゴを乗せると「おめでとうございます!今年もよろしくお願いします!」と明るく大声で言われ、挨拶を交わす。

 

続いて「レジ袋は大3、中2ですね」と言って二箱(2ℓボトル12本)の天然水のバーコードを読み取り購入済のテープを貼る。ここまではいつものルーティン作業だ。レジが終わって自動支払いをしている時、「ありがとうございました!」「今年もよろしくお願いします」ともう一度言われ気持ち良かった。

 

帰宅して買い物を冷蔵庫に収納後、正月飾りや鏡餅を取り除き、玄関や各部屋の配置をいつもの日常に戻す。外した正月飾りを神社に納めに行く。初詣がまだだったので参拝する。おみくじも買おうと思ったが、おみくじ自動販売機は撤去されていた。

 

正月飾りの撤去されたいつもの我が家へ戻ると「今年の正月も終わって、又いつもの日常生活が始まったな~」と気持ちを新たにした。